命、繋いで
−Chapter 11−
(1)
「古代……く……ん…… うあぁぁぁぁぁ……」
ドア越しに僅かに聞こえてきた雪の最後の嘆き声を背中で受けとめても、進の歩みが止まることはなかった。
胸がキリキリと痛む。未練と言えばそれまでだが、この後に及んでまだ彼女のことを思うことは、二人で過ごした短くも深い数年が、進にとって何物にも代え難いものだということの証だった。
(雪、すまない…… 君に会えて、僕は本当に幸せだったよ。だが、もう後戻りはできない。僕は行く……よ)
進は雪への深い思いを断ち切るように、ぶるっと首を一振りすると、顔を引き締め、前方をきっと睨んだ。そこには、最上階へ向かうのエレベータがあった。
古代進の顔は、今、雪の恋人の顔から、ヤマトの戦闘班長の顔になった。
(よし、行こう!)
沖田艦長に、アクエリアスへの着水と重水のヤマトへの積み込みの許可を貰うこと。これがまず第一である。
進は、沖田には、その目的さえ話さずにすませられたらと思っている。多くを語れば語るほど、自分の意志が沖田に知られてしまうような気がするのだ。知られれば、この作戦は却下される可能性が高い。
しかし、他に方法が考えられない限り、どうしてもやりとげなければならないのだ。
(俺を信じて、任せてくれるといいんだが……)
進は、話をどんな風に切り出そうかと思案しながら、エレベータに乗り、最上階のフロアボタンを押した。
エレベータはいつものスピードで上昇し、第一艦橋フロアを越えるとすぐに止まった。ドアが開く。進はエレベータを降りた。
目前には、短い廊下を経てすぐに艦長室がある。進は一歩ずつかみ締めるように歩き、そのドアの前で立ち止まった。
艦長室のドアは、自動ドアではない。初代艦長沖田の好みだったのか、ひどく旧式の開閉ドアである。
進は、そのドアをじっと見つめた。ほんの一月前まで、自分が使っていた部屋だった。
(艦長の任務をしている間中、このドアを開閉する度に、何度プレッシャーと孤独感を味わったかわからない。俺にとっては、いつまでも敷居の高い部屋だった……)
そんな思いも振り返りながら、進はゆっくりと近づきドアをノックした。コンコン――
「艦長、戦闘班長、古代進です」
もしかしたらまだ休んでいるかもしれない。一瞬進はそう思ったが、中からはすぐに返事が帰ってきた。
「入れ」
進はその答えを受けると、大きく深呼吸してからドアを開けた。
(2)
同じ頃、進に負けないほど、苦渋の顔をする男がもう一人いた。工作室の机上でコンピュータを駆使して、あらゆるデータをかき集め分析をした結果が、予期していたとはいえ、思わしくなかったのだ。
バンッという机を激しく叩きつける音がして、その男は立ち上がった。
「くそっ!やっぱりだめだ! どうしても、アクエリアスから水柱が地球へ伸びるその時間が絞り切れない!! やはり、ヤマトの自動制御では、成功の確率が低すぎる……」
コンピュータのディスプレイを睨みつけて、男はそう呟いた。彼の名は真田志郎。ヤマトの副長である。
真田はふうーっと大きなため息をつくと、何時間も寝る暇を惜しんで睨んでいたディスプレイの電源を落として、立ち上がった。
そして、どこへ行くとも決めず、部屋を出て歩き始めた。
(古代はもう艦長のところへ行ったのだろうか。そして、艦長はどんな判断を示されるのだろう? もし、俺のところにその件で照会が来たら、俺はどう答えるべきなんだ!?
アクエリアスの重水を利用してヤマトを爆破し、アクエリアスから出る水柱を遮るという計画は、頷ける。恐らく今から20時間足らずの間にできる手段はこれしかないだろう。
だが、それには……ヤマトだけでは無理だ。どうしても、残ってタイミングを計って内部爆破を操作する人間がいる。ヤマトには……遠隔操作のシステムは装備されていない)
――ヤマトは人が動かす艦(ふね)だ。
初代艦長沖田を始め、その後を事実上引き継いだ古代進も、そして真田達メインクルーたちの考え方も、常にそうだった。
もちろん、万が一に備え、ヤマトには自動航行システムが備えられている。非常時には、自動的に地球へ向けて航行するようにプログラムされているし、場所を時刻を指定しておけば、その通りに航行し、波動砲発射も自爆もできる。
だがそれは、白色彗星戦での進の行動から、今後そのような行動を阻止するために作ったものだ。最低限の機能しか有していない。
今もヤマトは、人が乗ってこそ動く戦艦であることに変わりはなかった。だからこそ、コンピュータ任せにすることもできる限り抑えてきたし、ましてや無人艦隊のような無機質な遠隔操縦など、できるようにしてこなかったのだ。
(それが今になって裏目に出るとは……)
真田は、普通にしていても鋭い眼光をさらにぎらぎらと鋭く光らせ、苦悩の表情を浮かべた。
(俺はどうすればいいのだろうか…… いっそのこと、自動制御で行えると宣言してしまって…… 密かに俺がヤマトに残ろうか…… いや、それではあいつに言ったことを自分で否定することになってしまう。しかし…このままみすみす地球の危機を黙って見ているなどということは、俺にはできない! やはり……そうするしかないのか)
事を決めかねて、うろうろしているうちに、ふと気がつくと、真田は医務室付近に来ていた。
(島……)
真田は、まるで誘われたかのように、ふらふらと島の眠っている病室の方へと歩き出した。
ICUとなっている島の病室には、一般のクルーは入れない。しかし、外からその様子を確認できるように透明の窓が取りつけられている。
そこから中を見ると、島は、たくさんの点滴や薬のチューブに繋がれ、微動たりせず眠っていた。生きているのか死んでいるのかさえ、見分けがつかない。ただ、奥に見える心臓モニターが規則正しく動いていることだけが、島が今も生きているということを示していた。
(島…… お前ならどうする? お前もヤマトの副長だろう? どうしたらいいか、一緒に考えてくれよ。
古代と沖田艦長に、俺はなんと答えたらいい? もし、誰かが残らねばならない、と話せば……その時は、古代(あいつ)は必ず、俺が残る!と宣言するに違いない。そうだろ? それに沖田艦長も……だ。それがわかっているから、俺は言い出せないでいるんだよ!)
真田が、握り締めた両手を窓にぎゅっと強く押しつけた時、後ろから一人近づいてくる人影があった。
(3)
進が、ドアを開けて部屋に入ると、沖田は艦長用の椅子に座って、窓から外を眺めていた。進はドアを後手に閉めた。そして背を向けたままの沖田に向かって、姿勢を正して敬礼をしてから、おもむろに話し始めた。
「艦長、お願いがあります」
その声には、今までの思いが結集した並々ならぬ決意がこもっている。沖田は、一旦振り返って進を一瞥したが、再び外に向いてしまった。何か考え事をしているのだろうか、と進は思った。
まだ、地球を救う手段を見つけられずにいるのだろうか。進は背を向けたままの沖田に向かって、ぐっとつばを飲みこんでから言葉を続けた。
「アクエリアスに着水し、重水を汲み上げて、ヤマトに積み込みたいのです」
進は、できるだけ冷静に言わねばならないと、必死に声の震えを抑えながら話したが、沖田の背中は全く動かなかった。言葉も返ってこない。
このまま沈黙を通すわけにもいかず、進は承諾を促した。
「許可、願えないでしょうか?」
すると、ここで初めて沖田が反応を示した。ほんの短い単語が一つ。顔はなおも外を向いたままだった。
「目的は?」
「あっ…………」
進はハッとして息を飲んだ。顔がこわばってしまう。やはりか、と思った。沖田なら必ず聞いてくるに違いないと思っていたことだ。しかし、最初の思惑通り、進としては話さずにすませたかった。
そんな気持ちで、進が黙っていると、沖田がゆっくりと振りかえって、進をじっと睨んだ。
「目的も説明されずに、許可できると思うかね」
低く凄みのある声だった。それに正論である。沖田の眼光は老齢に達したとはいえ、非常に鋭い。進は、その視線に怯みそうになる自分を必死に堪えて、まっすぐに前を向いたまま、言い放った。
「結果が証明する!……ということではいけませんか?」
艦長の目に負けないほどの鋭い視線で、じっと沖田を見つめた。
(どうか、これでわかってください。何も聞かずに許可を!)
進のそんな思いが、その視線からも沖田に伝わってきたのだろう。沖田の瞳の鋭さが少し緩んだ。そして、意外なほど穏やかな口調で、こう言ったのである。
「古代…… お前は平気でこのヤマトを爆破されられるのかな?」
(4)
その沖田の衝撃的とも言える言葉に、進は思わず息を飲んだ。口を僅かに開いたまま、次の言葉がすぐに出てこない。
そんな驚く進を一瞥すると、沖田は立ち上がって窓の方へ歩み寄り、じっと宇宙を見つめた。その行動を、進はただ呆然と目で追うことしかできなかった。
(ヤマトを爆破と言った!? もしや、艦長は俺と同じことを考えているのか?)
進が考えに考え、やっと到達した辛い手段に、沖田も同じ道を辿って行き付いたということなのか? 進は、心臓の鼓動がどんどん激しくなっていくのを感じていた。
「艦長…… 私と同じ考えを!?」
進は、やっとの思いで、それだけを口にすることができた。口が乾いてくる。すると、沖田がやはり静かな口調で答えた。
「うむ…… ただ、乗組員の動揺を抑え、一乱れずに作業を行うにはどうしたらいいか考えあぐねていた」
(やはり……!! 艦長は同じ考えをされていたんだ。あの大きなアクエリアスの影響を阻止するには、もうヤマトを使うしかないと!)
確かに乗組員たちの動揺を抑えながらの作業は、辛いものがあるだろう。第一、進とて自分自身一番辛いのだ。
ヤマトを爆破するのは身を切られるように辛い。しかし同時に、もしヤマトに人格があったとしたら、地球を救うためになら喜んで、それを受け入れてくれるだろう、と思う。進がそうであるのと同じように。
「私も……この手でヤマトが爆発するなんて…… とても…… しかし、それだけが地球を救う方法なら……」
進は心からそう思っていた。きっと乗組員たちも同じ気持ちのはずだ、必ずその心をわかってくれると、進は固く信じている。それこそがヤマト魂だと。
しかし、その思いを口にしながらも、それでもやはり耐えがたい苦痛を感じる。口ではそう言いながらも、体が振るえ握る手にも力がこもる。目も潤んできた。
その姿を大きく包むような眼差しで見つめる沖田に、進は思わずすがりたくなった。
「艦長……!」
(5)
沖田の瞳がさらに緩んだ。目を細め「あははは……」と笑いながら進に近づいてくると、進の両肩にがっちりと両手を乗せた。
「大きくなったな、古代。お前のおかげで、私も決心がついたよ」
沖田は今、18で初めて出会った時の進を思い出していた。あの時の若くて荒削りで、ただ好戦的なだけの若者が、今は様々な試練を乗り越え、悩み苦しみ、大人としての道を着実に歩みつつあることを、沖田は心から嬉しく思った。
ヤマトを爆破させる――今はこれしかない、と思いつつも、この実行を沖田は心の中で決めかねていた。ヤマトへの自分の思い、クルー達の思いを考えると、簡単には言い出せなかった。
しかし進は、地球のためならば、自分もそしてクルー達もきっとわかってくれると断言し、自分より先に決意していた。それだけヤマトを知りクルー達を信頼しているということだろう。この男なら、いつか自分を遥かに超える立派な宇宙戦士になるに違いない……
沖田は心からそう思った。
進も別の意味で、同じ気持ちだった。何も言わなくても、自分の気持ちを、この人はよくわかってくれている。そう思うのだ。こみ上げてくる気持ちが涙となって、進の瞳を濡らした。
「艦長……」
「うむ」
上ずる声で自分を呼ぶ進を真正面から見て、沖田は大きく頷いた。しかし、その瞳が次の瞬間に、きわめて厳しいものに変わった。
(古代…… これで私は心置きなくヤマトと一緒に行ける。後のことは、お前に全部任せたぞ)
進は隠し通すつもりだったが、ヤマトを爆破するには、まだ大きな問題が残されていることを、沖田は既によくわかっていたのだ。
沖田は穏やかにではあるが、非常に重要な言葉を口にした。
「だがな、古代。誰が波動砲の引き金を引くんだ?」
「えっ!?」
(6)
沖田のその言葉から進が受けた衝撃は、さっきヤマト爆破の意志を見抜かれた時の数倍、いや数十倍もあったかもしれない。目を見開いて絶句したまま、次の言葉を繰り出すことが出来なかった。
(な、なんと……! 沖田艦長は、そこまで見抜いておられたのか!? 最初俺は、安易に自動制御を考えていた。しかし、あの真田さんの苦悩に満ちた複雑な表情から、やっとこの事実を導き出したと言うのに、艦長は自身で全てを見抜いていたんだ。やはり、俺はこの人には到底かなわない……)
沖田は呆然としている進に背を向けた。
「この作業は微妙なタイミングが必要だ。自動制御では失敗の恐れがある」
宇宙物理学者である沖田にとって、太陽や地球、月などのある宇宙空間に入り込んだアクエリアスの水柱が地球に届く瞬間が、互いの引力の影響で予測がきわめて難しいことに考えが至るのは、容易なことだった。ヤマトを自爆させると決めかねていた理由には、それもあったからだ。
沖田の話を聞きながら、進はこの部屋にくる前の決意を思い出した。
(そうだ、誰かが残らねばならないんだ。それは……)
「艦長! それは当然、戦闘班長の私が!!」
進はなんの躊躇もなく一気にそう言い切った。艦長にも黙っているつもりだったが、知れてしまったならばそれは仕方がない。だが、進にはこの仕事を他の誰に押し付けるつもりは、これっぽちもなかった。
進の真剣な言葉に、沖田は振り返ってじっと睨んだ。進はその視線に押されるように、体を僅かにのけぞらせた。
「お前が、ヤマトに残るのか?」
「はいっ!」
進は即答した。その瞳にも一点の曇りもない。男が決めた人生の最大の岐路である。既に躊躇などする必要はなかった。心に残すことももうない……少なくともその時の進はそう思っていた。
だが、沖田は進の心の奥底に秘めた思いを見抜いたように言った。
「雪はどうするんだ?」
その言葉に進はハッと息を飲んだ。一瞬、動揺が自分の体に走るのを感じる。さっきまで沖田をまっすぐに睨んでいた瞳が揺らぎ、その眉が微妙に動いた。
進の耳に、さっき部屋を出た後で聞こえてきた雪の嗚咽が甦ってきた。それと同時に、吹っ切ったはずの思いが、胸が苦しいほどの痛みと共に、再び進の心に襲ってきた。
(雪……!!)
(7)
沖田に指摘され、進が雪への思いに胸を痛め始めた頃、当の雪は医務室エリアへ向かっていた。
進が出ていった後、ひとしきり泣いて泣いて涙を流したが、このまま泣き続けていると、どこまでも深いところにはまって行きそうで、雪は自分をなんとか叱咤し、やっとのことで涙を拭いて立ち上がった。
(こんなことをしていても、何も変わらない。彼をちゃんと見送らなくちゃならないのに…… ああ、でも、雪。本当に黙って彼を見送れるの!?)
進に約束した――半ば無理やり約束させられたようなものだが――とはいえ、雪の心はまだ千々に乱れているのだ。何か他のことを考えよう、そう思ったとき思い出したのは島のことだった。
(そう言えば、島君はどうしたかしら……? 島君が今この場にいてくれたら、彼はなんて言うだろう…… あんなに私達のことを心配してくれてたのに……)
部屋の鏡に顔を映すと、明らかに泣いた後だとわかるほど、目の周りがほの赤く、瞼は腫れぼったかった。
簡単には治りそうもないと思いつつも、冷水で何度も顔を洗ってから、雪は部屋を後にした。
(誰にも会いたくない…… でも、ひとりで部屋にもいたくない。ふふ……矛盾してるわね、私)
いくつかの相反する思いの中で心を揺らせながら、雪は廊下を歩いた。幸い部屋から医務室の区域までは、誰にも会うことはなかった。
しかし、島の病室の前までくると、そこに一人の男がいた。彼は窓に両こぶしを押しつけ、じっと中を見つめていた。その男は、雪の気配に気付いて振り返った。
「雪!」
「真田さん!」
(8)
振り返った真田の顔がひどく辛そうだったので、雪は慌てて駆け寄った。
「島君に何かあったんですか?」
「あっ、いや…… 島は変わりないと思う。静かに眠っているようだ。心拍数も安定している」
「そうですか……よかった」
真田の言葉に、ほっと安心したように雪が僅かに微笑んだ。そして窓に近寄り、中の島の様子を覗った。真田の言う通り、島はこんこんと眠っていた。
雪はその姿を見ながら、もし島に今意識があれば、今のヤマトの状況を知ったら……彼はどんなに傷ついていたとしても、きっとじっとしてないんだろうな、と思った。
「どうしたんだ?雪。もう少し休んでいてもよかったんじゃないか? なんだか目が腫れぼったいぞ。寝ていないんじゃないのか?」
やはり涙の後を隠し切れなかったかと思いながら、雪はさりげなく顔を逸らせた。
「いえ、大丈夫です。ちょっと島君の様子が気になって……真田さんの方こそ……」
そんな雪を見て、真田はお互い苦労性だなと心の中で苦笑した。
「そうか……で、古代はどうしてる?」
すると雪は、古代という言葉にビクリと大きく反応した。それは、真田が不審に思うほどのだった。
「ん?会ってないのか? あれから……」
真田が雪の反応をさらに追及するように重ねて尋ねたが、雪は微妙に瞳を揺らしはしても、すぐに答えを返してこなかった。そして再び窓の中を覗く振りをして、真田に背を向けた。
「古代君は…… 艦長のところに……行ったわ」
「!! やはりもう行ったのか」
雪は言葉で答えず、ただ頭をこくりと下げた。
「そうか…… じゃあ、ヤマトのこと聞いたんだな」
真田は、さっき別れる前に話した事を、進は既に実行に移している事を知った。ただ真田はこの時、進と沖田が自分が思い悩んでいるある事実のことは知らぬまま、ヤマトの自爆についてのみ会話しているのだと思っていた。
進に告げなかったのと同じように、真田は雪にもそれを告げるつもりはなかった。
「……ええ……」
なんとか小さく同意の言葉を発するが、雪の体は真田から背を向けたままだった。雪の瞳にはさっきやっと堪えた涙が再び溢れ始めていた。真田がいる前で泣くわけにはいかないと、必死になって涙を抑えようと思うのだが、勝手に出てくる涙は止めようがなかった。
「そうか…………辛いだろうが、地球を救うためだ。それに君には古代がいるじゃないか。そうだろ?雪」
真田が慰めを背中で聞きながら、雪は小さく何度か頷いた。だがその背中が小刻みに震え出したことに、真田は気付いた。
「どうした?雪…… ヤマトがなくなるったって、俺……たちはいるんだ。いや少なくとも古代は君のそばにずっといる。そうだろ? さあ、帰ったらすぐに結婚式するんだろ?今度こそ、なっ」
真田は二人の結婚式をこの目で見ることはないかもしれないと思いながらも、雪を励まそうと、そんなことを言ったのだ。だが、それは逆の影響を雪に及ぼした。
雪は震えそうな声を抑えつつ、「はい……」とだけ返事をしたが、雪の心の枷は、真田の「結婚式」という言葉をきっかけに大きく崩れてしまった。声に出しては泣くまいと懸命に堪えていたのも、これが限界だった。
「ぐうっ……」とくぐもった声が、雪の口から漏れ出てしまったのだ。
「雪っ!」
その様子に異常を感じた真田が、雪の腕を掴んでぐいっと手間に引っ張り、無理やりこちらを向かせた。
(9)
「あっ!!」
体が翻ってしまった雪は慌てて顔をそらせたが、その一瞬の間に、真田は雪の瞳から大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちているのを、はっきりと見た。
「なっ! どういうことだ!?雪!! どうして君はそんなに泣いている!」
「うっ……な、なんでもありません。ただ……島君のことやヤマトのこといろいろあったから……」
雪の涙の原因を尋ねる真田に対して、まだなんとか隠し通そうと、雪は言い訳を始めたが、真田には当然のごとく通じなかった。
「そんなことだけで、それほど泣く君じゃないだろう!……はっ!! ま、まさか……古代!?」
「ち、違うわ……古代君は関係ないの……」
雪はつかまれた腕を振り払おうと体をよじる。雪の脳裏には進の言葉が浮かんでくる
――決して誰にも言わないでくれ――
その約束を、雪は必死で守ろうとしているのだ。だが、真田はもうその意味をほぼ察していた。
「雪…… 俺は、何年お前達と付き合ってると思ってるんだ!? 雪!」
「古代君は……古代君は…… だめっ!なんでもないの!!」
どうしても言おうとしない雪に、とうとう真田は自分からそのことを口にした。
「雪っ! やっぱり古代はヤマトに残るつもりなんだな!」
雪は、それを聞いて思わずハッと息を飲んでしまった。真田にはそれが雪のその問いに対するYESサインだと認識した。
「やっぱりそうか、そうなんだな!雪!」
真田が雪の両腕をぐっと掴み、体ごと自分の正面に持ってきて叫んだ。それでも雪はフルフルと首を振り続けた。
「真田さんが言ったんでしょう! ヤマトは……自動制御でアクエリアスの水の流れを立ち切れるって…… 自動制御で……!! だから誰もヤマトに残る必要なんてないって…… ううう……」
そう言うと、雪は膝の力が抜けたようにがくりと泣き崩れてしまった。
「雪……」
真田は、それをじっと見下ろしながら、さっきとは打って変わった静かな口調で話した。
「古代は、俺の……嘘を見抜いたんだな?」
真田は思い出していた。さっきエレベータホールで別れる時、一瞬躊躇した真田の表情を進は決して見逃さなかったのだ。それに対して真田の方は、顔色一つ変えず微笑みさえ浮かべた進の心の奥底の決意に、全く気付かなかったというわけだ。
「あいつ…… ポーカーフェイスは俺よりうまくなったわけか。くっ……あのバカッ!」
真田は吐き捨てるようにそう言った後、踵を返して歩き始めた。カツンという靴の音に気付いた雪が顔をあげて叫んだ。
「真田さん!? どこへ?」
「古代を止めるに決まってるだろう! あいつを死なせるわけにはいかん!」
「でも……でも、それじゃあ地球は? 島君は……助けられないんでしょう!」
雪は、後向きになった真田の腕にすがりついた。せっかくの進の決意である。雪は、自分がどれだけ辛い思いをしたとしても彼の望みは叶えてやりたかった。それに、ヤマトだけで生き残りたいという気持ちは、雪にも全くないのだから。
その雪の思いを真田も十分にわかっていた。
「地球は救わねばならない。必要ならば、ヤマトには…………俺が残る!」
「それはだめ!真田さん!! そんなことしても古代君は…… それに艦長にも内緒なのに今行ったら……」
それでもすがる雪に向かって真田は振りかえって、ふっと笑った。
「わかってる。艦長がご存知ないのならばそれはそれでいいんだ。その当たりは心配いらない」
「でも……」
「少なくとも…… 俺には……俺が死んでも、嘆き悲しむ恋人は……いない」
「真田さん!!」
雪が怯んだ隙に、真田は雪の手をやんわりと解くと、大股で歩き始めた。目指すは進たちのいる艦長室だ。
「待って、真田さん!」
雪もじっとしていられず、真田の後を追った。
(10)
一方、艦長室では「雪」という言葉に動揺してしまった進とそれを見つめる沖田が真剣な眼差しで対峙していた。
進の思いも、そして雪の思いも、沖田は十分にわかっている。
「お前が死んでしまって、雪が一人残っても、あの子に幸せはない」
沖田は静かにそう告げると、再び椅子に戻り、外の星々をじっと見つめた。進の心がさらに揺らいだ。さっきあれほど強い決意を持って雪に話し、沖田に願いに来たというのに、今再び雪のことを思うと、進の心は激しく揺らぐのだった。
進は何も言うことが出来ずに、ただ沖田の背を目で追った。
(俺は……まだ……?)
しかし進は、再び自分のその思いを振り切るように、目をぎゅっとつぶった。握るこぶしにも痛いほど力がこもる。
(雪……すまない! 僕を許してくれ!)
そして、進は顔をあげて沖田に告げた。
「大丈夫です。雪には……もう、話しました。彼女は……たぶん、わかってくれたと思います。彼女はすばらしい女性です。地球に帰って、きっといつか……新しい……幸せを見つけてくれると……」
沖田が顔だけ振り返った。その表情はほとんど変わらないが、僅かに怪訝な表情をしているように見える。
「雪に? 先にこのことを告げてきたというのか?」
「……はい」
進はこくりと頷いた。
「古代…… おまえという奴は……」
沖田はそこまで言ってから話を止め、進の顔をじっと見つめた。その視線に耐え切れなくて、視線を周囲に迷わす進を見ながら、沖田の心に熱いものがわき上がってきた。
(この男といい、あの娘(こ)といい…… どうしてそんな思いをしなければならないのだ! かわいそうに、古代はどんな思いで雪に自分の決意を伝えたというのだ? そして、どんな思いで、あの娘は受けとめたというのだ!? 私は、この二人を必ず幸せにしてやりたい……)
沖田の瞳がわずかに細まり、柔和な表情で進を見た。
「雪を幸せにしてやってくれ、といった島の言葉を忘れたのか」
その言葉には、言外に自分の幸せをどうして追求しないのか、と言う沖田の思いが含まれている。
はぁーっと息を飲む音が、進の口から漏れた。さっき瀕死の状態の島が、最後の願いとして、息も絶え絶えに訴えたことだった。進の脳裏にその姿がありありと浮かんでくる。
(島…… そうだった、島は俺にそれを託して…… だが俺はそれを反故にしようとしている。だが……このまま地球を救えなかったら、島も救えなくなるんだ。俺はどうしたらいいんだ!?)
沖田は動揺の走る進の顔をチラリと見てから、また顔を外に向けた。そして、進に背を向けたまま、じっと宇宙の星々を見つめ続けた。
沈黙が続く。沖田は何も言わないし、進も言えなかった――それでも私がヤマトに残ります――とは、どうしても…… だが、言わなければならない。
進は再び自分の心を鬼にせねばならないと思った。
(11)
進は自分自身を叱咤激励した。時間がないのだ。自分がここで止まっているわけにはいかない。雪にあんな思いをさせてまで伝えてきた決意である。ここで二の足を踏むわけにはいかない。
それが…………自分の仕事であり使命だと、進は思った。
(やはり言おう! 島、すまない。お前との約束を破ることになるが、雪のことをお前が……お前達が見守ってやって欲しい)
躊躇する気持ちを振り払おうと、進がグイッとつばを飲み込んだその時、長い沈黙を破って、沖田は外を見つめたまま静かに宣言した。
「古代…… この仕事はわしがやる!」
あと一秒沖田の口が開くのが遅かったら、進が先にそう宣言していただろう―やはり私がやります―と。しかし、進の口から出たのは、沖田の宣言に衝撃を受けたことを現す短い言葉だけだった。
「そんな……」
進は次の言葉が出てこなくて、それでもただそのまま「はい」と答えるわけにもいかなくて、その気持ちが足を前へと進ませた。数歩駆け寄った進を感じて、沖田が振り返った。
(どうして艦長が……!? 言い出したのは私です!ですから私が……!)
心の中ではスムーズに流れ出る言葉なのに、進の口からはそれが出てこない。だが、沖田の目には、進の顔に簡単に承服しかねると大きく書かれているのが、手に取るようにわかっていた。
(古代…… お前の決意も思いも、わしは十分に受けとめたぞ。だがな、お前はまだ生きてしなければならないことがあるだろう……)
沖田は、進が愛しかった。この真っ直ぐな心を持ち、様々な苦しみや悲しみに押し潰されまいと必死に生きるこの青年が、誰よりも愛しかったし、かわいかった。
彼は、イスカンダルへの旅を通して、自分を慕い必死に付いて来た。家族を亡くし、天蓋孤独だと思っていた沖田にとって、もう一人息子ができたようで、彼の成長を我が事のように喜んだものだった。
(お前と出会えて、わしは本当に幸せだったと思っている……)
(12)
沖田は、何か言いたそうにする進を凝視したまま、顔色を変えることなく諭すようにゆっくりと話し出した。
「お前にはまだ……戦いが残っている」
「戦い……?」
進にはその言葉がすぐに理解できなかった。ディンギルの残党のことなのか?などとすぐに戦闘の方へと思考が向く。しかし沖田は軽く頷くと、再び続きを話し始めた。
「雪を愛し、二人の子供を作ることだよ」
(えっ?それがなぜ戦いと……?)
戦いとは正反対の事象のように思えることを突然口にする沖田の真意を、進は図りかねた。物問いたげな顔をする進を見やりながら、沖田は続ける。
「愛する人と身も心も結びついて幸せにすることが、大勢の人々を幸せにすることに繋がって、本当にすばらしい世の中ができるのだ。それこそが、大事な戦いなのだ」
「!!…………」
沖田の説得に、進ははっとした。
戦いとは何なのか…… 進は今この時まで、その根本をすっかり忘れてしまっていたことに気付いた。
人は生まれ、成長し、そして次の世代へと命を繋いでいく。その営みは何千年も前からずっと人々の間で繰り返されてきたことである。
いや、人だけではない。生きとし生けるものは全てそうやって、生命を次世代へと伝えているのだ。それは……それこそが、命を種を守るための本当の「戦い」である。
自分たちが、今まで繰り返してきた何度もの戦いも全て、地球人類のそんな営みを途絶えさせたくない、という思いの為に他ならない。生きること、そして新しい命を生み出していくということが、本当の意味の生命として、人としての戦いなのだ。
沖田の言葉と共に、そんな思いが進の心の中で大きく広がっていった。沖田の言葉は、進の中に潜在していたそれらの思いを喚起したのだ。
(13)
沖田は見た。進の表情が何かに気付いたかのようにはらはらと変わっていく様を……
(古代、わかったようだな……)
自分の思いを進が受けとめたと感じた沖田は、念を押すように強く、そしてはっきりとした声で宣言した。
「古代! 私に任せろ!」
「しかし……艦長!」
進の口から反射的に否定の言葉がついて出た。
沖田の話は理解できた。自分もそうだと思った。しかし、だからといってすぐに「はいそうですか」と頷くこともできない。
自分はいい、残って生きて戦うことは…… だがそれは沖田の犠牲の上に成り立つのだと言うことを、進としてはまだ、すんなりと受け入れられなかった。
(艦長を死なせたくない……!!)
単純な思いだった。自分が死ぬことを恐れはしないのに、大切な人の死は体が震えるほど恐ろしかった。せっかく生きて再び自分の目の前に現れてくれたのに、もっともっと話もしたいし教えも請いたい。いや、何よりも無条件でそばから離れて欲しくないのだ。
それはたぶん、完全に個人的な理由であろう。そう、この悲しみは、あの父や母を失った時、雪を失ったと思った時に感じた、あの身を切られるような痛みなのだ。
(嫌だ! いかないで欲しい!!)
だが、決意を込めたその目に見つめられて、進にはそんな私的な願望を口にすることなどできない。それでも目だけででも、その気持ちを訴えたかった。
すると、沖田はふと優しい目になった。
「私はヤマトの艦長だ。艦長には艦と運命を共にする権利がある。それに、私にはヤマトしか残ってないのだよ」
初めの言葉は、艦長としての威厳と権利をはっきりと主張し、断固とした意志を表すように強く、そして後半は、悲しみと切なさのこもった柔らかな口調でつつむように、またすがるような言葉だった。
沖田は、飴と鞭の両面から進の一切の反論を拒否したのだ。
進は知っていた。艦長の責務も任務も、そして権利も…… それはヤマト艦長として1年を務めた進だからこそ、誰よりもはっきりと断固たるものとして存在ものであるということを……
そしてまた進は知っている……沖田が、ヤマトをどれほど愛しているかを、そして沖田が妻も子も亡くし、多くの戦友を見送ってきたことを。
沖田にとってたった一つの心のよりどころが、このヤマトであるということも……ヤマトしかないということも…… 誰よりもきっと……よく……
だからもう、進は何も言うことができなかった――――
沖田は、再び外を向いて宇宙を見つめた。そんな沖田の背中が、進には頼もしくも、また淋しげにも見えた。
「艦長……」
それが、進の答えだった。涙声になりそうな進のたった一つの言葉を胸に受けとめると、沖田は決意したように、くるりと椅子を回し立ち上がった。
「お前の仕事は、みんなを説得することだ」
「…………」
進は胸が張り裂けるほど痛かった。沖田の話は全て理解できた。そうだと思う。自分もそうであらねばならないと思った。否定のしようもない。しかし、どうしても「はい」と言い出せない。
そんな進を促すように、沖田は強い口調で釘をさした。
「いいな」
そして両腕で、進の両肩をしっかりと掴んだ。進が潤んだ瞳で沖田を見上げる。両手の握りこぶしが震えるほど強く握られていた。
(14)
沖田は進から手を離すと、再び穏やかではあるが威厳のあるいつもの口調に戻って言った。
「復唱はどうした?」
「……は、はい! ヤマト自爆を……スムーズに行うため……みなの説得にあたります!!」
進は涙を堪え、姿勢を正して敬礼をした。ぎゅっと噛み締めた歯には、ギリギリと音を立ててしまいそうなくらいに力が入る。自分の感情を必死に堪えて答える進を見て、沖田は満足そうに頷いた。
「うむ、頼んだぞ」
「は……はいっ!」
進は全ての思いを振り切るように、大きな声で答えた。
「まずは側面展望台に全乗組員を集合させろ。そこでわしがヤマトを自爆させることを説明する」
そこまで言うと、沖田は腕の時計を確認してから、再び顔をあげた。
「今から一時間後、地球時間午前8時だ。ヤマトはアクエリアスに再度着水させる。その後防衛軍司令本部に依頼して、地球の残存艦冬月を派遣させてもらい、それに全乗組員を退艦させる」
「はっ!」
進が再度ぐっと右手を胸に押し当て、敬礼した。厳しい表情で見つめあう二人の顔は、完全に任務を遂行する宇宙戦士のそれに変わっている。そして、それは艦長と戦闘班長の……二人の最後の任務なのだ。
(15)
沖田が再び口を開いた。
「それから……いや、その前にだな」
そこまで言うと、沖田はふうっと大きく息を吐いて、僅かに微笑を浮かべた。
「雪と話してこい」
「はっ?」
その言葉の意図を理解しかねている進を見て、沖田は苦笑した。任務に集中すると、他の事は全てうっちゃってしまう進の悪い癖が、いまだ変わっていないことに、その若さを感じたのだ。
「あの子が今どんな思いをしていると思ってるんだ?」
「あっ……」
沖田に指摘され、進は今の自分がまさにさっきの雪と同じ立場にあることに気が付いた。残されて生きていかねばならないことが、どれほど辛く悲しく、それを死を選択した相手に頷くことがどれほど苦しいものなのか、進は今ここで身をもって知ったのだ。
(雪……君はさっき、こんな思いをしていたのか…… いや、きっと今の僕よりもずっと辛かったに違いない……)
雪の思いを今更ながらに知って、進の胸は痛んだ。
ただ、雪に自分が死なぬことを告げたとして、今度は沖田のことを話さねばならない。それを聞いて、雪が単純に喜ぶとは思えなかった。
「ですが……」
進の言葉は続かなかったが、その目が訴える意味を、沖田はすぐに察知した。
「わかっている。素直に喜ぶ子じゃないことはな。だが、それでもこれから共に生きて行こうと、ちゃんと告げて来い。それからだ、全ては……」
進はすぐには答えなかった。黙ったまま沖田を見つめていたが、しばらくして視線を下げて一旦目を閉じ、それから顔をあげた。
「…………わかりました」
進が沖田に背を向け、静かに部屋を出ようとした時、その背中に声がかかった。
「古代……」
「はい」
進は一歩踏み出していた足を止め、上半身だけで振り返った。
「わかっていると思うが、わしが残ることはお前と雪以外には内密にな。余計な動揺は極力避けねばならん。お前達には辛い思いをさせることになるが……」
「いえ…… 最後までやりとげて……みせます」
進は、感情を抑え完全に無表情な顔を沖田に向けた。今ここで何か感情を表すと、大声で泣き出してしまいそうでできなかったのだ。
そんな進の気持ちを知っているかのように、沖田は穏やかな顔で言った。
「うむ、後で時間があれば雪と二人でここに来るといい。三人で少し話をしたいな」
「……は……い……」
なんとかそれだけを答えると、進は再び沖田に背を向けた。その背中は、僅かに震えていた。
(沖田……艦長……!!)
古代進は、ゆっくりと艦長室のドアに向かって歩き始める。自分のなすべき仕事を全うするために歩き出した彼の心の中は、泣き出したい気持ちで一杯だった。だが、まだ今は泣くわけにはいかない。溢れ出しそうな涙をぐっと堪えた。
なぜなら……アクエリアス最接近まで、あと18時間。ヤマトの最後の戦いの火蓋は今切られたばかりなのだから。
Chapter11終了
(背景:Giggrat)