バレンタインキッス♪



 2月14日、バレンタインデーの朝が来た。恋する乙女は彼に思いが届かなってドキドキし、恋する青年はあの娘からチョコが届くようにと神に祈り、恋人達はプレゼントする方もされる方もわくわくする……そんな一日。

 けれど、古代進と森雪のアツアツカップルは、昨日のうちに既にバレンタインを済ませてしまった。というのも、進は今日からまたしばらく宇宙へと旅立ってしまうからだ。

 昨日は、愛する雪ちゃんの消し炭のような?美味しい!?ケーキをご馳走になった進君。なんともいえない味を賞味させられて、嬉しいような辛いような……であったが、とにもかくにも二人のラブラブ度はさらに増したようだ。

 けれど好事魔多し…… 昨日はアツアツだった二人の間に、こんな邪魔者が入るとは、当の二人も思ってもいなかっただろう。



 そして今朝、出航前に司令本部で所用のある進は、朝、雪の自宅に迎えに立ち寄った。一緒に通勤するのはめったにない二人だが、今日は久々にそれが叶う。嬉し恥ずかしの同伴出勤?である。

 で、車の中。進が昨日の礼を言う前に、雪のほうが先に謝った。

 「古代君、昨日はごめんね……」

 「えっ? ああ、いいよ。雪の心がこもってたケーキだもんな」

 でも味はちょっと……とは言えない進である。だが、雪もそれは承知しているようだ。

 「お腹大丈夫だった?」

 「ああ、なんてったって鍛えられてるからなぁ、今までの……」

 と言いかけたところで、雪の顔色がさっと曇る。進は慌てて口ごもった。

 「っとっとっと」

 「もうっ!」

 ちょっぴり拗ねる雪ってかわいいな、なんて思いながら、進が笑う。後はとりとめもない、でも楽しい会話が続いて、あっという間に司令本部の駐車場に到着した。

 駐車場を歩きながら、雪が尋ねた。

 「古代君、今日の出航は午後だったわね?」

 「ああ、エアポートの都合で3時出発だってさ」

 「結構ゆっくりなのね。午前中は参謀長と打ち合わせでしょ?」

 「うん、今回のパトロールスケジュールの中で、1件要人警護の任務があるからな。その件で参謀長から指示があるらしい」

 「ええ、地球副大統領がタイタン鉱山の視察ですってね。大変だけど、頑張ってね」

 長官秘書も大分板についてきた雪。主要なスケジュールは頭の中に入っているらしい。

 「ありがとう。ま、副大統領専属のSPもいるから、さらにその周りの周辺警護だけだけどな」



 二人が駐車場から建物の中に入ろうとした時、後ろから声がかかった。

 「あの……古代さんですよね?」

 若い女性の声に、進もそして雪も同時に振り返った。

 「何か?」

 「あの……これ……受け取ってもらえませんか?」

 「えっ!?」

 その女性が差し出した手には、リボンのついた綺麗な小箱。今日の日付を考えると間違いなくバレンタインのチョコレートだろう。

 進は戸惑った。雪がいなくても、困るのに、今は隣にいるのだから。ちらりと横の雪を見ると、少しムッとした顔をしているように見える。これはしっかりと断らねばと、進は声を発した。

 「いや、それは……」

 が、その女性はすぐに、隣にいる雪が進とどういう関係であるのか察知したようだった。

 「あ、この方が?…… フィアンセの方がいらっしゃるのは知ってるんです。でも、憧れてます! だから気持ちだけでも伝えたくて……」

 結構真剣な眼差しで訴えている。それを見ていると、雪のほうが困った。最初は、私がいる前でよくも……と、不快感の方が先にでたが、一生懸命訴えている姿を見ると、少しその気がそれてくる。
 それにたかがチョコレート一つじゃないか、と雪は思った。心の狭いことをして、たいした女じゃない、と思われるのも癪に障る。ここは、余裕を見せるところだと、鷹揚に構えることにした。

 「いいじゃない、せっかく持って来てくれたんだもの、受け取ってあげたら? 私は別に構わないわよ」

 と、言いながらも、ちょっぴり面白くない雪。でも絶対に顔には出せない。

 「え、でもなぁ……」

 雪の真意が読みきれない進は、まだ迷っていたが、

 「お願いしますっ!! ただ、受け取ってもらえればそれでいいんです! それ以上は何も期待しませんから」

 という言葉に、とうとう折れた。おずおずと手を出して、そのチョコレートの小箱を受け取った。

 「あ……それじゃあ。ありがとう、けど、ごめん。君の気持ちには答えられないんだ」

 「いえ、ありがとうございました」

 女性は、嬉しそうにぺこりと頭を下げると、小走りに去っていった。
 残されたのは、進と手にしたチョコレートとそして雪。恐る恐る雪の顔を見る。

 「いいのか?ほんとに」

 「いいわよ、それくらい。1個や2個のチョコくらい貰えないのも、悲しいでしょ?」

 雪が笑顔で答えた。その笑顔が微妙に引きつっていることを悟られまいと、雪は必死に堪えていた。その功あってか、進は雪のその複雑な心境には気付かなかったようだ。

 「ま、まあ、それはそうだけど……」

 「もし他にもくれる人がいれば受け取ってあげればいいわ。そんなにくれるとは思わないけどっ!」

 ちょっぴり自棄半分に、雪が言い放った。心の中とは反対のことなのに、そんな風に言ってしまうのは、負けず嫌いの雪らしい。

 「あ〜〜言ったなぁ! 手に持ちきれないほどになってからやきもち妬くんじゃないぞ!」

 「だれが妬くもんですかっ!!」

 冗談半分、本気半分の進の言葉に、雪としては、今更「やっぱりもらわないで」とも「妬けちゃうからやだ」とも言えなくなった。

 (もう、古代君ったら、調子に乗るんだからぁ! でもいいわ、チョコくらい…… だけど彼女よく彼がここに来ること知ってたわね。秘書課の誰かから聞いたのかしら?)

 ま、いろいろと情報通というのは、いるもんです。もちろん、進が今日こっちに寄ってから、宇宙に立つことは特に極秘事項でもなんでもないのですからして……

 とにもかくにも、ちょっとしたイベントがあったけれど、二人は建物の中に入り、別れ際に、昼食を一緒に食堂で取ろうと約束して、それぞれの部署へと向かった。



 それから約2時間後、予定より早く参謀長からの指示を聞き終えた進は、特にすることもないので、昼食までの間、休憩サロンで時間をつぶしていた。すると……

 サロンの入り口で、なにやら人だかりができ始めた。何だろうと見てみると、うら若き女性職員が数人、なにやらこそこそと話している。

 「ね、本当にいたでしょ?」
 「やった!」
 「今朝、○美が渡したら受け取ってくれたんですって」
 「ほんと!? でも美人のフィアンセがいるんでしょ?」
 「その人も公認なんですってよ。だって○美なんてねぇ、大胆にもその人も一緒の時に渡しちゃったのよ」
 「え〜〜 ○美すっご〜い! 彼女、古代さんにめっちゃ憧れてたもんね〜」
 「ねぇねぇ、それじゃあ、やっぱり結婚延期になって、二人の関係も危ないって噂もほんとなのかもよぉ。もう、チョコを渡されるのを見てもどうでもいい関係になったのかも!」
 「きゃぁ〜〜 チャ〜〜ンス!!」
 「そうよ、今日がそのチャンスよっ!」

 そんな思いっきり勝手な自分達に都合のいい会話がされていた。が、進にはもちろん聞こえていない。進は自分には関係ないとばかり、また椅子に座りなおして、お茶に手をやった。

 すると、入り口に集まっていた中の一人が、つかつかと部屋の中に入ってきた。

 「あの、古代さん……」

 「はい?」

 「これ、受け取ってください!」

 進はびっくりだ。またもや朝に続いて、チョコを持ってきた娘がいたのだ。だが、進はやはり断ることにした。

 「え? あ、ああ……けど僕には決まった人がいるので……」

 けれども、相手も簡単には引き下がらない。

 「私の気持ちを伝えたかっただけなんです。ただ、受け取っていただけたらそれで……お願いします」

 さっきの女性と同じようなことを言う。切なそうな顔でそんな風に言われると、進としてもちょっと困る……し、ちょっぴり、ほんとにちょっぴりだが、嬉しかったりもする。

 しばらく考えていたが、ふと雪が朝言ったことを思い出した。そう、雪は確かにこういったのだ。

 ――もし他にもくれる人がいれば受け取ってあげればいいわ。そんなにくれるとは思わないけどっ!――

 (そうだよなぁ、雪だってああ言ったんだし、俺だってちょっとはモテルってことを、雪に見せてやるさ。もう1つくらいいいよな)

 「それじゃあ……」

 「やったぁ!!!」

 そして進はその女性からのチョコレートを受け取った。が、それで終わりではなかったのだ。二人のやり取りを固唾を呑んでみていた大勢の女性達が、我も我もとあっという間に、駆け寄ってきたのだった。一人二人三人……十人近くいただろうか?

 「あ、私も!」 「私も受け取ってください!」 「私も気持ちだけです!」 etc……etc……

 「あ、ああ…… あ、ありがと。どうも…… ありがとう……」

 進の周りは、しばらくの間大変な人だかりとなってしまった。もう何がなにやらわけわからない。進は変な作り笑いを浮かべながら、その全てのチョコレートを受け取ったのだった。

 しばらくして彼女達が立ち去り静かになった頃、彼の目の前には、抱えきれないほどのチョコレートの山となった。

 「おいおい…… これ、どうやればいいんだ? こんなの持って宇宙に行けってのかよ〜」

 あまりにもの反響の大きさに、進は喜ぶより呆れてしまったのだった。



 ところで、この風景を見ていた女性がいた。彼女の所属は司令本部秘書課、雪の同僚の女性だ。

 (あれって、古代さんよね? あんなにチョコ貰っちゃって〜 森さん、知ってるのかしら?)

 ということで、当然のごとく、この話は早々に雪の耳に入ることになったのであった。ご注進を受けた雪はというと……

 「そう……でも、いいのよ。今朝も持ってきた人がいてね。せっかく持って来てくれたんだから、受け取るのが礼儀よって言ってあげたの。だから、いいのよ」

 さっき自分が進に言った言葉を繰り返す。なんだか心の中がもやもやとしてくるけれど、それはもちろん顔には出さない。だがそんな雪の顔を探るように、相手は覗き込んで、さらにこんなことを言った。

 「本当にいいの? すっごく積極的な人もいたわよ。それにほら、雪さんたち結婚も決まってたのに、あんなことがあって式を延期しちゃったでしょ。だから、もしかしたらこのまま別れるんじゃないかって噂もあるくらいなんだから」

 これには雪もカチンときた。

 「そんなこと……!」

 雪にきっと睨まれて、相手の女性は少したじろいたが、それでもまだ言葉を続けた。

 「わかってるわ、私たちはそんなことないと思ってるけど…… でもね〜 古代さんだって男よ、結構嬉しそうに受け取ってたわよ」

 彼女の中に、どこかに美人で地球のヒーローを恋人にしている雪へのやっかみがあるのかもしれない。なんとなくそれを感じた雪は、逆に笑顔を作って見せた。

 「せっかくくれるのに、恐い顔して受け取れないわよ。でも大丈夫、私、古代君のこと信じてるもの。それにお昼一緒にとるって約束してるの。その時に全部チョコ没収しちゃうんだから!」

 勤めて明るく振舞う雪につられて、相手も笑った。同僚の雪に対して悪意を持っているわけではない。

 「うふふ、そうね。そうしちゃえばいいわ。ごめんね、余計なお世話だったわね」

 「ううん、そんなことないわ、ありがとう」

 雪はほんと余計なお世話よ、と思いながらも、笑顔で礼を言った。二人の話はこれで終わった。けれど、雪の心の中に微妙な不安が湧き上がってきたのは事実だった。

 (古代君にそんなにチョコが…… 嬉しそうに受け取ってたって、ほんと!? それに私たちが婚約解消したって噂があるの!?)

 相手の前では平静を取り繕っていた雪だが、心の中はその逆のようだ。

 そんな雪の近くでは、同じ総司令部で働く進の兄、古代守は、さりげなくさっきの会話を耳にした。だが、とりあえずは静観を決めたようで、特に雪に何も声をかけることはしなかった。



 そしてお昼。約束どおり食堂へ向かった雪は、入り口のところで立ち止まってしまった。それは……

 (古代君……!?)

 少し中に入ったテーブルに数人の人だかりができていた。周りにいるのは全部若い女性。そして、真ん中にいるのは……進だった。

 ここでも進はチョコレートのプレゼント攻めにあっているらしい。作り笑いかもしれないけれど、確かに笑顔でそれを受け取っている。

 (何よ、古代君ったら、鼻の下伸ばしちゃって! いくら私がもらえばいいって言ったからって、あんなに嬉しそうにもらうことないのにっ!)

 だんだんと腹がたってきた雪は、あの人だかりの中に飛び込んで行こうと、えいっと自分自身に気合を入れて、一歩足を踏み出した。

 その時、入れ違いに食堂から出てきた女性二人とすれ違った。さらに、通り過ぎた後、その二人が立ち止まってこそこそと会話するのが聞こえてきたのだ。

 「ねぇ、さっきの人って、古代さんのフィアンセの森雪さんじゃなかった?」

 「ええ、そうよ。でも結婚式が延期になって、そのまま婚約解消も近いって噂はやっぱり本当だったのね。だって、古代さんあんなにチョコレート嬉しそうに受け取ってるし、森さんはあんなところでじっと見てたし……」

 「ってことは、私たちにもまだチャンスあるってことよね? 今からチョコレート買って来て渡してみようかしら? チョコと一緒に私もとろけさせて〜なんてメッセージ付きで、ふふふ……」

 「あ〜、私も乗ろうかなぁ。だって色々あったって言っても、古代さんはなんてったって地球のヒーローですものねぇ! 今はパトロール艇艇長でも、将来はきっと司令本部のトップよ。長官夫人も夢じゃないわ!!」

 「きゃはっ、やだぁっ、飛躍しすぎぃ〜〜」

 「しっ、森さん立ち止まったままよ、私たちの話聞いてたのかも……」

 「あら、いいわよ、聞こえたって。元フィアンセなら関係ないもの!」

 「それもそっか、うふふ。じゃあ、お昼休みの終わらないうちに、表へチョコ見繕いに行きましょ!」

 この会話を聞いて、歩き出し始めた雪の足は、すっかりと止まってしまった。

 (さっきの彼女の言ったとおりだったのね。周りの人たちって私たちのこと、そんな風に思ってたんだ…… でも私たちは……!! だけど……)

 雪は急に不安になり始めた。

 (古代君本当のところはどう思ってるんだろう?
 結婚の延期を決めたのは二人の意志だけど、確かに言い出したのは彼。本当は私のことがもう好きじゃなくなったのかも?
 それに、昨日はあんなに不味いもの食べさせちゃったし、こんなに料理の下手なお嫁さんなんて、いらないって思い始めたりしたら……)

 そんなことはない、と自分に言い聞かせても言い聞かせても、不安の方がどんどんと大きくなっていく。かといって、進の前に出て行って、問いただすのも恐い。それに……

 (古代君、もうすぐ宇宙へ出航するのに、そんな時に私のこと嫌いになったの?なんて聞いて彼と言い争いになりたくない…… 今は、何も言えない…… 今はだめ……彼の顔が見れない……)

 雪は食堂へ行くのをやめて、くるりときびすを返した。すれ違いにやってきたのは、古代守だった。雪とは反対の位置で、二人の女性の会話も聞いていた守は、だが、明るい表情で雪に声をかけた。

 「雪? どうした? 進と一緒に昼飯食べるんじゃなかったのか?」

 「あ、守さん? 私……」

 雪は守から視線を逸らした。今の表情を彼に見せたくなかった。けれども、守は食堂の中の様子と雪の顔付きを見比べ、すぐに状況を理解したようだった。

 「どうかしたのか? あっ、またあいつ!」

 「え? あ、ああ……違うんです。私、ちょっとやり残してた仕事思い出しちゃって…… 古代君に、お昼一緒に食べれないけど、気をつけて言ってらっしゃいって伝えてくれませんか? それじゃあ」

 雪は慌てて言い訳を取り繕うと、逃げるように走り去ってしまった。

 「おい、雪っ!!」

 (まったく、雪の奴。さっきからの話と今の会話で落ち込んじまったって、顔に書いてある。強がったってバレバレだぞ。まったく世話のやけるカップルだな)

 守は、大きくため息をつきながら、食堂へと入っていった。



 同じ頃、やっと人だかりがとけて、進は一人で入り口の方を眺めていた。そこに守がやってきたのを見て、手を上げた。

 「あ、兄さん! 一緒に飯食おうよ。雪も後で来ると思うんだけど……」

 進が守の後ろを覗き見るように、入り口の方へ目をやった。だが守はそれには答えず、厳しい顔付きで進を睨んだ。

 「モテモテみたいだな、進」

 「え? な、なんだよ、藪から棒に…… 兄さんだって一杯もらったんじゃないのか?」

 ムッとして答える進に、守は言い返す。

 「俺は独身だからもらったっていいんだ」

 「俺だってまだ一応独身だよ。それに、雪がせっかく持ってきたチョコなんだから受け取ってやれって言ったから……」

 言い訳を口ごもりながらつぶやく弟に、守は大きなため息をついた。

 「それで、嬉しそうに鼻の下伸ばして受け取ってたってわけか?」

 「鼻の下なんか…… そりゃあ、もらって悪い気はしないけど、別に嬉しいわけじゃないし。それに、チョコに責任はないだろ?」

 兄の言い草に少し腹を立てた進が、そう言い返した。

 「ふうん、それじゃあ、雪がさっき食堂の入り口で、お前がチョコをもらうのを見て、すごい顔してどっかに行っちまったって言ったらどうする?」

 少々意地悪っぽく言ってやったが、その内容に、進も怒るどころか、びっくりして慌てしまった。

 「な、なんだって!? 嘘だろ!?」

 進は、バンと机を叩いて立ち上がった。その目の前に、守が仁王立ちになって立ちはだかった。

 「嘘ならいいんだがなぁ〜〜〜」

 「ちょっと待ってくれよ! なんで雪がどっかに行かなきゃならないんだよ! 大体、最初俺は断るつもりだったんだぞ、それなのに一緒にいた雪が受け取ってやれって言うから……」

 守を睨み返すように、進がさっきの言い訳を繰り返すと、守はもう一度大きくため息をついて見せた。

 「お前なぁ、少しは女心わかってやれよ。チョコの一つや二つで、いちいちヤキモチ妬いてたら、嫉妬深い女だって思われると思うだろうが! フィアンセなんだから、ちょっとは余裕見せたいって、雪が思ったことくらいわからんのか?」

 叱りつけるように、説明する兄の言葉に対して、進の言葉が尻切れとんぼのように口ごもる。

 「だったら余裕でいればいいじゃないか。何も逃げ出さなくても……」

 そして最後に追い討ちをかけたのが、この話だった。

 「けど…… お前達が結婚式を無期延期してしまって、婚約解消も近いって言う噂が流れてたら、どうする?」

 「そんな噂あるわけ……」

 とそこまで言ってから、進は黙ったままじっと自分を見つめる兄を見た。それが嘘でないことは、守の目が訴えていた。

 「あるのか?」

 「ある、さらに雪は、それを今日2度も聞かされた……」

 これが止(とど)めだった。さすがの進も、これでしっかりと雪の心情を把握したのだ。

 「なっ、くそっ!」

 と悪態をつくと、兄の横をすり抜けて走り出した。出口に向かう進に、守が後ろから声をかける。

 「おいっ! 進、このチョコどうするんだ?」

 テーブルの上には、午前中から貰った大量のチョコレートが2つもの袋に詰め込まれていた。が、もう進にはそんなもの何の価値もない。

 「兄貴にやるよ!!」

 と一言言い残して、走り去ってしまった。弟を見送りながら、守は満面の笑みを浮かべた。

 「はぁ〜、これでよしっと! 進、ちゃんと雪を見つけ出せよ! しっかし、これだけのチョコ、全部食べたら俺、太っちまうな。サーシャにでも届けるかな?」

 のんきなことを言っている兄貴であった。



 その頃、雪は総司令部から程近いテラスに来ていた。ここは、総司令部の職員以外は基本的に入れない位置にある。
 暖かい季節なら、昼休みに弁当を食べたり、体をほぐしたりする職員もいるが、冬のこの時期、特に今日のような曇りの天気の日には、ほとんど誰も近づかない場所だ。

 (ここなら、きっと誰も来ない…… だって今は誰にも会いたくないんだもの。誰かに何か言われたくないんだもの。でないと、泣いてしまいそうなんだもの……)

 進を信じている。進の愛も信じている。今まで何度も命をかけて二人で切り抜けてきたのだから。でも、だけど、それでも……
 例え婚約していても、結婚を固く誓っていたとしても、恋する乙女の心は、微妙に複雑なのである。

 (今、そんな不安を彼に告げて彼を困られちゃいけない。それにもし、もしも……彼が私のことを……)

 悪い想像をするたびに、胸がつぶれそうになるくらい悲しくなってくる。涙をぐっと堪えて、雪は天を仰いだ。

 とその時、後ろから声がした。

 「雪!?」

 聞き覚えのある大好きな人の声で、雪は振り返った。

 「古代君……」

 そのまま彼の姿を見ていたら、涙がこぼれてきそうで、雪は慌てて顔を戻した。進が駆け寄ってくるのが、その足音からわかる。まだ話も何もしていないけれど、彼がここに来てくれたことが、ドキドキするほど嬉しかった。

 「どうしたんだよ、食堂で待ってたのにさ…… ここも探したぞ。総司令部でこっちに向かったのを見たって聞いたから……」

 進の優しい声が、雪の心を柔らかになぜた。

 「ご、ごめんなさい。あの……守さんに伝えたんだけど…… 仕事が、忘れてた仕事があったから……」

 つまらない顔をしているであろう自分の顔を見られたくなくて、雪は進から視線を逸らしながらしどろもどろに説明した。だが、それは進によって、あっさりと否定されてしまった。

 「……嘘だろ?」

 「えっ?」

 「食堂でいきなり兄貴に叱られたよ。女心のわからない奴めって」

 その言葉に雪が顔を上げた。

 「守さんが?」

 「うん、俺がチョコ貰ってるの見て、変な噂も聞いて…… ごめん……雪。君を不安にさせてしまったみたいで、ごめん」

 その言葉で、雪は進が全部気がついたことを知った。

 「そんなこと……ないわ」

 雪が再び進に背を向けた。自分の不安が、守にはすっかり筒抜けだったことと、進に知られてしまったことが、少し恥ずかしかった。

 そんな雪を進は後ろからふわりと抱きしめた。寒い冬の空の下で冷えていた体が背中から温まっていく。そしてそれにつれて心も温められて……

 「何にも心配するなよ。噂なんか気にするな。これまでもこれからも、俺には雪しかいないんだから。
 貰ったチョコも全部兄貴にやってきたよ。やっぱり俺が欲しいのは、君からのだけだからな。昨日のケーキ、本当に嬉しかった……」

 「古代君……」

 進の言葉が胸にじんとしみる。

 「だから、機嫌直せよ」

 「ううん、私こそ、ごめんな……」
バレンタインキッス(*^^*)
(by めいしゃんさん)

 抱きしめられたまま振り返った雪の唇に、進の唇がすっと近づいた。

 「あ……」

 不意をつかれた雪は、自分の頬が、かぁっと熱くなっていくのがわかった。
 それから、ゆっくりと愛する人の温かい感触が雪の唇に伝わってきた。

 触れ合った唇から、彼の優しさと思いが伝わってくるようで、心の中がさっきより増して温かく熱くなっていく。

 冬の寒空の下、恋人達の心は真夏の浜辺以上に熱く燃えていった。



 しばらくして、二人は名残惜しそうに唇を離した。それから進は、今更ながらに、仕事場のすぐ近くでの行為に気付いて謝った。

 「あっ…… こんなところで、ごめん。あんまり君の顔がかわいくて……」

 「ううん…… 私が悪かったの。古代君のこと信じてたはずなのに、勝手に不安になったりしたから…… それに……あんな強がり言った私がいけないのよね」

 まだ頬を火照らせたまま、雪がはにかみながら微笑む。進も笑みを返した。

 「雪……」

 「ほんとはね、他の誰のチョコも嬉しそうに受け取ってなんか欲しくないの…… もう少し自分に自信ができたら許せるのかもしれないけど、今は……すごく嫌なの」

 やっと初めて言えた自分の本当の気持ち、雪は心の底からわだかまりが消えていくのがわかった。

 「うん…… そう言ってもらえて、すっごく嬉しいよ」

 「ほんと? やきもち妬きは嫌いじゃない?」

 全ての白状したものの、ちょっぴり不安になった雪が尋ねると、進はさもおかしそうにくすくすと笑った。

 「雪のやきもちは……嫌いじゃない。拗ねた顔もかわいかったし……」

 「もうっ、古代君ったら……」

 「ははっ…… あっ、こんな時間だ。食堂行こう! 飯食う時間なくなるぞ!」

 「あ、ええ、そうね」



 そして二人は、再び食堂へと戻ったのだった。
 その後、食堂に戻ってきた例の廊下で話していた二人の女性が、チョコレートを渡しに進のところにやってきたが、進は、

 「僕には、結婚を約束した女性がいるから、君たちの気持ちには答えられないんだ。申し訳ないけど、チョコは受け取れないよ」

 そうきっぱりと断った。そして、

 「でも、さっきまで受け取ってたじゃないですか?」

 と食い下がる女性達に、進は、

 「あれはみんな兄貴の代わりに受け取っただけなんだ。君たちも兄貴の方に持ったらどうだい? 兄貴は今のところ正真正銘決まった人いないからさ」

 と答えた。進の兄は先任参謀、進よりも出世は早いかもしれない。そう判断したのか、確かにそれもそうだと、あっさりと納得して去って行った現金な二人の女性姿を見ながら、進と雪は顔を見合わせて大笑いした。


 そして…… この年のバレンタインデーは、古代守が司令本部一のチョコレート獲得数を誇ったという。

おしまい

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(背景:柚莉湖 風と樹と空と)