決意−あなたとともに−
−Chapter 10−
(1)
その夜仕事を終えた雪は、再び中央病院を訪れた。ナースステーション前を通った時、待ち構えていた佐渡に呼びとめられた。
「雪っ! ちょっとこっちへ来い」
佐渡に招かれて、医師の控え室に二人で入ると、さっそく進の様態について雪が尋ねた。
「どうですか? 古代君は……」
「うん…… 経過の方は良好のようじゃな。後2,3日で体の痛みはほとんど取れるじゃろう。ただし、それまでは絶対安静じゃ。まあ、その後は、体力の戻り具合にもよるが、あいつのことじゃから1週間もすれば元通りになるじゃろう」
佐渡は明るい表情でそう告げた。
「そうですか…… よかった」
「だがのう…… それよりもこっちの方が心配じゃな」
と、佐渡は今度は少々表情を暗くして自分の胸をトントンと叩いた。精神的な打撃が大きいということだ。雪も同じ思いでいただけに、それを駄目押しされたような恰好になった。
「やっぱり……」
「で、ヤマトはどうなっているんじゃ?」
「修理のためにドックに入ってますが、損傷が激しかったので、航行できるようになるには2週間ほどかかるらしいです」
「また発進するのか?」
「いえ、今のところはその予定は…… ただ、古代君達が遭遇した敵というのが、真田さん達も気になるらしくて、いつでも発進できるように整備しておきたいと…… 退院した乗組員達は、みんな休みも返上してヤマトの修理にあたっています」
ある意味部外者秘の内容ではあるが、佐渡もヤマトの乗組員の一人である。藤堂からも、佐渡にはヤマトに関する事は伝えても良いという了解をとってある。
「うーむ……それを知ったら、あの男もじっとしておられんかもしれんのう」
「そうですね……」
「最低3日、できれば1週間は安静にしておきたい。テレビも見せんようにするから、すまんが、雪、あいつにはヤマトのことは何も言わないでくれんか?」
「はい、私もそのほうがいいと思います」
雪は真剣な眼差しで頷きながら答える。その様子に、彼女がいかに進のことを思い、心を砕いているかがよくわかる。
「そうか…… お前さんも苦労するなぁ」
佐渡がため息混じりにそんなねぎらいの言葉を語る。それに呼応して、雪の頬が少し染まる。
「えっ? いえ……そんな…… 古代君が無事だっただけで私は……」
「今は落ちこんどるが、あいつは必ず立ち直る。心配は無用じゃ。それに……」
佐渡は言い出しそうになった次の言葉を飲み込んだ。まだ早い。
「?」
「あ、ああ…… まあ、お前さんのような美人の専任看護婦がついとるでなぁ。あははは……」
「まあ、いやだっ。佐渡先生ったら……ふふふ」
雪の頬がさらに紅潮した。青白かった顔色に、少しでも温かみが差したのを見るのは、佐渡にとっては何よりもうれしいことだった。
(2)
雪は佐渡との話を終えると、まっすぐに進の病室に行った。
「古代君、ただいま」
その声が聞こえないのか、進はベッドで寝たまま窓の方を向き、ドアに背を向けていた。眠っているのだろうか、と雪が思った時、進はゆっくりとその首を声のした方に向けた。しかし、ちらりとその姿を見ただけで、また視線を外してしまった。
その態度に近寄り難さを感じた雪は、ベッドの数歩手前で立ち止まる。とその時、雪の顔を見ないまま、進が口を開いた。トーンの低い小さな声だった。
「雪……今、仕事終ったのか?」
「ええ。どう?具合は……」
「ああ……」
「何か必要な物はない? 家から持ってくるものとか……売店もあるし……」
「いや……ない。いい」
雪の問いに、進は歯切れの悪い答えしか返してこない。もっと何か言ってちょうだい! そう叫びたくなる気持ちを、雪はなんとか抑えこんだ。
進はまだ、雪の顔をゆっくりと見れるだけの心の余裕を持てない。彼女の何を見て、何をどう言ってやれるのか、わからない。
彼はさっき佐渡と話した事を思い出す。雪はどんな思いで一人地球に残り、辛い思いを耐えて来たか、と言う事は痛いほどよくわかっている。
ただ、そんな雪を包んでやれるほどの包容力が、今の自分にはとてもないのだ。
互いに歯がゆい思いをしながら、沈黙が続いた。それを破ったのは、雪だった。
「古代君……」
しかし、次の言葉が出てこない。雪が何か話しをしようと言葉を捜していると、今度は進が口を開いた。
「雪、早く家に帰ったほうがいい……」
「えっ?(帰れ……と言うの!)」
進は、自分の言葉を非難するようなニュアンスを、その雪の「えっ?」から感じた。
そうじゃないんだ、君が心配なだけなんだ。君まで倒れたら困るから……
最初からそう言えれば、苦労はしない。古代進にとっては、その言葉を素直に出す事は、恐らくどんなに激しい訓練をクリアするよりむずかしいことだった。なんとかその意味を汲み取って欲しくて、やっと搾り出したのが、
「俺は大丈夫だ。何日も寝てないんだろう?君は……」
雪の顔のこわばりがとれた。進の言いたいことをなんとなく理解したようだ。
「大丈夫よ、私は。ちゃんと健康管理してますから」
「とにかく、俺は一人で大丈夫だから。それにここは病院で看護婦も医者もいるんだ。君が付いている必要はないんだよ」
進の態度は強固だった。確かに彼の言うとおりではある。雪は小さなため息を、相手に聞こえないようにほぉっと出すと、あきらめたように言った。
「……そうね。わかったわ。じゃあ、また明日の朝寄るわ…… おやすみなさい」
静かに振り返ろうとする雪に、進がゆっくりと手を伸ばした。なんとか彼女の気持ちに答えたいとする最大限の努力がそれだった。
「雪……」
雪がおずおずと近づいて、その手を取り、ベッドサイドの椅子に座った。
「すまない……」
進が辛そうな顔で雪に謝った。彼にも彼女にもその「すまない」と言うのが何をさしているのかわからなかった。
しかし、雪は首を小さく左右に振ってかすかに微笑んだ。そしてゆっくりと進の胸に自分の頭を近づけていく。進の胸の上に耳を当て、しっかりと動く鼓動を確認する。とくとくとく、と規則正しくそれは刻み続けていた。つながれた手からも、ぬくもりは伝わってくる。
今度はそっと顔を上げ、彼の顔を見た。その視線はどこか空を見ていた。
「古代君……」
雪のかけた声に、進は反応し雪に焦点があった。それを合図に、雪の顔が少しずつ彼の顔に近づけた。もしかしたら、顔を背けられるのでは、という危惧を抱きながら。
しかし、進は動かなかった。ただそのまま目を閉じた。そして影が一つに重なった。
柔らかな感触を確かめ合った後、雪はおもむろに立ち上がった。いつまでも名残を惜しんでいられない。後ろ髪をひかれる思いを断ち切るように、雪は言った。
「じゃあ、帰る…… おやすみっ」
それに進は黙って頷いた。進の瞳から一筋の涙がこぼれた事を、雪は知らなかった。
(3)
久しぶりにゆっくりとシャワーを浴びて、寝巻きに着替えた雪は、まっすぐにベッドに入った。閑散とした真っ暗な部屋で、大人二人が手足を伸ばしてゆっくり寝れるほどの広いダブルベッドにひとり寝るのは、いつも以上に寂しかった。
ほんの1週間前、やっと終った任務に安堵しながら、この部屋で二人はくつろいだ。部屋に戻ってきた夜も、結婚を誓い合った夜も、このベッドで二人は夜遅くまで睦み合った。暖かい肌と肌の触れ合いが、今でもしっかりと雪の体に鮮やかな感触として残っている。
雪はふとベッドの上に置いてある写真を見た。いつか海に遊びに言った時に進と二人で取った写真。二人ともこれ以上ないほど嬉しそうに笑っている。その笑顔を見ると、ついじわりと涙がわいてきた。
新たな敵が再び地球に来るのだろうか…… もしそうなれば、ヤマトは再び……!?
「進……さん…… 私達、これからどうなるの? また、戦いが始まるの?……また、戦わなくちゃならないの?」
あれほど辛い思いをし、体も苛められた進が、その体をおしてまた再び戦火の中に飛び込んで行くのだろうかと思うと、無性に悲しくなってしまう。
「でも…… あなたならきっと勝ってくれるわね、きっと。それに……今度行く時は、私もそばを離れない」
一人ベッドにいる雪は、流れ出る涙を止めるすべを知らない。溢れ出る涙で思いきり枕を濡らした。
そして、雪はこれからは常に愛する人とともにあることを、固く心に誓うのだった。
(4)
それから3日が経った。進の体は確かに回復に向っている。それは見た目はもちろんデータ上でも明らかだった。
しかし彼の精神の方は、なかなか回復の兆しを見せなかった。看護婦達が病室を訪れてもほとんど反応を示さない。
表情は暗く、一日中まるで意識があるのかないのかわからないほど、変わらなかった。じっと天上を向いたまま動かない。自分からは何も話そうともせず、もちろん笑いもしない。
雪に対しても、それはあまり変わらなかった。雪が尋ねたことには必要最低限で答えはするが、進から話しかけて来る事は皆無だった。雪がそばにいる事に不快感は見せない。しかし、いることで嬉しい表情も見せなかった。
ただ、時折ふと見せてくれる優しい眼差しだけが、雪にとってたった一つの救いだった。
見舞い客も大勢訪れた。雪の両親をはじめ、ヤマトの乗組員達も様子をうかがいに訪れた。しかし、挨拶と礼を済ますと、後はもう自分からは何も話そうとはしない。島や真田が訪れた時でさえそうだった。まるで中身の抜けた抜け殻のようなその姿は、誰の目から見ても痛々しかった。
その中で進は一度だけ嬉しそうに笑ったことがあった。それは、あの水没した惑星で助けた少年の無事を、雪から聞いたときだった。
「あの子は、生命維持装置の中にいたから、放射能を浴びないですんだようなのよ。だから、すぐ元気になったわ」
「今はどうしてる?」
「なんだか佐渡先生と仲良くなったらしくて、先生預かりよ。大分言葉も理解するようになったらしいわ。とっても賢い子よ」
「そうか……」
そんな進の姿を、雪は黙って見守り続けた。子供への思いやりの心は変わらずに持ち続けている。
だから、体が十分に回復すればきっと気力も復活するに違いない。そう信じて……
(5)
しかし、事態は再び暗転した。その日、司令本部に出勤した雪を迎えたのは、未知の敵来襲の報せだった。
第一報を送ってきた冥王星基地は直後に沈黙した。そして、土星空域での第一陣の避難船団の壊滅、さらに土星に終結した地球艦隊の全滅という最悪のニュースが、司令本部内を駆け巡った。
進が危惧した通り、ヤマトを攻撃した謎の艦隊が地球へと迫ってきたのだ。アクエリアスをワープさせているのも、彼らではないかという憶測が、司令本部内でも広がりつつあった。
敵襲の情報は直ちに、修復を急いでいるヤマトへも伝えられた。第一艦橋に通信が入った。
「島副長、司令本部から通信です」
「メインパネルにまわせ」
「了解!」
手馴れた操作で相原がメインパネルに映像を投影させた。藤堂長官の顔が大写しされる。それを見て、島がいつものように右手を胸に当て敬礼した。
『島か。真田は?』
「工作室です。上条副所長とハイパー放射ミサイルの防御システムを検討中ですが、呼びますか?」
『いや、いい。それでヤマトの修理状況はどうなっている?』
「はい、真田副長の話ですと、今のところ50%程度です。なんとか航行できるようになるまでには、あと1週間は必要かと……」
『うむ……』
藤堂が渋い顔で視線を落とした。島に悪い予感が走る。
「どうかしたんですか?」
『……地球に再び未知の敵が迫っている。恐らくは、君達を襲った敵ではないかと思われる』
「なんですって!!」
第一艦橋にいたクルーたちが揃って手を止め、メインパネルを凝視した。その彼らに訴えるように、藤堂が言葉を続けた。
『一日でも早く修理を完成させて、ヤマトを発進させたい』
「……わかりました。しかし……艦長が……」
『古代は……まだ退院できる状況ではない』
「そうなんですが……!!」
『それに、今回の航海のことで相当ショックが大きいらしく……』
「…………」
島の脳裏に、見舞いに行った時の進の姿が浮かんだ。核恒星系への航海のことを悔い、硬い表情を崩すことなく、口の重かったあの姿を思い出す。
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「元気そうじゃないか……」
病室に入ってきた島は、できるだけ明るく振舞おうと、からかい口調で進に話しかけた。しかし、進はそれに呼応して笑おうとはせず、真面目な顔で島を見た。
「ああ、なんとか生きてるよ。いろいろとすまなかった。航海の報告もしてくれたらしいな」
「艦長が不在の時は、副長の仕事だからな。当然のことだ」
「真田さんとお前がいれば、俺なんかいなくても心配いらんな」
進が眉をしかめる。航海での出来事を思い出しているのだろう。そう察した島が先回りして言う。
「あれは……事故だ。目の前におぼれている人がいれば助けるのが当然だし…… あの攻撃も不意打ちだった」
「だが……死んだ命はもう二度と戻ってこない。俺の指揮に誤りがあったとしたら、それは許されるものではない」
進はそう言い捨てると、プイッと外を向いた。島は、進が自身の進退を考えていることを察した。
「古代!!」
「もう……帰ってくれないか。疲れた」
「……古代、お前っ!」
「…………」
「……わかった。早く体を直して戻ってこいよ」
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(あいつは、まだあのままただ漫然としているのだろうか……)
『真田にはヤマトの修理とその防御システムの完成を急ぐように伝えてくれ。一刻も早く発進できる体制を整えて欲しい』
「しかし、長官! 艦長の古代がいないと…… 我々では戦艦であるヤマトの戦闘指揮はとても……」
島も真田も自身の技量を十分にわかっていた。戦闘指揮は彼らの専門外だ。彼らのでは自ずと限界がある。戦艦の艦長とは、それだけ難しい立場なのだ。
『わかっている。古代のことは……もう少し待ってみよう。佐渡先生から退院の許可も出ないことにはどうしようもない。今後のことは、こちらでもよく検討してみる』
「はい……了解しました」
通信が終った。相原が緊張した顔だが、しかし期待を込めてこう言った。
「心配いりませんよ、島さん。あの古代さんです。また地球の危機を耳にしたら、すぐに元気になってヤマトに戻ってきますよ」
「……そうだといいんだがな……」
島は、相原に微かに笑顔を返すと、再び考え込むような顔になった。
「ちょっと真田さんのところに行ってくる」
島はそう言うと、第一艦橋を出て行った。
(6)
ヤマトとの連絡を終えた藤堂は、すぐそばで話を聞いていた雪の方を見た。
「長官…… ヤマトは修理し次第発進するんですね。その時は、今度は私も乗艦します!」
「わかっておる。頼むよ、雪」 藤堂が大きく頷き、雪を見つめた。「問題は古代のほうだな。1週間で元通りに治るかどうか……」
雪の顔が曇る。進の様子を思い浮かべているのだろうか、瞳が僅かに揺れている。しかし、一瞬の沈黙の後、ぎゅっと歯を噛締めて言った。
「古代……艦長なら……必ず!」
藤堂はただ黙って頷くだけだった。
(古代の回復は…… 体もだが、それ以上に精神面の方が問題だ。相当責任を感じているのだろう。この前の航海も含めて、既に若い彼の許容範囲を越えている。これが限界かもしれんな。その時は……やはり彼に頼むしかあるまい)
その日の敵襲はその後一段落し、司令本部も落ち着きを取り戻し始めた。
(7)
進はテレビも見ていない。医師に禁止されているからもあるが、見たいという欲求も沸いてこないのだ。だからもちろん、冥王星基地や避難船団が攻撃されたこともまだ知らなかった。
その夜までに進は三日三晩、何度も考え、思い、悩んだ。今までの艦長のことも思い出された。特に――沖田艦長。
(沖田艦長、あなたならならどうされますか……?)
進は、もう一度彼に会ってそう尋ねたかった。もう少し自分と一緒にいて、自分を導いて欲しかった。
しかし、彼はもういない。進は自分で決めなければならないのだ。そしてその夜遅く結論を出した。責任を取ってけじめをつけよう……艦長を辞任しよう、と。
(俺は……ヤマトを……降りよう)
自分がヤマトを指揮してから、どれだけの仲間を亡くしただろうか。進は、その一人一人の顔を思い出していた。誰一人として失いたくない人物ばかりだったのに、それなのに……
(これ以上、俺の手によって仲間が失われるのを見るのは、もう……嫌だ)
島や真田の方が、これからのヤマトを正しく導いてくれるような気がする。いや、彼らにそれが難しいとすれば、長官がふさわしい人物を探し出してくれるに違いない。
今の進にとっては、自分以外の誰がやっても、自分よりもずっとましなような気がしてくるのだ。
進は体を起こすと、ベッドの上にテーブルをセットした。そしてそこに、雪には内緒で看護婦に買って来てもらってあった白い大きな紙を広げ、書き始めた。
(さらば……ヤマト…… 俺を許してくれ……)
(8)
そして雪は、翌日も司令本部ヘ行く前に、進の病室を訪れた。
「古代君、どう?調子は……」
「ああ……」
「もう、ああじゃわからないでしょう? そろそろ体も動くようになってきたから、病院を抜け出す算段でもしてるんじゃないんでしょうね!」
わざと冗談ぽく声をかける雪の言葉を無視して、進は枕元のサイドテーブルのいちばん上の引出しから1通の封書を取り出して、雪の目の前にそっと差し出した。
「……雪、これを長官に渡してくれないか」
「なぁに?」
雪は、出された封書を何気なく手に取った。そして、その封書の表書きを見て絶句してしまった。
「これはっ!」
そこには、進の自筆で『辞表』と書かれていた。
「大勢の乗組員を犠牲にしてしまった…… 俺はその責任を取りたい……」
「ヤマトを降りるって言うの?」
雪の声が震えてきた。怒りなのか驚愕なのか、それとも責めているのか…… しかしその言葉にも、進は苦渋の表情を浮かべ、顔を背け、体ごと雪に背を向けた。
「…………」
「本気なの? 古代君…… これがあなたがこの数日間で決めたことなの?」
雪は進の後姿に訴えかけた。彼の背が微かに震えている。さらに頭をうなだれ、進は小さな声でつぶやいた。
「今の俺には……もうヤマトの指揮は……」
「これから……どうするつもりなの?」
「…………」
彼の姿を見て、雪の心に二つの思いが激しく入り乱れる。
いつになく小さく見える進の背中を、そっと抱きしめて「もういいのよ。あなたはもう……ゆっくり休んでいいのよ」と言ってあげたい気持ち。
気力をなくした宇宙戦士を激しくなじり、「それでもあなたはヤマトの戦士なの! 地球は今また悪魔のような敵に蹂躙されようとしているのに、あなたはそれに背を向けるの!!」と叱咤激励したい気持ち。
相反する思いが、雪の心の中で葛藤を繰り返した。進の辞表を手に持ったまま、それをどう扱っていいのか、心が迷走した。
しかし、今の進に雪がどんな言葉をかけようとも、彼の意志が簡単に変わらないだろうという感じがした。
今、彼をこの苦悩の地獄から助け出すすべを、雪は知らなかった。
「……わかったわ。預かります。これから司令本部に行って、朝一番に長官に渡します」
「頼……む……」
「古代君……」
絞り出すようなその声に、雪の心は一気に進への思慕の方へ流れていく。進を思いきり抱きしめたい気持ちで一杯になる。しかしそれを無理やり押さえ込み、雪は逃げるように進の病室を後にした。
(9)
雪が司令本部の長官の執務室に入ると、火星以遠の各惑星基地が、敵艦隊に沈黙したと言う悲痛な報告が入ってきていた。さらにその艦隊は、地球防衛の最終防衛ライン月軌道へ迫りつつあるという。
執務室のパネルに表示されるその様子を、長官の藤堂は難しい顔で見守っていた。そして、絶望したように目を閉じ黙考した後、悲痛な表情で参謀たちのほうを振り返った。
「奴らは、全人類を地球に封じこめて水没させ、一挙に抹殺しようとしている」
そこに雪が意を決したようにつかつかと近寄り、進から預かった書状を差し出した。
「古代艦長より、これを預かってきました」
藤堂は、視線をその書状に落とし、ゆっくりと手をさし伸ばして受け取った。表には藤堂宛に大きく「辞表」と書かれてある。そして裏には『古代進』とだけ書かれていた。
藤堂は、それをまじまじと見つめた。ある程度予測していたこととはいえ、それが現実のことになると、彼の中にも戸惑いが浮かんだ。
「艦長を……辞任すると言うのか?」
藤堂が進の辞表を手にしたまま、雪に尋ねた。
「はい。自分の指揮や判断が未熟だったばかりに、大勢の乗組員を犠牲にしてしまったので、責任を取りたいと……」
やはり…… 藤堂はやむを得ない状況にきていることを確信し、それを再確認するように、雪に再び質問した。
「古代はどうしている?」
雪は、藤堂の質問に、進の今朝の姿を思い出した。一瞬表情が曇り、下を向いてしまう。が、顔を上げて正直に答えた。
「毎日口もきこうとせず、閉じこもって……」
「そうか……」
藤堂は、予想通りの回答を受けて、その辞表を自分のジャケットの内ポケットへしまった。それはイコール、進の辞表を受理したことを意味していた。
そしてペンを取り、手早く何か数行の文字を書くと、その紙を雪に差し出した。
「雪、この人に電話を入れてくれ」
差し出された紙を、雪は力なく受け取る。進の変わりにヤマトの艦長を依頼する人物の連絡先に違いないと思った。
しかし、雪はそこに書かれている名前を見て、一瞬息を呑み、驚愕の顔を見せた。
「はぁっ!! 長官! この方は…… 長官!」
驚いた雪が藤堂の顔を見つめるが、彼は目を閉じたまま動かない。
「まさか…… でも……あの方は……沖田艦長は……」
しかし、藤堂は何も説明しようとはしなかった。
「とにかく、彼にすぐに連絡してくれ。話はその後だ。今この危機に、古代の他にヤマトを指揮できるのは、彼しかいない」
「は、はい……」
雪は半信半疑のまま震える声で答え、藤堂が書いたメモに視線を落とした。そしてゆっくりと自分の席に戻って、その書かれた番号をプッシュした。プッシュし終わると同時に呼び出し音が鳴った。そして……すぐに相手が出た。
『はい、沖田です』
その声はまぎれもなく、あの沖田十三の声だった。
(10)
「沖田……艦長……ですか?」
雪は驚きの為動揺して、自分の名を名乗るのも忘れ、相手を確認した。相手は、突然の問いに不思議に思ったのか、一瞬沈黙したが、すぐにその声の主に気付いた。
『雪……かね?』
「は、はい…… あっ、防衛軍司令本部長官秘書、森雪です。あの……長官からそちらに連絡するようにと……」
雪は、沖田に尋ねられて初めて自分が名乗っていないことに気付き、慌てて名乗った。
『やはり……古代はだめなのか……』
しかし、雪は沖田のその問いに自分ではとても答えられそうになかった。
「あ、あの……今、代わります……」
受話器を軽く手で抑え「長官、沖田艦長が出られました」と、電話を長官のデスクに切り替えた。
「うむ……」
藤堂は、雪から切り替えられた電話を取ると話し始めた。それは単刀直入な一言から始まった。
「ヤマト艦長を依頼したい。……ああ、そうだ、君の悪い方の予想が当たったようだな」
藤堂と沖田の会話がしばらく続いた。雪はじっとその会話に耳をそばだてる。
話の内容から、彼らは既に何日も前からこのことを話し合っていたような節がある。そう言えば、沖田もさっき「やはり、古代ではだめなのか」と言っていた。進や雪の知らないところで、ヤマトの艦長人事は秘密裏に進んでいたらしい。そして……
「……うむ、わかった。そうしよう」
藤堂は沖田との会話を終えると、引出しから書類を取り出し、再び雪に声をかけた。
「雪、この書類を沖田艦長のところまで届けてくれないか。地球の現状が書かれている」
「は、はいっ!」
黙ったまま藤堂の電話の会話に耳を済ませていた雪は、その言葉に弾かれるように駆け寄った。藤堂は、書類と今度は沖田の住所を書いた紙を雪に手渡した。そこに書かれた住所が示していたのは、この司令本部からそれほど離れていない郊外のマンションだった。
「あの…… これだけでよろしいんでしょうか? ヤマトも以前とはずいぶん変わっていると思うのですが……」
雪が気を回して尋ねた。沖田が死んだ(と思っていた)後、ヤマトは数度の戦いを経験し、その度に真田らによって強化されてきた。
「いや、ヤマトの最新情報は既に彼の元に届けてある。もうほとんどクリアしている頃だろうから、その点は心配いらんと思う。念の為、もし不明の点があるようなら、確認してきてくれ。
あ、それとこのことは、まだここにいる者以外には内密に頼む。ヤマトの乗組員にもまだ知らせないように。急な艦長の変更で動揺が走っては困る。折を見て、まずは副長達に話すつもりだ。いいね」
雪のさっきの想像通りだった。やはり、沖田には何もかも伝わっているのだ。しかし、そのことを誰にもまた伝えられないことが、少し口惜しかった。特に、進にはできるだけ早く知らせたかった。
(そうだ、古代君にだけは、沖田艦長に直接頼んで話していいっていう了解を貰おう)
そう思うと、雪はもういても立ってもいられなかった。
「はい……わかりました。あの、今すぐ行ってきてもよろしいのでしょうか?」
「……ああ、頼む」
「はいっ!」
雪は、返事をするかしないかのうちに、身を翻して執務室を後にした。廊下を足早に歩く雪の心は、大きく膨らんでいた。
(11)
(沖田艦長が生きておられた!!)
その事実は、雪に大きな衝撃を与えた。指定された住所へ向う為にエアカーを運転しながらも、胸の鼓動がどんどん大きくなるのを感じていた。
その感動と喜びは、自分にとってももちろん大きかったが、何よりも……今の進にとってどれだけの喜びになるだろうかと思うと、さらに胸が高鳴るのだった。
(古代君がこのことを聞いたらどんなに喜ぶかしら…… きっと、これで彼は立ち直ることができる!!)
雪には、ヤマトにとってというより、進にとって、この沖田の生存のニュースが何よりもうれしいことだと思った。
エアカーがメガロポリスのビル群を抜け出て、閑静な住宅街に入った。カーナビが指定の住所が近いことを示していた。
しばらく徐行して目的の地に着いた。そこは、10階建て程度の比較的低階層のマンションだった。
エントランスまで来ると、そこは療養型のマンションであることがわかった。つまり、何らかの病後、一人でもその回復期を過ごせるようにした、介護付きの施設である。
このマンションには、毎日看護婦が巡回し、食事や身の回りの世話なども、専門で行うスタッフが揃っているらしい。
(沖田艦長は、ここで体の回復を待たれていたのね)
雪は、住所に示された番号の部屋のキーを押して、沖田を呼び出した。沖田はすぐに対応し、エントランスの扉は開いた。
雪はエレベータに乗って3階まで上がった。301号室、そこが沖田十三の部屋だった。
雪が部屋のドアホンを押すと、すぐにドアが開いた。そして……そこには、あの懐かしい沖田十三が立っていた。
「よくきたな、雪」
にこりと笑う姿は、少しやせたようにも見えたが、間違いなく沖田十三その人だった。
「沖田……かん……ちょう」
雪の瞳からじわりと涙が沸いてきた。感極まって声が上ずってくる。沖田はそんな雪をやさしげな眼差しで見つめ、そして言った。
「さあ、入りなさい」
(12)
応接間らしき部屋に案内された雪は、勧められたソファーに座る。沖田もその前にゆっくりと腰を下ろした。
雪はまず仕事をと、司令長官から預かった書類を手渡した。彼はその中身をゆっくりと確認してから、静かに言った。
「もう、一刻の猶予もできないらしいな……」
「はい…… あの、それでヤマトのことで何か不明なことがあったら、知らせて欲しいと、長官からの伝言なんですが」
「いや、詳しい資料を貰って読んだ。直接見て確認せねばならんことは数点あるが、それ以外は大丈夫だ。ヤマトも随分改良されたようだな。さすが真田君だ」
「……はい……」
雪は微かに笑みを浮かべて答えた。その後、二人の間に沈黙が流れた。もう、これだけのことを伝え必要な物を渡したことで、雪の本来の目的は達成された。
このままいとまごいをしてもいいのだが、立ち去り難い感情が雪の中で渦巻いていた。
聞きたいこともたくさんあるし、聞いてほしいことも……たくさん……あった。だが、何をどこから話したらよいのか…… 雪は戸惑っていた。
そんな雪の様子を感じたのだろう。沖田が立ちあがった。
「お茶でもいれよう」
その言葉に、雪がはっとして立ちあがった。
「それなら、私が……」
「いや、いい。すぐだから座っていなさい」
沖田は雪のその行動を制止すると、自分が立って台所に入った。沖田を待つ間、雪は自分の心の中を整理していた。何を聴けばいいのか、何を話せばいいのか…… それを整理しようと試みていた。
(13)
しかし、その整理がつかないうちに、沖田はカップを二つ持って、再び部屋に戻ってきた。
「体に悪いからと、まだコーヒーは飲ませてくれんのでな。日本茶しかないが……」
「いえ、それで結構です……あの……」
「ん?」
沖田は、持ってきたカップを雪の前に置くと、ソファーに座り直し聞くポーズを取った。
「…………」
だが、雪の口から言葉が出てこない。胸が一杯になって涙と言葉が喉に詰まっているような感じだ。それを察したようで、沖田の方が口を開き話し始めた。
「君達はもうずっと前に結婚していると思っていたよ。結婚式の直前の出来事だったらしいな、あの白色彗星の事件は」
「あっ……」
沖田は、ヤマトのことだけではなく、進や雪のこともすべて知っているかのように思えた。
「二人とも随分辛い目に会ってきたのだろう。私は、若い君たちを何も助けてやれず、すまなかったね」
「そんな……」
「私が目を覚ましたのも、ほんの数ヶ月前なのだよ。その時も地球はどうなるかわからない状況だった。君たちは必死に新しい地球探しをしていた頃だ」
「はい……」
雪は頷いた。やはり、沖田は誰かから進たちの辛い戦いの歴史をすべて聞き知っているのだ。そして、さらに雪を驚かせたのは……
「それに……今回のことでも…… 雪、辛かっただろう?」
「えっ?」
「佐渡先生に、全部聞いとるよ。君がこの度ヤマトに乗らなかった理由もな」
雪はここで初めて沖田が彼らのすべてを知っていた理由(わけ)を知った。佐渡は既に沖田と交流していたのだ。
そうか……と雪は思った。佐渡が毎日通っていた患者とは、沖田のことだったのか、と今やっと理解した。
「沖田艦長……!?」
「欲しかったんだろう? 古代との子供…… 結婚するつもりだったんだろう? 今度こそ……」
「わたし……わたし……」
沖田の優しい物言いに、雪は思わずぽろぽろと涙をこぼしていた。雪の想いと悲しみを、彼がすべて知っていてくれることに感動し、きっと彼なら、進の悲しみも苦しみも、誰よりもよくわかってくれるだろうと思った。
そして、その思いを肯定するかのように、沖田は力強く雪を励ますのだった。
「地球は我々が必ず守ろうじゃないか! それに私が役に立つのなら、もう一度ヤマトに乗ろうと思う。今度こそ、君たちには幸せになって貰わないとな」
沖田の笑顔が、雪を温かく包んだ。「はい」と答えたつもりが、口だけ動いて言葉にならず、雪はただ大きく頷くばかりだった。
(14)
だが……進の心はまだ救われていない。彼を立ち直らせるには、この人が必要なのだと、雪は思った。
「古代君は…… 古代君、今回の航海で犠牲者を出したことをとても航海していて、自分の責任を感じて……」
涙を拭いて雪が沖田に訴え始めた。
「沖田艦長、どうか古代君を訪ねてやってくれませんか? そして、話を聞いてあげて、励ましてあげて欲しいんです! 古代君にもう一度やる気を取り戻してもらって、ヤマトに戻ってきてもらいたいんです。お願いします!! 沖田艦長に会って言葉をいただければ古代君だってきっと……」
「…………」
雪の大きく見開いた瞳をしっかりと受け止めるように、沖田はじっとその顔を見据えている。しかし、その表情は、先ほどの優しい眼差しが消え、厳しい顔に変わっていた。
「沖田艦長!!」
何も答えない沖田に号を煮やして、雪がもう一度訴えた。その声にやっと沖田は反応を示した。睨んでいるような顔をやめ、視線を雪から外すと、静かに言った。
「……それは……古代の問題だ」
(15)
意外な返答が帰ってきた。沖田は進のことを見捨てるとでも言うのだろうか? 今さっき二人には幸せになってもらいたいといっていたその沖田が……? 雪には納得できなかった。
「でも……」
「あの男も、今までの戦いの中で、苦しみ、戦い、そして学んできたはずだ。その答えが辞表と言う形で現れたというのなら、それは本人の意志なのだろう。確かに艦長としてのけじめとしては、それもいいと思う」
沖田は、静かな口調で語った。確かに理屈としてはあっているのかもしれない。
しかし、それでは余りにも冷たいのではないか。それになによりも、今、ヤマトは再び立ち上がらなければならないのだ。
その時に進がいないということなど、雪には考えられなかった。
「でもヤマトがまた立つっていうのに、古代君はヤマトを降りてしまって……」
「自ら選択したことだ」
沖田の口から出る言葉は、相変わらずの柔らかい口調にもかかわらず、その中身は、雪にはひどく冷たく感じられた。
「どうして……? きっかけがあれば、彼だってきっと戻ってくると思うんです。でも、自分からヤマトを降りるって辞表を出した彼が、今更どんな顔をしてヤマトに戻って来ればいいんですか! だから、沖田艦長から、古代君が必要だって一言言っていただければ彼だって……」
「救いの手を差し延べてやれと?」
沖田が首を傾げて、同情するような顔を見せた。その顔に一縷の希望を込めて雪が尋ねる。
「だめ……ですか?」
「だめだ……」
「なっ! どうしてっ!!」
「古代もヤマトの艦長を務めた男だ。責任も感じているだろう、プライドもあるだろう。確かに今更ヤマトに戻るとは言えないかもしれない」
「じゃあ……」
押し問答が続いた。沖田は進に自らの手を差し延べるとは、決して言わなかった。しかし……
(16)
沖田はどっかりとソファーに座りなおすと、目を閉じ、そして開けた。
「それでも……あいつが本当にヤマトに戻りたいと思えば、恥も外聞も何もかもうっちゃってでも戻ってくるだろう。だが、それはあくまでも彼の意志でなければならないのだよ、雪。人にひっぱりこんでもらうのではなく、な」
「彼の……意志で……?」
雪はやっと、沖田の思いの真意をわずかに感じ取った。
「そうだ。ヤマトも待っているんだよ。古代が自分の足でヤマトに帰ってくることをな」
「沖田……艦長……」
沖田は決して進を突き放したわけではなかった。彼がひとりの男として、丸裸になってもう一度ヤマトに戻ることを、彼は黙って待っているのだ。艦長だなんだという責任や肩書きなど投げ捨ててでも、ヤマトとありたいという思いが、彼の中で生まれてくるのを、沖田は待っているのだ。
「古代進は、こんなことで人生に背を向けるような男ではあるまい。それは君が一番よく知っているんじゃないかね?」
「はい……」
雪は静かに頷いた。古代進を支えるということは、ただ優しく包み守ることだけではない。時には突き放す事も必要だと、沖田は言いたかったのだ。
「古代には、地球の事情もヤマトのこともこちらからは伝えるな。古代が知ろうとするのを待つんだ。今の心の闇に打ち勝って、再び立ちあがろうとする気持ちが沸くのを……待つのだ。古代が必ず帰ってくると信じて。いいね、雪」
沖田の力強い声に、雪はもう一度こっくりと頷いた。彼はきっとヤマトに戻ってきてくれる。それを信じることができる、雪は心からそう思った。
ヤマトは、沖田を艦長に迎え再び臨戦体制に入った。発進の準備も着々と進んでいる。
後は、古代進の帰りを待つばかりだった。
Chapter10 終了
(背景:Atelier Paprika)