お雛様に祈りを込めて……
「いよいよだな……」
夕食をとるために食堂へ向かう廊下を歩きながら、小さくひとりごとをつぶやいたのは、宇宙戦艦ヤマト艦長代理古代進だ。
彼は今、4日後に迫ったドメル艦隊との決戦に向けての準備に多忙な時を過ごしている。1分1秒たりとも無駄に過ごせない気持ちで一杯なのだ。
もちろん進の周りも誰もがぴりぴりとした空気に包まれている。それも当然で、どんな些細な準備ミスも許されない厳しい戦いになることは必至なのだから。
イスカンダルに行きコスモクリーナーを手にしたいヤマトと行かせたくないガミラス艦隊。この戦いは、その雌雄を決する戦いであり、ヤマトにとってはこの戦いに敗れることイコール地球の最期を意味している。つまり後がないのだ。
それほど大切な戦いの前に、艦長がいるとはいえ、代理を拝命し実質的な指揮者である古代進のプレッシャーは相当なものだった。
進が食堂の前までやってくると、いつものようにツイーンという音とともにドアが開いた。中に入ると、いつもならにぎやかな食堂の中もやけに静かだ。皆、あまり大声で話すこともせず、黙々と口を動かしている。
進も無言のまま、トレイをとり食事を乗せていった。食事を乗せ終わって、食堂の中を見渡すと、島が一人食事をしているのが見えた。
「ここいいか?」
「あ? ああ、古代か…… どうぞ」
そんな短い会話だけをすると、二人ともまた黙々と食べ始めた。
しばらくして、あまりにもの息苦しさに、緊張を解きほぐそうと、進も島も何か話をしようと試みた。
だが口を開いてみると、二人とも「第二艦橋からきた七色星団の分析データは見たか?」だの「第三砲塔から照準がずれるって報告来てたが、もう治ったのか?」だの、4日後の決戦の話題しか出てこない。
結局、二人の会話を耳にした周りのクルー達の緊張を、さらに増徴させることしか出来なかった。
「ふうっ……」
とうとう島のほうが音をあげて、大きくため息をついてしまった。それを見た進は、
「やっぱり緊張しすぎだよな…… こんなんじゃ、当日まで持たない奴が出てくるぞ」
「ああ…… 俺だってどうなっちまうか、わかんねーよ」
「おいおい、お前まで……よしてくれよ」
進が情けない声でそう訴えると、島に再び言い返される。
「お前は艦長代理なんだから、そのあたり少し鷹揚に構えたらどうなんだよ!」
「ばか言え! 俺だってどうしようもないくらいびびってんだから。なんてったって、ここで負けたりしたらもう後がないんだぜ」
思わず声を荒げてしまう進を、島が慌てて制止して、小声で文句を言った。
「お、おいっ! 大きな声で負けるなんていうな。周りがびくついてるぞ」
「あ、ああ……すまん」
結局は二人ともその雰囲気を和ませる名案も浮かばず、また黙ったまま味もほとんどわからないような食事を終え、食堂を後にすることになってしまった。
その後、夜勤で第二艦橋へ行くという島と別れた進は、艦内の見回りも兼ねて、居住区を一人でぶらりと歩いていた。
ちょうど皆の休憩室でもあるサロンの前を通りがかった時だった。部屋の中から、女性達の小さな歌声が聞こえてきた。
『あかりをつけましょ、ぼんぼりに〜 おはなをあげましょ、もものはな〜』
小さい頃に聞いた記憶のあるかわいらしくも懐かしい童謡に導かれるように、進はサロンに足を踏み入れた。
するとそこで、数人の生活班クルーが集まって何か手元を動かしているのが見えた。もちろんその中には、生活班長で進の想い人でもある森雪も含まれている。
「あらっ? 古代君!」
人の気配を感じて振り返った雪が、進の姿を認めて声をかけた。と同時に、他の女性クルー達も手と歌を止めて進を見た。
雪に見つめられ、さらに一斉に複数の女性から見つめられた進は、思わず焦ってしまう。
「あ……ああ、邪魔だった……かな?」
「え? うふふ……そんなことないわよ。ここはみんなの休憩室ですもの、どうぞ」
他の女性クルー達もくすくすと笑う。進はなんとなく居心地の悪さを感じながら周りを見たが、運悪く他には誰もいない。
古代進、18歳。まだまだ女性に囲まれることにはなれていない。緊張しまくることしきりだ。
ただし、さっきまでの殺気立った緊張とは一味も二味も違って、微妙に後で心地よい余韻が残る緊張ではあるのだが……
「と、ところで、何してるんだ? なんか歌ってたけど……」
「艦長代理はご存じないですか? あの歌?」
女性クルーの一人が意外そうに尋ねた。
「いや……聞いたことはあるんだけどなぁ。なんの歌だったっけ?」
その答えに、またまた女性達がくすくすと笑い出す。そんな中で雪が答えをくれた。
「もう古代君ったら! この歌も知らないの? 古代君は男兄弟しかいなかったから、あんまり縁がなかったのかしら? さっきの歌は、お雛祭りの歌でしょう? 今日は3月2日、明日がお雛祭りじゃない」
「あ、ああ……そうだ、そうだったなぁ! はは…… ちょっと度忘れしてただけだよ、ははは……」
慌てて思い出した振りをして頭をかく進だった。雪の言うとおり、男兄弟にはあまり縁のない行事の上、ヤマトに乗っていると季節感というのがまったくわからない。さらに、例の決戦のことで頭が一杯で、とても雛祭りなどというイベントなど思い浮かびはしなかったのだ。
「もうっ! あ、そうだわ、ちょうどよかった。それで今ね、不要になった紙を利用して、折り紙でお雛様を作ってたの」
「へぇ〜 どれどれ?」
進が覗き込むと、女性達が囲むテーブルの上には、小さな折り紙で折ったお内裏様とお雛様がいくつかおいてあった。なかなか上手に折ってある。折り紙の着物には模様もつけられ、顔や小道具もかわいらしく描き込んであった。
「かわいいな……」
進が笑顔でそうつぶやくと、皆が一斉に嬉しそうに笑った。
「ほんと!? よかった。ねえ、それで艦長代理にお願いなんですけど、後これに敷物と屏風も作ったの。明日のお雛祭りに合わせて、食堂とかここ(サロン)とか何箇所かに置きたいんだけどいいかしら?」
雪が代表になってお伺いを立てると、もちろん進はあっさりと許可をだした。
「ああ……いいよ。みんな喜ぶな」
「でも……こんな大事な時に、どうでもいいことしてるって思わない?」
「えっ?」
その時進は、雪たちに会ってから一瞬忘れていた4日後の決戦のことを思い出した。
「い、いや、そんなことないよ。決戦の前にはリラックスも大事だからな」
その答えに、女性クルー達が一斉に歓声を上げる。
「ありがとう!古代君。それじゃあさっそくみんなで手分けして飾り付けに行くわ! みんなお願いしていいかしら?」
雪がそう言うと、それぞれのクルー達が、それぞれに出来上がった雛人形を持って立ち上がった。
「それじゃあ、私は食堂に行きます」「私は医務室に……」「私は居住区のエントランスに……」
どんどんテーブルの上の雛人形が減っていき、最後の一人が出て行くと部屋は急に静かになった。
さっきまでいた仲間がいなくなって、急に進と二人きりになったことに、雪は少し心が浮き立ったが、進はまったくそのことに気づいていないように、のんびりとした顔で雪を褒めた。
「さすがだな、生活班長! 班員の行動が早いなぁ。日頃の教育がいいんだな」
ニコッと笑顔を見せる進に、雪も落ち着きを取り戻した。
「うふ……当然よっ!」
「おおっ、言ったな!」
「ふふふ……冗談よ、ありがとう」
そう答えてから、雪はふとテーブルにまだ紙が残っていることに気がついて、いいことを思いついた。
「あ、私、これでもう一組お雛様折ろうかな」
「ああ、じゃあ、コーヒーでもいれようか?」
「あら、お願いしてもいいの?」
古代君がいれてくれるコーヒーが飲めるなんて嬉しいわ、なんて思って答える雪に対して、進の答えはこうだった。
「ああ、島から、雪にはコーヒーをいれてやっても、絶対にいれてもらうなって言われてるからなっ」
「え?もうっ!! それ、どういう意味よぉ〜〜!」
「あっははは……島に聞いてくれ!」
サロンにひとしきり進の笑い声が広がった。
それから、進がコーヒーをいれている間に、雪はテーブルに戻った。そして、残った折紙に何か書き込むと、進が戻ってこないうちに大急ぎでそれを雛人形に折り進めていった。
しばらくして、カップを二つ持った進が雪のいるところに戻って来た時には、ほとんど一対の雛人形が作り終えられるところだった。
「はい、どうぞ。おっ、もう出来たのか? 手際いいじゃないか」
「うふふ……さっきから何回か折ってたから慣れたのよ」
そして雪は人形に顔を描きながら、うつむいたまま小さな声でつぶやいた。
「もうすぐ決戦ね……」
「ああ……」
その言葉に、進の声も低くなる。
「私達勝てるわよね?」
描き終えた雪が、今度は顔を上げて真剣なまなざしで進を見た。その視線に圧倒されるように、進は若干顔をのけぞらせたが、それでも視線はまっすぐに雪を見返していた。
一瞬の沈黙が過ぎて、その後に進はきっぱりと言った。
「ああ、もちろん勝つさ!」
すると、雪の表情が一気に明るくなった。
「そうね、そう信じないといけないのよね。そのために私達はここまで来たんですもの……」
「ああ……」
「私達生活班員は非戦闘員がほとんどでしょう。医務室の準備をするくらいで、後はほとんど何も出来なくて…… ただ心配ばかりしてたの」
「雪……」
「だからせめて、みんなに少し和んでもらいたくて…… ちょうど季節だからお雛様でも作ろうって、誰ともなく言い出したの。ほら、ヤマトの中だと季節感ないでしょう?」
「ああ、ありがとう。実はさっき島とも話してたんだ。みんな緊張しすぎてるってさ。食堂の雰囲気も重かったし、島も俺も……みんな。だから、さっき雛祭りの歌を聴いたときには、なぜだかほっとしたような気がしたよ」
「ほんとうに?」
「うん、きっとみんなあの雛人形を見て、ちょっと緊張をほぐせば、いい具合に固さが取れるんじゃないかな。本当にこういうことは、生活班がいてくれればこそだよな」
「……ありがとう。古代君にそんな風に行ってもらえると、とっても嬉しいわ、私」
ほんのり顔を紅潮させて見上げる雪の視線に、進は思わずどきりとしてしまう。もちろん、そんな風に見つめられるのは嬉しいのだが、どう反応していいかわからなくてドギマギしてしまうのだ。
そして、そういう時は逃げ出すに限る!?というのが、今のところの進の対処法だ。
「あ、ああ……それじゃあ、俺、見まわりがあるから行くよ」
「あっ、ちょっと待って……これ」
出て行こうとする進を呼び止めた雪は、さっき作ったばかりの一対の雛人形を手に乗せて、すっと進の前に差し出した。
「え?これって?」
「古代君に……あげる」
「けど……」
「もう予定の数は出来たの。余った紙だから…… 古代君の緊張が少しは解けますようにって……」
「あ、ありがとう……」
「うふ……じゃあ」
「ああ…… 必ず勝って……」
進はそこで言葉を止めると、雪はその先を問うように首をかしげた。
「イスカンダルに行こう…… 来年は地球で……春を感じられる雛祭りが出来るように……さ」
そう続けた進が微かに笑うと、雪も嬉しそうに笑みを浮かべて、大きく頷いた。
それから進は、一対のちっぽけな折り紙の雛人形をしっかりと手にして廊下を歩き出した。さっきまでの重苦しい緊張から、ちょっぴり解放されたような気分になるのが、とても不思議だった。
そして途中誰もいないところまで来た時、進は改めてその人形をまじまじと見た。
(雪、結構上手に作るもんだな。けどさぁ、このお内裏様ってなんか俺に似てるような気がすんだけどなぁ。それにお雛様は雪に似てるような…… だはは、それって俺の思い込み激しすぎなのかなぁ?)
なんて思ったりもして……
でも、実はその通りなんですけどねっ! ねぇ、雪ちゃん!
ええ、ふふふ…… 顔も似せて描いたんだけどね、お内裏様作る前に紙の内側にもそっと古代君の名前書いたの。もちろんお雛様の中には私の名前をね。
でも、古代君があの折ったお内裏様を広げない限りわからないし…… それに彼のことだから、そんなこと思い浮かぶはずないわよね!
と言ったとか言わないとか……
そして……
ヤマト艦内の各所に置かれた雛人形が、進や雪の願い通り、クルー達の緊張しきった心と体を程よく解きほぐすのに、大いに役に立ったことは言うまでもない。
そして雛祭りから3日後、多大な被害と犠牲をこうむりながらも、ヤマトは七色星団での決戦に勝利した。
イスカンダルはもう近い。
(背景:Holy ‐Another Orion‐)