Departure〜彼らのスタートライン〜

1.生 還

Chapter6

 (1)

 島が目を覚ました翌日のことだった。朝、島は一人ICUの中で目を覚ました。
 昨日、目が覚めてからのことを思い起こす。両親や弟、そして進たちとの再会。うれしいこともあった。また同時に身を切られるような心の痛みを感じる悲しい事実を、親友の口から聞かされた。

 その割りには……自分は意外と冷静である気がしていた。

 体の方は相変らず動かなかったが、神経がまだ麻痺しているのか、痛み止めが効いているのか、幸いにひどい痛みは感じなかった。

 だが、昨日の進との会話を思い出すと心が痛い。自分が倒れ、何も出来なかった間にそんなことが起こってしまっていたとは…… 悔やんでも悔やみきれない気持ちが何度も何度も沸きあがってくる。
 しかし同時に、あの生と死の狭間の世界で垣間見た青き魂を思い起こす事によって、なんとか島の心は平静を保っていた。

 (あれはきっとヤマトと沖田艦長だったんだ……)

 それにもう一つ心を和ませるものがある。もう一度……と願ったあの優しい笑顔がここにはあった。自分に生きることをもう一度決意させたのは、あの笑顔だったのかもしれないと思う。

 そしてその笑顔の主は、今朝も朝一番に顔を見せた。

 「島さん、調子はいかが?」

 朝の検温の時間になると、綾乃が島の病室に入ってきた。

 「ああ、悪くないよ。だけど、この数えきれないチューブはいつ取れるんだい? こんなに繋がれてたら、まるで操り人形みたいな気分だよ」

 「まあっ、うふふ……操り人形はいいわね。でもまだまだ取れないわよ。少しずつ取れていくから、しばらくは操り人形で我慢しててくださいね」

 同情を含んだように微笑む綾乃の笑顔が、いつになくまぶしい。

 「了解。まあどうあがいたって、どうせ今の俺はまな板の上の鯉だしな」

 島の冗談めかした答えに、綾乃はさらにおかしそうにコロコロと笑った。

 「まあっ、ふふふ、それだけしゃべれるならもう心配ないわね。熱も……ないようね」

 「ああ、本当にありがとう。綾乃さん、手術の時からずっと付き合ってくれてたんだろう?」

 あの時自分を呼んでくれた声は、確かに彼女のものだった。だから島は綾乃が自分の手術に参加していたと確信していた。

 「え?ええ…… 仕事ですもの」

 じっと島に見つめられると、どきりとしてしまう。綾乃は、僅かに視線をそらせながら、看護師らしく毅然と答えた。

 「ちゃんと休んでくれてるのかい?」

 「大丈夫、ちゃんと休んでます。でも……今は人の心配してる場合じゃないと思いますけど……」

 綾乃は、島にかぶせられたブランケットを直しながら軽く睨んだ。

 「はは…… それは言えてるな」

 二人は互いの笑顔を見ながら、微笑みあった。
 柔らかな空気が流れる。

 こうやって彼女と再び冗談を話せることも生きていてこそだと、島は痛感するのだった。だがそれとともに、自分が生き続けることを切に願って死んでいった彼の人のことも思い起こされる。

 (テレサ……)

 綾乃の笑顔を見れて喜んでいる自分に対して、胸の奥底で、ちくりとする痛みとともにブレーキをかける想いもあった。

 (俺が生きているのは……テレサのお蔭なんだ。俺が生き続ける事はテレサの願いでもあったんだ…… 彼女への想いは消えることはない。俺は…… テレサ……)

 「あっ……」

 その時、島は突然、自分が肌身離さず持っていたテレサのカプセルのことを思い出した。

 (2)

 急に顔色を変えた島を訝るように、綾乃が尋ねた。

 「どうかしたんですか?」

 「ああ、あの、ちょっと聞きたいんだが、ここに来た時、俺は何も持ってなかっただろうか?」

 自分を思ってくれているであろう綾乃に直接、テレサのことを尋ねるのが、なんとなく気が引けて、島は遠まわしに尋ねた。
 すると綾乃は、要領を得ないような顔で首を傾げた。

 「ええ、特に何も…… 島さんは意識なかったし、佐渡先生と雪が付いて来たんだけど、ここに来てすぐに緊急手術が始まったし、佐渡先生達から何も預かってないわ。何か大切なもの?」

 「いや……ならいいんだ」

 島は、綾乃から視線を逸らした。あの戦闘の中の混乱だ。個人のポケットに忍ばせてあったものがどこに落ちてしまったかなどということは、誰にもわからなくて当然なのだ。

 (それに、俺は意識を失っていた…… もう……戻ってはこないだろうな)

 仕方がないとあきらめながらも、一方であきらめきれない深い思いが島にはあった。
 難しい顔をして考え込むその様子を怪訝に思った綾乃が、再び尋ねた。

 「ヤマトでの荷物のことなら、どうなったか防衛軍のほうに尋ねてみましょうか?」

 「いいんだよ、いいんだ。別にたいしたもん持ってなかったから……いいんだ」

 それだけを言うと、島はぷいと顔を逸らして、もうそのことについて言及しようとはしなかった。

 「…………」

 綾乃もそれ以上尋ねられず、黙って部屋を出た。

 (3)

 それから小一時間ほど経った頃、第一外科のナースステーションに森雪が一人訪ねてきた。綾乃が席を立って応対に出た。

 「あら、雪? どうしたの? 寝不足じゃないの?」

 綾乃が見た雪は、明らかに目を赤くしていた。
 実は昨日進は、雪に小さなメモと島に渡して欲しいとテレサのカプセルを残しただけで、宛てのない旅に出た。一人部屋に残された雪が、彼と唯一繋がる携帯を胸に、これからのことを様々に思い悩み、一人眠れぬ夜を過ごしたのだ。
 もちろん、それを綾乃が知る由もなかった。そして雪も自ら話すつもりもなかった。

 「綾乃、いたのね。私は大丈夫よ、なんでもないわ、それより島君の様子はどう?」

 「それは心配ないわ。さっきも少し話したけど、問題なさそうよ」

 「そう、よかった…… ね、綾乃、島君にちょっとだけ会えないかしら?」

 雪は安堵したように微笑んでから、懇願するような視線を綾乃に向けた。

 「まだ面会謝絶なのよ。間宮先生も今日は午前中いらっしゃらないし…… 急ぐの?」

 「それはわかってるわ。でも……ちょっと渡したいものがあるの。島君も探してるじゃないかと思って……」

 渡したいものと聞いて、綾乃はさっきの島の言葉を思い出した。

 「ヤマトに乗ってたときの荷物? 今朝、島さんも気にしてたわ」

 {えっ!?」

 綾乃の問いに、雪の視線が揺れた。
 なにせ持っている代物は、あのテレサの遺言とも形見ともなった映像カプセルである。島を想い続ける綾乃には、できれば知らせたくはない。
 ただ、進の言葉もあったし、島のことを考えると早く手元に返してあげたい気持ちも強い。

 「そうなの……? 島君の部屋の私物は冬月に移動するときに持って行ってるはずだから、後で司令本部経由でご両親の方へ届けられると思うんだけど…… それとは別に古代君が預かってたものがあって」

 さりげなさを装って答えてみるものの、それは長年付き合った親友のこと、なんとなく察するものがあったのだろう。綾乃はさらに雪を追及した。

 「どうしても今、渡さなきゃならないものなの?」

 「え、ええ……たぶん……島さんの大切なものだと思うの。治療室に置けないのなら、持ってることだけでも伝えさせて」

 あまりにも熱心に頼む雪に、綾乃もそれ以上断る理由もない。また、島の私物が何であるのかも尋ねる権利もないと自分に言い聞かせる。

 「……雪なら先生もだめって言わないとは思うけど……」

 綾乃がため息混じりにそう答えると、雪はぱっと顔色を明るくした。

 「もしものときは先生に私から謝るから、じゃあ、ちょっと行ってくるわ」

 その言葉も話し終わらないうちに、雪は背を向け足早に歩き出した。
 綾乃は、そのままナースステーションから出て行く雪を見送っていたが、雪が部屋を出ると同時に、湧き上がってくる思いに居ても立ってもいられなくなった。気が付くと、綾乃も部屋から駆け出していた。恋する女心が答えを求めていた。

 (島さんに何を……何を渡したいの!? 知りたい! 聞いちゃいけないような気もする…… でも、でも……聞かずにいられない!)

 廊下に出た綾乃は、先を歩いている雪を呼び止めた。

 「雪、待って!」

 「え?」

 驚いて振り返る雪に駆け寄った綾乃は、ごくりと息を一つ飲み込んでから、雪をじっと見た。不安げに自分を見返す雪を見つめながら、綾乃はゆっくりと口を開いた。

 「それって……もしかしたら、あの時の映像カプセルじゃないの?」

 「えっ……」

 絶句した雪に、続きの言葉はすぐに出てこなかった。だが綾乃は、それが求めていた答えだと確信した。

 「やっぱり……そうなのね、あの……テレサさんの……」

 険しい表情で自分を見つめる綾乃に、雪は申し訳なさそうに小さな声で謝った。

 「…………ごめんなさい、綾乃。あなたには言い出しにくくて……」

 「ううん、いいの。気にしないで。島さんきっとそれを探してるんだわ。すごく気にしてる風だったもの……」

 「彼にとっては、ただのお守りなのよ、きっと、もう……」

 言い訳がましいとは思いながら、雪がそんな風に答えると、僅かに微笑んだ綾乃は、黙ったまま首を振った。

 「ううん、そんなことないわ。島さんの心には今もずっと…… だって……」

 「綾乃……」

 「島さんね、意識を取り戻す前に彼女の名前呼んでたわ……だから……」

 うつむき加減の綾乃の瞳が潤んでいるように見える。胸が痛くなるようなその姿に、雪は掛ける言葉を失った。
 そんな雪のいたたまれない気持ちを察したのだろう。綾乃は、ぱっと顔を上げると、にっこりと笑って見せた。

 「ごめん、雪。私は大丈夫よ、だから、ほら、早く渡してきてあげて!」

 そうやって、綾乃は雪の背中をぽんと押した。

 「ええ、ごめんね、綾乃」

 小さく頷く綾乃にもう一度頭を下げて、雪は島のいるICUに入っていった。その後姿を綾乃はただじっと見つめていた。

 (島さんは、きっと……決してあの人のことを忘れることはないんだわ…… だって、テレサさんは地球を救ってくれた恩人ですもの。ううん、それよりも何も、彼を愛して彼のために命を捧げた人……命を掛けて彼を救ってくれた人ですものね。私なんかの入る余地なんて……ありはしないのよ…… これからもずっと……)

 あふれ出そうな涙をぐっと抑えながら、綾乃は立ち尽くしていた。今までに何度も突き付けられたその事実に、もう勝てそうになかった。

 (4)

 雪がICUに入ると、島は目を閉じていた。

 「島君……眠ってる?」

 雪は小さな声で話しかけた。すると、島はすぐに目を開いて雪のいる方を向いた。

 「雪? こんな早くにどうした? 古代は? 二人でゆっくり休養するんじゃなかったのか?」

 雪を見るなり、矢継ぎ早に尋ねる島の問いに、雪はあいまいに微笑んだ。

 「ええ、ちょっと島君に渡す物があったから……」

 「?」

 いぶかしげな島の顔の前に、雪はそっとその小さなカプセルを差し出した。

 「はい……」

 「あっ、それはっ!!」

 島は上半身を起こさんばかりにして大きく目を見開いた。それが何なのか、彼にはすぐにわかったのだ。そして手を必死に差し出し、雪の手に乗っていたカプセルを手に取ってまじまじと見つめた。

 「探してた?」

 「ああ……そうなんだ。ありがとう…… あの戦いの時、失くしてしまったと思ってたんだよ…… よかった」

 本当に嬉しそうにそして愛しそうにそのカプセルを手に握りしめる島の姿に、雪は複雑な気持ちになった。島のテレサへの深い思いはまだ強いことを痛感せずにいられなかった。

 「これ、君が持っていてくれたんだね?」

 島がカプセルに向けていた優しいまなざしを雪に向けた。雪も微笑を返してから、小さく首を左右に振った。

 「ううん、古代君が…… あなたがヤマトで意識を失ったときにポケットから落ちたの。それを見て、古代君絶対にあなたをこのまま死なせるわけにはいかないって、佐渡先生に何とかして欲しいって頼んだのよ。それはもう必死に……」

 「そうか……」

 島の瞳が悲しげに輝いた。それからカプセルを胸元に抱きしめると、じっと目を閉じた。

 「……テレサさんの思いを……彼女の最後の願いを思い出したんだと思うわ」

 雪は、数年前、白色彗星との戦いから戻った島と一緒に見た、カプセルの中のテレサの姿を思い起こした。忘れられない美しくも悲しい愛のメッセージだったあの姿。

 島は目を閉じたまま、しばらく何もいわなかった。彼も同じくあの時の彼女の姿を思い起こしているのだろう。
 それから、ゆっくりと目を開いて天井を見上げた。

 「じゃあ……俺はまた彼女に助けられたんだな」

 こみ上げてくるものが、雪の喉に突き刺さって痛かった。

 (5)

 「ふっ、もう少しで彼女に会えたのにな……」

 自嘲気味に口元を緩める島に対して、雪は激しく反応した。

 「島君! そんなこと言わないで!」

 雪の険しい顔をほぐすように、島の笑い顔は穏やかになった。

 「はは……ごめん、わかってる。俺は生死の境を彷徨いながら、彼女のいる天国へ行こうとしてた。けど……俺にはまだこの世に未練があったみたいだ。途中で気が変わってまだ生きてたいと強く思うようになったんだ。もう一度生きて……したいことがあるって」

 その言葉に、雪は心からほっとするものを感じた。

 「そうよ、まだまだ島君には未来があるんですもの」

 そう、島にはまだまだこれから新しい人生がある。そしてもう一度新たな恋もできるはずだと、雪は言いたかった。だが……

 「意識が戻る直前、テレサの声が聞こえてきたような気がしたんだよ。彼女も言ってた。生きろって…… 俺が生きている間は自分も生き続けられるんだって……そう、言ってた気がするよ。それがテレサの望みだったんだもんな。だから……」

 そこで一旦言葉を止めて大きく息を吸ってから、島は続きを話した。

 「彼女のためにも俺は行き続けるんだ」

 さっきよりは穏やかな表情になったが、島の心にはやはりテレサが深く住みついている。雪は気持ちを痛いほど強く感じた。

 (島君はまだテレサさんのことが忘れられない……のよね)

 自分が同じ立場だったらと思えば無理からぬことだと思う。と同時に、なんとか島にもこれからの自分の幸せを求めて欲しいという気持ちが、雪の心の中で交差していた。
 雪は島に気付かれないように、小さく吐息をついた。

 「島君……そうね…… でも、こうして戻ってこれたのはあなた自身の力よ。あなたの生きたいっていう気持ちがあってこそだわ」

 前を向いて欲しい。雪の思いはただその一点にあった。島にはテレサの愛を大切にしつつも、生きている自分の幸せを求めて欲しかった。
 その気持ちが島にも伝わったのか、彼はさっきよりさらに嬉しそうな笑顔を見せた。

 「うん…… みんなのお蔭だよ。あの時、俺を呼ぶみんなの声が聞こえたから、もう一度生きる力がわいてきたんだ。君や古代、次郎もヤマトの仲間たちに……」

 そこまで言って、島は言葉を止めた。彼は次の言葉を飲み込んでしまったのだ。
 口に出すことができなかった。自分を生へと呼んだのは、家族とヤマトの仲間達だけではなかったことを。最後の最後で自分をこの世に引き戻してくれたのは……テレサではなく、あの彼女の声だったことを。
 テレサを思うと、島にはどうしても言えなかった。

 だが島のその様子に、まだ言葉の続きがありそうだと感じた雪は、期待しつつ尋ねた。

 「他にも誰かの声が聞こえなかった?」

 島が綾乃の叫びに答えたその時、雪もあの場にいた。手術中、鼓動が止まりそうになった島の心臓を復活させたのは、間違いなくあの時発せられた綾乃の心からの叫びだった。
 雪には、その声を彼自身聞き覚えているはずだと思えてならなかった。

 「えっ!?」

 びっくりしたように大きな目を開けて見上げた島は、しかしすぐにその視線をはずしてしまった。

 「さあ……どう……だったかな?」

 島は、一瞬の動揺を雪に気付かれないよう、顔を背けた。今島はそれを口にするつもりはなかったから。例え雪や進にであっても……
 今はまだ、テレサ以外の女性を意識したことを知られたくなかったし、自分でもまだ……認めたくなかった。

 「島君?」

 その反応振りに不自然さを感じた雪がさらに尋ねようとした時、島は急に話題を変えた。

 「あっ、そ、それより古代はどうした?」

 (6)

 「え?」

 思わず進のことを尋ねられて、今度は雪のほうが一気に動揺してしまった。進は今、この場にいない。そして二人の家にもいなかった。それを島に告げるべきかどうか、雪は戸惑っていた。

 「部屋で一人閉じこもって不貞腐れてんじゃないだろうな。辛い気持ちはみんな同じだから、その気持ちはわかるが、落ち込んでたって何にも生まれないんだって言ってやれよ! 沖田艦長とヤマトは……」

 島は、そこまで勢いよく話していたのを一旦止めて、まるで黙祷をささげるように天井を向いて目を閉じた。そしてすぐに目を開くと、雪に向かってこう言った。

 「自分の使命を全うして、何の悔いもなく天に召されたんだと……思う」

 「島君……」

 悲しげに微笑みあう二人には、ヤマトと彼の人の在りし姿が目に浮かんだ。それから島はふうと小さく息を吐くと、遠くを見るように視線を浮かせた。

 「見たんだよ。俺が命の境目を彷徨っている時に天に昇っていくとてもきれいな魂を二つ。青い空のようにきれいなスカイブルーの光に包まれていた。
 きっと……それが艦長とヤマトだったんじゃないかって…… そう思うんだ」

 「きれいな二つの魂……」

 「ああ、古代にもそれを言わなくちゃって思ってたんだ。雪、あいつに伝えてくれよ。俺がそう言ってたってな」

 「ええ……わかったわ」

 雪の答え方の歯切れの悪さに、今度は島が何か感じ取ったようだった。

 「どうした?」

 島にじっと見つめられて、雪はもう黙ってはいられなかった。進の行動を、島なら受け止められると思ったから。

 「実はね……古代君、今いないの。昨日から、一人で旅に出たみたいで……」

 (7)

 「え? あの……ばか。また君をほったらかして!」

 その口調がいつもの島らしくて、雪は思わず微笑んでしまった。島はいつも雪のために進を叱咤激励してくれていた。そして進のために雪を励ましてもくれた。
 その島がこうやって生還してくれたことが、自分たちのためにも本当にありがたく嬉しかった。そして同時に、今度は彼のために自分たちが励ましていかなければならないとも思った。

 「うふふ……でも、今の彼にはそれが必要なんだと思うの。自分を見つめ直すために……」

 「こんなときに君を置いてか?」

 島はあきれたような顔で雪を見た。彼女はいつもと同じように、涼しげな笑顔を浮かべるばかりなのだ。

 「そりゃあ、私もそばにいて欲しいとは思うけど、でもそれは甘えすぎなのかもしれないわ。私にもひとりで考える時間が必要なのよ、きっと……」

 島はふっと笑みを浮かべる。雪がいつも心から進のことを思い理解しようとしているのだと思うと、嬉しかった。

 (まったく、本当に古代進という男は幸せもんだよな……羨ましいような、悔しいような……)

 「そうか…… まったく、あいつももっと素直に君に甘えればいいのにな。あいつまだ甘え方がわかってないんだよな」

 「ふふ…… そうかもね。でもね、彼、もし何かかあったら、私からの連絡だけは必ず受けるからって、そうメモに残していってくれてたの。だから……」

 雪は胸ポケットにしまってあった携帯電話を取り出して、両手で大切そうに握り締めた。その仕草がとてもいじらしい。

 「古代君とは、ずっと繋がってるのよ」

 答える雪の笑顔がまぶしかった。そういうことか、と島は思った。雪がこれほどまでに冷静でいられるのには、そんなわけがあったのだ。

 (あいつも少しは成長したと見えるな……)

 なぜかとても嬉しい。腹が立つほど嬉しかった。

 「確かに、俺も今回ばかりは一人で考えたいっていうあいつの気持ちもわからないでもないしなぁ。それに、君にちゃんと言葉を残していったのは褒めてやらなくちゃならないな」

 「ええ、ふふふ…… だから待つわ。彼が新しい自分を見つけて帰ってきてくるのを。彼は必ず戻ってきてくれるって信じられるから」

 「ああ、そうだな。なんでも前向きに考えなくちゃな!」

 島が明るくそう答えた。雪は自分と進もきっとそうしようと思っていたし、島自身にもそう考えて貰いたかったので、島の言葉に期待がわいた。

 (8)

 雪は前向きになった島を感じたくて、先の話をもう一度してみたくなった。

 「島君もよ。思い出だけじゃなくて前も見て……ね!」

 「ん?」

 聞き返す島に対して、雪は思い切って言ってみることにした。

 「あなたを生へと呼び戻したのは、本当は何だったのか…… よく考えてみて欲しいの」

 「何」ではなく「誰」と言いたかったのだが、そこまで具体的に口にできなかった。しかし島は、この言葉に明らかに反応を示した。突然顔色を変えて黙りこんだのだ。

 (島君、もしかして……やっぱりわかってたのね?)

 「島君?ねぇ……」

 「俺は……」

 島はさっきとは一転して厳しい表情で口を開いた。何か言葉を搾り出そうとしているようだが、それを搾り出せず、結局口にしたのは、雪にとっては期待はずれの返答だった。

 「ああ、なんか疲れたみたいだ。今日はこれで帰ってくれないか? カプゼル、本当にありがとう。これは俺の……一番大切なものなんだよ、雪」

 「島君!」

 雪がもう一度返答を促そうとしたが、島はやはり厳しい顔のまま、「すまない」と小さくつぶやいただけだった。
 病人をこれ以上追求することは無理だと、雪はあきらめざるを得なかった。

 「……わかったわ。ごめんなさい。古代君が帰ってきたらまたお見舞いに来るわ。それまで十分養生してね」

 「ああ、あいつが帰ってきたすぐ来いって伝えてくれよ。こんな怪我人にこれ以上心配掛けさせんなって灸をすえてやるからな」

 話題が進に向くと、島はまたその表情を和らげた。

 「ふふ……ありがとう。じゃあ、また……お大事にね」

 島の病室を出た雪は、ナースステーションに顔を出した。ちょうど綾乃は席をはずしていていなかった。
 カプセルを渡した時の島の態度は、綾乃に話すには躊躇(ためら)われるものだったので、その不在にホッとしてしまう。とりあえず在室していた他のナースに用事がすんだ旨を伝えて、雪は病院を後にした。

 帰途につく車の中で、雪はさっきの島の様子を思い出していた。

 (島君の心、まだまだ頑なだった…… まだだめなの?島君? 本当にテレサさんのことしかまだ思えないの? 綾乃の気持ちには、答えられ……ないの?)

 さっきの綾乃の寂しげな瞳を思い出しながら、雪は一人ため息をついた。

Chapter6終了

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