命、繋いで

−Chapter  10−

 (1)

 雪の部屋は、ヤマトの士官居住区の中の一番端にある。隣の部屋は基本的に空き部屋になっている。士官クラスの女性クルーが雪一人だけということもあって、特別に女性専用のフロアにはなっていない。隣をあけてあるのが、僅かに女性のプライベートへの配慮と言えるだろう。

 少し前、佐渡に進められて部屋に戻った。島がワープに無事に耐え落ちついていることを確認した上でのことだった。
 そして今、シャワーで汗を流した後、ベッドに座って考え事をしていた。

 あと18時間足らずでアクエリアスは地球に最接近する。それまでにヤマトが何かすることができなければ、地球はどうなるのだろう。島の手術も出来なくなる。重苦しい思いが雪の中で広がった。

 (地球の人たちは、地下都市に避難したって聞いたけど、それだって確実に助かるかどうかわからないっていうし…… パパとママは、今頃どうしているのかしら?)

 地球を出る前に電話で話したことを思い出した。――古代君と一緒なら、心配せんよ――父親が言った言葉が胸に染みる。

 (パパ…… 私ずっと古代君と一緒にいるわ。ずっと…… だから大丈夫よ。でも、パパ達にもう会えないなんて…… そんなのは嫌、絶対に考えたくない! それに島君も…… 地球が無事に助からなければ、彼を助けることも出来ないんだわ)

 そのためには、あのアクエリアスを地球から遠ざけなければならないのだ。ではどうやったら、それができるのか?

 (何か大きな爆発でもあれば、それで軌道が変わるとか? でも、爆発なんて…… ヤマトの波動砲が有効なら今ごろ試しているはずだし…… きっと波動砲でも力不足なんだわ。そうよね、あれだけ大きな水惑星だもの。質量だって相当大きいはず。じゃあ、どうやれば……)

 あれこれ悩んだところで、雪に解決策が浮かんでくるはずもなかった。

 (ああだめっ!! 私の専門外よ。とても考えが及ばない。真田さん何か考えがないのかしら? 艦長は?古代君は……?)

 進のことを思い浮かべると、雪は無性に進の顔を見たくなった。彼の顔を見ているだけで、一緒にいるだけで、とても安心する。その先に何があろうとも、雪にとって進のそばが、いつでも一番居心地のいいところなのだ。

 (古代君…… 今ごろ、部屋にいるのかしら? 少し仮眠でも取ってるのかな? 顔を見たいな)

 (2)

 雪が進のことを思い浮かべている時、その当人はまさに部屋のドアの前に立っていた。ノックしようと手を上げたが、一旦それを止めてもう一度ゆっくりと深呼吸をした。

 (雪になんて言おう…… どこまで話したらいいんだろう)

 進はまだ決めかねていた。最期の手段として思いついた策を実行しようと決めた。ヤマトに残り内部爆破への引き金を引くことは,、自分自身で決断した。
 不思議と死への恐怖心はない。仕事柄、常に死と背中合わせであるためなのか、自分でもよくわからない。
 だが……何よりも気がかりなのが彼女のことだ。

 一緒に行こう(逝こうと言うべきか?)――こう言うのは、たやすい。その時になって、自分もどれほど心の平安を得られるかわからないし、おそらく彼女に言えば、二つ返事で付いてきてくれるだろう。だが、それは選択してはならない道だ。

 生きて地球に帰れ――こう言わなければならない。理性では100%これが正しいと理解している。
 しかし、しかしである。古代進という男の個人的な感情としては、彼女の元を去ることによる悲しみや惜しみ、切なさ、それら全てが心の中で渦巻いている。未練がましと言えばそれまでだが、彼女を手放したくないのだ。そばにいて欲しい。
 それに、一人残された彼女はどんな風に生きていくのだろうか、と心配になる。毎日泣き暮らしていたらどうしよう。そんなことまで考えてしまう。

 彼女を置いていくことを決めた今も、どう言えば自分の思いを伝えられるのか、彼女に納得してもらえるのか…… いや、彼女だけではない。自分自身を納得させられるのかさえ、まだ解答が出ていないのである。

 (やはり、黙っていこうか……)

 白色彗星との戦いの最後で、進はその道を選択した。彼女のことを思うが故の行動だった。だが、それは見事に彼女に見抜かれていたのだ。そして、彼女の思いに打たれ、二人で逝こうと決めた。

 (だが、あれは間違いだったと、あの後気付いたんだ。生きる道がある限り、生き抜くのが人の道だと、テレサにも教えられた。だから……)

 だから、雪にまだ生きる道が残っているのなら、それを摘み取ることはできない。進は結論が出ないまま、彼女の部屋のドアをノックした。

 (2)

 トントン――部屋の外でノックする音を聞いた雪は、すぐにドアまで駆け寄ってインターホンを押した。

 「はい、森です。どなたですか?」

 「俺だ……」

 外の声は、小さいが低く通る声でそれだけを言った。雪はくすりと笑う。声ですぐに進だとわかったのだ。お祈りが神様に届いたみたい…… そう思いながら、雪は答えた。

 「どうぞ入って、ドアは開いてるわ」

 その声が聞こえたか聞こえないかのうちにドアが開き、進が部屋に入ってきた。随分と深刻そうな顔をしている。暗い顔で押し黙ったまま、雪のほうを見ている。

 (古代君、疲れてるみたい。少しリラックスしないと、体も心も持たないのに……)

 今の状況では仕方ないか、と思いながらも、雪は笑み浮かべて進を迎えた。

 進は部屋に入ると同時に雪の顔を見た。まだ悩んでいる。どう話していいのか、話さないほうがいいのか決めかねて、心が押し潰されそうだ。
 それなのに……だ。目の前にいる当の雪は、笑みさえ浮かべているではないか。何がなんだかわからないが、思わず拍子抜けしてしまうというものだ。もちろん、雪に責任はない。進がどんな思いでいるのかなど、まだ全く知らないのだから。それでも進は、ムッとした顔で言った。

 「なんだ。部屋に入るなり、人の顔を見てへらへら笑って……」

 すると、雪はまた、くすっと笑った。

 「だって……『俺』さんって誰かと思ってね……」

 「えっ? 俺? あ、ああ……」

 進は一瞬きょとんとした顔をしたが、そう言われてやっと、今部屋に入るときに、自分の名を名乗らなかったことに気が付いた。焦る。

 「か、考え事をしてたから、つい…… それより、そっちの方こそ、誰だかわからない人間を入れるのはどうなんだよ」

 と、自分のミスを棚に上げ、変ないちゃもんを付けてしまう。それがまた、雪にはおかしかった。

 「うふふ、もうっ。そんなの声を聞けばすぐにわかるわよっ。何年、あなたと付き合ってると思ってるの? 『俺様』!」

 「ちぇっ」

 茶化すように言う雪に、すっかり進は毒気を抜かれてしまった。寄せ気味になっていた眉が、少し緩んだ。

 (3)

 進の顔が少し和んできたのを確認してから、雪は用件を尋ねた。

 「うふふ…… それでどうかしたの?」

 「ん? ああ……」

 進はすぐに言葉が出てこなかった。いきなりあんなことを言い出すわけにもいかないし、それになんとなく気勢をそがれてしまった気もしていた。

 「これからのこと…… 何かいい案が浮かんだの?」

 「うん、いや……」

 口篭もる進の口調を、まだ解決策を見つけていないと取った雪が、言葉を続けた。

 「そうね、簡単に思い付くことじゃないわよね。疲れた体と心じゃあ、何も浮かばないわ。古代君、都市衛星の戦闘からずっと休んでないんでしょう? 少しでも体を休めたほうがいいわ? 部屋に戻る?」

 進の疲れた顔を見ていると、雪の心に看護師魂がふつふつと沸いてきた。せっかく来てくれて嬉しいのに、それも伝えられずに追い帰そうとしている自分に驚きながら。

 と、進がまたすがるような目で見つめてきた。進は思った。今、ここで帰ってしまったら、肝心の話ができなくなる。それは絶対に困るんだ。そんな気持ちを込めてつぶやいた。

 「ここにいたらだめか? 今は、雪といたい」

 雪はどきりとした。普段はあまり恋心を言葉にしない進のことだから、そんな表現でも雪の心をときめかせるには十分だった。それに眼差しがとても真剣だ。
 雪は嬉しさをできるだけ顔に出さないように努めながら、進を促した。

 「そんなことないわ…… あ、だったら少しここで横になって休んだら? ベッドを使っていいから……」

 「ここで? けど……」

 「いいから、ほら」

 「そ、そうか、そうだな…… じゃあ」

 「あ、ほらっ! 靴下くらい脱いだら? 楽になるわよ」

 「ああ……」

 進は雪に言われるがままに、靴と靴下を脱ぎ捨てると、ベッドにもぐり込んだ。こんなことをしていると、二人の部屋に戻ってきたような錯覚に陥りそうになる。
 話さなければならないことがあるのはわかっていたが、雪の優しさとベッドの心地よさに負けた。もうほぼ丸1日以上体を休めていないのだ。

 今は、地球時間で夜中の11時になる。例の件を沖田艦長に相談するにしても、艦長も休んでおられるだろうから、遠慮した方がいいと思う。するとすれば、明日の朝だ。となれば、少し時間に余裕があった。

 (少し、ここで雪との時間を楽しもう。二人きりで過ごす時間は、もう二度とないかもしれないんだから……)

 ほんの少しの間、進は今この時の現実すべてを忘れることにした。今は、雪のことだけを考えよう。雪を見上げながら、進はそう思った。

 (4)

 進が大人しくベッドに入ったのを見届けると、雪もベッドサイドに来てちょこんと座った。

 「明日の朝まで眠ってもいいんでしょう? 適当な時間になったら起こしてあげるから、お眠りなさい」

 まるで母親のように優しく囁く雪に、進はにこりと笑った。

 「ああ……少し眠るよ。けど、雪もそうしたほうがいいぞ。ほら」

 進はベッドの奥の方に自分の体を寄せると、掛けていたブランケットを片手で持ち上げて、人一人入れるスペースをあけた。

 「えっ!?でも……」

 雪はその誘いに戸惑った。ヤマトの中である。しかも重大な任務の最中に、進と同衾するというのは、やはり気がとがめた。

 「ははは…… 別になにかしようってわけじゃないさ。ただ寝るだけだよ。ベッドは一つしかないし、君も俺も疲れてる。だから一緒に使おうっていうだけだよ。ほら」

 「それはそうだけど……」

 まだ渋る雪に、進はさらに言葉を足して求めた。

 「君だってずっと寝てないだろう? 俺と同じだ。だから、休まなくちゃダメだよ」

 「ん……」

 とうとう雪は、進の説得に負けた。僅かに笑みを浮かべて頷くと、彼が開けてくれたスペースにそっと滑り込んだ。

 (5)

 雪には進の言葉がとても嬉しかった。今起こっている大変な出来事のことを、しばらくの間だけ忘れようと思った。ほんの少しだけ、彼と過ごす幸せな時が、雪は欲しかったのだ。

 思えば、あの夜―進が核恒星系の探索に飛び立つ日の前夜―以来、二人はこうして仲良く並んで眠っていない。あれからまだ1ヶ月も経っていないのに、雪には随分昔のことのように思えてならなかった。

 (何事もなければ、今ごろパパとママに結婚の報告も済ませて、幸せ一杯だったはずなのに……)

 だが今はそれも言うまい。今、こうして彼の隣にいることが幸せなのだと、雪は思った。
 進の横に体を横たえると、彼の匂いと温かみがすーっと雪の体に伝わってくる。雪は、頭を軽く進の肩に持たせかけ、ゆっくり頬を摺り寄せた。すると雪の頭の中は、進だけで一杯になった。ヤマトのことも地球のことも、今は全て蚊帳の外だ。

 「気持ちいい…… 疲れがあっという間に飛んでいっちゃいそう……」

 雪の素直な気持ちだった。進の胸の中で眠るのは、雪にとって至福のことなのだ。もちろん、それは進とて同じである。

 「ああ、いい匂いだ」

 進は、顔の下にすっぽり入ってきた雪の頭に顔をうずめて、息を大きく吸った。

 「さっきシャワー浴びてシャンプーしたから…… 古代君も……古代君の匂いがする」

 「汗臭い匂いか? 俺はシャワーなんてしてないぞ」

 そんな風に言われて、雪はわざとらしく慌てたように体を少し進から離した。

 「やだぁっ!」

 「ははは、けど雪とこうしていると、どんどん元気になっていくみたいだよ」

 もう一度雪を抱き寄せると、髪の匂いを嗅ぎながら、進が嬉しそうに囁いた。すると、雪がいたずらっぽい笑みを浮かべる。

 「何が元気になるの?」

 意味深な質問の意味に気付いて、進は顔を赤らめて雪を睨んだ。

 「えっ? ばかやろう…… そう言う冗談を言ってる場合じゃないだろう!……って、くっくっく。でもそれはちょっと当たってるかな?」

 進の顔が、話している途中から、睨み顔が笑顔に変わっていって、最後はウインクを一つ雪にプレゼントした。そしてもう一度ぎゅっと抱きしめる。
 こんな他愛もない冗談を言いあうのが、恋人達にとっては最高に楽しい。

 「もうっ、やだぁ〜!」

 おかしそうに笑う雪を見つめながら、進はふっと一つ息を吐いた。

 「さっ、寝るぞ。目覚まし明日朝6時にセットしておいてくれよ」

 「ええ、わかったわ。おやすみなさい、古代君」

 二人は、狭いベッドでピッタリとくっついたまま目を閉じ、久々の眠りに入ることにした。

 (6)

 どれくらい時間がたったのだろう、進はふっと眠りから覚めた。本当は眠るつもりなどなかった、というより今の精神状態で眠れるとは思えなかった。しかし……

 (本当に寝てしまったのか?)

 顔を上げて時計を見ると、もう翌日朝の5時近くになっている。だが、さっきからの時間が過ぎたという感覚が全くない。柔らかなベッドの感触とそして何よりも雪のそばだということが、予想以上に心地よかったのかもしれない。自分で思った以上に熟睡してしまった熟睡したらしい。
 視線を再び隣に移すと、そこには、雪がスースーと小さな寝息をたてて眠っていた。

 (雪……)

 雪の寝顔を見るのも久しぶりだった。彼女の寝顔は、今までと変わらず無防備で無邪気そうに見える。
 進はしばらくの間、その寝顔をじっと見つめていた。愛しい人が隣で眠っている。それをただ黙って見ている。ほんの些細なことなのに、それがどれほど幸せなことで、どれほど心を温かくしてくれるものかということを、今改めて感じていた。

 (今、時が止まってこの瞬間が永遠に続けばいいのに……)

 と、進は心から思った。だが、それは叶わぬ願いでしかない。進は、あと1日足らずで、彼女の元を去らねばならないのだ。

 (雪…… ありがとう、そしてごめん。僕は君に幸せになって欲しい。もちろん、本当は僕自身の手で……そうしたかった。けど、僕には……たぶん……それが出来ない。だから君は、君だけでも……)

 なにも知らずに眠る愛しい人の顔を見ながら、進はこみ上げてくる涙を堪えるのに、喉に苦しいほどの痛みを感じていた。

 「雪……」

 小さな声で、彼女の名を口にした。すると一瞬、その閉じられた瞳にかかる長い睫毛が、微妙に揺れたような気がした。しかし、それは進の錯覚だったのかもしれない。そのあとも雪の瞳は開かず、眠ったままだった。

 今から何をどう告げればいいのか、この期に及んでもまだわからない。その気持ちの揺れが進の感覚を過敏にさせているのだろうか。

 「うくっ……」

 進は涙がでそうになる目をぎゅっと閉じ、顔を背けた。そして、沸き上がってくる胸に詰まるような苦しい感情が収まるのを待ってから、もう一度雪の方を見た。
 彼女が何よりも愛しい…… そんな気持ちが自然と体を動かす。進は体ごと雪の方へ向くと、手の震えをなんとか抑えながら、そっと恋人の頬に伸ばした。
 その手が頬の温かさを感じた時、雪の瞳がゆっくりと開いた。

 (7)

 雪の動きは、まるで進の行動を待っていたかのようだった。

 「古代君……?」

 雪の目覚めさせてしまったと思った進は、慌てて手を引っ込めた。

 「ごめん、起こしてしまったみたいだな」

 目を開けた雪は微笑を浮かべて首を振ると、進を見上げた。

 「ううん、うとうとはしてたんだけど……何度か目を覚ましたわ。でも目を閉じてこうしているのが心地よくて……少しは眠ったみたい。今ね、あなたが動いたのに気がついて……」

 「ごめん。やっぱり起こしちゃったんだ」

 困ったような顔で謝る進に、雪はまたにっこりと笑った。

 「いいのよ。古代君は眠れた?」

 「ああ、すごくよく眠れたよ。雪がそばにいてくれたから……」

 進がそう言うと、雪はほっとしたように目を細めて微笑んだ。

 「そう、よかったわ」

 雪は、それから少し視線を落とすと、悲しそうな顔に変わった。

 「私はやっぱりダメ。あんまり眠れなかったわ」

 雪がため息まじりにそう言うと、進は腕を伸ばして雪の肩の下に手を入れ、体ごとグイッと自分の方へ引き寄せた。
 雪は、されるがままに進の胸に顔を摺り寄せると、ぽつぽつと言った。

 「地球のこととか……島君のこと……それにあの子のこととか…… いろんなことが頭の中でぐるぐる回っちゃって……」

 「あの子……」

 進が聞き返した。誰のことを言っているのか、もちろんすぐにわかってはいたが…

 「ええ、あの子の最後のこと、教えてくれる?」

 雪が進の顔を見上げた。視線がまっすぐにあう。

 (そうだった、彼のことを雪に話しておかないと、彼の生きた証を彼女に覚えていてもらわないと…… 僕がいなくなっても、あの少年のことを皆に伝えてもらうために……)

 「ああ、そうだな。君には話しておかないといけないな」

 進は、ベッドの中で雪を抱き締めたまま、都市衛星であった一部始終を話して聞かせた。雪は進の腕に頭を乗せたまま、最後まで黙って聞いていた。

 (8)

 進が話し終わると、雪は進の腋のあたりに顔を埋め、そのままじっと動かなかった。進は胸の隅にほんの少し湿り気を感じた。おそらく雪は泣いているのだろう。
 しばらくすると、涙を抑えたのか、雪が顔を上げた。

 「あの子のお父さんが、ディンギルの…… そうだったの…… かわいそうに、あの子それがわかってたから、私達に自分のことを言えなかったのね」

 「ああ……多分」

 「でも……あの子、あなたをかばったのと同時に、お父さんにもうそれ以上悲しい事をして欲しくなかったのかもしれないわね。そして、その気持ちがあの子のお父さんにも伝わって…… だからあなたを撃つのをやめたのかもしれないわ」

 「ああ、俺もそう思いたい。都市衛星を爆破すれば助からないと思ったのかもしれないが……ある意味、あの時の彼にとってできる最大の温情だったかもしれない。あの男も、ディンギルと言う星を背負って戦っている以上、肉親への思いだけで、簡単に自分の行動を止められない状況まで来ていたとは思うよ。
 でも、少しでも息子の行動で心が動いたとすれば、ディンギルの人たちも心を通じ合えれば、きっと一緒に暮らしていけたんじゃないかとも思ったりしてね。もとは地球人だったわけだし……」

 進の言葉に、雪が頷いた。今更ながら、もう少し話し合う時間が欲しかったと痛切に思う。

 「それも……もうできないことなのよね?」

 「ディンギル人は、僅かだが都市衛星から脱出したはずだ。当然、あの子の父親もその一人だろう。ほとんど戦力は削がれているから、今はどこかに隠れていて、地球が水没するのを待っているのかもしれない」

 「でもそうじゃなくて、地球の人も、生き残ったディンギルの人たちも一緒に暮らせる方法がないのかしら?」

 「そうだな。あの子のためにも、なんとか友好的な対応ができればいいんだが…… あの子は、地球人とディンギル人が仲良くすることを望んでいたと思う」

 「そうね、でも……」

 「…………」

 二人は顔を見合わせた。沈黙が流れる。しかし、話し合い云々以前に、今はまず、せねばならないことがある。

 それは――まずは、地球を救うこと――それが先決だった。

 (9)

 進がそのために自分がなすべきことを、心に思い起こしていると、雪の方が先に口を開いた。

 「そのためには、地球を救うことが第一なのよね。それから、なのよね。なんとかあのアクエリアスの軌道を変えなくちゃならない…… ああ、でも、どうやったらいいのか、私には思いつかないの」

 雪が訴えるような強い視線で進を仰ぎ見た。その視線は、そのまま進の胸に突き刺さる。
 たった一つ、地球を救う手立てがあるんだ…… しかしそれを口にするのを、進が一瞬躊躇した時、雪が先につぶやいた。

 「パパとママ……どうしているのかしら?」

 再び進の胸がドキリと痛んだ。雪を愛し、雪の無事をひたすら祈っている二人のことを思う。
 彼らは、進に対しても、実の親に負けないほどの愛情を注いでくれているし、進も亡き両親と同じくらいの深い親愛の情を感じている。

 「大丈夫だよ、きっと無事に決まってる。あれから地球は攻撃を受けていないはずだから」

 「ええ、そうね。市民全員が地下都市に避難したって聞いたけど、でも水が引くまで本当に持つかどうか……」

 不安で揺らぐ雪の瞳を見ながら、進は再び決意を新たにする。彼らのためにも、地球を必ず救わねばならないと、そして、雪は無事に彼らの元へ帰してやらなければならないと……

 (10)

 「雪……」

 進はそうつぶやくと、雪の頭に手を置いて髪の毛に指を差し入れた。上下に何度か動かした後、寝ていた体を上半身だけすくっと起こして、壁をじっと睨んだ。

 「なに?どうしたの、古代君?」

 雪も同じように起き上がって、ベッドに座った。しかし、雪の質問に進は答えようとせず、今度はベッドから降りた。そして、1、2歩歩いてから、雪に背を向けたまま言った。

 「雪、地球はきっと救ってみせる」

 えっ? と言う声も出せずに、雪は勢いよく体をひねって進の背中見た。

 「救えるって? どうやって!?」

 「アクエリアスの軌道を変えるのは、あの大きな星だから難しい。だが、地球に伸びてくる水柱をさえぎることなら……方法はある」

 「ほんと!?」

 雪の声がうわずったように突然明るくなった。それに逆比例するように、背を向けている進の顔が、一気に険しくなった。それを見せたくない進は、まだ雪の方を振り向かない。

 「あのアクエリアスにあった水中プラントを見ただろう。あれを使ってアクエリアスから、重水とトリチウムをヤマトに取り込む。そして……波動エンジンを内部爆破させれば、ヤマトに積み込んだ重水とトリチウムが反応し、核融合によって大爆発が起こる。そのエネルギーを使えば、水柱を四散させることができると思う」

 「ヤマトに…… !! でもそれって……ヤマトを!?」

 「……そうだ。ヤマトは…………自爆する」

 そう言いながら、進はくるりと振りかえった。雪は、渋面を作ったままの進の顔に、苦悩の色をはっきりと見た。

 ヤマト自爆――進の口から出た突然の爆弾発言とも言うべき言葉に、雪はすぐに反応することができなかった。

 (11)

 雪は目を見開いたまま、進は表情を変えないまま、二人はじっと見詰め合っていたが、しばらくして雪の方が先に目をそらした。視線があてもなく揺れる。
 ヤマト自爆という衝撃的な事実を、雪は懸命に自分の中で噛み砕いていった。そして、もしや、と進の決意に思い当たった。

 「そんな、ヤマトが自爆…… え? じゃあ、まさか……もしかして、あなた……また……ヤマトに!? それはダメよ!!」

 雪の心の中に、あの白色彗星との最後の戦いのことが鮮明に甦ってきた。進はあの時、自分の命も投げ打とうとしたのだ。今も同じではないか!?

 「古代君?」

 雪の問いにも、進の表情は固いまま変わらなかった。やっぱり……と思う。

 (古代君は死ぬ気なのね!?)

 そう思うと、雪の中で一気に感情が爆発した。
 瞳からあっという間に大粒の涙が何粒もぼろぼろとこぼれだした。そしてそれを拭き取ろうともせずに、大きく頭(かぶり)を振ると、勢いよくベッドから駆けおりて進にすがりついた。それは、進の足が一歩後ろに下がるほどの勢いだった。

 「ダメよ、ダメ!! 絶対にダメよ!!」

 そう叫びながら、雪は両手で進の腕を強く掴んだ。

 「雪っ! 聞いてくれ!!」

 進が雪をグイッと抑えるように抱き締めながら叫んだ。しかし、雪は首を左右に激しく振る。その瞳からこぼれる涙があたりに散らばった。
 そのあまりにもの激しい反応に、全てを話そうと思っていた進の決意に迷いが生じ始めた。

 「雪!話を聞け! 重水とトリチウムを積んだヤマトを!! それを……」

 進はそこで言葉を詰まらせた。雪は、進の声に耳を傾けながらも、何かに耐えようとしているかのように、進の腕を掴む手にさらに力が入る。そして、涙がこみ上げて声にならずに、口の動きだけで「だめよ」と言った。

 進はじっとそれを見つめていたが、苦しそうにひどく顔を歪めてから、雪から顔を背けた。

 (だめだ……やっぱり、言えない!!)

 それからもう一度、顔を雪の方に戻した。その顔は、さっきと打って変わって薄っすらと笑みさえ浮かべていた。

 「雪……何を心配している? ヤマトは……ヤマトは自動制御で、水柱の真中で爆破させるんだぞ」

 「え?自動制御? ほんと?できるの?」

 雪の顔つきがあっという間に変わった。興奮がすっと収まっていくのを、雪もそして外から見ている進も感じた。

 「ああ……真田さんは……できると言った」

 進ははっきりと大きく頷いて答えた。嘘は言っていない。真田はできるといったのだ。もちろん雪も、進のその答えを聞いて心から安心したようだった。進を掴む手の力がふわっと緩んだ。

 「……そう。真田さんと相談したのね…… 真田さんがそう言ったのね」

 そう呟くと、雪は溢れそうになっていた涙を、右手の人差し指で拭きとってから、笑顔を見せた。
 進は、全てを話しきれなかった動揺で、声が震えそうになるのを喉に精一杯の力をこめて抑え込んだ。

 「どう……思う?」

 「ヤマトがなくなるのはとても辛いわ。辛いけど…… でも、地球を救う道がそれだけだっていうのなら……私は…… きっとみんなもわかってくれると思うわ。それに……」

 雪はそこで一旦言葉を切って、恥ずかしそうに進の顔を見上げた。そして、「私には古代君がいてくれるんですもの、古代君と一緒なら私は大丈夫よ」と言った。

 「雪……」

 雪の言葉で、進の胸はひどく締め付けられ激しく痛んだ。そしてたまらなくなって、雪の体をぎゅっと強く抱き締めた。
 もう一度、大丈夫よ、と呟く雪に、進は心の中で、ごめんよ、と言い続けていた。

 (12)

 二人が抱き合っていた手を互いに緩めると、雪は心配そうに進の顔を両手で被った。

 「古代君は、大丈夫? 私なんかよりずっとヤマトのこと……」

 「大丈夫だよ、雪。俺には……君が……いるだろ?」

 進も手を伸ばして雪の肩にそっと置いた。嘘をつくのは心苦しかったが、自分が残ることを言えない以上、嘘をつきとおすしかない。自分が発する一つ一つの言葉が、自分の胸をさらに強く痛めつけたとしても……
 だが、本当にこのまま何も言わなくてもいいのだろうか。自分はまたあの時と同じことをしようとしている。黙ったまま行くことで、かえって彼女に無茶をさせてしまうのではないだろうか……
 再び二つの思いが進の中で交錯し始めた。

 そんな進の揺れる思いに気付かない様子で、雪は安心したように笑みを浮かべると、進から体を離し、ぐるりと部屋の中を見渡した。

 「そう…… でもヤマトとは……お別れなのね…… もう、この船には乗れないのね」

 「ああ…… いろんなことがあったな」

 進も目を閉じて、つぶやいた。ヤマトとの出会いから今までの全ての戦いのことが、頭の中で甦ってくる。ヤマトがあってこその自分だったと、この旅の最初、ヤマトに戻ることを決意した時に思ったものだった。進は、その思いは誰にも負けないと思っている。だからこそ、自分が最後までヤマトに付き合うべきなのだと……

 「そうね、あなたに出会えたのも、あなたのことを愛するようになったのも、ヤマトのおかげ…… そして、あなたと一緒にずっと戦ってきたのも、ヤマト……」

 雪はしみじみと呟いた。雪の後姿を見つめながら、進は何も言わない、言えなかった。それぞれがヤマトでの思い出を種々に巡らした。
 静かな部屋の中は、時計の秒を刻む音だけが響いていた。

 (13)

 しばらくして、雪がくるりと振りかえって進を見た。相変わらず進の表情は硬く、眉間の皺は寄ったままだ。
 すると、雪はわざと明るい声を出して励ますように話し始めた。

 「でもっ! 大丈夫よ。みんなもきっと納得してくれるわ」

 進が黙って小さく数度頷いた。進の心中は、既に限界に達している。何も言わず彼女のもとを去るつもりなら、余計なことを言う前に、ここを離れた方がいい。そう思いながらも、やはり彼女にきちんと話すべきだと思っている自分もいて、その二人の自分が激しく葛藤を続けているのだ。

 結局進の心の中で、言い出せない気持ちのほうが勝ち、部屋を出ようとした時、雪が話を始めた。

 「ねぇ、そうだわ。帰ったらすぐに結婚式の計画しましょうね! みんながヤマトのことで落ち込んでる暇がないくらいに忙しくしてあげなくちゃ」

 雪の言葉に、進の心は激しく揺さぶられた。雪は雪で進を励ましたい気持ちで、そんな話を始めたのだが、進の方はそうはいかない。幸せそうに笑う雪を見れば見るほど、進の心はその笑顔に突き刺されるように痛み、沈んでいった。

 「そ、そうだな……」

 あいまいに答えながら、進は心の中で「もう、やめてくれ。僕は君にそんな幸せをやれないんだ!」と叫んでいだ。
 もちろん、その心の叫びは雪には聞こえていない。ほんの少し頬を染めて恥ずかしそうに笑うと、雪はさらに話を続けた。

 「それに、沖田艦長からも、早くわしをおじいちゃんにしてくれって頼まれてるし……」

 「え?」

 「ああ、ほら、この前私がヤマトに乗らなかった理由、沖田艦長にもばれちゃってて……佐渡先生が話したのよっもうっ! でねこの前、艦長や佐渡先生と雑談してたら、またそんな話になってね。二人して、早くわしらを楽隠居させてくれって…… 私達の子供抱いておじいちゃんの真似事したいなんて笑うのよ」

 「…………」

 進はなんと答えていいかわからなくなった。雪は地球へ帰ってからの幸せな未来を心の中で描いている。それは、ほんのちょっと前までは、本当に二人で築くはずだった未来だ。
 しかし、今それに答えてやれなくなった自分がいて、しかもそれを彼女に隠したまま去ろうとしている。再び進の心に迷いが生じた。

 (これでいいのか?進…… 本当にこのまま黙って行っていいのか?進!)

 (14)

 進は、雪の笑顔を見ながら、ふたりのこれまでを思い起こした。

 二人は常に共に戦い、共に生きてきた。そして死を迎えるまで決して離れまいと約束した仲だ。

 ――どんなことがあっても、君といる。必ず君のところに帰ってくるよ。最後まで一緒に生きよう――

 初めて雪と結ばれた時、こう誓った。その言葉の通り、二人は互いの命を信じあった。雪には何度も助けられ、また雪を助けたこともある。
 そしてこの前、彼女に再度正式にプロポーズしたばかりだ。

 ――いつまでも……きみと一緒にいたい――

 そう言ったのは自分だ。いつまでも、そう、いつまでも雪と共に人生を歩いて行くつもりだった。

 それほど固く誓いあった雪に、何も言わずこのまま彼女の人生から去ることは、やはり間違っているのではないか……

 やっぱりきちんと話をしよう。そして彼女にきちんと理解してもらおう。前の時みたいに黙って行ってはならないんだ。話そう。すべてを、僕の選んだ道を……

 それが僕の……彼女への愛であり礼儀であり、最後のけじめなんだ……

 (15)

 黙りこくったまま、何も言わない進の顔を、雪は怪訝そうな顔で見た。

 「古代君?」

 進は意を決したように大きく息を吐くと、悲しそうに目を細めた。

 「……みんな可愛がってくれるさ……君の……子供なら、きっと」

 「なによ! 君の子供だなんて、他人行儀ねっ!! 一体誰がパパに……」

 雪は進を睨みつけながらそこまで言ったところで、進の顔があまりにも真剣なことに気付いた。眉間にははっきりと二つの深い皺が刻まれている。

 「!? それってどういう意味?古代君。どうしてそんな顔をしているの?」

 どうして、と尋ねながら、雪の心には、先ほど疑ったあの思いが、再び大きくクローズアップされていった。

 「雪……俺は……」

 「まさか……!!」

 雪は息を飲んだ。進の表情や口調から、彼が今言おうとしていることはほぼ100%雪の想像に間違いないと確信した。
 そしてその時、はっと気が付いた。

 (もしかして、さっき古代君はこのことを話そうとしたのではないのかしら? でも、さっきは突然で自分でも制御し切れないほどの感情が爆発してしまって…… だから、古代君は言いそびれてしまったのかも)

 雪は、今また自分が冷静さを失えば、進はまた話を止めてしまうかもしれないと思った。

 (今度は冷静に聞かなければ、話を聞いて、それからでも遅くはない……)

 「古代君…… どういうことか、ちゃんと……聞かせ……て」

 雪は震えそうになる声を抑えながら、静かに言った。さっきとは違い、静かでそして真剣な眼差しの雪を見て、進は、彼女が話を聞く体制になっていると思った。

 (今なら、きっと冷静に話ができそうだ……)

 そしてとうとう、進は自分の決意を話すことにした。

 (16)

 「わかった……最後まで聞いてくれ」

 ゆっくりとゆっくりと、進は話し始めた。

 「ヤマトは水柱の流れを地球から逸らすために、自爆させる。そのタイミングは微妙で、一度限りしかない。地球を救うためには、失敗は許されない。つまり……自動制御では、むずかしいんじゃないかと、俺は思っている」

 「でも、さっきあなた、真田さんができるって言ったって……」

 雪が疑問を投げかけた。進はそれにこくりと頷いた。

 「ああ、真田さんは確かに自動制御が可能だと言った。だが……あの時真田さんの顔つきにひどく動揺を感じたんだ。まるで何かを隠しているような……」

 「じゃあ?」

 進がまたひとつ頷いた。雪の表情はどんどんと険しくなっていくが、涙が溢れたり感情を表に出すことはなかった。

 「ああ、つまり誰かが残って手動で行わなければならないということになる。だから真田さんはそれを言えなかったんじゃないかと……思うんだ」

 「誰か……」

 雪が伏目がちになる。睫毛が小刻みに震えている。
 「誰か」というのが誰なのか…… 雪には今更尋ねるまでもなく、その人物が誰なのか容易に想像できた。
 そして雪は、顔を上げるとまっすぐに進を見つめた。

 「それは……あなたが……残る……ということなのね?」

 二人の視線がまっすぐに絡み合った。互いへの思いが苦しいほどに沸き上がってくる。

 「……ああ、そうだ。俺は……ヤマトに残る! 波動エンジンの内部爆破というのは、基本的には波動砲発射のプロセスと同じだ。つまり、それは……戦闘班長の……俺の仕事だ」

 とうとう進は、その決意を雪に告げた。その宣言を、雪は大きな目を見開いて聞いた。だがさっきとは違い、その瞳に涙は見えなかった。

 二人は再び沈黙のまま、じっと見つめあった。言葉を発しなくても互いの思いは痛いほど伝わってくる。

 雪は目と目の会話で、進の決意が固いことをはっきりと感じとった。ならば自分の選ぶ道も一つしかないと、決意した。

 ―あなたのいない地球なんて、私にとっては何の意味もないのよ―

 雪は、進から視線をはずさずに、静かに言った。

 「…………私も残るわ」

 「それはだめだ!」

 雪の宣言を見越していたように、進は即座にそう答えた。

 (17)

 きっぱりとした進の拒否を聞いても、雪は全くひるまなかった。間髪をいれずに、雪も反論する。

 「どうして!! 嫌よ私! 絶対に嫌!! 言ってたじゃない、ずっと一緒にいようって、死ぬまで一緒にいようって!ヤマトで一緒に戦おうって…… あなたがなんて言ったって、私は嫌よ!!」

 雪は派手な動作で嫌々をするように首を何度も振った。そして、私は嫌よ!と叫ぶと同時に、進を鋭い視線で睨んだ。
 しかし、進もその視線にたじろきはしなかった。ゆっくりと首を左右に振って再び拒否の姿勢をとった。

 「……でもだめだ。君が残る必要はない…… この仕事は僕ひとりでできる。二人は要らないんだよ。僕は、君に残って欲しくない。君には生きて……地球に帰って欲しい」

 「私は嫌だって言ってるのよ。あなたのいない地球に戻ったって、私は……生きていけない…… あの時もそうだったじゃない! あなた一緒に行こうって行ってくれたじゃないの!! お願い! 私もここであなたと一緒に……」

 進は、涙目で訴える雪を優しそうに見つめながら、今度は静かに諭すように言った。

 「雪…… ありがとう、それほどまでに僕のことを思ってくれて、本当にうれしいよ。けど、やっぱり自分で死を選んじゃいけないよ」

 「じゃあ、あなたもそうして!ここに残らないで……自分から死を選ばないでよっ!!」

 雪は、進の言葉を揚げ足を取るように返し、進の胸に飛び込んできた。あなたはいつも、すぐに一人で死に急ぐじゃないの! 雪はそう叫びたかった。
 その気持ちは進にも苦しいほどに伝わってきていた。

 (18)

 進は飛び込んできた雪の体を緩やかに抱き締めた。それからもう一度体を離すと、雪の肩の上に両手を置いて顔を間近に見た。

 「僕だって、進んで死にたいなんて思っちゃあいないさ。けど、もう時間がないんだ。地球を救うためには、今はこの方法しかないんだよ。そしてこれを成功させるためには、誰かが残る必要があるんだ。自動制御じゃ地球を救えないかもしれないんだ。
 せっかくヤマトの最後の戦いなのに、無駄に終ったらどうする? それに、地球を救えなかったら、なんにもならないだろう。地球が滅んで、俺達だけが残って…… 地球の大勢の人々が死んでも、俺達が生き残って、君はそれでも幸せだと言えるのかい?
 俺は嫌だ。そんなことまでして生き延びたくはないよ。そうじゃないか! 雪!!」

 雪の肩を掴んでいた進の両手にどんどんと力がこもっていく。静かに話し始めた進の言葉がどんどんと激しさを増して、最後は叫ぶように訴えていた。それは進の心からの叫びだった。その叫びは、雪の勢いを凌駕するほどの切羽詰った迫力があった。

 「それは……」

 雪はうまく反論できずに、口篭もって顔をそらせた。その辛そうな姿を合図に、進の声も再び元のトーンまで下がった。優しい口調に戻る。

 「君の両親だって、地球にいる。ここにいるみんなの家族も愛する人も地球だ。相原なんか、もしもの時は地球に戻りたいって、泣いてたよ。その気持ち、君もよくわかるだろう?」

 「…………」

 雪の瞳に涙が溢れて、ボタボタと床に落ち始めた。自分の家族のこと、そしてクルー達の家族のこと…… 進の言う通り、雪にも相原達の気持ちは痛いほどわかった。そんな彼らを犠牲にしてまで、自分だけ生き残りたいなど、思うはずはなかった。

 (19)

 泣き出した雪を慰めるように、進は再び抱き締めた。今度は強く力をこめて、愛情をこめて抱き締めた。
 そして、嗚咽を抑えるために小刻みに震える恋人の耳元で、話を続けた。辛くとも、最後まで、自分の選択の意味と、生きてほしい人がいることを伝えなければならない、そう思うから……

 「それに、俺のために死んでいったあの少年の思いはどうする? そう……島もこのまま地球が水没したら助からないんだ。そんなことになったら、地球を救うために、今まで戦って死んでいったヤマトの仲間達に、なんて言って言い訳すればいいのかわからないよ」

 「古代君……」

 雪が目を真っ赤にして進を仰ぎ見る。その顔を、進が心から愛しそうに見つめた。

 「この仕事は、誰でもできる仕事じゃない。だが俺にはできる。それに、仮に他にできる人間がいたとしても、他の人に頼むことなんかできるかい?雪。俺には、できないよ」

 進がヤマトに乗って以来歩いてきた道を、共に歩いていた雪にとって、進のこの選択を、もう否定することはできないと思った。おそらく、雪が彼と同じ立場だったとしても、同じことをするに違いないだろうから。

 「そう、そうね…… 私も自分が生き残りたいばかりに、他の人にそんな仕事させるなんて考えられない。古代君の気持ちもよくわかるわ」

 進が小さく頷くと、雪はまだ言葉を続けた。

 「だから……それなら、私も一緒に連れてって! ねぇ、お願いよ!古代君! わたしはあなたと最期まで一緒にいたいのよ……」

 (20)

 雪は、進の両腕を掴み、すがるように手のひらに力をこめた。進を見つめる涙で溢れた瞳が、それを強く訴えている。進の胸には、苦しいほどの彼女への愛が湧き上がってきた。

 「君だけを地球に帰したら、君には僕よりずっと辛い思いをさせることは、よくわかってる。それに、君が僕のことを、どんなに思っていてくれているかってことも……よくわかってるつもりだ。僕だって負けないくらい君のことを思っているからな」

 「だったらどうして……」

 「でも…… なあ、雪、人は自ら命を捨てちゃいけないって、僕は思うんだ。今までの戦いの中で、大勢の宇宙戦士が、そして、大勢の地球の普通の人々が死んでいったことだろうか。けど、みんなもっと生きたかったはずなんだ。生きて、生きて、もっといろんな人生を歩きたかったに違いないんだ。
 そんな人たちの思いを知ったら、生きていける道がある限り、生きていくのが人の道だと思わないか」

 「…………」

 雪の顔が微かに揺れ、瞳の中に揺らぎが生じる。

 「今、僕は地球を救うために、やらなければならないことがある。そのために命を落とすことになろうとも…… それが僕の使命なんだ。
 だけど、君はまだ生きる道が残されてるんだ。違うかい? その道がある限り、君は生きるべきだ」

 視線をそらし始めた雪の顔を、進はあごの下をちょっと持ち上げて、自分の方に向けなおした。雪の視線は、だが、宙を見ている。

 「あの時…… 僕ら二人が白色彗星帝国の巨大戦艦に飛び込もうとしたとき、テレサが言っていただろう? 生きようとする気持ちがない人間に明日はないんだって…… あの時は、僕は君も連れて死のうとしていた。だけど、今はあれは間違いだったと思ってる。生きられるものなら、絶対に生きなきゃならないんだよ!! わかってくれ!雪!!」

 雪は、顔を小刻みに振るわせ、涙で見えなくなった恋人の顔をおずおずと見上げた。雪は、進の必死の説得に、その思いのやり場を失いつつあった。

 「古代……君…… そんなのずるいわ…… ひどいわ、古代君……」

 こう言うのがやっとだった。雪の力ない抗議に、進の眉がピクリと動いた。

 「ひどい…… ああ、そうかもしれないな。俺は君にひどいことを言っているのかもしれない。そうだな、そう思ってくれてもいい。そう思って、ばかな俺を恨んでくれてもいいさ。そして……地球に戻って新しい人生を……見つけてくれ」

 進は苦しそうに、顔を背けた。雪の望みを受け入れようとしない進に、雪の心は破裂しそうだった。唇が震え、なにかの拍子に、たまった涙と思いがはじけてしまいそうになる。それでも、雪はそれを我慢して、もう一度訴えた。

 「ううっ…… じゃ、じゃあ、聞くけど、もし逆に私が、ここで死ななくちゃならない仕事があって一人で行くから、あなたは地球に帰れって…… あなたにそう言ったら、あなたはそうするの? あなたは一人地球に帰って生きていくの!?」

 進は雪の顔を見て愕然とした。その瞳は苦しそうに大きく見開いて揺らいでいる。そうして二人の間に、長い沈黙が訪れた。それは永遠に続くようにも思えたが、やがて進は、さっきまで見開いていた瞳を、今度は深くよどませた。

 (21)

 その言葉は、進の心に、まるで鈍い刃物で刺したような、どっしりとした痛みを与えた。逆の立場だったら……その時自分はどうするだろう。その答えは考えるまでもなく、すぐにでた。
 しかし、進が口に出した答えは、心とは裏腹の正反対の言葉だった。

 「……ああ、俺は一人でも生きていく。それが俺に与えられた運命なら、生きていくよ」

 それは、雪にとって最後通牒にも等しかった。雪にはわかっていたのだ。進のその答えが、本当の彼の思いでないことも、彼の心がひどく乱れていることも…… それなのに、それなのに……

 雪は……もうそれ以上何も言えなくなった。

 「…………古代君」

 進を呼ぶその声は、もう何を言っても彼を引き止められないこと、そして、二人の別れ道がすぐそこにあることを悟ったかのように、優しくも悲しい声だった。

 「わかってくれたんだね?雪…… もう一度言うが、これだけは約束してくれ。俺が地球に戻れなくても、決して俺の後は追わないと…… 絶対に……約束……して欲しい。いいね」

 雪は答えなかった。頷きも首を振ることもしなかった。ただひたすら進の顔を見つめている。進は続けた。

 「君には新しい幸せを見つけてもらいたい。それが僕の君への最後の頼みだ。心置きなく最後の仕事をさせて……ほしい」

 しかし雪は、最後まで頷くことはしなかった。じっと愛する人の顔を見つめたまま、溢れる涙もぬぐおうともしない。その顔が微妙に揺れた。

 「……いってらっしゃい、古代君。でも、あなたがなんて言ったって、私にはどうしてもわかった、なんて言えないわ。でも、一つだけ……自ら死を選んだりは決してしないと……それだけは……うううっ」

 そしてとうとう、雪は抑えられなくなった嗚咽を一気に吐き出すように、進の胸に頭を埋めて泣いた。両手で強く強く彼の体を抱き締める。

 (こんなに熱くて燃えているのに、心臓の鼓動もしっかりと聞こえているのに…… 古代君はもう……いってしまうの!?)

 雪はまだあきらめきれない思いで一杯だった。

 (22)

 雪に答えるかのように、進も雪を強く抱き締めた。雪のその強靭ではあるが、華奢で繊細な美しい体を、壊してしまうほど強く、彼女を抱き締めた。

 「すまない、それから今まで本当にありがとう……雪。僕は幸せだよ」

 雪は進の胸の中で、顔だけを左右に振った。進はもう一度雪をしっかりと抱き締めると、雪の体をそっと自分の体から離した。雪はまだ顔を上げようとしない。

 「俺は、これから沖田艦長のところに話をしに行ってくる。この計画のこともできれば話さないで済ませたいが、それは無理かもしれない。だが、俺がヤマトに残ることは、艦長にも誰にも言わないつもりだよ。君もそうしてくれるね。誰にも内緒にしておいてほしい。でないと、クルー達に動揺が走ってしまうからな、いいね?」

 雪は、顔を上げて小さく頷いた。涙で濡れ、顔を胸に擦りつけたせいで、雪の顔はほの赤く染まり、目は腫れぼったくなっている。しかし進には、その顔が、今までの雪のどんな姿より美しく、そして愛おしく思えた。

 「愛してると言って……」

 「愛してる、この宇宙の中で誰よりも君を……愛しているよ。幸せになってくれ」

 進は、雪の頬を両手でそっと包むと、その何か言いたげな唇をそっと奪った。柔らかい唇が、進のくちづけを受けながらも、何かを訴えようと進の唇の内で動く。進はそれを抑え込み、飲み込むように、むさぼるようなくちづけを繰り返した。雪も激しくそれに答える。何度も何度も……

 しばらくして抱擁をとくと、進は絞り出すように声をだした。

 「……じゃあ、行ってくる」

 雪から一歩二歩、後ずさりするように離れた進は、それを最後の言葉に、振り返るとまっすぐにドアに向かった。雪はその後姿が見れなくて、目をそらしてしまった。

 (行かないで!)

 雪の胸が締めつけられるような心の叫びは、進には届かない。進はもう振り返ることもなかった。そして、そのまま黙って部屋を出ていった。

 ツィーンというドアの閉まる音だけが雪の耳に届き、ハッとして顔を上げ時には、そこにもう進の姿はなかった。

 「古代……く……ん…… うあぁぁぁぁぁ……」

 がっくりとその場に泣き崩れた雪の声は、部屋中に響いた。泣いて泣いて、そして涙の中で雪は思った。

 (古代君、あなたがこれからしようとすること、私、最後まで見守るわ。あなたの仕事を見届けるの。
 そして、あなたが地球を救ってくれたら、私は地球に帰るわ。それがあなたの望みなら…… 自ら死を選ぶなと言うのなら、そうするわ。それがあなたの願いですものね。
 でも、でもね、古代君。私ね、思うんだけど…… あなたがいなくなったら、きっと……私のこの心臓、勝手に止まっちゃう…… そんな気がするの。心も体も、私の全てなにもかも全部が動かなくなっちゃう……そんな気がするのよ、古代君……
 そのときは、ねぇ、古代君。後で逝った私を笑顔で迎えてくれるわよね? バカだな君は……って苦笑いしてくれる……わよね?古代君!!)


 アクエリアスの地球再接近まで、あと11時間余り。
 地球を救うために、全てを投げ捨ててヤマトと共に最後の戦いに赴こうとする古代進は、今その歩を、かつては自らも過ごしたことのある、ヤマト最上階の部屋に向けて進めていた。

Chapter 10 終了

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