2211年の3月3日は、古代家の初めてのひなまつりになる予定だ。もちろんそれは、初めて生まれた女の子、愛の初節句である。

 今日はまだひと月前の2月の始め。進と雪はちょうど休みで家にいる。守と航は保育所、愛はお昼寝中。
 いつもなら、パパの休暇中は保育所をズル休み?する守たちだったが、今日は2月のお友達の誕生会があるとかで、出かけて行ってしまった。お友達もたくさんできて、保育所大好きな二人なのだ。
 だから、今日は愛だけがお休みしている。

 そのおかげで、パパとママは久しぶりの二人っきり気分。お昼ご飯も終わって、ぬくぬくとした部屋で昼下がりの幸せな夫婦の幸せな語らいの時…… 今まさに夫が妻の抱き寄せて、熱いキスを…… と思いきや、そこに突然ピンポーンとベルが鳴った。

 「は〜〜〜い!」

 するりと抜けて立ち上がる妻に置いていかれ、がっくり倒れこむ夫が悪態をついた。

 「くそっ!」

 玄関では雪がまあ、と小さな声をあげた。何やらドスンドスンと音がする。

 「いったい何が届いたんだ? 俺、何か注文してたっけなぁ?」

 夫は一瞬ひやりとするが、よく考えてみても、今妻に内緒で大物を注文した記憶はなかった。それにしてもなんだろう、と思いながら、のろのろと玄関の方へ歩いてみて、進がびっくり仰天した。
 そこには、大きなダンボールの荷物がドーンと3箱届いていたのだ。

 「な、なんだぁ? その荷物???」

 業者から荷物を受け取りながら、雪も不思議そうに差出人の名前を覗き込んだ。
 差出人名は、森晃司とある。雪の父親の名前だ。荷物は雪の実家から届いたものらしい。

 「パパからみたい……でも、何かしら?」

 箱の大きさは半端じゃない。ひとりでは持ち上げられないほどの大きな物が二つに、両手を広げても届かないほど長い箱が一つ。
 業者が帰ってから、二人はその箱をまじまじと見た。それから顔を見合わせる。睨んでいても埒があかない。

 「うーん、まぁ、お父さんからなら、変なもんじゃないよな。とりあえず、開けてみろよ」

 進の声に、やっと雪はダンボールの封を切った。

 「あっ、まあっ!」

 「ん? うわっ!! な、な、な、なんだぁっ!!」

 ふたを開けて、緩衝用の具材を取り除けると、そこに見えたのは超和風な人形の顔! 二人は他の箱もとりあえず開けてみた。すると、小さな小箱がたくさん入っている。雪が一つを開けてみると、それはおままごとでもするかのような小さなたんす。

 そう、送られてきたのは、七段飾りの大きな雛人形だったのだ。それも、昔ながらのちゃんと一体一体実物の人形なのだ。

 「こ、これ? ほんものか!?」

 23世紀の今の世の中、雛人形も飾る手間やスペースも考えて、一番の売れ筋がホログラムの雛人形である。実体はないが、スイッチ一つでどんな豪華なのも見せてくれるとあって一番の人気だ。場所も取らないのも魅力だった。
 今時本物の人形など作っているところがあったのかと、進が腰を抜かさんばかりに驚くのも無理はなかった。だいたい、男兄弟の進は雛人形自体ほとんど見たこともなかった。

 「ママったらぁ……」

 雪の声もあきれている。父の名前になっているが、こんなものを送ってくるのは、母親の美里の仕業に違いない。そう言えば、と雪は思い出す。母が以前にちらっと言っていたことがあった。

 『愛ちゃんの初節句には、立派なお雛さま贈らないとねぇ』

 と、こんな風にはりきっていた。しかし、雪はそのときにちゃんと釘は刺していたのだが……

 『ママ、あんまり派手なのはいらないわよ。お兄ちゃんたちだって悪戯盛りなんだから…… ホログラムの小さいのでいいわよ。わかってるわね!』

 あのとき、美里は笑顔で「はいはい」と答えていたが、全然聞いていなかったようだ。相変わらず、我が道を行く母親なのだ。

 「どうするんだよ?」

 進が困った顔で尋ねるが、今更買ってしまった物を送り返すわけにもいくまい。雪が肩をすくめて苦笑した。

 「仕方ないわ。あなた、リビングまで運びましょ。この大きさなら、あそこに飾るしかないでしょう?」

 「うむむ……」

 進が睨みつけてみたところで、縮むわけではない。二人は力を合わせてその大きな箱をリビングに運んだ。

 さてと、箱の説明書を見ると、まずは七段の台を作らなければならないらしい。長い箱がそのようだ。組立式のそれは、まるで20世紀の物のように古式然としている。
 進は説明書を見ながら必死の造作である。勿論、雪も手伝った。それはまるで日曜大工の様相だった。

 「ふうっ……」 進のため息。

 土台を組み立てるだけで、あーでもないこーでもないと、既に30分が経過した。
 その後が本番。緋の毛氈を敷き、人形を一つ一つ飾っていく。内裏雛二つは両手でやっと抱えられるくらいで、ずっしりと重くてデカイ。

 雪はその人形一つ一つを見ながらうれしそうに、「まあきれい」とか「すごいわねぇ」なんて感心しているが、進の方はどんどん表情が厳しくなっていく。さらに無言になって黙々と箱から次々と人形を取り出していった。
 三人官女も置いた。が、五人囃子になると、二人でうーんと悩み始めた。どの人形がどの場所に置けばいいのか……? パンフレットには写真が載ってはいるが、格好の似ている人形がある。二人は真剣なまなざしで、目を皿のようにして写真と人形を交互に見つめた。

 「よし、これがこっちで、あれがそっち……」

 「違うわよ、ほら、この手の形見て…… こっちがそれよ」

 てな具合で四苦八苦の末、人形を置き終え、最後の七段目の家具類を置き終えた時は、作り始めてから1時間を大幅に越えていた。

 「で、できた……!」

 進がへなへなと座り込んで、情けない声で完成を訴えたが、しかしまだ終わってはいなかったようだ。雪がまた小さな箱を二つほど取り出した。

 「あ、待って! これ…… ほら、小道具が……」

 「小道具?」

 「ほら、この刀に、烏帽子、鼓に……」

 人形の細かい備品があるらしい。

 「うむむむ……」

 進の眉間には深い深い皺が……! それでも、気を取り直して烏帽子を取って五人囃子にかぶせようとしたが、男の太い手では細かい作業はまたうまくできない。いらいらしながらも、必死に人形に取りつけようとしている進に、雪はくすくすと笑い出した。

 「いいわよ、私がするから…… あなた、もう休んでて」

 雪は、見かねて声をかけ、細い指でささっと小道具を人形に身に付けさせていった。

 そして…… 製作時間2時間余りを要して、古代家の雛人形はとうとう完成した。

 「ひやぁぁぁ〜」

 と声をあげて、ソファーにどっかりと座り込んだのは進だ。慣れない作業に、その仕草からはとんでもない目にあったと言わんばかりだ。
 しかし、雪はさすが女性だけあって、できあがった人形をうっとりと眺めた。

 「やっぱり飾るといいわねぇ。本物のお雛様って」

 「けど、またこれ1ヶ月したら片付けるんだろう? もうやだよ、俺! 俺がいない時にやっといてくれよぉ」

 またまた情けない声で弱音を吐く進に、雪がムッとして怒った。

 「まあ、何言ってるの! 大事な大事な娘の雛飾りじゃないの! 手伝いなさい!!」

 「はあ…… もう、お母さんもお母さんだよなぁ。責任持って自分で飾りにきてもらいたいよ」

 進の愚痴はさらに続いた。雪がしょうがないわね、といった感じでくすりと笑うと進の隣に座った。
 すると進は、隣の妻の肩に手をまわすとぐっと抱き寄せた。

 「ねぇ、ママぁ…… 疲れたパパにエネルギーをおくれよ」

 甘えたような声を出して雪にしなだれかかる進パパ。あいかわらず雪の前では甘えん坊をしたいらしい。それに、さっきし損ねた恨みもある。

 「うふっ…… チュッ」

 雪は口をちょんと突き出して、進の唇に軽くくちづけをした。

 「だめだよ……まだ、足りないな」

 そう言うと、今度は進は自分から口を寄せ、むさぼるように雪の唇を味わい始めた。
 さらに、夫がそっとソファーに妻を押し倒し、二人は体を足を手を絡めあう。
 静かな午後の昼下がり。愛はまだ眠っている。邪魔者は誰もいない。外の明るさもこの夫婦には関係はないようだ。

 あれれ? でも疲れてたんじゃなかったっけ?進パパ!?


 その時、玄関のベルが鳴り、二人はまたあわてて体を起こした。

 「あ、またか! くそっ」

 進が再度悪態をついてごろんとソファーに横になる。雪は、その声を背中に聞いて、くすくす笑いながら玄関に出た。

 「はーい…… あらぁ、ママ? いらっしゃい。ちょうど今ね、お雛様が届いて飾ったところなのよ。ありがとう……ママ。でも、あれはちょっと大きすぎなぁい?」

 噂をすれば影……雪の母親が訪ねてきたらしい。進はびっくりしてソファーから飛び起きた。

 「あら、もう着いてたのね。送るように手配したからって言おうと思って来たのよ。ちょっとこっちに用があったものだから。あら、進さんもいらしたの? こんにちは」

 雪と並んで入ってきた美里は、済ました顔でニッコリと笑う。進もご挨拶ご挨拶。

 「あ、お母さん…… ご無沙汰してます。あの…… 雛人形、とても立派なものをすみません。本当にありがとうございました」

 ペコッと頭を下げて礼を言う進の姿を、美里の後ろで雪が笑いを堪えている。

 (進さんったら、さっきまで文句言ってたのに、すぐ態度変えるんだから、ふふふ)

 「いいえ、いいのよっ! 待ちに待った女の子ですもの。私ねぇ、愛が生まれてすぐに注文したのよ。今、こんな人形作る人は少ないのよ! 半年前には頼まないと間に合わないって言うものだから…… それでもほんとはぎりぎりで間に合わないかもしれないって言われたのを、無理にお願いしたのよ。
 ねぇ、いいでしょう? やっぱり、今はやりのホログラムだと味気ないものねぇ…… いいわぁ、ほんとに」

 リビングに飾られた雛人形を見ながら、すっかりご満悦の美里である。雪と進はその答えに口をあんぐり。呆れて物も言えない。

 (愛が生まれてすぐに注文ですって? じゃあ、ママ以前言ってたときにはもう発注済だったわけなのぉ……)

 「あ、そうそう、愛ちゃんは?」

 「今お昼寝中よ」

 「ちょっと見てくるわ」

 美里がうきうきと愛のベッドの方に行ってしまうと、雪が進に耳打ちした。

 「ママに文句あったんじゃないの? こんなもの突然送ってきてとか、自分で作りに来いとか、言いたかったんじゃなかったかしら?」

 意地悪く問い掛ける雪に、進は美里を気にしながらこそこそと言い返した。

 「ば、ばか…… そんなこと言えるわけないだろ?」

 焦る進の様子に、雪はまた笑いだした。
 進は美里にはめっぽう弱い。いない時には、参ったとか困ったとか言っておきながら、本人の前に出ると、まるで蛇ににらまれた蛙になってしまうらしい。
 もっとも、雪ですら太刀打ちできない美里なのだから、進が抵抗できるはずもないのだが。

 そうこうしていると、美里が愛を抱いて戻ってきた。ちょうど目をさましていたらしい。

 「愛ちゃん、ほおら見てご覧。あなたのお雛様ですよぉ」

 美里はうれしそうに愛を抱いたまま人形の前に立った。愛もきらびやかな色の人形がわかるのか、うれしそうに笑って人形の方に手を伸ばそうとしている。その姿に、雪も進も小さくため息をついて、顔を見合わせて微笑んだ。

 (こんなにかわいがってもらってるんだから、文句を言ったらバチが当たるな)

 (そうね、だから子供達もおばあちゃん大好きなんですもの)

 実際、美里は半分は子供達を育てているようなものなのだ。雪の仕事の都合で遅くなったり、出張したりする度に、美里が保育所への送り迎えをし、自宅に連れ帰って食事の世話をしたり、寝かしつけたりしている。
 その上、去年からは腕白盛りの二人の兄ちゃんに、さらに赤ちゃんが加わったのだ。ネをあげても仕方ないのだが、彼女はそれを嬉々としてやってくれている。
 雪も進も感謝こそすれ、文句などあるはずはなかった。

 「思い出すわねぇ、雪のお雛様を……」

 美里が、愛を抱きながら、うっとりと目を閉じた。

 「雪のお雛様? あったんですか? 雪のも」

 「ええ、でも地下都市に避難するときに無くしてしまったの。お人形だけの小さな三段飾りだったけどね」

 「覚えてるわ、私。毎年出して飾るのがとてもうれしかった……」

 「うふふ…… 雪は大好きだったわよね、お雛様。ひなまつりが過ぎたらすぐに片付けないとお嫁に行けなくなるからっていうのに、やだやだって駄々をこねてねぇ。あれは、まだ小学校に上がる前だったかしら?」

 美里の目じりが一層下がった。雪も恥ずかしそうに苦笑する。

 「あはっ、そうだったかしら…… でも、ちゃんとお嫁に行けたからよかったじゃない?」

 雪が嬉しそうに進の顔をチラッと見る。だが、美里にまたも痛いところを突かれてしまう。

 「あらぁ、相手が決まってるっていうのに、なかなか結婚しなかったのは、きっとそのせいよ! ねぇ、進さん!」

 「えっ!? いやぁ、あの…… すみません……」

 未だに、その話題に触れられると進は弱いのだ。婚約してから結婚式を挙げるまで4年近くかかったのだから、言い訳できるはずもない。さすがの雪も同情の目を夫に向けた。
 しかし、美里は全くそんなことは意に関してはいない。

 「だからね、このお人形は3月3日が過ぎたらすぐ片付けてね。愛がお嫁に行けなくなったら大変だもの!!」

 「愛が……? お母さん、愛はまだ赤ん坊ですよ、嫁に行く話なんか……」

 嫁に行くと言う言葉に進が慌てて文句を言ったが、美里は平気な顔でぴしゃりと言い放った。

 「何言ってるの、あっという間ですよ。子供が大きくなるのなんて! 覚悟しておきなさいな、進さん!!」

 ごくり……進の喉がなる音が聞こえる。思わず愛の顔をじっと見つめた。

 「…………」

 愛を見たまま黙ってしまった進に、雪が声をかける。

 「どうしたの? あなた?」

 「……別にせっかく飾った雛人形、慌てて片付けることなんか……ないよな、雪」

 真面目な、いや心配そうな顔をして愛を見ながら、進はぼそぼそと小さくつぶやいた。

 「いやだぁ、あなた、うふふふ…… もう、愛がお嫁に行くときのこと心配してるんじゃないでしょうねぇ」

 雪が大きな声で笑い出した。美里も一緒に笑う。愛も母や祖母につられて、うれしそうにはしゃいでいる。
 ひとり進だけが考え込むように、愛と雛人形を交互にじっと見つめていた。


 夕方、美里が帰って、腕白坊主たちが帰宅してきた。美しい雛人形に狂喜乱舞する守と航に、雪は「絶対に触るんじゃないわよ!」と厳命した。

 しかし、二人ともママが夕食の仕度を始めたのをいいことに、こっそり触ろうとして、パパから何度もタックルをくらったことを、ママは知らない。

−お し ま い−

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(背景・イラスト Queen's Free World)