決意−あなたとともに−

−Chapter 4−

 (1)

 佐渡が手持ち無沙汰に医務室の椅子に座り、一升瓶をぐいっとあおった時、ドアの開く音がした。代わりの医者が着いたのかと見ると、そこには進が立っていた。

 「古代か…… 来たのか?代わりの医師が」

 「いえ、まだ……」

 小さな声でそう答えた進は、眉をしかめたまま佐渡の顔をじっと見た。

 「どうしたんじゃ?そんな深刻な顔をして。まだ雪が乗れないのが不満なんかいな? 乗せたかったんなら、そう言えばよかったんじゃ」

 佐渡が再び酒をぐびっと飲んだ。佐渡はそれ以上何も言わない。進には、佐渡が自分の視線を外しているように思えてくる。しばらく沈黙が続いたが、進が意を決したように尋ねた。

 「……佐渡先生、雪は本当に仕事で乗れないんですか?」

 「ん?」

 佐渡の顔が進の方を向いた。何を言い出そうとしているのか、探るように進を見る。

 「もしかして……」

 そこで進は一旦言葉を止めて、佐渡の反応を見た。佐渡はゆっくりと顔を壁の方に向けたが、顔色は変えず黙っている。目が少し動いているように見えた。それが進の憶測を肯定しているような気がして、進は言葉を続けた。

 「雪は……何か病気なんですか?」

 (2)

 進がそこまで言うと、佐渡が顔を上げ進を見た。

 「そんなこたぁ聞いとらんぞ……」

 佐渡の顔に動揺はなかった。全くいつもと変わらぬとぼけた顔だ。
 進の想像が正解に到達していなかった。しかし、その事に佐渡が心中で安堵の息を吐いた事を、進は知るよしもなかった。さらに進が食い下がって尋ねる。

 「ですが…… 雪は、今朝まで仕事のことなんか一言も言ってなかったんですよ! ヤマトが発進するって決まってから急に顔色が悪くなって、その上、佐渡先生を迎えに行って帰ってきたら、突然、仕事があるからヤマトに乗れないだなんて、変じゃないですか!」

 「だから、雪は病気だと思ったんかいな」

 佐渡の顔に微かな笑みが浮かんだ。

 「雪は自分が重い病気か何かじゃないかと疑ってて、でも僕には言えなくてずっと隠してて……その上、僕がヤマトで出航するとなったら、もっと話せなくなって……思い詰めて、佐渡先生に相談したらやっぱりそうで……ヤマト乗艦を反対されたんじゃないかって」

 進の情けないような真剣な眼差しとは逆に、佐渡の目はどんどん明るく輝き出した。

 (この男、いい線ついとるのになあ。もう一歩のところで間違えおって……)

 そう思うと、佐渡は可笑しくてたまらなかった。雪の態度の異常について気付いた事は誉めてやりたいような気がしたが、的外れな憶測に思わず笑いが出てしまった。

 「……古代…… わっははは……」

 「なっ、笑い事じゃないでしょう! 僕は本気で心配してるんですよ!」

 佐渡がげらげらと笑い出したので、進はさらにムッとした。

 「あはは……ああ、いやぁ、すまんすまん。あんまりとっぴな事をお前さんが真剣に言うもんで…… 心配するな、古代。わしが保証してやる。雪はど〜っこも悪くない!健康そのものじゃ。そんな心配は露ともいらん!」

 佐渡に自分の心配をあっさりと否定されて、進はポカンと口をあけた。

 「…………本当……なんですね? まちがいなく?」

 「わしは嘘はつかんぞ。もう一度言うが、雪の体はどっこも悪くない。健康じゃ」

 佐渡はまだ笑いたいのを堪えながら、もう一度念押した。

 (古代、わしゃ嘘はついとらんぞ。雪の体に異常はないかと聞かれたら、ないと言えば嘘になる。じゃが、病気ではないからのう)

 「そうですか…… よかった」

 進は大きく息をはいた。顔の表情が緩む。取り越し苦労だったかと思うと、今度は自分も笑みが漏れてきた。

 (3)

 進の顔に安堵の表情が浮かんだのを見ると、今度は佐渡の方が質問した。

 「のう古代…… それで、お前さんたちは、これからどうするつもりなんじゃ?」

 「これから?……ですか?」

 「そうじゃ、ずっと延期にしっぱなしにしては、そろそろみんな痺れを切らしとるんじゃよ」

 「あ……ああ、そのことですか……」

 初め佐渡が何を言いたいのかわからなかった進も、「延期」の言葉で理解した。理解すると、今度は恥ずかしくなる。

 「どうなんじゃ、ん? もう一緒に暮らし始めてだいぶんになるじゃろうが。こういうことは女のほうからは言いにくいもんじゃぞ。ましてや、延期を言い出したのはお前なんじゃろう? 雪はああいう娘じゃから、何も言わんのかも知らんが」

 佐渡の説教するような口調に進は苦笑する。もうこういった説教話を何人から聞いただろうか。だが今はもう、相手を満足させられる答えを進は持っていた。

 「それは……そろそろしようと……思ってます。地球に帰ってきたら、きちんとしたいって前々から思っていましたから。この航海から帰ったら、雪のご両親に改めて挨拶に行こうって、二人で決めているんです」

 進のはっきりとした宣言に、佐渡の顔はぱっと明るくなった。

 「おおっ! なあんじゃ、そうかそうか!! はっはっは、よかったよかった。それで安心した。帰ったら.、すぐにそうせえ!! 一日(いちんち)でも早い方がええぞ。なっ! 遅うなったら、いろいろ困ることになるかもしれんでなぁ」

 「は?……はぁ???」

 佐渡の意図する言葉の意味を今一歩理解に苦しむ進であった。結局、佐渡に前祝だと酒を一杯飲まされて進は医務室を後にした。

 (4)

 一方、進から逃げるようにエレベータに乗り、居住区のフロアで降りて歩いていた雪は、自分を落ち着かせようと深呼吸をしながら歩いていた。

 (はあ、古代君にあんな目で見つめられたら…… 本当の事言いそうだったわ。でも、古代君、本当にあれで納得してくれたかしら? してないわよね、きっと…… 引継ぎが終わったら、長居しないでヤマトから降りよう。古代君に説得でもされちゃったら、私降りれなくなっちゃう)

 そして、雪はふと立ち止まると、自分のお腹をそっとなぞってみた。

 (赤ちゃん、本当にあなたはそこにいるの? ねぇ、いるのならそれを早くママに教えて……)

 そんな風に心の中で尋ねていると、体全体が温かくなるような気がした。

 雪がそんな夢想から我に帰り、前を向いて歩き出そうとした時、廊下の向こうから防衛軍の制服を着た背の高い男性が歩いてきた。懐かしい顔……上条諒だった。

 (諒……ちゃん……!)

 あのプロジェクトの後、諒には、会議などで何度か会った。司令本部でも廊下などで会うと、ごく自然に世間話をすることもあった。
 実のところ、進が心配するほど、雪自身はあの時のことにこだわってはいなかった。ただ、進の前で諒の話題を出すと、なんとなく彼が不機嫌になるような気がして、話題にしないようには努めていた。
 相手の諒もどこで出会っても、礼儀正しい態度は常に崩さなかった。男性陣の方が、それなりに後を引きずっていたのかもしれない。

 諒も前方の雪の姿に気付いたようで、にこっと笑顔を浮かべると、足早に近づいてきた。

 「こんにちは、雪さん。お久しぶりですね」

 諒は、あれ以来「雪ちゃん」とは呼ばなくなった。

 「諒ちゃ……あっ、上条さん。ご苦労様です。あの今回の航海の為の装甲のチェックですか?」

 雪もにこりと笑みを返して答えた。諒がヤマトに乗っているのが、なぜかとても不思議な感じがした。
 雪は、ヤマトに対放射能の装甲を施すのを、放射能研究所に依頼したことは知っていた。未知の放射能に対処する為の装甲である。研究所の実質的な最高責任者である副所長の諒が来るのは当然だったのかもしれないが、雪はそのところを失念していた。

 「ええ、今我々に出来得る最高の装甲を施しましたから、相当量の放射能が充満するところに行っても大丈夫ですよ。ご安心してください。
 あ、でももう終わりましたから、今から帰るところです。雪さんはこれから出航の準備ですか?」

 「あ、いえ…… 私、今回は乗らないんです。だから、チーフの方々に引継ぎをしようと思って」

 「えっ? 乗らない? どうして?」

 諒が意外な顔をした。

 「ええ、実は司令本部の方の仕事が手を離せなくて……」

 雪の視線が下に向く。髪を何度もかきあげながら言い訳らしき言葉を吐いた。その雪の様子が気になったのか、諒は黙って雪の顔をまじまじと見た。

 「あ、あの新しいプロジェクトが始まるんです。それに私がコーディネータとして参加することになってて……」

 さっき長官がついた嘘を真似て諒に説明する。しかし、諒は悲しそうな笑みを浮かべ、ふっと息をついた。

 「雪さん…… 嘘ついてますね?」

 突然の諒の指摘に、雪ははっとして諒の顔を見た。

 (5)

 「えっ? ……いえ、別に嘘だなんてそんな……」

 諒にあっさりと自分の嘘を見ぬかれて、雪は慌てた。どうして!?と訴えるような雪の視線を受けて、諒が答えた。

 「僕にはわかるんですよ。雪さんは昔から変わっていないね。子供の時から嘘をつくとき、必ずするある癖があるんです」

 「えっ? どんな……?」

 雪は自分では全然気付いていない。慌てて尋ね返したが、諒は微かに笑うと首を横に振った。

 「言いませんよ。言ってしまったら、今度からしなくなりますからね。あなたの嘘がわからなくなる」

 諒のやさしい視線が雪の瞳の奥を覗き込む。雪はもう何も言えなかった。涙がふわりと沸いてくる。

 「諒ちゃん……私……」

 雪はどう言えばいいのかわからないでいると、諒の方がさらに尋ねた。

 「さっき、古代艦長は一緒に乗るような話をされてましたが、もう話したんですか?乗らないことは……」

 「会ったんですか? 古代君に」

 「はい、立派になられましたね。さすがヤマト艦長だ」

 「ありがとうございます……」

 進の事を誉められるとうれしい。雪は素直にお礼の言葉が出た。それを諒は可笑しそうに受け止める。

 「あはは…… 誉めたのは古代君の方だが……相変わらず仲がよさそうだね」

 「え?……イヤだわ、諒ちゃんったら……」

 雪の顔に赤みがさし、頬がほころんだ。

 (6)

 雪に笑顔が戻ったところで、諒がもう一度聞きなおした。

 「それで古代君はこのことを?」

 「……さっき、長官が一緒に来てプロジェクトの事を彼に伝えてくれました」

 「ふむ…… 長官に言わせたんですか? それなら彼も疑えませんね」

 「言わせただなんて……」

 困った顔で睨む雪の顔を見て、諒は笑い出した。

 「ははは……すみません。しかし、嘘までついてどうして?……古代君に言えない理由でも?」

 諒に詰め寄られて、雪の顔がさらに赤くなった。うつむき加減になったまま、でも答えられずにいる。諒はちょっと考えるようなそぶりをしてから、おもむろに言った。

 「もうすぐ結婚されるんですってね」

 雪が諒のその言葉にはっとして顔を上げた。顔がカーッとなってさらに熱くなる。その姿に諒は、やはり、と思い当たったようだ。

 「はぁん……そう言う事ですか。じゃあ何も古代君に隠すことないんじゃ?」

 諒の憶測は当たっている。雪はすぐに否定しようと思うのだが、諒の自信ありげな目で縛られ、口が開かなかった。
 しばらく黙っていたが、結局は観念して話しだした。

 「まだ……はっきりしないんです……だから、彼には……これから出航する彼には余計な心配をかけたくなくて……」

 「雪さんらしいな。でも、彼もそういうこともきちんと受け止められれる男になっていると僕は思いますがね…… 古代君ね、さっき僕に言いましたよ。もう一度雪さんの幼なじみのお兄ちゃんに戻ってくれないかって」

 「えっ!? 古代君がそんなことを……」

 「彼が過去のわだかまりなく僕に接してくれようとしてるのがありがたかったですよ。それもこれもみんな雪さん、君の事を深く想っているからですね。結婚おめでとう。隣の兄貴としては、妹がいい男を見つけてくれて本当にうれしい」

 諒の心からの祝福の言葉を、雪はとても嬉しく受け止めた。

 「諒ちゃん……ありがとう。でも、今ははっきりしないこともあるし、このことは古代君には黙ってて! ちゃんとわかって、彼が帰ってきたらすぐ話すつもりだから……」

 「わかりました。今の話は聞かなかったことにしますよ。そうですね、この航海はあっという間に終わって、すぐヤマトは帰ってくる。その時の楽しみに取っておくのもいいかもしれないね」

 諒が右目を軽く瞑ってウインクするとニヤリと笑った。その笑いが意味深で雪はまた頬を染めた。

 「ありがとう……」

 「あ、そうそう、古代君にも言ったんですが、今度3人で一緒にご飯でも食べに行きましょう。あ、3人じゃあてられそうですね。僕も誰かかわいい子でも探さないといけないね?」

 「まあ、うふふ……楽しみに待ってるわ」

 「ああ、じゃあ。お先に……」

 そう言うと、諒はエレベータホールの方へ歩いていった。

 (あーあ、諒ちゃんにはばれちゃた…… でも、古代君、諒ちゃんにあんなこといってくれたなんて……うれしい。なんだか急に楽しくなってきちゃった。でも、古代君にはやっぱり内緒。このことは帰ってからのお楽しみ! 後で行ってらっしゃいって言いに行こう)

 雪自身、進に対して今回のような重大な嘘をついたことはなかった。だから、進は雪のそんな癖を知らないはずだ。子供の頃から自分のことをよく知ってる諒とは違う。そう思うと、なんとなく進に対しては、さりげなく話せるような気がしてきた。
 そして少し軽くなった心を抱いて、軽やかな足取りで食堂の方へ向かった。
 (7)

 雪は各チーフとの引継ぎを終え、進に報告をする為第一艦橋へ上がって行った。

 (第一艦橋のみんなのいる前なら、古代君も何も言えないでしょう、きっと。だから、ここで挨拶して帰ろう……)

 そう決めて雪が第一艦橋に入ると、皆が一斉に振り返った。しかし、その中に進の姿はなかった。
 「古代君は?」と聞こうとして口を開けかけた雪よりも早く、島が尋ねた。

 「雪! 今回ヤマトに乗らないって本当か?」

 「雪サン…… ホントウニ 乗ラナインデスカ?」

 雪のレーダー席で操作の確認をしていたアナライザーも、雪の姿を見ると近寄ってきた。その声は、とても寂しそうだ。相変わらず、彼にとって雪は何者にも変え難いマドンナなのだ。

 「ええ、そうなの。長官から依頼された仕事の都合で……ちょっと、ね。みんなにはご迷惑をかけてしまってごめんなさい」

 第一艦橋の全員から注視されて、なんとなく言い訳の嘘がばれるのではないかと、雪はドキドキしていた。しかし、特に誰もそれを指摘するものはいなかった。

 「さっき古代が来て言ってたのは本当だったんだな」

 「古代君が……なんて?」

 「雪は仕事があってヤマトには乗らない、ってな。ぶっきらぼうにさぁ」

 島は苦笑しながらそう答えた。

 「え? そ、そう?」(古代君やっぱり怒っているのかしら……)

 雪は突然言い出した自分が乗艦しない理由を、進が疑っているのかもしれないと思った。

 「俺は最初てっきり古代のヤツが、また雪を乗せないって言い出したのかと思ったよ。もうちょっとで突っかかっていくとこだったんだぞ。で、よく聞いたら、古代の命令じゃなくて雪が自発的に乗らないって言ったっていうじゃないか」

 「そうなの、急に決まったことなのよ。でも、あっという間に帰ってくるんでしょう? 心配ないわよね!」

 雪は自分の気持ちを奮い立たせるようにわざと明るく言った。

 「ユキサン…… ユキサンガ ヤマトニ 乗ラナイノハ 残念デス! デモ 僕ハ 雪サンノタメニ ソノ代ワリヲ 立派ニ 勤メマス!!」

 「ええ、アナライザー、よろしくお願いね! 期待しているわ」

 「マカセテクダサイ!! 雪サンノタメナラ!」

 アナライザーが胸を張って(張れるのか?)言う。彼は雪に頼まれ、すっかり舞い上がっていた。

 「そうですね、今回の航海は短いし、すぐ帰ってきますよ、僕ら……」

 相原も少々残念そうな笑みを浮かべる。彼もやっと再会した最愛の人としばしの別れである。多忙の為デート一つ出来なかった彼も少し心残りなのだ。実は、肝心の「好きです」と言う事さえ言えていなかった。相原は、ちょっと考えてからおずおずと雪に声をかけた。

 「あの……雪さん」

 「なあに? 相原さん」

 「あ……あの、晶子さんのこと、よ、よろしくお願いします!」

 真っ赤になってやっとの事でそれだけをいう相原の言葉の中に精一杯の気持ちが込められていた。それが雪にはとても微笑ましかった。

 「ええ、もちろんよ。心配しないで、相原さん」

 「はいっ!」

 雪の返事ににっこりと笑う相原を、横から南部が茶化していた。

 (8)

 いつもと変わらぬ和気藹々の雰囲気に安心した雪は、肝心の進の居所を島に尋ねた。

 「ところで古代く……艦長は? 一応、生活班の引き継ぎ終わったから報告したいんだけど」

 「艦長室(うえ)だと思うよ。相原、ちょっと呼んでみてくれ」

 「はい!」

 相原は、すぐに艦内通信のスイッチを入れて、艦長室をコールした。

 「あ、艦長。雪さんが第一艦橋の方へ来られてますが。生活班の引継ぎが終わったそうです…………あ、は、はい。わかりました、伝えます」

 通信が切れた。進から何か指示を受けたようだ。

 「どうしたの? 相原君」

 「雪さんに艦長室まで来てくれって……直接報告を聞くから……ですって」

 相原は意味深に笑う。

 「ふ〜ん……」 島も南部もニヤリ。「艦長も大胆だな、今回は……」

 「な、なによ……」 雪は赤面する。

 「ゆきぃ、どうして一緒に行ってくれないんだい! 僕は淋しいよぉ、ってか?」

 島が進を真似てそんな風に雪を茶化す。

 「あっははは……」 太田が、真田が、山崎が大受けしていた。

 「ま、しばしの別れを惜しんで来てください!」

 最後は南部がウインクで締めた。

 「んっ、もうっ!」 

 赤くなった雪が逃げるように第一艦橋を出て行く。後ろからは再び笑い声が響いていた。

 (9)

 雪はすぐに最上階へ上がるエレベータに飛び込んだ。エレベータはすぐに雪を乗せ、艦長室の前に送り出した。ドアをノックする。コンコンと硬い音が響く。

 「森雪です」

 「どうぞ」

 中から声が聞こえた。雪はゆっくりと目の前のドアを開けた。中では進がデスクに座って何か書物をしていたが、雪が入ってきたのにあわせて、椅子をくるっと回してこちらを向いて立ちあがった。

 「古代艦長…… 生活班の各チーフへの引継ぎ終了しました。問題事項はありませんでしたので、特に報告する事はないのですが……」

 「そうか……ありがとう」

 雪の報告に、進は微かに口元を緩めた。それ以上は何も言わない。しばしの沈黙の後、雪は決意したように、あごをきゅっとあげ、見送りの言葉を伝えた。

 「では私はこれで……気をつけて行ってきてください、古代……艦長」

 そう言うと、雪は踵を返した。一歩前へ歩き出す。

 「ちょっと待って、雪!」

 「…………」

 雪は、進に背を向けたまま立ち止まり、進が何を言い出すのかと体を固くした。

 「ほんとに仕事だけなんだよな? どこか体の調子が悪いとかそういうんじゃないんだろうな?」

 雪はゆっくりと振り返って進を見た。答えなきゃ……雪は必死に平静を取り繕いながら答えの言葉を選んだ。

 「ええ、そうよ。長官が言われた通り、仕事があるのよ。古代君ったら、考えすぎよ」

 ふと自分の手が無意識に髪の毛に行こうとしてるのに気付いて、雪は手を止めた。もしかしたら、それが諒の言っていた癖かもしれない、と雪は思ったから。彼が知るはずもないことだけど……

 「そうか……よかった。嘘じゃないみたいだな。君は……今は……髪をいじらなかったもんな」

 「えっ!? どうして?」

 「い、いや……君は何か都合の悪いことを言ったり、ちょっと話をごまかしたりする時、すぐに髪を触るから……」

 ボソッと答える進の恥ずかしそうな顔とは対称的に雪は驚いていた。

 (古代君も知ってたんだ…… 先に諒ちゃんに会っててよかった)

 「そんなこと……知ってたの?」

 「知ってるさ、どれくらい一緒にいると思ってるんだ? 一番最初に気付いたのは、確かあれは、僕のお気に入りのカップを割ってしまったときだったかな。お茶を入れてくれる君に、あのカップは?って聞いたら、たまには違う気分でお茶を飲んでもいいでしょう。なんて言いながら、髪の毛をくるくるいじってた。で、なんとなく妖しいなぁって思ったら、案の定……」

 進がその時のことを思い出してくすりと笑う。雪は心臓がバクバクしてくるのがわかった。確かにそんなことがあった。あの時はどうしてそんなにすぐに進にばれたのか不思議だったのだ。
 今回も、もう少しで進に嘘を見ぬかれるところだった。が、諒にばれたのが怪我の功名、代わりに進にはばれずにすみそうだ。
 進は、さらに照れ笑いしながら、こう続けた。

 「実は、さっき佐渡先生にも聞いてきたんだ。もしかしたら、君の体に何か異常でもあったんじゃないかって心配になったから」

 「えっ!? そうだったの?」

 「君は健康だ、先生が保証するって……」

 「!! そ、そう…… 当たり前でしょう! もう、古代君ったら」

 ほっとすると同時に、雪の顔に笑みがこぼれた。それにつられるように進の顔もほころぶ。

 「なんだか変だよな。他の艦で宇宙に出ることなんて何度もあったのに、それは何でもなく平気だったのにな」

 「古代……くん……?」

 「ヤマトに乗せないで出て行こうとした事もあったのにな…… なのに、君が乗らないって言っただけでなんだかひどくおたおたしてしまってる」

 「……ごめんなさい」

 苦笑しながら、自分の気持ちを素直に告げてくれる進に、雪は自分が嘘をついていることを申し訳なく思った。

 「いや、別に君が謝る事はないんだ。長官もおっしゃってたが、君のこれからのキャリアに役立つ仕事なんだったら、是非やるべきなんだ。それに、この航海はそれほど長い旅でもないし……」

 「え、ええ、そうね。ありがとう、古代君。待ってるわ、私」

 「ん…… 帰ったら……あ、君の誕生日って言ってたのは間に合わないかもしれないけど、帰ったらすぐにご両親のところに行こう」

 「……はい」

 進の言葉の一つ一つがうれしかった。雪の目が潤む。雪は、そんな進の為にも、自分は今、この進との子供を守らなければと思うのだった。
 進がゆっくりと雪に近づいてきて、雪をそっと抱き寄せた。

 「デスラーの星を確認したら、すぐ帰ってくるよ」

 「待ってる……あなたの帰りを……」

 二人が見つめ合う。そして進の顔が雪の顔に近づいていく。雪は目を閉じた。二つの唇がゆっくりと近づいて、そして合わさった。互いの柔らかな部分をやさしくなぞるように、愛しい思いを伝え合うように、二人のくちづけはしばらくの間続いた。

 (10)

 ようやく長い抱擁を解いた二人は互いの顔を見て微笑んだ。
進は、公の場で少々雪に甘えすぎたとでもいうように、照れた顔で体をさっとはずし、背を向けて窓の外を見た。そんな姿が可笑しくて雪はくすりと笑った。

 「ね、古代君!」

 「ん?」

 「さっきね……諒ちゃんに会ったわ」

 「えっ? あっ、会えたのか…… よかった。さっきまで第一艦橋で作業してくれてたんだ。君が来た時に一緒に迎えに降りようとしたら、真田さんから呼び出されて……ああ、居住区に行くって言ってたからな、そっちで出会ったんだね」

 進は慌てた。さっき諒にえらそうな事を言った。が、自分の中では少しばかり不安になってしまった。雪は諒と会って一体何を話したのか……気になったが、あからさまに聞くのもはばかられる。雪のほうから何か言ってくれないのかと、心の中で期待した。しかし、雪は、

 「ええ……」

 それだけ答えて、何を言うでもなくニコニコと笑っている。その笑い方が進をさらに焦らせる。

 「な、なんだよ、雪。変な笑いをするな!」

 進が雪の意味深な顔つきに口をとんがらせた。

 「古代君……諒ちゃんに言ってくれたんだって……」

 「な、なんのことだか」

 「うふふふ…… ありがとっ!」

 「俺は別に何も……」

 顔を覗かれたくないのか、雪に背を向けて焦る進に、雪はさらにくすくすと笑い続けた。そして、後ろからそっと進の背中に体を預けると両手を進の胸にまわした。頭をコトンと進の背に当てるとそっとつぶやいた。


(by めいしゃんさん)

 「わたしには……あなただけよ。これからもずっとずっと……」

 「雪……」

 進が雪の手をそっと解いて振り返り、はにかみながら笑う。進の手は雪の手をぎゅっと握ったままだ。

 「でも、諒ちゃんの事うれしかった。私の……大切なお兄ちゃんだもの」

 「うん…… 僕もそう思うよ。いい人だもんな、上条さん」

 二人の顔に共通の笑顔が浮かんだ。愛する人は目の前のあなただけ、君だけ…… そんな思いが伝わってくる。

 しかし、時は誰の周りにも平等に過ぎていく。19時を過ぎた。ヤマト出航までもう2時間を切った。雪はそろそろ降りなければならない。

 「じゃあそろそろ行くわ」

 「ん……」

 進が雪の手を離した。雪はふと名残惜しそうにしている進にちょっとした意地悪をしたくなった。

 「あっ、そう言えば諒ちゃんにお食事誘われたの。どうしようかしら」

 「えっ!? べ、別に行ってきてもいいよ…… 別に……」

 (雪のヤツ……今更行くななどと言えるはずがないのを解っていて言うんだから、始末が悪いな)

 進は心ならずもそう答えるしかなかった。

 「うふふ…… この航海が終わったらあなたと二人で一緒にって、ね」

 なんだ、そういうことか…… それは、諒が進にも言っていたことだった。

 「こいつぅ! 俺をからかったなぁ!」

 進が赤くなって怒鳴るのを面白そうに笑い転げてから、雪は真顔に戻って敬礼した。しんみりとした別れ方をしたくなかったのだ。

 「いってらっしゃい。お気をつけて……古代艦長」

 そして進は静かに頷いた。


 それから2時間後、司令本部に戻った雪は、出航の最終報告をする進をモニターを通して見ていた。
 進は、長官に敬礼し、その横にいる雪に目礼を送った。その顔はもう雪の愛するフィアンセ古代進ではなかった。宇宙戦艦ヤマト第3代艦長古代進の顔であった。
 司令長官秘書森雪は、敬礼を返しもう一度つぶやいた。

 「いってらっしゃい、古代艦長……」

 あふれ出そうになる涙をぐっと飲みこんで、雪は少しだけ女に戻る。そして、心の中でつぶやいた。

 (早く帰ってきてね、進……さん…… 私は地球で待っているわ)


 西暦2204年9月2日21時。宇宙戦艦ヤマトは、銀河系中心部の異変調査のために、6度目の航海へと旅立って行った。
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