幸せへの軌跡−進と雪の婚約物語−

Chapter3−進の真心−

 (1)

 地上での初めてのキスの余韻にひたりながら、雪は帰路についた。自分の唇の上にまだ、進の熱い体温が残っているような気がして、そっと、指で触れてみた。さっきまで、一緒だった最愛の人の唇を思い出すと雪は体がほてってきた。

 (古代君…… どうして、こんなにあなたのことが好きになったのかしら…… いつも、いつもあなたの事ばかり考えてしまう。古代君もわたしと同じだけ私のことを思ってくれているのかしら?)

 雪は、進への想いがどんどん大きくなっていくことに驚いていた。一人で考えていると、自分の想いだけが空回りしてしまうんではないかと、不安な気持ちにもなる。
 進は、雪が思うほどにその心を雪に返してきてくれるのか…… 雪の心に小さな不安として浮かんでいた。恋をすると、人はみなこのような不安と戦うことになる。

 (でも、古代君、『明日も会えるね。昨日の約束の通りでいいんだろ?』って言ってくれた…… やっぱり、古代君も私のこと想ってくれてるんだわ…… きっと……)

 不安と期待が何度も何度も雪の心の中で繰り返していた。それもまた、人を愛し始めたときに誰もが体験するものだった。
 雪は、頭の中が進で一杯の状態で帰宅した。

 (2)

 「ただいま……」

 雪が玄関を入ると同時にぱたぱたとスリッパの音がして、母の美里が駆けてきた。

 「雪! 今まで、どこに行ってたの? 先方さんからは午後になって早々とお断りの電話が入ったって仲人さんからの連絡がきたっていうのに、あなたは帰ってこないし…… ママは、もう気が気ではなかったわ! どういうことなの?雪!」

 雪は、美里のその言葉で、今までの夢見心地が一気にふっとんでしまった。

 「えっ? …… ああ、今田さんからお断りの? 私のこと気に入らなかったんでしょ? いいじゃない。私もお断りするつもりしてたから……」

 「でも、変なのよ。仲人さんも首をかしげられてらっしゃるの。だって、雪のことは気に入ったっていうのよ。でも、『自分にはもったいなすぎるから』の一点張りなんですって。どうして、断わるのかよくわからないって言うのよ。あなた、何か言ったの?」

 「えっ? べ、べつに何も言ってないわよ。相手が断わってきてるんですもの、いいじゃない。さ、お見合いはもうおしまいよ」

 雪は、今日、南部としたお芝居が全く効を奏したことにうれしそうな顔をしそうになったが、ぐっと堪えた。

 「でも…… ふぅ! まあいいわ。他にもいい方がたくさんいらっしゃるし……」

 美里は切り替えが早かった。一度の見合いでは、決まらない事も多い。その程度にしか考えていないのだろう。

 「もう、嫌よ!お見合いは、ママ!」

 「だって……」

 「ママ、いいじゃないか。雪だってまだまだ若いんだから、今からすぐに結婚しなければならないっていうこともないし…… パパはほんとは、もう少し雪にそばにいて欲しいけどなぁ」

 「パパ……」

 父親の援護の言葉に、雪がほっとすると、美里は眉をしかめた。

 「ずるいわ、パパだけいい子になって…… 私だって雪にずっと一緒にいて欲しいけど、でも雪の将来を考えてくださいな。今のこんなご時世なのよ。若いうちに早くお相手を見つけておかないと、いい方からいなくなってしまうわ。あの忌まわしいガミラスとの戦争のお陰で、今は若い男性の数が少ないのよ!」

 確かに、ガミラスの長年の攻撃によって、地球上の人口は激減していた。特に戦闘に散った若者の数は限りない。ヤマトがガミラスを打ち破るまでは、地球の艦隊は全戦全敗だったのだから。

 若者達は、競って少年宇宙戦士訓練学校を目指し、そこで選ばれた者だけが、星間戦争へと出て行った。そして、そんな優秀な人達が死んでいったのだ。研究者などを除くと、今優秀な若い男性の数というものは、確かに数が少ないのは間違いないことだった。

 「だから、私には好きな人がいるって言ってるじゃないの、ママ。まだ結婚とかそんなことじゃないけど…… でも私は他の人と結婚なんてしないわ!」

 雪は、昨日両親とした約束を思い出していた。『今日の見合いをして、相手が気に入らなかったら、両親が進に会ってくれる』という……

 「古代君に会って見て! 本当に素敵な人なのよ。なんでも一生懸命で、私のこともとても大事にしてくれてるわ」

 雪は、話ながら今日の進とのことを思い出して、顔が火照るのを感じた。両親に気付かれたくないと思えば思うほどそれは隠せなくなっていた。

 「あっ! あなた、午後から古代さんと会ってたのね?」

 雪の表情に、美里がすぐに気付いた。それに対して何も答えられない雪に、また父が助け舟を出した。

 「わかった、雪、約束だったものな。ママ、いいだろ? 会って見ようじゃないか。雪が好きだというその青年に」

 「……パパ……」

 雪は、父親の言葉がとてもうれしかった。

 晃司は一人娘の雪が何物にも変えがたくかわいかった。だから久しぶりに帰ってきたわが娘が喜ぶ事をしてやりたいというその気持ちだけなのだ。
 だから晃司としては、見合いはもちろん、進とのこともまだままごとの域を越えないでいて欲しいというのが本音ではあったのだが…… もちろん、雪にそれがわかっているわけではなかった。

 夫に娘の側に付かれ、2対1になってしまった美里は、しばらく沈黙していたが、意を決したように言った。

 「わかったわ、雪。つれてらっしゃい、古代さんを……」

 「ほんと!!」

 やっと得られた母の許諾に、雪は満面に笑みを浮かべた。

 「約束は約束ですからね。それに、ヤマトではいろいろとお世話にもなってることでしょうから…… でも、あなたたちのことを認めたわけではないわよ。ママは戦艦の乗組員の人っていうのはやっぱりちょっと不安があるわ……
 それにまだ若すぎるし。本当に、雪との付き合いを真面目に考えてるのかもわからないわ」

 「会って話せばわかるわ、きっと! それで、いつがいいの?」

 「いつでもいいわ。明日でも」 

 「明日? 古代君と会うつもりしてたからいいけど…… でも古代君がなんていうか……」

 「ママは早いほうがいいわ」

 美里は、進がいいかげんな気持ちでいるのなら、早く雪のことはあきらめてもらったほうがいいと思っていた。まだ20歳にもならない男が、将来の事など本気で考えているとは思えなかったのだ。

 「わかったわ、ママ。明日古代君に話して午後からでも来てもらうわ」

 「いいわよ、古代さんには、夕食をごちそうするから。そうおっしゃい」

 雪は、母が簡単に進と会う事を承諾した事に少しばかり不安はあったが、会ってくれるといっている機会を逃したくなかった。
 こうして進と雪の両親との対面――ある意味対決かもしれない――が決まった。地球へ帰ってからまだ3日目だというのに、雪の周りでは地球の復興に負けないスピードで事が進行していた。

 (3)

 美里と晃司は、もう寝るからと自室に戻った雪を見届けてから、二人で話し始めた。

 「ねえ、パパ。どうするおつもりなの? 雪と古代さんって人のこと……」

 「そんなこと……会ってみないとわからないが。だが、俺はそんなに雪に早く結婚して欲しいと思ってはいないよ。だから、雪が古代という男が好きで付き合いたいっていうなら、それでもいいんじゃないのか? 若いふたりなんだから、すぐに結婚とかそういう話にはならないだろう? 雪も、青春時代にはいろいろあってもいいんじゃないかってな」

 「まあ、パパったら結局雪を離したくないんじゃない。でも、古代さんが雪の事をどれだけ考えてるかは知らないけど、雪は古代さんのことずいぶん思いつめてるように思うわ。あの冷静な子が、古代さんの話になると真っ赤になって私たちに突っかかってくるんだもの。だからよけいに古代さんがいいかげんな気持ちなら、私早く雪にそれを気づかせたいの!」

 「じゃあ、古代くんがいい青年で、雪の事も真面目に考えてたらどうするんだ、君は?」

 「その時は……その時になってから考えるわ。私だって雪がかわいいのよ。雪が一番幸せになれるようにしたいもの」

 「それは私もおんなじだよ。大変な思いをしてやっと帰ってきたんだ。あの娘にはこれからうんと幸せになってもらわんと困る」

 「ええ、そうね」

 美里も晃司も、進の事をはなから反対しているようではないらしい。問題は、進が二人のめがねにかなうかどうかというところだが、いったいどんな対面になるのだろうか。

 (4)

 一方、自分の部屋に入った雪は、再び進の事を思っていた。明日会って、それから家に招待する。その事を進に今日のうちにいうべきかどうか考えていた。

 (古代君に電話してみようかしら? でも、昨日も電話したし…… また、私からかけるのもなんだかいやだなぁ。古代君から電話してきてくれないかしら……)

 今会って帰ってきたばかりなのに、雪はもう進の声が聞きたかった。笑顔が見たかった。そして抱きしめてもらいたかった……

 (古代君……)

 部屋の電話を恨めしそうに見つめる雪の思いが進に届いたかのように、突然電話のベルが鳴った。

 「はい…… !!あっ!古代君!!」

 電話は期待通り進からだった。今聞きたかった進の声を聞いて、雪は飛びあがりそうなくらいうれしかった。

 「あ、何かしてた?」

 「ん?別になんにも。ただ、今日古代君と会ったときのこと考えてたの。声が聞きたいなって……」

 「ほんと? 俺も今そう思ってたんだ。さっき会ったばかりなのに、なんだか変だよな。あはは…… ところでこの電話って雪専用なの?」

 「ええ、そうよ。どうして?」

 「いやぁ…… 実は、電話するのにちょっと勇気がいったんだ。君のご両親がでたらなんて言ったらいいんだろうってさぁ…… 電話の前で、しばらくにらめっこしてたんだよ。ああ、でもそんな心配なかったんだ!」

 「うふふ…… 古代君の意気地なし!」

 雪は、電話の前で腕ぐみなんかをしながら、受話器を持つのをためらっている進の姿を想像しておかしくなった。

 「なにぃ!言ったな!! 俺は、別に君のママが怖いわけじゃないぞ!」

 「ほんとぉ? 無理しなくてもいいのよ。 でも……じゃあ明日でもママに会って私と付き合いたいって言ってくれる?」

 「もっちろん! 明日でもあさってでもいつでもいいぞ」

 進は、話の流れから調子に乗ってそう答えた。それが実際にそうなることなど予想すらせずに。

 「わかったわ、古代君.。実はね、明日ママが古代君に夕食をご馳走するからいらっしゃいっですって……」

 「えっ!?」

 進は、絶句してしまった。自分が明日と言ったのだが、それは言葉のあやというもので、本当に明日だとは全く思ってもいなかった。

 「あら…… やっぱりだめなんだ……」

 雪は、そんな進の反応に対して、わざとさみしそうな声を出して言った。

 「うっ…… そんなことはないよ。い、いいよ。明日でも……」

 進は、そう言わざるを得なかった。今自分がそう宣言してしまった上、そんな風に悲しげな雪の声を聞いては、今更嫌だとは到底言えなかった。
 それに、いつかは会って交際を認めてもらわなければならないのなら、早いほうがいいに決まっている。そうこうしているうちに、自分はまた宇宙勤務になって地球を離れることになる。その不在中に、また見合いの話を進められて困るのは他ならぬ自分なのだ。

 進の声に、雪はほっとしたように答えた。

 「よかった。じゃあ、明日10時にね! もう遅いから寝るわ。おやすみなさい古代君。今日は楽しかったわ。それに、あの……」

 雪は言葉を途切れさせた。進とのファーストキスの事を思い出したのが、言葉にするのが恥ずかしかったのだ。

 「ん? なんだい? あのって?」

 「ううん、なんでもないわ!」

 (古代君に気付いてもらおうって言うのは、難しい話ね…… あのキスをありがとう、古代君)

 雪は、心の中で進にそう言っていた。

 「ん? まあいいか、じゃ、明日待ってるよ。おやすみ、雪」

 進もなんとなく、あの夕日の中の出来事のことかなと思ったりもしたが、同じく雪に聞き返す勇気がなかった。言葉にすると、なんだか声が上ずってしまいそうなそんな気持ちだった。

 (雪の唇…… やわらかくて甘くて…… 今も思い出しただけで体に熱いものが駆け巡るんだ)

 進は、そんな事を思いながら、受話器をおくと幸せな気分でベッドに入った。その時だけは、明日雪の両親に会って話をしなければならないことなど、すっかり忘れていた。

 こうして進は、明日いよいよ雪の両親との対面に臨むことになった。

 (5)

 翌日、予定通り雪は司令本部前の広場で進を待った。9時50分頃着いたが、ほどなく進もやってきた。
 二人は、お互いの顔をまぶしいそうに見た。顔を見ると昨日のことが頭に浮かんできて、なんとなく気恥ずかしかったのだ。それぞれになんとも初々しい姿だった。

 「おはよう、雪!」

 進は、ポロシャツにスラックスといういでたちで、一昨日買った物の中では、今日に一番あったものを来てきてくれたと、雪は一安心した。

 「おはよう! 古代君。昨日は電話ありがとう……」

 「いや……」 雪の言葉に進は、はにかみながら答えた。「今日、行くんだよな?」

 「え、ええ…… 大丈夫?」

 「多分……って、ほんとはちょっと、な…… ご両親はなんていってる?」

 「ええ、ママはどういう反応をするのかよくわからなくて……」

 「うーん…… で、お父さんの方は?」

 「ママほど過敏に反応してないような気がするんだけど、普通は反対よね。お父さんが彼を紹介したら機嫌が悪いっていう話はよく聞くけど……」

 「そっか……ま、とりあえず行ってからだな……なんとかなるさ」

 進にも、どうしていいのかわからなかったが、雪への真剣な思いをちゃんと伝えればきっとわかってもらえる、と思うしかなかった。

 (6)

 「今日は、これからどうするの?」

 「ああ、真田さんの所に行ってみないか? 地球の復興計画は科学局が中心になってやってるらしいから、どんな風なのか聞いてみたくて」

 「ええ、いいわよ」

 真田は、帰還後の休日をたった1日だけとると既に業務を始めていた。さっそく二人は揃って、科学局の真田のいる開発室を訪問した。そこでは、新造艦の開発が急ピッチで行われていた。

 「真田さん!」

 進は、そこで皆に指揮しながら真剣に作業を見つめていた真田を見つけて声をかけた。

 「やあ、古代! 雪も来たのか。どうした? せっかくの休日のデートじゃないのか?」

 真田は、苦笑しながら二人を見た。

 「そうなんですけど、今後の開発計画が気になって…… 仕事のお邪魔だったらすみません」

 進は、遠慮がちにそう言った。

 「いや、それは問題ないが…… しかし、デートするなら、もっと気の利いたところに言った方がいいんじゃないか?古代。こんなところに連れてきたら、嫌われるぞ」

 真田がにやりと笑った。
 
 「やだわ、真田さんったら…… 私も気になってたし、私は古代君と一緒だったらどこでもいいんですもの……」

 「あははは…… それは、ごちそうさまだな」

 「あっ、あら……」

 雪は、言ってしまってから恥ずかしくなって頬を染めた。隣で進も赤い顔をしている。真田はそんな二人の姿をとても嬉しそうに眺めていた。

 「で、どんな計画がたっているんですか?」

 進が話題を変えようと、訪問の趣旨を尋ねた。すると真田も真顔に戻って小さく頷いた。

 「うん、ここの開発室では、古代、お前達がこれから乗艦する艦(ふね)を作っているんだ。一言で言えば、護衛艦については、ヤマトが持っていた機能を、より簡素化して使用できるように、できるだけコンピュータに制御させるいうのがメインテーマだ。戦艦に乗れる人間の数は今はまだ限られてるからな。できるだけ、小人数で動かさなければならないんだ」

 「そうですか…… ちょっと心配ですね。コンピュータにまかせっきりにするっていうのは……」

 「うむ、その通りなんだ。ま、防衛軍最高会議で決まったことだから仕方がないが、ほどほどにしないといけないとは思っている」

 「はい、ぜひよろしくお願いします」

 「古代は新造艦の完成までの10日間は、ここで俺と一緒にそのあたりのところをチェックしてもらうつもりだから、あさってからは頼むよ」

 「はい!」

 「あと、今、ヤマトは休艦扱いになった。修理後、とりあえず保管される事になっている。しばらくは休ませてやってもいいと思ってるんだ」

 「そうですか…… そlれでまたヤマトには乗れるんでしょうか?」

 「ああ、もちろんだ。また新技術が開発され次第、ヤマトを改造するつもりでいる」

 「よかった…… もちろん、もうヤマトで戦うことなんかないほうがいいんですが……」

 進の視線が僅かに曇ると、真田も雪もこくりと頷いた。

 「ああ、そうだな。まあ、そう何回もガミラスとの戦いのようなことがあることもないとは思うがな」

 「はい……」

 「それから、これはまだ公表されてはいないんだが、地球防衛軍は新しい旗艦の開発に着手する事になったんだ。ヤマトの波動砲などの武器を強化した形で搭載される予定の全くの新型艦になる予定だ。これが完成する頃には地球もずいぶん復興してる事だろうな……」

 「そうなんですか…… 地球の復興はもうあらゆる面ですごいスピードで進んでるんですね」

 「ああ、そのためには色々と資材も必要になる。古代、お前達にその仕事をこれから担ってもらわなければならないな」

 「はい!」

 「ああ、そうだ。昼でも一緒に食べよう。もう少し、ここの中でも見ていてくれ。何か参考になることを思いついたら言ってくれよ」

 真田の誘いで、進と雪はしばらく開発室の資料などを閲覧した後、職員レストランに行った。

 (7)

 食堂で食事をしながら真田は、進と雪をまじまじと見つめた。

 「二人を見てると、幸せそうでうらやましいな」

 「えっ……」

 真田の言葉に二人は顔を見合わせてはにかんだ。真田はさらに目を細めた。

 「ま、休日からこんなところに来るくらいだから、まだ地球上じゃデートする場所もないんだろ」

 「ははは…… でも、昨日は地上に行ってみました」

 「そうか、もうすごい建設ラッシュだろ?」

 「はい…… あっという間に、まさに雨後の筍のように伸びていく建物に驚きました。それと久しぶりに夕日が見れたし…… やっぱり地上はいいですね」

 「そうだな。夕日か…… 俺もまだ見てないな。やっぱり、そういうのは彼女と一緒に見るのがいいだろ?」

 真田がニヤっと笑うので、進も雪も昨日の自分たちを見られてたような気がして恥ずかしくなってしまった。

 「今が一番いいときだな。まあ、せいぜい青春を謳歌するんだな!」

 「でもそうでもないんですよ、真田さん…… うちのママったら、帰るなりお見合いを決めちゃって、昨日さっそく会わされたんです。もちろんすぐにお断りしましたけど……」

 雪の不満げな訴えを聞いて、さすがに真田も驚いた。

 「ええっ? そりゃあ、これから大変そうだな、古代」

 「でもね、昨日の相手って言うのが……」

 雪は、昨日の見合いを南部の機転でうまく切りぬけた話をした。

 「あっははは…… 南部にそんな才能があったなんて知らなかったな。あいつ、ヤマトが帰還した時にはずいぶん女の子に囲まれていたからな。女性の扱いには、慣れてるみたいだったからな。
 しっかし、さすが御曹司ってところだな。おっとこんなこと言ったらあいつは怒るだろうけどな…… ん? ということは、雪、古代のことはご両親には内緒なのか?」

 「いえ、そうじゃないんですど…… 実は……」

 雪は両親の反応と今までの経緯、そして今日の午後、雪の家に行く事などを話した。

 「ほお…… いやはやそれは大変だ。とにかくまずはがんばってこい! 話が決まったら、俺が兄貴に代わって親代わりに挨拶に付き合ってやるからな」

 「さ、真田さん! そんなんじゃないですって!」

 進も雪も赤くなって否定した。

 「ははは…… だが、雪の話を聞いていると、雪のお母さんなら話が決まればトントン拍子ってことが有り得そうだ。しっかりやれ!古代!!」

 真田は、バンと進の背中を叩くとうれしそうに笑った。

 (古代! お前の弟は立派になったぞ。こりゃあ、近い内に結婚式になるかもしれんぞ。その時はイスカンダルからでも飛んで来いよ! それまで俺が兄貴代わりをやっててやるからな!)

 真田の分析能力は、科学に関してだけではなく、あらゆる分野で高い能力を持っているようだ。

 (8)

 昼食を終え、真田のところを辞した二人は、意を決して雪の家へと向かった。エアトレインに乗った二人は最寄の駅で降りると、雪の家までの数分を歩いていた。

 「やっぱり、ドキドキするなぁ……」

 進が顔をこわばらせると、雪も同じく緊張しているようだった。

 「私だって…… とてもドキドキしてる……」 

 「よし! あたってくだけろだ!」

 進は、手にぐっと力を入れた。

 「いやよ! くだけないでね……」

 雪が、冗談ともつかないようなことを真剣に言うので、進は思わず笑ってしまった。

 「あはは…… 確かに、くだけたら困るよな」

 「うふふ……」

 そんな風に笑ってみて、少し緊張がほぐれた二人だった。
 そして、いよいよ雪の両親の待つマンションの部屋にたどり着くと、雪が呼び出しのベルを押した。

 「はーい」

 すぐに、中から雪の母親の美里の声が聞こえ、ドアが開かれた。

 「ただいま……」「こんにちは……」

 二人が緊張の面持ちで挨拶すると、出てきた美里は意外にもにっこりと微笑んだ。

 「いらっしゃい、古代さん。さ、狭いところですけどどうぞ」

 いきなり門前払いでもするんじゃないかと心配していた雪の予想を裏切り、美里はとても愛想がよかった。

 「はい、ありがとうございます」

 進もホッとしてその声に従った。
 美里が応接間を兼ねているリビングに進を案内すると、そこには父親の晃司が座っていた。進は晃司の姿を見つけると、また緊張の度合いを高めたが、なんとか挨拶の言葉を口にすることができた。

 「あ…… あの、こんにちは。あ、古代進です」

 それだけをやっと言うと、進はぺこりと頭を下げた。

 「こんにちは、森晃司です。先日は急いでいたもので失礼しました。ヤマトでは、雪がいろいろとお世話になったようで、どうもありがとうございます」

 晃司のおだやかな物言いを聞いて、進はほんの少し緊張を緩めた。美里の方は、その様子を黙って見ていたが、すぐ台所へ行き、お茶とお菓子を持って戻ってきた。

 「古代さん、お掛けになって。どうぞ」

 美里は持ってきたお茶とお菓子を勧めながら、進に座るように促した。

 「は、はい…… ありがとうございます」

 進は、示されたソファーに腰をかけた。雪もその隣に腰かけ、心配げに母と恋人のやり取りを見つめていた。

 「本当に、ヤマトのおかげで地球は救われたわ。古代さん達のおかげですわね。でも大変な旅だったんでしょ?」

 「は、はあ…… それは……」

 美里の口調は変わらず丁寧だ。だが緊張している進は、しどろもどろに答えるのがやっとのようで、雪は心配でならなかった。

 (古代君、ちゃんと答えてね!)

 祈るような気持ちで進を見つめていると、再び母が口を開いた。

 「艦長代理までお務めになったそうですわね。でも、ずいぶん危険な目にもあわれたんでしょう?」

 「は、はい。何度か……」

 「まあっ! やっぱり命にかかわることもおありだったんでしょ?」

 「はい…… 生きて帰れたのが不思議だと思うくらいのこともありました……」

 畳み掛けるように質問する美里に誘導されるように、進は素直に答える。と、雪の眉間にしわがよる。

 「古代君!」

 雪は進を横からつついて、小さく首を振った。

 「い、いえ…… そんなこともあったかなぁって思いましたけど、それほどでもなかったような気もします」

 進のわけのわからない言い訳に雪はひやひやした。美里は、さりげない会話をしながらも、進の仕事が危険極まりないことを認めさせようという魂胆なのだ。

 (ママったら、素直に家に入れたと思ったら、古代君の話をうまく自分の方にもっていくつもりなんだわ……)

 「でも、ほんとに命をかけたお仕事ですわね。そんなお仕事をしていたら家族の方はさぞご心配でしょ?」

 (ほら来た…… もう、ママったら! 古代君に任せて置けないわっ!)

 雪は、上手に答えられない進に代わって、自ら話し始めた。

 「今は、もうガミラスもいないのよ。そんな危険な事はないわ。これからは物資の輸送船の護衛艦の仕事をするんだから、めったなことはないし、きっと平穏な宇宙の旅になるわよね、古代君」

 「ああ、そうです。そのとおりで…… それに僕には残念ながら家族は地球にはいません」

 「まあ、じゃあご両親は……」

 さすがに美里もその後の言葉をつまらせた。察するものがあったのだろう。だが、進は口ごもりことなく淡々と答えた。

 「はい、僕が12歳のときに遊星爆弾の直撃で亡くなりました…… 兄は……事情が合ってイスカンダルに残っています」

 「そうでしたの、ご両親は遊星爆弾で…… それはお気の毒に…… それで、お兄様はイスカンダルに残られたんですって? なんのために?」

 「イスカンダルのスターシャさんと……一緒に暮らす事にしたんです…… 新しいイスカンダルを作るために……」

 兄についての進の説明に、美里と晃司が不思議そうな顔で顔を見合わせたが、それ以上は言及しなかった。

 (9)

 その後も、美里はヤマトでの航海でどんなことがあったのかなど、とにかく進を質問攻めにした。進の方は、その質問に答えるのがやっとで、息をついてお茶を飲む時間もない。もちろん、雪との交際のことを切り出す隙などまったくない。
 雪は、そんな美里の作戦に対抗すべく、一旦進をリビングからひっぱりだすことにした。

 「ね、古代君。ちょっと私のお部屋にこない? ほら、この前言ってた写真みせてあげるから」

 「写真?」

 何のことかわからなかったが、雪が真剣な目で訴えているようなので、進は素直に従うことにした。

 「ああ、わかった……」

 雪は、進の手を引くとさっさと自分の部屋に連れて行った。そして部屋に入ると、さっそく進を気遣った。

 「古代君、大丈夫?」

 「え? う、うん…… 君のお母さんの質問に答えるのがやっとで、ごめん…… 何も話が切り出せなくて……」

 申し訳なさそうにうなだれる進の手を、雪はそっと握った。

 「わかってるわ…… ママの作戦なのよ。ママはこのまま古代君に何も言わせないで帰すつもりなんだわ。それで帰ってから私に『ほら、古代さんはあなたとお付き合いするて話なんかされなかったわ』とかなんとか言って、また新しいお見合いでも勧めるつもりなのよ」

 「そ、そうなのかぁ…… うーん。それにお父さんは何も言わないね」

 「パパが口を挟む暇なんてなかったじゃない。私だってやっと、話の切れ目を見つけてあなたを連れ出せたんだから……」

 雪は、そう言って笑った。

 「ははは…… 確かにそうだな。雪、君とはおかあさんは似てるよ。君のその性格はお母さん譲りだよな」

 「どういう意味よ! もう!」雪は、少しふくれっつらをして「それよりも、どうする?」

 「どうするったって、なんとか突破口を開くしかないな…… うーん、これじゃガミラスと戦ってる方がいい作戦が浮かんできそうだ…… ははは」

 「冗談言ってるばあいじゃないでしょ? もう、古代君ったら」

 雪は、へらへらと笑う進の言葉に苦笑した。

 「とりあえず、一息ついてちょうだい。あんなにしゃべり通しで、のど乾いたでしょう。今お茶をとってくるから」

 「うん……」

 部屋を出て行く雪の背中を見ながら、進は一人大きくため息をついた。

 (はあ…… やっぱり簡単にはいかないよなあ。雪のご両親、雪の事がかわいくてしかたないんだろうなあ。突然俺みたいなのが現れて、交際させて欲しいと言ったって、簡単にはウンて言えないんだろうな。
 俺の父さん母さんが生きていたらどんなだったかなぁ。雪に会ったらきっと喜ぶだろうな。かわいいお嬢さんだっとかお前にはもったいないとか言うんだろうな…… ああ、家族ってやっぱりいいよな。雪は幸せだよ)

 美里があれだけ進を疲弊させ、進の話を聞いてくれないという状況になりながらも、進は意外と美里に腹を立たなかった。逆に、美里なりの雪への思いを感じて、母親へのほのかな憧れを感じるほどであった。

 (10)

 進を部屋においてリビングに来た雪は、台所で食事の仕度をしている美里の詰め寄った。

 「ママ、何よ、あれ! あんなに古代君を質問攻めにしたら、古代君、自分から何も話せないじゃないの!」

 すると、雪の剣幕にも美里は平気な顔で答えた。

 「あらそおお? だって古代さんって何か質問でもしてあげないと話し辛そうだったんですもの。シーンとなって場がしらけたらかわいそうでしょう?
 それに、ほんとに何か言いたかったら言えばいいでしょう。私は何も古代さんの口をふさいでいるわけじゃないわ。
 でも、かわいい人じゃない。お友達として、ヤマトのほかの方々と一緒にお付き合いさせてもらえばいいのよ。ね、雪」

 「ふー…… とにかく、古代君の話も聞いてよ。あ、このお茶とお菓子持って行くわよ」

 「あっ、雪、年頃なんだから、部屋のドアは開けておきなさいよ!」

 「よけいな、お世話よ!」

 雪は、美里の言葉にプンプンしてお盆を持って行ってしまった。そこに晃司がやってきた。

 「ママ、あんまり若い者たちをいじめるなよ。古代君は真面目そうないい青年じゃないか。古代君を見る雪の目は、私が見ても妬けるほど一生懸命だったぞ。彼だって何か言いたそうだったし、真剣に付き合いたいんじゃないのか?」

 「あなた…… 確かにそうだけど、でも、やっぱり若いわ。雪ってもともと大人びたところがあるでしょう? だから少し年上のしっかりした方のほうがいいと思わない?
 あれじゃ、きっと雪のほうが主導権握ってるわよ。それに雪に好かれてちょっといい気分になってるだけなら絶対だめだわ。もう少し話をしてみないと……」

 「うむ……」

 美里にそう言われると、晃司に言い返す言葉はない。

 (まあ、私が娘の彼氏の味方をするのもなんだし、もう少し様子を見るかな。しかし、古代君が本当に雪の事を大事に思っているのなら、付き合いくらい認めてやってもいいように思うんだがなぁ)

 次なる作戦でも考えているように真剣なまなざしの妻を、晃司はただじっと見ていた。

 (11)

 雪が部屋に戻ると、進は座ったままで部屋の中をきょろきょろと見まわしていた。

 「どうしたの? 古代君」

 「いや、女の子の部屋ってはじめて入るから……」

 進は照れ笑いしながら、それでもまだ部屋中を眺めている。

 「やーね…… あんまりじろじろ見ないで恥ずかしいわ。はい、お茶」

 「ああ、ありがとう…… ふー 美味しい。これお母さんが入れたの?」

 進は、差し出された紅茶をゆっくりと飲むと一息ついた。

 「そうだけど…… え?それどういう意味?古代君!」

 「あっ、いやあ、別に…… ははは……」

 進は笑ってごまかしながら、菓子を口に放り込んだ。すると今度は雪は本棚から、当にアルバムを出してきて、小さい頃の写真を次々と見せてくれた。

 「かわいいなあ……赤ちゃんの時の雪。うわっ! オールヌード!!」

 進は楽しそうにページをめくり、写真を次々と見ていった。

 「やだ、古代君ったらぁ!」

 雪は顔が赤らむのがわかった。まだハイハイの赤ん坊のころの写真とは言え、進に『裸』を見られるのは、やっぱりなんとなくやはり恥ずかしかった。

 「この男の子は?」

 進は、写真のあちこちに写っている雪より数歳上の端正な顔付きの男の子を見つけて、雪に尋ねた。

 「ああ、子供のときに隣に住んでたお兄ちゃんなの。10歳くらいの時に引っ越していったきり会ってないけど、小さいときはいつも後ろにくっついてよく一緒に遊んでもらってたわ。懐かしいな」

 「へぇ、よく小さい雪の相手なんかしてくれたな」

 「そうねぇ…… お兄ちゃんも一人っ子だったから、ほんとの妹みたいなつもりしてたんじゃない? 私もおませだったから、結構年が離れてるのに、口では負けてなかったし。ふふふ……」

 雪は、久しぶりに自分のアルバムを見て、幼い頃のことを思い出してうれしくなった。

 (諒兄ちゃん…… あれから一度も会った事ないけど、どうしてるのかしら? 無事でいてくれればいいのだけど……)

 遊星爆弾が投下されるまで、進も雪も幼子としてごく普通に幸せに暮らしていた。それを二人は今思い出していた。

 しばらく、アルバムや雪の学校の卒業写真など、いろいろな思い出の物を見ながら二人の話は盛り上がった。そうこうしているうちに、夕食ができあがったと、美里が呼びに来た。

 「雪、古代さん、夕食の仕度ができたわ。食べにいらっしゃい」

 「はい、ママ」

 雪が返事をすると美里はリビングに帰って行った。二人は顔を見合わせる。

 「さて、第2ラウンドだな……」

 進は雪に向かって微かに笑った。

 「こんどは、がんばってね! 古代く・ん!」

 雪も進の表情が固くないことがうれしかった。

 (12)

 台所に戻ってきた美里は、ふっと一つため息をついた。

 「どうしたんだい? 呼びに行ってからしばらく帰ってこないから、また何かやってるのかと心配してたんだぞ」

 美里のため息を見て、晃司が尋ねた。

 「部屋の外から二人の様子をちょっと見ていたのよ」

 「お前! そんなこと!」

 晃司がびっくりして少し声を荒げたが、それにはかまわず美里は続けた。

 「雪、いい顔してたわ…… 雪も古代さんも幸せそうに笑ってた…… あんな笑顔、雪が帰ってから見たのは初めて」

 「二人が望むならしばらくつき合わせてやればいいじゃないか。将来のことはわからないだろうが、何も雪の意に反してまで、他の見合い話なんか持ってこなくても……」

 「あなた…… 私は雪に一番いいと思うことをしてあげたいのよ。古代さんが本当に雪の事を思ってくれてるかどうか、確かめないことには」

 美里は、真剣な表情で晃司に向かってそう言った。そこへ夕食に呼ばれて二人がリビングに入ってきた。美里はすぐに笑顔になって二人を招き入れた。

 「さ、こっちに座って、まだまだ揃わないものがあるけれど、いろいろ工夫して作ったのよ。古代さん、たくさん食べてちょうだいな」

 「はい、ありがとうございます」

 進がにっこりと笑った。進の食べ物を前にする笑顔は天下一品で、さすがの美里もその笑顔にドキッとしてしまった。もちろん雪もその笑顔には見とれている。

 (古代君ったら、いつも食べ物を前にするとすごくうれしそうなんだから……)

 進はさっそく美里の作った料理をどんどん平らげていった。

 「お母さん…… どれもすごく美味しいです!!」

 美里はその進の食べっぷりには思わず感心してしまった。

 「まあまあ、そんなに食べてもらうと作り甲斐があるわね……」

 目を丸くしながらもまんざらでもなさそうな母の笑顔を見て、雪は、母が進に少しでも好感を持ってくれたようで嬉しかった。食事は和やかな雰囲気のまま、無事に終始した。

 「ご馳走様でした。こんな家庭の手料理を食べたのはほんとに久しぶりです。本当に美味しかったです」

 進は本心からそう言って美里の料理を誉めた。進が母の手による食事を食べたのは、もう6,7年も前のことで、両親が死んでからずっと寄宿舎生活だった進が家庭料理を食べるのは、両親の死後初めてのことだった。

 「ほんとに若い方って、気持ちいいほど食べてくださるのね。また、ヤマトのお仲間と一緒にいつでもいらしてくださいな」

 美里は、ニッコリ笑って進に言った。だが『ヤマトの仲間』という言葉が暗に進に、雪の特別な人とは認めていないということを表しているようだった。
 そこで進は、ソファに座りなおして居住まいを整えると、意を決したように口を開いた。

 「あの…… 僕は、雪さんが好きです!」

 進の突然の言葉に今まで和んでいた空気が急に固まった。美里も晃司も驚いて、の顔を見た。雪だけは『やった!』と目を輝かせた。

 「あ…… 今日は僕はこのことを言いたくてお邪魔しました。雪……さんがお見合いをしたって聞きました。あの、僕は雪さんとこれからお付き合いさせていただきたいと思っています。だから、あの……」

 進が全部言い終わらないうちに、美里が厳しい口調でそれを遮った。

 「古代さん、あなたはまだまだお若いわ。そんなに無理しなくても、雪とはお友達でいてやってちょうだいな。雪には、それなりの方を探してこれからもお見合いさせるつもりです」

 「ママ!」

 「……でもしかし!」

 進はまだ食い下がろうとしたが、美里にピシャリと言われてしまった。

 「とにかく、私も主人もこちらで認めた方以外とは雪とお付き合いさせるつもりはございません。なんといっても雪は私達の大事な一人娘なんです。申し訳ないけど、古代さんあきらめてください」

 美里の言葉に付け入る隙はなく、その言葉だけが冷たく響いていた。晃司もじっと黙ったまま何も言おうとしなかった。

 (13)

 「もう、いいわっ!!」

 美里の進への冷たい返事に、雪はすくっと立ち上がると涙声になって叫んだ。

 「わたし、もうこんな家なんかに居たくない! 家を出るわ! こんなわからずやのパパもママもだいっ嫌い!」

 雪は感情が爆発して今にも部屋から駆け出しそうだった。晃司は雪のあまりにもの激昂に驚いて、止めようと声を発しようとしたその時だった。

 「だめだ! 雪!! それは、僕が許さないよ」

 進の顔は、さっきまでの少しはにかんだような幼い顔から、真剣な鋭い表情に変わっていた。

 「雪、そんな言い方はないよ。お父さん、お母さんに謝るんだ!」

 「古代君……」 

 進の鋭い声と視線で、雪の怒りがすっと引いた。ゆっくりと進のほうを見ると、進も雪をチラッと見た。そして立ち上がって晃司と美里をまっすぐに見つめた。

 「今日のところは、僕は帰ります。雪と喧嘩しないでください……お願いします。でも、僕はあきらめたわけではありません。出直します。僕の雪への気持ちは真剣です。それをわかっていただくまで何度でもお邪魔します。今日は本当にご馳走様でした。ありがとうございました」

 進は二人に向かってそう言うと、深々と頭を下げ、そのまま玄関へ向かって歩いていった。

 「古代君!」

 進は雪が声をかけても振り返りもせずに、玄関から出ていった。晃司も美里もすぐに反応できず、ただ黙ってぽかんとそれを見つめていた。

 進が玄関を出てシーンとなったリビングで、最初に声を発したのは雪だった。

 「古代君……古代君!」

 雪は玄関に向かって駆け出した。

 「雪!」

 美里が雪を呼びとめようとした。すると晃司が美里を制止した。

 「ママ、待ちなさい…… 雪はすぐ帰って来る」 

 「だって、パパ! 雪が古代さんを追って行ってしまったら……」

 「大丈夫だ。古代君は雪を必ず帰させるから」

 「あなた……」

 「雪が出て行こうとしたのを止めたのは古代君だ。だから、今雪が追っていっても古代君は雪をちゃんと説得する。もし、それができないようなら、わたしの見込み違いだが」

 「…………」

 「美里……お前ももうわかってるんだろ。彼がどんなに真剣に雪の事を思っているかを。雪を大事にしてくれているかを……」

 「…………」

 (14)

 「古代君!!」

 進が玄関を出てマンションのエレベータのところまで来たとき、雪は進に追いついた。

 「雪……ごめん。今日はこのまま帰るよ」

 「でも、古代君……」

 「雪…… ご両親にあんなこといっちゃだめだよ」

 進が悲しそうに微笑みながら、雪を睨んだ。

 「だって、あんなにあなたが真剣に言ってるのに、ママもパパもちっとも真面目に聞こうとしてくれないのよ! そんなのって……」

 雪の瞳が潤み始めたのを見て、進は優しい笑顔を雪に向けた。

 「君の事がかわいいんだよ、雪。ご両親のどこの誰だかわからない男に簡単に大事な娘を託せない、っていう気持ち、よくわかるんだ。
 僕には両親がいない。だからこ、君のご両親のことは大切にしたい。もちろん君にも大切にして貰いたいんだ。だから、いいね。それに僕はあきらめたわけじゃないって言っただろ?」

 「古代君……」

 雪は悲しいのと同時に、進の雪や雪の両親への真心に触れ嬉しくて、涙があふれてきた。

 「泣くなよ、雪…… 俺、また出なおしてきて何度でもお願いするから。そのうちきっとわかってくれるさ! 君のお母さんとお父さんだもんな」

 「古代君!!」

 雪は、そう言うと進の胸に飛び込んだ。

 「雪……」

 進も雪を受け止めるとしっかりと抱きしめた。

 「キスして……」

 雪のその言葉に進は一瞬目を見張ったが、すぐに雪の頬に伝う涙を唇でぬぐい、雪にキスをした。雪もそれに答えるかのように、強く強く進の首筋を抱きしめキスを返した。
 それは昨日のおずおずとした触れるだけのキスではなく、互いの気持ちをしっかりと確かめるように、とても深い口付けだった。

 そして……二人に暖かい空気が流れた事を確認すると、進は雪を体から離した。

 「さ、もう戻らないと、雪」

 「ええ…… わかったわ、古代君」

 今度は雪も素直に従った。

 「今日は、まっすぐ家に帰りたくないな…… 島でも誘って飲みにいくかな…… じゃ、また」

 「気をつけてね」

 「うん」

 進はエレベータに乗ると、手を振って帰っていった。

 (古代君、ありがとう…… あなたの気持ちとてもうれしかった。いつかきっとわかってもらえるわよね。パパにもママにもわたし達の気持ちが……)

 進の思いは雪の両親には通じたのだろうか。それともまだ……?
 雪にはああ言ったものの、進は複雑な心境で雪の住むマンションを後にした。

Chapter 3 終了

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