決意−あなたとともに−
−Chapter 11−
(1)
沖田に艦長を依頼してから数日の間、沖田は司令本部へ当庁することはなく、もっぱらTV電話を通じて打ち合せが進められた。諸派の理由から、雪と限られた参謀以外には、沖田のヤマト艦長就任の事実は固く守秘されていた。
敵の来襲は、その間もじわじわと地球艦隊を侵し続け、地球上への侵攻も近いと見られている。今また、ヤマトの発進は地球防衛軍にとって、最後の望みの綱になりつつあった。
ヤマトの発進準備の手配と司令本部の業務の両方の処理をする雪は、多忙を極めた。
しかし、それでも朝晩の進の病室の訪問だけは続けている。沖田の生存について、佐渡に尋ねてみたかったが、雪が訪れる朝晩には出勤しておらず、会うことはかなわなかった。
もちろん、長官と沖田から固く禁じられた為、進には沖田の生存を伝えることもできずにいた。
沖田が言ったように、雪も進へ厳しい態度で臨もうと思った。彼は今、地球が水没するかもしれない事も、敵艦隊に攻撃されようとしていることも全く知らない。知ろうとしない彼に、雪は自分から教える事はしなかった。こちらから情報を与える事を一切すまいと決めたのだ。
しかし、進はその後も変わらず、ほとんどを沈黙のまま過ごしていた。雪の問いに対して短い返答をするだけで、世間の情勢に興味を持つこともなかった。
雪の心には、苛立ちが芽生え始めていた。
(古代君は、本当に自分の力でヤマトに戻ろうとするのかしら? 今の地球の情勢すら知ろうともしない……)
(2)
しかし、雪が進の復活に疑問を感じ始めた時、わずかな希望を綾乃から聞く事ができた。
進の体は間違いなく回復してきている。その証拠に、雪には決して見せなかったが、進が自分の体力回復のために密かに運動を始めたことを、綾乃から聞いたのだ。
「古代さん、ほとんど体の方いいみたいなのよ。部屋から出るのも禁止されていないし。でも、全然出ようとしないけどね……
本当は、もう古代さん退院してもいいみたいなの。でも……佐渡先生が本人が言い出すまでほおっておけって……」
「そう……」
「やっぱりこの前の航海のことで、精神的なダメージが大きいのかしらね」
「ええ…… でも、佐渡先生はきっと自分で立ち直るのを待ってらっしゃるのよ」
沖田の意向を佐渡も汲んでいるのだろう。差し延べたい手を必死に抑えているに違いない。雪と同じように。
「そうね、でもねっ、昨日私が入っていったら慌ててやめたんだけど、彼、ベッドの上で腹筋してたみたいよ。他の看護婦の人にも聞いてみたら、腕立て伏せをしてるのを見かけたって言ってたわ」
「まあ、そうなの? よかったわ」
進のわずかな変化を、雪は心から喜んだ。笑顔になる雪に、今度は綾乃が質問をした。
「ヤマト……また発進するんでしょう?」
「あ……ごめんなさい、私はなんとも答えられないの。わかって」
ヤマトに関しては詳細は全く世間に明かされていない。わかっているとは思っても、雪の口から言うことはできないのだ。綾乃もそれをすぐに察知した。
「あっ、そうね……ごめんなさい。でも、雪も古代さんも、それに島さんも……頑張ってね。ヤマトと一緒に、地球のためにきっと勝って来てね」
「……」
雪は、肯定も否定もせずに、ただ微笑んだ。しかし綾乃には心の中でしっかりと頷く雪の姿が見えていた。
ヤマトの発進に確証を持った綾乃は、安心したように微笑むと、寂しげにこう言った。
「私達はもう地球から出る手段は全部なくなってしまったわ。後は、水没を待つだけ……」
「みんな地下都市に避難することになったんでしょう? 防水設備もあるし、きっと大丈夫よ」
「すごい量の雨が降り注いで何十メートルも水位が上がるのよ。それで、地下都市にも全然水が侵入してこないなんて、そんな上手い具合に行くかどうかわからないわ」
第一次の避難船団が敵艦隊に攻撃されてから、避難船は出航できずにいた。そして最悪の場合は地下都市へ避難することが、地球政府によって発表されていた。しかし、地下都市の対防水機能が果たしてどれだけの機能が働くのかは、未知の部分もあった。
「……綾乃」
当惑顔の雪を見て、今度は綾乃はくすくすと笑い出した。
「あっ、うふふ…… いいのよ、雪。あなたに恨み言を言ってるんじゃないの。私達は信じてる。ヤマトがきっと……地球を守ってくれることを」
「ええ……」
「島さんのことも……お願い、ねっ!! 絶対みんな無事に帰ってきてね!!」
「わかってるわ、綾乃」
綾乃の言葉は、全地球市民の言葉だった。ヤマトは再び、地球のすべての命を背負う事になるのだ。だからこそ、進にはヤマトに戻ってもらわなければならない。
(古代君、お願いよ!! 早く、元のあなたに戻って…… ヤマトに帰ってきて!)
(3)
誰もいない病室で腕立て伏せをしながら、進は自分がどうしてこんなことをしてるのかよくわからなかった。こんなことをしてどうなるわけでもないのに、体が自然と動いている。
地球に戻って意識を取り戻した直後は、本当に落ち込んでいた。何もかも嫌になって、自分が生きていることすら疎ましく思えたほどだった。雪の心遣いは、嬉しくもあったが、鬱陶しく感じたことも事実だった。
今までの人生の中で、じっと寝ていることなどほとんどなかった。ヤマトの中で怪我をした時は、いつもぎりぎりの緊迫した状況にいた。だから、治るか治らないかのうちにベッドから抜け出し、戦闘の指揮を取らざるを得なかったのだ。
しかし……今は、そんな心配もいらない。回復して何をする、というものでもない。ヤマトの艦長は……辞任してしまったのだから。
(あれから雪は何も言わないが、それはつまり、辞表が受理されたということなんだろうな。ヤマト艦長の辞表は、そのまま地球防衛軍への辞表として受理されてしまうのだろうか。いや、ヤマトに乗れないのなら、いっそのこと、その方がいいのかもしれない。
だがヤマトを離れて、俺はこれからどうすればいいのだろう? 俺にはもう……何も残っていない。こんな俺を見たら、雪だってもう……)
失いたくないものばかりなのに、それに自ら背を向けてしまう自分を、進はどうしていいかわからなかった。
しかし一方で、体が回復してくるにつれ、じっとしていられなくなってくる自分も感じていた。かといって、この航海での自分の責任を捨てきれるものでもない。
結局、何をしていいのかわからず、ほとんど無意識に基礎体力維持のために動いているのだった。
それに、最近気がついたのだが、院内の雰囲気がなぜかひどく緊迫しているように感じられた。看護婦達は何でもないと言うし、テレビもまだ見てはいけないと止められていた。
進には地球の現状を極力知らせないように、という佐渡の指示が看護婦たちに出されていた。しかし、そんなことを彼が知る由もなかった。
もちろん、進の方も、どうしても知りたければなんとでもしようがあったのだが、そこまでする気力もやる気もなかった。今までは……
今までは……? ならば、これからは?
(辞表を出してからも、雪は何もいわない…… あんなに投げやりな自分を見せて、彼女はもう俺に嫌気がさしたのではないのだろうか)
しかし、雪は文句一つ言わず、黙々と進の世話をし続けていた。自分のふがいなさを、彼女がもっとなじるのではないかと、進は思ったが、それもなかった。
(夕日の中で彼女にプロポーズし、沈んでも必ず復活すると宣言したはずの自分だったのに……)
進の心に漫然と、現状の自分の姿への不満が沸き上がりつつあった。
(4)
そして9月20日の夜、とうとうヤマトの発進が明後日22日の朝8時に決定した。それはさっそく、ヤマト艦内にいる乗組員にも伝えられた。
島、真田両副長が司令本部に呼び出され、進の艦長辞任の知らせを受けた。しかし、新艦長の人事については伏せられたままだった。
「新艦長は出発日に発表する。それまでは古代前艦長の辞任も発表せぬように。君達は、これからも副長として新艦長を補佐を頼む」
藤堂は目前に憮然として立つ二人に、こう指示した。
「しかし……古代がたとえ艦長を辞したとしても、ヤマトへ復帰させて貰えないのでしょうか? 戦闘班長としてでも……」
島が後には引けないといった固い表情で、藤堂に迫った。
「戦闘班長の人事は未定だ。新艦長に一任している。古代にもし、ヤマトに戻りたい意志があるのなら、私はそれを妨げはしない。後は新艦長にすべてをゆだねるしかない。新艦長は……君達の期待を裏切るような人物ではない事だけは、私が保証する」
藤堂が有無を言わさぬ口調で断言した。
「わかりました……」
二人は姿勢を正すと、藤堂に敬礼した。島も真田も、今は藤堂を信じ進を信じるしかなかった。
(5)
二人の副長と入れ違いに、所用から帰ってきた雪は、長官からヤマト発進決定を告げられた。
「ヤマト発進命令を発令した。明後日の朝8時の出発だ。君にも、生活班長として乗艦を命じる」
「はいっ!」
雪は姿勢を正して長官の命令を受ける。そして、嬉しそうに尋ねた。
「それじゃあ、艦長ももう発表に?」
「いや、それはまだだ。副長達にも伝えていない」
「えっ!? どうしてですか?」
「沖田君の希望なのだ。発進の朝まで誰にも知らせないで欲しいと……」
期待していたことがかなわず雪の顔色が曇る。そして気になるのは進のことだ。
「じゃあ、古代くんには……?」
「古代にももちろん伝えていない」
「それじゃあ、古代くんはもう……ヤマトに乗れないんですか? 発進の連絡は?」
「彼は、ヤマト艦長を辞任した。ヤマトを降りた人間に、伝える必要はないだろう」
「そんなっ!?」
沖田が黙って待ってようとも、雪が一生懸命後押ししようとも、司令本部からの乗艦命令も得られなければ、進はヤマトに戻ることができない。しかし、それは藤堂の言葉で覆された。
「が、地球防衛軍を退役するとは聞いていないぞ。そうだな?」
「ええっ! そうです!!」
雪の顔がぱっと明るくなった。期待するように、瞳に光が戻る。
「古代進の進退は、沖田君に一任している。ヤマトの戦闘班長は補充していない。未着任のままだ。もちろんそれは……」
と言葉を止めて、藤堂がニッコリと笑った。
「……長官!」
「沖田君もヤマトも彼が戻って来るのを待ってるのだよ、雪」
「はい……」
藤堂も沖田と同じ気持ちで、進の復帰を待っているのだ。それを聞いて雪は安心した。
その夜、ヤマトの発進に関する様々な準備のため、深夜近くまで残業した雪は、進の病室を訪れることができなかった。
(6)
翌朝、雪は昨夜行けなかったこともあって、いつもより随分早く病院を訪れた。
今日まで雪は進にヤマトのことを伝えようかどうしようか迷い続けていた。しかし、進が頑な態度のままのため、それもできずにいた。
(今日まで黙ってずっと待ってきたけれど……もう待てない。ヤマトは明日発進する。今日こそ、古代君になんとかここを出たいと思わせたい……)
「古代君にヤマトに帰って欲しいのは、みんな同じ気持ちなのよ」
雪は自分を発奮させようと、廊下を歩きながらそう呟いた。
雪が病室に入ると、進がちょうどベッドから降りて腕立て伏せをしているところに、遭遇してしまった。
今まで進は雪には決してそんな姿の片鱗も見せる事はなかった。いつも雪がやってくる時間より遥かに早かったため、まだ来るとは思っていなかったのだろう。
「古代くん……!?」
「あ……」
進は、雪の姿を見ると腕立て伏せをやめ、慌ててベッドに潜り込んだ。進のそんな様子は、綾乃から聞いていた。彼が体力回復に努めていることに驚きはなかったが、わざと嬉しそうに驚いてみせた。
「古代くん! 随分元気になったのね!!」
「なんの……ことだ?」
「今、運動してたんでしょう?」
「体がだるくて……ちょっと動いてみただけだ……」
「そう…… それであなた、これからどうするつもりなの? もう退院してもいい頃なんじゃないの? 先生に聞いてみたの?」
「いや……別に……」
やっぱりまだ彼は……だめなんだろうか。そう思うと情けなくて涙が溢れそうになる。
(このままこの鬱積した思いを思いっきり爆発させて、彼をなじってみようか? そうすれば、彼も気が付くかもしれない。でも……)
沖田は、進が自らの意志で、この病室から出ていこうとする気持ちを大事にしたいと言っていた。彼自身の意志で、ヤマトに戻ってこなければ意味がないと……
雪はそう思い直すと、自分の爆発しそうな感情をなんとか押し留めた。そして、進の寝ている横に腰を下ろして、進をじっと見た。進は、雪のそんなまっすぐな視線を受け止めきれずに、わずかに視線をそらせた。
雪はふうっと小さくため息をつくと、静かにこう言った。
「古代君…… 私、しばらくここに来れないと思うわ(私、ヤマトに乗るの!)」
静かな口調の奥で、心の中のもうひとりの雪が、大声で叫んでいた。
「えっ?」
進が雪の突然の告白にはっとする。雪の目が微かに揺れる。
「早く……元気になってね……(古代君!! 気付いて!)」
「どこか出張でも?」
「……そうね、ちょっと……宇宙まで(未知の敵と戦うのよ! 水惑星のワープを止めなくちゃならないの!でないと地球は水没してしまうの!!)」
雪の目にじわりと涙が浮かんでいた。さすがの進も、雪の様子が普通でない事を察した。
「宇宙!? って、それはどういう?」
しかし、雪はもうそれ以上進の顔を見ていられなかった。大声で泣き出して、訴えてしまいそうになるから。
(古代君、わかって!! 今、地球に何が起ろうとしているのか、知ろうとしてちょうだい!!)
「それじゃあ、古代君。私、仕事があるから……(古代君、愛してるわ。だから私の思いを感じ取って……お願い!)」
「あっ、雪っ! ちょっと……」
ベッドから半身を起こした進の差し出す手を払いのけるようにして、雪は病室を小走りに駆け出していった。
「雪っ!!!」
今、何かが起りつつあることを、進ははっきりと感じ取っていた。
(7)
雪が出ていったドアをじっと見つめながら、進は呆然としていた。
(雪のあの態度は何だったんだ? 何かが起っている!? 地球は……一体どうしたっていうんだ?)
進は今まで見る気にもなれなかったテレビを見た。枕もとに置かれたままになっていたリモコンを掴むとスイッチボタンを押した。しかし、テレビはつかなかった。
(電源……入っていないのか?)
佐渡からは疲れるからテレビは見ないようにと言われていた。今まではその指示に従っていたと言うか、自分自身見る気にもなっていなかった。
進はよろよろと歩きながらテレビの裏側へ回ってみた。やはりコンセントが抜かれたままになっていた。それを壁にある口に挿しこみながら、進はさっきの雪の態度を再び思い出していた。
(今日の彼女の言葉の一つ一つに何か言外の意味が込められていたように思ったのは錯覚だったのだろうか? それとも……?)
再びベッドに戻ると、進はテレビの電源を入れた。
(8)
テレビに現れ出たのは、切迫した表情のアナウンサーの姿だった。
『6日前から突然現れた未知の敵艦隊は、各惑星基地を攻撃沈黙させ、既に火星圏まで制圧しています。地球艦隊も必死の抵抗を続けていますが、劣勢は否めず、いつ地球本土に侵攻してくるか予断を許さない状況です。地球市民の皆様、いつでも地下都市へ避難できるよう、準備をしてください』
そんな前置きとともに、各宇宙域での戦闘の映像や破壊された基地の映像が次々に映し出された。
「な、なにっ!? こ、これは……一体どう言うことなんだ!! 何がどうなっているんだ!」
進は食い入るようにテレビ画面を見つめた。テレビでは延々とこれらの映像を流し続け、進はそれをずっと見つづけた。
さらにテレビでは、アクエリアスの映像もアップで紹介し、この水惑星も一日一度のワープを繰り返しながら、地球に迫り来ることも報じていた。
(俺がここで寝ている間に、地球は大変な事になっていたのか!? だが、雪は、どうしてなにも言わなかったんだろう)
しかし、雪が何かを言えるような雰囲気でなかった事は、進自身が一番よくわかっていた。
(雪はまた……一人で苦しんでいたのか…… 俺一人が辛い思いをしているつもりになっていた、その間にも……)
進は、地球に帰ってきてから初めて、雪の苦労を心から思いやる気持ちが湧き上がってきた。
(9)
しかし、そんな進に追い討ちをかけるように、さらに緊迫したニュースが飛びこんできた。
『緊急警報です! ただいま入りました情報によりますと、各惑星系で地球艦隊を撃破した未知の敵艦隊は、月軌道を先ほど通過。まもなく地球に到達する予定です。
敵艦隊の目的地点は、アジア方面。地球連邦首都東京メガロポリスを中心にアジア地区の住民は至急地下都市へ避難してください!!』
絶叫に近い声で叫ぶアナウンサーにその緊迫の度合いが強く感じられた。とほぼ同時に、画面が地球の基地の映像に切り替わった。
雲の彼方から無数の艦載機が飛び出して来て、基地を攻撃し始めたのだ。突然の奇襲を受け、基地の応戦体制は全く不充分だった。瞬く間に地上の迎撃砲が破壊され、基地にも爆撃を受け、あちこちで爆発が起った。
滑走路にミサイルを投下され、停泊中の戦艦、艦載機もあっという間に灰燼と化してしまっている。
その映像に、進の心に激しい怒りが込みあがる。あれは、ヤマトを攻撃したあの敵に違いない、と確信した。
(くっそぉー!! あの時の連中だな。今度こそヤマトで叩いてやる!!)
進の宇宙戦士魂が一気に爆発し、すぐにでも飛び出す気で、ベッドから飛び起きると、両足を床に付けた。が、その瞬間、進の足が再びピタッと動きを止め、その顔が別の意味で激しく歪んだ。
(そうか、俺はもう……ヤマトを……)
ヤマト艦長は、もう辞めてしまった。ヤマトを降りてしまったのだ。その事実に、進は今初めて愕然とした。自分はもうヤマトへ戻れないのだという当然の結果に、頭を強く殴られたような激しい衝撃を受けた。
(ヤマト…… ヤマト!! 雪は宇宙へ行くと言っていた。ヤマトは発進するのか? 新しい艦長も決まって、ヤマトが立つというのか!? 雪も……島や真田さんたちも……行くというのか!!)
そのヤマトのクルーの一人として、自分が全く数に入れられていない事を、進は今、はっきりと認識した。でなければ、必ず自分にもヤマトへの乗艦命令が出るはずである。
進はベッドに座ったままの姿勢で、ぎりぎりと歯軋りしたい気持ちにさいなまれながら、部屋のドアをじっと見つめていた。
(俺は……このまま、地球で……)
進は、地球が危機に陥り、ヤマトが発進するという時になって初めて、自分が提出した辞表の本当の意味を認識したのだ。
ヤマトを捨てた古代進は、もう……古代進で有り得ない、と言うことを。それは、自らの存在自体を否定してしまったと言うことを。
どんなに辛い思いをしようとも、自分からヤマトを降りてしまってはいけなかったことを……
(俺はなんていうことをしてしまったんだろう……)
しかし提出された辞表は明らかに有効であり、間違いのない事実として、進の前に立ちはだかっていた。
(10)
艦載機による攻撃は執拗に繰り返され、市街地への砲撃が始まったらしい。病室にいても、屋外で艦載機の音が遠く響いているのがわかった。院内も騒がしくなってきた。そして艦内放送が流れた。
「入院患者の方々にお伝えします。ただいま、東京が攻撃を受けています。患者の皆様は直ちに地下都市へ避難していただきます。ご自分で歩ける方は着替えを済ませ、ナースステーション前にお集まりください。歩行困難な方はまもなく看護婦が迎えに行きます。こちらへ直接、攻撃は受けていません。時間はまだあります。皆様、落ち着いて行動してください」
進は、まだ自分の取るべき行動を決めかねながらも、立ちあがり、着替えを取る為ロッカーのドアを開けた。
そこにかかっていたのは……ヤマトの艦内服一式だった。
(これは……ヤマトの制服!)
他の着替えは全く入っていない。進はすぐに雪の仕業だと思った。
もし進が今の地球の情況を知ったときは、必ずヤマトを思い出す、ヤマトに行こうとするに違いない、と思ってのことだろう。いや、そう思いたかったのかもしれない。
実際、進はその制服を見て、そんな自分の気持ちをはっきりと認識した。
(雪…… 君の気持ちが伝わってくるよ。ありがとう、そしてごめん。俺は君にどうやって謝ったらいいかわからない。ヤマトにもう一度戻れるかどうかもわからない。けど……俺は今、ヤマトに会いたい。行くよ!ヤマトへ……)
進はその制服に身を通すと、ヤマトに乗れるすべもわからぬまま、とにかくヤマトの元へ行きたいという思いだけに駆られて、病室を出た。
(11)
病院の廊下は、ごった返していた。病人を乗せたストレッチャーがガラガラと音を立てて押されていく。進は、その邪魔をしないように、隅の方を玄関に向って歩いていった。
外科病棟のナースステーション前まで来ると、避難のために病人たちが大勢集まっていた。もちろん、進は避難するつもりは毛頭ない。そのまま素通りしようとした時、後ろから声がかかった。
「古代さん!」
その声に振り返ると、そこには綾乃が立っていた。
「佐伯さん…… 僕は……」
避難しないのか?と聞かれるかと思って、進は口篭もる。しかし、綾乃はにこりと笑って頷いた。
「わかってます。ヤマトに乗られるんでしょう?」
「……いや」
進は自嘲気味に否定した。と言って、自分がヤマトを降りたなどと説明する気にもなれなかった。が、綾乃は別の意味に受け取ったようだった。
「あ、ごめんなさい。言えないんでしたね、雪にもそう言われたのに…… でも……頑張って来て下さい! 古代さんは退院ですね! 佐渡先生からは、古代さんが退院したいって言われたら、すぐに退院OKだって伺ってましたから」
「あ……」
やはりヤマトが近いうちに発進するのだ、と進は確信した。そして、雪も乗るつもりでいることも。さらに、佐渡も進のこの行動を見越していたと言うことも……
「どうか……みなさん、ご無事で」
綾乃が切ない送別の言葉を告げた。進はそれには何も答えず、ただ頷いて、一人また歩き始めた。
(12)
病院の玄関を出ると、進は空を見上げた。遠方で空の彼方へ飛び去って行く艦載機の連隊を見つけた。
(宇宙へ戻って行くのか?)
地上に目を向けると、市街地の数カ所で煙が上がっているが、被害はそれほど大きくないように見える。しかし、海岸沿いのコスモエアポート付近が最も激しく燃え上がっていた。
(あの様子では、恐らくエアポートは破壊されてしまったに違いない)
進は、アクエリアスがワープして接近していると言うニュースも報じられていた事を思い出した。
(敵の狙いは、宇宙船の破壊なのか…… やっぱり人類を地球から脱出させないつもりなんだな!)
そして、ヤマトが遭遇したあの惑星の洪水の光景が、進の目の奥に鮮やかに甦ってきた。
(あれと同じ事を地球にも起そうとしているのか?)
あの水惑星が地球に接近すれば、地球はあの星と同じ運命をたどる事になる。それを阻止しなければ!! それができるのは……? 進には、やはりヤマトしか考えられなかった。
(とりあえず、ヤマトに…… ヤマトはどこだ? 海底ドックか?)
英雄の丘の地下に作られた海底秘密ドック。敵に見つからず傷ついたヤマトを修復しているとしたら、恐らくそこに間違いないはずだ、と思った。
進は、英雄の丘に向ってその足取りを早めていった。
(13)
一方、進の部屋を飛び出した雪は、その足で司令本部へ向った。司令本部は今日も騒然としていた。
雪は、ヤマトに乗る前の最後の一日を長官秘書として精一杯頑張ろうと、心に誓う。しかし、仕事の合間に思い出されるのは、進のことばかりだった。
(古代君に……私の思いが伝わったかしら。あと24時間でヤマトは発進する…… もし古代君が間に合わなければどうしよう…… いいえ! きっと彼は気付いてくれる!! きっと……)
ただひたすら祈るようなそんな気持ちが繰り返し沸きあがり、雪の心を締めつけた。
(いけないっ! 今はここの仕事を第一に考えなくちゃ)
雪は再び目の前の業務に集中しようとした。そして、地球決戦に備えての迎撃体制の最終確認を、長官や参謀達と始めたその時だった。
「敵艦隊が月軌道上にワープして現れました!!巨大空母です! あっ、多数の艦載機を発見! 地球に向って飛んできます!!」
前方の巨大スクリーンを睨んでいた通信士が、大きな声で叫び、本部内に非常警報が響き渡った。
「なんだとっ!大至急第1級迎撃体制へ!!」
藤堂が大声で命じる。しかし、予測していたはずの地球への敵来襲のはずが、一瞬の隙を付かれ、防衛軍側は後手に回るはめになった。
そして…… あっという間に迎撃砲が破壊され、エアポートを中心とした防衛軍の建設物が破壊された。わずかに残っていた宇宙船も狙い撃ちされ、ことごとく破壊されていく。圧倒的優位に立つ敵の攻撃に、地球側はなすすべもなく、再び地球防衛軍の守備の甘さを露呈することになってしまった。
幸い、彼らは人類の地球脱出を不可能にすることだけが目的だったらしい。敵艦載機は、市街地にはほとんど被害をもたらすことなく、意気揚揚と引き上げて行った。
既に大量の宇宙船を破壊された地球防衛軍は、地球決戦の為、ここ東京に残りわずかな戦艦を集結させていた。それが破壊され、地球にはもう満足な戦艦はほとんど残っていなかった。
「なんということだ…… もう、我々には月面基地に残る駆逐艦8隻と巡洋艦が1隻、そしてヤマトだけになってしまった……」
参謀長が絶望に満ちた声でつぶやいた。
「いや、我々にはヤマトが残っている。参謀長、ヤマトと言う希望がな!」
司令長官藤堂の声が、意気消沈した部屋の中で静かに響き渡った。それに呼応するように、「おおっ!」「そうだ」「ヤマトだ!」と言う声が小さくあちこちで上がった。
その熱き思いを、雪は心にしっかりと受け取り、そして進にも届くようにと祈った。
(14)
雪は、敵艦載機の地球離脱を確認して、ほっと安心すると、今度は再び進の事が気になり始めた。
(よかったわ、市街地にはあまり被害がなかったみたい。横浜のパパやママのところは大丈夫よね。古代君はどうしたかしら? この攻撃は病院からも見えていたはず。いえ、きっと避難警報がでているはずだわ……)
そんな心配する思いが届いたかのように、雪宛に電話が入った。
「森さん、連邦中央病院の佐伯さんから電話が入っていますが……」
別の秘書から声がかかった。
「はいっ! 今、でます…… あっ、綾乃?」
『雪! 時間がないから手短に言うわね。私達はみんな地下都市に避難して無事よ。それから、古代さんは行ったわ!ヤマトに……』
「えっ?ヤマト!? 彼がそう言ったの?」
雪の電話を持つ手と声が震え始めた。進がヤマトに向ったと言う。本当なのだろうか? 祈るような思いでもう一度聞き直した。
『ううん、彼の口からは…… でも、私がそう言ったら、黙って頷いてたわ。ヤマトの制服着てたし、間違いないわよ! だって他にどこに行くって言うの!』
そう、綾乃の言うとおりだった。進がこの地球の窮地を知ったのだ。そして、彼は……それを打破する為に、ヤマトに向ったに違いない。病院のロッカーにはヤマトの制服しか入っていない。あれに袖を通せば、彼は必ずヤマトに行くはずだと、雪は信じていたから。
「そう……ね…… 綾乃、ありがとう」
込み上げる思いに言葉を詰まらせながらも、雪はやっとそれだけを答えた。
『じゃあ、これで…… 頑張ってね』
電話は切れた。そして、雪の目からとめどなく大粒の涙が溢れてきた。
(古代君……!!)
雪は、電話を切った。そして、その手は受話器をつかんだまま、空いた手で顔を覆い嗚咽し始めた。その様子を心配して、藤堂が声をかけた。
「どうした、雪? 誰かに何かあったのか?」
「いえ……違うんです……古代君が……古代君が……たぶん、ヤマトへ向ったって……」
「そうか!! よかったな、雪。古代もこれでもう大丈夫だ。ヤマトはきっと勝てる」
「は……い……」
詰まる声で頷く雪の両肩に、長官はその手を置いた。
「ここはもういいから、ヤマトへ行きなさい。もし古代がまだ躊躇するようならば、そっと背中を押してやるのだぞ」
「長官……」
「沖田君は今日の午後には極秘でヤマトに乗りこむ予定だ。私も明朝はそちらに行き、新艦長を皆に紹介する。それから、雪、君も朝は一旦こっちに出てきてくれ。一緒にヤマトへ行こう」
「はいっ!!」
雪は、まだ涙で潤んだ目をしていたが、顔中をほころばせて頷くと、一礼して本部を出て行った。
(古代君!! もう……今度こそ、絶対そばを離れない!ずっと一緒よ。ヤマトで……一緒に最後まで戦うのよ!)
雪は、核恒星系からヤマトと進が傷つき戻って来てからずっと自分を苦しめていた重苦しいものが、この時やっと胸の上から取り除かれたような気がした。
そして……ヤマトに戻る事を決めた進の胸に、すぐにでも飛び込みたい…… ヤマトへ向って走る彼女の心には、そんな思いが満ち溢れていた。
(15)
進は今、英雄の丘に立っていた。小高い丘からは都心を一望できる。進はそこにしばしたたずんで、眼下を眺めた。街の所々から上がる黒い煙と赤い炎。その光景が痛みとなって進の胸を突き刺した。
再び、地球が危機に瀕している。これは紛れもない事実であった。人々の僅かな希望が、ヤマトに集まっている事は想像するに難くない。あの綾乃の言葉がそれを表していた。
進はゆっくりと英雄の丘の中央にそびえ立つ沖田の像の前までやってきた。そして見上げる。銅像の沖田は何も言わず、まっすぐに前方を見つめていた。
(沖田艦長…… 僕は……ヤマトの艦長として十分に乗組員たちを守ってやれませんでした。だから……僕はヤマトを降りました。それが、艦長としての責任だと思ったからです。
でも……地球の危機を知ったら、やっぱりヤマトと一緒に戦いたくなりました。艦長!! ヤマトは……仲間たちは……また僕を迎え入れてくれるんでしょうか? 本当に戻ってもいいのでしょうか?)
銅像が何も言うわけではないが、進にはなぜか沖田が自分の後を押してくれているような気がした。
『古代……もう一度ヤマトと対峙してみろ。そして、ヤマトと話してみなさい』
そんな風に言っているように思えた。
進は再びゆっくりと歩き始め、沖田像の下にあるエレベータに乗った。
(16)
エレベータは、あっという間に階下のドックについた。ツゥィーンという音がして、ドアが開くと、すぐ目前にヤマトが見えた。本当に来てもよかったのだろうかという臆する気持ちが再び頭をもたげる。しかし、降り返って戻る気にもなれない。進は意を決して、エレベータを降りた。
ドック入り口には警備兵が立っていた。進が近づくと、身分証を要求された。
(身分証? 持ってきていない!?)
進は一瞬はっとして内ポケットに手を伸ばした。すると、そこにはいつものように、清潔なハンカチと共に自分の身分証が入っていた。進はそれを取り出して警備兵に見せ、中に入った。
病院で着た制服は、もちろん綺麗に洗濯されていた。そして今、気がついたのだが、ポケットの中身は、進がいつも出航の時にセットしている物がすべて入っていた。
(雪……)
雪がどんな思いでこの制服と備品を用意したのかと思うと、胸が締めつけられた。それら一つ一つに雪の思いが込められているような気がして、進の胸は再び熱くなった。さっきの臆しそうな気持ちが大きくなるのを、その熱い思いが押し留めた。
進はまっすぐにヤマトに向って歩いていく。ヤマトはまだ修復の途上らしく、あちこちに修理用の器具が取り付けられ、溶接の火花が上がっていた。
ゆっくりゆっくりとその一歩一歩を確かめるように、進はヤマトに向って行った。ヤマトのそばに戻ってきたと思うと、不思議な安心感があり、また興奮も感じる。体中の血がヤマトの方へと流れて行くような感覚を覚え、その勢いにひっぱられるように、進は少しずつ近づいていく。
ヤマトが目前になって、進はふと立ち止まり、上方を見上げた。ヤマトの中央の艦橋が見える。視線を上へ上へと動かすと、第二艦橋、そしてその上が第一艦橋、さらに上方に艦長室が見えてくる。
そう、ヤマトは何事もなかったかのように、何も変わらず、その姿を進の前に呈していた。
(ヤマト…… 俺はお前に別れを告げてしまった。だが、降りてみて初めてわかった。俺は……お前と一緒にいてこそ、俺だったんだ。
俺は、もう一度戻りたい!! けれど……戻ってもいいのだろうか…… お前もみんなも、もう一度俺を受け入れてくれるのだろうか? ヤマトよ!)
進は、複雑に揺れ続ける気持ちをまとめきれないまま、ヤマト艦内へのタラップに、今、再び一歩、その足を踏み入れた。
Chapter11 終了
(背景:Atelier Paprika)