Departure〜彼らのスタートライン〜
1.生 還
Chapter4
(1)
佐伯綾乃と江本絵梨は、島のストレッチャーを押して第一外科病棟に戻ってきた。地下都市に避難していたスタッフの一部が既に患者を連れて戻りつつあるようで、第一外科の周囲は騒然としていた。
二人はその間を抜けて、島を集中治療室に連れて行き、点滴や様々なチェックのための装置を、彼の体に装着した。
「ふう〜っ」
作業が完了すると、絵梨が安心したように大きく息を吐いた。そして、モニタに映し出される心拍数などのデータをチェックした。今のところ異常は見られない。全てのデータが許容範囲内にあった。
「島さん、落ち着いてるみたい。綾乃、よかったね」
「ええ…… でもまだこの1、2日が山なんでしょう」
綾乃が心配そうに島の顔を見た。地球に戻って来て以来、彼の表情はまるでぐっすり眠っているかのように、全く動かなかった。
今はまだ麻酔が効いている。だがそれが切れても目を覚まさなかったら……
(もしこのまま島さんの目が開かなかったら…… ううん、そんなことない!絶対にそんなこと……!!)
綾乃は、思わず最悪の事態を想定してしまう弱気な自分を奮い立たせた。その綾乃の思いを感じたのか、絵梨も励ましの言葉をかけた。
「きっと島さんなら大丈夫よ。あんなひどい怪我をしながら、ちゃんと地球まで生きて戻ってきたんですもの」
「そう……よね?」
「そうよ!あなたが信じなくてどうするの?」
「うん、そうよね!そう信じてる!」
「その調子っ!! さ、とりあえずナースステーションに戻りましょう」
「ええ……」
絵梨が綾乃の背中をドンと叩いた。絵梨が先に部屋を出た。彼女が立ち去ってからも、綾乃はまだ名残惜しそうに島を見ていたが、ほぉっと小さなため息をつくとやっと部屋を後にした。
(2)
廊下に出ると、ちょうどそこに、進と雪そして佐渡が来ていた。島の家族は、希から術後の説明を受けているらしい。
綾乃は少し言葉を交わしてから、疲れの見える進たちを、島に何かあったら必ず知らせるからと帰るよう促した。
「ありがとう、綾乃も無理しちゃだめよ」
雪は綾乃の手をぎゅっと握りしめてから、進と一緒に帰っていった。疲れた体をさりげなく労わりあうように、寄り添って歩く二人の後姿を見送りながら、綾乃は心が温かくなると同時に、うらやましさでいっぱいになった。
(雪たちは、いいわね。二人がとっても強い絆で結ばれてるっていうのがよくわかるわ。本当に心から愛し合ってるのね、あなたたちは…… 何があっても二人で寄り添っていけるのよね。今度こそ、きっと幸せになってね。
でも、私は……)
さっき島の手術の時にひとり熱くなっていた自分をふと思い起こす。彼に思いも伝えられず、宙ぶらりんのままの自分の気持ちが少し悲しい。
(彼は私のことなんか、なんとも思ってないかもしれないのに……)
雪にいつも相談していることもあって、進や雪は綾乃の島への思いをよく知っていた。
だから、今までも綾乃が島と出会える機会を何度となく作ってくれた。それに誘われると、島も嫌がらずに付き合ってくれてはいた。だが……
(島さんはきっと私の気持ちに気付いてるはず。そうでなくても雪たちが黙ってないと思う。なのに、島さんが友達以上の態度で接してくれないのは、私の気持ちに答えられないから……? それともあの人のことがまだ忘れられないの?)
テレサのことで傷ついた島を見たときから、自分の気持ちはじっと胸の奥にしまって、ひっそりと彼を思うことにした。
けれど、それからもう3年になる。ただ片思いを続けるには、とても長い年月だった。
愛し愛され二人で生きている進と雪を見ていると、一方通行の恋を何年も続けている自分が情けなくなる。瞳のなかにじわりとわきあがってくるのがわかった。
(なんだか疲れちゃった…… もう…………やめちゃおうかな…… これ以上思い続けたって、悲しいだけだもの。もう、潮時かも……
今回の島さんの怪我が治るまでは、一生懸命精一杯看病しよう。私の恋の最後の思い出のために……
そして……彼が元気になったら…… そうしたら、中央病院(ここ)やめて家に帰ろうかな)
綾乃は地方出身で、看護師になってからは東京メガロポリスのマンションでひとり暮しをしている。実家の両親からは、戦火が起こるたびに、ひとり暮しは心配だから家に戻って来い、とせっつかれていた。
だが今までは、この病院の仕事も気に入っていたし、島のこともあって、ずっと拒み続けていたのだ。
綾乃は、不完全燃焼し続けている自分の思いになんらかのけりをつける気持ちになっていた。
雪たちが廊下の角を曲るまで見送ってから、綾乃はナースステーションに入った。
(3)
綾乃たちがナースステーションで、地下から戻ってきた第一外科の婦長に報告をしていると、手術の経過を説明し終えた希が戻って来た。
「江本さん、佐伯さん、ご苦労様」
「こちらこそお疲れ様でした」
二人が頭を下げると、希は婦長に軽く会釈してから、島の容態を尋ねた。
「どう、患者さんの様子は?」
「はい、今のところ変化はありません」
「わかったわ。二人とも本当にお疲れ様。ナースステーションで引継ぎを終えたら、ゆっくり休んでね。婦長よろしいですね?」
「ええ、そのつもりです。間宮先生も、江本さん佐伯さんも本当にご苦労様。あとは私達に任せて休んでください」
婦長からねぎらいの言葉を貰い、絵梨は嬉しそうに「はい」と頷いたが、綾乃はすぐには頷かなかった。希の方を見ると、すがるような目で尋ねた。
「あの、間宮先生は?」
「私はもう少し様子を見ているわ。医療スタッフもまだ揃っていないし……何かあっても困るから」
「じゃあ、私も残ります。残らせてください!」
希のその言葉を待っていたかのように、綾乃はきっぱりと宣言した。綾乃は、さっきの決意のように、彼が元気になって退院するまでは、できる限りのことがしたかった。
「佐伯さん?」 「まだ心配?」
状況がわからない婦長の声と、希の声が重なった。綾乃は希の顔を見て答えた。
「……はい」
「……正直ね」
希が苦笑した。
「あなたの気持ちはわかるわ。いいわ、婦長がOKならどうぞ。ただしあなたまで倒れないようにしてちょうだいね」
希と綾乃が婦長の方を見た。婦長は首を傾げながら二人を見比べていたが、そばにいた絵梨の耳うちで状況を把握したようだ。
「そうですか、わかりました。今はまだ看護師が揃ってなくて忙しいし、その申し出はありがたいわ。体と相談しながらお願いするわ」
「はいっ、ありがとうございます」
綾乃は安心したように微笑んで、頭をぺこりと下げた。
「ただし、患者は一人じゃないこと忘れないでね、佐伯さん」
「はい、忘れません」
婦長の一言に、綾乃は少し頬を染めてしっかりと頷いた。
(4)
少し休憩しなさいと婦長に促され、綾乃は外の空気を吸おうとナースステーションを出た。と、ちょうど集中治療室の前に、島の家族―両親と弟の3人―がきていた。
3人は廊下からガラス越しに、中で眠る島をじっと見つめている。
が、出てきた綾乃を目ざとく見つけた次郎が、彼女の名を呼びながら嬉しそうな顔で駆けつけてきた。
「綾乃お姉ちゃん!」
「あら、次郎君!」
綾乃が次郎に微笑みかけていると、後ろから島の両親も近づいてきた。
今は息子の怪我の心配でひどくやつれてはいるが、二人とも穏やかな風貌の夫妻である。
エリートサラリーマンの父親と仕事を持ちながらも家庭をとても大切にする母親。島が両親を尊敬し大切に思っているのは、彼の話を聞いているとよくわかった。
綾乃は、島の前の入院の時に、主に次郎を介して両親とも親しくなった。それに入院中は、心を閉ざした島の様子を心配する母親の思いを、何度も聞いてやったこともあった。
黙って話を聞いてくれる優しい看護師として、母親の心に残ったのは事実だ。
その後、島が元気になってからも、進や雪たちと一緒に次郎のサッカーの試合の応援に行き、両親ともよく挨拶を交わした。
いつだったか、母親が、島に綾乃と付き合ってれるのか、.と尋ねたことがあった。だが、島はちょっとムッとした顔で「ただの友達だよ」と答えた。
するとまだ小学生の次郎が、横から「だめだよ、兄ちゃん。綾乃お姉ちゃんは、僕が大きくなったら、お嫁さんにするんだもん!」と叫んだ。
そのませた熱愛?宣言を聞いて、そうかそうかと爆笑する両親と、「ははは」と笑う顔が微妙にひきつる大介がいた。
以来、両親が島に綾乃とのことを尋ねることはなかったが、綾乃のことを「『息子』のガールフレンド」として認識していた。
「佐伯さん、お疲れ様でした。大介の様子は変わりないですか?」
父親が綾乃を労わるように微笑みを浮かべて尋ねた。
「はい、大丈夫です。今はまだ麻酔も効いているのでぐっすり眠っています」
「そうですか…… 佐伯さんにはいつもお世話になりっぱなしで、本当にありがとうございました」
その言葉とともに、二人は深々と頭を下げた。恐縮した綾乃が慌てて言葉を加えた。
「い、いえ……私は何も…… お礼は間宮先生に言っていください……」
「もちろんよ、先生にはさっき何度もお礼を言わせていただたいわ。それでもまだ足りないくらい…… でも、先生はまだ……目を覚ますまでは、予断を許さないって…… やっぱりそうなの?」
母親がすがるような目つきで綾乃に尋ねた。
「え、ええ…… 先生がおっしゃったのなら、その通りだと思いますけど、でも私、絶対大丈夫だって思っています! 私はそう信じてます」
「そうね、そうよね。ありがとう、綾乃さん。ねえ、あの部屋の中で……大介のそばにいてやれないの?」
「それは…… あの中は滅菌処理してありますので、一般の方に長時間入っていただくわけにはいかないんです。それにこちらは完全看護ですから、ご心配には及びませんわ」
看護師としての綾乃が規則的な答えを返した。だがそれと同時に、そばにいてやりたいと言う母親の気持は痛いほどよくわかっていた。自分自身が全く同じ気持ちなのだから。
「でもね、ここで窓越しにしか見ていられないのが辛くて…… あっ……」
まだ納得できずに訴えようとした母親が、急に目がくらんだようにくらりと体を揺らした。慌てて隣の父親がその体を支えた。
綾乃も慌てて手を差し伸べた。
「島さんっ!大丈夫ですか?」
頭に手をやったまま、青い顔でうつむいたままの妻に代わって、島の父が答えた。
「ちょっと疲れが出ているようなんですよ。大介の負傷の連絡を聞いてから一睡もしてなくてね」
「まあ、そうなんですか。それじゃあなおさら、一旦お帰りになって休まれた方が…… 私、島さんが目を覚ますまでずっとここにいますから」
「でも綾乃さんもずっとじゃ大変でしょう? それに病院のシフトがあるんじゃ?」
綾乃がずっといると聞いて少し安心したのか、母親が顔を上げた。
「あ、いえ…… まだ地下に避難した看護師の方達が戻ってきてなくて……だから交代要員がいないんです。島さんに何かあったらすぐご連絡しますから」
するとそれまで黙って聞いていた次郎が、心配そうな顔で尋ねた。
「綾乃お姉ちゃんは疲れてないの?」
「ん、大丈夫よ。お姉ちゃん、体力だけは自信あるのよねえ」
綾乃が次郎にニコリと笑ってそう答えると、次郎も元気よく答えた。
「僕もあるよ!」
「うふふ…… 次郎君がもうちょっと大きかったら付き合ってもらうんだけどね」
「ちぇっ……」
「うふふ、だからどうぞ、みなさんは帰って少し休んでください」
「でも……」
母親がガラスの向こうの島の姿を心配そうに見た。だが、父親の方が決意したようだ。息子のことも心配だが、妻の体も大切だ。
「母さん、帰ろう。君まで倒れたら俺たちが困るんだよ。それに、綾乃さんがいてくれるんだから心配入らないだろ? ずっと様子を見てくれるっていうんだから。綾乃さんがいてくれれば安心だよ」
父親の諭すように、しかし有無を言わせぬようなきっぱりとした口調に、母親もようやくそれに従う気になったようだ。
「……ええ、そうね。綾乃さん、どうかよろしくお願いします」
「明日の朝、また来ます」
島の両親と次郎は、そう言って頭を下げて帰っていった。綾乃も挨拶を返し、帰っていく3人を見送った。
(島さん、早く目を覚ましてね。ご家族のためにも……私のためにも…… 私、あなたが元気になるまで一生懸命頑張るわ。あなたへの思いを全て込めて…… その後さよならをする前に……)
(5)
綾乃は廊下からもう一度島の姿を見た。ガラス窓の向こうでは、島が酸素マスクをつけ、多くのチューブにつながれたまま眠っている。手術の前も最中もそして今も、彼はピクリとも動かない。
ベッドの隣には心拍数や脳波などのデータが表示されている。ピッピッという音をたてて規則正しく振れる波線だけが、島が今も間違いなく生きていることを示しているようだった。
(島さん…… がんばって……)
窓ガラスに張り付くように中を見つめていた綾乃の背中を、ぽんと叩く人物があった。
「佐伯さん、休むんじゃなかったの?」
「あっ、間宮先生……すみません」
慌てて振り返ってばつが悪そうにする綾乃を見て、希はくすくす笑った。そして綾乃の肩をそっと押すように歩くことを促した。
「ふふふ…… さ、仮眠室へ行って休みましょう」
「はい……」
(6)
仮眠室に向かう廊下を歩きながら、希は綾乃を見た。綾乃は、深刻な面持ちで押し黙ったまま歩いている。希は前を向いたまま、小さなため息をついた。
「よく我慢したわね」
突然かけられた声に驚いたように綾乃は顔を上げた。
「えっ? いえ、そんなこと…… ご迷惑をおかけしました」
手術中の失態を思い出して綾乃が軽く頭を下げると、希はニコリと笑って首を左右に振った。
「ううん、そんなことないわよ、助かったわ」
それから希は、綾乃の顔を覗き込むように見て、いたずらっぽく口元を緩めた。
「ところで佐伯さん、どうして彼にまだ告白してないの? 江本さんに聞いたけど、もう何年も片思いだって」
不意を突かれた質問に綾乃の頬が赤く染まる。
「えっ、あ……いえ」
「ふふ…… でも、あなたらしくないと思うんだけど。中学生じゃあるまいし、あなたってそんなに引っ込み思案だったかしら? それともやっぱり彼の方から告白してもらいたいの?」
綾乃がちらりと視線を横に向けると、希の瞳が答えを聞きたいと言っていた。
「そういうわけじゃ……」
そこまで言って綾乃は立ち止まってうつむいてしまった。
その様子に、希はまずいことを聞いてしまったかと、話題を変えようとしたとき、綾乃はまた口を開いた。
「彼には……好きな人が、いたんです……」
ゆっくりと顔を上げ横の希を見上げる綾乃の表情は、そのショッキングな言葉につかわないほど無表情だった。希には、それが逆になぜかひどく痛々しく思えた。
「あ…… ごめんなさい……悪いことを聞いたわ」
眉をしかめ慌てて謝る希に、綾乃は寂しげに微笑むと、再び顔を前に向けて歩き始めた。希も黙ってそれに続いた。
すると綾乃は前を向いたまま、独り言のようにつぶやいた。
「でも……その人はもう、亡くなりましたけど……」
「えっ!!」
希が驚いて足を止めたが、綾乃は歩みを止めなかった。後ろで驚いているだろう希の顔を見ることもなく、前を向いたまま話を続けた。
「彼はきっと今も……その人のことを……思い続けてるんです。だから、私は……私には……」
込み上げてくるもので声が詰まり、綾乃には続きを話すことができなかった。
希とて、すぐに適切な言葉を選ぶことができず、二人はしばらく無言のまま歩き続けた。
そしてほどなく、二人は外科病棟の廊下の端にある仮眠室の前に到着した。
(7)
そこは女性専用の仮眠室になっていた。部屋は、なんの飾り気もないベッドが6つと、小さな食器棚―脇には飲み物が出せるようになった給湯システムがついている―とテーブルがある他は何もない、ごく簡素なつくりだった。
二人が入ったときには、その部屋には誰もいなかった。
希はすぐにはベッドに入らず、無言のまま給湯システムの方へ歩み寄ると、コーヒーを2人分用意してテーブルに置いた。そして綾乃にも座るように手で示し、綾乃も黙ったままそれに従った。
二人とも口を開くことなく、コーヒーを2、3口すすった。綾乃は沈んだ様子で今にもため息をつきそうな顔をしている。一方、希は何か考えごとをしているいるかように押し黙ったままだった。
しばらくしてその沈黙を破ったのは希だった。小さくふうっとため息をつくと、コーヒーの入ったコップをじっと見つめた。それから、ゆっくりと顔を上げて綾乃を見た。
「そう……だったの。その亡くなった方って、ガミラスの攻撃で?」
希の質問に対して、綾乃はコップをテーブルに置いて顔を上げたが、すぐには答えなかった。しばらくにらみあうように互いを見ていたが、綾乃が不意に希から視線をはずした。
「いえ…… 白色彗星の……」
「3年前か……」
希がポツリとつぶやいた。綾乃はふと不思議な感覚に襲われた。その顔がいつになく寂しげに見える。何か希にも思う事があるのだろうかと、綾乃は思った。
「あの?」
それが何なのか尋ねようと、綾乃が口を開くと同時に、希も話を始めた。
「私もね…… 忘れられなかったのよ、ずっと…… 死んだ婚約者のこと……」
「あ……」
それを聞いて綾乃ははっとした。さっきの彼女の寂しげな顔はこのためだったのだと気付いた。
(そうだったわ…… 間宮先生の婚約者の方って、防衛軍の宇宙戦士だったんだわ)
綾乃は、希の婚約者がガミラスとの冥王星会戦で戦死したことを、以前雪から聞いたことがあったのを思い出したのだ。
(そうか…… 間宮先生も、島さんと同じ思いをされたんだ……)
彼が乗っていたのが、奇しくも進の兄の艦「ゆきかぜ」だったため、たまたま任務で進の艦に乗ることになった希が、進と連れ立ってタイタンで「ゆきかぜ」を見るために一緒に出かけたことがあった。
それを綾乃が誤解したことで、進と雪の間でちょっとした騒動があったのだ。
(※拙作『幸せへの軌跡〜進と雪の婚約物語〜』参照)
その騒動のあと、雪から事情を聞いて驚いたことを、今思い出した。その時、いつも明るく美しく颯爽としている希にある隠された悲しみを見たような気がした。
だが、希本人の口から直接聞いたのは、今日が始めてだった。
(8)
「ヤマトが立つ前のガミラスとの戦闘だったから、もう5年前になるのよね……」
希はそう言ってから、大きくほぉ〜っとため息をついた。
「やっぱり、まだ忘れられない……んですか?」
綾乃は恐る恐る尋ねた。島に聞くことのできない問いの答えを、代わりに希から聞けるのではないかと思った。だが反面、期待と不安が入り混じる複雑な気持ちになった。
「そうね、まだ忘れてないわ。ううん、一生忘れないと思う」
希は間髪をいれず即答した。と同時に、綾乃の顔が強張る。
心から愛した人のことはやはり簡単に忘れられるものではない。まるで島からそう宣告されたような気がした。
綾乃は、希に動揺を悟られないように視線を下に落とした。すると希は、綾乃のそんな気持ちを察したように、寂しそうなしかし優しい瞳で微笑んだ。
「でもね…… 彼のことは忘れられないけれど、今はもう……思い出になったと思うわ」
「そう……ですか」
うつむいたまま答えた綾乃の返事は重かった。本当にそうなのだろうか、と疑問がわく。自分への同情からそんなことを言っているのかもしれないと思うと、その言葉を素直に受け取れないのだ。
しかし希はさらに話を続けた。
「私もね、彼が死んでから3年ほど経ったとき、ある人と出会ったの。もしかしたらその人のこと、愛せるかもしれないって思った……
だけど……色々事情があって、結局ふんぎれなかったの。今はあなたを愛せないって、そう言ってしまった。
そしてその人もまた……暗黒星団の攻撃の時に亡くなってしまったのよ」
「!!」
(9)
淡々と話す希の話をじっときいていた綾乃だったが、希が愛する人を再び失ったという話には、ショックを受けた。
「正直今は少し後悔してる。もしその時その人とまっすぐに向きあってたら……私が彼と一緒に歩く気持ちになってたら、彼には違う人生があって、もしかしたら死なずにすんだかもしれないって……そう思うこともあるのよ。
ふふっ、私って男運ないみたいね。愛した人二人も死なせちゃって……」
「そんな……」
二人は顔を上げて互いを見つめ合った。当の希よりも聞いている綾乃の方が情けない顔をしている。
「ええ、でも私はもう過去を振り返るのはやめたの。もうそんな失敗をしたくないって……そう思ったのよ。
生きて愛し合って幸せにならなくちゃって…… それでこそ、亡くなった人も喜んでくれるんだって……ね。
私も今度こそ、一緒に生きていける人を見つけるつもりよ」
「先生……」
希が微笑んだ。
「だからね、今あなたの話を聞いて、島さんには後悔させたくないと思うのよ。そしてそれができるのは、佐伯さん、あなただと思うわ」
「そんなこと……わかりません。私なんてなんの役にもたたないんです……」
綾乃が首を左右に振った。島が新しい人生を見つけてくれることは、綾乃自身切に願っている。だが、自分がそれに加われる自信は、今の彼女にはなかった。
「いいえ、彼は確かにあなたの呼びかけに反応したわ。あなたの声が彼に届いてるってことよ。それはとても大切なことだわ」
希の言葉が綾乃の心を優しくなぞった。それは、さっきまで落ち込んでいた綾乃の気持ちを、少し浮き上がらせる効果があった。
「……ありがとうございます」
綾乃が僅かに顔の強張りを解いた。希はそれに頷いてから、励ますように強い口調で言った。
「島さんはきっと助かる。信じてるわよ、私。だって、世界一の腕の外科医が手術したんですものねっ!」
後半は半分笑いながら言う。そんな冗談めかした言い方に、綾乃も思わず笑顔になった。
「えっ? ええ、もちろんです!」
「もちろんこれからは、本人の体力と気力次第だけど、島さんはヤマトの副長を勤める歴戦の宇宙戦士。体力は誰にも負けないわ。あとは、生きようとする気力だけ。それはあなたや森さん達ヤマトの仲間の方や家族の方々から受け取ってるんじゃない?そうでしょう?」
「それは……」
遠慮がちに口篭もる綾乃の肩を、希はばしんと強く叩いてにっこりと微笑んだ。
「ほらまたぁ〜 あなたがそう信じないでどうするの!」
「……はいっ」
少し考えてから、今度は力強く返事した綾乃に、希はやっと満足そうに頷いた。
「さ、少し眠ったほうがいいわね。私の予想だと、明日の朝早くには、彼、目が覚めると思うわよ」
希はそう言うと、カップを片付けて、さっさと一番近くのベッドにもぐり込んだ。綾乃もすぐにその隣のベッドに入って目を閉じた。
(目が覚めたら、島さんも目覚めていますように……)
(10)
しかし、綾乃はベッドに入ってもすぐには寝つけなかった。浮き沈みの激しかった今日一日の自分の感情が再び頭の中で駆け巡った。
しかし、やはり疲れていたのだろう、知らないうちにいつしか眠ってしまったようだ。
そして数時間後、綾乃は目を覚ました。時計を見ると、まだ夜明け前の3時だ。朝6時までは寝ていていいと婦長からは言われていたが、一度目が覚めるともう眠る気になれなかった。
隣のベッドを見ると、希はまだぐっすり眠っている。ハードな手術を執刀した後である。ひどく体力を消耗しているのだろう。
綾乃は、希を起こさないようにそっと起き上がると、再びナースステーションへ向かった。
地下都市の病院に避難した患者達も、明日には皆地上に戻ってくる予定になっている。数時間後には、院内も騒然としてくるだろう。
しかし夜明け前の今、病院の廊下は閑散としていて、綾乃自身の足音以外何も聞こえてこなかった。
外科病棟に到着すると、ナースステーションに入る前に島のいるICUを窓越しに覗いた。島は、まだ昨晩と同じ様子で昏々と眠っている。
(島さん……)
眠っている島を見ていると、綾乃の心に様々な思いが交錯し始めた。
初めて島大介と言う人物のことを知った日。
地球を救ったヤマトのヒーローとして憧れた日々。
偶然にも友達の雪の紹介で島と初めて出会ったあの日。
密かに思いを寄せ続けた日々。
そして……彼が最愛の人を亡くし意識を失って帰ってきたあの日のことも……
その後は、ただそばで静かに彼を見続けてきた。彼の悲しみが癒えることを密かに願いながら……
そして今…… 彼は再び深い傷を負って地球へ戻ってきた。一時はこのまま死んでしまうかもしれないと思ったこともあった。
けれど今は違う。彼は必ず助かる。大勢の人の思いと努力できっと……そう信じていた。
眠る島を見ていると、自分の思いが届くかどうかなどということは、もうどうでもよくなった。今はただ彼に生還して欲しかった。ただただ、生きてその瞳を開いて欲しかった。
「島さん……」
綾乃が小さな声で呟いた。彼に届くはずのない言葉だった。
(11)
ところが……その時、ガラスの向こうの彼の眉が僅かに動いたように見えたのだ。
(えっ? 島さん!?)
慌ててガラスに張り付くようにしてしばらく中を見つめていたが、島に動きは見られなかった。
(見間違い? それとも……? もしかして、ああ、島さん!)
綾乃は、どうしても確かめたくていてもたってもいられなくなった。慌ててICUのドアを開けた。
ICUに入る前には、手前の小部屋で衛生服に着替える必要がある。綾乃には、その時間ももどかしく感じられた。
慌てて着替えて部屋に入るなり、綾乃は小走りに島のベッドに駆寄った。
「島さん?」
声をかけてみたが、島の表情に変わりはなかった。まっすぐ上を向いたまま目を閉じている。腕につながれた点滴のチューブに、液が規則正しく落ちていた。
(島さん…… あなたは今、どこにいるの? まだ、帰ってきてくれないの?)
綾乃は、瞳に涙が沸き上がってきそうになるのを堪えながら、視線をその手のひらに向けた。
力なくだらんと置かれた手のひらは、ごつごつとして逞しかった。あの偉大なヤマトの操縦桿を握り続けてきた力強い手のひらだ。
愛しい…… そう思う気持ちが、ひとりでに綾乃の手を動かしていた。綾乃の小さな柔らかい手が、島の大きな手にそっと触れる。
(温かい……)
それは島が確かに生きている証拠。その温かさが嬉しくて、綾乃はそっとその厚い手のひらを握り締めた。
その時……
(あっ!)
島の指がゆっくりと動いて、綾乃の手を包み込むように握り締めたのだ。
「島さん!」
思わず声をあげて叫んだ声に、島は確実に反応を示した。眉と瞼が僅かに動いたのだ。
さらに綾乃が「島さん!」と叫ぶと、今度は僅かながら唇が動き始めた。
「島さん、島さん!」
綾乃がさらに反応を求めて叫ぶと、島は今度ははっきりと言葉を発した。
「テ……レサ……」
綾乃の心がズキンと痛んだ。島が今も求めているのがその人なのだと思い知らされた思いで、胸がとても痛かった。
しかし同時に、綾乃はそれ以上に嬉しかった。島が反応を示したことの喜びの方が、今の綾乃には大きい。
「島さん! 島さん!!」
再びかけた声に反応したように、とうとう島の瞳がゆっくりと開いた。
始めは焦点のあわないような視線で天井を見つめていたが、次第にしっかりとした目つきに変わり、探るように部屋の中の様子を見まわし始めた。
そして、自分の周りに取り付けられた機器もひとつ一つ確認するように眺めてから、最後に傍らで自分の手を握っている人の方に視線を向けた。
綾乃は、そんな島を見つめたまま声も出ないで震えている。
「綾乃……さん?」
島が綾乃を認識した。その嬉しさに綾乃の瞳は涙で一杯になった。込み上げるものを飲み込みながら、なんとか言葉を返した。
「ええ、そうよ。島さん、ああ……島さん……」
「生きてる……んだな……俺」
そう呟いて島は、頷きながら泣き崩れる綾乃のほうに僅かに顔を向けて微笑んだ。
Chapter4終了
(背景:Angelic)