あの娘(こ)のチョコは誰のもの? PART2



〜2226年 2月13日〜


 夕方の古代家の台所では、母と娘が二人してコンロに向かっていた。なにやら甘い香りをさせているところを見ると、お菓子作りでもしているのだろうか?

 「ねぇ、ママ! ミルク温まったわ! 次はどうするの?」

 「そこに刻んだチョコを入れるのよ。熱いからミルクがはねないようにそっとよ」

 「は〜い!」

 「ふふふ…… 張り切ってるわね、愛」

 「だって、彼に初めて自分で作ってあげるんだもん!」

 「喜ぶわね……彼、きっと」

 「もっちろん!」

 にこりと微笑みあう母と娘は、また楽しそうに作業の続きを始めた。

 それから30分ほど後、玄関のドアが開き、一人の中年男性が家の中に入ってきた。古代家の当主、進のご帰宅だった。

 「ただいま……」

 玄関に誰の出迎えもなく、一人リビングまで入ってきた進の少し寂しげな声に答えたのは、次男坊の航だった。ソファに座ったまま、顔だけを上げて答える。

 「おかえり、父さん」

 「今日はどうした? 迎えに来なかったな。雪は仕事なのか?」

 大抵の場合、雪は夫の帰還に合わせて休暇を取り、エアポートまで迎えに来るのが常だった。ところが今日は出迎えがなかった。
 ならば仕事か?と問う父に、航はまた顔だけで台所を指し示した。

 「いや……ほら、あっち……」

 「え?」

 航の言葉に従って、進が見ると、妻と娘の背中が見えた。

 「なんだいるんじゃないか、それならどうして…… ん?ずいぶん甘い匂いがするな。何作ってるんだ?」

 「バレンタインのチョコだってさ」

 台所を覗き込んでいる父の背中に向かって、航が答えた。すると、進が振り返った。

 「バレンタイン? ああ、そう言えば明日だったか……」

 進がカレンダーを見ると、そこには13日に自分の帰還を記すマークが付けられており、次の14日には、大きなハートマークが描かれていた。

 「今年は愛が手作りのチョコを作りたいって、お昼からずっと大騒ぎしてるんだぜ」

 あきれたような顔で航が説明すると、進はさっと顔色を変え航を睨んだ。

 「えっ!? 愛が……? 誰にやるつもりなんだ!?」

 目の中に入れても痛くないほど娘をかわいがっている進パパだ。娘が手作りのチョコを作っているとなると、その渡す相手が気になるのは当然のこと。
 今まで娘には悪い虫などついていないと信じているだけに、不安が一気に広がった。

 「えっ、さ、さぁ〜〜 俺は知らないけど。本人に聞けばいいだろう?」

 「あ、ああ、そうだな……」

 父のにらみ顔にびくりとした航が、及び腰気味にそう答えると、意外にも進はあっさりと頷いて、台所の方に向かった。
 航は、矛先が変わってほっと安心して、次の成り行きに少々ドキドキしながら父の後姿を見送った。

 進が台所に入ると、妻と娘は、コンロの上のなべの中身と格闘していた。

 「ただいま……」

 進が声をかけると、2人は今初めて気がついたように同時に振り返った。

 「あら、お帰りなさい、あなた。今日は迎えにいけなくてごめんなさいね」

 「パパ、お帰りなさい!」

 お気に入りの笑顔が二つ、進を迎えた。
 それなりに齢(よわい)を重ね、中年と言う域に入りながらも、まだまだその美しさに衰えのない愛しの妻と、これから花咲くつぼみのように、若鮎のような艶やかな美しさを見せ始めた最愛の娘。どちらの笑顔も、進にとっては最大のご馳走だ。

 進はその笑顔に頷いてから、二人の後ろをちらりと覗いた。

 「いい……匂いだな」

 「うふっ、そうでしょ? 明日のバレンタインのために、手作りのトリュフを作ってるの」

 愛が特に隠す様子もなく、あっさりと答える。

 「ふうん……それで、あの……」

 誰にあげるつもりで作っているのか?と聞くつもりが、うまく口に出せないうちに、娘の言葉にそれを阻止されてしまった。

 「ねぇ、パパって、ママから手作りのチョコって貰ったことあるの?」

 「ん? ああ、そう言えばあったなぁ。あれは……」

 遠い昔の妻との思い出が、進の脳裏に急に思い浮かばれた。

 (そう言えば、初めて作ってもらったのはヤマトの中だったな。あれもすごかったけど、一番はあれだな。何度目かのバレンタインに地球でもらったあのチョコレートケーキ……)

 若い頃の雪は、それはもう料理が苦手だった。しかしそれでも一生懸命自分のために努力してくれたのだ。そう、努力してくれたのだが……

 「ぷぷぷ……」

 思い出すと、笑いが止まらなくなる。思わず吹き出してしまった進に、妻と娘の声が重なった。

 「どうしたの?笑って?」 「あなたぁっ〜!」

 不思議そうな顔をする娘と、口を尖らせて睨んでいる妻を交互に見ながら、進は娘に向かって説明を始めた。

 「結婚する前にな、チョコレートケーキを焼いてくれたんだけど、それが……くっくっく……」

 「もうっ!」

 「なあに?なあに?」

 暴露話を始めた夫に、ふくれてぷいっと背を向ける妻の脇で、娘は目をくるくると輝かせて続きをせがんだ。

 「黒こげのケーキだった」

 「ええっ!? あはっ……ママってお菓子作り下手だったのね!」

 ちょっとびっくりしたような愛に、進はさらに言葉を続けた。

 「はっはっは…… お菓子だけじゃないさ、料理だってなぁ……」

 「あ・な・た〜っ!」

 雪がこれ以上言われたら堪らないと、夫をきっと睨むと、進は肩をすくめて軽く笑った。

 「はは…… まあいいじゃないか、今は上手なんだから」

 「もうっ、娘の前で恥じかかせないでよ」

 娘の前でそんなことを言われると母親の威厳にかかわると、夫を責める母に、娘はしらっと言った。

 「あら、私、知ってるわよ。おばあちゃまに聞いたことあるもの。愛は料理の腕はママに似なくてよかったわねって言ってたもの」

 「まあっ!!」

 「はっはっは……今更だったわけだ。ははは……」

 真っ赤になる雪と対照的に、進と愛は腹を抱えて大笑いした。
 とその時、コンロの上のなべの様子に気づいた雪が、あわてて叫んだ。

 「あっ、ほら、もうチョコが溶けてるわ。愛!沸騰するまえに火を止めなくちゃ!!」

 「あっ、いっけな〜いっ!」

 父と一緒に笑っていた娘は、一転、チョコ作りに戻っていく。愛は、コンロからおろしたどろどろの茶色い液体を、なべ敷きの上に置くと、ばたばたとせわしなく動き出した。
 雪からは次々と用意する道具や材料の指示が飛んだ。

 「それじゃあ、少し冷ましてから丸めましょう。結構すぐに冷めてくるのよ。まぶすのは、アーモンドパウダーにシュガーパウダー、それからココアパウダーね。3つの粉を別々のトレイに用意しなくちゃ、急いで!」

 「は〜いっ!」

 材料が出来上がって、せっせと働き始めたく二人を、呆然と見ていた進に、雪の声が飛んだ。

 「あ、あなた、今ちょっと忙しいから、あっちに行っててちょうだい。そんなところにいたらチョコ付いちゃうわよ。ほらほら!」

 「あ、ああ……」

 妻にせかされるように台所を追い出された進は、目的の質問も出来ないまま、すごすごとリビングへと戻るしかなかった。

 台所の様子をじっと伺っていた航が、父親が割合早く戻ってきたのをいぶかりながら尋ねた。

 「で、どうだった?」

 「む…… 聞き損ねた。ちょと他の話をしているうちに、邪魔だからあっちへ行けって追い出されてしまった」

 憮然としながら答える父に、航は大いに受けてしまった。

 「あっははは…… 父さんも肝心なことになるとぼやっとしてるんだから。やっぱり母さんには一生勝てそうもねえな」

 「こんにゃろ! えらそうなこと言いやがって」

 航の頭を軽くこつんと小突いた進の顔は、しかし笑っている。

 「はは…… でもさぁ毎年、愛からも母さんからもチョコくれてるし、父さんや俺のために作ってくれてるんじゃないの?」

 「そう思うか?」

 息子のフォローにいくばかりか顔を明るくした父が、航はまたもやおかしくてたまらなくなった。

 つまり、愛が懸命にチョコレートを手作りしているのは、実は恋人相原進一郎のためであった。
 父の旧友である相原義一の長男進一郎と、古代家の子供達は兄弟のように育ってきた幼なじみだ。それがいつの間にか、愛と好いた好かれたの仲になり、去年のクリスマスにやっと思いを伝え合ったのだ。

 そしてその事実は、勘のいい守と母の雪にばれ、さらに航の耳にもすぐに入った。
 しかし、宇宙勤務で留守勝ちの父の進にだけはまだ届いていない。娘を溺愛し、まだ中学生の娘に彼氏など10年早いと豪語する父に、このことを伝えるのは時期尚早と、みなで相談してそう決めたのだ。
 ゆえに、一人蚊帳の外にいることなど、進が知る由もなかった。

 (知らぬが仏とはこういうことを言うんだよなぁ〜)

 そんな航の心の中の思いが、答える顔にも出てしまった。

 「まあ……ねっ」

 と答えたものの、その口元はどうしても緩んでしまう。さすがの父もそれに何か感じたらしい。いきなり航の胸倉をつかむと、つばが飛んできそうなほど顔をくっつけて叫んだ。

 「なんだよ、その意味深な笑い方は! も、もしやっ!愛に誰か好きな男でも出来たんじゃ!!」

 「く……くるしいって!! お、俺に聞かれたって知らないよっ!」

 息も絶え絶えに答えた航を、進はあわてて離した。

 「あっ……ああ、すまん……」

 (ふうっ、父さんは相変わらず愛のことになるとおっかねぇよなぁ〜 俺はこの件はずっと知らなかったことにしようっと……)

 首をさすりながら、愛と進一郎のことは、父には絶対に自分から話したりしないぞと心に誓う航であった。

 リビングでの男どもの会話など聞こえていない台所では、母と娘が一生懸命に作ったトリュフがやっと完成した。

 「できたっ!!」

 手や顔をチョコで茶色く飾った?愛が、うれしそうに母を見ると、雪も笑顔で頷いた。

 「お疲れ様…… これで明日はOKね」

 「んっ! でも……パパには?」

 ちょっと心配そうに母を見る。さっきの父は、たぶん誰のためにチョコを作っているのか気になって聞きにきたようであった。さっきは母に上手に追い出されたが、リビングに戻れば必ず聞かれるに違いない。

 進一郎のために作ったと聞けば、父は怒り出すかがっくり悲しむか…… どちらにしても、あまりありがたい展開は想像できない。
 それに、常日頃愛にはまだまだ彼氏など早い!と言い続けている父に、愛は進一郎との個人的な付き合いのことを伝える勇気もなかった。

 だから……ってことで、愛と雪はある作戦を考えているのだ。

 「大丈夫よ、ちゃんと話し合わせてあげるから、ふふふ…… 今、シン君とのことばれちゃったら、当分会わせてもらいそうにないものねぇ〜 愛ちゃんっ!」

 母が友達のような口調で、愛の鼻をちょこんと突っついた。

 「もうっ、ママったら、茶化してぇ〜〜 こっちは真剣に心配してるんですからね!」

 プッと膨れる娘の顔を見ていると、まだまだ幼い。夫がそう言いたくなるのも頷けるわね、と思う母であった。

 「ふふふ、わかってるわよ。そのうち、愛がもう少し大人になったらさりげな〜く知らせてあげるから……」

 「お願いしますっ! でも、ママは楽しんでるみたいに見えるわ。それに航兄ちゃんも大丈夫かしら」

 「ふふふ、心配なら早く行ってらっしゃい!」

 母にトンと背中を押されて、愛はリビングに向かった。

 リビングでは、進と航が大人しくTVを見ていた。台所が終わるまでは相手にしてもらえないとあきらめたらしい。
 愛はそんな父に後ろからぎゅっと抱きついた。父の首に後ろから両手を巻きつけると、甘えた声で帰宅の挨拶をしなおした。

 「パパ、改めて……おかえりなさい!」

 「うん……ただいま」

 いつもなら嬉しそうに満面の笑顔で答えてくれる父が、今日はやけに不安げに振り返った。
 愛は、抱きしめた手を離して、首をかしげた。

 「どうしたの? そんなに心配そうな顔をして?」

 「いや……別に……」

 と答えながら、またまた考え込むような仕草だ。そこで、航が父の気持ちを代弁した。

 「ははは……父さんは愛が誰のためにチョコを作ってるのかが心配でたまらないんだとさ」

 「お、おいっ、航!」

 いきなり核心をつく発言に、進はもちろん愛もドキリ! するとその後ろから雪がやってきて、意味深な笑みを浮かべた。

 「ふふふ…… 誰にかしらねぇ〜」

 「えっ!? お、おい、雪! その笑いはなんだ? 愛っ! だ、誰にやるつもりなんだ!?」

 こうなると進は大慌てである。進は、やっぱりさっきの嫌な予感が当ったのかと、情けない顔で愛に答えを求めた。

 尋ねられた愛も、心中は大汗小汗……汗だくである。母も兄も協力すると言いながら、意味深な笑みを浮かべて自分と父を見ているだけだ。

 (もう! ママも航兄ちゃんもずるいっ!)

 って思ってみても、誰も助けてはくれない。ここは恋する乙女、そしてパパキラーの愛の実力の見せ所である。懸命にポーカーフェイスを装って……

 「もうっ、パパったら、やあねっ! 私があげるのはパパに決まってるでしょう?」

 さっきに増して甘い声だ。その声に、父が僅かにひるんだ。さっきとは違って、恐る恐ると言った感じで再び愛に尋ねた。

 「ほんとか? 学校の同級生とかにやるんじゃ……」

 「同級生なんてみんな子供だもん! 全然お呼びじゃないわ!」

 「そ、そうか……?」

 進の顔がどんどん明るくなっていく。ここまでくればしめたものである。愛の方もどんどん調子付いていった。

 「そうよ! いつもはママと一緒にチョコを買ってたけど、今年はお菓子の本を買ったし、バレンタインにパパも帰ってくるから、作ってあげようって思ったのよ。でも……パパはいらない?」

 と、ここで、愛はかわいく小首を傾げるのだ。その仕草がなんとも言えずかわいらしい。父の進でなくても、この仕草には撃沈しそうだ。

 「いらないわけないだろ! 愛の作ったチョコならどんなんだって!」

 すっかり調子が戻った進は、嬉しそうな笑みを顔一杯に見せて愛をぐいっと抱き寄せた。

 「まあっ、どんなのって失礼ねっ! ふふ……でもいいわ、パパだから許してあげる。明日を楽しみにしててね!」

 駄目押しの愛ちゃんスマイルで、パパは完全にノックアウト! 娘に甘い進パパ、完全にしてやられてしまった。妻である雪もあきれるほどのだらしない笑顔だ。

 「ああ、期待してるよ」

 楽しそうに微笑みあう父と娘を見ながら、顔を見合わせて必死に笑いをこらえているのは、もちろん母と兄であった。

 その夜、久々の夫婦の逢瀬を楽しんだ進と雪は、ベッドでまどろんでいた。

 「ごちそうさま、だな」

 進が妻を胸元に抱き寄せてそっと囁くと、その胸の中で雪は嬉しそうにくすくすと笑った。

 「ふふ……やあね、こんなおばさん捕まえて……」

 「おばさんもそれなりに味わいはあるさ」

 「まあっ、それって褒められてる気がしないけど……」

 「はは……なんだよ、自分で言っておいて」

 「だって……」

 ちょっと不満げな顔で見上げる妻は、40を超えてなお「おばさん」と呼ぶには申し訳ない若い色香があった。

 「君に言わせれば、まだまだ女ざかり……なんだろ?」

 「当然でしょ! うふふ」

 「ま、そういうことにしておくか。まあ、今日はなかなか甘かったな。さっきのチョコレートが体にしみてたのかな?」

 「うふん〜」

 耳元で響く夫の甘い声は、やはり心地いい。雪はもう一度体を彼の体に摺り寄せた。

 と、突然夫が口調を変えて話し出した。

 「なぁ、雪…… 愛は本当にチョコレート誰かにやるつもりじゃないんだろうなぁ」

 不安げに雪を見つめる進の目は、情けないほど娘に入れ込んでいる父親の目だった。

 「もうっ! まだ気にしてたの? いい加減になさいな」

 今だけは、父親ではなく、夫であり男であって欲しい雪は、実力行使に出た。

 「お、おいっ! もう無理だって、あうっ、こらっ…… 雪い〜〜!!」

 妻に責められた夫は、あえなく陥落。一時かわいい娘のことも忘れ、年のことも忘れて、再び愛の世界に陥っていった。

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(背景:Pearl Box・イラスト:いちごのキッチン)