決意−あなたとともに−
−Chapter 8−
(1)
夜の連邦中央病院はごった返していた。院内は、悲痛な顔をした医師や看護婦達が駆け回っている。間もなく大勢の負傷者が運ばれてくるのだ。
行方不明だったヤマトが帰還した。しかし、艦内のクルー全員が倒れていたと言う。そのクルー達の生死の明暗は異常なほどはっきりとしていた。症状は皆同じ放射能障害。しかし、ヤマトが宇宙での敵の攻撃で放射を浴びた時、宇宙服を着ていたものは総じて軽症であった。逆に、宇宙服の着用が間に合わなかった者はほぼ全員既に事切れていた。
大勢の看護婦たちが喧騒の中で救急患者の受け入れ準備に追われていた。外科病棟勤務の佐伯綾乃もその一人だった。
「島さんも……古代さんも……どうなったのかしら? もし万が一のことがあったら、どうしよう」
自分の想い人と親友の恋人の安否が知れないまま、それでも綾乃は手を休めるわけにはいかなかった。
その時、外科病棟に緊急手術手配の連絡が入った。主旨は、『まもなく、ヤマトより重度の放射能障害の発症者を搬送する。最優先で手術手配せよ』であった。
その後の詳しい指示によると、かなり上級将校らしく、司令本部からも万全を尽くして必ず命を救って欲しい旨の通達がわざわざ届いた。しかし、綾乃たち末端の看護婦には、その患者名もすぐには伝わってこなかった。
院内にさらに緊張が走り、宇宙放射線病の権威である須藤教授を初め、そうそうたるメンバーが集まってきた。
それらの医師たちは誰もが優秀な外科医である。普通ならばメインの医師として執刀できるだけのレベルのある者ばかりだ。
手術スタッフとして呼び出された綾乃も、そのメンバーや緊張具合に、嫌な予感がしてならなかった。そこで、顔見知りの若い医師に尋ねてみた。
「あの……患者の氏名はご存知ですか?」
「ああ、古代進……ヤマトの艦長だ」
「えっ!」
綾乃が絶句して目を見張った。雪の嘆き悲しむ姿がすぐに頭の中に浮かんだ。
「最高のスタッフで手術するようにっていう指示が、司令本部から入っているらしいぞ。何と言っても、あのヤマトの艦長だからな。執刀医はあの須藤教授だ。マル秘情報だけど、あの人は、ほとんど死人のような宇宙放射線病の患者を蘇らせたらしいよ」
須藤教授は全世界の中でも間違いなく最高の放射線病治療の権威者である。最近はほとんど自分の手で手術を手がけず、研究と後進の指導に務めていると聞く。その教授が自ら執刀するとなれば、病状が相当重いのではないかと考えられる。
「そう…… それで……他には重症患者はいないのかしら」
進の心配とともに、島のことが綾乃の頭によぎった。進が重症というのであれば、同じ第一艦橋にいた彼も同様に心配だ。
「今のところは、聞いていない。だが、第一艦橋がまともに被害を受けたらしいからな。艦長が瀕死の重傷ってことは、他のメインスタッフはもしかしたら……死んでいるのかも……」
「そ……そんな!?」
(まさか! 島さんが死んでしまっていたら……どうしよう……)
綾乃の顔色の変化に、その医師は少し怪訝な顔をしたが、他のスタッフに呼ばれてその場を離れていった。
しかし、今の綾乃にはショックを受けている暇もない。心の動揺を押さえながら手術の準備を始めた。
(2)
手術の準備が終わると同時に、廊下の方が騒々しくなった。患者が到着したらしい。綾乃は患者を迎えるべく手術室を出て、廊下の向こうから押されてくるストレッチャーの方を見た。
(雪……!!)
小走りになりながら、ストレッチャーの左横にぴったりと寄り添っているのは、やはり綾乃の親友森雪だった。そばには医師の佐渡酒造もいる。そして近づくに連れ、雪が患者に向かって必死に声をかけているのが聞こえてきた。
「古代君……しっかりして! 古代君……!!」
患者の乗ったストレッチャーが手術室の前まで来た。看護婦や医師がわらわらと近寄ってきて、手術室に入れるための処置を始める。佐渡も手術に同席するらしく、すぐに看護婦に手伝ってもらって手術着に着替え始めた。
雪が進から一旦目を離してあたりを見回した。周りの医療スタッフの中に、綾乃の姿を見つけたその時、相手の方から声がかかった。
「雪っ!!」
雪はその姿にほっとしたような顔をして訴えた。
「綾乃!! 私にも手術着を! お願いっ!!」
綾乃の目には、雪はすっかり憔悴しきっているように見える。この状態で恋人の手術の助手などできるのだろうか…… どうすればいいのか判断がつかず、佐渡の方を探るように見た。それに気付いた佐渡が大きな声で制止した。
「だめじゃ、雪! お前さんは、昨日からろくに寝とらんじゃろう!! 中に入っても役に立たん! 今回はだめじゃ、外で待っとれ!」
佐渡の厳しい声が響く。綾乃ははっとして再び雪の顔を見た。やはり思った通り……と言う思いが彼女の心に広がった。
「佐渡先生!!」
目に一杯の涙を溜め、今にも佐渡に食って掛かろうとする雪を、綾乃が後ろからそっとつかんだ。
「雪……私達に任せて……大丈夫よ。須藤先生が執刀してくださるのよ。知っているでしょう?先生のことは。古代さんの手術は私が必ず見届けるから!! あなたは自分の身体の事も考えて……ね」
綾乃は、雪の両肩を抑えて2,3歩後ろへ押しやった後、もう一度「大丈夫だから」と言った。そして雪がまだ何か言いたそうに身体を前に押し出そうとするのを、ぐいっと押さえつける。二人の後ろで、進の乗せられたストレッチャーが、スタッフの手によって手術室へと消えた。
「あっ……」
雪は小さな悲鳴をあげたが、綾乃に押さえられ、それ以上追うことはできなかった。
そして綾乃は、背中に進の入室を察知すると、最後にもう一度雪の体をぎゅっと抱きしめ、こくりと頷いて手術室に入っていった。
「古代……く……ん……」
部屋の前に一人残された雪は、『手術中』という明かりのともったランプを、涙の溢れ出す瞳で見つめ、泣き崩れた。
(3)
進が手術室に入ってから3時間が過ぎた。しかし、まだ何の変化もない。雪は手術室前の長いすに座ったまま、ただひたすら祈り続けていた。
(古代君…… 神様、どうか古代君をお助けください。そうでなかったら、私は……生きていけないっ! ああ、どうかどうか……)
進が生還したとはいえ、全く予断を許さない状態に、雪の心は千々に乱れた。
周りの処置室や手術室にも大勢の患者が運ばれたが、皆長くても1時間程度で病室へ戻っていった。
その中には、第一艦橋のメンバーたちも含まれていた。意識を取り戻した彼らは、長椅子に座り、祈るような格好でうつむいている雪の姿を目に留め、悲しそうな視線を送った。雪もなんとか彼らの気持ちに答えようと、笑顔を向けようとするのだが、口元が引きつるばかりだ。その様子が痛々しかった。
ガミラスの遊星爆弾の攻撃をきっかけに、地球の放射能障害に対する治療法は急速に発達した。軽症の急性放射能病は、22世紀の末に開発された特殊な光線の照射と若干の輸血(血液交換)で、1日もあれば回復するようになっていた。今回助かったクルー達はほとんどがそのパターンのようだ。
しかし、進の場合はヘルメットを被っていなかった。完全に直接放射能を浴びているはずだ。息があっただけでも不思議なくらいなのだ。何か特別のことがあって第一艦橋の進が浴びた放射能が短時間で消えたと考えられた。
そのため、浴びた放射能量がなんとか致死量以下で収まったのかもしれない、と雪は思った。
だが、安心はできない。重度の放射能障害を受けた者が後遺症を残さずに助かった例はまだ少ない。もちろん、進の息がいつ止ってしまっても不思議がないのだ。
さらに時が過ぎ、外が白んできても、進の手術は終わらなかった。
(古代君の手術はどうなっているの!! 入っていって様子を見たい!)
雪はじっと手術室のドアを見つめた。ドアをたたき、打ち破ってでも進のそばに駆け寄りたい衝動に駆られる。
しかし、雪がどんなに願っても、そのドア一つで隔てられた部屋にいる愛しい人へは、その想いを届けることはできなかった。
(4)
すっかり明るくなった外を見て、雪は時計を見た。午前6時。進が手術室に入ってから既に7時間が経っていた。それでも消えない『手術中』のランプを見て、雪は再びため息をついた。
もう他の手術室に入っている患者はいない。病室から少し離れた場所にある手術室だけのフロアには、出入りする看護婦の姿もなく、静まり返っていた。
廊下に一人座っていると、雪の心はますます深く沈降して行きそうだった。
その時、廊下を静かに、しかし足早にこちらに向かってくる人影があった。雪が足音に気づいてその方向を見た。
「諒ちゃん……!?」
雪は、小さくつぶやいて立ち上がり、体ごと諒の方を向いた。
「雪さん!!! 古代君は?」
雪に話し掛けられる距離に到達するや否や、諒はすぐに尋ねた。雪はわずかに顔をうつむけると、力なく首を振った。
「まだ……手術が終わらないんです。あ、でも諒ちゃん、こんなに朝早くどうして?」
「ああ、真田さんに呼ばれたんだよ。今、話をしてきた。
未知の放射能を含んだミサイルに攻撃されたんだってね。すぐにヤマトに防御対策を施したいからって相談を受けたんだ。真田さんが退院し次第、共同で迎撃装置を作る事になったんだ。
幸い真田さんは軽症で明日にも退院するらしいから。僕はこれから帰ってすぐに準備に取り掛かる。
だがその前に古代君のことが気になって…… 真田さんから聞いたんだよ。彼も心配していた」
諒の優しい言葉とそっと肩に添えられた掌の温もりに、雪の思いが一気に込み上げてくる。進が手術室に入ってから一人きりで待ちつづけていた心の緊張が、諒の温かい言葉で一瞬にして緩んだ。
諒の顔を見上げた雪の瞳から、涙があっという間にあふれだし、思わずその胸に飛び込んですがりついた。
「諒……ちゃん…… うっ、ううぅぅぅ……」
「雪……ちゃん……」
ドンと音がしそうなほどの勢いで雪に抱きつかれた諒は、戸惑いながらもそっと雪を抱き寄せた。彼女の肩が小刻みに揺れている。その震えを止めてやりたくて、諒は力いっぱい雪を抱きしめた。以前恋をしていた甘酸っぱい思いが諒の心に甦ってくる。
しかし、彼女の口から聞こえてきたのは、別の男への狂わんばかりの恋情だった。
「古代君が……古代君が…… 助からなかったらどうしよう…… 私……私どうして一緒に居なかったんだろう、一緒に行かなかったんだろうって…… そればっかり思い返されて…… ああ、彼が死んでしまったら私も生きていられない……」
雪は駄々をこねる子供のように、いやいやをしながら諒にそう訴えた。諒は、一瞬でも彼女への恋心を思い起こしたことを自嘲した。どんなに望んでももう彼女を自分の手の中に入れる事は出来ないことくらい、解っていたはずだった。
(彼女にとって俺は頼りになるお兄ちゃんなんだったな……)
諒はふっと小さくため息をつくと、雪の肩をもう一度しっかりと掴んだ。少し屈み気味に体を低くして、雪の真正面に顔を持っていった。そしてじっと雪の目を見つめながら、力をこめて言った。
「大丈夫だよ、雪ちゃん。古代君は必ず助かる!!」
「そんなこと……わからないわ。だって……放射能を直接浴びたのよ!みんなそれで亡くなってるのよ!! 古代君だって!!!」
言葉と一緒にまた涙がでる。雪は、自分で言ってしまった言葉が悲しくてうつむいてしまった。下を向いた顔から、涙が足元にぽたぽたと落ちる。しかし諒は、さらに励まし続けた。
「いや、古代君は大丈夫だ。出発前に会った時、彼は言っていたよ。雪ちゃんを一人にしたりしないって、どんな時でも必ず帰って来るって! 君だって、そう信じてるんじゃなかったのかい? 古代君は、君を置いて逝ってしまったりしないって」
「諒……ちゃ……ん……」
「そうだろう!! いつでも信じているんだろう!彼のことを!!」
雪の肩を強く握り揺さぶるような勢いで諭す諒の言葉に、雪はうつむいていた顔を、ようやくゆっくりと上げた。涙が止まった。
そして僅かに生気を取り戻した雪の顔を見て、諒は大きく頷いた。雪は諒の顔をじっと見つめてからつぶやいた。
「……ありがとう、諒ちゃん。そうね、信じなくちゃ、私。彼のことを、彼の生命力を…… 私と一緒に生きてくれるって言った彼の言葉を…… ええ、信じるわ!!」
雪の心の中に、少しずつ勇気と希望が甦ってきた。そして微かに口元を緩めた。まだ微笑みとまでいかない物ではあったが、諒はその表情に彼女の落ち着き具合を感じた。
「そう、それでいいんだ。それに……君、自分の体のことも考えないと……子供……のこと…… あんまり思いつめるのは体に……よくないよ」
「あ…… あれ、間違いだったの…… 私の早とちり……あんなこと思わなかったら、私も一緒に行けたのに、ってそう思ったら、もう…… 今回の事故のことも悔やまれて悔やまれてしかたなかったの。
それに、赤ちゃんも授からなくって、その上彼もいなくなってしまったら、どうしたらいいんだろうって」
「そう、だったのか。だから余計に苦しんでしまったんだね。かわいそうに……」
同情をこめた目で諒が見つめる。だが、諒の励ましで進との固い約束を思い出した雪は、もう嘆き悲しむ事はやめようと思った。進の無事だけを信じる事が、今の自分に必要なことだとわかったから。
「もう……大丈夫。諒ちゃん、ありがとう。忙しいんでしょう? もう、一人で待てるわ」
「わかった。しかしまた、これから忙しくなりそうだな。古代君にも一日も早く良くなってもらわないとな」
「ええ、目が覚めたらそう言っておくわ」
雪の瞳が始めに見たときよりも格段に輝いていた。
「じゃあ……」
諒は、雪の様子に安心すると、まだ点灯している手術中のランプを眉をしかめたまましばらく見つめた後、帰っていった。
(諒ちゃんありがとう…… すっかり甘えちゃったわ。でも……さっきの私と諒ちゃんを見たら、古代君どんな顔したかしら。きっとまた、すごい顔で諒ちゃんを睨むんだろうな……古代君ったら、結構やきもち妬きなんだもの)
雪の顔に、思わず笑みがもれた。そんなことを考えられることが、雪の心の安定を表している。
進の命を――雪は信じ続けた。
(5)
諒が去ってから一時間ほどして、とうとう手術が終了した。入り口のランプが消えた。
椅子に座っていた雪は、立ち上がってドアが開くのを固唾を飲んで待った。数分後、ツィーンという音とともに、自動ドアが左右に開き、進を乗せたベッドが押されて出てきた。
「古代君!」
雪が駆け寄って進の顔を覗き込んだ。口元には酸素マスクがつけられ、両手に点滴、体には数種類の機器を取り付けられている姿が痛々しかった。
しかし、麻酔が聞いているのか進は穏やかな顔をしている。脇につけられたモニターの心拍数を表すディスプレイが規則正しい振動を記録し、間違いなく進の心臓が鼓動していることを表していた。
「よかった……古代君」
雪のこわばっていた体がふわっと緩んだ。嬉し涙がこぼれる雪に、ベッドを押してきた綾乃が声をかけた。
「雪、古代さんは最後まで頑張ったわ。大丈夫、彼はきっと回復するわ!」
その言葉に、雪は胸がつまり言葉を返す事が出来ず、ただ何度も頷いた。心の中で周りの皆にありがとうと叫び続けていた。
ベッドは、再び綾乃たち看護婦に押されて動き始めた。それについていこうとする雪に佐渡が声をかけた。
「雪、手術は成功じゃ」
雪は立ち止まり振り返って、「はい、ありがとうございます」と頷いた。佐渡の顔も嬉しそうに笑っている。その後ろには須藤の姿も見えた。
雪は二人に軽く会釈をすると、ベッドに寄り添ったまま、進と共に病室へと向かった。
病室に向かう途中のエレベータの中で、綾乃がもじもじと言いにくそうに言葉を切り出した。
「……雪……あの……」
「なぁに?」
綾乃が何を言いたいのか、進の手術の成功に心底安心しきっている雪には、すぐに思い当たらない。
「あの……ね。古代さんが大変な時にあの……なんだけど……島さんは……?」
その言葉に、雪はあっとなった。綾乃は自分の恋しい人の安否も知らないまま、進の手術にずっと付き合っていてくれたのだ。もちろんそれが綾乃の仕事だとは言え、彼女だって心配でどうしようもなかったはずだ。それなのに……
雪は今、さっきまで自分たちのことしか頭になかったことを猛烈に反省した。
「島君は無事よ。綾乃!! 古代君が手術室に入っている間に、彼の処置は簡単に終わったから、軽症だったはずよ。もう気が付いている頃じゃないかしら」
「そう! よかったぁ!!」
綾乃は小声でそう叫ぶと、半分泣いているような顔で、口を大きく開けて笑った。この顔を見ただけで彼女がどれほど心配していたかが、雪には良くわかった。
「ごめんなさい、綾乃。私ったら自分のことばかりしか考えてなくて…… 綾乃の顔を見たらすぐ知らせてあげなくちゃいけなかったのに……」
雪が申し訳なさそうに言ったが、綾乃はにこっと笑って首を振った。
「そんなこと…… 雪は今は古代さんのことだけを考えてあげて。それでいいのよ、今の雪は」
「ありがと、綾乃」 「うん! よかったね!」
微笑みあう二人は、恋しい人の無事を喜び、互いの思いやりを心から感謝していた。
(6)
進が病室に落着くと、看護婦達は「すぐに医師の方から手術の経過報告がありますから」と言って部屋を出て行った。綾乃だけがドアの手前で立ち止まり、そっと雪に囁いた。
「雪、あなたも少し休んだほうがいいわ。古代さんのことは看護婦の方でもちゃんと様子を見ているから。そこのソファーはベッドになる事は知ってるでしょう?」
「ええ、ありがとう、綾乃」
綾乃は、微笑んで頷いた。そして、「これで仕事が終わりだから、帰りに島さんの様子を見てから帰るわ」と言い残して出て行った。
それと入れ違いのように、二人の医師が病室に入ってきた。佐渡と、40歳前後の精悍な顔付きをした人物が入ってきた。執刀医の須藤だ。雪は二人を見て、「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。二人も軽く会釈すると、佐渡が口を開いた。
「詳しい経過を須藤先生に説明してもらうから、聞いてくれるかのう」
佐渡は雪にそう言うと、須藤を振り返って、逆に雪のことを説明した。
「須藤先生、古代は天涯孤独の身でしてな、今は身内がおらんのですわ。ここにいるのが、古代の婚約者の森雪です。今のところ彼女が古代の一番身近な人間と言う事になります。古代のことは、彼女に全部話してくださって構わいませんから。それから、彼女も元看護婦じゃから、専門用語などは説明せんでも大丈夫でしょう」
「わかりました。古代艦長のことも、森さんのこともあの方から、良く伺っていますよ、佐渡先生」
須藤の言葉に、佐渡がぱっと笑顔になった。
「おお、そうじゃったなぁ。じゃあ、よろしく頼んます」
須藤は佐渡に頷くと、雪の方を見て話し始めた。
「では、森さん、古代艦長の手術の経過をお話しましょう」
「はい……お願いします」
「古代艦長の症状は、急性宇宙放射線病です。他のクルーの方々も同じ症状ですが、艦長の場合特に重症でした。あと少しでも長く放射能を浴びていたら、助かっていなかったでしょう。本当にぎりぎりのところでした」
雪は、いきなりドキリとさせられた。進の命は、ほんの一瞬の差で助かったらしい。
「手術の方は、放射能によって侵された細胞を再生させる治療光線の照射が中心でしたが、体中を隈なく調査した上で、細胞単位で綿密に処置を行いました。
もちろん、精密なコンピュータロボットを使用しての作業だったわけですが、これが手術で最も時間を要した部分です。その上で、骨髄の再生、血液の浄化を行って、本日の手術は終了しました。
手術としては成功です。古代艦長の体には、もうたった一つの放射能に犯された細胞も無くなりました」
そこまで話すと、須藤はふーっと一息ついた。
「それで…… 古代君はもう大丈夫なんでしょうか」
最も尋ねたかった事を雪は口にした。須藤がその質問を予想していたように軽く頷くと、話を続けた。
「この手術は患者の体力を非常に消耗します。ですから手術中も、彼が最後まで持つかどうか半信半疑でした。しかしさすがヤマト艦長ですね。意識を失ってもなお、大変な体力と気力をお持ちでした。長時間の手術に見事耐えてくれました。並の体力なら恐らく持たなかったのではないかと思います。
で、今後の事ですが、それも……ご本人次第、と申し上げるほかありません。ここ2日がヤマでしょう。細胞が再生し始めるのに約30時間ほど。全てが完了するのに、2,3日かかります。ですから、今日明日はまだ意識は戻らないと思います。
また、再生が進むに連れて、非常な苦痛を伴います。破壊された細胞数が今まで私が手術を施したどの患者よりも多いので、その痛みに古代艦長が耐えられるかどうか…… 私にもなんとも申し上げ難いのです。しかし、屈強な宇宙戦士の古代艦長ですから、きっと乗り越えてくれるものと信じています」
須藤は真摯な表情で説明を終えた。
「そう……ですか。わかりました…… 本当にありがとうございました」
雪は、まだ予断を許さない進の状況に唇を噛んだ。佐渡が横から励ましの声をかける。
「雪、古代はきっとがんばって死の淵から戻ってくる!! それを信じて見守るんじゃぞ! 間違っても、もうさっきみたいなことをするんじゃないぞ」
「……はい……佐渡先生」
雪は、佐渡を顔を見て小さく頷いた。
最後に、須藤は進があれだけの被爆量ですみ生還した事は奇跡的だと言った。進だけではない。第一艦橋は敵のミサイルの直撃を受けていたにもかかわらず、メインクルー達の症状は他のフロアのクルー達よりも軽症だったらしい。
雪はまだ知らなかったが、それは、諒の設置したコスモクリーナーDの改良型が効果を発揮した結果だった。
(何か新しい装置が付けられていたのかもしれないわね)
雪は、昏々と眠る進の顔を見ながら、進を助けた偶然に感謝していた。
(7)
医者達が出ていき、部屋に誰もいなくなって初めて、雪は部屋の中を見まわした。個室になっているこじんまりとした部屋には、小さなサイドテーブルが一つと、テレビ、そして付き添い用のベッドにもなるソファが置かれている。
雪はそのソファに腰掛けると、テレビのスイッチを入れてみた。テレビではちょうど朝のニュースが始まったところだった。
『おはようございます。9月9日、朝8時のニュースです。まず始めは、宇宙戦艦ヤマトの帰還のニュースです。
先日の銀河交叉の調査に向っていた地球防衛軍所属の宇宙戦艦ヤマトは、二日前に消息を絶ち、その乗組員の安否が気遣われていましたが、昨夜遅く地球に戻って来ました……』
こんな言い出しで始まるニュースでは、ヤマトの帰還と乗組員に多数の死者が出たこと、艦長の進が重体であることなどを伝えた。
ヤマトの遭難については、防衛軍の指示で今日まで秘匿されていた。しかし、ヤマトが帰還したことで公表に踏み切ったらしい。
さらに次のニュースでは、地球政府からの発表が報じられていた。それは、アクエリアスの接近に伴う地球水没に対するため、避難船団が出来たこと、そして、地球市民全員がその避難船に間違いなく乗れることを強調し、平静を保つようにと言う内容だった。
9月9日という日付に、雪の心はズキンと痛んだ。そして、進の寝顔をもう一度見つめる。と同時に、一筋の涙がつうっと雪の頬を伝った。
(本当だったら、今日は、古代君と私、パパとママに挨拶に行くはずだったのに……)
20歳の誕生日には、結婚式を延期することになり涙した。そしてまた再び23歳の誕生日にもこんな目にあうとは……雪は自分の誕生日が少し疎ましくなった。
しかし、昨日進が助かっていなかったら…… 今日と言う日はもっと悲しい日になっていたに違いない。そう思えば、彼が助かっただけでも喜ばなければならないのだ、と雪は思い直した。
(そうよ、私の誕生日の為に、彼は生きていてくれたんだわ!)
(8)
テレビを消した後、雪は部屋のテレビ電話で司令本部へ連絡した。藤堂長官には既に詳しい状況が伝わっていた。彼はとても心配していたが、移民船団の関係で忙しそうで、見舞いに行けないことを詫びていた。そして、雪には進の意識が戻るまで、そばにいてやるようにと言ってくれた。しかし、雪はそれをすぐに断った。
「いえ、長官。こんな忙しい時に私だけ勝手なことをすることはできません。もう少ししたら、そちらへ参ります。古代君は……きっと大丈夫です。必ず……気が付いてくれると信じていますから。だから……」
涙声になりそうなのを必死に押さえて、雪は気丈にもそう返事した。もしも進が聞いていたら、きっとそうしろと言うに違いないと思った。
(本当はずっとそばにいたい、彼のそばを離れたくない。でも……彼はいつも地球の事を心配していた。彼は、地球や宇宙の幸せがなければ自分達の幸せもないって思ってた。
だから、今彼ができない分も、私ができるだけのことを精一杯やろう…… それが古代君の願いに違いないもの)
雪の決意に、長官は何も言わず頷いた。しかし、画面の向こうからも、雪の疲れようがありありとわかるのだろう。長官はこう言った。
「わかった。しかし無理はするな。一昨日からほとんど寝ていないのだろう。今日一日は、休んで少し睡眠を取ったほうがいい。これは、長官命令だ、わかったね」
藤堂は、心配そうな笑みを浮かべながらも、強い口調で話した。
「……はい」
藤堂の配慮に、雪は今日だけは甘える事にした。もうしばらく進のそばにいたかった。彼が意識もなくただ眠っているだけであっても……
雪は、電話を切ると、再び進のベッドの傍らにそっと座って、愛する人の顔をじっと見つめた。
(古代君……もう決してどこへも行かないでね。これからはずっと一緒にいるわ)
(9)
しばらくして、病室のドアの外が騒々しくなった。何か言い争っているような声がする。雪はその声に聞き覚えがあった。母、森美里のものだ。それに気付いた雪は、慌てて部屋から飛び出した。
やはり、部屋のすぐ前で、雪の両親と看護婦が何やら揉めていた。
「ママ!」
声をかけた雪の姿を見つけて、美里と父の晃司は、今口論していた看護婦に背を向け、雪の方へ駆け寄ってきた。
「ああ、雪っ!! 古代さんはどうしたの! 古代さんはっ!!!」
「古代君は大丈夫なんだろうな!!」
二人の顔が蒼白になっている。美里の声は震えていた。二人とも心から進のことを心配しているのがよくわかって、雪は思わずまた涙が出そうになった。
「……古代君は……大丈夫よ。今、手術が終わって眠ってるわ。来てくれてありがとう、パパ、ママ」
雪の両親は、それを聞いて方から大きく息を吐いた。
「そう……よかったわ。私達、朝起きてニュースを見たらいきなりヤマトの遭難のことを言ってるじゃないの!! その上、古代さんが重体だって言うし……びっくりして二人で飛んできたのよ!
それなのにもう!この看護婦さんったら面会謝絶だから入っちゃだめだって厳しいのよ。私達は家族同然だって言っても、全然解ってくださらなくて……」
美里の訴えに苦笑しながら、雪はその看護婦に二人の事を説明して、10分間だけの入室許可をもらい、二人を案内して部屋に入った。
そして、静かに眠る進の姿を見て安心した両親と連れだって、雪は廊下に出た。
「そこに休憩室があるから行きましょう」
雪は両親と少し離れた面会用の休憩室ヘ向った。3人がテーブルを囲んで座ると、雪は進の状況を詳しく説明した。
「……だから、今日明日がヤマみたいなの。でも、古代君はきっと大丈夫。そう信じてるわ、私」
雪は、心の中に残る僅かな不安を吹き飛ばすように強い語調で、両親に言い切った。
「雪…… そう……そうね」
「そうだな、彼はきっと頑張るに決まってるよ。それより、雪お前は大丈夫なのか? 昨日も寝ていないんだろう?」
「大丈夫よ、パパ。今日一日は休みを貰ったの。後で少し寝るわ」
「今日だけって、明日から仕事行くの?」
「ええ、知ってるでしょう?今の状況。パパとママはいつ避難船に乗れそうなの?」
「まだ詳しい話は聞いてないが……私は会社の後始末とかもあるので、少し遅くなると思う。ママには先に避難しなさいって言ったんだが……」
晃司が苦笑気味に妻の顔を見た。
「何言ってるの。私はパパと一緒でないと嫌よ」
美里は、はっきりと言い捨てた。雪はそんな二人の姿に思わず笑みがもれた。
「うふふ……ご馳走様。でも心配いらないわ。地球市民は間違いなく全員避難船に乗れるんですもの」
「そうね。で、あなたたちは?」
「……古代君の意識が戻ってからのことだけど。きっとほんとにぎりぎりになると思うわ。でも必ず二人で一緒に避難する。絶対に彼のそばを離れないから」
雪のその口ぶりに両親は、彼女が今回のヤマトの旅で進と一緒に行かなかったことを強く後悔しているのを感じた。そして、娘の『絶対に彼のそばを離れない』といった言葉が、心の中に深く印象に残った。
そこまで会話した時、晃司は時計を見て、会社に行かなければならないと、一人先に立ちあがった。
「古代君によろしく」と言い残して、晃司は帰って行った。
(10)
晃司を見送った後、美里が何か思い出したように、持ってきた袋の中をごそごそし始めた。
「あ、そうそう、雪にお土産よ。きっと昨日の晩から何も食べてないんでしょう? 有り合わせのものだけど持ってきたのよ」
美里は微笑みながら、お弁当箱のようなものを出してきた。ふたを開けると、おにぎりの他に数種類の惣菜が詰められている。その懐かしい母の弁当を見て、雪はここ一両日で初めて空腹を感じた。そっとそれを手に取り、箸を手渡してくれる母に向って礼を言った。
「ママ…… ありがとう……」
少しずつおにぎりとおかずを口に運びながら、雪は母の心遣いに感謝した。とりわけて豪華なものが入っているわけではないのに、雪にとっては何物にも変え難いご馳走に思えた。
娘がその弁当を美味しそうに食べているのを、黙って眺めていた美里が、ふと口を開いた。
「今日、雪の23歳の誕生日だったわね。おめでとう」
「あっ……覚えていてくれたの?」
「当たり前でしょう? 娘の誕生日を忘れるはずないじゃないの」
母が誕生日の事を話題に出した事で、雪は航海前に進とした約束を思い出した。
「ママ…… あたし……」
食事をする手を止め、小さな声でそう言ったままうつむいてしまった雪を、慈しむように美里が尋ねる。
「どうしたの? 雪」
「なんでもなかったら、古代君は昨日航海から帰ってきてるはずだったの。そうしたら、今晩でもパパとママの所へ行こうって話してたのよ。私の誕生日だから……きちんと挨拶するのにいい日だからって、古代君が……そう言ってくれて……それなのに……」
母に心配をかけまいと、顔を上げ明るく説明しようとするが、雪の声がだんだん上ずってきた。涙もこみ上げてくる。
「雪…… あなたたち決めてたのよね、結婚のこと」
雪が目に涙を浮かべながら頷いた。母の優しい声と言葉が雪の張り詰めた心を溶かしていく。
「ママァ……」
「泣きなさいな。今は……思いっきり。そして泣き止んだら、今度は彼の為に頑張るのよ、雪。あなたが泣いてたら、古代さんも元気になれないもの。ママたちはあなた達が笑顔で家を訪問してくれる日を待ってるわ。必ず来てくれるってね、雪」
美里は娘の肩をそっと抱きしめた。母の言葉に、雪は涙を拭き拭き頷いた。そして、ひと時母に甘えた後、雪は涙をきちんと拭いた。
立ち上がり進の元に戻るという娘を、美里は名残惜しそうに見つめて言った。
「何か辛い事があったら、いつでも電話してくるのよ」
「わかったわ。ありがとう、ママ」
諒にしても、両親にしても、自分と進のことを心から心配して気遣ってくれる。その事が雪には嬉しく、そして今の自分を奮い立たせるのだった。
(11)
母親が帰ると、雪は再び進の病室に戻った。進の様子には変わりはない。心拍数にも変化はなかった。
午後も遅くなった頃、佐渡が再び様子を見に訪れた。進の状態は今のところ安定していると言う。脈動も力強くなってきていると言った。
少しばかり安心すると、急に眠気が襲ってきた。一昨日からほとんど眠っていない。雪の体が悲鳴をあげ始めているのだ。
(少し休まないと、看病にも仕事にも差し障るわ)
この部屋は重症患者専用の個室で、進の様子はモニターとデータ転送によって、ナースステーションで把握できる。雪がつきっきりにならなくても大丈夫になっている。
雪は、ソファーに横になって少し眠る事にした。すぐに眠りに落ちた雪は、夢の中で元気に微笑む進に出会った。
『雪……愛してるよ。僕はどんなに辛い事があって、あの夕日のように沈む事があっても、必ず次の日には朝日になってまた昇るんだ。だから、心配しないで……』
夢の中の進は、雪を苦しいほど強く抱きしめて、そう言ってくれた。ほんのひと時の夢が、今の雪にとってはささやかな幸せだった。
(古代……くん……)
夜遅くひと時の眠りから覚めた雪は、翌朝まで進の顔を見守り続けた。
2204年の9月9日。今年の雪の誕生日プレゼントは、神から返してもらった進の命だった。
(12)
翌日から雪は、進の病室から通勤した。昼間は司令本部での仕事をこなし、夕方病院に戻ってきて、進のそばで過ごした。
須藤の説明のとおり、進はその日から丸2日眠りつづけた。色々と繋げられていた点滴やモニター装置、酸素マスクも徐々に取り去られて行く。何も変化がないようで、それでも進は確実に快方に向っていた。
その間に、ヤマトのクルー達は次々と退院していった。島や真田を始めとしてメインクルー達も、全員翌10日には退院した。彼らは皆、帰る前に進の病室を訪れた。まだ反応を示さない進を心配そうに見やり、雪を励まして、帰っていった。
そして、まる2日以上たった2日目の夕方になって、ようやく進は反応を示すようになった。しかしそれは、やはり須藤の言っていた通りの体の苦痛への反応だった。痛み止めを何度か注射されたが、我慢しきれない痛みが続くらしい。進はその夜、うなされ続けた。
雪は、うなされ何かを求めるように差し出される進の手をぎゅっと握り、ただひたすらその手をさすり、彼の体がこの痛みを克服する事を祈りつづけた。雪の手を握る進の手は、雪が痛いと思うほど力強かった。
(古代君……頑張って!! きっと良くなるわ。進さんっ!!……あなた……)
雪は、握られた手の痛みなど、進の苦痛に比べれば何でもない気がする。逆に握る手が力強ければ強いほど、進の命を感じる事ができた。
そして、手術が終わって3日目の夕方、雪の血を吐くような悲痛な願いが神に届き、進はようやくその目を開けた。
(注) 作品内の宇宙放射線病の治療に関する内容は、医学的根拠の全くないものばかりで、120%フィクションです。念の為注記いたします。ご了承ください。
(背景:Atelier Paprika)