Departure〜彼らのスタートライン〜

1.生 還

Chapter8

 (1)

 それから一月あまりが過ぎた。島の容態はすこぶるいい。ただ、毎日引きもきらずに見舞い客がくるので、暇にする時間もなかった。厄介だと思う反面、嬉しくありがたかった。

 なぜなら、見舞いにやってくる元ヤマトのクルー達も、少しずつ自分の生活を取り戻しつつあることを知ることができるからだ。それが島の心を一番和ませてくれる。
 そして、もう一つ何よりも島を喜ばせたことは、進と雪の結婚話が先に進んだと言うことだ。

 あれはほんの数日前のこと。こちらも愛する晶子との交際が順調でルンルン気分の相原が、まさに満面笑みのにこやかな顔をして島の見舞いに来たのだった。

 「島さん! やりましたよ!!」

 開口一番がそれだった。いったい何がやったのか?と島が問い合わせたところ、相原はそれはそれは嬉しそうな顔をしたのだ。

 「この間ね、古代さんと雪さん、横浜の雪さんの実家に結婚を決めたことを報告しに行ったんですよ!」

 相原は前日の自分達とのダブルデートの話から、翌日の森家の状況まで、誰からどうやって聞き出したのか島が不思議に思うほど、詳しくそれらの様子を教えてくれたのだ。

 「噂では、結婚式は来年早々ってことらしいですよ! その頃までには、島さんも退院されてますよね」

 「もちろんだ! あいつの結婚式には意地でも出席して、友人代表として一言言わせてもらわないとならんからなぁ!」

 「あははは…… そうですね。楽しみにしてますよ。式の進行は、僕と南部さんで請け負いたいって話してるんですよ」

 「そっか、それはいいが、問題はあいつがうんと言うかだな」

 「大丈夫ですよ、絶対うんと言わせてみせますから。もう雪さんには打診済みですしね!」

 既に請け負う気満々の相原を見て、島はわははと大きな声で笑った。

 (2)

 (あいつらの結婚式…… これがヤマトのみんなにとっちゃ一番の薬だよな。生き残った奴にとっても、そして……死んでしまった奴らにとっても)

 二人の結婚式を契機に、元ヤマトクルー達も、さらに自分達の新たなる人生を考え始めるだろう。それほどまでに影響力のある二人だ。

 そして進は、ヤマト亡き後も防衛軍に残り、地球を守り続ける決意をし、先日再び宇宙へと旅立っていった。

 島も、自分もそろそろ退院後の進路を考えなければならないと思い始めていた。

 (この体が元のように動くのなら、もう一度宇宙に出て操縦したい……)

 その気持ちだけは変わらず持っている。極端な話、それが防衛軍の戦艦であっても、民間の船であっても構わない。ただ自分はまた宇宙に行きたい、とそれだけは間違いなかった。

 (宇宙(あそこ)には、テレサがいるからな……)

 島を助け、地球を救ったテレサは、今も宇宙の大海原のどこかで眠っている。彼女への思いを守り続けるためにも、自分は宇宙にいるべきだと思うのであった。

 (それに……病院(ここ)にいると、余計なことを考えてしまう……)

 この病院にいる限り、そして彼女が優しい笑顔を向けてくれる限り、自分の目が彼女を追っていることを、どうしても否定できなかった。

 あれからも、綾乃はごく普通の看護師として自分と接してくれている。
 だが、進や雪は綾乃のことでさりげなく探りを入れてくる。それに、手術の日の出来事や、綾乃が自分を思い続けているという進たちの言葉、さらには家族たちは常に綾乃に好印象を持っているという事実は否定できない。
 それらが全て相まって、島の心に綾乃を強く印象付けていた。

 そのため、日に何回も自分の目の前に現れる優しい笑顔の彼女を、意識しないでおこうと思えば思うほど、逆に気になってしまうのだった。

 (大体、彼女から好きだと告げられたわけでもないのに、逆に俺だけが意識しているなんて、自意識過剰もいいところだよな)

 と、島は、周囲の言葉を無視するように、自嘲気味に苦笑する。

 (やっぱり早く退院して、宇宙に戻ることだ。テレサを忘れられるはずのない俺が、彼女とこれ以上の関係になれるわけでもないんだから……)

 島にとっては、今もテレサは永遠の存在であった。

 (3)

 島の体がんどん快方に向かう一方、綾乃は一人心を沈ませていた。
 もちろん彼女にとって、島の怪我の回復は何よりも嬉しく、間もなく退院のめどもつきそうな今、決して憂うことなどないはずだった。

 勤務自体は問題なくこなしている。地球の状況もほぼ平常化し病院の運営も平時の状態に戻っている。もう過重な勤務状態でもなく、特に疲れがたまっているわけでもない。

 だが何人かの同僚達が、ナースステーションに戻った綾乃が、一人ぽつんと座り小さなため息をついているのを、何度も目にしていた。

 どうかしたのか、と同僚達が尋ねても、なんでもない、とすぐにいつもの笑顔に戻る。だからそれほど心配しなければならない状況ではないのだろうと思いつつも、なにやらすっきりしない雰囲気が彼女にはあった。

 そんなある日のこと。それはちょうど相原が島に、進と雪の結婚話が進んだことを告げに来た数日後のことだ。
 その日、雪は復帰した司令本部の任務の帰りに、島を見舞うために病院に立ち寄った。

 そこでナースステーションにいた綾乃の同僚の絵梨から、綾乃が最近、時々ため息をついている話を聞かされたのだ。

 「島さんも元気になってきてるっていうのに、なんか変なのよね〜」

 「そうなの…… それで綾乃は今日は?」

 「明けだったから、今は自宅じゃないかしら」

 「そう、じゃあ帰りに綾乃んちに寄ってみるわ。ここのところしばらく会ってなかったから、会いたかったところなの」

 「ほんと? ならちょうどよかったわ。一度話を聞いてあげて。ここの同僚には話したくないことなのかもしれないし、雪になら話せるかもしれないでしょ?」

 「ええ、わかったわ。ありがとう」

 そして何かできることがあったらいつでも教えて欲しいという絵梨からの伝言も貰って、雪は島の病室のほうへ向かった。

 (4)

 雪が呼び鈴を鳴らして部屋に入るなり、島はベッドから起き上がって笑顔で迎えてくれた。

 「よおっ! 幸せなお嬢さんじゃないですか〜!」

 「なあに? 島君ったらいきなり……」

 そう答えながら、雪の頬が赤らんだ。情報の早いヤマトの仲間達のこと、たぶん相原あたりが二人の結婚が具体的になったことを伝えたのだろうと、すぐに察せられたのだ。

 「ははは…… 今更何照れてんだよ! けどまあとにかくよかったよ。おめでとう!」

 「うふふ、ありがと、島君」

 雪は礼を言いながら、見舞いに持ってきた小さなアレンジメントの花束をベッドサイドの棚に置いた。

 「今日はお花持ってきたの。途中でお花屋さんが開いてたから……」

 地球の経済活動もほぼ日常を取り戻し、ほとんどの店が以前と同じように品物を並べるようになっていた。

 「いつもわるいな。あ、この前の料理美味かったよ」

 前回、進の出航前に二人で見舞いに来た時、雪が手料理を弁当にして持ってきた。島はその礼を言った。

 「ほんと!? 嬉しいわ」

 「はは、もうすぐ奥さんになるだもんな、雪も腕を上げたもんだよなぁ」

 「うふふ……そうでしょう」

 褒められて嬉しそうに微笑む雪に、島はちょっといたずらっぽく笑った。

 「ああ、イスカンダルへ向かってた頃とは全然違う!」

 「もうっ! そんな昔のこと! あれから何年経ったと思ってるのよ!!」

 褒めた後にすぐこれである。気の置けない仲間との会話は楽しいものだ。

 「あははは…… だけど、本当にほっとしたぜ」

 「ご心配かけましたっ!」

 「全くだ!」

 「まあっ」

 そんな軽い会話が続いた後、二人は顔を見合わせて大笑いした。

 「今頃、奴も艦の中でくしゃみしてるな」

 「ええ、たぶん……」

 愛する人の姿を思い出したのか、雪はふと遠い目をして頬を緩めた。結婚前の女性特有の美しい笑みを見せて答える雪を、島は目を細めて見た。

 (5)

 雪はその視線を恥ずかしそうに受け止めると、島を見返した。

 「今度は島君の番ね」

 島君も幸せをつかんで欲しいのよ。そういうつもりで言ったのだが、島はあっさりと別の線で受け止めた。

 「ああ、すっかり元気になったよ。もう廊下も歩いてるしな! いつ退院できるんだって、ずっと先生にせっついてるんだけど、まだ具体的には何も言ってくれないんだよなぁ。もういつ退院してもいいような気がするんだけどさ」

 おどけた顔で島が答えるので、雪は思わずぷっと吹き出してしまった。

 「まあっ、島君ったら気が早いわね。あんな大怪我したのよ、どう考えても、まだたっぷり1ヶ月は帰れませんって! それに、今ゆっくり養生しておかないと、退院が延びちゃうわよ」

 雪は、島の退院を焦る気持ちを、しっかりとたしなめた。すると島は口を尖らせて肩をすくめた。

 「ちぇっ、まったくその言い方、まるで看護師だな」

 「あら、私は元看護師ですもの!」

 「あはは、そうだったな〜」

 それからしばらく他愛もない話を続けてから、雪はふとさっきナースステーションで聞いたことを思い出した。

 「ね、ところで、ちょっと気になる事を聞いたの。綾乃のことなんだけど……」

 「綾乃さん? 彼女に何か?」

 島は突然の綾乃の話題に首をかしげた。

 「ええ、実はさっき絵梨から聞いたんだけど、最近元気がないみたいなの。島君が見て、何か変わった様子はなかった?」

 微妙な関係ながら、島と綾乃の間には、いつもとても温かい空気が流れている。そんな彼なら綾乃の様子の変化も知っているかもしれないと、雪は思ったのだ。

 「いや……別に何も感じないな。今朝もいつもの彼女だったけどなぁ」

 「そう……」

 島は知らないと言う。雪は少し考え込んだ。その姿を見て、島は不安そうな顔で再び尋ねた。

 「何かあったのか?」

 雪は顔を上げると、顔を左右にゆっくりと振った。

 「それが、よくわからないの。今日帰りに綾乃ん家に寄ってみようと思ってるのよ」

 「そうか……」

 島は眉をしかめてうつむいた。明らかに綾乃のことが気になっているのがわかった。雪はその様子を黙ったままじっと見つめていたが、しばらくして

 「島君も心配?」

 と、尋ねてみた。すると、島ははっとして顔を上げ雪を見た。それから慌てて口を開いた。

 「えっ? いや…… そりゃあ、まあ、友達……だからな。それに今も世話になってるし…… あ、けど、もし何か俺にできることがあるんなら……」

 雪には、島のその様子がひどく滑稽に見えた。心配していないといいながら、ひどくうろたえている。

 「ふふ……入院中の患者さんにお願いするようなことないわよ」

 「はは、それもそうだな」

 やっと話の矛先が変わって島が安心したように微笑んだ。そんな様子をじっと見つめながら、雪はある一つの結論に達していた。

 (6)

 綾乃は島の前ではごく普通にしているらしい。だが、ナースステーションに帰ってくるとため息をついているという。それはつまり……

 「でも……」

 「ん?」

 「もしも原因が島君だったら……」

 「なっ、どうして俺が?」

 島には綾乃を困らせた覚えなどなかった。だが、後ろめたいことなど何もないはずなのに、なぜかうろたえてしまう自分に、さらに慌ててしまった。
 その上、雪が真剣な眼差しで自分を見るのも、少々居心地が悪かった。

 「俺のわけ、ないだろ。第一、俺は彼女に……何も言ってないぞ」

 その言葉で、雪の脳裏に何かひらめくものがあった。

 (もしかして、その何も言ってくれないのが、綾乃には問題なんじゃないの?)

 雪は、そのことを指摘してみたい衝動に駆られたが、綾乃本人に尋ねたわけでもない今は、まだそれを口にすることははばかられた。

 島が瀕死の重傷を負って手術した時のことはもちろん、この1ヶ月あまりの入院生活の様子を見るにつけ、綾乃はもちろん、島も心の中でお互いを深く想い合っていることは、雪の中では周知のことになりつつあった。

 進も雪もそのことについて、さりげなく島に尋ねたことがあった。しかし彼は未だそのことを認めようとはしなかった。いつも、俺にはテレサがいる、の一点張りなのだ。
 綾乃はそのことで、思い悩んでいるのではないだろうかと思い当たったのだった。

 「ふうっ、とにかく本人と話してみるのが一番みたいね。それじゃあ、私はこれで……」

 雪のいとまごいに、島は肩に入っていた力が抜けた。笑顔に戻って礼を言う。

 「ああ、いつもありがとう。奴から連絡あったら、よろしく伝えてくれ。この幸せもん!ってな」

 「うふふ、ええ、わかったわ。島君も退院の予定が決まったらすぐ知らせてね」

 「了解!」

 雪を笑顔で見送った後、一人になった島は再び考え込んでしまった。

 (綾乃さんの様子がおかしい? 雪にも言ったが、確かに俺には何も感じられなかった。俺が原因? どうして……? わからない。いったい彼女に何が起こったっていうんだ?)

 自分には話せないような悩みを、綾乃が持っているというのだろうか。島はそう考えると、なぜかとても落ち着かない気分になっていた。

 (7)

 病院を出た雪は、まず綾乃の家に電話を入れ、在宅している綾乃に訪問の旨を伝えた。それから近くのコンビニで食料とアルコールなどを少々購入した。
 雪が病院のすぐ近くのマンションで一人暮らしをしている綾乃の部屋に着いたのは、30分ほど後のことだった。

 「おじゃましま〜す!」

 「いらっしゃい、雪。お疲れ様」

 玄関のドアを開けて部屋に招きながら、綾乃は微笑んだ。綾乃の様子がおかしいと言われて来た雪には、その笑顔が少々疲れているようにも見えた。

 「綾乃こそ、今朝明けだったんでしょ? 眠くない? お邪魔して大丈夫?」

 「うん、大丈夫。ちょっとお昼寝したし……」

 「そう?」

 雪は、なんとなくその言葉どおりに受け止めることは出来ない気がしたが、玄関前でする話でもないと思い、そのまま部屋に上がることにした。

 「はい、これお土産、今夜は久しぶりに二人で飲みましょ! 私も明日お休みなの」

 玄関で履物を脱いだ雪は、お土産に持ってきた包みを手渡すと、綾乃は嬉しそうに笑った。

 「わぁっ、たくさん! ありがとう。明日お休みなら、今日は泊まっていってね!」

 そして、雪をリビングに案内して座らせると、さっそく雪が持ってきたご馳走の封を切り始めた。
 皿とグラスを持ってくると、二人でつまみ類を皿に並べて、ワイングラスに少し甘めのスパークリングワインを注いだ。

 (8)

 品物が目の前に並んでから、改めて綾乃は雪の顔をじっと見つめた。

 「そういえば久しぶりよね、雪と二人で飲み会なんて。この前っていうと……もう1年以上前かしら?」

 「ええ……そうかも。いろいろ、あったものね」

 うつむき加減になった雪の表情が、僅かに曇る。それを見た綾乃も同じように寂しげな目をしたが、すぐにまた笑顔に戻った。

 「うん…… でもっ! 今は幸せいっぱいの雪ちゃんなんでしょっ? 聞いたわよ! 結婚式の予定決まったんですってね?」

 綾乃は、ニマニマと表現すれば一番良いのではないかと思われる満面の笑みを浮かべた。その視線に雪は酒を飲む前から、頬が熱くなる感じがした。

 「えっ? どうしてもう知ってるの!? 今日それを伝えに来たのに……」

 今夜言おうとしていたことを先を越されてしまった雪は、頬をほんのり染めながら目をぱちくりさせた。すると、綾乃がいたずらっぽくウインクをした。

 「相原さん! この間病院に来た時教えてくれたわ。たぶんもう第一外科じゅうみ〜んな知ってると思うわよ。ううん、ひょっとしたら中央病院中かな?」

 「え〜〜! やだもうっ、相原くんったら、あっちこっちでしゃべってるのぉ〜」

 「あ〜ら、その相原君に色々しゃべっちゃったのは、どなたでしたっけ?」

 今にもぷっと吹き出してしまいそうな顔の綾乃が、そう指摘すると、雪はあっと小さな声を上げてから、舌をぺろりと出した。

 「あはっ? それもばれてるの?」

 「はぁ〜〜い!」

 くすくす笑い出す綾乃をじろっと睨みながら、雪の口元は緩んでいた。

 「仕方ないわね。うふふ…… 今日はその報告もしようと思って来たのに、その必要はなさそうね。きっと相原君のことだから、あることないこと綾乃にしゃべったんでしょう?」

 「あること、あること、だけよ!」

 「んっ、もうっ!」

 「きゃははは……」 「あはは……」

 最後はとうとう二人してケラケラと笑い出してしまった。

 からかいの手が緩まない綾乃に、雪はすっかりお手上げだ。そして、自分の幸せを我が事のように喜んでくれる友人たちを持ったことを、雪はとても嬉しく思っていた。

 そして、ここでやっと目の前のお酒とつまみに目が戻った。とりあえず乾杯!とばかり二人でグラスを鳴らしてから、雪は改めて結婚の報告をした。

 「とにかく、結婚式は1月の中ごろのつもりで、今二人のスケジュールを調整中なの。特に古代君の方は航海の都合があるから…… 日程が決まったらすぐに案内を送るから、よろしくね!」

 「はぁい! 楽しみに待ってるわ。で、前回しそこねた友人挨拶はあり?」

 ワインのせいか、綾乃もほんのり頬を赤くしていた。その綾乃の茶目っ気たっぷりの笑顔の質問に、雪は大きく頷いた。

 「ええ、もちろん、ありよ! よろしくお願いいたします!」

 「了解しました! ああ、でももう4年も経っちゃったから、何話すつもりだったかすっかり忘れちゃったわ〜」

 「すみませんっ」

 結婚式を直前にキャンセルし延期してしまった進と雪だ。そのことを言われると、言い訳が出来ない。
 大きく頭を下げる雪を見て、綾乃が再びケラケラと笑った。

 「うふふ、いいわよ。その代わりに新しいエピソードもたくさん手に入れたもの」

 「うわ〜っ、お手柔らかにお願いよ〜〜!」

 「ええ、まかせておいて!」

 そして二人は再び楽しげな笑い声を上げたのだった。

 (9)

 つまみながらグラスを傾け始めて、二人ともすっかり満足した頃、雪はもう一つの目的の質問をすることにした。

 「ねぇ、ところで、綾乃?」

 「ん、なあに?」

 「最近、綾乃があんまり元気がないみたいだって、絵梨から聞いたんだけど……」

 突然の雪の質問に、綾乃は半分眠そうな顔になっていたのが、突然ぱっとはじけるように大きく目を見開いた。それから全然なんともない、と言いたげな顔で首を左右に何回か振った。

 「えっ? そ、そんなことないわよ。ほら、今だって元気でしょ?」

 「うん……そうなんだけど。でも……」

 雪が何をどう言いだしていいか言葉に戸惑っていると、綾乃は懸命になんでもないことをアピールし始めた。

 「体の調子はどこも悪くないし、仕事も問題ないし、全部順調よ。もう、絵梨ったらどうしてそんなこと言ったのかしら?」

 だがその言葉とは裏腹に、彼女の瞳の奥底が微妙に揺れ始めたのを、雪は見逃さなかった。それは長年付き合ってきた友達としての勘とでも言うべきものなのかもしれない。
 そこで雪は、回りくどいことをやめて、まっすぐに尋ねたいことを口にすることにした。

 「でも島君のことは?」

 「!?」

 一気に綾乃の顔色が変わった。お酒が入った彼女の心は、少々無防備になっているのかもしれない。そこにストレートな質問がきて隠す暇もなかったというところか。彼女の視線が不安定に揺れ始める。

 「やっぱり…… それが原因なのね?」

 「違うわ……」

 「違うわ」と言葉にしているが、その震える口元が「違わない」ことを顕著に表していることが、雪にはよくわかった。

 「話してみて、お願い! 島君のこともあなたのことも、私、本当に心配なの。どちらにも幸せになってもらいたいのよ。だから……」

 「雪……」

 雪は畳み掛けるように、綾乃に問い続けた。真剣な眼差しが綾乃の心に突き刺さる。ほんの数十秒だったが、じっと見つめあった二人の睨みあいは、あっさりと綾乃の負けで終わった。親友の真摯な問いには、きちんと答えなければと思ったのだ。

 綾乃は、雪から視線をはずすと、うつむき加減に小さな声でポツリと言った。

 「島さん……には関係ないわ」

 (10)

 「うそ……」

 即座にそう答えた雪に対して、綾乃は少し語気を強くしてそれを否定した。

 「うそじゃないわ! ただ……」

 そこで一旦口ごもってから、綾乃は再びうつむき加減になって、次の言葉を続けた。

 「うちの両親がね、帰ってこないかって言うの……」

 「帰って来ないかって? それってもしかして?」

 ただの帰省の要求ではないことは、綾乃の表情からすぐに見て取れた。すると綾乃も雪の反応が正しいことを示すように、こっくりと頷いた。

 「ええ、病院をやめてうちに帰ってこないかっていうこと」

 「でも……」

 「私、看護学校の時から、ずっとこっちで一人暮らししてるでしょう。その間に地球じゃあいろんなことがあって、そのたびに連絡がとれなくなったりして…… 今回のことで、もう親としては限界だって言われたの。結婚しているのならいざ知らず、もうこんな危険な都会に、一人で置いておくのが、心配で心配で仕方ないって言うのよ」

 その言葉に、雪も自分の胸が痛くなる思いがした。

 綾乃の出身は、信州の松本である。ガミラスの攻撃で疲弊しつつあった地球の人々を助けたい、そのために最高の看護技術を手にしたい。そんな決意を持って綾乃は単身上京し、連邦中央病院の付属看護学校に入学したのだ。

 それからのことは、雪もよく知っているが、綾乃はここ東京で懸命に看護師として頑張っている。そのことを実家のご両親も喜んでくれているという話は、綾乃本人からも聞いたことがあった。

 だが綾乃の両親の気持ちもよくわかる。親としては当然の不安だろう。ここ数年のたて続けの宇宙からの侵略。その度に、まず標的にされたのは大都市、それも地球の主要都市だった。
 特にここ東京メガロポリスは、その中心的存在だけに、毎回甚大な被害を被ってきた。あの暗黒星団帝国の重核子爆弾が降下してきたのも、ここだった。

 そんな場所に、夫や家族がいるのならまだしも、まだ20歳そこそこのかわいい娘を一人で住まわせることに、両親が不安を感じないわけはない。

 宇宙戦士としてそれなりの任務を果たしてきた雪とて同じことで、今までにどれだけ親を心配させたかわからない。いや、宇宙戦士であり最前線で戦うヤマトの乗組員である雪は、綾乃の両親の比ではないほどの心配を、自分の親達にかけている。
 ただ、雪には進がいた。深い愛で結ばれた二人が、これからもともに生きていくことを知っている。だからこそ、雪の両親は帰って来いとは言わないのだ。

 「……そりゃあ、ご両親のそのお気持ちはわかるけど」

 自分も同じ立場の両親を持つだけに、雪の胸も痛い。だがそれでも今、綾乃に遠く信州の実家に帰って欲しくはなかった。

 「でも綾乃だってこっちでちゃんとやってるじゃないの」

 「うん、それはそうだけど…… それにね……実は、お見合いの話もあるのよ」

 (11)

 「お見合い!?」

 見合いと聞いて、雪はすぐに自分の時のことを思い出した。ヤマトがイスカンダルから帰還してすぐに、母に見合いをセッティングされてしまった。それどころか、雪が地球に帰る前から、母はせっせと見合い写真を集めていたのだ。

 どこの親も考えることが同じなのだと感心すると同時に、綾乃がどう答えたのか気になった。

 「まさか、するつもりじゃないでしょうね!」

 自分のことを言えば、あの頃進と気持ちを通じ合えたばかりで、見合いなど絶対にするもんかと思ったものだ。
 だが、綾乃は…… 島のことをあきらめようと思っているのだろうか? 雪の問い詰めるような視線に、綾乃は僅かに笑い顔で答えた。

 「いい話なのよ。お見合いっていってもね、相手の人、私もよく知ってる人なの。5つ年上の人で、うちの近所でお父様と一緒に開業医をしてるの。とってもいい人よ。
 私が看護師になった時にお祝いに来てくれて、いつかうちの病院で働いて欲しいな、なんて言われたりしてね。その時は冗談半分の社交辞令だって思ってたんだけど、その頃から私のこと真面目に思ってくれてたみたいなの。
 だからお見合いっていうより、結婚を前提にして付き合う気はないだろうかって、うちの親に頼みに来てくれたらしいの」

 「それじゃあ、お見合いって言うより、もうほとんどプロポーズみたいなものじゃない?」

 見合い以上にことは進んでしまいそうな気配に、雪はとても不安になった。

 「そうね、そうかもしれないわ」

 その男性のことを話す綾乃の表情は穏やかだった。気心も知れた相手で、かつ好意を持っている相手らしい。また自分を望んでくれたということも、綾乃に好印象を与えているのかもしれない。
 ただ、当然のことながら、彼女の瞳の中には、島を見つめる時のような激しく燃える恋の炎はなかった。

 「でも綾乃は島君のことを愛してるんじゃないの!?」

 雪はやはりこう尋ねずには入られなかった。すると、綾乃は今にも泣き出しそうな目をして、口元だけで僅かに笑顔を作った。

 「でも、島さんのことは……」

 とそこで一度言葉を止めて、小さなため息をついてから続きを言った。

 「あたしが勝手に片思いしてるだけだもん」

 (12)

 「そんなこと……」

 ない、と雪が言おうとしたら、それよりも早く、綾乃がきっとした顔で雪を睨みながら強い語調で答えた。

 「あるわ! だって島さんは今でも……テレサさんのこと、忘れてないもの!」

 綾乃は、テレサという言葉をやっと絞るように口にした。言う本人も辛いが、聞いた方も辛かった。

 「それは……」

 「島さん、この間、目覚める直前に「テレサ……」ってつぶやいたのよ。私この耳ではっきりと聞いたわ。それに雪が持ってきたあのカプセル。今もいつも大事そうに枕元に置いてる……」

 綾乃は雪を睨んでいた目を伏せて、唇をぎゅっとかんだ。テレサのことに関しては、綾乃の言う通りかもしれない。けれど雪は、島の心を占めているのが、それだけではないことを、綾乃に知らせたかった。

 「それはそうかもしれないけれど、でも、島君は綾乃のことを、とっても大切に思ってるはずよ」

 島がテレサを忘れかねていることは、雪もよく知っている。おそらく彼の心には一生残り続ける存在であることは間違いない。
 だが、その島の思いも含めて、綾乃には島を愛してもらいたかった。綾乃ならそれができる、雪はそう思っていた。それを綾乃にわかってもらいたかった。

 しかし雪の説得も、綾乃には素直には受け止められなかった。

 「そりゃあ、友達としては……ね。親しい方だと思うし、最初はね、私もそれでもいいって思ってたの。そして、いつかもしかしたらって…… でももう疲れちゃった」

 そして綾乃は潤んだ瞳で、雪にすがるように見つめた。

 「思ってもくれない人のことを何年も思ってるより、思ってくれる人と結婚した方が幸せになれるって思わない? だから、今回のお見合いの話も、私にとってもちょうどいい頃合なのかな?って思えてきて……」

 「でも……」

 「そりゃあ、雪は誰よりも好きな人に愛されて、幸せでしょうけど……」

 反対しようとした雪の言葉を遮るように、綾乃は捨て鉢気味に言った。

 「綾乃……」

 雪に返す言葉がなかった。確かに自分は心から愛した人から、同じだけ深く愛をもらっている。それは雪にとっては、ごく当然のことのような気がしていたが、そんなふうに互いの心が同じように向き合えないことも、この世の中には多い。

 (13)

 雪が口をつぐんでしまったのを見て、綾乃は言い過ぎたことに気付き慌てて謝った。

 「あ、ごめんなさい。雪にあたるつもりなんてなかったのに…… あなたと古代さんがどれだけ苦労して辛い思いをしてきてるかを、私だって良く知ってるのにね。ほんとごめんなさい」

 綾乃は、少しばつが悪そうに微笑んだ。雪もそれに答えるように、さっきの綾乃の言葉を怒っていないと伝える意味で、微笑んで見せた。

 「ううん、いいの。綾乃の言うとおりだもの。私は古代君に愛されていることを知っているわ。だから今はとても幸せ。でも島君だって……」

 すると綾乃は雪の言葉をさえぎるように、首を左右に振った。

 「島さんはテレサさんのことは忘れられない、絶対にね。でもそれは仕方ないことだし、亡くなった人と争うつもりはない。それを非難するつもりもないの。私は、テレサさんのことを思っている島さんをまるごと……好きになったんもの」

 愛する人のことを語りながらふっと微笑む綾乃は、とても美しく見えた。
 雪は、綾乃の思いの深さを改めて知る思いがした。そして同時に、綾乃ならきっと島を幸せにできる、そう確信したのだった。

 「でもね、ずっとずっとこんな思いをし続けるのが、だんだん辛くなってきちゃったの。それにもし、島さんがふっ切れたとして、その時私じゃない誰か他の人を愛したとしたら? その時彼のそばにいるなんて、私には辛すぎるもの!」

 「綾乃…… あなたの言う通り、島君はテレサさんのことを忘れられないのは本当よ。私だって、完全な綾乃の片思いだって言うのなら、そんなに引きとめたりしないわ。せっかくあなたが幸せになれる話だもの。でも違うの、違うのよ、島君は……綾乃のことも好きなの! 彼はあなたのことをとっても大切な人だって思ってるのよ!」

 雪が必死に訴えるのを聞きたくないとでも言いたげに、綾乃は顔を背けた。しかし、雪は話をやめなかった。

 「綾乃だって覚えてるでしょう?手術の時のこと。島君の心臓が止まりそうになった時、私が声をかけてもだめだった。けどあなたが呼んだ時、彼、反応したじゃない! あなたの声で島君もう一度頑張ったののよ。あなたのおかげで島君はもう一度生きようとしたんじゃないの! それをもう忘れちゃったの!?」

 「…………そんなの…… ただの偶然だわ」

 綾乃の逸らした視線が揺れる。
 あの時は、ただ助かって欲しくてわけもわからずに叫んでしまった。その心の叫びを、本当に島は聞いたというのだろうか。
 綾乃には、そう確信するほどの自信はなかった。

 「綾乃……!」

 雪が声をかけた時、綾乃はやっと顔を上げて雪を見た。そして再び悲しそうな笑みを浮かべた。

 「もういいのよ、雪。確かにあの時は必死だった。ただ島さんが助かってくれればそれでいいって神様に何度も祈ったわ。そして島さんは戻ってきてくれた……
 島さんが目を覚ましたときは本当に嬉しかった。私に向かって微笑んでくれた時は、どんなに嬉しかったことか……
 でも、もうそれで十分。願いが叶ったんだもの。もうこれ以上望むのは、欲張りすぎなのよ。だから、もう、いいの」

 島が生きてさえいてくれればそれで幸せ。そう言い切れる綾乃の気持ちは、雪にはよくわかった。自分もそしてテレサも愛する人に対してそう思ってきたのだから。

 そして、テレサにも負けないほど深く彼を思う綾乃の話を聞けば聞くほど、今はまだ頑なな島の心を解きほぐせるのは、綾乃しかいないと思えてくるのだ。
 だから、このまま綾乃を島の前から去らせてしまうわけにはいかないと、雪は強く感じた。

 (14)

 会話が途切れ互いに無言になった。ちらちらと相手を見ながら、ちびちびとグラスのワインを飲んでいたが、しばらくして雪がグラスをコトリとテーブルに置いた。綾乃がちらりとそれに目をやると、雪は再び口を開いた。

 「ねぇ、綾乃。帰ってしまう前に、せめて自分の気持ちを島君にきちんと伝えようとは思わないの?」

 「…………」

 綾乃は何も答えないし、顔も上げなかった。さらに雪が問う。

 「何も言わずに、そのまま島君の前からいなくなっちゃう気? 何の努力もしないで……」

 「だって……」

 綾乃は、今度は顔を上げたが、言葉はそれ以上続かなかった。そして、その瞳は潤み始めていた。綾乃が瞬きをすると、一粒二粒の涙が頬を伝った。

 今度は雪の方が小さなため息をついて、悲しそうな笑みを浮かべた。

 「ごめんなさい。綾乃の気持ちもよくわかってるの。相手の気持ちもはっきりしないのに思い続けることは、とっても苦しいことだものね。とっても……辛いものよね」

 綾乃は涙で潤んだ瞳のまま、大きくかぶりを振った。

 「でもね、さっきも言ったけど、私は綾乃の片思いじゃないって思ってる。島君、絶対に綾乃に特別な思いを持ってるわ。私にはわかるの。
 ううん、私だけじゃない、たぶん古代君も、相原君達もきっとわかってると思う」

 雪の言葉に、綾乃の視線が止まった。そして、「そんなこと簡単には信じられないわ」と、その顔に書いてあった。

 「ううん、わかるのよ、私たちには…… 一緒に死線を乗り越えてきた私たちには……彼の心が……思いが……」

 雪は自分が本当にそう思っているのだということを、綾乃にわからせようと必死に訴えた。そしてその訴えは、綾乃の心を少しばかり動かし始めたようだった。綾乃の瞳に僅かに希望の光が蘇った。

 「雪……」

 「ね、お願い。もう少し考えてみて。島君にもうちょっとだけ時間をあげて欲しいの。きっと彼、どこかで過去の思いをふっきって、今、生きている自分の心を見つけるはずだから。これからの自分のこと考えられるようになるはずだから!
 そうしたら、綾乃への気持ちをちゃんとまっすぐに認められるようになると思うの! お願いよ! 綾乃のためだけじゃなく、島君のためにも!」

 雪は最後は身を乗り出すようにして、綾乃にその気持ちを伝えた。お互いをじっと見つめあったまま、沈黙が続く。

 島君のためにも! 綾乃の心の中に雪の言葉が響いていた。

 彼が本当に自分を少しでも思ってくれているのなら、これから生きていく島の心を自分が支えられるのなら…… それは綾乃にとってこれ以上ない喜びになる。

 けれど一方で、亡き人を忘れられずに自分を拒否する島の姿が目に浮かぶ。島に顔を背けられたら、自分はもう立ち直れないような気もしてくる。だからこのまま、何も告げずに去りたいと思ったのだ。綾乃の心の中で、二つの思いが交錯していた。

 ようやく、その緊張が解けたのは、綾乃が先に視線をはずした時だった。

 「わかったわ。もう少し……考えてみる」

 綾乃の口から、その言葉が漏れると、雪はほっと小さな安堵の吐息を吐いた。

 「綾乃……」

 「でも、気持ちが変わるかどうかはまだわからない。でも、ありがと、雪。今はそれしか言えないけど」

 「そう、そうね。わかったわ! じゃあ、もうこの話はこれでおしまいっ!」

 揺れる思いに今すぐ答えを出すのはむずかしいものである。
 雪は言いたいことだけは伝えた。後は綾乃自身の問題だ。それは綾乃が一人でじっくり考える必要があるのだから。

 雪はがらりと雰囲気を変えて明るい口調でこう言った。

 「今晩泊めてくれるんでしょう? 思いっきり飲んじゃおうかなぁ〜」

 「うふふ、ええもちろんよ! じゃあ、もう一度乾杯ねっ!!」

 再度乾杯し笑顔に戻った二人は、話題を巷の噂話に切り替えて、久しぶりに夜遅くまで飲み明かした。

 (15)

 それから1週間後のことだった。雪は宇宙からの航海から帰ってきた進と久しぶりの夕食をともにし、その後二人でリビングでくつろいでいた。

 あの日以降、雪も出張などもあって忙しくて病院に行くことができなかった。ただ先日相原から、あと2週間で島は退院できるらしい、という嬉しい知らせが届いていた。

 「そうか、よかったな、さすが島だな、こんなに早く退院できると思わなかったよ」

 「ええ、本当によかったわ」

 島の退院の話をして聞かせると、進はとても嬉しそうに笑った。それから雪は、先日の綾乃とのやりとりも話して聞かせた。

 「……ということなのよ」

 「まったくあの唐変木(とうへんぼく)め! 一体、いつまでテレサにこだわってやがるんだ!」

 進がテーブルをドンと叩いた。その怒りの表情を見ながら、雪は不謹慎にも、進に唐変木扱いされてしまったことを島が聞いたら、どんな顔をするだろうかと思うと、おかしくて仕方なくなった。さすがに顔にそれを出すことはしなかったが。

 「それは……仕方ないわよ。テレサさんのことは、島君には永遠に忘れられないことだもの」

 「…………まあ、それはそうだが……」

 さっきは唐変木と叫んでいた進が、今度はあっという間に大人しくなった。島の気持ちは、進だって痛いほどよくわかっているのだ。

 「でも、島君は生きているわ。これから生きて幸せをつかまなくっちゃならないのよ。それは残念だけど、テレサさんにはできないことだわ」

 「ああ、そうだな。テレサだって、このままずっと島が一人寂しく生きることを望んじゃあいないだろう」

 進はソファにどっかりと座りなおして、少し遠くを見るような目をした。雪には、その顔がとても寂しそうに見えて、島のテレサを思う顔と重なった。そして自分は……

 「そうね……」

 「どうした? そんな顔をして……」

 雪がいきなり声のトーンを落としたのに気付いた進は、身を起こして雪に尋ねた。すると雪は進の隣にすりよって体を預けると、進の腕を自分の両腕でぎゅっと抱きしめた。

 「ううん……ちょっと……」

 一旦口ごもってから、雪は決意したように真剣な眼差しで進の顔を見あげた。胸がキュンと痛む。

 「もし私がテレサさんのように、あなたを置いて逝ってしまったとしたら…… 私、あなたにも誰か素敵な人とめぐり合って幸せになってもらいたいって思うわ、きっと……」

 雪の瞳が切なく潤む。と、進は突然うろたえた。

 「ちょ、ちょっと待てよ! 縁起でもないこと言うな! 君に死なれたりしたら、俺は生きてけないぞ!」

 「えっ?」

 そのうろたえ方が、あまりにも真剣なので、一人切ない気持ちに浸っていた雪は面食らってしまった。驚いて目を見開いていると、進は盛大にはぁ〜と息を吐き出してから、雪の方から視線を逸らした。

 「雪がいないと……俺はだめなんだ。だから、そんなことは……絶対言うな!」

 雪の胸がじわっと熱くなっていく。それは何よりも増して深い愛の言葉だった。

 「古代君……」

 「雪……」

 見つめ合う二人がそっとその唇を近づける。まもなくリビングの二人の影は、ぴたりと一つに繋がり、そして消えていった。

 (16)

 数時間後、ベッドで進の胸に体を預ける雪に、進はさっきの話を再び始めた。

 「とにかく、島のことは、このままほっとくわけにはいかないな」

 「でもどうするの? 島君はきっと綾乃のこと好きなのよ。でも、例えあなたが島君に強引に詰め寄ったって、彼、結構頑固だから、簡単に自分の気持ちを認めたりしないわ。テレサを思い続けている自分が、綾乃のことを幸せにできるはずないなんてこと思ってるのよ、きっと」

 雪が島の心境を分析すると、進もウンウンと頷いた。

 「たぶんな…… あいつ、ああ見えて、意外と恋愛には不器用な性格してんだよなぁ〜 今までのことだってさ、君には告白せずに終わっただろ?まあ、この間切羽詰ってから告白してたけどさ」

 「あれは……」

 「あはは、まあいい。それにテレサのことだってそうだっただろ? 航海班長だから航路を確認するために、俺が通信するだとか何とか言ってさ。まあそれもそうだけど、最初から素直に惚れちまったから、自分が話したいって言えばいいのにさ」

 進がせっせと島の恋愛行動について講釈を加えるので、雪はとてもおかしくなった。

 「まあ、うふふ……でも、昔のあなたよりはましでしょうけど〜」

 「なんだとぉ〜!!」

 進はわざとらしく怒った振りをして、雪を強く抱き寄せた。

 「ふふふ…… それでどうするの?」

 温かいぬくもりに包まれた雪が進を見上げると、それに答えるように進はニヤリと笑った。

 「こうなったら絶対に島から告白させてやる。あいつには『色々と』世話になったし、今までのお返しをしてやらんとならんからなっ!」

Chapter8終了

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(背景:Angelic)