Departure〜彼らのスタートライン〜

3.二度目のご挨拶

Chapter1

 (1)

 それは突然の彼の言葉だった。

 その日もいつも通り、進と二人の朝食を終えた雪は、出勤の支度を整えていた。すると、先に着替えを済ませた進が、不意に二人の寝室に入ってきて、ドレッサーに向かって座る雪の後ろに立った。
 雪は髪をとかす手を止めて、鏡に映った彼の顔を見上げた。鏡の中の進の顔は、なんとなくいつもと違う柔らかさがあった。

 「どうしたの? 古代君?」

 雪は鏡の中の彼に尋ねた。すると、進は出勤前の会話には似つかわしくないほど、やけに照れくさそうな顔をした。

 「あのさ、雪……」

 と、そこで少しの間があいてから、進は続きの言葉を告げた。

 「今度の週末にさ…… 横浜のご両親のところへ行かないか」

 「……え?」

 (2)

 ここで、前日に少し時間をさかのぼるとしよう。
 ヤマトが艦長の沖田とともにアクエリアスの海に沈んで1ヶ月近くが過ぎたその日、東京メガロポリス最大のセレモニーホールでは、地球連邦政府主催でヤマトと戦没者のための追悼会が行われた。

 招待されたのは、地球連邦各国の要人と防衛軍司令部の幹部達、そしてヤマトクルーとそれに関わる任務を務めた防衛軍の主だった士官達である。

 早々たるメンバーが揃う中、会は開かれた。まず地球連邦大統領の弔辞、そしてそれに続き司令本部を代表して藤堂が語った。

 「……最後に、ヤマト、沖田艦長、そして多くのヤマト戦士達の霊に誓いたい。これからも我々は地球を、そして宇宙の平和を守って行くと。そして、あなた方の死を無駄にしないように不断の努力を続けて行くと…… 安心して安らかにお眠りください」

 藤堂の言葉に合わせるように、皆が黙祷し故人達とヤマトを偲んだ。

 それから各国代表達の言葉や献花が終わり、最後に、大勢の人々が見守る中で、ヤマトクルーを代表して、進がヤマトと沖田を送る言葉を語ることになった。

 「……ヤマト、沖田艦長、土方艦長、山南艦長……」

 この3名の名から始まって、進は、イスカンダルへの旅から全ての戦いで亡くなった仲間たちの名を、一人残らず並べてあげた。その名を告げる彼の口調に、まったくの淀みはない。

 もちろん、進は手にその名を連ねた紙を持っているわけではない。全ての仲間たちの名前は、進の中で決して消えない記憶となっているのだ。
 そして、その名の一つ一つがあげられる度に、元ヤマトクルー達は頷き、自分の縁(ゆかり)の名を呼ばれた遺族達が目頭を押さえた。

 全ての名を言い終わってから、進は一瞬の間を置き、再び言葉を続けた。

 「あなた方のことは、決して忘れはしません。ありがとうございました。本当に……ありがとうございました」

 そこで再び間があいた。

 だが今の彼の目に涙はない。ただ熱くこみ上げる思いを必死に堪える必要はあったけれど…… その姿をじっと見守る雪の瞳は、何とか零れ落ちないように我慢しつつも、はっきりと潤んではいたけれど……

 そして最後に、進はこう結んだ。

 「これから、私たちは未来に向かって歩いていきます。あなた方が命をかけて守ってくれた地球と、地球で生きる命たちとともに、しっかりと前を向いて歩いて行くことを、ここに誓います!」

 未来を語る進のその言葉は力強かった。愛するものを失った悲しみを乗り越えて、新しく生きていこうとする彼の決意が、そのまま言葉になっている。
 そして進の宣言を聞いたクルー達も皆、強く未来への思いに心を馳せたのだった。

 決して後ろ向きにならずに、しっかりと未来を見据えて生きていこうという、進のメッセージは、亡くなった者達への言葉であると同時に、今生きてここに集まった人々へのメッセージでもあった。

 こうして進の挨拶が終わり、追悼の会も終了した。

 (3)

 防衛軍司令本部司令長官室では、追悼の会を終えた藤堂の前で進が立っていた。

 「今日はご苦労だったな」

 自席に座った藤堂は、大きなイベントを終えて安心したような穏やかな笑顔を進に向けた。

 「いえ、何とか無事に終えることができて、ほっとしました」

 進も今日始めての笑顔を浮かべると、藤堂はこっくりと頷いた。

 「そうだな。今回の追悼集会は、全世界に生中継されていたからな。緊張もするだろう」

 「そうですね……と言いたいところですが、壇上に立った時点でそんなことはすっかり頭の中から消えていました」

 苦笑する進を見て、藤堂が声を出して笑う。

 「ははは…… 君らしいいな。しかし、いい弔辞だった。亡くなったクルー達の名を一人ずつ丁寧に語ってくれた時は、私もなんというか、胸が熱くなったよ」

 「はい、どの人物も忘れ得ない人たちですから……」

 「それと最後の君の言葉」

 藤堂が真顔になった。

 「最後の?」

 「しっかりと前を向いて歩いて行くことを誓います……」

 藤堂がさっきの進の言葉をそのまま告げると、進は思い出したように目を細めた。

 「ああ…… 私も、悲しんでばかりじゃいけないと思っていますから」

 「先日の1週間の休暇で、何か得るものがあったようだな」

 「はい…… 旅に出て一人になって、そして人と出会って…… 自分のこれからについてゆっくり考えることができました」

 藤堂は満足そうな瞳で、進を見た。そして、また一つこの男は成長したのだ、と思った。

 「うむ…… それでは、今日の会を以ってヤマトの残務処理は全て終わったわけだな」

 アクエリアスとの戦いの後、休暇が明けてからの進は、ヤマトの指揮官としての残務処理を行っていた。その彼も再び宇宙に飛び立つことになっている。今日、新たな任務の任命を受けるために、ここ長官室を訪れているのだ。

 「はい。今日は新たな任務命令が発令されると聞いておりますが」

 「うむ、古代進」

 藤堂が立ち上がって真剣な眼差しに変わると、進も姿勢を正して直立不動の姿勢をとった。

 「はっ!」

 「本日を以って、地球防衛軍外周艦隊第3艦隊所属巡洋艦冬月艦長を命ず」

 冬月の名を聞いた進は、大きくその瞳を見開いた。

 (4)

 「冬月……ですか!?」

 冬月というと、ヤマトがアクエリアスで自沈する前に、クルー達がヤマトから乗り移った艦である。進も同じく、冬月からヤマトの最期を見送った。それだけに感慨深い艦だった。
 進の問いに、藤堂が大きく頷いた。

 「そうだ。冬月の水谷艦長は、今回第3艦隊の司令官に就任され、旗艦きさらぎの艦長となる。きさらぎは今回の戦い前から製造され、戦いの難を逃れこのほど完成した」

 「それで私に冬月を?」

 「そうだ。冬月では不足かな?」

 藤堂の問いに、進は慌てて答えた。

 「いえ、とんでもありません。かえって感慨深く思っているくらいで……」

 「そうだろうな…… 実はこれは水谷艦長の希望なのだ。冬月は元ヤマトクルーに、できれば古代、君に譲りたいと、な」

 「そうですか…… それで私を」

 進はヤマトから冬月に到着した時の水谷艦長の顔を思い出していた。あの時、進が水谷に沖田がいないことを伝えた時、彼は顔色を変えつつも、それ以上は何も問わずに発信の命令を下したのだった。

 「うむ、では復唱を」

 藤堂が促すと、進ははっとして藤堂に向かって敬礼をした。

 「はっ! 古代進、本日より、地球防衛軍外周艦隊第3艦隊所属巡洋艦冬月艦長に就任いたします!!」

 「よろしく頼むぞ。冬月は今ドッグに入っている。出航は2週間後の予定と聞いているが、詳細は明日、水谷艦長から直接聞いてくれ」

 「はっ!」

 二人はしっかりと見つめあった。

 (5)

 それから、藤堂はゆっくりと席に腰を下ろすと、次の言葉を発した。

 「ただし……冬月の艦長は暫定的な任だと思って欲しい」

 「え?」

 冬月艦長は暫定的だという藤堂の言葉の続きが何なのか、進には見当もつかなかった。

 「実は、今はまだ立案中なのだが、真田君から新たな新造艦の提案が出ているのだ」

 「……はい?」

 「来年早々から、その製造に着手する予定になっている」

 進の顔が引き締まった。藤堂の言わんとしていることが彼にもわかった。それに合わせたように、藤堂はしっかりと進の顔を見据えて言った。

 「その艦が完成したら、君に任せたいと思っている」

 「私に……ですか?」

 そう尋ねる進に、藤堂はこっくりと頷く。

 「そうだ。今回の新造艦は、巡洋艦クラスの予定だが、将来的には旗艦として使える戦艦クラスの開発が目的だ。真田君は、いつかはヤマトの代わりになるような艦にしたいと言っていた」

 「ヤマトの……!?」

 ヤマトという言葉に進は鋭く反応する。さらに藤堂の話は続いた。

 「そして将来的には、それが地球艦隊の旗艦になる予定だ」

 「それを私にですか!?」

 「そうだ」

 藤堂の断言したが、初めて聞くこの話に、進は正直なところ戸惑いの方が大きかった。いくらヤマトを指揮していたとは言え、将来の地球艦隊の旗艦を自分にとは、とても任が重過ぎる気がしたのだ。

 「しかし、まだまだ若輩者の私には少し……」

 「我々も真田君も、それだけ君に期待しているということだ」

 「ですが……」

 藤堂の大きな期待に、不安顔を隠せない進に、藤堂は軽く笑っていなした。

 「ははは…… そう心配することはない。艦の開発には、これから何年もかかるそうだ。
 まず巡洋艦を何隻か製造した後、戦艦に着手する予定になっている。その後旗艦の製造ということになる。つまり地球艦隊の旗艦となりうる艦ができるころには、君もそれなりの年になっている、というわけだ」

 これは何十年にもわたるプロジェクトになるということだろう。進の昇進にあわせて艦もレベルアップするらしい。
 真田や藤堂から、それだけの強い信頼と期待を向けてもらえることに、進は嬉しくも重い責任を感じていた。しかし、それに答えたいという気持ちも、彼には十分にあった。

 「そうですか。わかりました。真田さんが造られる艦にふさわしい人間になれるよう、日々精進いたします」

 「うむ、期待しているぞ……」

 「はい、ありがとうございます」

 深々と頭を下げる進を、藤堂は頼もしそうに見上げていた。

 (6)

 ここまで話が終わった時、ドアをノックする音がして、長官秘書を勤める森雪が入ってきた。

 「コーヒーをお持ちしました」

 「ああ、ありがとう。そっちのテーブルに置いてくれ」

 藤堂が応接セットの方を指し示すと、雪ははいと答え、横にあるテーブルの上にコーヒーを2つ置いた。そして帰り際に進の顔をちらりと見て、綺麗な笑顔で軽く会釈した。進もそれに軽く頷いて答える。

 そんななにげない二人のやりとりを、藤堂は楽しげに見てから、進をコーヒーを置いた席の方へと促した。

 「さて、私からの話は終わった。今日はもう何も予定はないのだろう? 帰る前に座って一杯飲んでいきなさい」

 「はい、ありがとうございます」

 藤堂の言葉どおりに、進はコーヒーの置いてある応接セットのソファに腰掛けた。藤堂も進の向かいに移ってきて、ソファにゆったりと座った。
 それから二人して、コーヒーを一口二口すすった。それから、藤堂が口元を弛ませながら、進の顔を見た。

 「ところでなぁ〜」

 「はい?」

 「ここからは任務抜きの話だが……」

 「はっ?」

 きょとんとしている進を見る藤堂の目が笑っている。

 「私個人としては、ずっと気になっておるのだが」

 そこまで言ってから、藤堂はコーヒーを掲げながら、雪が入ってきたばかりのドアの方へと視線を移した。これには、さすがの進も、相手が何を気になっているのかが理解することができた。

 「え? あっ、あ…… はぁ〜……」

 うつむき加減に、進の顔がほんのりと赤らむ。その顔を覗き込むように、藤堂は話を続けた。

 「またヤマトと沖田の喪に服してしばらく延期するとか、そういうことを言い出したりはしないのだろうな? 聞くところによると、君たちのことは沖田艦長の遺志でもあるそうだな」

 「はい…… すみません、ご心配ばかりかけて……」

 そう答えながら、進は恐縮するばかりだ。ことが思いきりプライベートなことであるだけに、この長官室でこんな話をすることがひどく気恥ずかしかった。
 だが、藤堂の方は至極まじめな顔つきで、

 「まあ、この間のこともあるしな」

 と言葉を続ける。この前のヤマトの出航前に、雪の妊娠騒ぎがあったことを言っているのだ。
 進の頬にさらに赤みが増した。20代前半の若者らしい表情に、藤堂の顔がほころんだ。

 「雪は私にとっては娘同然なのだよ。早く彼女の幸せそうな笑顔を見たいと思っているのだ」

 「はい」

 雪のことを思う藤堂の優しい言葉に、進は神妙に答えた。

 「それで……予定はどうなんだね?」

 「はい、実は、この追悼の会が終われば話を進めようと思っていたところでした」

 それはまだ雪にも話していないことだったが、進は今度こそ二人の結婚を進めるつもりになっていた。このほどの戦いの前に、雪に改めてプロポーズし、決意を固めたことは、決して忘れてはいない。

 確かに、ヤマトと沖田を亡くして、一時はまたもや結婚のことなど考えられない状況に陥ったのは事実だ。
 けれど、あの1週間の旅と、この1ヶ月の雪との暮らしの中で、再び進の中で、未来への思いが徐々に頭をもたげていた。

 進の答えに満足したように、藤堂は顔をほころばせた。

 「そうかそうか! それを聞いて安心したよ。いや、余計なことを言ってしまったようだな」

 「いいえ、そんなことはありません。みんなが私たちのことを心配してくださって、本当に嬉しく思っています」

 進がぺこりと頭を下げると、藤堂は声を出して笑った。

 「ははは…… 真田君や相原君も気にしていたからな。で、式はいつ頃になりそうだね?」

 「それはまだ…… とりあえず、まずは彼女のご両親にご挨拶しにいこうと思っています」

 「そうか、では決まり次第報告を頼むよ、なにせ式に出席する皆のスケジュール調整が大変だろうからな」

 「はい……ありがとうございます」

 和んだ会話は、こうして終わり、進は司令長官室を辞した。

 (7)

 そして翌日の朝、進は藤堂との約束どおり、さっそく雪に両親への挨拶を打診することにしたのだった。
 鏡の前に座る雪の後ろから、進が話しかけた。

 「今度の週末にさ…… 横浜のご両親のところへ行かないか」

 「……え?」

 髪をとかしていた雪は、その手を止めて振り返った。

 「横浜へ?」

 「ああ……」

 突然の彼の提案に、雪は首をかしげた。

 「それは構わないけど、どうしたの? 古代君、急に?」

 なにせ、内容が内容だけに、気恥ずかしさが一杯の進である。鏡に向かっている後姿だからこそ、やっと言い出せたのに、雪に振り返られてじっと見つめられては、次の言葉がしどろもどろになって出てこなかった。

 「いや、その…… なんだ、あの……」

 「ふふふ…… なんだかよくわからないけど、気を遣ってくれてありがとう」

 雪は、言葉を濁してしまった進にそれ以上追及することはせず、笑顔で礼を言うと、再び鏡に向かって身支度を始めた。

 出かけるまでにさほど時間もなかったし、いつも親孝行をしろよと言ってくれる進が、自分もそれを実行しようとしてくれているのだろう。
 こんな風に彼が言ってくれているのなら、深く問いたださずに素直に礼を言っておく方がいいと、雪は判断した。

 再び背を向けてくれたことで、進はほっと一安心した。それから雪が支度をするのをしばらく見つめていたが、大体の準備ができドレッサーの上を片付け始めた雪の背中に向かって、再びぼそぼそと小さな声で話し始めた。

 「ん……あのさ」

 「なぁに?」

 雪は立ち上がって、まだ進に背を向けたまま、座っていた椅子をドレッサーの中に押し入れた。進はここでやっと思い切って、今回の訪問の主旨を口にした。

 「そろそろご両親に……結婚の挨拶をしないといけないと思ってさ」

 「えっ……!?」

 進の言葉に、雪は驚いてさっと体を翻らせた。と同時に、進も雪に背を向ける。雪の視線を背中に感じながら、進が宣言すた。

 「そういうことだ! さ、出かけるぞ!!」

 それだけを言うと、進はそのまま部屋から出ていった。あまりにも突然の提案に、雪は一瞬体を固まらせていたが、進が見えなくってしまってから、やっと我に帰った。心の中に嬉しさがふつふつと湧き上がってくる。

 (結婚の……挨拶!? それじゃあ古代君……!!)

 雪も部屋を出た。こんな時はすぐに、嬉しいっと飛びつきたいところなのに、その相手は背を向けたまま、既に玄関に向かって歩いている。雪はバッグを手にすると、慌てて進のあとを追った。

 「あっ、ちょっ、古代君!! 古代君、待ってってば!」

 (8)

 進は雪の声が聞こえないかのように、歩みを止めず、そのまま玄関からドアを開けて外に出た。雪もそれに続いた。

 廊下に出ると、進はエレベータホールに向かって歩いている。雪は小走りでやっと追いつくと、自分の腕を進の腕にすっと差し入れた。それから、その腕をぎゅっと抱きしめて、今の嬉しい自分の気持ちを伝えた。

 人前で腕を組むのは恥ずかしがる進だが、今は誰もいないからか、顔は前を向けたままではあるが、握られた腕は振り払おうとはしなかった。

 雪は、軽く体を寄り添わせて、 「古代君……ありがとう」と囁いた。すると、進は軽く頷いた。

 その時、ちょうどエレベータホールに到着した。すぐにやってきたエレベータに乗って地下の駐車場のボタンを押すと、進は初めて雪の方をちらりと見た。

 「別に礼を言われることじゃないさ。夏に君に約束したからな」

 そう答えると、まぶしそうな目で雪を見てから、再び顔をそらせた。

 「ん…… あっ、もしかして、昨日長官から何か言われたの?」

 その声には、陰りがあった。二人の結婚については、島や真田達をはじめ、ヤマトクルー達からも、何度もまだかまだかと催促されている。さらに昨日長官に促されて、進は仕方なく重い腰をあげたのではないかと、雪は少し不安になった。

 ほんの1ヶ月前に、ヤマトと沖田を失って、失意の中にいた進である。白色彗星との戦いの後も、暗黒星団帝国との戦いの後でも、進は何ヶ月もとても結婚など考えられない状況に陥っていた。今回のショックも、それらの時に比べても余りあるものがあるに違いない。

 その彼が、この時期に結婚について言及することに不安を持たないわけには行かなかった。
 雪としては、決して進の意思に反して結婚を進めたいわけではないのだから。雪自身でさえ、まだ結婚と言う祝い事に目を向けるのは早い気もしていたのだから。
 だが、今回は今までの彼とは少し違っていた。

 「言われた…… けど、これは誰かに促されたからじゃないぞ。自分で決めたことだからな」

 エレベータを降りて、車の方へ歩いていきながら、進がしっかりと宣言する。

 「ほんとに?」

 「ああ、昨日みんなの前で誓っただろ? 前を向いて未来に向かって生きていきますってな。それを実行しようと思っているだけだよ」

 「古代君……」

 雪の脳裏に、昨日の追悼の会の進の言葉が甦ってきた。確かに彼はしっかりとした口調でそう宣言した。それは誰に言うのでもなく、自分自身への言葉だったのだ。

 「君の心の準備、できていないのか?」

 「……ううん…… 悲しみはまだ消えてないけど…… 前を向いて生きていきたい気持ちは、あなたと同じよ」

 ヤマトとそして沖田との別れを受け入れた上で、進は今立ち上がろうとしている。ならば自分も…… 雪に異存はなかった。

 車のところまで到着し、進が運転席に、雪は助手席に乗った。車が走り出すと、進は再び話を始めた。

 「ああ、で、それにはまず、君のご両親に報告しないといけないだろう?」

 「ええ」

 雪が頷くと、進はふうっと、小さくため息をついた。

 「それに俺、お父さんとお母さんに、きちんと結婚の申し込みしてないもんなぁ」

 その言葉に、雪はプッと吹き出した。

 「あはは…… やだ、そう言えばそうだったわね。あっ、ね、じゃあもしかして、あれを言うわけ?」

 「あれって?」

 首を傾げる進に、雪は茶目っ気たっぷりにこう言ったのだ。

 「……うふっ、だからぁ〜 お嬢さんをくださいって、ア〜レッ!」

 とたんに進の顔が朱に染まった。

 「ぐっ…… ま、まぁ、そうだな」

 返す言葉につまり思いっきり照れまくりながらも、それを否定しない進を見て、雪はくすくすと笑った。

 「じゃあ、土曜日に行って泊まるからって、ママに連絡しておくわ。きっと喜ぶわ、ママたち……」

 さも楽しそうにそう答える雪に、進は苦虫をつぶしたような顔になりながら、釘を刺した。

 「先に余計なこと言うなよ」

 「わかってます! うふふ……」

 こうして、古代進にとっての一大イベント、ご両親へのご挨拶が数日後に行われることが決定した。

Chapter1 終了

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(背景:Anemone's Room)