Departure〜彼らのスタートライン〜

2.俺とヤマトと彼女と人生

Chapter 4

 (1)

 夕方、実家を後にした雪が、マンションに戻ってきた時には、すっかり夜がふけ暗くなっていた。地下の駐車場に車を止めると、その隣のスペースに、出かけるまではあった進の愛車がなくなっていることに気が付いた。

 (あら? 古代君、どこかに出かけたのかしら?)

 最初は何気なくそう思っただけで、あまり深く考えもしなかった。部屋で一人でいるのが嫌になって、気晴らしにドライブに出たか、何か買い物にでも行ったのだろう程度の認識でしかなかった。
 だが駐車場から出てエレベータに乗り、それが動き出す頃になると、雪の心の中にだんだんと、何やら得体の知れない不安が湧き上がり始めた。

 (古代君、まさか……!?)

 まさか、まさか、と思いながらも、悪い方にばかり想像が行くのはどうしてなのだろうか。

 (彼はそんなに弱い人じゃないわ! それに、私と一緒に生きてくって約束してくれたもの……)

 心の中で必死に叫んで自分に言い聞かせても、部屋に近づくに連れて不安がどんどんと増してゆく。
 エレベータを降りてからの雪の足取りは徐々に速くなり、心臓の鼓動も同じように速くなっていく。そしてとうとう最後は小走りになった。

 雪は我が家のドアの前に来ると、震える手でカードキーを挿しこんだ。ドアが開く時間ももどかしげに部屋に飛び込み、いるはずのない彼の姿を探す。

 「古代君!!」

 もちろん、それに答える人はいない。

 (どこに行ったの?古代君! いやよっ! すぐに帰ってくるわよね?)

 このまま進の顔を見られなければ、どうにかなってしまいそうなほどの狂おしい思いに突き動かされ、雪はリビングに駆け込んだ。
 そしてそこで、テーブルに置かれた見覚えのある映像カプセルと小さな紙切れを見つけた。

 「これは……テレサさんの? どうしてこれだけ……?」

 雪はその横に置かれたメモ用紙を、がさりと音がするほど勢いよく掴んで、そこに書かれている文字を目で追った。そして『雪へ』で始まる短い手紙を読み終えるまでに、それほどの時間は必要なかった。

 そして……進が一人この部屋を後にして出て行ってしまったことを、雪は知った。

 (2)

 「どうして!? こだい……く……んっ!!」

 雪はがっくりと体を落とすようにソファにすとんと座りこむと、もう一度その手紙を読んだ。そしてもう一度…… 
 何度読み直してみても、そこに書かれている事実は変わらない。進は今の自分にけりをつけるため、この部屋を出ていったのだ。それだけが唯一の事実だった。

 気が付くと、雪の瞳からは涙が溢れていた。自分でもなぜこんなに涙が出るのかわからない。わからないが、その涙を止めることも出来なかった。

 彼を失ったと思ったあの時のような、泣き叫ぶような痛みを伴う悲しみに襲われたわけではない。逆にある程度は予測していたはずの事態だった。それなのに……

 雪は、体のすべてから力が抜け落ちていくような脱力感に襲われた。泣きたいとか、悲しいとか、そんな気持ちとは違うのに、とにかく勝手に涙がぼろぼろとこぼれ落ちてくるのだ。

 (古代君は、これからの自分を見つけるために、それを探しに行ったのよ。それだけなのよ、だから……)

 自分で自分に言い聞かせるように、心の中の雪が呟いた。そこには、意外なほど冷静に彼の失踪?を受けとめている理性の人がいた。
 彼の思いはある程度理解できるし、父からもそれを予感させるような言葉を聞かされ、説得されて帰ってきたのだ。

 だが……それと同時に、古代進を愛し求め続けている雪の女としての感情は、ひどく心をかき乱され、行き場を失い途方に暮れていた。

 大勢の仲間やあのいたいけな少年の死と直面し、さらにヤマトを失い、沖田を亡くした。その悲しみの中でも、雪は気丈に振舞ってきた。それは……

 (古代君のそばでいてあげたい。彼をなんとか慰めてあげたかった……!?)

 そう思っていた。自分よりも彼の方がずっと辛いはず。だから支えてあげなければ…… そう思うことで自分の心に活を入れ続けていたと……

 そう……思っていた……?

 (ううん、違う……違うのよ! そんなの嘘っ!!)

 雪の心がその本音を叫び始めた。

 (本当は、私が……彼にすがっていたかっただけ。彼に抱きしめられることで、自分を慰めようとしてただけ!
 彼を慰める振りをして、本当は私が助けて欲しかった…… 彼に守ってもらいたかっただけなのよっ!)

 雪は、自分で自分に突きつけた事実に愕然とした。彼を支えようなんてそんなえらそうなことが言える自分ではないことに、今初めて気が付いた。進が行ってしまって初めて、彼女は自分が彼をどれだけ頼りにし、どれだけ求めていたのかを痛感したのだ。

 (そばにいて欲しかった…… 彼のぬくもりの中で何もかも忘れてしまいたかった。彼に助けてもらいたかったのよ……古代君!)

 雪は体をぶるっと震わせた。進のいないその部屋は、まだ秋の口だと言うのに凍えるほど寒かった。

 (寒い……古代君…… あなたは私がいなくても平気なのね……?)

 その数時間前、進も同じ寒さを感じ身を震わせていたことを、雪は知らない。

 (3)

 それからしばらくの間、誰もいない部屋で涙を流しながら、雪は一人戦っていた。
 今日の昼、父から聞いた話も思い出す。男として彼が付けるけじめを、静かに待つことこそが、雪に求められていることだと思い起こす。
 彼を支えると言いながら、彼に甘えていた自分。そんな自分の存在が、進にとって重荷になってしまっていたのかもしれないと、雪は思った。

 (古代君…… ごめんなさい)

 心の中で、男を求める女の情念が、人としての理性の心に少しずつ押さえられ和らげられていく。
 心から愛し求める男を手にするためには、自分も一人の女として、一人の人間として、自らの人生を見つめ直さなければならないことを、雪は思い出した。

 (それに…… 古代君とは、ずっと繋がっているもの……)

 やっと涙の枯れ始めたその瞳で、雪はもう一度彼の手紙を読み直した。「携帯を持っていく」とある。それに、「君からのコールは受ける」ともある。

 (彼は私を否定したわけじゃないのよね……?)

 一人になって自分と向かいあいたい。そう思っている彼は今、誰ともコンタクトしたくないだろう。だからこそ一人旅に立ったのだ。だがもし雪から連絡があれば受ける、そう手紙に記してくれた。
 その言葉の中に、雪の中の女がわずかな幸福感を感じた。

 (そうよ、いつでも彼には連絡できるんだわ)

 雪は自分の胸ポケットに入れてある携帯電話を取り出して見つめた。携帯の短縮ダイヤル#1は、ダイレクトに彼に通じている。それさえ押せば、いつでも彼と繋がることができるのだ。

 (私は今も一人じゃないのよね? 古代君……)

 そう思った時、雪の二つの心が再び一つに重なり、とめどなく零れ落ちていた涙ももう出ることはなかった。

 (私だって、自分の人生を、これからの生き方を、きちんと決めないといけない。彼に頼るだけが私の人生じゃないんだもの……)

 ヤマトと共に戦う彼を追い続けた日々は、もう二度と戻ってはこない。ヤマトは既になく、戦いの日々は終わった。
 この平和な時を自分がどう過ごしていくべきなのか。

 ――彼と結婚して、二人で家庭を築いていきたい。

 それが雪の夢であり希望であった。しかし、それでハッピーエンドというわけではない。
 その後、自分はどんな人生を生きようとしているのか。
 そしてまた、不幸にして再び戦いの日がやってきたら、その時は自分はどうすればよいのか、できるのか……

 雪もまた、その人生の岐路に立ち、自らの生きる道を選択する時に来ているのだ。

 (古代君、私、待ってるわ…… あなたが自分を見つけて帰ってくる時を…… その時までに私も自分の道を決めておくから…… あなたと一緒に生きていける私の道を……
 そしてあなたが帰ってきた時、笑ってあなたを迎えたいから……)

 雪は進の置手紙を、そっと胸に押し当てて心の中でそう呟いていた。

 (4)

 同じ頃、進は東京メガロポリスを出て、ハイウエイを西に向かって車を走らせていた。行くあてが決まっているわけではない。沈む太陽を追いかけながら、ただあてもなくハンドルを切った。
 まもなく日は沈み、空が薄暗くなっていっても、進はそのまままっすぐに西に向かっていた。西には、彼の生まれ故郷、父と母そして兄一家が眠る地がある。思い出もあった。

 (俺はどこへ行こうとしてるんだろう…… 父や母の思い出にすがるつもりか……? それとも兄さんに会いに……?)

 古代進の生まれ故郷は、三浦海岸の岬付近にある。そこにかつて生まれ育った家も学校も遊んだ公園もあった。だが、ガミラスの遊星爆弾によって、それはすべて失われてしまった。両親の命とともに……

 (あの時、俺も一緒に死んでいたら……)

 地下都市に兄に会いに行くという行為をしていなかったら、自分も両親と一緒にあの時命を失っていただろう。そうすれば、今は天国で家族みんなと安らかな暮らしをしていたかもしれない。天国というものがあるのなら……であるが、少なくともこんな苦しみを味わうことはなかっただろう。

 (どうして俺だけが生きていなくちゃならなかったんだろう……)

 生きていることを100%後悔しているわけではない。生きているからこそ、出会いがあった。心から信じられる友と恋人、そして仲間達。
 孤独な彼にとって、それは何よりも大切なものだった。それでも……

 (こんな苦しい思いをして、こんな悲しい思いをしてまで、どうして生きてるんだろう、俺は……)

 失ったものの多さに、心が痛み続ける。自分が求めたものは、その伸ばした手の隙間から零れ落ちていってしまうようで怖かった。

 (沖田さん…… 俺は本当にあなたの言う通り、命を生み出す戦いをし続けることが出来るんでしょうか?)

 (5)

 しばらく走り続けた進は、三浦半島方面をさすハイウエイ出口を指し示す標識を目にした。

 (ここを降りれば……)

 両親亡き後この地を離れた進だったが、その後も何度となく訪れていた。一人でも来たし、兄とともに両親の墓を建てるため訪れたこともある。もちろん、雪とともにも何度もやって
来た。

 だが、今日の進にはいつものように出口への進路を進めることが出来なかった。

 (だめだ……こんな気持ちのまま、兄さんに会えない……)

 両親の前で泣き言をいいたい気持ちがないわけではない。だが、ともに眠っている兄はどうだろうか。うつろな気持ちのまま墓前で兄にすがったとしても、あの兄のことだ、「しっかりしろ!」と一喝されるに決まっている。

 (はは……情けないけど、俺は今でも兄さんには頭が上がりそうにないよ…… もうちょっとしっかりしてからまた来るよ。兄さん……)

 そして進は再びハイウエイを西に向かってまっすぐに走り続けた。途中、進はパーキングエリアに入って車を止めた。
 家を出てから数時間走り続け、座ったままの体が少し痛い。進は車を降りると、大きく伸びをした。

 休憩所を兼ねたレストランやみやげ物屋のある建物があったが、ほとんどの人々がまだ地下都市にいる今は、当然まだ開店しておらず鍵がかかっていた。
 といっても、進に用があるわけではない。1週間程度なら十分補給できる食料は、持ってきているし、寝袋もある。かえって、誰とも出会わなくてすむことが進には嬉しかった。

 車の脇に立って空を眺める。夕日を求めて、家を出たものの今はもう夜。アクエリアスの影響の雨もやんで、空には満天の星が輝いていた。

 (雪はもう、帰ってきているんだろうな。今頃はあの手紙を読んで……)

 ふと思い出すのは、やはり恋人のこと。
 置手紙一つで勝手に飛び出してきてしまった自分を、彼女はどう思っているのだろうか。

 (また、泣かせてしまっただろうな……)

 進はそう思うと心がちくりと痛んだ。胸ポケットに入っている携帯電話を手に取ってみる。受信履歴はない。
 置手紙に、彼女からの連絡は受けると書いてきた手前、もしかしたら手紙を見れば電話をしてくるのではないかと、ある意味恐怖し、そしてある意味期待もしていた。
 しかし…… 進の携帯のベルは家を出て以来一度も鳴っていない。じっとそれを見る。

 (この向こうに彼女はいるんだ)

 自分が置いてきてしまったはずなのに、その彼女とのつながりを感じて安心している自分がいる。
 かつて……何十万光年離れた宇宙から、彼女の生死もわからずにただその命だけを信じて戦っていた時に比べて、なんと心が平安に満ちていることだろうと思う。

 (勝手ばかりしてる俺は、彼女にいい加減愛想尽かされるかもしれないな……)

 そんなことを思いながら、進は苦笑した。
 そう、苦笑にしかならない。なぜなら、彼女が絶対にそんなことはしないと確信しているから。その確信の根拠(わけ)は?と聞かれても、明確な答えがあるわけではない。本当のところ、自分でも不思議なくらいだ。
 だが……と進は思う。

 (雪は、待っていてくれる……)

 そう信じられるのだから、しょうがない。

 (まだ甘えてるんだな、俺は……)

 その甘えを捨てようと一人出てきたはずなのに、やっぱり繋がっていることに安堵している自分。どんなに遠く離れていても、信じることのできる大切な存在があることが、今の自分を支えていることを進は再確認した。

 (雪、必ず君のところに帰るから…… 僕が僕を取り戻したら、きっと……)

 夜の冷たい空気で気分が少し晴れて、進はまた車に乗り込んだ。それから途中何度かの休憩と仮眠を繰り返しながら、進は何かに導かれるように、西へ西へと車を走らせ続けた。

 (6)

 夜明け近く、進は近畿地方を走っていた。少し先に十字路のようなジャンクションがある。カーナビの地域表示を拡大して確認する。西に向かえば大阪・神戸からさらに広島方面へとハイウエイが続く。北に向かえば京都経由で山陰に向かう道。そして、南に向かえば、奈良から紀伊半島へと進むことになる。

 (奈良……か)

 『大和は国のまほろば』遠い昔そう歌に詠んだ人がいた。かつて、大和の国と呼ばれたその地域に、進は何がしか惹かれるものを感じた。

 「日本人のふるさと……なのかもしれないな。やまと……というのは」

 進は心の中で感慨深げにつぶやいた。
 ヤマト、大和、表記の違いはあれ、進にとってもヤマトは故郷なのかもしれない。しかし、その思いとは裏腹に、進は南方面に方向を変えることはしなかった。

 (いつかまたゆっくり来てみたいな……)

 その時は一人ではなく、二人で…… 進の無意識の意識がそんなことを考えていることを本人も気付いていない。

 太陽が東の空に上がってきた。夜明けだ。その光を背に浴びながら進はひたすら走る。大阪神戸と日本の第2第3ランクの都市を通過するハイウエイも、車はほとんど見ない。たまに反対方向に向かう車にすれ違う程度だ。
 それでも途中のパーキングで1台の車も人っ子一人も見なかったのとは違い、何かが動き出していることが感じられる。人はまた、この戦禍の跡から立ち上がろうとしているのだ。

 (みんな強いな……)

 進の口から、小さなため息が漏れる。その動き出すエネルギーはいったいどこから生まれてくるのだろう? なぜ、皆はそうやって何度も立ち上がれるのだろうか?

 進の胸に再びそんな疑問が浮かんできていた。だがその答えをまだ何も見つけてはいない。進はまた、西に向かって走り続けた。

 その日は、ただひたすら走り続けた。走る、疲れる、休む、そしてまた走った。
 朝から昼へと時間が移っていくにしたがって、すれ違う車の数が増えていく。徐々に前後にも車が走り始めた。
 ヤマトがアクエリアスの方向転換を成功させてから3日目が過ぎようとしている。地球の、少なくとも日本地区の人々は、間違いなく地上へと戻り始めているのだ。

 再び太陽が西に沈み始めた頃、進は中国地方を抜け、本州最南端九州地方に足を踏み入れた。
 九州地方に入ってすぐのジャンクションで、進は初めて南方面に方向を変えた。その時やっと、自分が無意識にどこに向かおうとしていたのかを自覚したのだった。

 (かつて大和が眠り、そしてヤマトが生まれたところへ……)

Chapter4 終了

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(背景:Atelier Paprika)