こいのぼり



 「屋根よ〜り高〜い こいの〜ぼ〜り〜♪」

 5月始めのある日、楽しそうに歌いながら洗濯物を干す雪に進が声をかけた。

 「ずいぶん楽しそうだなぁ」

 「だって、もうすぐ子供の日でしょう? ほら、あっちこっちにこいのぼりが見えるわ」

 マンションのベランダから見ると、こいのぼりがあちこちで泳いでいるのが見える。雪は、目を細めてその光景をうらやましそうに見た。

 「こいのぼり、端午の節句か…… でもこれって男の節句だぞ」

 「そうなのよねぇ。『子供の日』って言うのに、どうして男の子だけのお祭りにしちゃうのかしら。不公平よ!」

 ちょっと怒ったような顔で進に抗議する雪。

 「そんなこと、俺に言われたって……困る……んだけど」

 ほんとに困った顔の進。確かにこれは進にはなんの責任もない。

 「ね、古代君の家にはこいのぼりはあったの?」

 「昔はね、一番大きいのが父さん、まんなかのは兄さん、一番小さいのが俺ってね…… 庭に立ててあったよ。一戸建てだったから」

 「あら?まんなかのはお母さんじゃないの?」

 「さあてね。だって母さんを入れたら俺のこいのぼりがなくなっちゃうじゃないか。それは駄目だった」

 「うふふ……勝手な言い分っ! でも、いいわねぇ。私、幼稚園の頃ね、こいのぼりが欲しくて欲しくてパパにおねだりしたのよ。けど、さすがに『女の子はおひなさまがあるだろう』って」

 「そりゃあそうだ、あははは……残念でしたっ!」

 進がからかい口調で雪に笑いかけると、雪はまたムッとして言い返した。

 「でもっ!!欲しかったのっ! もちろん、マンションだから大きなのは無理だってわかってたけど、ベランダに飾る小さなのでもよかったのよ!」

 「はいはい…… で、ママの前ででも駄々こねたのかい? 君は」

 「……えへっ、ばれた? 大きな声で泣きながら欲しい欲しいって大騒ぎしちゃった」

 雪がぺロッと舌を出して肩をすくめた。

 「はぁ〜 やっぱりかぁ。そんなことだろうと思ったよ」

 「でも駄目だったわ……」 

 雪が残念そうに微笑む。進は、ちょっと同情を込めた顔をした。

 「結局、それでも駄目で泣き寝入ってわけかい?」

 「それがね……ふふふ……あっ……」

 言おうとした雪が何かに気付いたように、はっとして話を止めた。

 「なんだよ、途中で止めたりして、それがどうしたんだい?」

 「あ、ああ、なんでもないの。ほんと、欲しかったのよねぇ。あ、そうそう洗濯干さなきゃぁっと」

 雪はとぼけて続きを言おうとしない。途中まで聞かされた進としては、やはり最後まで聞きたいのが心情。問いを重ねる。

 「ゆきっ! 話を途中で止めるなよ。言えよっ!」

 「聞きたいの?」 「聞きたい!」

 「怒らないでね」 「だからなんなんだよ」

 「あのね、大声で泣きわめいている時に、玄関のベルが鳴ったの。大きな声だから隣にまで筒抜けだったのね」

 「隣……? むむむ、嫌な予感がする……」

 進が隣と聞いて眉をひそめる。雪は苦笑しながら、進の顔色をうかがう。案の定、ちょっぴり不機嫌そうな顔になっている。

 「ああ、ほらぁ……やっぱり言うのやめたっ」

 「こらっ、いいから言えよぉ!」

 進は気色ばんで、逃げ出そうとする雪をはがいじめにして離さない。

 「きゃっ、わかったわ。言うから…… でね、ドアの外に立ってたのが、隣のお兄ちゃんで……」

 「はんっ、やっぱりあいつか?」 不機嫌そうな声の進。

 「隣のお兄ちゃんよ!」 笑いながら答える雪。

 「手には、こいのぼりが握られてたわ。お兄ちゃんがベランダに飾っていたのだった。それを私に持ってきてくれたの。『僕は大きくなったから、もういらないよ。雪ちゃんにあげようと思って持ってきたんだ』って。小さいけれどちゃんとしたものだったのよ。後で知ったんだけど、お母さんが、お兄ちゃんのために買ってくれた大事な物だったって……」

 「ふ〜〜んっ!」

 「でも、嬉しかったわぁ。それがお兄ちゃんにとってどんなに大事なものだかなんてその頃の私にはわからなかったし…… 大喜びでそれをもらったってわけよ。でもね、その年の節句が終わって私が忘れた頃にママがお兄ちゃんに返したらしいけど」

 「ああ、そうですかぁ。それはそれは、よかったですねっ、やさしい『お兄ちゃん』がいてくれて! 俺、ちょっと出かけてくる」

 つまらなそうな顔で進は雪にくるっと背を向けると、ベランダから出て行った。

 「あっ、古代君っ!」

 パタンと音がした。家から出て行ったらしい。

 「もうっ…… だから、言いたくないって言ったのに。諒ちゃん※の話をすると、すぐすねるんだからぁ」

 ため息の雪ちゃん。でも、またくすっと笑う。

 「ヤキモチを妬く古代君も、ちょっと可愛いのよね。帰ってきたら、チュッってしてあげよっ」 

 雪は進の不機嫌の外出を全く心配していない。公園でも一回りしたら帰ってくるに決まってるわ、とのんきなものだ。

 「さぁて、邪魔者がいないうちに、掃除機でもかけましょっ」
※諒ちゃんとは上条諒のこと……雪の幼なじみ。雪が生まれた時にマンションの隣の部屋に住んでいた。現在、地球防衛軍放射能研究所副所長。真田に次ぐ科学者として防衛軍内の信任は厚い。あるプロジェクトで進と雪と一緒に仕事をすることになり、雪と再会する。昔の思いも手伝って雪を本気で愛するようになり、進を大いに悩ませる。が、二人の愛の絆を知り潔く諦める。(『絆−君の瞳に映る人は−』参照)

 さて、家を出た進の方は、特にあてもなく歩きだした。

 「子供の頃の話にいちいちヤキモチなんか妬いてないぞ! ただちょっと面白くないだけだ」
 
 などと自分一人でぶつぶつ言っている。どうしたって、悔しい気分がするんだから仕方がない。

 「ちぇっ、やっぱり聞かなきゃよかったな。昔の思い出なんだから、気にすることもないんだけど、どうもなぁ。アイツのことになると…… あーあ、まだまだいろいろあるんだろうなぁ。気にする方が悪いんだけど……うーん」

 進としては、ちょっぴり気分を害しての外出だったが、外に出て見ると、晴天だった。気持ちのよい春の空の下、爽風が頬に当たって気持ちいい。そんな爽やかな天気につられて、だんだんと機嫌がよくなってきた。

 「何も気にすることじゃないよなぁ。ちょっと大人気なかったな。雪、心配してるかなぁ?」

 全然してません!……といっても、そんなことを注進する人がいるわけでなし……
 このまま家に帰るのも少し都合が悪い進は、しばらく気を紛らして帰るか、と街をぶらつき始めた。
 休日のショッピングモールは、春のセールを行っていた。恋人同志、親子連れなどの人々が行き交っている。

 「手ぶらじゃバツが悪いし、雪におみやげでも買って帰るかなあ」 

 そんなことをつぶやきながら、進はウインドウショッピングして歩いた。
 そこでふと目についたのが、『柏餅を10個以上お買い上げのお客様にミニこいのぼり進呈』の張り紙。

 「こいのぼり……か。よしっ!」

 雪へのタイミングのいいおみやげをみつけた思いで、さっそく柏餅を10個購入する。

 「ありがとうございました。これをどうぞ。お子様のお土産に」

 店員が愛想よく手渡してくれたオマケのこいのぼりは、長さ30センチくらいの細い棒に、紙製の黒、赤、青の3色のこいのぼりがついていた。

 進は、お子様にって言われても……俺にはまだいないぞ。まだ若いんだからなあ! などとどうでもいいことを考えながらも、嬉しそうに受け取った。

 「よーしと、これで雪にみやげができたな」

 どうして家を出てきたのかもすっかり忘れて、進は上機嫌で帰途についた。

 「ただいま……」

 雪がリビングのソファで雑誌を読んでいると、進の声がした。

 「あら? 古代君、機嫌のいい声してるわ。よかった」

 やっぱり思ったとおりだわと、ほっとして迎えに出る。

 「おかえりなさい、古代君…… あら?それ……こいのぼり?」

 進が片手になにやら紙の包みと、もう片方の手には、こいのぼりを持って振っている。その顔はまるで子供のようにはしゃいでいた。

 「うん、柏餅のおまけ…… はい、雪におみやげ」

 柏餅とこいのぼりを雪の両手に乗せて進はニッコリと笑った。

 「もう……古代君ったら…… ありがとう」

 何をしに出て行ったのかと思ったら、こいのぼりを探しにいってたのかしら? また、諒ちゃんの向こうを張ってるのかしらね? 相手が小学生の時だっていうのに……
 それでもおみやげのこいのぼりに、なんとなくウキウキする。お礼に雪は進の頬にチュッとキスをした。進は嬉しそうに笑って、キスを返す。今度は雪のくちびるに……

 「むんんっ…… だめよ、もうっ! ほら、上がって。今、お茶入れるわ。柏餅食べましょう」

 そう言いながら、紙包みを解いて雪は目を見張る。

 「え……古代君、これ二人で食べるの? 多くなぁい?」

 「だって、10個以上買わなかったら、貰えなかったんだ。こいのぼり……」

 「………… ふうっ、お昼ご飯は柏餅ねっ」

 あきれる雪の姿を尻目に、なんとなく気分がすっきりした進はリビングのソファにどっかりと座った。

 「ゆきぃ、早くお茶入れて食べよ」

 「はぁ〜い」

 こいのぼりは、リビングの状差しにさし込まれた。外からの風に3尾のこいのぼりがゆらゆら揺れている。休日のお昼の、幸せな恋人たちのちょっぴりへんてこなランチタイム。

そして、年月が過ぎ……

 「ねえ、パパ、ママ! どうして女の子にはこいのぼりがないの?」

 べそをかくのは、古代家の末っ子娘、愛だ。庭に立てられた大きな外用のこいのぼりの他に、守と航は、それぞれ自分用のこいのぼりというのを、おばあちゃんから買ってもらって持っている。愛がおねだりしたら、『これは男の子だけよ』とやんわり断わられたらしい。

 進と雪は顔を見合わせた。『どっかの誰かさんにそっくりだな』進の目がそう言って笑う。雪はその意味をくみとって肩をすくめた。
 確かにそっくり……と、雪はふっと一息ついて愛に尋ねた。

 「愛は、こいのぼりが欲しいの?」

 「うん…… お兄ちゃんたちみたいな大きいのでなくていいから、愛だけのこいのぼりが欲しい」

 「お外のこいのぼりが愛のだと思えばいいじゃないの?」

 「いやぁだぁ! あれは男だけのものだって、お兄ちゃんたちが言うんだもん」

 あのこいのぼりは、一番大きいのがパパで、2番目が守で、3番目が航らしい。昔聞いたどこかの家と同じだ。女性の出る幕がないらしい。

 「けどさ、愛には立派なおひなさまがあるだろう?」

 進が困ったように小さな娘を慰める。

 「でもでも…… こいのぼりも欲しいぃ!」

 半泣きで訴える小さな娘にどんな理屈も通りそうもなかった。

 「しょうがないわね。ちょっと待って……」

 そう言って、雪が奥の部屋から探して持ってきたのは、30センチくらいの細い棒についた紙製のこいのぼりだった。

 「ほら、これを愛にあげるわ」

 「わーい!! こいのぼりだぁ!! ありがとう、ママ!」

 愛はさっそくそのこいのぼりを持って兄たちに見せに走って行った。

 「雪? あれって……?」

 「ええ、いつだったか、あなたが貰ってきてくれたオマケよ」

 「やっぱりあれなのかぁ。しかし、よく取ってあったなぁ」

 雪の物もちのよさに感心する進に、雪はすましてこう言った。

 「だって、あなたからのプレゼントはぜ〜んぶ私の宝物ですもの。数えるほどしかないけれど…… ねぇ、あなたっ」

 雪がチラリと横にいる夫に流し目を送る。口元が笑っている。

 「さ、さぁてと……みんなのこいのぼりでも見てくるかなぁ」

 これはやぶへびとばかり、進はすたこらさっさと子供たちの方へ逃げて行ってしまった。

 「んっ!もうっ……」

 ドアの向こうで子供たちとパパの笑い声が聞こえてくる。休日の昼下がり…… 幸せな家庭のある日の光景。

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