Departure〜彼らのスタートライン〜
1.生 還
Chapter5
(1)
「地球は……?」
目を覚ました島の次の言葉はこれだった。泣いていた綾乃がはっとして顔を上げた。すると島は再び同じ言葉を発した。
「地球は…… 助かったんだな?」
ゆっくりとだがはっきりそう尋ねる島に、綾乃も涙を拭いてこっくりと頷いた。
「島さん…… ええ、もう大丈夫。島さんたちのおかげよ」
綾乃が微笑んでそう答えると、島も微笑んだ。
地球が助かった。やっぱりヤマトがやってくれたんだ……
「そうか、よかった……」
島は心から安堵した。が同時に、いつも命がけで戦うあいつのことが心配になった。笑顔から険しい顔に変わる。
「ヤマトは……みんなは? 古代達も無事なんだな?」
「えっ? え、ええ……」
ヤマトは?と尋ねられて、綾乃は一瞬言葉に詰まった。島にとってヤマトという存在が、どれほど大きいものなのか計り知れない。綾乃には、ヤマトがもうないのだということを、とても自分の口から言う事などできなかった。
「……古代さんも雪も元気よ。ご家族の方も…… ご両親も次郎くんも昨日遅くまで付き添ってくれていたのよ」
「そうか、みんな無事だったんだな……」
安堵の表情を浮かべる島を見て、綾乃は話題を変えた。
「それより気分はどう? 苦しかったり痛いところはないかしら?」
「ああ、痛くはない……っていうか、首から下はなまりみたいに重くて感覚がないんだ。綾乃さん、俺の体ちゃんとくっついているんだよな?」
おどけ半分に笑顔で答える島を見て、綾乃は心から安堵した。島は本当に生還したんだ、としっかりと心の中で認識できたような気がしたのだ。
「ふふふ、ええ、それは大丈夫よ。手も足もちゃんとついてるわよ」
そう答えて、綾乃が小さく声を出して笑った。
(これが……もう一度見たかった……んだよな……)
島は満足そうに綾乃の笑顔を見上げていた。
「そうだわ。先生を呼んでこなくちゃ。少し待ってて、すぐ戻ってきますから」
綾乃は、慌ててそう告げた。綾乃個人としては、このまましばらく二人で話していたい気持ちでいっぱいなのだが、島にさらにヤマトのことを強く尋ねられても答えに困りそうだったし、看護師としての本来の仕事を思い出したのだ。
「ああ……」
島は小さくそう告げて、また静かに目を閉じた。綾乃はそれを見届けると、静かにICUを出た。
(2)
ナースステーションに着くと、すぐに希の寝ている仮眠室に連絡を取った。
まもなく希がやってきて、再び綾乃とともにICUに入り、島の意識の回復を確認し、簡単に体調を尋ねた。
「脈拍も呼吸も落ちついてるし、一安心ね。でももし、何か苦しかったり痛みがひどくなったりしたらすぐに知らせてください」
「はい、先生……」
「なに?」
「僕の手術は先生がしてくださったんですか?」
「ええ、佐渡先生ともう一人手伝ってもらったけど、執刀は私がさせてもらったわ。私じゃ不安だったかしら?」
希がおどけたような顔で、島を見つめた。
「いえ、とんでもない。ニューヨークでご活躍されてる話は伺ってましたから。ありがとうございました」
「そう…… でも助かったのは、結局はあなたの力なのよ。あなたの体力と精神力が怪我に打ち勝ったんだわ。それと……」
希がそこで言葉を止め、意味深な顔で隣にいる綾乃を見た。島も、ん?と不思議そうな顔で二人を見上げると……
「先生っ!」
とたんに、綾乃が頬を染めて慌てて希の言葉の続きをさえぎった。
「何かあったんですか?」
「いいえ、特に…… とにかくしばらくは絶対安静。当分はゆっくり養生するようにね」
二人のやり取りの意味がわからず質問する島に対して、希は笑いながらもそれ以上は答えなかった。
「それじゃあ、私はこれで。ご家族の方にもすぐ連絡しますから、後で少しですけれど面会してもらえると思います」
「あの、一つ教えて欲しいんですが……」
立ち去ろうとする希を、島が呼びとめた。綾乃がぎくりとする。島が言いたいことがわかったのだ。
「なにかしら?」
振り返って尋ね返した希に向かって、島は真剣な眼差しで訴えた。
「今回の戦いがどうなったのか、聞かせてもらえませんか? 地球は助かったと綾乃さんから聞きましたが、ヤマトはどんな風に戦って、犠牲者は相当出たんでしょうか? ヤマトはどんな状態なんでしょうか?」
希は島が話し終わるまで黙って聞いていたが、その表情が微妙に強張るのが、綾乃にはわかった。
(ああ、やっぱり……先生なんて答えるの?)
不安そうに見上げる希と島を前にして、希は一呼吸置いてからこう答えた。
「…………ごめんなさい。今はまだ情報が混乱していて私にもよくわからないのよ。とにかく地球は無事で救われたことだけは本当よ。
朝になったら、きちんと調べて知らせてあげられると思うから、少し待ってくれないかしら?」
その答えに、島が失望したように眉をしかめた。しかし、それ以上しつこく尋ねようとはしなかった。
「そうですか……わかりました。わかり次第教えてください」
そして希と綾乃は、ICUから出た。廊下に出ると、二人は困った顔で互いの顔を見合わせた。
「島さんに今、ヤマトのことを話しても大丈夫なんでしょうか? 体に影響があったりしたら……」
「そうね。本当はしばらくはそんなこと考えないで欲しいんだけど……かと言って、彼にとってはヤマトのことは是非とも知りたいことだろうし…… どうしたものかしらね」
「……」
「朝になったら、ご家族や古代さんのところに知らせるんでしょう?」
「はい、そのつもりです」
「それじゃあ、古代さんに相談してみましょう。ヤマトのことは彼に相談した方がいいでしょうからね」
ナースステーションに戻った綾乃は、疲れた体を休めている島の家族や進達のことを考え、しばらく時を過ごしてから、朝6時過ぎに連絡を入れた。
(3)
まず30分後に、進と雪が先に到着した。そして二人が綾乃に島の様子を尋ね初めて間もなく、島の両親と弟の次郎もやってきた。
「島の家族のものですが…… あ、佐伯さん! 古代さんたちも……」
ナースステーションに島の父親が顔を出した。入り口近くで立ち話をしていた3人がそれに気付いて振り返った。
「お待ちしていました」
綾乃が軽く会釈すると、すぐに父親は尋ねた。後ろには母親と次郎も立っていた。
「あの……大介は目が覚めたんですね? 調子はどうなんでしょうか?」
その問いに綾乃は笑顔で答えた。
「大丈夫です。普通に会話されていました」
「じゃあ、会えるんですね!」
夫の後ろに立っていた島の母親が、嬉しそうな声をあげて一歩前に出た。
「はい、でもその前に間宮先生からお話が……ご相談したいことがあるそうです。どうぞこちらへ。
古代さん達もできればご一緒にお願いしたいそうなんですが、よろしいでしょうか?島さん」
綾乃の提案に、島の両親は進達の方を見て軽く頷くと、「はい、よろしくお願いします」と答えた。
(4)
一行は、綾乃が示したナースステーション横の会議室のような部屋に入った。そこにあった椅子に座って待っていると、ほどなく希が部屋に入ってきた。
希が、島の容態が安定していること、意識もはっきりしていて脳にも異常がなさそうだと言うことを皆に告げると、全員が一斉に安堵の息を吐いた。
そして一呼吸置いてから、希が口を開いた。
「それで……島さんから意識を取り戻してすぐに尋ねられたことが、ヤマトのことなんですが……」
さっきの安堵の表情から一転して、皆の顔が強張った。特に進の表情の変化が著しかった。眉をしかめうつむいたまま、目の前の何もない机を穴があくほどの鋭い視線でにらんでいる。雪はそんな進を気遣わしげに見た。
最初に口を開いたのは、島の母親だった。
「もうしばらくは、黙っていた方がよいのではないでしょうか? ヤマトがなくなってしまったことを聞いたショックで、大介の体に何かあったりしたら……」
父親も黙って小さく頷いた。次郎は心配げな顔で両親を見つめている。
しばらく沈黙が続いたが、厳しい顔でうつむいていた進がゆっくりと顔を上げ、希の方を見た。
「島には今すぐ伝えた方がいいと思います」
「古代君……」
「でも……」
雪と島の両親が不安そうな顔で進を見た。
「ご両親のお気持ちはよくわかります。確かに、島にとっても相当のショックだとは思います。僕もそうですから……
ですが……もし、僕が逆の立場だったとしら、このことは少しでも早く知らせて欲しいと思うんです。後で知らされた方が……かえって辛いと……」
進が自分の中に湧き上がる感情を抑えながら、静かにそう説得した。それを聞いた両親も希たちも難しい顔で考え込んでしまった。
すると隣に座っていた雪が進を支持する発言をした。
「……私も古代君と同じ気持ちです。私達にとってヤマトは言葉で表せないくらい大切な存在です。だから……その最期の姿を知らないでいたことを後で知ったら、逆にもっと傷ついてしまうと思うんです」
「それはわかるわ……でも、大介は術後の身なのよ。体のことを第一にしてもらわないと…… もしそのことで落ちこんで体に悪い影響があったらって心配なのよ」
息子を思う母の気持ちも、一同にはよくわかった。進も歯を食いしばり、唇をぎゅっと閉じて聞いていたが、
「わかっています。でも、島は強い男です。辛い事実もきちんと受け止めてくれる度量はあると思っています。それに彼の顔を見たら、僕にはとても黙っている自信が……すみません!」
進は机の上に置いていたこぶしをぐっと握り締めた。
「僕もそう思うよ。大介兄ちゃんはきっと知りたがると思う!」
今まで黙って大人の会話を聞いていた次郎が、きっぱりとそう言った。きっと睨んだ彼の顔は、一丁前に男の顔をしている。
父親は、隣のもう一人の大切な息子の頭を大きな手でなでてから、進の方を見た。
「ヤマトの同僚だった君達の気持ちはよくわかったよ。だが、どんな風に告げたらいいのだろうか? 告げる方も……辛い……」
悲しそうに微笑んだ父親をじっと見つめて、進が静かに言った。
「僕に伝えさせてください、お願いします!」
最初から島にそれを告げる仕事は自分がせねばならないと心に決めていた進だ。
その決意を聞いて、どうするべきかと顔を見合わせる両親と真剣な顔でじっと押し黙っている次郎、きっぱりと宣言した進と隣で心配げな顔をしている雪……その5人の姿をじっと見ていた希が、ぐるりと全員を見渡して決を出した。
「わかりました。ご両親がいいとおっしゃるのでしたら、この件は古代さんにお任せしたほうがいいようですね。私も島さんの手術に耐えた力を信じてみたいと思います」
一同が、希の言葉に、こっくりと頷いた。
そして話し合いの結果、まず家族が島と面会して、息子の様子を確認した後、ヤマトのことは進に任せることになった。
希が島の家族と進達に注意事項を伝えた。
「ご両親も顔を見て元気な様子がわかりましたが、今日のところはあまりお時間をとらないようにお願いします。できれば5分以内で……」
「はい」
「古代さんと雪さんも同じです。言いにくいことだとは思いますが、簡潔に手短に伝えてください。こちらで体調のデータはチェックしていますので、万が一ひどく乱れるようなことになったら、途中でもやめていただきますから」
「わかりました」
希からの注意をしっかりと心にとめて、まずは島の両親と弟の次郎が島の部屋に向かった。
(5)
目を覚ました島は、綾乃や希が出て行った後、ゆっくりと自分の状態を考えていた。
体はほとんど動かなかった。首も左右に振れないように両側から軽く固定されているし、両手には点滴の管が繋がっている。体と足は、綾乃にも告げた通り、鉛のように重い感じがして、自分のものでないようだ。
だが、とりあえずは生きている……ということだけは確かだった。
ヤマトで意識を失った時、自分は間違いなくもう死ぬのだと思った。
戦場の風景が消え、気が付いたときに見えたのは、夢の中の出来事のような花畑の景色だった。
あれは一体なんだったんだろう?
ゆっくりとその夢のような世界でのことを思い出していく。
美しい花畑を一人歩く自分。テレサのもとに行くのだと思った。死ぬことも恐くなかったし、テレサのところに行けるのは喜びだとも思った。
ところが、それが急に途中で生きることへの執着心が溢れ出てきて、皆に呼ばれる声に呼び戻されるように駆け出した。そして……
目覚めた時に見たのは、あの時もう一度見てみたいと思った……生きてみたいと思った彼女の……姿だった。最初は笑顔ではなく泣き顔だったが、島の無事を確認すると、それは自分が見たいと思っていた笑顔に変わった。
そうだ、あの笑顔がもう一度見たかったんだよな。
島は自分で自分の未練に苦笑しながらも、素直にそう思った。
しかし一方で……意識を取り戻す直前に、島は懐かしい声を聞いたような気がした。
『生きて……ください……島さん』
あれはテレサの声だった……今も耳に残るあの美しいはかなげな声……
やはりテレサは俺に生きることを望んでいるのだろうか。だからこそ俺はまだ行き続けているのだろうか……
俺のテレサへの想いは今も昔と変わりなく、全く褪せてはいない……
これも嘘いつわりない思いであった。こうして再び生を得た今、テレサの願い通り生き続けようと、島は思った。
そしてもう一つ気がかりなのが、ヤマトと仲間達のことだった。
ヤマトはどうなったんだ? 地球が助かったということは、ヤマトがやってくれたに違いないんだ。アクエリアスのワープを止められたんだろうか? ディンギルはどうなったんだ? あの爆発で全滅したのだろうか?
だとしても、ヤマトの皆は無事なんだろうか? 綾乃さんは古代と雪は無事だと言った。だが他のみんなは……?
すぐにでも走って行って、ヤマトの姿をそして進達の姿を探したい気持ちで一杯になるが、如何せん体がとてもいうことを聞いてくれそうにない。
古代……
心の中で、親友の名を呼んだ。その時、ドアのあく音がして、島は僅かに動く首をそちらの方へ向けた。そこにはICU専用の白衣と白い帽子をかぶった両親と弟の次郎が立っていた。
(6)
「大介……」
まず、母がベッドサイドに駆け寄ってきた。そしてベッドサイドでひざまづいて、息子の顔を間近で見ようと顔を近づけた。
「お母さん……」
目の前に見える母に向かって、島が小さく呟いた。
「よかった…… 本当によかった……」
そこまで言って母は声を失った。その瞳からは涙がこぼれ落ちている。
後ろから父と弟の次郎が近づいてきて、やはり同じように声をかけた。
「大介……」 「大介兄ちゃん……」
「お父さん、それに次郎……! 無事でよかった」
島は3人を交互に見た。自分の帰りを待っていてくれた家族に会えたことがとても嬉しい。この瞬間は、生きて帰ってきてよかったんだ、と素直に喜べた。
「それはお前に言うセリフだよ、大介。母さんがどんなに心配したことか……」
父の目が優しく細められ、母は島の胸近くにうずくまってこくこくと頷きながら嗚咽した。
「心配をかけて……すみません」
「……いや、こうやって帰ってきてくれればいいんだよ。こうやって……」
父も目に涙を浮かび始め、ひとり次郎だけが嬉しそうにニコニコと笑っている。
「兄ちゃん、地球を救ってくれてありがとう! 兄ちゃんが帰ってきてくれて本当によかった! また、サッカー練習付き合ってくれるよね?」
「ああ、お前がサッカーの選手になるまで、俺が鍛えてやるからな」
「あはは、なに言ってるんだよ! 僕よりへたくそなくせに!」
次郎が得意げに言った。
ヤマトが出航する前に付き合った練習で、次郎が蹴ったボールを島が蹴り損ねて、大きく空振りしたことがあったのを覚えているのだ。
「言ったな、こいつぅ〜!」
「ははは……」
久々の兄弟の笑顔と笑い声が病室に響いた。父も母もその姿を目を細めて見ている。
しばらくそんな他愛もない会話が続き、和やかな空気が流れた後、父がそっと息子の肩にやさしく触れた。
「しばらくは、ゆっくり養生することだな」
「はい……あの、お父さん」
突然、島の顔が引き締まった。
「ん?」
「ヤマトの仲間たちは皆無事なんでしょうか?」
さっきまで微笑を浮かべていた3人の顔が一瞬で変わった。だが予測されていた問いに、父親がすぐに気を取りなおして答えた。
「えっ!?……あ、ああ…… それは……私達にもまだよくわからないんだよ、すまないな、大介」
「そう……ですか」
さっきの医師の希と同じ反応に、島ががっかりしていると、父親が息を整えながらゆっくりと言葉を続けた。
「古代君が…… 来てくれているんだよ。雪さんと一緒に」
「えっ?古代が?」
島の目が輝いた。どこまでも命を共にしようと思っていた親友の無事を自分の目で確かめられる嬉しさとともに、ヤマトのことも全てわかることに安堵したのだ。
(そうか、これでヤマトのことが聞ける……)
「ああ、私たちの後で面会するようになっているから……」
「そうですか」
息子の顔が穏やかになったのを確認して、父は時計を見た。そろそろ5分を過ぎようとしている。
「……じゃあ、あまり長話はしないように言われているから、今日はこの辺で帰るよ。先生の言うことをよく聞いて、早く元気になってくれよ」
「本当よ、早くまた4人で暮らしましょうね」
「大介兄ちゃん、早く良くなってね!」
「ああ…… お母さんも体に気をつけてください。次郎もお父さんとお母さんの言うことよく聞くんだぞ」
「うんっ!」
「じゃあ、また来るよ」
そして三人は名残惜しそうに後ろを振り返りつつ、島のいる部屋を後にした。
(お父さん、お母さん、それに次郎…… ありがとう…… 俺は……生きて帰ってきて……本当によかったんだな)
部屋を出ていく3人を視線だけで追いながら、島は今、自分が再び生を得たことに感謝した。
あとは…… ヤマトと仲間達の無事な姿を見たかった。
(古代と雪が……来てるのか。これでこの戦いのことが全て聞ける。何があったのか…… 正直少し怖い気もするが…… それに……)
島は、ヤマトでの最期の会話と覚悟したあの会話を思い出していた。
(あの告白…… あの時は今言わないと二度と言えないと思ったが、また会えるとなると、なんとなく間抜けな気がするな)
自嘲気味の笑いが、ふともれる島であった。
(7)
しばらくして、父が言ったとおり進と雪が島の病室に入ってきた。
ゆっくりと近づいてくる二人に向かって、島が先に声をかけた。
「古代……雪……!」
かけられた声に、進の眉が僅かに動いた。そして雪が柔らかな笑顔を見せた。
「……元気そうね……」
優しい笑顔だった。ヤマトの中で辛い時悲しい時、いつも癒してくれた笑顔がそこにある。島も昔、それを自分のためだけに向けて欲しいと願ったことのある笑顔だ。
「あ、ああ…… 死に損なったみたいだよ」
冗談めかして答える島に対して、進が初めて口を開いた。
「ばかやろう!」
感極まって、僅かに声が震えている。一旦は諦めた親友の命。それが今再び甦って自分に対して笑みを浮かべてくれているという事実に、進は素直に感動していた。
それと対照的に、島はおどけた恰好を崩さない。
「おいおい、泣くなよ。男の癖に…… フィアンセにあきれられるぜ!」
「死にかけてた奴が、何冗談ばっかり言ってやがる!」
島のかけてくる言葉に少し気持ちが和らいだのか、進が半分笑い顔になった。雪もそんな二人のやり取りと微笑みながら見ている。
と、今度は島が、ちょっと照れたように視線を二人からはずした。
「はは、いや、なぁ〜 なんか、お前らの顔をまともに見るのが恥ずかしくてさ」
「え?」
進と雪が同時に声を出した。何が恥ずかしいのか、二人にはすぐにわからなかった。
「もうダメだと思ったもんだから、ヤマトであんなこと言っちまったもんな」
島が苦笑交じりにそう呟くと、雪が「ああっ」と小さな声を上げて、微かに頬の色を明るくして進を見た。
「ああ……はは……」
進も思い出して笑った。
『俺は……雪が好きだったんだぞ……』
『雪を……幸せにしないと……承知しないぞ』
『俺の分まで……幸せに……なっ……』
島の最期の遺言のようになっていたあの言葉が3人の心に甦って、面映いけれど、なんともいえず温かい空気が彼らの間に流れた。
確かに生還してしまった島にとっては、少々恥ずかしい言葉だったのかもしれない。しかし、それはまた進と雪の心に大切に残されている言葉でもあった。
しばしの沈黙の後、島が開き直った様子で、真面目な顔で二人を見上げた。
「……けど、嘘は言ってないぞ。俺は昔、雪が……好きだった」
「島君……」
島の真面目な告白に、雪に答える術はない。が、その緊張を島はすぐに解いた。
「大昔の話だけどな」
とウインクすると、雪がくすりと笑い、進が顔をしかめた。
「ったり前だ!」
「あはは…… だからってわけじゃないけど、お前には絶対に雪を幸せにしてもらわないと困るんだ。わかってるんだろうな、そのことは!」
「わかってるって言ってるだろ!」
進がさらに顔をしかめて、照れ隠しに声を大きくした。だが、生死の境目をさ迷った直後だというのに、人の心配をする親友のいつもの姿が、何よりも嬉しい。
「そんなことより、お前の体は大丈夫なのか?」
「あん? そんなことはそっちの方がよく知ってるだろう? 俺は、まったくお任せだよっ!」
「うふふ、それだけしゃべられるんなら、心配いらないわねっ」
「まったく心配かけやがって……」
「すまん……」
そして、二人が微笑んだ。島との小気味のいい会話が進んだことで、進も雪も島が順調に回復していることをはっきりと感じ取った。
3人の時間が少し前へと動き出そうとしていることを、三人三様に感じ取っていた。
(8)
そしてとうとう、進がそして島が、乗り越えなければならない、人生における大きな山場を迎えようとしていた。
それは島の言葉から始まった。
「で、古代。ディンギルはどうなったんだ? アクエリアスは?」
進の頬に緊張が走る。和んでいた空気が進の周りから徐々に緊迫したものに変わりつつあることを、雪はすばやく感じ取った。
だが、進の顔から笑顔は消えたものの、表面上はまだ大きな変化はなかった。
まっすぐに島を見つめて静かに答えた。
「ああ…… アクエリアスはもう遠ざかったよ。また何千年もたたないと戻っては来ない。ディンギルもやっつけた。デスラーが応援に駆けつけてくれたんだ……」
「デスラーが? 生きてたのか?」
意外な人物の登場に島が目を輝かせた。好敵手の無事は彼にも良い知らせなのだ。
「銀河交叉があった時、運良く母星にはいなかったらしい」
「そうか、不幸中の幸いだな。あいつがいるんなら、ガルマンガミラスもまた復興できるな」
「ああ……」
島が満足そうに頷いているのを見ながら、進も雪も次に間違いなく繰り出されるであろう質問に対して身構えていた。
「それで、ヤマトの皆は無事か?」
雪が息を呑んで進を見たが、彼はしばらく沈黙した後、平静を保ったまま答えた。
「…………ああ、怪我人はいたが、ほとんどが……地球に戻ってきている」
「ほとんど」……進が搾り出すように言ったかすれたその言葉に、雪の胸がズキリと痛んだ。だが、島はその部分は聞こえなかったのか、嬉しそうに笑顔さえ見せた。
「そうか、よかった。けどヤマトの方はどうだ? 随分やられただろう? 真田さんがまた忙しくなるな」
「…………」
進はすぐに答えなかった。
この時の余りにも対照的な表情の二人を、雪はその後しばらく忘れることができなかった。
避けて通れないことであることは重々承知の上で、進はそれでも少しでも話さずにいられる時が欲しかった。
自分の顔つきがどんどん険しくなっていることは、鏡を見なくてもよくわかる。そしてそれを、島がすぐに察知することも……
だが、喉まで上がってくる言葉が、口をついてはでてこなかった。
「どうしたんだ、古代?」
長い沈黙とひどく強張った友の顔に、島もその異常さを感じ取り、怪訝な顔で進を見上げた。
そしてとうとう……進は口を開いた。
(9)
「ヤマトは…………もう……ない」
喉にこみ上げる言葉以外のもので、声が埋もれそうになりながら、進はそれだけをやっと搾り出した。
もちろん、それだけでは島は理解できない。
「は? 何て言った?古代」
耐えきれなくなった雪が、そっと二人から視線をはずした。
そして進は、今度は吐き捨てるような強い口調で、同じ言葉を繰り返した。
「ヤマトはっ……もうないんだっ!」
「……どういう……ことだ? 話せっ、古代!」
最初途切れがちに話していた島が、途中から声を高ぶらせた。ヤマトがない、という意味を理解した瞬間だった。
「ヤマトはアクエリアスの最後のワープを止められなかった。だから地球に接近したアクエリアスからの水柱を遮るために…… ヤマト自らが爆弾となってその水の流れを……くっ……」
進は努めて冷静に説明しようと淡々と話し始めたが、やはりそれはむずかしく、だんだんと声が震え始めて、最後は言葉を途切れさせてしまった。
ぎゅっと歯を食いしばってうつむく進を見上げながら、島も絶句するしかなかった。
「なっ…………そん……な……」
「うっ……」
進の隣で雪が涙を抑えきれなくなって、手で顔を覆った。進も目を閉じたままだった。その姿を険しい顔で見上げていた島も、ぎゅっと強く目を閉じてしばらく心を落ち着かせてから、目を再び開いた。
「そうか…… それで……それはもちろん自動操縦……でだろうな?」
「…………」
進は答えない。答えられなかった。さらに強く唇を噛み締めたまま、潤んだ瞳でじっと島を見つめている。
それを見て、島がはっとしたように目を大きく見開いた。悪い予感が雷に撃たれたように、島の心の中を走った。
「どうしたんだよ、古代!? お前がここにいるってことは、ヤマトだけで行ったんだろう!! お前以外の他の奴がどうこうするわけないもんなあっ!!」
島の口調がどんどん激しくなり、最後は叫ばんばかりになる。若干体を浮かせ加減になるのを見て、雪が慌ててベッドサイドに駆け寄ってそばにかがむと、島の両肩をそっと抑えた。
「島君っ! 落ち着いて……お願い……」
島は、雪にゆっくりと押し戻されるようにベッドに収まったが、その目はまだ進の方を睨んでいる。しかし、進は唇を振るわせるだけで何も答えようとしなかった。
「古代……!」
(10)
「すまん……」
進がやっと口にしたのは、その一言だけだった。しかし、それで島には通じたようだった。
島は、がくんと脱力したようにベッドに体を預けると、友が口にできなかった事実を、ぽつりとつぶやいた。
「それじゃあやっぱり、艦長が……」
「ううっ……」
雪がベッドサイドで膝まづいたまま、涙で濡れる顔を手で覆った。
「なんてことだっ!!」
島が、吐き捨てるようにそう叫んだ。すると進がやっとゆっくりと顔を上げて島にその潤んだ瞳を向けた。
「すまん……島…… 俺には……あの人を止めることが……できなかったんだ」
「古代……」
思いは同じ…… すがるように自分を見つめる進を見て、島はそう思った。
ヤマトも艦長の沖田も失ってしまった。今この事実を聞いた自分はひどく辛い。体の痛みなど忘れてしまいそうなくらい、心が痛かった。
だが、その思いはここにいる2人も同じ、いやそれ以上かもしれないと思う。
「そうか…… ヤマトのことを聞いても、誰も答えてくれなかったはずだよな。古代……お前に辛い役をさせてしまってすまなかった」
「島……」
「だが悪いがもう少し頼む。艦長とヤマトの最期が……どんな風だったのか、教えてくれ……」
辛くとも知っておきたい。尊敬し師と仰いだ人の最期の姿を、共に戦ったあの勇者ヤマトの最期の姿を……
島のその思いが進にも伝わってくる。話すのも辛いが、だが知らせなければならない大切なことでもあった。
見つめあう二人の間だけに通じ合う心がある。それは、沖田が消えることがないと明言したあの「ヤマト魂」なるものかもしれない。
「わかった」
進は静かにそう答えると、島が意識を失ってからの一連の出来事を、淡々と話し始めた。それを島も雪も、一言も口を挟むことなくじっと聞いていた。
しばらくして、進の話が終わった。
(11)
「ありがとう……古代」
やっと話し終えた進に、島は静かに礼を言った。彼の瞳からも流れ落ちる雫があった。
「雪には悪いが、今回だけは、その場にいたら俺もお前や真田さんと同じことしようとしたと思うよ」
島の頬が力なく僅かに揺るんだ。進たちには、一瞬生きる気力を失ったのではないかと思うような悲しげな微笑に見えた。
「島……」 「島君……?」
進の心が痛んだ。今話す時期ではないのではと危惧した家族らを押し切って話してしまったのは自分である。だから島にもしものことがあったら、自分の責任だと思った。
だが心配そうに声をかける二人を見て、島はさらに頬を緩ませた。
「古代も雪も、心配するなって。今の俺は、何をどうしようったって、できやしないよ。なにせ首以外ほとんど動かせないんだからな。それに……助けてもらった命、簡単に投げだしたりはしないさ」
「ああ……」
進がほっと安心したように頷くと、今度は島の方が進に尋ねた。
「お前こそ、大丈夫なんだろうな?」
「ば、ばかやろうっ、大怪我した人間に心配されることじゃないっ!」
勢い良く言い返す進の口調が、可笑しくて島も雪も笑った。
「はは、そうか。それを聞いて安心した。お前には雪がいる。艦長にもそう言われたんだろ? それを忘れるなよ!」
「ああ! まったく俺の方が励まされてどうするんだよ!」
ふくれっつらで親友を睨む進の顔は、さっきより少し明るくなった。
「ふんっ、いつものことだよ。なぁ、雪……」
「ええ、ふふふ……」
「こんなこと言ってるけど、まだ怪しいからな。ちゃんと見張ってろよ! 君を置いてけぼりで一人で行っちまいそうになったら、すがりついてでも止めろよ」
「……ええ、大丈夫。必ずそうするわ」
「全く俺をなんだと思ってるんだよ!」
二人の「口」撃にやられて拗ねる進。一瞬、いつもの3人に戻った気がした。
「島君も……早く元気になってね。みんなも心配してたのよ」
「ああ……」
島が動きにくい右手を少し外へずらして手を広げた。それに気付いた進が一歩前に出て、その手をがっちりと握った。
体に流れる熱い血潮を互いが確認しあうように、しっかりと握り締めあった手と手はとても熱い。
お前も辛いだろうが、俺も辛いよ。けど……俺達は生きていかなきゃならないんだよな?
互いに言い聞かせるように、その握る手をさらに強くする親友達だった。
しばらくして、時計を見た雪が進を促した。
「古代君……そろそろ……」
「ああ、そうだな。じゃあ」
「また来るわ、島君。お大事に……」
もう一度こくりと頷いた島に、進と雪も頷き返して二人は部屋を出た。
(12)
部屋を出ていく二人を目線だけで見送ってから、島は再び顔を天井に向けた。
彼らといる時にはまだ抑えられていた悲しみが、一人になって、じわじわと体の底から沸き上がってくるがわかった。
(ヤマトよ……!! 沖田艦長……!!)
島は、心の中で大声で叫んだ。悲しいとか切ないとか、簡単に言葉で現せそうにない寂寥感が、心の中で吹きすさぶ。
進と雪がいたときはなんとか堪えた。彼らの苦悩もわかるから、同じ境遇の互いを思いあえたから。
だが一人になると、それら全てが自分の中に集約されて、さらに自分がその場に居れなかったことへの後ろめたさや悔しさなども合わさって、何がなんだかわからないくらい心が混乱する。そしてただひたすら大声で泣き叫びたい気持ちになった。
目覚めて綾乃の笑顔を見たときの安堵感も、さっき両親に会った時の、生きて帰ってきて良かったという温かい心情も、夢だったかのように遠くへ消え、悲しい後悔だけが心を占拠し始めた。
もちろん自分があの場で生きて戦っていたとしても、ヤマトの最期を阻止することはできなかっただろう。何も変えることなどできなかったはずだ。
それは理性では理解できる。だが、心が、感情がそれを今すぐに認めることができそうになかった。
(俺は……なんて無力なんだ……!! あいつらがあんな思いをしている間、俺は一体何をしてたんだ! 何も……してやれなかった……)
島には、行き所のない感情全てを、ただ涙にして流すことしかできなかった。
(13)
ICUから出てきた進たちは、待っていた家族に合流した。そして、体調のデータチェックをしていた医療スタッフ達が、島に問題になるほどの悪い変化がなかったことを伝えた。
進も、両親や希たちに、島がヤマトのことを冷静に受け止めてくれたことを報告した。
「そうですか…… 大介はそんな風に……」
父親がそして母親が安心したように頷いた。
それから、希が今日はもう面会できないので引き取るようにと勧め、家族と進たちは後を頼んで帰っていった。
彼らを見送った後、一人の看護師が、家族や進との面会の間消していた島の病室のカメラモニタをつけようとした。が、希がすぐにそれを止めた。
「カメラはあと1時間ほどつけなくていいわ」
「えっ? でも、廊下のブラインドも閉めてありますし、中の様子が見れなくなります。島さんにもしも何か変化があったら!?」
一緒にいた綾乃が異議を唱えると、希はそれをすぐに遮った。
「心拍や他のデータモニタをつけたままにしておけば状態は充分わかるでしょう?」
「そう……ですけど……でも」
「佐伯さん……」
「え?」
「男ってね、涙はあまり他人には見せたくないものなのよ」
「あ……」
「古代さん達がいたときには気丈に振舞っていたとしても、一人になったらきっと……わかるでしょう?」
「……はい」
うつむく綾乃の肩に、希がそっと触れた。
「さ、佐伯さんも一旦帰りなさい。少し休まないと…… 私も一旦帰るから。後は他のスタッフに任せましょう」
綾乃は、小さな声で「はい」と返事をした。
島の命の危機はこれで脱したと、希はみたのだ。
後は、ゆっくりと彼の体と、そして心の回復を待つだけだ。
今は、医師も看護師も、彼に何もしてやれることはない。この苦悩は、彼が自分の中で乗り越えなければならないのだ。
(私はただ、見守ることしかできないのね。古代さんや雪のように、彼と同じ思いを共有することはできない……)
ヤマトという偉大な艦(ふね)に乗っていた者にしかわからないその深い思いを、綾乃はただ遠巻きに気遣うことしかできないことが、たまらなく寂しかった。
(14)
どれくらい心の中で泣き叫んでいただろうか…… 島が、ふとあることに思い当たったのは、それからしばらくたってからのことだった。
(そう言えば…… あの時見たあの魂の光……)
あの夢のような世界の中で天国への階段を目指したとき、先に天へと昇っていく爽やかなスカイブルーの二つの魂があった。
(あれは……もしかすると、あれは……!?)
志を果して悔いなく天を目指しているように見えた、あのすがすがしい魂を思い出していた。
(後悔はしていない……ということですか? 沖田艦長…… 任務を全うして、もう……悔いはなかったというのか?ヤマトよ……)
それを思い出した島の心には、暗雲の中の僅かな隙間から、一筋の光明が挿し始めていた。
Chapter5終了
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(背景:Angelic)