ちょっぴりビターなバレンタインデー
 
 
 別れ別れに戦った二人は再会した。そして二人は一緒に暮らし始めた……


 雪と暮らし始めてから、進はずっと地上勤務を続けていた。いろいろあった。自分のことも……そして、何よりも雪のことが心配だったから。雪の辛い体験は全て自分の責任だと思った。だから……ずっとそばにいたかった。

 長官に、しばらく地球で仕事をしたいと願い出た。戦いの報告書の作成や残務処理もあったし、真田に協力して新しい艦の設計のアドバイスもした。

 進は雪と朝も晩も一緒に通勤した。雪の降りる階までエレベータで送っても行った。(雪は迷惑そうだったが……)

 その甲斐あってか、雪を巡る敵将とのラブフェアーもどきの噂話も、最近は沈静化している。

 いつでも宇宙勤務に戻ってもよいと司令部からは打診されている。しかし進は悩んでいた。雪にもずっと言われていた―私のことは心配いらないから、早く自分の仕事に戻りなさい。
 けれど、進はまだ自分を許しきれないでいた。自分だけ宇宙に逃げるようで……許せなかった。
 雪のことでも……サーシャのことでも……

 そして二人暮しを始めて1ヶ月あまり、今日は2月13日、バレンタインの前の日である。バレンタインにもイブがあるなら、さしずめバレンタインイブ……か?

 二人はいつものように夕食を追えて、リビングでくつろいでいた。肩を並べてよりそって…… なんとなく映っていたテレビの映像を見るともなしに見ながら。

 進は、あの時雪の手を離してしまった瞬間から、もうこんな日は来ないのではないかと思っていた。再会を信じながら、一方で不安に慄いていたあの日々。
 それだけに、何気ないこのひと時が、何よりも本当に何よりも嬉しかった。

 そんな思いで進は雪を眺めた。彼女の唇にキスをして、そして抱きしめたい……そう思った時、雪が体を起こして、進の顔を見あげた。

 「ねぇ、古代君。明日の夜、真田さんを呼んでお食事したいんだけど……」

 「えっ? 明日……? けど、明日って、バレンタインデーだろう? どうしてそんな日にわざわざ……」

 進は驚いて聞き返す。二人の幸せを噛締めていた時だったから、少しばかり意外だった。

 「どうしても…… だめ?」

 すがる目でお願いのポーズをする雪には、進はめっぽう弱い。それに、雪が真田を気遣う気持ちもよくわかっていた。

 「いや、だめじゃないけど…… そうだな、真田さんもひとり寂しく落ち込んでるかもしれないしなぁ。たまには、誰かと食事するのもいいかもなぁ」

 「ええ、じゃあ、いいわね? 実は、真田さんにはもう声をかけてあるの」

 にこりとする雪。進のOKは見越していたらしい。どちらにしても、バレンタインデーなどというのは女の行事である。雪がいいのなら、彼に文句があるはずなかった。

 「あははは…… わかったよ。明日は、定時に終わるようにするから。その代わり!!美味いチョコと料理を作ってくれよ」

 「OK! 私真田さんを誘うから、科学局の方に車を回しておいてね!」

 「了解!」

 嬉しそうに抱きついてくる雪を、進は強く抱きしめた。

 2月14日午後5時過ぎ。科学局局長室。イカルスに行く前の旧職に復帰した真田が仕事を終えようとしていた時、雪が飛び込んできた。まだ5時を少し過ぎたばかり。逆算すると、5時前に部屋を出たんじゃないかと疑わしい早さだ。

 雪からは数日前から、バレンタインの夜はうちで一緒にご飯食べましょう、と誘われていた。真田の方に断る理由もないから、曖昧に答えていたが、やはり当日になると、恋人達の邪魔者になるのは嫌だと思い始めた。

 「しかしなぁ、いくら古代もいいって言ったってもなぁ。今日はバレンタインデーだぞ。二人でゆっくりしないのか? 同棲し始めたばかりで、楽しいだろうに……」

 真田は別に変な想像をしたわけではないのだが、「同棲」の言葉に雪は頬を染めながら、真田の背中をバンバン叩いた。

 「やあねっ、真田さんってば……もうっ! そんなこと気にしないでください! ほらもう5時を10分も過ぎたわ。古代君、きっともう来てるわ! 早くっ!」

 「あ、ああ……」

 真田の腕をむんずと掴んで歩き始める雪に、もう抵抗するすべはなかった。

 エントランスに降りると、既に進はスタンバイしていた。雪は真田の腕をつかんだまま、進に手を振る。二人とも嬉しそうな顔してるな、と真田は微笑んだ。

 「やあ、真田さん! 雪、お疲れ!」

 笑顔の進に、真田は念の為再度確認。

 「古代、ほんとに邪魔していいのか? 雪がぜひって言うからついてきたが、もしかしたらお前ら喧嘩でもしてるのか? そんなのに巻き込まれるのは嫌だぞ!」

 もしやと思って尋ねたが、二人は同時に否定した。

 「してません!」 「してませんってばぁ!」

 「そうかぁ……」

 「さあ、とにかく車に乗って…… 行きますよ!」

 真田は、二人に拉致されるように挟まれて地下駐車場へ向った。

 二人の部屋に着くと、雪はさっそくディナーの用意。下ごしらえは朝早く起きてしておいたから、ほんの1時間で豪華料理は完成した。
 そして、三人は取り留めのない話で和みながら食事を終えた。真田も笑顔を浮かべ、楽しいひと時を過ごした。

 「ああ、美味かった…… 雪、料理の腕上げたな」

 真田が満足そうに笑った。

 「うふっ、ありがとうございます。やっと、最近自分でも満足できる料理を作れるようになったんですよ」

 「うん! 大丈夫だ。最初の頃の話を聞いてるときは、どうなることかと思ったがな」

 真田が進の顔をチラッと見て、にやりとした。とたんに雪は赤面して真田に詰め寄った。

 「えっ? 古代君、何か言ってたんですか!?」

 「あ、いや……そのなぁ……」

 苦笑しながら、自分に振ってくる真田の視線を受けて、進は必死になって話題を変えた。

 「あはは…… さ、さあて、今日のメインのチョコはどうしたんだい?」

 「んっもうっ! 古代君ったら…… ごまかすんだから! でもいいわ。ちょっと待ってて」

 雪は、そう言うと席を立って奥の部屋に入っていった。

 矛先が変わって、ほっとしながら進は、こっそりと真田に「余計なこと言っちゃだめでしょう!」と耳打ちする。
 真田はまた笑う。心の中で、二人がいつもの二人になっていて幸せそうなことに喜びを感じる。
 こいつらは、もう大丈夫だ……真田はそう思った。

 雪がかわいいリボンの付いた小さな箱を二つ持って戻ってきた。さっそく、二人に手渡す。

 「はいっ。これ、こっちが真田さん、それからこっちが古代君ね」

 「ありがとう……」 「さんきゅっ」

 二人はそれぞれに受け取って、さっそく中を開けてみる。それを見る雪の顔には笑顔……があるかと思いきや、なぜか真面目な顔に変わった。それはなぜかというと……

 「えっ!? これは……!?」

 「これ……」

 進と真田の驚いた顔。それ以上言葉が出ない。貰ったチョコを持つ手が震えていた。
 二人が貰ったチョコレートは、手のひらに載るくらいの大きさのハート型。少し形がいびつにまがっている。まるで雪が進のために初めて作ったあのチョコレートのように……
 そして、その上にはアイシングで文字が書かれていた。慣れてないせいか、とてもへたくそな文字で……

 真田のチョコには、『だいすきなおとうさまへ』そして、進のチョコには『すてきなおじさまへ』

 進と真田の視線が、チョコから離れて今度は雪の方へ向いた。それを合図に、雪はこくりと頷いて、こう言った。

 「ええ、そう。これは真田澪さん、サーシャさんが作ったチョコレートなのよ」

 やっぱりと言う顔で再びチョコを見、そして進がもう一度雪に向った。

 「雪! どうしてこれを……!?」

 「実はね、3日ほど前、総務の山崎主任が私のところを訪ねて来られて……」

 雪は静かに話し始めた。

 その日、雪は総務部で働く山崎の妻静江からの電話を受け、昼休みに外の喫茶店で待ち合わせた。

 「森さん、お忙しいところすみません」

 雪が静江の姿を見つけて、席に着くと同時に、彼女はそう言った。彼女は雪の母より少し若いが、ちょうど似た雰囲気のある、上品で笑顔の美しい女性だった。

 「いいえ、大丈夫ですわ。お昼を少し長めに取らせてもらえるようにしてきましたから。それより、山崎さんの方ももう落ち着かれました?」

 彼女がイカルスで真田のサーシャ養育を助けたことは、雪も帰ってきた進から聞いて知っていた。随分可愛がっていたとも聞いている。
 彼女達ヤマトに乗らなかったイカルスの居残り組は、ヤマト発進後、地球に帰還し、ヤマトの帰りを待った。
 彼女も、サーシャの死に相当動揺したことは想像に難くなかった。

 「はい、ありがとうございます。私はなんとか…… 森さんこそ、大変な目にあわれたそうですね。あの……山崎から色々聞きました。だから、私もあのいい加減な噂には本当に腹が立ちましたわ。でも、仲のよいお二人を見ていれば、そんな噂もあっという間に消えてしまうって……」

 「ええ…… 私は全然気にしてません。古代君はちゃんと本当のことをわかってくれていますもの。それより……彼の方が心配なくらいです。私のことを気遣って何も言わないんですけど……きっと彼女のことを……」

 ある意味進と同じ思いを持つ静江なら、彼の思いもわかるだろうと、雪は相手を見つめた。静江はそれに悲しげな視線を返した。

 「そう、ですか……」

 「山崎さんだって、お辛いでしょう? 1年間、ずっと一緒に過ごしてきたあんなに可愛い子を……」

 静江の悲しげな顔がさらに影を濃くし、瞳がかすかに揺れた。

 「ええ、話を聞いたときには、何と言っていいか……呆然としました。でも、澪ちゃん、もしかしたらイカルスを出るときから自分の運命を感じてたのかもしれないって思えてきて……」

 「……そんな悲しい……」

 「でも、澪ちゃんは私にとても楽しい思い出をくれましたわ。そして彼女も精一杯生きてくれたって…… だってそう思わないと……」

 とうとう静江は両手で自分の顔を抑えてしまった。涙がこぼれてきたのだろう。

 「山崎さん……」

 雪が気遣わしげに声をかけると、静江はすぐに顔を上げた。

 「あ……ごめんなさい。こんなことを言う為にお呼び出ししたんじゃないんですよ。実は……これなんですが」

 静江は、ここでやっと雪を呼び出した主旨を話し始めた。静江は自分の隣りに置いてあった冷凍ボックスをテーブルの上に置くと、ふたを開けた。
 雪が中を覗き込むと……

 「チョコレート……?」

 「ええ、澪ちゃんが去年のうちに作って冷凍してあった物なんです。あれは……11月の末だったかしら」

 「ねぇ、ねぇ、静江おばさまぁ!!」

 部屋で仕事をしている静江の部屋に、真田澪が駆け込んできた。手には地球で人気の女性雑誌を持っている。それは、澪の一般常識の習得のために、一年分を地球の守から送ってきた物だった。
 澪は、ここ数日暇があればこの雑誌を見ていた。きらびやかな女性達のファッションやタウン情報などのページを楽しそうにめくっている姿を、静江も目にしていた。

 「どうしたの?澪ちゃん。女の子がそんな大きな声で……」

 静江の非難気味な声も耳に入らないほど興奮した様子で、澪は記事を示した。

 「このバレンタインデーってどんな日なの?」

 澪が示した記事は、バレンタインデーに彼に送る手作りチョコレートの作り方を示した料理のページだった。
 静江は、それを見ると、澪を前の椅子に座らせて、ゆっくりと説明を始めた。

 「これはね…… 昔バレンタインって言うキリスト教という宗教の司祭がいらしてね。その頃、戦争のために大勢の兵士が必要でね。妻や子を思う男の人たちは兵士の召集を渋ったの。それで時の支配者が結婚を禁じてしまったの。
 でも、それを望む恋人達たちが大勢いて、バレンタイン司祭は、そんな二人のために密かに結婚をさせてあげていたの。
 ところが、それがばれて彼は捕らえられ投獄されて……そして2月14日に処刑されてしまったの。だから、最初はその司祭の方を偲ぶ日だったのよ。
 でも、それがだんだん姿を変えて、恋人達が贈り物やカードを交換するイベントになったの。
 澪ちゃんのお父様の生まれた日本地区では、またそれが少し違った形になって…… 女の子が好きな男の子に愛を告白する為にチョコレートを渡す、っていう日になったのよ」

 「ふう〜ん」

 澪は目をキラキラさせて、静江の話に聞き入っている。静江は話を続けた。

 「今じゃあ、女の子が親しい男性にいろんな意味でお礼の気持ちを込めてあげることも多いのよ。あと、お付き合いであげたりする義理チョコなんていうのもあるの。ふふふ……」

 「へぇぇ、面白そう!!」

 すっかりバレンタインデーに興味津々の澪に、静江は尋ねてみた。

 「澪ちゃんはチョコを渡したいような好きな人はいるの?」

 「えっ!? いないわっ…… でも……」

 好きな人と言われてポッと頬を赤らめるあたり、とても初々しい。サーシャは既に地球人で言えば17歳程度まで成長していた。ちょうど思春期の真っ只中なのだと、静江は思った。

 「でも?」

 「お父様お二人に…… それから、まだお会いしたことはないけれど、叔父様にもあげたいなぁ。それに、義理チョコなら加藤君達にもあげてもいいわっ!」

 ワクワクする心を抑えられないように、澪は答える。

 来年になれば、澪も地球に戻ることになっていた。今は、イカルスの宇宙戦士訓練学校の生徒達と一緒に、宇宙戦士の訓練の最終段階に入っている。

 「そう、それは楽しみね。2月14日だからまだ随分日もあるし、手作りのチョコレートを作って差し上げたら喜ばれるかもね。特に地球のお父様なんて、泣いて喜ばれるわよっ」

 「うっふっふ……そうかなぁ…… でも、私、お料理は苦手だし、手作りのチョコなんて作ったことないわ」

 「大丈夫、教えてあげますよ」

 「ほんとぉ!! うれしいっ!! じゃあ、今から作ってみたいわ。材料はイカルスにないのかしら?」

 「今からって、まぁまぁ随分急な話ね」

 「ええ、でも今すぐ作ってみたい気分なの。ねえ、お願い!おばさまぁ!」

 すっかりやる気になってせがむ澪に、静江も少しこの娘に付き合ってあげる気になった。

 「そうねぇ、手作りって言っても、チョコレートから作るわけじゃないし、板チョコならストックがあったはずね。いいわ、試しに作ってみましょうか?」

 「うわっ! やった!! じゃあ、早速作りましょうよ!」

 大はしゃぎの澪の初のチョコレート作りが始まった。

 「それはそれはもう、楽しいひと時でした。澪ちゃんは、手も顔もベタベタになりながら大喜びで、チョコを型に流して、文字を書いて……」

 静江はその時を思い出すように、目を閉じた。口元には笑みがこぼれる。雪は、そんな様子を想像しながら、目線を再びそのチョコレートに戻した。

 「それがこれなんですね」

 「ええ…… 不恰好ながらもそれなりの形になったので、バレンタインには早いけれど、今度お父様が来られたら渡そうっていうことになって、冷凍しておいた物なんです。それが、あんなことになって……」

 さっきまで笑顔の出ていた静江の顔が、再び曇った。

 「澪ちゃん、あの時からもうバレンタインには自分がいないことをなんとなく予感していたのかもしれませんね。だから、すぐにチョコ作りをしたがったのかも……
 あの子はいつもぼんやりと未来が見えることがあったから……」

 「…………」

 「この間、イカルスに立ち寄ったパトロール艇が持って帰ってきたんです。天文台の方は、ヤマトのカモフラージュ用でしたから、イカルス自体はもう形は残っていないんですが、施設はいくらか残っていて……そこで見つけてきたらしくて」

 静江が大切そうにその箱をなぞりながら話した。その気持ちが雪にも伝わってくる。

 「そうだったんですか……」

 「澪ちゃん、お父様のこともですけど、叔父様の進さんのこともすごく会いたがってたんですよ。
 あれは……いつだったか、まだ小さい時でしたけれど、真田さんに「お前のおじさんだよ」って進さんの絵を描いて貰って……
 澪ちゃん、一目で進さんのことを気に入ったらしくて、血縁のことなんかまだよくわからない頃でしたから、「澪は大きくなったら進叔父様のお嫁さんになるの」ってね…… お父様から、叔父さんとは結婚できないんだよって言ってもきかなくてね……
 あ、ごめんなさい。フィアンセの森さんにこんな話……」

 一気に話してしまってから、静江ははっとした。澪と進のヤマトでのことも、彼女は夫から聞き知っていた。
 だが進は、心にわだかまるあの澪の自分への思慕の思いを、地球で傷ついて苦しんだ雪には、話せないでいた。

 「いいえ、そんなこと……気にしませんわ。だって澪ちゃんの可愛い気持ちなんですもの」

 雪の返事にほっとしたように、静江は話を続けた。

 「本当は持って来るかどうしようかとても迷ったんです。皆さん、いろんなことで辛い思いをされているでしょうに、また悲しみを思い起こさせるだけかもしれないって思ったんですけれど…… でも、澪ちゃんのあの時の嬉しそうな姿とお父様や叔父様への気持ちを思うと……やっぱり渡してあげたくて……
 でも、直接渡すのは、やっぱり辛くて……森さんにご相談しようと…… ごめんなさい、却ってご迷惑になりましたよね?」

 「いいえ、いいえ…… それ私に預からせていただけませんか? 必ずバレンタインの日に二人に渡しますから。そして、守さんにも……」

 雪の言葉に、静江は黙ってそのボックスをすっと前に押しだした。雪はそれをしっかりと抱きしめた。
 静江はその姿を心から嬉しそうな眼差しで見つめていた。

 「……ありがとうございます。どうかよろしく……お願いします」

 雪が山崎の妻との話をし終えると、それまで黙って聞いていた真田がそのチョコレートの入った箱をぐっと強く掴んで、絞り出すような声で言った。

 「そうだったのか……知らなかった。澪っ!」


(by かずみさん)

 そしてそのまま、声を出さずに泣いた。進もまた同じだった。言葉は一言も発さなかったが、澪への思いが彼の心を大きく揺さぶっていることは、雪が見ても明らかだった。

 大の男二人が、小さなチョコレートを握り締めて震えながら涙を堪える姿は、雪の心にも強い衝撃を与えた。そして、とうとう堪えきれなくなったのだろう。テーブルにはポトリポトリと数滴の水滴が落ちた。

 「私……やっぱり余計なことをしてしまったのかしら…… 二人の心を……」

 あまりにも切なくて雪は小さな声で呟いた。その声は静かな部屋では、当然のごとく真田と進の耳にも入ってくる。二人は揃って雪を見た。

 「そんなことは……ない。ありがとう」

 「そうだよ、雪。君にも山崎さんにも本当に感謝する。澪の笑顔が目に浮かぶようだよ」

 顔を上げた二人は、涙をぐいっとぬぐうと、雪に笑顔を向けた。もらい泣きの雪も、人差し指で一緒に涙をぬぐい、無理やり笑顔を作った。

 「大好きなお父様と憧れの叔父様にチョコが届いて、サーシャさんも今頃きっと喜んでるわね。よかったのよね! さっ、二人とも一口……食べてみて、ねっ!」

 雪に促されて、二人はチョコの端を少し折り取って口に入れた。流れる涙と一緒に、チョコレートの甘さが口の中に広がる。

 「うまい……よ」

 真田が噛締めるように呟く。

 「うん、すごく美味しい……けど、なんだ……しょっぱくて、苦い……よ」

 顔をくしゃくしゃにしながら、泣き笑いしながら、進はそう呟いた。

 「古代君……」

 「ほら、雪も少し食べてみろよ」

 進がひと片、雪にも手渡し、雪もそれを口にそっと入れた。甘い甘い若い娘が好みそうな甘いスイートなミルクチョコレートの味が口一杯に広がる。
 けれど心に感じる味は、本当にとても……甘くて切なくて苦かった。

 「……ほんと。ビターチョコ……ね」

 雪も鼻をぐすっとすすると、微笑んだ。

 「明日、兄さんにも届けに行こう。それから、サーシャにもお礼を言わなきゃな」

 「俺も行こう。話したいことがたくさんあるんだ」

 進と真田が頷きあった。彼らの顔に残っているのは、もう涙のあとと微笑み、その二つだけだった。
 二人はサーシャが幸せだった時代を少しだけ思い出していた。

 「ええ、二人で行ってらっしゃいな。でも、今頃守さんはきっと、奥様とお嬢様から直接貰って今頃喜んでいると思うわ」

 「そうだな。兄さんは両手に花で……一番いい思いしてるかもなっ!」


 サーシャの作ったチョコレートが、山崎夫人と雪の手を通して、二人のところに届いたのは、彼女の愛する人々への思いとやさしい心遣いが神に伝わったからなのかもしれない。

 お義父さま、叔父さま……そして優しいおばさま…… サーシャはとても幸せだったのよ。こんなに幸せな時が過ごせたことを忘れないで……
 そして……もう、サーシャのことでご自分を責めるのはやめてくださいね。

 サーシャの優しい声が聞こえてくるようだった。

 その夜真田を送り出した後、二人はまた昨日と同じようにリビングで座っていた。二人で並んで、ただ静かにじっと体を寄せ合って。

 「雪…… 今夜はありがとう」

 まず口を開いたのは進だった。雪の髪をなでながら、微笑を浮かべている。

 「ううん、でも本当によかったのかしら。真田さんもあなたも、もしかしたら落ち着き始めてた気持ちを……また……」

 雪が体を摺り寄せる。不安な気持ちを落ち着かせたくて。

 「いや、そんなことはないよ。サーシャの心に触れた気がして……嬉しかった。きっと、真田さんも同じ気持ちだと思う」

 進はそっと雪の唇にキスをした。感謝を込めて…… その気持ちが雪に伝わる。だから、今夜は雪は進を少し責めた。

 「私ね、このひと月の間思っていたの。あなたはサーシャさんのこと、ほとんど何も言ってくれない。でも、私、あなたが時々夜中にうなされてるのを知ってるわ。
 真田さんも同じだったかもしれない。なのに、自分たちの心の中にその思いを閉じ込めてしまって……
 悲しい気持ちは私だって同じよ。私もあの赤ちゃんのサーシャちゃんを抱きしめた時の温かい感触、今でも忘れていない。私だって、サーシャさんの思い出をもっと聞いてみたかった…… だから……」

 雪の目が潤んでいる。泣きたいわけではないのだけれど、気持ちが高ぶって自然に瞳に涙がわいてきた。進はじっとそれを聞いていた。

 「だから…… ひとりで苦しまないで…… 私にも話して。私はもう大丈夫だから。私はあなたにこんなに愛されて守られて、もう十分よ。ね、古代君。私のことに責任を感じるのは……もうやめて!
 今度は、あなたの苦しみを私が和らげてあげたい」

 雪の必死の訴えを、進は黙って聞いた。そして、黙って抱きしめた。抱きしめて自分の胸に彼女の体全体をぎゅっと押しつけて…… そして小さな声で囁いた。

 「雪…… そうだな、今度……雪に聞いてもらおうかな。彼女の思い出話を……」

 「古代君……」

 進はそっと雪の唇に自分の唇を寄せていった。バレンタインの夜の恋人同士の甘いくちづけ。チョコレートよりも……もっと甘い。

 二人の唇が離れると、今度は進がおどけたふうに言った。

 「そう言えば……雪からのチョコは?」

 そんな彼の態度に、雪はくすりと笑った。

 「……今年はなしよ。だって、あんな素敵なチョコレートにかなうもの作れそうもなかったし…… それに……」

 それに、もっと大切なものあげたかったから……それは私の思い、あなたへの思い……あなたをもう宇宙(そら)へ帰してあげる。

 「そうか、わかったよ、雪。サーシャと君のバレンタインのプレゼントは……しっかり受け取った。俺はまた宇宙へ行くよ」

 進の言葉に、雪は心の底からニッコリと笑った。
 彼が雪のプレゼントをわかってくれたから。雪への責任の呪縛を少し解いたことがわかったから。サーシャへの思いも少しほどけてきたから……

 彼が宇宙に戻るのはちょっぴり寂しいけれど、それが彼にとって一番自然なことだから、そんな彼を……雪は……

 「いいわよ。だって、私はそんなあなたが、宇宙で一番……好きなんだものっ!」

 恋人達の影が一つに重なった。二人のバレンタインデーは、今から始まる。

Fin

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(背景・挿絵:Play Moon)