決意−あなたとともに−       

−Chapter 9−

 (1)

 …………ここは……どこだ……?
 誰もいない。真っ暗だ。なにも見えない。俺はいったい……どこにいるんだ?
 俺は流されているのか? ゆっくりと真っ暗な中で……どこへ行き着くと言うのか……


 あれは……? 小さな光明が見えた。それがだんだんと大きくなってくる。

 あれは……あれは……母さんだ!! 父さんもいる! 兄さん!! サーシャもスターシアさんも……
 楽しそうに笑っている。何を話しているんだい? 俺も仲間に入れてくれよ。兄さん!

 流れていく。だんだんと近づいてくる。ああ、もうすぐみんなと一緒に笑いあえる。よかった。

 俺はもう……ひとりぼっちじゃないんだ。

 !! こっちを向いた兄さんの顔からさっきの笑顔が消えた。どうして俺を見て睨む? 母さんも悲しそうな顔で首を横に振った。どうして……どうして!!

 兄さんが右手をあげて、俺の後ろをゆっくりと指差した。俺は振り返る。後ろにも小さな光が見えていた。あれは……?

 遠くから微かな声が聞こえた―――「古代君……」

 「雪っ!!!!」

 そうか!! 雪がいないんだ。俺の雪が…… だからだめなんだ。俺は雪と一緒にいるって約束したんだ。必ずそばに帰るからって。だから……雪をつれていかないと……俺は俺でなくなってしまう。

 戻らないと……あの光まで。そして雪を連れてまたここに戻ってくればいいんだ。それまで、待ってて……母さん、兄さん……みんな!


 ああ、苦しい…… くそぉっ!! この流れはなんなんだ! 流れに逆らって戻るのが、どうしてこんなに辛いんだろう? 体が言うことをきかない。
 それでも俺は帰らなければ…… 俺を呼ぶ雪の声がだんだんと大きくなってきた。泣いているような声……

 「古代く〜ん……」

 雪の姿が見えてきた。雪! 君は泣いているのかい? もう泣かないで、今すぐ行くから。一人にしてすまなかったね。俺が今行くから……

 まだ体が金縛りになったように身動きが取れない。流れに任せれば楽だけど……でも、雪を連れてこないと、俺はどこへも行けない。
 息が詰まりそうだ。どんなに激しく呼吸しても、体の中の酸素が足りない感じがする。
 足が重い、手が重い。頭が割れそうに痛い。もう、やめようか……このまま流れに任せようか……

 「古代君!! 古代君!!」

 ああ、雪が呼んでいる。だめだ、あきらめちゃいけない。雪のそばに戻るまで!! もうすぐだ…… もう目の前に彼女がいる。

 雪が、あんなに悲しそうな顔をして……悲しそうな声で俺を呼んでいる…… だから、辛くても俺は負けるわけにはいかない。
 雪のために…… なによりも俺のために……

 雪っ! 雪っ!! もう少し、もう少しだ…… 俺は精一杯手を伸ばした。雪も手を差し伸べてくれる。ああ、あと一歩。もう……少し……

 「雪……雪…… ゆ……き……」

 「こだい……く……ん……」

 掴んだ!!! 雪の手を……!!

 (2)

 進の苦痛はまだ続いていた。時折、唸りごえをあげては、体を苦しそうに動かす。雪は一睡もせずに、進の手を握り、そして汗を拭いた。
 佐渡も夜遅く駆けつけ、「今夜が山だ」と言った。

 「これを乗り越えれば、古代は必ず目を覚ます。もう、今は医者にできる事は何もない。古代の頑張りだけが頼りなんじゃ。雪、しっかり応援してやるんじゃぞ」

 「古代君、頑張って!! お願い!! 目を開けて、もう一度私を見て!!」

 雪は、一晩中そんな声をかけ続けた。
 そして、2日目の夜が明け、外が薄ら明るくなってきた頃、雪は進の苦痛がようやく少し遠のいてきたように感じた。

 (古代君…… よく頑張ったわね。朝よ、朝日が射してきたわ。もう目を覚ましていいでしょう?)

 地球に再び新しい朝日が昇りきった頃、進は少しずつ落ち着きはじめていた。
 その日も雪は、看護婦達に進の目が覚めたら知らせて欲しいと告げ、仕事にでた。この日、避難船団の第一陣が出発し、司令本部もさらに忙しくなっていた。

 夕方、仕事が一段落した頃を見計らい、雪は一旦病院に戻った。看護婦の話によると、進はまだ目が覚めることはないものの、うなされることは大分少なくなったらしい。

 (もうすぐ……目を開けてくれるかしら? 古代君)

 ところが戻ってきた雪の目の前で、進が再びうなされ始めた。言葉にはならない声を発し始める。額に汗を光らせ、苦しさから逃れるように顔を振りながら、必死に手を伸ばしている。
 雪は慌てて進の傍らに駆け寄り、伸ばした手を両手でそっと掴んだ。

 「古代君……」

 その言葉に反応したように、進の手が雪の手を握り返した。そして……ひと唸りすると、進は地球に帰ってきて初めて、その瞳を……開けた。

 (古代君!!)

 (3)

 雪の手に力が入る。進はすぐに握られた手のほうを向き、じっと見つめる。その視界に何かぼんやりと輪郭が見え始め、それがだんだんとはっきりしてくる。そしてすぐに、目の前にいるのが雪だと言うことがわかった。

 「雪……!?」

 進は、はっきりと「雪」と言った。その言葉を聞いて、雪の目にあっという間に涙が込み上げてくる。やさしく愛する人の顔を見つめ、溢れ出そうな涙を抑えながら、雪は進の手を抱きしめるように強く握り返し、その手に頬擦りした。

 「古代君……よかった……」

 進はまだこの状況や自分の状態が飲みこめていない。不思議そうな顔をして雪の顔を見てから、尋ねた。

 「ここはどこだ?」

 「地球よ。連邦中央病院……」

 雪がゆっくりと丁寧に答える。あなたは助かったのよ。ヤマトは帰ってきたのよ!! そう目が訴えている。

 「地球!?」

 地球と言う言葉を聞いて、進は今までのことを全て思い出した。頭の中に、ヤマトのこと、乗組員たちの事が渦巻き始める。はっとして起き上がろうとするが、雪がそっと胸を抑え制止し、再びベッドに寝かせた。

 「あぁ……だめ、まだ起きちゃ」

 少し動いて自分の体がまだ十分に回復していない事がわかった進は、大人しくその指示に従った。そして雪と反対側にある大きな窓の方を向き、外を眺めた。夕日がまもなく落ちようとしている。
 進は静かにしかし意を決したように最も大切な事を、雪に尋ねた。

 「他の乗組員達はどうしてる? 全員無事か?」

 予想していた質問だった。ヤマトの状況は、実際に行って見て知っている。もちろん、翌日には司令本部に被害の状況が伝えられていた。ヤマトの乗組員の3分の1が今回の航海で亡くなっている。しかし、雪にはすぐに答える事ができなかった。

 (なんて答えたらいいんだろう……)

 進が傷つくに決まっているのを知っているから、雪はどう言えばいいのか言葉を見つけられないでいた。雪は立ちあがると、進に背を向けた。

 答えが返ってこないので、進は雪の方を見た。彼は、雪の背中にその答えをほぼ察した。しかし、はっきりとした答えが欲しい、そんな思いが進の語調を鋭くした。もう一度同じ質問をする。

 「雪っ! どうなんだ!」

 雪の胸が、ズキンと痛くなった。答えられない! 雪は黙ったまま首だけを振った。

 「宇宙服を着ていないあなたが助かっただけでも不思議なのよ。今はただ体を直す事だけを考えて……」

 やはり言えない……今は自分の事を考えて!! 進の顔を見るのも辛くて、涙もこぼれそうで、雪は天を仰いだ。

 その姿に進は全てを察した。自分も今まで、生死の境をさまよっていたのだ。あの状況では、大勢の乗組員が死んだとしても不思議はない。ヤマトがどうやって戻って来れたのかさえも、まだよく理解できないのだから。

 進は、はっきりと、しかし静かに言った。シーツを握る進の手がその辛さを表していた。

 「大勢……死んだんだな?」

 その言葉は既に確信になっている進の心を表すように、断固としたものだった。

 「うっ……」

 込み上げてくるものが、雪の言葉を飲み込んでしまう。答えを返そうとせずに、背を向けたまま目を閉じる雪を非難するように、進は再び強い調子で雪に向かって叫んだ。

 「雪! そうなんだな!」

 否定はできない。雪はもう涙も抑えきれなくて、うつむいてしまった。それが雪の回答だと、進は思った。

 (4)

 しばらく沈黙が続いた。雪も必死に涙を抑え、ようやく進の方を振り向いた時、進は黙って横になったまま、外を見つめていた。

 「古代君……?」

 進は全く反応を示さない。雪はゆっくりと進のベッドサイドに近づいた。進は険しい顔で外を見たまま、唇を噛んでいた。
 雪は進の体に掛かっているシーツを、そっと胸元まで上げてやった。それでも、進は外を向いたまま、何も言おうとしなかった。雪はベッドサイドの椅子に座ると、ゆっくりと言葉を選びながら言った。

 「……島君と真田さんが、昨日司令本部に来て、長官に報告してくれたわ。あれは不可抗力だったって、誰が悪いわけでもないって…… だから……」

 雪の慰めの言葉を聞くと、進は突然くるっと頭をこちらに向けた。そして鋭い視線で、雪の顔をきっと睨んだ。

 「俺は艦長なんだ! 何があっても、その全ては艦長である俺の責任なんだ! 言い訳なんかできないんだよ!!」

 その鋭い言葉に雪は一瞬ひるんで、絶句してしまった。『艦長』という責務の重さは、その任に就いた者にしかわからない。この前の航海の時から、進はその重圧にいつも苦しめられていたのを、雪はよく知っていたはずだった。

 「ごめんなさい……」

 謝る雪の悲しそうな顔を見て、進は自分が彼女にあたってしまった事を反省した。自分を心配して見守ってくれていた恋人に対して、言うべきではないということは、今の進にもわかっていた。

 「いや、俺のほうこそすまなかった。君にそんな事を言っても仕方ないのに…… ごめん」

 進が語気を緩めた事で、雪はほっとした。そして進の下ろした手を握るとゆっくりとなで始めた。

 「いいのよ。あなたがとても辛いことはよくわかるっているわ。でも、今は……まだ…… 余り思いつめないで…… 自分の体のことを考えて…… 私……この数日、どんなに心配したことか……」

 雪がぎゅっと進の手を握る。ぽたりと涙がそこに落ちた。

 「雪……」

 進はその手をゆっくりと上げた。雪が添えていた手を離すと、進のその手はさらに上に伸び、雪の頬をなぞった。

 (5)

 その時、進は気が付いて初めて、雪の顔をじっくりと見た。薄化粧の下に、眼の下の隈がうっすらと見えている。いつもつやつやと輝いていたその顔が、ひどくやつれている。彼女がとても疲れているのは一目瞭然だった。
 自分が何日眠っていたのか判らないが、彼女がその間中、ほとんど寝ずに自分の看病をしていたに違いないと思った。
 進は、ひたすら自分の目が開くことを願っていたであろう彼女への愛しさが、心の中に大きく広がってきた。

 雪は、自分の頬に置かれた進の手に愛しそうに手を重ねて、言葉を続けた。

 「一緒に行けばよかったって、どんなに悔やんだかわからない…… でも、こうして帰ってきてくれて……」

 うれしい……と続けたかった。しかし、雪はその言葉を飲みこんだ。ヤマトの乗組員達が大勢亡くなっている。進の前で、彼の生還それだけを喜ぶ事は、彼にとってありがたくないことだと思った。
 雪がそれ以上言わないで入ると、進がポツリと言った。

 「君が助けてくれたんだ……」

 「えっ?」

 「兄さんたちのいるところに行こうとしていた俺を、君が呼びとめてくれた……」

 あの暗闇の中で、自分をこの世に呼び戻してくれたのは、間違いなく雪だった。それは進にはよくわかっていた。

 「古代……くん……」

 「ありがとう、雪」

 進は、そう言うと、雪の頭に手をやり、彼女の顔を自分の方にぐっと引き寄せた。雪もされるままに自分の顔を落とし、そしてゆっくりと二人の唇が合わさった。
 それは、ただ合わさっただけの控えめなくちづけではあった。しかし、温かい進の唇を感じることができる――それだけで、今の雪は最高に幸せだった。

 しばらくして二人の合わさった唇はまた、ゆっくりと離れた。雪は微かに微笑んで進を見た。彼も微笑を返してくれると思いながら。
 しかし、進の顔からは笑顔は見られなかった。再び険しい顔になって、天井をじっと見つめている。やはり、亡くなった多くの乗組員たちのことが、頭から離れないのだろう。
 進は、結局雪の顔を見ることもせず、上を向いたままこう言った。

 「しばらく一人にしてくれないか……」

 進の気持ちもよくわかった。だから、雪は今はそっとしておこうと思った。

 「わかったわ。私、まだ仕事があるから……行って来ます」

 しかし、進はその言葉に何の返事も返してはこなかった。

 (6)

 雪は、それ以上何も言うことできず、そのまま静かに部屋を出た。ところが、廊下に出るなり、瞳からぽろりと大粒の涙がこぼれて立ち尽くしてしまった。自分のその涙に当惑する。

 (なぜ涙が出てくるの?…… 彼が助かったことがわかって嬉しいはずなのに、この空虚感はなんなの?)

 今の進の心を大きく占領していることは、大勢のクルーを亡くした自分への叱責の気持ち。だから、自分が助かったことの喜びも、恋人と再会したことの嬉しさも、今の進の心の中では二の次なのだ。

 (古代君は…… 自分が助かった事を喜ぶより、亡くなった人たちを悼む人。それはわかってる、わかってるけど……)

 雪は、あの白色彗星との戦いで、大勢の仲間を亡くし、艦長代理として大いに責任を感じた進が取った行動を思い出した。
 今回はさらに「艦長」としての出来事だっただけに、進の心の中には大きな痛手になっているに違いなかった。

 (だけど……淋しい…… でも……)

 揺れる女心の中で、雪は思い出した。そんな状態でも、進が自分に「ありがとう」と言ってくれた、という事を。

 「今はそれだけで十分よね、雪……」

 雪は自分に言い聞かせるように、声に出して言った。進を待っていた間の辛さなど、彼が帰って来た今は、全て昔話になるのだから。
 雪は、さっきの進の温かい唇を思い出して、そっと左手のひとさし指で唇に触れた。あのくちづけが進の精一杯の気持ちなのだと、思った。

 「がんばらなくちゃ!!」

 自分を励ますためにそう呟くと、雪はきゅっと涙を拭いた。

 その後、ナースステーションに立ち寄った雪は、ちょうどそこに来ていた佐渡に、進の目覚めた事を報告し、司令本部へと戻って行った。

 (7)

 トゥイーンと言うドアの音がした。進はその音で、雪が部屋を出ていったことを知った。

 (雪……すまない……)

 雪にもっと優しい声をかけてやればいいのは、重々わかっていた。自分の無事を祈って随分心配もし、眠れぬ夜も過ごしたことだろう。必死になって看病をしてくれただろうことも、誰に聞かなくてもよくわかっている。
 しかし進には、どうしても言葉が出てこなかった。今の彼の頭の中は、ヤマトを襲った敵と失ったクルー達のことで一杯だった。

 (恐ろしい敵だった。あのミサイルにヤマトもひとたまりもなかった。宇宙服を着用できなかった乗組員達が、全員犠牲になったんだ。もう少し宇宙服着用の指令を早く出せばよかったのに…… 俺は、艦長としてどうすることもできなかった……
 どこでどうすればこんな犠牲を出さないで済んだのだろうか……)

 しかし、何度考えても進の思考は堂々巡りする。

 (未知の星の洪水に救出の手を差しのべた事が悪かったのか? 確かにあの時に10名余りの犠牲者を既に出した。その時点で俺の判断ミスだったのかもしれない。
 例の敵は、あの星の戦艦だったのだろうか? 我々を母星を攻撃する敵と誤解したのだろうか? それならばなぜ……自分達の同朋を助けようとしなかったのだろう?
 いや、それよりもまず無差別ワープを命令したことが悪かったのではないだろうか……?)

 何度考えても結論は出なかった。

 (もし、あの敵がヤマトを追って地球に来たとしたら、ヤマトはまた迎え撃たなければならない。そのヤマトを、こんな俺が指揮していていいのだろうか…… やはり俺には……ヤマトの艦長は……)

 体中を走るきしむような痛みと、多くの亡くなった乗組員達を思って心の痛みが、進を責め続けた。

 「だめだ……」

 進はそう口にして、しかし何がだめなのか自分でもわからなかった。

 (8)

 進は気持ちを切り替えようと、別のことを考え始めた。

 (そう言えば…… 雪が、島や真田さんが長官への報告を済ませたと言っていたが、第一艦橋のみんなは無事だったんだろうな?)

 第一艦橋のクルー達のことを考えていると、ふと雪のことが頭に浮かんできた。

 (しかし、雪は乗っていなくて本当によかった。これで雪までどうにかなっていたら、俺は…… ん?雪…… そう言えば、雪はどうして乗らなかったんだ? あっ!!)

 進はこの時になって初めて、雪がヤマトに乗らなかった理由(わけ)を思いだした。本人は新規プロジェクトの為と言っていたが、ヤマトの中で意外な――いや意外でもない――可能性を皆から指摘された。

 (雪……子供……? だが、彼女は何も言わなかった!?)

 進は今更ながらに慌ててドアの方を向いたが、当然のことながら遠の昔に雪の姿はなかった。

 「ふうっ…… こんな俺に、雪がそんな話できるわけないか……」

 進が自嘲気味に呟いた。体を激しく蝕まれ、生死の境目からやっと戻ってきたと思ったら、恋人のことよりもヤマトの乗組員達のことに傷つき心を閉ざす進。そんな彼に、今もし本当に妊娠の事実があったとしても、雪はとても口にできなかっただろう。

 (どうすればいいんだ…… だが、もし彼女からそれが事実だと告げられたとして、今の俺にどう答えてやれる!?)

 今の自分に、「うれしい」だの「よかった」だのという明るい答えを返せそうになくて、進はさらに暗澹とした気持ちになった。

 (9)

 その時ドアが開いて、佐渡が看護婦を一人連れて入ってきた。

 「やっと目が覚めたようじゃな、古代。今、雪が報告して行ったから、様子を見に来たぞ。どうじゃ、具合は? ん? まだ体の節々が痛むじゃろう?」

 「……はい、ですが大丈夫です」

 佐渡が「うむ」と頷く。あれだけの手術に耐えた進だ。今の痛みくらいで弱音を吐くとは思えなかった。看護婦が横で、進の脈を取ったり、体温を測ったりしている。

 「まあ、2,3日もすればだいぶん楽になるじゃろう。ところでなぁ……」

 佐渡が探るような視線で進を見た。そして、看護婦に聞こえないような小さな声で、進の耳元で囁いた。

 「雪は泣いておったな。目が赤かったようじゃったが、嬉し涙かのう?」

 その問いに、進の顔がさっと曇り、医師の目から視線を逸らすように、窓の外の方を向いた。当然答えは返ってこない。

 「…………」

 沈黙の中、看護婦が言った。

 「先生、脈拍、体温、血圧どれも正常値です」

 「うむ…… ありがとう。君は先に戻っていてくれんか。ちょっと二人で話したいことがあるんじゃ」

 佐渡の指示に、看護婦は「はい」と素直に従った。

 (10)

 看護婦が出て行くと、佐渡がふっと小さくため息をついた。

 「はぁ〜、古代…… まあ、お前さんも今回の事では色々思うことはあるじゃろうが、もう雪を悲しませてくれるなよ」

 佐渡は、悲しげな顔で進を見た。進は外を向いた顔を上向きにまで戻したが、まだ佐渡と視線をあわせようとしなかった。

 進がヤマトの状況を雪から聞いていることは、想像に難くない。それを知った進がどんな風に思うかなども、佐渡は十分承知している。
 しかし、目の前の険しい顔をした男の顔を、「今度こそ結婚する事に決めた」と恥ずかしそうに笑っていた、ほんの数日前の顔に戻してやりたい! 佐渡は切にそう思った。

 「……佐渡先生……」

 進がゆっくりと佐渡の方を見た。当惑気味のその顔は、偉大な戦艦宇宙戦艦ヤマトの艦長の顔ではない。ただの20歳そこそこの青年の顔だった。それは年長者の佐渡の前だからこそ出てくる顔で、同世代の雪やヤマトクルーたちの前では決してできない顔なのだ。

 それがわかるだけに、佐渡も辛かった。この男は、ずっと無理をしてきている。前回の航海で、もう一杯一杯なのだ。それがひしひしと伝わってきて、佐渡の心が痛んだ。
 少し自分のことだけを考えてもいいんじゃ、と言ってやりたくなる。そして、愛する人のことだけを考えてやれと……

 「ヤマトの行方不明を聞いてから、あの子がどれほど心配したことか……一緒に行けばよかったと何度泣いたことか……」

 進にもその姿は容易に想像できた。雪の悲しみを思うと心が痛む。

 「わかってます……」

 「ふうっ……まぁ、わかっておるんならええ。雪もお前さんが帰ってきて一安心じゃろう。少しは自分達のことも考えろ」

 「自分達のこと」と言われて、進はさっきのことを思い出した。佐渡ならきっと知っているに違いないと思った。

 「……先生は……雪がヤマトに乗らなかった本当の理由を……ご存知なんでしょう?」

 (11)

 「ん?」

 佐渡が、突然の質問に驚いて、小首を傾げて進の顔を見返した。進の顔が真剣な眼差しに変わる。意を決したように、言葉を発した。

 「それは……妊娠したからですか?」

 「!!」

 佐渡がさらにびっくりした顔になって一瞬絶句した。暫しの沈黙。

 「お前さん……知っておったのか?」

 佐渡の答えは、進の心にずしりと大きな衝撃を与えた。

 「や、やっぱりそうなんですね! ヤマトに乗ってからそうなんじゃないかって思い出して……!!」

 進がまだ十分に動かない自分の体を無理やり起こして、佐渡に迫った。その勢いに佐渡が一歩後ずさりした。しかし、両手を前方に突き出して手首を左右に振り、慌てて進の誤解を訂正した。

 「い、いや……ち、ちがうんじゃ、それは……」

 えっ?となる進に、佐渡が説明を続けた。

 「確かにヤマトに乗らなかったのは、その可能性があったからじゃ。しかし、それは間違いだったとヤマトが発進してすぐにわかったらしい」

 「!?……」

 それを聞いた進は、浮かしていた体を、ばったりと仰向けにベッドに倒した。はぁ〜というため息が佐渡の耳に聞こえてくる。左手を額に当て天を仰いだ顔は、さっきの佐渡に迫ったのとは正反対の脱力した表情だった。
 残念と言うよりも、安心したと表現したほうがいい顔つきに、佐渡はすかさず突っ込んだ。

 「なんじゃその顔…… 雪の妊娠が間違いでほっとしたのか?」

 進が一瞬躊躇したが、天井を向いたまま吐き出すように答えた。

 「…………正直言うと……」

 「ふぅーっ、困ったやつじゃのう」

 「もしそうだったらどうしようかと…… 今の俺には、とてもそのことを喜んでやれる余裕がなくて…… もちろん、責任逃れしたいとかそういう気持ちではないんですが……」

 「男としては、わからんこともないが、間違っても雪にそんなこと言うなよ。そんな事を言ったら、あの子がどんなに傷つくか…… あくまでも何も知らなかったことにしておけ」

 「……はい」

 「次にこんな話が出た時は、笑って報告に来てくれよ」

 「はい……先生」

 雪の妊娠が間違いだったことに安心する進の姿を、佐渡は責めることができなかった。
 今の彼が、課せられた重責の重さで、自分の幸せさえも追求できないでいることをよく知っているから。決して責任逃れのつもりでないこともよくわかっていたから。

 (じゃが、かえって雪の妊娠が本当だった方が、この男にとっては幸せだったかもしれんのう……)

 そうすれば……ヤマトの乗組員の事だ、地球の平和だ、と我が身を酷使する前に、自分とその家族を守ることだけを考えられたかもしれない……と、佐渡は思うのだった。



 翌日、佐渡はいつもの往診に行った際に、二人をよく知る男にその一部始終を語って聞かせた。男はじっと黙ったまま話を聞き続け、最後に一言こう言った。

 「この老体にも、まだ使い道があるのかもしれんな」

 彼の元には、ヤマトが帰還してすぐ、艦長の進の危篤が伝えられた時点で、既に司令長官から極秘の打診が届いていた。
 彼の口にした言葉の意味が何であるのか、佐渡の中でも薄々感じるところがあった。

 地球とヤマトは、再び彼―沖田十三―を必要としていた。

Chapter9 終了

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(背景:Atelier Paprika)