星の彼方から愛をこめて
「副司令、今日は随分早いお帰りですね」
ラランド星の司令本部で司令部員の中津が、ややからかうような言葉をかけた。
定時を少し過ぎた頃、いつもなら皆が帰るのを待ってから帰宅するラランド星副司令の古代進が、今日は珍しく皆よりも先に帰り支度を始めていたからだ。
「いや、ちょっと野暮用でね」
進が照れたように、かすかに笑みを浮かべた。近くにいたランバートやナギサも、上司の珍しい表情に不思議な顔をする。
「とにかく、今日は先に失礼するよ。特に問題はないだろ?」
さらに照れたように話す進の姿をどう理解したのか、中津は訳知り顔で答えた。
「はい、了解しました! ごゆっくりどうぞ〜!」
その声を背にしながら、進は何も答えずにそそくさと本部を後にしたのだった。
進が出て行ったドアをじっと見つめているナギサに、ランバートが話しかけた。
「ナギサちゃん、なんか知ってる?」
「え? いえ…… あ、でも……」
ナギサはちょっと考えるように小首をかしげた。
(確か…… 副司令が新婚旅行にタヒチに来た時、真夏だったっていう話を聞いたことがあったわ。ということは、ちょうど今頃?
じゃあ今日は奥様に……?)
そんな考えをめぐらせ結論に達すると、ナギサは微妙に表情を曇らせた。
ナギサの顔をこっそりと見ながら、中津とランバートがコソコソと話を始めた。
「おい、ナギサちゃんが暗い顔になったぞ」
「ってことは、こりゃ奥さん関係だな? 司令、奥さんとテレフォンデートか、ヒヒヒ……」
「お前、変な笑い方するなよ」
「だってさぁ、結局、副司令とナギサちゃん、微妙な雰囲気から発展してないみたいだしさ。ってことは、やっぱり男としては日々寂しい夜を過ごしてるわけだよなぁ」
「まあ、そりゃあそうだな」
「ってことで、今晩は奥さんとテレフォン……ふがっ! 何するんだよ」
「ばかやろっ! そんなでかい声で!」
かすかに聞こえてくる二人の声を後ろにしながら、なぎさは小さなため息をついた。
(奥様に電話? そうよね。それにもうすぐ……もうすぐ副司令は地球に帰ってしまう)
1年の予定で出向してきている進の任期は後3ヶ月足らず。4月になれば、進は地球に戻ってしまうのだ。
ナギサの心に、今日もまた消しても消してもどこからか湧いてくる切ない思いが去来した。
そんな司令本部の会話など知る由もない進。足早に帰途についた。
(さて、家についたら地球の我が家に電話しなくちゃな! けど、ご馳走作ってお祝いするから必ず電話入れてね、って言われてもなぁ。俺は画面のこっちから、ご馳走見ながら指くわえろってんのか!? う〜む、なんか、ちょっと悔しいな)
そんなことを考えながらも、進の頬は自然とゆるんだ。
(そうかぁ、結婚10周年かぁ〜 長かったようで、短かったな。いろいろあったけど、子供達も3人授かって……)
脳裏に浮ぶ妻や子供達の笑顔。その顔をもうすぐ見られると思うと進の足取りはさらに軽くなった。
家に帰り着いた進は、さっそく星間通信で自宅への回線を開いた。
画面が開くなり、準備していたのだろう、目の前でお兄ちゃん達2人ががクラッカーをパンパンと鳴らした。
その後ろで雪、愛、そして雪の両親が笑顔で並んで座って拍手をした。
子供達と義父母からの「10周年おめでとう!」の言葉のあと、雪から「10年間ありがとう」の言葉。
そしてその言葉に、進も同じく「こちらこそありがとう」と深々と頭を下げた。笑顔と笑顔が遠い星の海を挟んで、向かいあった。
その後、子供達が「見てみて!」と後ろのテーブルを指差した。そこには、数々のご馳走が並んでいる。
「おおっ、美味そうだな」
進が羨ましそうに言うと、愛がにっこりと笑った。
「だいじょうぶ! パパが帰ってくるまでとっておくからねぇ!」
その愛らしい笑顔と優しい心遣いにウルウルしている進を、雪は微笑ましげに、そしてちょっと呆れ気味に見ている。そして、
「え〜、愛ってばっかだなぁ。帰ってくるまでとっといたら、腐っちゃうだろぉ〜!」
と、正論で突っ込む航と、それに対抗して「れいとーすれば大丈夫だもん!」と一丁前な返答をする愛。
そんな兄妹の会話を、進は目を細めて見ていた。
ひとしきり楽しい会話が続いたあと、子供達を祖父母達に頼んで食卓へ向わせた後、雪が画面に近づいてきて、そっとつぶやいた。
「ねぇ、あとでもう一度電話していい?」
とここで一息置いて、さらに小さな声で囁く。
「子供達が寝てから……ね」
その声がやけに悩ましくて、進は思わずドキリとしてしまった。
「え?ああ…… うん、待ってるよ」
ドギマギしているのを悟られまいと、さりげなさを装って進がそう答えると、雪は嬉しそうに微笑んで、通信が切れた。
「まったく、何やってんだか。10年も連れ添って、まだ焦ってんのか!?俺はぁ……」
と愚痴のような言葉を一人口にしながら、まんざらでもないかのようにふっと笑みが浮んでくる進だった。
それから数時間後、進は大好きなワインとつまみで一人記念日の祝杯をあげていると、通信ランプが受信を告げた。
「おっ、やっと子供ら寝たか」
グラスを持ったまま受信ボタンを押すと、画面の向うにすでに寝支度を済ませた雪が現れた。
薄水色のネグリジェ−さすがにシースルーではなかったが−に身を包んだ雪は、しっとりとした美しさをかもし出している。
「お待たせ……やっと寝たわ」
雪が、ちょっと疲れたような顔で微笑むと、進も柔らかに微笑を返した。
「はは、ご苦労さん。今日は賑やかそうだったな」
「ええ、ご馳走たくさん作って、パパやママも来てくれて子供達は大騒ぎよ」
「そっか、よかったな」
進が頷くと、雪はほおっと小さくため息をついてから頷いた。
「ええ、でも…… 少し寂しいわ。10周年の記念の日になのに、こんなに離れてるなんて……」
雪の口から、そんな愚痴めいた言葉がポロリとこぼれる。何度か言われたことがあるが、今日は一段と寂しそうだ。
だが、こればっかりはどうしようもない。進は苦笑しながら答えた。
「しかたないだろう? 春には帰るから、もう少し我慢しててくれ」
画面の向うで小さな子でもあやすように、進は優しい笑みを浮かべた。
「ええ、そうね……」
それでもまだ寂しそうな妻に、さらに進は付け加えた。
「帰ったらちゃんと埋め合わせするから。10周年記念も帰ってからやり直せばいいさ」
その言葉に、雪がやっと笑顔になる。
「ほんと? うふっ、うれしいわ」
さらに画面の向うの夫に、上目遣いで甘い視線を送った。
「あ、ああ……」
と、遠く離れたラランドの夫が、またもや思わずドキリ……としたのは言うまでもない。体中をぞくりとした甘い感覚が走リ抜けていく。
「あら?どうかした? うふふ……」
さっき子供達がいた時は、そのままスルーしたが、二人きりの今度は、夫が動揺したような仕草に、雪はすぐに気付いた。
結婚して10年。新婚時代はまだまだ青二才だった彼も、30歳の大台を超えて数年。
しかし、常に鍛錬を忘れないその鍛え抜かれた体は、30を越えた今も精悍で逞しい。さらに、20代前半の少年の面影を残していた頃より、大人になったその顔付きは、魅力を増しているといってもいいかもしれない。
そして妻の雪も、彼を今も心からの愛を捧げて続け、同じく三十路を迎えた。
ティーンエイジャーから20代前半の頃の、清楚で若々しい美しさも天下一品だったが、三十路を越えた今は、夫を愛し愛される人妻の魅力というのだろうか。とても3人の愛児を持つ母とは思えない。
例えれば、それはまるで完成された薔薇のよう。その美しさは今も衰えることを知らず輝きを増している。
自分の仕草が彼にどんな影響を与えたのか、熟れた果実の域に達している彼女には手に取るようにわかるのだ。
「えっ、あっ……あっと、そうだっ、子供達はもう寝たのか?」
さっきの視線にドキリとした自分をごまかそうと進が尋ねた。
「だから、寝てから電話するって言ったじゃなぁい?」
雪のからかうような言葉も、艶やかで甘い。夫が画面の向うで動揺しているのが感じられて嬉しい。進をじっと見つめる。
「あ、そ、そうだったな」
進はその視線をちょっと逸らすように、持っていたワインを口にした。
「やだ、なぁに焦ってるの?」
「え? い、いや、そういうわけじゃ……」
「うふふ、変な人……」
雪はそうつぶやくと、さりげなく両手で肩まである髪をふわりと広げなおした。白いうなじが画面の向うからもしっかりと目につくように……
雪は完全に誘っている。進はそう思った。遠い星の彼方から愛する夫を誘惑しているのだ。
ラランドまで出張して会ってからもう数ヶ月が経つ。会えない寂しさもあり、さらに彼の地で知った彼を密かに思う若い娘の存在を知った。
進との愛について、何も恐れることはない、と彼のことを良く知る南部が言ってくれた。自分でも彼の地で彼女と接し話をして、人となりを知って、そう思おうと努めてはいる。
けれど……女心と言うのは、そう簡単に理屈で割り切れるものでもなかった。
(彼女とはあれから何かどうかなっているのかしら? それとも私の考えすぎ?)
夜遅く一人になった時、ふと思うことがある。
そして結婚10年目という記念の日、雪は少し自分が不思議な感覚に陥っているのを感じていた。
(あの人の心も体も私に向かせたい。今も、そしてこれからも……ずっとずっと向いていてもらいたい…… 誰にも渡したくないの…… 私の夫を……)
そんな切ない思いが、雪にそんな行動を取らせているのかもしれない。
(雪は誘っているのか……?)
進の瞳が微妙に揺れる。
売られたナニに答えぬのは、男の沽券にかかる、と言うわけでもないだろうが、これは受けて立つしかないとの結論に進は達した。
「なぁ……」
「え?」
「したい……んだろ?」
進の視線が画面の向うから熱く注がれ、今度は雪の方がドキリとしたる。
「したい……って……何が?」
雪の心臓の鼓動が大きくなった。何が、と聞きながら、もちろん何なのか、彼女にも良くわかっている。
けれど、自分で誘いながらも、それに夫が乗ってくると、どこかで恥ずかしさが湧き上がってくる。
「……抱きたい……」
「何言ってるのよ。ばか……」
真剣な眼差しの進の視線を避けるように、雪はそっと恥ずかしそうに、斜め下を向いた。しかし、答える声はそれを受け止めるように甘い。
「酔ってるのね……?」
「酔ってなんかいないさ。なぁ、見せてくれよ、その……」
君の美しい胸を肢体を……という言葉を、進は飲み込んだ。
「だめよ……」
「どうして? いいだろ?」
「恥ずかしいもの……」
「誰も見てないじゃないか。画面の前には俺しかいない」
確かにお互い薄暗い部屋の中、それぞれの部屋には誰もいるはずもない。けれど……
「それはそうだけど…… でももしも……」
そう、これは星間通信。個人情報の保護のため、暗号化しているとはいえ、どこで誰がどんな手段で傍受するかもしれない。
職業柄とはいえ、そんなことを即座に思いついてしまう自分が、雪は少し憎らしかった。
当然、進もそのことにはすぐに気付いたようで、
「じゃあ、声だけでいいよ」
と答えた。雪が弾かれたように顔を上げる。
「え?」
「画面は消すから…… テレフォン……しよう」
夫の視線は熱く真剣だ。本気だと感じると、雪の体がさらにカーっと熱くなった。
「携帯に切り替えて、ベッドへ行けよ」
「……だめ……あっ!」
雪が拒否するまもなく、画面が消えて真っ暗になった。
(ああ、どうしよう……)
そう思うと同時に、恥ずかしさと嬉しさと、さらに体を伝わる疼きが雪を動かした。
雪はのろのろと画面の横にある携帯端末を取り上げると、ベッドルームへ入った。そしてベッドに体を横たえると、携帯に耳を当てた。
「雪、雪……?」
進は電話の向うで彼女の名を呼び続けている。雪は意を決したように答えた。
「いるわ」
雪が答えると、進のため息のような吐息が聞こえた。
「今、ベッド?」
「…………」
恥ずかしくて答えられない。すると進の声がさらに聞こえる。
「雪……?」
「ん、ええ……」
雪は小さな声で答える。
「俺もベッド。……脱いだ?」
「まだ……」
「脱いで……」
ストレートに妻にそうつぶやいてから、進もすぐに自分の身にまとうものを脱ぎさった。下腹部に熱いものが集中して行く。
雪ももう躊躇しなかった。夫を愛する思いと体に広がる欲望の疼きが、雪を支配した。目を閉じれば、夫の逞しい体が脳裏に鮮やかに映し出される。
そして、進の耳元に微かな衣擦れの音が聞こえてきた後、雪の囁くような声がした。
「……脱いだわ」
進の脳裏にも、妻の美しくも艶かしい裸体が、輝きはじめた。
「愛してるわ……あなた」
「愛してる……雪……」
それから二人は、何万光年の彼方の愛する人と言葉だけで、深く深く思いを込めて愛しあった。
西暦2214年の1月。遠く離れた夫婦の10周年の記念日の夜はこうして過ぎていった。
この後近い未来に、二人の心にさざなみを立てる出来事が起こることを、この日の二人はまだ知るよしもなかった。
Fin
当サイトも、なんと10周年目を迎えることになりました!!
10周年と言うことで、またまた結婚10周年の二人を描こうとして、ハタと気がついたのですが、そう、10年目の記念日は、どう考えてもうちの二人は一緒にいない(^^;)
なにせ、1年間のラランド星基地への出向中の旦那様でありました!!
ということで、中身は『ラランド番外編』って感じになってしまったわけです(^^;)(^^;)
なんか微妙なお話でしたが、お許しくださいませ〜〜〜(汗)
決して、あの星間通信を傍受した人物がいるかも?なんてことは考えられませんように、お願いいたします(笑) きっと最高級の暗号通信してますから!へ(^^)へ
なお、『ラランドの白い花』未読の方で、意味わかんないとか登場人物の名前良くわかんない〜という方は、特別企画作品の『ラランドの白い花』をご覧下さいませ。ただし、まだ完結しておりませんので、その点ご了承くださいませm(__)m
ということで、サイトのほうですが、更新の方は、すっかり間が開いてしまっております。
が、これからも、まだまだ、2人のラブラブな世界を大切にしていきたいと思っていますので、お時間のある時に、時々遊びにくて下さると嬉しいです(*^^*)
でもって、もしかして運がよければ、更新されているかもしれません……(爆)
そんなこんなな私ですが、これからもお付き合いのほど、どうぞよろしくお願いいたします。
2010.6.22 あい
(背景:トリスの市場)