Departure〜彼らのスタートライン〜

2.俺とヤマトと彼女と人生

Chapter 6

 (1)

 マンションで彼の帰りを待つ雪も一人、静かに時を過ごしていた。

 進が旅立ったその日から、必要な食事の材料を買いにいく以外は全く外出もしていない。彼が帰ってきたとき、笑顔で迎えてあげたいから。父が言ったとおり、それが唯一自分ができることだと、雪は思っていた。

 その両親からも電話があった。その後の様子を尋ねる二人に、進が一人旅に出たことを話すと、母は驚き、かつ雪一人置いていったことに少々憤慨してみせたが、それとは対照的に、父は静かに頷いた。その瞳は、静かに彼の帰りを待つ娘を慈しみ褒めているようにも見えた。

 「でも古代君とは必ず繋がってるって思っているの……」

 静かにそうつぶやいた娘の言葉に、両親はもう彼女が自分たちだけの娘ではないことに、今更ながらに痛感させられた。
 進が戻ってきたら一度二人で顔を見せに来るようにと優しく訴える両親に頷いて、雪は電話を切った。

 「古代君…… 今頃どこにいるのかしら?」

 雪は、進が出て行ってから何度となく手元の携帯を手にしては、10個の数字ボタンを凝視した。

 #1――進へのダイレクトコール――

 それを何度押してみたい衝動に駆られただろうか。また、どれほどこの携帯の呼び出し音が鳴ることを祈っただろうか。しかし、雪は進へのコールをすることはなかったし、進からの連絡も今はまだ何もなかった。

 「信じてるわ、古代君。あなたがきっとここに戻ってきてくれるって…… この気持ち、あなたがどんなに遠くにいても、届いてるわよね?」

 雪が祈るように、そっとその携帯に触れた時、

 ――必ず君のところに帰るから……

 進の声が、雪の耳に聞こえたような気がした。雪の頬を一粒の涙がつたった。

 (2)

 そして……進が旅立ってから4日目の朝が来た。

 待つ身の雪にとって、夜は長かった。ヤマトとの最期の戦いや沖田のことを思うと、ぐっすりと眠ることなど到底できず、明け方近くになってやっとうとうとするのが関の山だった。
 そして何よりも、朝目覚めた時に隣にいるべき人がいないという事が侘しくて寂しい。
 それでも雪は、懸命に自分を奮い立たせて起き上がった。

 ベッドから出ると、まず島や他のヤマトクルーの入院患者の様子を尋ねるため病院に電話をすることから、雪の一日が始まる。

 それから朝食。パンとサラダとカフェオレ。簡単な食事を取りながらも、いつの間にか心は進へと流れていった。

 (古代君、ちゃんとご飯食べてるかしら? どこで眠ってるのかしら?)

 大の大人のことである。そんな心配など不要だと思いながらも、気がついたらまた同じことを考えていたりする。

 (馬鹿ね、雪。しっかりしなさいってば! 古代君にばっかり頼るんじゃなくて、ちゃんと自分のことも考えないと)

 これからのこと、自分の生きていく道。進が思い悩んでいるのと同じように、雪もこれからの自らの道を決めなければならないのだ。

 (3)

 雪は、数年前のことを思い出していた――

 その頃、地球はガミラスの遊星爆弾に侵され瀕死の時を迎えようとしていた。始め雪は、放射能汚染に苦しむ人々を見て、それを助けるために医者になることを志した。中学を卒業する少し前のことだった。その目的のために、雪は日本でも有数の進学校に入学した。

 しかし、高校に入ってしばらくした頃、医者よりも看護をするためのスタッフが極めて不足していることを知り、すぐにその目的を看護師に変えた。とにかく、一時も早く地球のために役に立ちたかったのだ。
 決心すれば行動は早かった。すぐに連邦病院付属の看護専門学校への編入を望んだ雪を、両親は驚きながらも最後には賛成し協力してくれた。

 それからはものすごい勢いで勉強をした。看護師が不足しているということも手伝って、能力のあるものはどんどんその過程を進めるような特例ができていたその時代、雪は最速コースを歩み、1年余りで看護師の資格を取った。それは今も破られていない看護学校始まって以来の最短記録となっている。

 そして雪は、17歳の春には連邦中央病院の外科の看護師として勤務を始めていた。

 (あの頃は必死だったわ。自分が何をしたいとか、将来の夢とか……そんなこと、考えている暇もなかった。ただ、みんなのためになりたくて、そのためには看護師が一番いいって思って……)

 ある意味、雪にとって医者も看護師も、自分が自らの心からの望んで選んだ職ではなかった。ただ目の前にあった危機を救うために、必要な仕事を選んだに過ぎなかった。

 (本当に私がなりたいものって……なんなのかしら?)

 医者、看護師、ヤマト生活班長、レーダー士、長官秘書…… 雪は、今まで望んだり実際に行(おこな)った様々な仕事について、一つ一つ考え始めた。

 (どれもやりがいはあったし、楽しいことも辛いこともあった…… どの仕事も嫌いじゃないわ。だけど……)

 最も好きな仕事は…… やりたい仕事は……?

 (4)

 雪が一人思いにふけっている時、不意に携帯のベルが鳴った。

 (もしや古代君!?)

 何をしていても、やはり第一に思い描くのは彼のことだ。だがその期待はすぐにあっさりと消えた。携帯のディスプレイに出た発信者名は、進ではなく『真田志郎』だった。

 「真田さん?」

 雪が受信ボタンを押すと、すぐに小さな画面に真田の顔が映った。

 「はい……」

 『あ、雪か? 今話してもいいかな?』

 小さな画面で見る限りではあるが、電話の向こうの真田はやつれた様子もなく、いつもと同じ彼だった。それにはっきりとはわからないが、防衛軍の制服を着ているようにも見える。

 (真田さん、もう出勤されてる? 休暇を返上したの?)

 雪の表情が曇った。ヤマトクルー達には、全員に無条件で最低10日間の休暇を与えられている。その休暇を返上しなければならない事態でも起こったのかと雪の心に不安が走った。

 「はい、大丈夫です。あの……真田さん、何かあったんでしょうか?」

 雪の顔色がさっと変わったのに気付いた真田は、慌てて答えた。

 『いや、君が心配するようなことは何も起こっていない、心配するな』

 その返答に雪がホッとした顔をすると、真田も僅かに口元を緩めて笑った。

 『ちょっとな…… 君がどうしてるかと思ってな』

 「え?」

 『……古代、いないんだってな』

 「あ……」

 おずおずと真田が口にした言葉に、雪の顔が少し寂しげに曇った。その姿を気遣わしそうに見ながら、真田は話を続けた。

 『さっき島のところに行ってきたんだ。特別に会わせてもらった。そしたら古代のことを気にしていてな。何か連絡があっただろうかってなぁ。それと君が一人でどうしてるか心配だって』

 「まあ、島君ったら。人の心配してる場合じゃないのに」

 雪が目を丸くして画面を見つめた。生死を彷徨う大怪我をした島が、自分のことより親友のことを心配している。そして真田も…… 進のことを案じているのは、雪だけではない。それを思い出して、雪は僅かに温かな気持ちになった。

 『はは……それはお互いいつものことだ』

 「そうですね、ふふふ。それで島君の様子はどうでした?」

 『ああ、順調に回復しているそうだ。顔色もよかったぞ。来週早々にはICUを出られるらしいな』

 「ええ、それは私も聞きました。本当によかったわ」

 島の順調な回復振りには、雪も真田も笑顔になる。彼に関しては、峠を越したようだ。人の心配をしているくらいだから、精神的にも立ち直りを見せているのだろう。

 『うん、それで君の様子を尋ねて、明日までに島に伝えることになってるんだ』

 「まあ……ありがとうございます。古代君からの連絡はまだ……ですけど。でも、私は大丈夫ですって、島君に伝えてください」

 雪が少々無理やりではあったが、にっこりと笑顔を作った。しかし、その顔が本物でないことくらい、長年の付き合いである真田にはすぐにわかった。

 『そうか、ちょっと夕方飯でも一緒に食わんか? 出てこれるだろう?』

 「すみません。真田さんにまでご心配かけて…… でも、私今はどこにも……」

 雪はすまなそうな顔で画面の向こうの真田を見た。

 『家から離れたくない……か?』

 ため息混じりに真田が答えると、雪は小さな声で「はい」と答えた。

 『じゃあ、そっちの近くまで行くから、そこで会おう? それくらいならいいだろう? あんまり一人でこもってるのも体によくないぞ。6時には着けると思う』

 真田は半ば強引に雪を引っ張り出す気のようだ。彼が雪のこと、そして進のことを心から心配してくれているのは、雪とて十二分にわかっている。
 それにここで一人でじっとしているのも確かに辛いものがある。誰かに会って話を聞いてもらいたい気持ちもあった。それが、同じ思いをした真田ならなおさら話しやすいというものだ。

 「……わかりました。じゃあ、この近くにNというレストランがあります。昨日もうお店開いているのを見ましたから、そこで」

 『わかった。じゃあ、後で』

 真田が頷いて、電話は終わった。画面が消え携帯をポケットにしまうと、雪はふうっと大きく息を吐いた。

 (5)

 真田からの電話を切ってから、雪は再び一人考え始めた。

 今までの自分のこと、ヤマトとそして進と出会ってからのこと、辛い戦いと悲しい別れ…… こうやって静かな部屋で座っていると、そのすべてが何か遠い過去のことのようにさえ思えてくる。現実にあったことではなく、夢の中の出来事にさえ思えてくる。
 が、古代進という人物と出会い、今ここにこうしていることは、決して夢ではない。

 そして、そのことでどんなに辛い経験をしても、苦しい思いをしてきても……自分は決して後悔はしていない。これだけは、雪は確固として宣言することができた。

 (あの時――彼がヤマトに残ると言った時、私には降りろと言ったあの時――彼がいない地球に戻ったとしても、私の体だけが生きて戻ったとしても、多分心はもう永遠に死んでいただろうって、心の底からそう思った。私には……彼がいない人生なんて、決して考えられないもの……)

 進が雪の差し伸べる手を受けることを潔しとせず旅に出たとしても、雪の存在を一時忘れて一人で考える時間が欲しかったのだとしても、雪にとっては、進は常にその心の真ん中に存在し続けていたし、進の存在を考えずに、これからの自分の人生を考えることなど決して出来はしなかった。
 これほどまでに古代進という一人の男に惹かれてしまっている自分を、雪は一人になって改めて強く感じていた。

 (もし、彼が私を顧みなくなったとしても……それでもきっと、私は彼を思い続けていくんだわ。彼が他の人を選んでいたとしても、それでも…… だって、彼が幸せになってくれることが……私にとっては一番の幸せなんだもの。それが私の人生で一番大切なこと……)

 進に頼ることなく自分の道を見つけなければと、そう何度も自分に言い聞かせながらも、雪にとって進抜きの未来は存在し得なかった。
 彼の存在を無視して自分だけのこれからを考えること自体、雪には不可能なのだ。

 (彼の決めた道を一緒に歩いていきたい。彼が今までの世界から離れたいと言うのなら、私も…… でも、それってやっぱり彼に頼りすぎているっていうことになるのかしら? それはいけないことなのかしら……?)

 結局、その日も夕方まで部屋で過ごした雪の元に、進からの連絡はなかった。かといって、自らを見つめ直しているであろう進に、今はまだ雪のほうからアクションを起こすつもりは無かった。幸い島たちも順調に回復しているし、伝えなければならない懸念もない。

 ふと、時計を見ると5時半を過ぎていた。

 (真田さんとの約束の時間だわ、そろそろ出かけなくちゃ……)

 6時近くになって、雪はゆるゆると立ち上がった。

 (6)

 部屋を出た雪はエレベータで1階に下りると、通りを歩き始めた。道路には車が走り始め、歩道を歩く人々もほどほどにいる。地球の人々の生活は、日に日に日常に戻っていくようだ。

 ほどなく、雪は自分が指定したレストランの前にやってきた。二人の住むマンションの数件隣のビルの1階にあって、歩いて1分もかからない距離だ。
 普通のレストランとファミリーレストランの中間のような店で、手ごろな値段でほどほど美味いものを食べさせてくれることから、この界隈では人気の店だった。任務で多忙が続く時などは、進と雪もよく夕飯をここで取ったものだった。

 店は既に開店していて、外からも数人の客が入っているのが見えた。雪が店に入ると、店員が愛想よく、いらっしゃいませと言って近付いてきた。

 「お一人様ですか?」

 という店員の問いに、雪は店内を見回して真田がいないことを確認した。まだ6時前だから来ていないのだろう。

 「後で連れが来るので……」

 と答えると、店員は頷いて入り口を確認できる範囲で静かな奥の席に案内しようとした。だが雪が、

 「窓際でもいいかしら?」

 と尋ねると、店員はにこりと微笑んで、「どうぞ」と答えた。雪は店員の後について、外の通りがよく見える窓際の席に案内された。

 雪は食事は連れが来てからにすると店員に伝え、とりあえずジュースだけを注文した。
 店員が立ち去ると、雪は外を眺めた。通りを行き来する車が何台もすれ違い走り去っていくのが見える。往来の人も見えた。
 その車の中に赤い車を見るとドキリとし、通りを若い男性らしき人物が歩くたびにはっとしてしまう。

 (バカね、雪ったら……)

 何もかもが進を中心に回ってしまう自分に、雪は自身で少しばかりあきれていた。

 (7)

 6時を少し過ぎた頃、見覚えのある白い車が雪の目に付いた。真田の車に違いない。
 案の定、しばらくすると真田がレストランに入ってきて、入り口で店員に声をかけられているのが見えた。雪が軽く手を上げると、真田はすぐに気がついたようで、店員に何か話しかけると、雪の席に一人でつかつかと歩いてきた。

 「やあ、雪。待たせてしまったみたいだな」

 「いえ、私も今来たばかりなんです」

 真田は雪の向かいに座りながら、申し訳なさそうに微笑んだ。その笑顔に雪も何かしらホッとするものを感じる。安心できる仲間に会えた嬉しさだろうか。

 「真田さん、今日出勤されていたんですか?」

 真田はいつもの防衛軍の制服を着ていた。電話で見たのは間違いではなかったらしい。

 「あ、ああ……長官に休日は返上したんだよ。地球防衛軍の戦艦はほぼ全滅だからな。早急に新造艦の準備にかからないとならないもんでね」

 苦笑しながらもあっさりとそう答える真田に、雪は困惑げに眉をしかめた。

 「でも……ヤマトが…… あんなことがあった後なのに……」

 「雪…… 俺にとっちゃ、これが一番の薬なんだよ」

 真田が自嘲気味に微笑んだ。

 「人それぞれのやり方があるのさ。俺にはこれが一番あってる」

 そう言いながら口元を緩める真田の表情は、雪にはとても哀しく見えた。そして、決して優しい顔付きでも眼差しでもない彼のその瞳は、雪を包み込むように優しかった。

 「真田さんはこれからも…… ヤマトを失っても、この防衛軍に残られるんですか?」

 「そうなるだろうな。俺にはもう……この仕事しか残っていないんだ」

 「でも昔は……絵描きになりたかったって。以前古代君から聞いたことありましたけど?」

 「ははは…… それは今でも好きだ。だが趣味としてやっていくつもりだよ。
 俺にとって防衛軍の仕事は、いや『科学』というものは、君も知っての通り、姉を亡くした事故以来仇敵になった。が、今はそれと同時に、ある意味で親友のようになってしまったような気がするんだ。
 もしかすると、ヤマト以上に親密な関係になっているのかもしれん。今の俺は、仕事をしていることで一番癒されているような気がするんだよ」

 進の話では、科学は屈服させるべき敵だと豪語していたという真田なのに、逆にその科学に没頭することが、今の真田の悲しみを和らげるために役立っているのだ。不可思議な関係ではあるが、真実でもあった。

 「そう……ですか」

 雪がしんみりと視線を落とすと、真田がその空気を振り払うように、元気のいい声を出した。

 「とりあえず、何か食おうか? 腹減っただろう?話はそれからだ」

 「ええ、ふふふ……そうですね」

 真田の提案に雪が頷くと、彼は手を上げて店員を呼んだ。それからそれぞれが適当な料理を注文し、食事が終わるまで当たり障りのない話を続けた。
 ヤマトの話題を避けるように、アクエリアス後の地球の様子や雪や真田の家族の様子など、明るい話題を選んだ。

 (8)

 そのせいか会話も弾み、雪は久々に笑顔のある食事をすることができた。真田の気遣いもあったのだろう。
 そして、食後のコーヒーを一口飲んでから、真田がふうっと大きなため息をついた。

 「ああ、美味かった。こんなにゆっくり飯を食ったのは、ずいぶん久しぶりのような気がするな。地球に帰ってきてからも一人でばたばたと食事を取ってたからなぁ」

 「ええ、私もです。食事を楽しむってことを久しぶりに思い出しましたわ。付き合ってくださって、本当にありがとうございます」

 雪がおどけた顔でペコリと頭を下げると、真田は嬉しそうに笑った。

 「それはこっちのセリフだ。美人と一緒に飯を食うと、飯が5割り増し美味くなる」

 「あらっ、ありがとうございます。ふふ、真田さんでもそんなお上手おっしゃるのね」

 「はは…… 嘘じゃないさ、それに俺も一応男だからな」

 「まあっ、ふふふ……」

 雪は真田の言葉に嬉しそうに微笑んだ。その笑顔に真田も満足そうに目を細めた。

 「そんな綺麗な笑顔を見せてくれたと言えば、島も安心するな」

 雪は、真田が食事に誘ってくれた電話で島に会ったと話をしていたことを思い出した。

 「島君、大分調子いいみたいですね?」

 「ああ、本当はまだ面会謝絶らしいんだがな。ちょうど間宮君がいたもんで、ちょっとだけ覗かせてもらったんだ。体はまだ重いらしいが、頭の方ははっきりしているようだな」

 「ええ、術後目が覚めたときから、すごくしっかりしてましたから……」

 雪の目の奥に、大手術の後とは思えないほど、しっかりとしていた島の姿が目に浮かぶ。

 「ああ、だからそれがまた歯がゆいらしい。誰はどうしてる彼はどうだって人の心配ばかりしてたよ」

 「もう、島くんったら…… 彼らしいわ」

 雪は苦笑しながら、この間島に進のことを尋ねられた時のことを思い出していた。真田も同じことを考えていたらしい。真顔になって雪にこう言った。

 「一番気にしてたのは……古代のことだ」

 「あ……すみません。本当は、島君には話すつもりなかったんですけど…… 彼にどうしてるって尋ねられたら、とても黙っていられなくなって……」

 ばつが悪そうにうつむく雪を励ますように、真田は断固とした口調で言った。

 「うん、あいつらは数年来の親友だからな。当然だよ。君と一緒に古代が来なかったら、すぐに気がつくさ」

 「ええ……」

 雪が小さく答えた。真田は雪の様子を探るようにじっと見つめたまましばらく沈黙した。雪はその視線から逃れるように、窓の外に顔を向けると、真田が再び話し始めた。

 「窓際の席……か」

 「え?」

 「人待ち席……だな」

 「あ……」

 先にレストランに来ていた雪が無意識に選んだ窓際の席。通りを走る車も人もよく見える。真田は、その席の取り方にも、進を思い待ち続けている雪の心を感じとっていた。
 心の中を見透かされたようで、少し赤くなってうつむいた雪に、真田が尋ねた。

 「それで古代からはなにか言ってきたのか?」

 「いえ……」

 雪は小さなため息とともに首を振る。

 「そうか、で、行き先の目星はついているのか?」

 「いいえ、それも……」

 と答えながら、雪はもう一度首を振った。

 「でも…… 島君や入院している人たちのことが気になるみたいで…… 何かあったら携帯の方に連絡してくれって…… エマージェンシーと私からの電話はちゃんと出るからって」

 「携帯はOFFにしていないってわけか」

 真田が考え込むように、腕を組んだ。

 「ええ」

 「じゃあ、こっちから掛けてみたらどうだ?」

 その言葉に、雪はぱっと弾かれたように顔を上げた。それから再び、ゆっくりと視線をテーブルの方へと下ろした。

 「いえ…… 今はそっとしてあげようって決めたんです。彼が自分自身と向き合ってるような気がするので……」

 「そうか……」

 真田は腕を組んだまま、しばらく考え込んでいた。

 (9)

 「君の言う通りだよ。実は俺も、今はあいつを一人でゆっくり考えさせてやりたいと思っていたんだ」

 「はい、古代君ならきっと…… 自分の今の気持ちを整理して答えを見つけてきてくれるって……そう思ってます」

 「うむ……」

 真田の瞳が穏やかに揺れた。

 「あいつはいったい、どんな答えを見つけてくるんだろうな」

 雪はやんわりと微笑んで、そうですねぇ、と小さな声で首を傾げた。それからゆっくりと視線を真田に向けると、明瞭な口調でこう答えた。

 「でもきっと、何かを見つけて……何かを感じて、帰ってきてくれると…… そう、信じています」

 雪の真摯な眼差しに真田もこっくりと頷いた。それから目を閉じ、遠い昔を思い出すようにふーっと息をくと、進への思いをとつとつと話し始めた。

 「古代は子供の頃はとても優しくておとなしい子だったらしいな。それが両親をなくして、古代の人生は変わってしまった。

 あの頃の奴のことは、訓練学校で一緒だった兄貴の守から時々聞いていたんだ。守は弟のことをずいぶん心配してたなぁ。『進がまるで復讐の鬼のようになってしまった』って戸惑っていたよ。

 両親を殺したガミラスに一矢を報いたい一心で、古代はそれまでは全く望んでいなかった宇宙戦士への道を選んだんだ。兄貴が言うには、元は虫を殺すのもためらうほどの平和主義者だったらしいからな」

 「ええ……」

 雪がこくりと頷く。彼女も出会ってからしばらくたって知った進の少年時代だった。

 「はじめ宇宙戦士になることを勧めていた守でさえ、古代のその鬼気迫る決意には、逆に止めようかとさえ思ったらしい。だが、古代の決意は固かった。訓練学校でも、その古代の姿は、あのご時世の中でも居様に際立っていたらしい。良くも悪くも……な。
 そして、君が初めて出会った頃の古代が出来上がったというわけだ」

 真田の言葉をじっと聞きながら、雪は出会った頃の進の様子を思い浮かべていた。

 (そう、あの頃の古代君は諸刃の剣のように鋭くて、でも……とても苦しそうだった……)

 「その古代が本来の自分を少しずつ取り戻し始めたのは、ヤマトに乗って航海に出てからのことだった。あいつを変えたのは……ヤマトと沖田艦長と……そして雪、君だ」

 その言葉に、それまでうつむき加減に話を聞いていた雪が、はっとして顔を上げた。

 「私……なんて、そんな……」

 慌てて首を左右に振る雪を、真田は慈しむように見つめた。

 「本当だよ、雪。君の古代への影響力は甚大だった。
 あいつは、沖田艦長から男の本当の強さを学び、ヤマトと一緒に戦うことで成長していった。そして君と出会うことで……昔のあいつが持っていた人としての優しさを取り戻したんだ。

 いつの間にか、あいつにとって沖田艦長とヤマトと君は、大切な3つの柱になっていたんだよ。

 だが奴は、その大切な支えのうちの2つをいっぺんになくしてしまった。それもそのうちの一つは、以前なくしてしまったものが思いがけなく戻ってきたと喜んでいた矢先だった。
 あいつの心が一気に揺らぐのも仕方がない…… そう思うだろう?」

 「ええ、でも…… 私が彼の支えだって真田さんはおっしゃいますけど、私には甘えてくれませんでした」

 泣き出しそうになるのを必死に堪えて、雪がそうつぶやいた。瞳を潤ませた雪に、真田は優しく諭す。

 「たった一つ残った大切な支えである君は、逆に言えばあいつの最後の何よりも大切な砦なんだ。その君に全部をもたせかけて頼ることは、今のあいつにはできなかったんだろう。
 君だって同じように傷ついているはずだってこともわかっている。だからこそ、自分ひとりで立ち直りたかったんだろうな」

 「…………」

 大切であるがゆえに離れていったという真田の言葉に、雪は嬉しいような哀しいような複雑な気持ちになった。

 (10)

 真田の話はさらに続いた。

 「それに、古代は今、人生の大きな岐路にいる。どの道を選んで進んでいくのか、それを静かに一人考えてみて欲しいとも思うんだ」

 「はい」

 そのことについては、雪も賛成だった。古代進がこれからの生きる道をどこに定めるか、それは雪や真田が決めることではない。古代進が自分で決めなければならないのだ。

 「古代はヤマトの中で成長していった。今の古代は、イスカンダルの旅に出た頃のあいつとは雲泥の差だ。いや、こんな短い期間の中じゃあ、差がありすぎるのかもしれんな。
 なにせ、いきなりヤマトに乗れば戦闘班長、その半年後には艦長代理だからな。

 ようやく地球に戻ってきたと思ったら、また事件が起こり、今度はみんなを引っ張って軍の指示を無視して出航することになってしまった。

 挙句の果ては艦長ときた。その間中、あいつは自分のことは二の次にして、全力をかけて地球を守り続けてきたんだ。あの若さでだ!」

 珍しく感情を高ぶらせて話す真田の言葉に、雪は気圧(けお)されされそうになりながら、それでもじっと視線だけははずさないようにして聞いた。

 「あいつにとって艦長は相当の重荷だったはずなんだ。代われるものなら代わってやりたかった」

 真田がいかにも苦しそうに言葉を吐き出した。それからまた、ふうとため息をつくと、話を続けた。

 「だがなぁ、あいにく俺は艦長の器じゃなかった。戦艦の指揮官というのは、誰でもできるもんじゃあない。古代だって若すぎるとは思ったが、それでも俺や島よりも、あいつの方がずっと適任だったんだ。

 そしてあいつは……最後までヤマトとともに戦った…… 地球を守りきって……

 だから、そのヤマトがなくなって、あいつの精魂が尽き果てたっていうのなら、もう何もかもうっちゃってしまいたいと思うのなら、俺はもう……」

 ここで真田は一旦言葉を切って、再び瞑想するように目を閉じた。それから再び目を開くと、雪をまっすぐに見つめた。

 「そっとしてやってもいいんじゃないかってさえ思えてくるんだ。
 もう……ずっと昔の優しくて物静かな少年だったあいつに、戻らせてやってもいいんじゃないかって、花や虫が大好きだったっていうそんなあいつに…… なぁ、雪。そう思わんか?」

 真田の言葉は、とても温かかった。真田の進への想いが雪の心にも染み渡る。湧き上がる思いが、雪の瞳から涙となって伝った。

 「……ええ。ええ、私も……そう思います」

 じっと見つめ合う二人の思いは同じだった。進が望むのなら、もうこの辛い戦いの世界から立ち去ることを黙って認めてやろう。真田も雪もそんな思いで胸がいっぱいだった。

 真田は雪の意志を頷いて受け止めてから、「ただ……」と口を開いた。

 「一つ聞きたいんだが…… 雪、君はあいつがどんな選択をしてもついていけるのかい?」

 真田の問いに、雪はぴくっとして目を大きく見開いたが、すぐにそれは笑みに変わった。そして、決意に満ちた顔を真田に向けて力強く頷いた。

 「ええ、もちろん」

 (11)

 雪の答えに、真田は安心したように椅子の背もたれにどっしりともたれかかった。

 「そうか、今はあいつにとって唯一の支えなんだからな、君は。だが、一つ聞きたいんだが、君は本当のところ、これからどうしたいって思っているんだ?」

 再び背もたれから体を起こした真田が、やけにまじめな顔で雪に迫った。

 「え?」

 「君だってヤマトに乗る前に望んでいた道があるだろうし、逆に今の仕事が気に入っている場合だってある。あいつの選択に合わせたところで、今度は君のほうが息詰まってしまうことはないんだろうな?」

 真田は今度は心配そうな顔付きになった。雪はふと進が真田を実の兄のように慕っていることを思い出した。それは自分にとっても同じような気がしてきた。真田になら、今の思いを吐露できそうな気がする。

 「……私の夢……私のしたかったことは……」

 進が旅立ち一人になってから考えていたことが、脳裏に怒涛のように湧き上がってくる。それをすべて吐き出したい気持ちでいおっぱいになった。
 うつむき加減になった雪は、一つ一つ言葉を選ぶように話し始めた。

 「医者になりたかったのも、看護師になったのも、地球を守りたいという使命感からでした。一人でも多くの人が苦しみから逃れられたら、いいえ、少しでも苦しみが軽くなるのならって。

 でも、もし平和な世の中だったら私……何をしてたんだろうって思ったら、医者でも看護師でもないような気がしてきて……

 それでここ数日、ずっと考えていたんです。私の夢ってなんなんだろうって……

 古代君がひとりで自分のこれからの人生のことを考えているとしたら、私だって考えなくちゃって…… 古代君にばっかり頼ってないで――だって本当は支えられてたのは私なんですもの。だから……」

 雪はそこまで一気に話すと、顔を上げて真田の顔をじっと見つめた。

 「でも…… 私の未来は、私の夢は……」

 瞳に少しずつ涙が湧き上がる。こみ上げる感情が雪の次の言葉を口から押し出した。

 「古代君がいないと始まらないんです!」

 「雪……」

 雪はわけもなくいやいやをするように、首を左右に振った。

 「彼のいない人生なんて、どうしても考えられなくて……
 彼に頼っている自分が不甲斐ない、そう何度思ってみても、やっぱり彼がいない人生なんて考えられなくて…… 彼が幸せになってくれるの私にとっては一番の幸せで……一番……大切なんです。
 こういうのって、やっぱり私が女だからでしょうか? 女だから、彼に甘えているんでしょうか?」

 (12)

 雪の涙の訴えを静かに聴いていた真田は、彼には珍しくひどく柔和な表情を浮かべた。

 「いいじゃないか、雪」

 「……!?」

 「古代進を幸せにする…… そして自分も古代進と一緒に幸せになる。それが君の人生の一番大切なもの。それもいいんじゃないか」

 「真田さん……」

 雪は心の中がすっと軽くなるのを感じた。もしかしたら今のその思いを誰かに肯定してもらいたかったのかもしれない。それが他でもないヤマトの仲間で且つ男性の真田であったことが、さらに雪を安堵させた。

 「男だから女だからとか、そういう問題じゃないだろう? 人を幸せにしたいと思う気持ちは、とても立派なものだと思う。それにあいつを幸せにできるのは、この世の中で君しかいないんだから」

 「はい、ありがとう……ございます」

 雪はおずおずとした笑みを浮かべて頭をペコリと下げた。すると今度は真田がおどけたような表情で、「と言ってもなぁ……」と言葉を続けた。
 雪が続きを問うように真田を見やると、彼は今にも吹き出しそうな顔をした。

 「いやぁ〜、君が古代の幸せのためだけに過ごしてる、っていうかつまりは専業主婦だけをしている姿もあまり想像つかなくってな。ヤマトでの君を見てると、じっとしてる時間がないくらい何かしら忙しく働いている印象が強いんだよ」

 「まあっ……真田さんったら。それは真田さんの方じゃないんですか?」

 「君も相当だったぞ。もちろん、専業主婦が暇だって言ってるんじゃないんだ。君のその才能を古代だけのために使うなんてのは、ちょっとばかしもったいない気もするんだがなぁ。おっと、今の発言はあいつには内緒だぞ」

 真田が冗談めかしにウインクをする。雪の顔に笑顔が戻った。

 「うふふ……ありがとうございます」

 「それにその……古代がもし……今までどおり宇宙に行くような仕事をすれば、君も暇を持て余すんじゃないかなと思ってな」

 「そう、かもしれませんね」

 雪はちょっと考えるように小首を傾げた。

 「そうだろ? ヤマトで君は生活班長の仕事がとても似合ってたような気がするよ。艦内の雰囲気を良くすることや健康管理、とにかくいろんなところでみんなが快適にいられることに心を砕いてくれていた。大変な気苦労だろうに、それを君は嬉々としてやってくれていた、違うかな?」

 「そんな……褒めすぎですよ」

 「はは……そんなことはないさ、君自身、そういう仕事が好きなんだろうな」

 「そうですね……」

 ヤマトの生活班長は、確かに大変ではあったがやりがいのある仕事だった。多種多様な要求に答えて、長時間航行し続ける狭い艦内の雰囲気を盛り上げ、士気を高めていくのは、なかなか難しくもあり、同時にうまくいったときの達成感は大きいものがあった。

 「古代進を幸せにしたいと言った君の道は、そんなところにあるんじゃないかなって思えるんだがな。地球のために医者や看護師になろうとしたのも、一人でも多くの人に安楽を与えたかったんだろう。そういう心配りは、君の素晴らしい才能だと思うよ」

 「ありがとうございます」

 雪がニコリと笑って頭を下げた。

 「まあ、とにかく古代が視界に入る範囲で、自分が一番置きやすい場に、自分を置くことを考えてみることだな」

 「はい……」

 古代進を幸せにした上で、他の人たちの快適さを向上させる仕事ができれば、それは雪にとって願ってもないことだった。

 (そうね、まず古代君の帰りを待ってから…… それから考えてみてもいいわよね)

 雪は、真田の言葉に大いに助けられ勇気付けられた気がしていた。

 (13)

 それから再び会話は他に移り、クルー達の消息などを話し合ってから、二人はレストランを後にした。

 雪の住むマンションの前まで来ると二人は立ち止まった。雪が今日の礼を真田に言う。

 「今日は本当にありがとうございました。一人で何日も考えていると、どうしても考えることが堂々巡りしてしまって…… でも、真田さんとお話できて気持ちが少し晴れました」

 「そうか、それはよかった。俺も同じだ。やっぱり今の俺たちの気持ちを理解できるのは、同じ艦(ふね)に乗っていた仲間達だけなんだろうな、って思うよ」

 「ええ……」

 「島には明日にでも病院に電話して、雪は大丈夫だって伝えてもらうから」

 「お願いします。私もまた顔を出してみますわ」

 「ああ…… だが家を離れたくないんだろ? 奴がいつ帰ってきてもいいように」

 真田がニヤリと笑うと、雪は照れくさそうに目をしばたかせた。

 「えっ? やだわ、真田さん!」

 「古代は今、この地球のどこかで、求めるものを探して彷徨っているんだと思う。場所も心も…… だが、最後に戻るところは君のところだ。それだけは間違いない。俺が保証する。だから、君はそれを信じて待ってればいいんだ」

 雪は真剣な眼差しで真田の言葉にこっくりと頷いた。すると、真田も満足そうに頷いた。

 「それじゃあ、これで。古代が帰ってきたら知らせてくれ」

 真田はそう告げてから、再びレストランの方向へと戻っていった。雪は真田の後姿に頭を下げると、マンションのエントランスへと入っていった。

 古代進が何かを求めて彷徨っている間、待つ身の雪にも少しずつ前へと進むための時が流れ続けていた。
 そしてそれは真田にも……島にも…… 他のヤマトクルー達にも……

 自分を取り戻した進が帰ってくる日を、雪はもちろん、誰もが心待ちにしているのだ。


 その頃、彼らが待ちわびている古代進は、ヤマトの故郷九州を離れ、再び東上すべく旅の途についていた。

Chapter6 終了

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(背景:Atelier Paprika)