Departure〜彼らのスタートライン〜

1.生 還

Chapter9

 (1)

 雪が進に綾乃の悩みを話してから1週間がたった。だが、進がさっそく島に談判した、という話は聞こえてこない。そして進は再び宇宙へと旅立ち、外面的には特に変わったことも起こらず平穏な日々が過ぎていた。

 島も綾乃が元気がないという話を聞いて一時は心配もしたが、その後もなんら変わりない態度の綾乃に、余計な心配だったと思うようになっていた。

 島の回復も順調に進み、予定通り退院まであと1週間余りになった。もう少し早く退院できないかという島の訴えを、主治医である間宮希医師は、きっぱりと拒否した。一時は失いかけた命が助かったのである。希としては大事を期したいところなのだ。

 そんなある日のこと、ヤマトの広報部長……もとい元ヤマト通信班長の相原が、島の見舞いにやってきた。

 「島さん聞きましたか?」

 相原は入ってくるなりこのセリフだ。島は苦笑しながら尋ね返した。

 「なんだ? お前の「聞きましたか?」は聞き飽きたけど、お前よりも先に情報を聞くはずないだろ? 一体なんだってんだ? おい、まさか、また古代たちが結婚式を延期するとか言い出したとかじゃないだろうな!?」

 島が冗談半分本気半分に尋ね返すと、相原はその心配を吹き飛ばすような快活な笑い声をあげた。

 「あはは…… それはありませんっ。二人とも問題なしですよ。まあ、古代さんは結婚式の内容に、ちょっとばかり抵抗することもあるかもしれませんけど、これに関しては、僕らが言わせませんからね〜」

 「はっはっはっ、結婚式の司会は南部とお前がやるんだってなぁ。雪がこの前来た時、楽しみにしてるって笑ってたよ。ま、古代にとっちゃ脅威かもしれないがな。おっと、それでさっきの話はなんなんだ?」

 笑っていた相原の顔が真顔に戻った。

 「いえね、ここの看護師さんの話だから島さんのほうが詳しいかと思ったんですけど、あ、でも聞いてたらこんなに落ち着いてないか……」

 「何をごちゃごちゃ言ってるんだよ。ここの誰がどうしたって?」

 後半の部分の声が小さくなってぶつぶつと小さな声で口ごもる相原に、業を煮やした島が尋ねなおした。すると、

 「綾乃さん、近々実家に帰るらしいですよ」

 と、いきなりこう切り出したのだ。綾乃と言われ、島は先日の悩んでいる話をちらりと思い出したが、休暇を取って実家に帰るというだけでは、相原が色めき立つ内容とは思えなかった。

 「へえ、そうなのか。休暇を取って帰るんだろ。いいじゃないか、彼女もずっと働き詰めだったからな。たまには実家にも帰るさ、それがなんで問題なんだ?」

 「いえ、休暇ならいいんですけどね……」

 そこまで言ってから、相原は探るような視線で島を見た。それから勿体をつけるように、一呼吸置いてからこう言った。

 「ここを辞めて帰るって噂があるんですよ」

 「辞める?まさか……」

 辞めるという言葉に、ただならぬものを感じた島は、一瞬顔色を変えたが、しかしすぐにいつもの顔に戻った。

 「俺は毎日彼女に会ってるが、そんな話聞いたことない」

 院内でも特に問題や揉め事なども聞いていないし、彼女が辞める理由など何も浮かばない。すると、相原は上目遣いに見て肩をすくめた。

 「ま、そりゃあ、ちょっと島さんには言いにくいでしょうねぇ」

 「どうして俺には言いにくいんだ?」

 相原の意味深な視線を避けるように、島は眉を潜めた。自分と綾乃の微妙な関係のことは、誰にも関わって欲しくなかった。しかし相原はそんなことはお構いなしに、

 「ここを辞めて実家に戻って……」

 とそこまで言ってから、相原は言葉をとぎらせ島の反応振りをうかがうようにじっと見つめながら「結婚するらしいですよ」と、すぐ近くに顔を寄せて小声で言った。

 (2)

 「結婚!?」

 さすがの島も、思わず大きな声で聞き返してしまった。その後「まさか……」と相原にも聞き取れないような小さな声でつぶやいた。
 その反応を待ってたかのように、相原は目をきらリと光らせた。

 「驚きました?」

 確かに驚いた。いきなり辞めるだの結婚だのとまで話が飛躍したのだから。そして当然、それは島の動揺を誘った。

 だが、島は自分の綾乃への気持ちは、心の奥底に押し込めてしまった。辞職しようが結婚しようが、自分に直接関係のあることではないと、相原には思ってもらわなくてはならない。

 「べ、別に……驚きはしないさ。彼女だって年頃の女性だからな、結婚の話の一つや二つあったって不思議じゃないだろ」

 「ふうん……」

 相原の疑わしげな視線が痛い。それでも島は平静を装って、というよりも相原に挑むような顔で答えた。

 「なんだ、その顔は!? いいじゃないか、人が幸せになる話だ。そりゃあ、連邦病院の優秀な看護師がいなくなるのは残念だけどな」

 その言葉で、相原も疑わしげな表情をやめた。

 「あれぇ? そんなもんなんですかぁ〜 なんだ、がっかりしたなぁ」

 「あのなぁ、一体お前何を期待してたんだ?」

 「いえ、別に特に他意は…… とにかく島さんも来週で退院ですし、いいことですよ、はっはっは……」

 もっと何か言われるかと構えた島だったが、相原はそれ以上何も突っ込もうとはしなかった。島はほっとしたような、また半面肩すかしを食ったような複雑な心境になった。

 綾乃の辞職と結婚という噂話は、こうして島の耳に入ることになった。

 (3)

 相原が帰ってからも、島はベッドに横になりながら、さっきの話を思い出していた。

 (綾乃さんがここを辞めて実家に帰って結婚だって!? まさか……)

 島には、そのことがにわかには信じられなかった。信じられない気持ちとともに、それが本当ならばと思うと、心のどこかに焦りのようなものが生まれていないと言えば、嘘になるだろう。

 自分の気持ちも彼女の思いも、どちらも認めようとしない島だが、それでも心のどこかで、彼女はこれからも自分の近くでずっといてくれる、そんな気持ちで安心していた。

 島は、彼女の結婚話を耳にして予想以上に動揺している自分自身に戸惑いを感じていた。

 (大体、彼女が結婚するのなら、めでたいことじゃないか。俺がどうこう言える問題ではないんだ……)

 島はちらりとテレサのホログラムカプセルを見た。それはいつも自分の枕元に置いてある。テレサへの思いの奥にしまい込んだ綾乃への微妙な思いは、綾乃の結婚話を聞いた今も、島には簡単に浮かび上がらせられるものではなかった。

 (それに噂なんだ。綾乃さんからも雪からもそんな話は聞いていないし、休暇で帰る彼女の話に、尾ひれがついただけなのかもしれない……)

 相原の話は単なる噂話として消し去ろうと島が思ったその時だった。ドアの入室ブザーが押された。
 島が返事をすると、入ってきたのは当の綾乃だった。一瞬ドキリとした島だったが、綾乃に特に変わった様子はない。いつもと同じ笑顔で島に微笑みかけた。

 「島さん、調子はいかがですか?」

 綾乃が島の様子を見にくるのは、朝昼晩の3回。二人の毎日の日課のようになっていた。
 島は体の上半身を起こして、いつもと変わらぬ調子で返事をした。

 「特に問題はないよ」

 「体温も平熱ですね。じゃあ、脈拍見せてください」

 綾乃は、ベッド脇のサイドテーブルに置かれた体温計の数字を読み取ると、すぐにポケットにしまった。それから島の手首を取って時計で測り始めた。手首と時計を交互に見ながらの計測もいつもと同じだ。

 だが、それを見つめる島の視線は、いつもより鋭かった。どこか彼女の中に変化があるのかどうか、そのことばかり気にしていたのだ。
 脈を測り終えた綾乃は、島の腕をベッドに戻したが、その時初めて島がいつになく真剣な眼差しで、自分を見つめているのを感じた。

 「……? 島さん、なにか?」

 「えっ!? い、いや……」

 島は自分の態度がどこかいつもと違っていたことが、綾乃に知れたことに慌てて顔を背けた。だが、綾乃はそれ以上何かに気付いたわけではないらしく、いつもと同様の会話をするだけだった。

 「そうですか? 痛かったり辛かったりしたら遠慮なく言って下さいね」

 「ああ、ありがとう……」

 「退院までもう少しですものね。もう少し我慢してくださいね」

 「ああ、そうだな。もう少し我慢してるよ」

 「お願いします、ふふ……」

 笑顔で頷きあう二人に、優しい空気が流れた。

 (4)

 その時、島の脳裏に、さっきの相原との会話が浮かんできて、綾乃の帰郷の噂を確かめてみたくなった。

 「そう言えば、綾乃さん、休暇とって田舎に帰るんだってね?」

 突然の問いに、綾乃は驚いた。

 「え? ええ…… よくご存知ですね? あっ、雪から?」

 「いや、違う。ちょっそんな話を耳にしたもんだから……」

 一瞬、綾乃は島が雪から話を聞いたのかと思ったが、そうではないらしい。雪から余計な情報が流れていないことに少し安心して、笑顔で答えた。

 「ええ、来週の月曜日から……1週間休暇とって帰る予定なの」

 「1週間?」

 1週間という返事に、島は心の奥で自分がほっと安心しているのを感じた。やはり、相原の話はただの噂に過ぎなかった。1週間すればまた帰ってくるというのだから。

 「ええ、そうだけど、何か?」

 島の不可思議な安堵の表情が、綾乃の心に少し触れたような気がした。それをごまかすように、島は別の話題を口にした。

 「あ、いや……ってことは、僕の退院の頃、ちょうどいないんだな?」

 「あっ、ええ……ごめんなさい。そうね、休みに入る前に退院のお祝い先に言っておくことにするわね」

 島の問いに深い意味がなさそうな気がしたので、綾乃はおどけた調子でそう答えた。島も声を出して笑った。

 「あははは……それはいいけど。久しぶりなんだろ?田舎」

 「ええ、しばらく帰ってなかったから」

 「綾乃さんの田舎って長野のほうだったよね?」

 いつだったか綾乃がそんな話をしていたことを思い出して、島が尋ねると、綾乃はこっくりと嬉しそうに頷いた。他愛もないことだが、自分の故郷がどこなのかを、島が知っていてくれたことが綾乃には嬉しかった。

 「ええ、松本なの」

 「僕は行ったことないけど、いいところなんだろうな?」

 「ええ、小さな地方都市だけど、そのおかげで今までの戦争の被害も少なかったし」

 「戦争の間中離れて暮らしていたんなら、家の人も心配してただろうな」

 「ええ、だから早く帰って来いって、この間から実家の方がうるさくって……」

 ごく普通の何気ない会話をしていたはずが、綾乃の「実家がうるさい」という言葉に、島ははっと思い起こすことがあった。

 (帰って来いというのは、休暇でということではないのか?)

 「何か?」

 急にまじめな顔で押し黙ってしまった島を見て、綾乃が尋ねると、島は慌てて表情を和らげた。

 「あっ? いや…… けど、まあ、1週間したらまた戻ってくるだろう?」

 「えっ? ええ……そのつもりだけど……」

 答えながら、綾乃の心の微妙な機微が顔色に出た。彼女はもしかしたら何か隠しているのだろうか? 島は何かひっかかるものを感じた。

 「つもりって?」

 ところが、問い返した島の言葉が聞こえなかったのか、綾乃は全く違った話をし始めた。

 「あっ、そうそう、古代さんと雪の結婚式、島さんもスピーチ頼まれてるんでしょ?」

 「え?あ、ああ…… 最初の時から頼まれてたからな。確か綾乃さんもだろ?」

 進たちの結婚式の話となれば、付き合わざるをえない。島も素直に応じた。

 「ええ。島さんは何を話すか、もう考えた?」

 「まあ、あれからもいろいろあったからなぁ〜 話し出したらきりないところなんだよな。今はまだどんな暴露話をしてやろうかって、いろいろ考えてるところさ」

 「まあ、うふふ…… それは楽しみね。あ、それじゃあ、私はこれで。お大事に」

 「あっ……」

 いつの間にか話題をすりかえたまま、綾乃はそそくさと島の部屋を出て行ってしまった。
 島はその対応振りを不審に思った。

 (1週間したら戻ってくるかと尋ねた後の彼女の反応ぶりは、いったいなんだったんだろう? まさか本当は相原の言ったとおり、このまま帰ってこないつもりなんだろうか?
 いや待てよ、古代たちの結婚式の話をしていたんだから、それには出席するつもりなんだよな。と言っても、まだ2ヶ月も先のことだし……)

 島の心には、なんとも言えない疑問が残った。

 (5)

 同じ頃、相原はタイタン基地に滞在している進にプライベート通信を送っていた。

 「古代さん、ご指示の通りやっときましたよ!」

 「そうか…… で、あいつ、動揺してたか?」

 「う〜ん、微妙でしたねぇ〜 してたといえばしてたし、してなかったといえばしてなかったような……」

 「ま、いいさ。あいつのポーカーフェイスは定評あるからな。けど絶対心中複雑なはずだ」

 「そりゃあねぇ〜 僕だって島さんと綾乃さんってずっといい線行ってるなって思ってましたからね。でもいいんですか? まだ入院中の身の島さんを、あんな風にけしかけちゃったりして」

 「いいんだって。これは綾乃さんの帰郷に合わせないと意味ないしな。雪に聞いたら、島の体調はすぐ退院してもいいぐらいらしいんだ。大事を取ってもう1週間伸ばしたそうなんだ。あいつが退院早々無茶したら困るってことで」

 「あはは…… 古代さんじゃあるまいし」

 「あん? なんか言ったか?」

 「あはっ、いえ、何も…… それよりどうするんですか?これから」

 「最後の締めは俺がやるからな。あの二人がなるようになってくれないと、こっちも落ち着いて結婚式もできやしない。
 ちょうど綾乃さんの帰郷する前日に、俺は地球に戻る。その時島をけしかけてやるさ。それまでは、ゆっくり悩んでればいいさ」

 「でも、島さん綾乃さんに毎日会ってるんですよ。簡単に否定されたら悩みもしないんじゃないんですか?」

 「いや、意外と否定されればされるほど疑いたくなるもんだからな。それに他の手も打ってあるし」

 「へぇ〜 古代さんにしては珍しく考えてますね」

 「珍しくは余計だよ! ま、雪と二人で考えたんだけどな」

 「ああ、雪さんが一緒なら大丈夫ですね!」

 「おいっ、それ、どういう意味だ!?」

 「いえ、あはは〜〜!! じゃあ、来週のご帰還楽しみにしてますね!」

 島と綾乃をくっつけるために、彼らの策略は着々と進んでいるようであった。

 (6)

 島が綾乃の帰郷の噂を耳にしてから数日後のことだった。仕事が忙しくてなかなか立ち寄れなかった雪が、久しぶりに病院にやってきた。島の病室に行く前にナースステーションに立ち寄ると、そこにはいつものごとく綾乃がいた。

 あの夜、綾乃の辛い告白を聞いてから、雪が彼女と会うのは初めてだ。数日後、綾乃からは電話で、帰省することになったことだけを伝えられた。その時、見合いの話はまだ決めていないと言った。迷いを口にしていた綾乃に、雪はもうそれ以上何も聞けなかった。

 「綾乃……」

 少々不安な気持ちを抱えつつかけた雪の声に顔を上げた綾乃は、いつもと変わらない笑顔だった。

 「あら、雪。久しぶりね。ちょうどよかったわ、今休憩にはいるところだから、一緒にお茶しない?」

 綾乃の誘いを受けて、二人は少し離れたスタッフ専用の喫茶コーナーにやってきた。雪と綾乃は、自動販売機でそれぞれ自分の好きな飲み物を買ってテーブルに腰を下ろした。

 「今日も……島さんのお見舞い?」

 おずおずと尋ねる口調にも、島への気持ちが伝わってくる。雪は笑顔で頷いた。

 「ええ、ここ2週間くらい仕事が忙しくって……やっと来れたわ。でも島君ももうすぐ退院ね、本当によかったわ。そういえば綾乃は来週早々実家に帰るんだったわね?」

 「ええ。ね、島さんも私の帰省の話知ってたけど、雪が話したの?」

 綾乃が探るように、ちらりと横目で雪を見た。その視線が、予想以上にいたずらめいて明るいのに、雪は少し驚きながらも、同じ調子でとぼけて見せた。

 「さぁ〜? 私は言ってないわよ。誰か他の看護師さんからでも聞いたんじゃなぁい?」

 「ふうん…… まぁいいけど〜 余計なこと言わないでよ。恥ずかしいんだからぁ」

 雪の返事を信じたかどうかはわからないが、綾乃はそれ以上しつこくは尋ねなかった。
 実際は、雪が伝えたようなものだ。直接ではなく、雪から進へ、進から相原へ、そして相原から島へと橋渡しされた。しかも進と相談の上、話を少々オーバーにしたりはしたが……。
 しかし、島がそのことを綾乃に言及したということは、とてもいい兆候だと雪は心の中でにんまりした。そしてもう一方の綾乃の気持ちも気になるところだ。

 「余計なこと……ねぇ。それよりどうするつもりなの?お見合いの話」

 雪の問いに、いくらか躊躇があるかと思ったが、その予想に反して綾乃はあっさりと答えた。

 「会ってくるわ。別に正式にどうこうことじゃないけれど、そういう話があったのなら、ちゃんとお返事しなくちゃいけないし」

 さらりと答えるその口調が、今度は逆に雪の不安をあおった。さっきまでの明るさは、まさか島をあきらめきった悟りだったのだろうか?

 「返事って? まさかあなた帰ったらそのまま……!」

 (7)

 雪のあまりにも真剣な目を見て、綾乃はプッと吹き出してしまった。

 「やぁねぇ〜 帰ってくるわよ、1週間したら。うふふ…… 雪ったら、人のことでそんなに焦らなくっても」

 「だって……」

 雪はほっと一安心しつつ、綾乃の次の言葉を待つように、上目遣いで彼女の顔を見た。すると綾乃は、手に持っていたカップの飲み物を口にしてから、ほぉっと小さくため息をついた。それから、真っ直ぐに雪を見つめた。

 「私ね、自分の気持ち、きちんとけりつけないと次に進めないって……そう気が付いたの。だから、今の私の気持ちを相手の人に会ってきちんと話してこようってそう決めたの。今、私には好きな人がいますって……ね」

 だから、帰ったときに会ってこようと思うの。と綾乃は言葉を続けた。それが自分を望んでくれたその人への礼儀だと……

 「それじゃあ……?」

 「最初はね、島さんが退院したらもう彼のこと忘れるつもりだったの。だから島さんの退院日に重なるように休暇に入れて。だけど、気が変わったわ。私、島さんが退院して、看護師と患者さんじゃなくなったら…… 私がこっちに帰ってきたら……」

 そこまで言ってから、綾乃はニッコリと微笑んだ。

 「綾乃!」

 雪は、綾乃の前向きな決意に、期待を大きく膨らませた。綾乃は島への想いを告げる決意をしたのだ。今までずっと影で見ているだけで満足していた綾乃が、今やっと自分の気持ちを表に表そうとしている。

 「うふふ、決めたの。そうしようって。あれからずっと考えてたの。他の人と付き合ったら、島さんのこと忘れられるのかしらって。でも毎日島さんを見てると、やっぱり私は彼のことが好きなんだって思った。その気持ちをきちんと伝えないで、あきらめるなんてできないって…… こんな気持ちのまま他の人のことなんて考えることはできないって」

 そう告げる綾乃の瞳は、しっかりとした想いを裏打ちするように輝いていた。

 「雪が一生懸命説得してくれたお蔭よ。でも本当に島さんが私のこと少しでも思ってくれてるだなんて自信は、今も全然ないけど。それに島さんのテレサさんへの気持ちも知ってるし。だけど、だめで元々で、私の想いだけは島さんに伝えようって、そう決めたの」

 「ええ、ええ。そうよ、綾乃!」

 雪が声援にも似た言葉を告げると、綾乃はこっくりと頷いた。それからまた、いつものかわいらしい茶目っ気たっぷりの笑顔を見せた。

 「でも、それで玉砕したら、雪に一晩中愚痴に付き合ってもらいますからね〜!!」

 「うふふ、わかったわよ、一晩でも二晩でも!! でも、きっと愚痴じゃなくって惚気聞かされる羽目になるのよ」

 「うふふ、そんな甘い夢は見てないわ! でもこのまま何もしないで終わったら、一生後悔しそうだもの」

 「ん!」

 雪の瞳に涙が浮かぶ。自分の決意を告げ、明るく振舞っているものの、綾乃の心中は、色々な葛藤や恐れがあるに違いない。それでも、こうやって明るく決意を聞かせてくれる綾乃がいじらしく、そして友としてとても愛しかった。だから、

 (古代君! 絶対に島君の説得成功させてよね!!)

 心の中で、こう願わずにはいられなかった。綾乃が気持ちを伝える前に、島の心を開かせておかなければならない。それは、進の持分なのだから。

 「あっ、言っておきますけど、雪は島さんには何も言わないでよ!」

 「はいはい、わかってますっ」

 最後に念を押されながら、雪は笑えてくる口元を元に戻すことができなかった。

 (8)

 綾乃と別れた雪は、島の病室を訪問した。

 「島君?」

 部屋に入ると、2週間前よりさらに顔色がよくなり体調も良さそうな島が、雪を迎えてくれた。

 「よぉ、雪か…… しばらく振りだな。仕事忙しそうだな」

 島は体を起こしてベッドに座った。雪もベッドサイドの椅子に座ると、島に笑顔を向けた。

 「ええ、この間から出張に行ってたものだから。でも島君、もうすぐ退院ね、本当に良かったわ」

 「ああ、家族にも仲間達にも色々心配かけたけど、やっとここまでこぎつけたよ。けどさぁ、ほんとはもう帰ってもいいと思うんだけどなあ? なのに、先生が絶対うんって言わないんだよ」

 嬉しそうに微笑みながら医者への不満を口にする島は、本当に元気になったんだと、今更ながらに雪を安心させた。

 「ふふふ…… あと1週間もないんでしょ? 今更慌てたってしょうがないじゃない」

 「それはそうなんだが……」

 「それとも、退院を急ぐ理由でも?」

 「ないよ、そんなのは……」

 島は雪の意味深な視線を避けるように顔を背けた。しばらく沈黙になったが、島はすぐに何か思いなおしたように顔を上げた。

 「なぁ、雪」

 「なあに?」

 雪が聞き返しても、「うん」と短く答えて、島は再び黙ってしまった。何か春秋しているようだったが、結局は意を決したように雪を見上げた。

 「相原からちょっと聞いたんだがな…… いや、これは深い意味があるわけじゃないんだ。ただ、友達としてだな……その」

 とここまで言って再び口ごもる。雪は島が何を聞きたいのかすぐに思い当たったが―なにせ自分達が仕掛けたのだ―そのままとぼけて続きを尋ねた。

 「うふふ……やぁね、なんなの? 島君らしくない」

 「変に勘ぐるなよ?」

 「だからなんなのよ?」

 島がちゃんと意識していることが嬉しくて、それを必死に隠そうとしているのがおかしくて、雪は今にも笑い出しそうになるのを必死に我慢した。

 「綾乃さん……帰省して……その、結婚するのか?」

 「えっ?」

 我ながらわざとらしすぎるかしら、などと思いながら、雪はお約束どおり驚いて見せた。すると、島は微妙に顔を赤らめ、口ごもるように小さな声でぶつぶつと言いわけもどきを語った。

 「いや、ただの噂かもしれないし、別に俺に関係があるわけじゃないんだが…… あっ、もしそうなら、退院する前にお祝いを言わないといけないかと思ったもんだから……」

 「知らないわよ、そんな話」

 「えっ?」

 あまりにもあっさりと否定されたことに、島は驚いて雪の顔をまじまじと見た。雪は必死で何気ない顔をする。苦しいくらい顔が引きつっているのが、自分でもわかった。だがそれでも、ここは我慢しなければならない。

 「そんな話聞いてないわ。それにそういうことって、私から言うことじゃないと思うし…… 気になるのなら、綾乃に直接聞いてみたら?」

 雪は島から一旦視線を外してから、もう一度しっかり見返した。今度はさっきと違って、少しばかり意味ありげな笑みを浮かべて見せた。それはその噂がただの噂ではないことを、彼に知らしめるためだった。
 島は、その表情をじっと見ていたが、ふっと息をつくと、あっさりと追及をやめてしまった。

 「…………そうか。ならいいんだ」

 雪は少々拍子抜けしたような気もしたが、島の心に僅かでも変化を見たような気がして嬉しくなった。

 「島君……」

 「あっ、そうそう、君らの結婚式の話な、相原から聞いたぞ。披露宴のことでなんだかいろいろと画策してるらしいなぁ。古代のヤツ、抵抗してるだろ?」

 島は、あっという間に話題を変え、攻勢に立った。雪も綾乃のことは、今はこれ以上言及しないつもりだったので、それにあわせるように笑顔で答えた。

 「うふっ、そうでもないわよ。もう、まな板の上の鯉の気分らしくって。こうなったら何でも来いって感じ。私はすごく楽しみにしてるけど……ふふふ」

 「あはは、そうか。本当に良かったよ。なんていうか、二人の結婚式は君ら二人だけのものじゃないって感じがするからなぁ。みんなが待ってたんだ。みんなが祝いたくてさ。みんなが……大喜びして大騒ぎして大笑いしたくて……な」

 島の視線がとても柔らかく優しかった。雪は胸にしみる何かを感じた。

 「ええ、ありがとう、島君」

 二人を見守り続けてくれる島の温かさに、雪は感謝してもしきれない。彼の言うとおり、自分達の結婚式が他の仲間たちの立ち直りのきっかけになれるのなら、本当に嬉しい。

 だが、そんな返事をする雪に、「ああ」と答えた微笑む島の笑顔は、どこかしら寂しげだった。
 雪は島にも自分達と同じだけ、それ以上にも幸せになってもらいたかった。そのために、彼の心の鍵をどうしてもこじ開けてもらいたかった。

 (9)

 それから数日がたち、綾乃が休暇を取る前日、午前中に帰還した進は真っ直ぐに中央病院へと足を運んだ。
 雪から、先日の綾乃や島との会話を聞き、期は熟しつつある、と確信しての来院だった。



 「綾乃さんが告白する気になったって?」

 「ええ、よかったわ、綾乃が前向きになってくれて。でもどうする?今回の計画」

 「このまま続行するさ。まあ、綾乃さんのほうはよかったけど、島のほうはまだだめだからな。あいつが自分で動く気にならないと…… それに綾乃さんから告白されたって、殻に閉じこもったまま心にもないことを言ってしまうかもしれないしなぁ」

 「でも島君、相当気にしてたわ。綾乃が告白すれば、島君の心の鍵だって開くんじゃないかしら? 自分の気持ちに正直になれるって思うんだけど……」

 「まあ、可能性はないとは言わないが、やっぱりあいつには自分の口から言わせたいんだよなぁ。俺としては……」

 「うふふ、そりゃあ、そのほうが綾乃だって嬉しいと思うけど。でも本当に古代君、島君に言わせられるの?」

 「できるさ。切羽詰ればあいつだって絶対に自分に正直になれる!」

 「なんだかそれって、古代君自身のことじゃなぁい?」

 「うっ、ま、まあ、男ってのは大抵そういうモンなんだよ……」

 「うふふ……」

 「男なんて単純なんだからさ。無くしそうになって初めてその人の大事さに気付くんだよ。だから今回の綾乃さんの見合い話はいい機会なんだ。このチャンスを逃す手はない!」

 「古代君ったら、張り切ってるわね〜 ふふ、期待して待ってるわ! でも島君一応は入院中のみなんですから、あんまり無理なことさせないでね」」

 「わかってるよ!」



 進は歩きながら、帰還直前に月基地からのプライベートコールをした時に、雪とそんな会話をしたことを思い出していた。

 (10)

 病院に着くと、進はさっそく島の病室を訪れた。

 「よっ!」

 「おお、古代! 帰ってきたのか?」

 久しぶりに見る親友の顔に、島は嬉しそうにがばりと体を起こした。進は笑顔で、島のベッドサイドにある椅子にどっかりと腰を下ろした。

 「ああ、さっきエアポートについて、こっちに直行してきた」

 「ふうん、今日は雪はどうした?」

 「ああ、彼女は今日は仕事が休めないから、夕方本部に迎えにいくことになってる」

 「そりゃ、ご馳走様」

 いつものごとく丁々発止の会話が続く。島の回復振りは、話で聞くよりも目の前で見たほうがはっきりと感じられた。
 これならヤツに行動を起こさせても問題ない、進は心の中でほくそえんだ。

 「それより、調子はどうだ? もう退院だろ? 問題ないか?」

 「ああ……全く問題ない。今日退院してもいいって言われても大丈夫なくらいだよ。全くあの美人先生の強情っぱりには負けるよ。絶対退院日は早められないってさ」

 さも悔しそうに言う島のその表情を見て、進は大笑いした。

 「あっはっはっは…… そりゃそうだろう。それでなくても年内一杯は退院できないんじゃないかって思ってたくらいなんだからな。こんなに早く回復して退院が決まっただけでも、奇跡的だと思え!」

 「ばか言え、そんなに入院してたら体に根が生えちまう!」

 苦虫を潰したような顔の島と、笑顔の進。好対照の二人の顔は、しかしとても明るかった。

 (11)

 「あはは…… とにかくよかった。ああ、そうだ、良かったと言えば綾乃さんだよなぁ」

 古代進の作戦開始である。彼の作戦はまだるっこしい前置きはない。直球勝負、ストレートに本題に入った。

 「えっ? 綾乃さんがどうした?」

 「あれ、聞いてないのか、お前?」

 のんきな顔でちょっととぼけてみせる進を、島は鋭い視線で睨んだ。

 「それじゃあ、やっぱり……結婚するって本当なのか?」

 「なぁんだ。やっぱり知ってるんじゃないか」

 思惑通り島の顔付きが険しくなったことに気を良くした進は、得意げに口元を軽く上げた。

 「本当だったのか……」

 島は進から視線を外しうつむいて、自分の体にかかっているブランケットをじっと睨んだ。
 その様子を探りながら、進は話を続けた。

 「本当って言うか、俺も雪から聞いただけだから詳しくは知らないが、明日帰省したら、見合いするそうだ」

 「見合い?」

 そう言いながら、島が顔を上げる。見合いと結婚では次元が違うといいたそうな視線である。もちろんそれは承知の上、進は用意していた説明をさらに続けた。

 「見合いと言ってもな。相手は綾乃さんも昔からよく知ってる相手らしいんだ。話も相手から来たらしくてな。雪の話だと、見合というより、綾乃さんさえうんと言えば話はとんとん拍子に決まるそうだ。相手は実家の近くで、大きな病院を経営している医者なんだってさ。綾乃さん玉の腰だって話だぞ」

 進の説明を聞き終えると、島は小さなため息と一緒に「そうか……」と小さくつぶやいた。いかにも物足りたい反応振りに、進の心にざわめきが起こった。

 「そうか? って、それだけか?」

 「ん? ああ、決まったらおめでとうって言わないといけないな」

 進が苛立っているのに気付かない振りをしているのか、島は淡々とした調子で軽く笑みさえ浮かべてそう答えた。

 「おめでとう!? あのなぁ、お前、本当にそんなこと言いたいのか!?」

 「どういう意味だ?」

 さらに鋭さが増した進の口調に、さすがの島もカチンときたらしく、返事の口調が厳しくなった。だが、進の声はそれを上回った。

 「そんなこともわからないのかよ。お前が綾乃さんに言うべき言葉は、違うだろってことだろうが!」

 (12)

 進の厳しい口調にきっとなって睨み返した島だったが、すぐにその視線を逸らしてしまった。そして苦しそうな声で、小さくつぶやいた。

 「俺が言うべき言葉なんて……」

 「おい、島っ、いい加減にしろよ!」

 進が詰め寄るように、ベッドに両手をドンとついて耳元で訴えても、島は固い表情のまま口を開こうとはしなかった。すると進は、腰を上げていた椅子にもう一度どっかり座りなおしてから、少し語調を落とした。

 「ああ、お前が言えないんなら、俺がそれならはっきり言ってやろう。お前は綾乃さんが好きなんだ。彼女を……愛してるんだ」

 「なっ……」

 突然の進の宣言に、島は言葉を失ったまま、進の顔をじっと睨んだが、しばらくして再び自分の手元に視線を戻して、

 「違う……」

 と、いかにも辛そうに搾り出すように言った。

 しかし、いきなり核心をつかれたことで動揺したまま発せられたその言葉が、島の本心と相反していることは、進の目には明らかだった。
 進は確信を持ってもう一度さっきの言葉を繰り返した。

 「違うもんか。お前は綾乃さんに惚れている。それももうずっと前からな。ただ、お前はそれを認めようとしてないだけだ! テレサのことを隠れ蓑にして自分の気持ちを偽っているだけなんだ」

 進の言葉は確固としていた。島の隠そうとしている気持ちを真っ向からこじ開けようとするかのように。それが今の島にとっては、全くその通りであり同時に一番痛い言葉だった。

 「な、なんだと!! お前、俺のテレサへの気持ちを冒涜するつもりか!」

 色めき立つ島にも、今日の進は冷静だった。今、本人にとって一番耳に痛いことを取り繕うことなく伝えることが、親友としての自分の務めだと確信しているのだ。

 「冒涜なんてするつもりはない。お前とテレサの愛は確かに本物だった。そのことは、俺だってよく知っている。テレサは本当に素晴らしい女性だったこともな。
 だが、今ここにテレサはいない。もういないんだよ! 今、お前の目の前にるのはテレサじゃない、綾乃さんだ! そのことをお前はどうして認めようとしない? どうしてもっと素直に自分の気持ちを認めない!?」

 島は、進の訴えを歯をぐっと噛み締めて聞いていたが、それでも頑なな表情のままに、その本当の心も見せようとはしなかった。

 「綾乃さんは、見合いして結婚するんだろう? 今更俺がどう思っていようが、関係ないじゃないか……」

 投げやりな口調の島の態度に、進はさらに苛立った。

 「だから、させていいのかってことだよ! 関係ないだって? 大ありだよ! 綾乃さんがお前に惚れてることくらい、お前だってよくよく知ってるだろうが! けど同時に、彼女もお前がテレサを思い続けていることもよ〜く知っている」

 島は聞きたくないとでも言いたそうに、顔をそむけた。しかし進の話は止まらなかった。

 「綾乃さんが見合いを決意したのはお前のせいだ。彼女はもう耐えられなくなったんだ。お前の後姿を見続けているのが辛くなったんだよ! だから実家に帰って他のヤツと……
 だが、お前は本当にそれでいいのか? 今まで何年も、お前を見守っていてくれた彼女ともう会えなくなっていいのか? お前を死の淵から呼び戻してくれた大事な女(ひと)を、他の男に渡しちまっていいのかよ!」

 「…………」

 島の眉がびくりと僅かに動いた。だが言葉はない。

 「お前が前向きになればいいんじゃないか! 自分の気持ちに素直になりさえすれば、それで……」

 進がそこまで言った時、島が続きを阻止するように、鋭く叫んだ。

 「やめろっ」

 (13)

 それからじっと進を睨んだまま、言葉の一つ一つを搾り出した。

 「俺は…… 俺は、テレサのことは一生忘れられない。絶対に……な」

 「島……」

 島の断固とした口調に、進の苛立ちが同情に変わっていく。

 「そんな気持ちを引きずったまま、俺に他の女性を幸せになんかできやしない。綾乃さんだって……彼女の選択が正しいんだよ。俺なんか相手にしてないで、いい男見つけて結婚した方が……彼女は幸せになれるんだ」

 島のテレサへの思いは、進とて十二分に理解できる。自分が同じ立場に立っていたらと思うと、胸がずきりと痛くなる。もし雪が先に逝ってしまったとしたら……何年経とうが、自分は彼女への思いを捨てきれないだろう。

 だが、それでも……島には命ある幸せをつかんでもらいたかった。そしてこの前、雪が言ったことを思い出していた。

 ――私が先に逝ったら、あなたは誰か他の人と幸せになって欲しいの――

 「島……テレサは、お前にどんな風に生きて欲しいと願っていたと思っているんだ? お前が彼女だけを一生思い続けてもらうことを望んでいたと、本当に……」

 進は、自分の胸も痛めながら諭すように静かに言った。しかし最後まで言う前に島に遮られてしまった。

 「言うな、もういいんだ! 頼む、もうそれ以上……言わないでくれっ!」

 両手を震えるほど強く握り締めて、島は声を絞り出した。眉間には深い皺が刻まれている。その辛さを知りつつも、進はわざと島を突き放した。

 「ああそうか。よぉ〜くわかったよ。もうやめた、やめた! お前がそう言うのなら、綾乃さんにとってもそれが一番なんだろうよ」

 島の様子を伺いながら、進はさらに話を続けた。島は動かない。

 「雪の話だと、今回の話はすごくいい話らしい。なにせ玉の輿ってんだからな。死んだ女の事を忘れられずにじくじくしてるお前を思い続けて辛い思いするよりも、自分を愛してくれる立派な男に大事にされて暮らした方が、綾乃さんもよっぽど幸せになれるってもんだよなっ!」

 「くっ、なら、もうほっといてくれよっ!」

 半ばやけっぱちに叫ぶ島に、進もぶっきらぼうに返した。

 「言われなくったってほっといてやるさ!」

 「…………」

 ぷいっと顔をそむける島の後姿に向かって、進は最後の追い討ちをかけた。

 「さぁて、帰るとするかぁ。見合いって話が進むの早いって言うし、案外綾乃さんの結婚式の方が俺たちより早かったりしてなぁ。決まったら、お前、祝いくらい言ってやれよ」

 「うるさいっ、とっとと帰れ!!」

 進は島の罵声に肩をすくめると、「じゃあな」と軽く手を上げて、ゆっくりと部屋を出た。そしてドアを閉めたとたんに、ほぉっとため息をついた。

 「こんなもんかな? あとは島、お前次第だぞ!」

 ドアの外で振り返ってそうつぶやいてから、進は帰途に着いた。

 病室に残された島は、テレサと綾乃、二人の女性への複雑に交錯し渦巻く様々な思いと懸命に戦っていた。

Chapter9終了

Chapter8へ    Chapter10へ

トップメニューに戻る    オリジナルストーリーズメニューに戻る    目次にもどる

(背景:Angelic)