Merry Christmas on the Moon

 

 2208年も押し迫った12月の始め。官民の様々な宇宙船が発着するコスモエアポート内も、慌しい雰囲気に包まれていた。

 そしてここは地球防衛軍専用の送迎ゲートである。このゲート付近では、いつもしばしの別れを惜しむ光景があちらこちらで展開される。
 その中に一組の若夫婦がいた。数年前に結婚し、2人の子供も授かりすっかり家族らしくなったが、いまだに新婚気分が抜けないと、周囲から言われ続けている幸せ一杯の古代進と雪夫妻である。

 夫の出立の日にたまたま休みの取れた雪は見送りに来ていた。腕には生まれたばかりの次男坊、航を抱いている。夫に抱きかかえられているのは、兄の守の方だ。

 「守、いい子にしてろよ!」

 「うんっ!」

 お兄ちゃんらしくなった守は、にっこり笑って元気一杯に頷いた。進は、その笑顔に満足そうに頷くと、今度は母に抱かれ、わけもわからずきょとんとしている弟の航の方へ視線を向けた。

 「航も泣かないでお母さんに手間かけさすんじゃないぞ。ほれほれ」

 進は片手に守を抱いたまま、もう一方の手で、赤ん坊のふくよかなあごの下を猫をあやすようになぜた。すると、航は嬉しそうににこにこと笑った。

 「あ〜あ〜 う〜」

 航もご機嫌だ。そんな仕草に雪は微笑みながら、二人の子を見た。

 「守、航。パパはまたしばらくお出かけよ。お顔を忘れないでね」

 「そうだぞ! 一番可愛がってくれる人の顔を忘れるなよ!」

 進は抱いていた守を下に降ろすと、その目の高さまで体を曲げて、正面から顔を近づけた。守は目をキラキラさせながら大きな声で頷く。

 「うん! いってらっしゃい…… おとうさん!」

 「もうっ、パパったら誰が一番可愛がってくれるですって! もう、好きなこと言ってるだから、うふふ……」

 雪は、すっかり父親が様になっている夫を、微笑みながら睨んだ。それから今度は少し淋しそうな顔をして見せた。

 「今度帰ってくるのはもう来年なのね……」

 「来年って言ったって、ひと月ちょっとだぞ。いつもの航海と同じじゃないか」

 12月の出航で、たまたま足掛け2年の航海になるだけなのに、そんなに大層に言われては大変と、進は苦笑いだ。すると、妻の声がまた甘い声に変わった。

 「そうなんだけどぉ…… でも、クリスマスもお正月もあなたがいないなんて、寂しいわ」

 雪の瞳が切なげに揺れる。この視線に進はめっぽう弱い。何か特別悪いことでもしに行くような気分になってしまう。

 「それを言うなって、そのうち休める年もあるさ。今回はいろいろと試したい作戦もあるし、長距離ワープもしなくちゃならないんだ。すぐに帰ってきたんじゃ、どれも中途半端になってしまうんだよ」

 正しい理屈を述べる。だが、今の妻にはそんな理由は通らない。甘え半分でその瞳が潤みがちになる。

 「でも……クリスマスには月面基地まで帰ってくるっていうのに、またそのまま外宇宙へ戻ってしまうんですもの! ひどいわ!」

 こんな風に拗ねてしまう雪を見るのは、久しぶりのことだ。それが逆におかしくなって、進は笑い出してしまった。

 「ははは…… それは計画した本部の参謀方だろ? 文句があるならそっちの方々に言ってくれ。俺が決めたんじゃないぞ」

 「それはそうだけど……」

 今度は言い返せなくてべそをかく妻がちょっとかわいそうになる。夫たるもの、今度はやさしい口調で懐柔に入った。

 「クリスマスイブの24日はちょうど月面基地に停泊中だ。夜はフリーになるはずだから、月からメリークリスマスって電話入れてやるから、みんなで待ってろよ」

 「はぁ〜 そうね」雪は、仕方なさそうにため息混じりに微笑み、「たぶん……森の家の方にいると思うから、そっちに頂戴ね」と言った。

 妻が納得したのを合図に、進は時計に目をやった。そろそろ艦の方へ行く時間である。

 「OK! さ、時間だな。じゃあ、行って来るよ。二人のことは頼んだぞ。まあ、お母さんにおんぶに抱っこなんだろうけどなっ!」

 「まあっ! 余計なお世話よっ! これもおばあちゃん孝行の一つなんだから」

 ウインクをしながらからかう夫を睨みつけて、逆に得意そうに答える。発想の転換もここまで来れば立派なものだと、進は大笑いだ。

 「はっはっは…… 都合のいい孝行だな! けど俺だって君におんぶに抱っこなんだもんな。人のことは言えないよ。君にはいつも感謝してる。君も自分の親だと言っても、感謝の気持ちは忘れるなよ」

 笑った後はすっと真顔に戻る。この絶妙のタイミングが、進の魅力の一つだ。冗談を言う裏にも、ちゃんと妻や妻の両親への心遣いが感じられて、雪の心を熱くさせた。

 「はい……わかってます。それから、ありがとう…… じゃあ、気をつけていってらっしゃい!」

 「おうっ! 守……元気でな。また電話するから」

 足元で見上げている愛息子の頭をがしがしと強くなぜると、守はちょっと迷惑そうに顔をしかめながらも嬉しそうだ。男の子にとって父の荒っぽい扱いは、母からは得られない何かがあるらしい。

 「うん!いってらっしゃい! お父さん」

 「守が寝てからかけてきたって起こさないからねっ!」

 「意地悪だな!」

 「うふふ…… いってらっしゃい!」

 淋し紛れの最後の意地悪を渋い顔で受けとめて、古代進はゲートの向こうに消えて行った。 


 そんな会話をしたのが、ほんの10日あまり前だった。師走と言うだけあってあっという間に月日は過ぎ、今日はとうとう24日、クリスマスイブとなった。

 地球の復興も順調に進み、人々も様々な娯楽を楽しむようになった。その中でも年末の賑やかさは、ガミラス侵攻以前のそれと変わらないほどに思える。12月も20日を過ぎると世間はますます賑やかになっていった。

 東京メガロポリスの都心の真中にあるショッピング街を飾るのは、クリスマスツリーやきらきらの星々、サンタクロースなどのオーナメントなど、様々なクリスマスイルミネーションだ。街はクリスマスムードたけなわだった。


 そんなイブの早朝、店はまだ開いていなくても、周囲の飾りがきらびやかに朝の光を浴びて輝いている。
 守と航を後部座席の子供用補助シートに乗せた雪は、その光景を見ながら、両親の家に向かって車を走らせていた。

 「あ〜あ、いいわねぇ。あんなに綺麗な飾りがいっぱい! ママも本当はパパと二人であの街を歩きたかったわぁ〜」

 ため息混じりに息子に愚痴を言ってみても、航はもちろん、守も聞いてはいない。外に流れるきらびやかな光景を楽しげに見入っている。

 「あなた達に言っても無駄よね、うふふ…… 私の可愛いナイトさんたち」

 そしてその日もいつも通り、母親の美里に二人を預けると、雪は司令本部へ出勤した。


 「おはようございます、森さん」 「おはようございます、雪さん」

 エントランスを通って、最上階の司令長官室へ向かう雪に、朝の挨拶の声がかかる。その声の一つ一つに笑顔で答えながら、部屋に入ると、先に出勤していた相原晶子が迎えた。
 晶子は、今も長官秘書の一人として雪を補佐している。

 「おはようございます、雪さん」

 「おはようございます、晶子さん。調子はどう? 顔色は悪くないみたいね」

 最近2人目の妊娠が判明した晶子は、ただ今つわりの真っ最中。それでもけなげに毎日出勤している。
 去年の今ごろは、雪がこんな風だった。雪と晶子は、ちょうど交互に1年おきに出産している。長官の藤堂にとっても、どちらも揃って産休というのは困るだけに、互いに無意識にそんな計画になったのかもしれない。

 「はい、大丈夫です。まだつわりは終ってないんですけど、割と楽な方みたいで…… 最近は食欲が出てきちゃって帰って困ってるんです」

 いたずらっぽく笑う晶子の姿は、まもなく2児の母になるとは思えないほどあどけない。夫の相原も相変わらずのあの調子だから、進などは、「あいつらがどうやって子供作ったんだか未だに想像がつかない」なんてことを言って笑っている。
 しかし、晶子は紛れもなく1児の母として、立派に主婦業と仕事をこなしていることも雪はよく知っていた。

 「まあっ、うふふ…… もうそろそろ、5ヶ月だし、すっきりする頃だものね」

 「ええ…… 近いうちに美味しいもの食べに連れてってくれるって、義一さんが……」

 晶子はうっすらと頬を染めて嬉しそうに言った。その幸せは雪にも伝わってくる。

 「あらっ、それはご馳走様っ! いいわね、相原さんはいつもそばにいてくれるから」

 同じ司令本部ではないが、相原は近くの基地の通信部で働いている。進のように何週間も不在と言うことはないのだ。それに気付いた晶子が、申し訳なさそうな顔をした。

 「あっ、すみません…… 私だけ」

 「あらっ、気にしないで! 私も納得の上で、彼だって宇宙にでてるのよ。でもたまにね、ちょっと寂しいかな?って思うこともあるのよ」

 「そうですね。雪さんは特に結婚前はずっと一緒にお仕事されてたし……」

 「あの頃は必死だったわ…… 私も彼も自分たちのことなんて二の次で……」

 晶子の言葉に誘発されて昔のヤマトに乗っていた頃を思い出す。何度も襲ってくる未知の敵達に対して、雪も進も、そしてヤマトのクルー達みんなが必死に戦った日々のことを。
 遠い目をする雪に、晶子はさらに話を続けた。

 「古代さん、家にいる時はとってもマイホームパパなのに、今でもお仕事には厳しいんでしょう? 休暇のことなんて全然頓着されないみたいですし」

 「そうそう、仕事の鬼だものね。任務に入っちゃうと、家族のことだってなんだって、プライベートのことは、すっかり頭から抜け落ちちゃうのよ。お休みだって、自分から申請する事なんてほとんどないのよ。『艦長ってのは責任があるんだ! 自分勝手に休むわけにはいかないんだぞ!』ってね」

 雪がオーバーな身振りで進のまねをすると、晶子はくすくすと笑い出した。

 「うふふ……その言い方、似てますよ。さすがご夫婦。そ・れ・にっ! 奥様だってお仕事だってなると……」

 「あらっ! んっもうっ、からかって!」

 雪は赤い顔で晶子を睨んだ。どうやら、「仕事の鬼」はここにもいるらしい。普段は定時に帰宅するようにしている雪も、いざとなると時間など忘れて秘書の任務にあたるのを、晶子は何度も目にしている。
 古代家の子供達がすっかりおじいちゃん、おばあちゃんに懐いているわけも、このあたりにありそうだ。

 「うふふ…… じゃあ、今夜のクリスマスイブはご実家の方で?」

 「ええ、守や航がいるからそうしようと思ってるの。パパもいないし、おじいちゃんおばあちゃん孝行でもするしかないわ。晶子さんは?」

 「ええ、うちも藤堂の家の方で…… 義一さんも直接そっちに帰るって」

 「ああ、そう言えば、ひいおじいちゃんも今日は定時上がりの予定だったわね」

 雪がまだ主のいない長官席をチラッと見てから、肩をすくめてくすりと笑った。晶子も同じ仕草をして、ぷっと吹き出した。近々勇退も決まっている藤堂は、もうすっかり晶子の子供にメロメロなのだ。
 そして晶子は、雪の耳元に口を近づけて小さな声で囁いた。

 「でも、雪さんも来年こそは長官秘書権限で古代艦長のスケジュールを調整してくださいませ」

 「あっ、そうね、そうするわ。でも、古代艦長殿には内緒よっ!」

 そう言って、また二人でひとしきり笑った。

 子供達が物心がつく頃には、家族みんなのクリスマスもしてみたいものだと、既に来年に思いを馳せる2児の母、雪であった。


 そろそろ参謀達も出勤し始め、始業時間まであと10分となる。

 「さて、そろそろ業務開始ねっ! 今日も一日がんばりましょう」

 雪が今まで緩んでいた顔をさっと引き締めた時、突然エマージェンシー通信が入った。

 『こちら月面基地。さきほど火災が発生しました!! 爆発の恐れもあるため、至急消火活動を開始しました。被害状況など詳細はまだ不明!』

 まだ全員が揃い切っていない早朝の司令本部は突然騒然となった。出勤したものから、中央司令室に続々と集まっていく。もちろん、やってきた藤堂ともども、雪と晶子もすぐにそちらに移動した。

 「月面基地って…… 今第3艦隊が駐留してるんじゃ?」

 晶子が気遣わしげに尋ねると、雪はこくりと頷いた。

 「……そうなの…… 進さんの艦も今、月面基地にいるはずだわ…… まさか巻き込まれたりしてないわよね」

 「そんな、大丈夫ですよ。火災の規模もわかりませんし、艦の方にいれば問題ないでしょう? それに古代さんに限って」

 「え、ええ……」

 それでも不安になる雪は、晶子たちと一緒に次の報告を待った。進とのコンタクトが取れるまではやはり安心できない。


 しばらくすると、月面基地から続々と後報が入り始めた。

 『火災現場は、居住地区に隣接する第2倉庫。施設の修理の為に溶接作業が行われており、その火花が出荷原因と見られます』

 『怪我人は多数出ている模様。今のところ、死亡者の報告はありません!』

 『火の巡りが早く第3倉庫にも延焼! さらに第3倉庫の入口付近で爆発発生! 爆破で広範囲で壁や天井が破壊され、通路が遮断されました。続く棟地下にある第一研修所に数十人が取り残されている模様です』

 まだ怪我人程度の被害ではあるものの、火災の規模は意外と大きく、月面基地の動揺は激しかった。
 さらに、クリスマスから年末にかけての休暇のため、基地駐在の隊員の数も少なく、消火活動が思うようにはかどらないらしい。

 晶子と雪は、長官のそばで様々な連絡を受けつつ、月面基地の見取り図を見ていた。今のところ、進からの連絡はない。

 「火災現場は、艦隊のいる月面基地のエアポートとは方向が逆みたいですね。古代さんは、きっと大丈夫ですよ」

 晶子が一生懸命に励ますと、長官の藤堂も深く頷いた。

 「雪、古代なら心配いらん。第3艦隊は今日はクリスマス休暇だと言っておったから、どこかでゆっくりしてるところだろう。突然の火災で驚いているかもしれんな。大丈夫だ」

 そんな励ましの言葉に、雪が軽く笑顔を見せた時、再び月面基地からの連絡が入った。

 『現在のところ、負傷者45名、行方不明者約50名。負傷者は倉庫で作業中の作業員が中心です。
 また、行方不明者の多数は第一研究所の所員です。火災の影響で、連絡が取れない状況が続いていますが、なんとか空気は送られていますので、恐らく無事だと思われます。
 これから、こちらで確認した負傷者及び行方不明者の氏名を送信します』

 「了解!」

 通信士が送られてくるデータを即座に大スクリーンに投影した。負傷者の所属氏名と簡単な症状が次々と流れてくる。
 ほとんどが月面基地所属の職員だったが、最後の方で3名の第3艦隊乗組員の氏名も出てきた。2人は軽症だが、1人は意識不明の重傷とある。
 しかし、そのどれにも不幸中の幸いに古代進の名はなかった。

 (そうよね、進さんが月にいるっていうだけで、そんなに心配する必要なんかないのよ。心配しすぎよ、雪……)

 続けて行方不明者のリストが表示される。月の研究所所員達の氏名が続いた。
 雪は、落ちつこうと懸命に自分自身に言い聞かせながら、そのリストを見つめていた。その雪が、凍りついたように顔を真っ青にさせたのは、行方不明者の最後の1人の氏名が現れた時だった。

 『地球外周艦隊第3艦隊所属 レグルス艦長 古代進』


 司令本部内にもざわめきが起こった。晶子と藤堂がさっと雪を見た。他にも森雪と古代進が夫婦であることを知っている者は、一斉に雪の顔を覗った。

 しかし、当の雪はそんな視線に気付く余裕もない。大きく目を見開いたまま、呆然とその画面を見つめていた。

 「うそっ……」

 そう小さく叫んでふらっと倒れそうになる雪を、晶子が駆け寄って支えた。

 「大丈夫ですか、雪さん! きっと何かの間違いです! それに、もしそうでも、たまたま研究所に寄られてて事故にあわれたんですわ! 言ってたじゃないですか、連絡が取れないだけで無事だって! すぐに助かります」

 雪は、真っ青な顔をして片手で顔をおおっていたが、横からかけられる励ましの言葉に、なんとか顔を上げて頷いた。
 しかし気を取りなおそうとした雪を、さらに奈落に突き落とすような報告がされた。

 『なお、最後の行方不明者の古代艦長ですが、研究所内にはいない可能性があります。
 同行していたと見られる同じくレグルス所属の志村乗組員が、爆発の際に飛ばされた壁で頭を強く打って意識がない状態で、ただ今病院に収容されています。
 古代艦長の携帯通信機も志村乗組員の足元に落ちていました。現在探索中ですが、最悪の場合、崩れた瓦礫の下敷きになっている可能性もあるかと……』

 あまりにも衝撃的な内容に、藤堂も絶句する。晶子に支えられた雪の体は、がくがくと震え始めた。

 「まさか、あの人が……」

 それでもなんとか自分を必死に支え続け、震える声で呟いた。そして心の中で叫ぶ。

 (いやっ、絶対に信じられない、信じたくない! 彼がそんなに簡単にどうかなってしまうなんて!)

 手を差し延べる晶子に、大丈夫だからと礼を言ってそっと押しのけ、必死で足を踏ん張って一人で立った。

 (今は私が……しっかりしなくちゃ! まだ何も決まったわけじゃないのよ!! この目で確かめるまでは、絶対に信じない!)

 藤堂は、雪を気遣いながらも、司令としての任務を遂行し始めた。
 万が一のための防衛のための艦隊派遣、救助艇や医者の派遣、負傷者の家族への連絡と、その家族らの月面基地行きの手配など……
 それらを次々と参謀達に指示してから、最後に雪に声をかけた。

 「雪…… 落ちつけ。まだ古代がどうかなったと決まったわけじゃない。あの男は簡単に死ぬような奴じゃないからな」

 「はい…… でも……あの、私も月面基地に行ってもよろしでしょうか」

 「もちろんだ。ここでいるよりも状況が早くわかるだろう。第一陣と一緒に行けるようすぐに手配しよう。支度してもう一度ここに戻ってきてくれ」

 「ありがとうございます。晶子さん、あとお願いします」

 「はい、心配しないで…… さあ、支度してきてください」


 晶子に促されて、雪は駆け足で中央司令室を後にした。
 しかし、落ちつこうと思うのだが、気が動転して何をどうすればいいのかわからない。

 (落ちついて、雪! 落ちつくのよ!!)

 自分にそう言い聞かせて、やっと思い当たって更衣室に駆け込むと、常に置いてある出張のためのバッグを取りだした。長官秘書として急な出張に備えて、いつも数日分の着替えが入ったバッグを用意してあるのだ。
 雪はそれを手にすると、再び廊下に駆け出した。

 そして中央司令室に戻ろうとして、はっと気がついた。今の雪には進の他にも大切な家族がいる。母の本能がそれを雪に思い出させた。

 「そうだわっ! ママに連絡しなくちゃ……」

 廊下で立ち止まって、ポケットから携帯を取り出した。実家の電話番号を押す。ツーコールほどで画面の向こうに母の美里が現れた。

 『あら、雪、今ごろどうしたの? 子供達はちゃんと保育園に連れてったわよ』

 さっき子供を預けにきたばかりなのにと、娘からの電話を不思議そうな顔をしている。雪は進のことを告げようと口を開いた。

 「あのね、ママ、落ちついて聞いてね…… あ、あの……」

 そう言いながら自分が慌てているのがよくわかった。相手にもそれは確実に伝わっている。

 『一体どうしたの!何、焦ってるの? 落ちつかないとけないのはあなたでしょう。ほら、深呼吸して!』

 「あっ、ああ…… はぁ〜すぅ〜 ああ、だから、進さんがっ……」

 『えっ?』

 雪の言葉に、何か悪い予感を感じた美里の顔がさっと曇った。厳しい顔つきで、しかし上手に娘の話を促した。それに誘導されるように、雪はやっとのことで事情を話した。

 『まあっ!…… ええ、わかったわ。しっかりしなさい、雪! 大丈夫よ、進さんはきっと大丈夫だから!!』

 「うん…… 子供達のこと、お願い」

 『それは心配しないで…… 何かわかったらすぐに知らせるのよ!』

 母からの励ましも受けて、雪はもう一度心の中で、しっかり!と叫んでから、廊下を駆け出した。


 雪は、他の行方不明者や負傷者の家族の第一陣と共に、防衛軍の用意した月面基地行きの臨時便に乗ることになり、コスモエアポートへ向かった。
 朝はうっとりと見ていたクリスマスのイルミネーションが、今の雪の目には、ひどく痛かった。

 (今日はクリスマスイブ……本当だったら、仕事を終えてからパパとママと子供達と一緒にご馳走を食べて…… それから、月にいるあの人からメリークリスマスって電話を貰うはずだったのに……)

 雪は、溢れそうになる涙を必死に抑えた。


 そして一時間後、慌しい出航手続きの後、雪は月へ向かう防衛軍の手配した臨時高速艇の中にいた。
 艇の中は異様に静かである。何人かで乗っている家族は小声で話したりもしているが、雪のように一人で乗船している家族らは、皆一様に押し黙ったままうつむいていた。

 乗船してすぐに、司令部の世話係が状況を説明した。怪我人に命の別状のあるものはいないということ、そして行方不明の人間も、ほぼ全員が所在がわかっているし(古代進は除いてということである)、爆発して封鎖してされてしまった通路さえ通れるようになれば無事助けられるだろうという楽観的な説明だった。

 しかし、それにもかかわらず家族の顔色は皆すぐれない。やはり、一目顔を見るまでは安心できないというのが、家族の共通の思いなのだろう
 雪の場合は、特にそれが強い。他の行方不明者と違い本当に所在がわからないのだ。生きているのか死んでいるのか……それとも大怪我をして助けを求めているのか……それさえわからない。
 雪は今はただ祈ることしかなかった。

 (あの人はこれまでもずっと、どんな困難も切り抜けてきたじゃない…… 今度だってきっと……絶対に!! ………… でも、もし……!?)

 大丈夫だ、大丈夫だと言い聞かせても、頭に浮かぶのは最悪の事態だ。その時、自分がどうなってしまうのだろうと思うとやりきれなくなる。

 (守っ!航っ!! あなた達も祈っててね。お父さんが無事でありますようにって、ね!)

 最新鋭の高速宇宙船が月面基地につくまでの所用時間は、2時間余り。雪は、その時間がこれほどまでに長く感じたことはなかった。


 雪たちが到着した時も、月面基地はまだ混乱していた。まだ火は鎮火してないらしい。
 怪我人の家族は、すぐに病院区の方へ案内されていき、行方不明者の家族だけが残される。家族としてはすぐにその場に行きたいのが山々だが、現場近くはまだ危険だということで、離れた別室に案内された。
 そこには、大きなテレビモニターが置かれ、救助の様子が映し出しされていた。雪たちはただそれをじっと見つめるしかなかった。

 画面の向こうでは、どこかの通路が崩れた瓦礫で完全にふさがれているのが見える。その手前で大勢の救助隊員達が、瓦礫の排除を行っている。彼らは、頭から足までを分厚い防護服で完全防備している。恐らく、火災によって発生する噴煙や有毒ガス、火花などを防止するための防護服だろう。

 月面基地の所員が現状を説明し始めた。

 第一研究所は、その研究の性格上、地下に設置されている。火災の影響で、第3倉庫で爆発が発生し床が抜け落ちた。その真下にあったのが、研究所へつながる階段と廊下で、そのため、様々な機材諸共、階下の廊下を埋め尽くしたということだった。

 研究所内に残された所員達の何人かとは連絡が取れたのだが、電気系統がやられ、所内が真っ暗な状態で動くのは危険なため、誰がどこにいるのかはっきりとは掴めない状況だという。
 ただ、空調だけはつながっているため、今のところ酸欠になる心配はないらしい。

 そして、廊下に崩れ落ちた瓦礫の奥行きは10m近くあり、通路をあけるまでにはまだ少し時間がかかるらしい。
 普通に考えるよりも時間がかかるのは、手作業でその瓦礫の撤去をせねばならないからだ。万が一、爆発時に廊下を歩いていて、その瓦礫の下敷きになった者がいてはならないと、機械を使えないのだ。

 それらの説明がなされるごとに、部屋にいる家族達からは、なんともいえないうめき声のようなざわつきが広がる。

 雪の胸にも鋭い痛みが走った。

 (ああ、進さんっ……! どうか、無事で……)


 どこに居るかもわからない進の無事を願い、雪が両手を絡め目を閉じて祈った時、部屋に一人の男性が入ってきた。戦艦の指揮官らしく上級将校の上着と帽子を身に着けていた。
 彼はきょろきょろと部屋の中を見まわすと、うつむいている雪の姿を見つけ、まっすぐに歩いてきた。

 「森さん、あ、いや、古代さんとお呼びしたほうがいいですね?」

 雪は、突然かけられた声にハッとして顔を上げた。涙で少し潤んだ瞳に、制服姿の男性の姿が目に入った。見覚えのある顔だった。

 「あっ、坂口司令…… この度は、主人がご迷惑をおかけしまして」

 雪はすぐに立ち上がって頭を下げた。坂口司令は地球防衛軍第3艦隊を指揮する旗艦の艦長、つまり進の直属の上司である。
 雪は夫の上司としても、また長官秘書としても、彼には何度も会っている。厳しい上にも心配りのできると、まわりの評価も高い人物だった。

 「いや、とんでもない。彼が大変な事態に巻き込まれてしまい、こちらの方が申し訳なく思っています」

 「あの……それで状況は何かわかったんでしょうか?」

 雪の問いには、坂口は顔色を曇らせたまま首を振った。

 坂口の説明は、さっき雪が聞いたものと変わりなかった。ただ、意識不明と言われていた志村という乗組員は、割合症状が軽く、数時間後には意識を取り戻すだろうということで、そうすれば、進の事もわかるかもしれないということだ。
 しかしその数時間が、雪には永遠の長さのように思える。だが今はどうすることもできない。
 ジレンマで表情が曇る雪に対して、坂口は「古代艦長は簡単に死ぬような男じゃないから」と懸命に励ました。

 坂口は、そのまま雪の隣に腰掛け、救助の続くモニターを見つめ続けた。モニターの向こうで救助員達が入れ替わり立ち代り走りまわって作業を続けている。
 それを見ながら、坂口は第3艦隊の乗組員達も、都合のつく者は救助活動に参加していると話した。

 その後も、時間はゆっくりゆっくりと過ぎて行く。雪と坂口の間にもほとんど会話はなく、ただひたすら情報を待ち続けるだけだった。


 作業は救助隊の懸命の作業が攻を奏して、予定よりも早く終り、雪が到着してから3時間後、とうとう瓦礫が取り除かれて、向こう側への入口が開いた。

 「やった!!」

 TVの向こうとこちらで歓声が上がる。さっそく数人の救助隊が明かりを手に、向こう側へ入っていった。
 そしてすぐに、何人もの人を連れて戻ってきた。

 モニターに駆け寄り人だかりになった家族達は、自分の家族がいないかを見ようと必死になっている。
 雪もその片隅で必死に目を凝らした。とりあえずはその瓦礫の下には誰も発見されなかった。それが今の雪には、ただ一つのすがるべき事実だった。

 TVの画面を見ながら、雪はもちろん、どの家族達もいてもたってもいられない心境だった。現場まで駆けつけたい!
 皆の思いが爆発しそうになった時、ドアが開いて係員が入ってきた。

 「みなさん、ご家族の方々が続々と救助されています。火災も収まり、煙や有毒ガスの発生の危険もなくなりましたので、どうぞこちらへ!!」

 係員の案内を待ちかねたように、家族達はぞろぞろと部屋を後にし、現場に向かった。


 現場付近に行くと、助け出された人達が、病院区に搬送され始めたところだった。ストレッチャーに横たわる姿に自分の家族を発見した人々が駆け寄り、それにすがって一緒に歩きはじめる。
 さらに助け出された人たちが連れてこられ、またその家族が駆け寄って消えていく。それが繰り返され、だんだんと雪の周囲の人の数が減っていった。

 そして……

 「研究所に残っていたのは、これで最後の方です!」

 救助隊員の大きな声とともに、初老の男性が助け出されてきた。雪の隣に最後まで残っていたその男性と同じ年頃の女性が、涙ながらに駆け寄ってすがりついた。

 雪の体が凍りついた。

 (これで最後の方……救助隊員は確かにそう言った。じゃあ、進さんは!? あの人はどこに……!!)

 その気持ちを汲み取ったかのように、雪と一緒にいた坂口が代わりにその救助隊員に尋ねた。

 「本当にもう誰もいないのか?」

 すると、救助隊員はかぶっていたヘルメットをはずして、不思議そうな顔をした。

 「というと……? 研究所の部屋という部屋は全部確認しました。所員全員を救助したはずですが……」

 「しかし、まだ我が第3艦隊の古代艦長の姿が見えんのだが!!」

 「えっ? 古代艦長ですか?」

 隊員は、きょとんとした顔で答えた。雪と坂口がその様子に怪訝な顔をすると、彼はさらに平然とこう言ったのだ。

 「古代艦長なら、いらっしゃいますよ」

 その答えに、雪は目をぱちくりさせて坂口と顔を見合わせた。

 (えっ!? 今なんて?)

 そして、その救助隊員はくるりと振り返ると、後ろで後処理をしている隊員の一人に大きな声で声をかけた。

 「古代艦長!!」

 古代艦長――この言葉に、雪がハッとしてその隊員の視線の向こうに目をやった。すると、まだ防護服に身を包んだままの救助隊員の一人がくるりと振りかえった。
 それからすぐに、雪の姿を見止めて叫んだ。

 「雪っ!!」

 その声は、まさしく雪の夫、古代進のものだった。

 「あっ……」

 無事だったと思うと、雪の瞳から見る見るうちに涙があふれ出てきた。そして何かを考えるまでもなく体が勝手に動き出し、まっすぐに夫に向かって駆け出していた。

 突然の妻の出現に驚いた様子の進は、ヘルメットをはずして素顔を見せると、不思議そうな顔で雪を見た。

 「あなたっ!!!」

 進は、涙でくしゃくしゃになった顔で飛び込んできた雪を受け止めながら、驚いた顔で首を傾げた。ここに妻がいることも、なぜぼろぼろと涙を流して駆け寄ってきたかもよくわからないのだ。

 「どうしたんだ?雪。どうして、君がここに?」

 隣にいた救助員もヘルメットをはずすと、びっくりしたような顔で二人を見た。

 「奥様ですか?」

 「あ、ああ…… 今は地球にいるはずなんだが……」

 雪には、頭ごしでされる男たちのそんな会話も聞こえない。泣きじゃくりながら、ばかばか……と小さな声で呟き続けた。

 そこに後ろから月面基地の職員と坂口が駆けつけた。職員が進に尋ねる。

 「第3艦隊の古代艦長ですか?」

 「ああ、そうだが……?」

 「ああ、よかった。これで全員確認できました」

 ほっとしたように笑顔をみせる職員と隣には自分の上司。彼もニコニコと笑っている。さらに胸元では、妻がまだ泣きじゃくっている……

 進は狐につままれたような顔で、その3人を代わる代わる見まわした。

 「一体、どういうことになっているんだ?」


 泣きやみそうにない雪に代わって、説明はもっぱら坂口の仕事だった。そして……

 「そうだったのか、志村が…… 話が伝わってなかったわけなんですね」

 進は坂口の説明にようやく納得し、やっと落ちついて顔をあげた雪を気遣わしげに見てから、苦笑した。
 そして、これまでの事情を説明し始めた。

 第3艦隊は、この日休養日に当たっていて、各艦の当直を除いて、月面基地で自由時間を過ごすことになっていた。
 そこで進は、一汗かこうとかわいがっている若い乗組員志村を連れ、射撃訓練場を訪れた。
 その帰り道、倉庫群付近を歩いている時に、火災が発生し現場に駆けつけた。すると消防士や救急隊員が必死に消火救助活動をしている。
 人手が足りないのを見て取った進は、そのまま残って救護隊を手伝うことにし、志村にそのことと、さらに応援できる人間がいれば派遣して欲しい旨を、艦隊司令に伝えてくれるように頼んだ。

 その場で通信を送るのは、緊急事態の通信網に影響を及ぼすと困るということで、少し離れてから連絡するようにと志村に指示し、通信機を持ってきていなかった志村に、自分の通信機を渡した。

 志村は、それを受け取って艦隊に戻る途中、運悪く崩れた壁の破片を頭部に受け、脳震盪を起こしてしまい、進の動向を伝えられなくなってしまったということだった。

 雪たちがずっと見ていた画面の向こうで、進は救護隊と一緒に作業をしていたらしい。しかし、煙と光線防止のための防護服を着ていたため、誰も彼だとは気付かなかったのだ。
 人員不足で混乱していたこともあって、全くもってタイミングが悪かったと言うしかない出来事だった。

 後で聞いてみればなんのことはないのだが、雪にとっては生きた心地のしない半日だった。

 「ご心配をかけて申し訳ありませんでした」

 説明を終えた進が、坂口に深々と頭を下げると、

 「それは奥さんに言った方がいいぞ」

 と坂口はほっとしたように笑った。
 進がそれに照れ笑いをしながら、まだ胸にすがり付いている妻を見ると、雪も恥ずかしそうに笑顔で「いいの、でもよかった……」とだけ言った。


 その後、地球の司令本部にも、進の無事を伝えた。ことの顛末を聞いた藤堂や晶子たちは、ほっとするやらおかしいやらで苦笑している。

 「とにかくなんでもなくてよかった。こっちも特に問題なくやっている。君の方で構わなければ、今日はそっちに泊まって、明日戻ってきなさい。部屋の手配はこちらからしておくから」

 藤堂の粋な計らいで、雪は翌朝の便で地球に戻ることになった。

 「ごゆっくり……」

 晶子が画面のすみから笑顔でウインクを送ってきた。

 続いて、雪の実家にも連絡をいれた。画面が開くなり、両親が画面にかぶりつくように出てきた。そして、雪とその隣に進の姿があるのを見て、母の美里は半泣きで二人の名を呼び、隣の父晃司も嬉しそうな声をあげた。

 「雪っ! 進さん!!」 「古代君! 無事だったか、よかった!」

 「随分ご心配おかけしまして申し訳ありませんでした」

 進が頭を下げて事情を説明すると、美里は画面の向こうで、すとんと座り込み、晃司は、わははと声を出して笑った。

 「ああ、これで安心して子供達を迎えに行けるわ。もうすぐお迎えの時間なのに、どんな顔で迎えに行こうか本当に困ってたのよ…… ああ、よかったわ」

 すっかり安心して顔の緩んだ美里は、心から嬉しそうだ。

 「ええ、お願い…… それで、ママ…… 今日こっちに泊まってもいいかしら? 色々とお世話になった方に、ご挨拶しなくちゃならないし」

 「ええ、いいわよ。子供たちも慣れてるから心配しないで。私達は4人で楽しくクリスマスパーティするわ、ね、おじいちゃん! 今夜はもう連絡してこなくていいから、あなた達はどうぞご・ゆっ・く・りっ!」

 「そう言う意味じゃ…… ん、もうっ!」

 いつものごとく、母にからかわれて二人は真っ赤になった。それを見て笑う晃司の声もとても明るかった。


 その後、古代夫婦と坂口は病院区へ向かった。既に志村の意識が戻っているという。さっそく3人は病室へ向かった。

 病室で元気な様子を見せた志村は、進と坂口に心配をかけて申し訳ありませんと頭を下げた。さらに、坂口が進の行方不明事件の事情を説明すると、志村は真っ赤な顔になって、また平謝りに謝った。
 特に雪には、心配かけて申し訳ないと起き上がって土下座しそうになり、ベッドに押し留めるのに大変だった。

 ようやく抑え込まれて再び横になった志村は、それでもまだ申し訳なさそうに呟いた。

 「あの時、僕が通信機を持っていれば、艦長のを借りる必要もなかったんです。そうすれば、こんな風に奥さんを心配させなくてすんだのに……」

 「いいの、いいのよ、志村さんが謝ることじゃないのよ。ほかにも通信手段がなかったわけじゃないし、自分で報告してから手伝えばいいのにねぇ。
 もうっ、この人ったら、昔っから思い立ったらすぐに、後先考えないで動いてしまう人なんですもの……」

 思わず雪がため息と共にもらしてしまった言葉である。それを聞いて坂口も当の進も、苦笑するしかなかった。


 話を終えて病室を出ると、進と雪はもう一度改めて坂口に頭を下げた。

 「本当に今回はご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」

 「いやいや、さっきも言った通り、たまたま不運が重なっただけのことだ。なんでもなかったのだし、気にしなくていい。ただし、奥さんにだけは随分心配かけたんだから、しっかり謝った方がいいな」

 坂口は、さっきまでの緊迫していた時の表情とは全く違う柔和な笑みを浮かべ、雪をちらりと見た。

 「はい」

 「いえ……そんな」

 坂口は、照れたような恥ずかしいようなそんな顔をする二人の姿を好ましそうに見た。

 「まあ、とにかく今夜はゆっくり休むといい。艦の方は特に問題もないのだろう?」

 「はい、さっき留守番役の赤月副長に連絡をいれましたが、変わったことはないとのことでした」

 「うむ、ならちょうどいい。今夜はクリスマスイブだ。残念ながら飾りや豪華な料理はそれほどないが、基地の方で泊まって、少し奥方孝行でもしなさい」

 坂口が意味深な顔でニヤリと笑った。

 「は、はぁ……」

 「あらっ……」

 進がちらっと隣の雪を見ると、雪の方も進を見上げていた。目線があって赤くなる二人を見て、坂口はさもおかしそうに笑った。

 坂口と別れた後、進と雪は外来者用の宿泊施設のある区域に向かった。この区域の部屋は、進たちが通常宿泊する宿舎とは別で、ホテルのような形式になっている。
 雪がフロントで名前を告げると、部屋番号を示したキーを渡された。案内板で部屋番号を探すと、通路の一番奥が二人の部屋だった。

 「行くか……」 「ええ……」

 二人は並んで廊下を歩いた。そして部屋に入ると、二人は思わず同時に声をあげてしまった。

 「わあっ」 「まあっ!!」

 ちょうど端に位置するため、その部屋は二方向がほとんど全面ガラス張りになっていた。それも天井近くまで弧を描いておおうような大きなガラス窓で、宇宙の星々がプラネタリウムのように美しく輝いて見えた。
 さらに、その真中あたりには、ぽっかり浮かんだ地球がその美しい姿を見せている。ただ、今はまだ地球の夜の地域に月が入っているらしく、青い地球ではなく、真っ暗な中にキラキラと地上のきらめきが僅かに見えていた。

 二人とも、宇宙船からは何度も見たことはあるが、こうしてプライベートな時間にこのような部屋から見るその光景は、また格別なものがあった。

 しばらくそれを眺めた後で、進はシャワーを浴びてくると言ってその場を離れた。シャワールームへ向かう夫の背中を、雪はじっと見ていたが、何か思い立ったように小走りで追いかけて、すっと夫の腕を取った。

 「わたしも……」

 二人は互いの顔を見合わせてニコリと笑った。


 シャワーは割とおとなしく――旦那の方は、少々「おいた」もしたけれど――浴び終え、さっぱりして部屋に戻ってくると、進はソファーにどっかりと腰掛けた。

 「ふうっ…… やっぱりちょっと疲れたな」

 雪も隣にちょこんと座って、愛する夫の胸にそっと体を寄せた。

 「休暇どころじゃなかったわね、お疲れ様。でも…… 本当によかったわ。一時はどうなることかと思ったわ」

 雪はあったかくて厚い胸に顔をすりつけた。そこが雪にとって、いつも一番落ち着ける自分の居場所なのだ。

 「ははは…… 心配かけたことは謝るよ。本当に申し訳なかった。しかし、まさか通じてなかったとはなぁ〜」

 今日のことを思い出して、さもおかしそうに話す夫の顔を、雪は眉をしかめてぎっと睨んだ。

 「んっ、もうっ! あなたはいつもそうなんだからっ!」

 雪は睨む姿も美しいなと、進は思う。それと同時に、航海に出た日の妻の表情も思い出した。クリスマスにも会えないのね、と寂しそうに送り出したあの寂しそうな顔を……

 「でもよかったじゃないか。クリスマスイブに会えてさ」

 しかし、それがまた妻の顔を険しくさせた。

 「もうっ!! だから、そう言う問題じゃないでしょうっ!! ほんと死ぬほど心配したんだからぁ!」

 「ほんとに?」

 怒った顔から今度は半泣きになる妻の表情の変化を楽しみながら、進はそのころころ変わるかわいらしい顔を覗き込んだ。

 「そうよ! こっちに来る宇宙船の中では、最悪のことばっかり思いついちゃうし……」

 「最悪のこと?」

 「あなたがもし……死んじゃったら……私どうしよう、とか…… 守は泣くだろうなとか、航はパパのことはなんにも覚えてないんだろうなって……そんなこと考えたらどうしようもなく悲しくて、悲しくて!!」

 「オーバーだな」

 「オーバーじゃないわっ! ほんとうに、ほんとうにもうっ……」

 すっかり涙を溢れさせた瞳で妻が訴える声を止めるべく、進はぐいっと抱き寄せると、こぼれ出した涙の絡まった唇に自分の唇を押し付けた。

 「んっ……んんっ!」

 まだ名にか言おうとしていた口をふさがれて、最初は体ごと抵抗していた雪も、その熱いくちづけにだんだんとおとなしくなり、そして……最後はそれに答え始めた。

 胸を叩いていた腕は、自然と夫の首筋にしっかりと巻きつけられ、いつもよりもずっと強く力をこめられた。
 もし何かあったら、もう二度と抱き締められなかったかもしれないと思うと、夫へのいとおしさがさらに増してくる。

 すがりつく雪の体をしっかりと受けとめて、進も負けないほど強く抱き締めた。そして、妻の柔らかで熱い唇を、なんどもなんども味わい尽くすように舐めて吸った。


 しばらく愛撫を続けていたが、やっと満足したのか二人は自然にすっと離れた。ほんの少し距離を取ると、互いの顔を見つめて微笑みあった。

 進は、涙がおさまり頬を上気させている妻の顔を、両手でそっと包んだ。

 「心配性だな…… それでよく宇宙戦士の女房やってられるもんだ」

 「だって…… こんなこと、結婚してから初めてだったし…… あなたは……私のたった一人の……大切な旦那様なんですもの」

 「雪…… ありがと。それから、メリークリスマス……」

 そしてチュッとついばむようなキスをしてから、進はおどけた顔で言った。

 「さて、今日はうんと奥様にご奉仕させていただきますぞ! なにせ、上官命令ですからなぁ」

 「んふふふ…… ほんと?」

 雪が嬉しそうに、くすくすと笑う。その耳元に進は口を近づけてもう一度そっと告げた。

 「ああ、奥方は何がお望みですかな?」

 「うふん、じゃあ…… 頭の上から足の指の先まで、ぜ〜んぶにいっぱいキスしてちょうだい」

 雪のすっかり甘えた声が、そう告げた。

 「りょう……かい! 途中何箇所かは特に念入りに……だな!」

 「うふふふ……」

 猫のように嬉しそうに喉を鳴らす妻を、夫は抱き上げた。そして、大きなベッドにそっと降ろすと、上から覆い被さった。

 静かな月の世界の夜。その部屋には微かな衣擦れの音が漏れ始めた。さらに、吐息、喘ぎ声、荒い息、くすくすと笑うかわいらしい声も聞こえる。
 秘めた睦言が部屋の中で、時に小さく、時に少しばかり大きく、夜遅くまで聞こえ続けていた。

 どれくらいの時がたったのか…… 二人はすっかり満足して、広いベッドの中で、互いの裸の体を絡み合わせながらまどろんでいた。
 雪が進の顔をそっとなぞると、進はその手を掴んでキスをした。

 「だけど……本当にとんでもないクリスマスイブだったわね」

 「全く…… けど、誰も命にかかわる怪我もしなくてよかった。不幸中の幸いだったな」

 「あなた達が頑張ってくれたおかげね」

 「ははっ、その代わり、君には大変な思いをさせてしまったけど……」

 「もういいわ。だって、私宇宙戦士の妻ですもの。こんなことくらい……」

 あの泣きじゃくっていた姿はどこへやら、雪はすっかり立ち直っている。これも夫の奥方孝行が功を奏したのだろうか。

 「それに、これからだって何度もありそうですもの」

 覚悟を決めたとばかり雪が微笑むと、進も声を出して笑った。

 「あっはっはっは…… 覚悟してろ。けど、俺はそう簡単にくたばったりしない。俺には君や子供たちがいるんだから…… 必ずみんなのところに帰ってくるよ! いいな」

 「ん……」

 ぎゅうっと抱き締めあって、もう一度互いの熱い体を感じあった。それから、進が急に体を起こして外の方を見た。

 「おっ、ほら、雪、窓の外見てみろよ。地球から太陽が昇るところだぞ!」

 雪も頭を上げて外を見た。

 「まあっ、きれい…… クリスマスツリーもイルミネーションも何もないけれど、青い地球はどんなイルミネーションより美しいわ」

 「ああ、そうだな…… 外から見る地球の美しさ。何度見ても飽きないよ。これが最高のクリスマスイルミネーションだ」

 「そうよね、この美しさ……もう二度と失いたくないわ」

 「ああ…… なあ、雪。今度、子供たちも連れて、この青くてきれいな地球を見に来ようよ」

 進の提案に、雪は笑顔で頷いた。

 「ええ、そういう月旅行なら何度でもOKよ!! 今日みたいなのはもう二度と願い下げですけど……ねっ」


 翌朝、二人揃って地球へ通信をいれた。画面の向こうの両親の姿に大喜びする子供達に、月の父と母は、満面の笑みを浮かべてこういった。

 「守!航! メリークリスマス!!」

おわり

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(背景・イラスト:Holy−Another Orion−)