それから3日後、1月15日、いよいよ結婚記念日当日となった。

 雪は今日は休暇を取っていた。買い物や準備があるらしい。
 進のほうは次の出航に備えて、ドッグへ出勤することになっている。ただし、特に問題のない限り、帰宅は定時の予定だ。

 まだご飯を食べている二人の子供達に、玄関から手を振りながら、進は見送る妻に言った。

 「じゃ、行ってくるよ。帰り子供達拾ってくるか?」

 どちらかが休みのときは、子供達は保育園を休ませることが多いのだが、今日は雪が色々と忙しいということで、子供達はいつも通り保育園に行くことになっていた。

 「ええ、お願い。私はもうちょっとしたら、この子達を保育園に預けに行って、それからお買い物するつもりよ。お昼過ぎには戻ってきてるつもりだけど」

 「今夜は、ほんとにお義母さんに頼まなくていいのか?」

 「ええ、だってどこかへ出かけるわけじゃないし……」

 「本当にそれでいいんだな?」

 しつこく念を押す進に、雪は笑顔で軽く睨み返した。

 「もう、まだ言ってる! うふふ…… 今日はいいのよ。あ、でも一つだけお願いがあるの」

 「ん?なんだ?」

 ほらきた、とばかり夫が尋ねると、

 「帰ってきたら、子供達を思いっきり遊ばせて疲れさせて欲しいの」

 という答えが返ってきた。

 「え? 疲れさせ? あ、ああ…… はは、わかった! とっとと寝かせて後はゆっくりってわけだな。よっし! まかせとけ!」

 一瞬何を言ってるのかわからなかった進だったが、すぐにその主旨を理解したらしい。いや、さらに深読みしているらしいことが、雪にはすぐにわかった。

 「ふふ……なんだかやけに張り切ってなぁい?」

 「そりゃあ、まあ、なんだ……あははは…… 期待してていいんだろ?」

 「もうっ、だからそういうんじゃないの!」

 「あはは、そういうことにしておくよ! じゃあ、行ってきま〜っす!」

 「行ってらっしゃい!」

 雪は、なんだか急にウキウキしだした夫を、軽くたしなめて送り出した。そしてくるりとダイニングの方を振り返った。

 「さぁ、守、航、もうすぐ保育園にお出かけよ〜!!」

 するとダイニングの方から、守の声が聞こえてきた。

 「お母さぁ〜ん、航がご飯おもちゃにしてるよ〜!」

 「えっ?」

 雪が慌ててダイニングに駆け込むと、航が食べかけのご飯をお皿から派手にこぼして、さらにテーブルの上でそれをこねくり回していた。

 「きゃぁ〜 わたるぅ〜 何このテーブルの上〜〜!!」

 「きゃっきゃっ……」

 いつもの朝の戦争が始まっていた。



 そして夕方。雪が夕食の支度をしていると、進は定時より少し早めに仕事を終えたからと、途中で保育園には立ち寄らず、一旦自宅に戻ってきた。
 それからすぐに、愛犬のいずらをつれて子供達を迎えに行った。いずらの散歩がてらに1時間ほど外で遊んで帰ると言い残して。
 さっそく子供達くたくた作戦を開始しているらしいと思うと、雪は夫を見送ってから、一人で笑ってしまった。

 「もう、進さんったら…… あんまり寒いところで遊んでないといいんだけど……」

 天気も悪くないし、雪が降る様子はないが、1月半ばの寒い時期のしかももう夕方である。そんな真冬でも外で遊ぶのが好きな進と子供達は、近所の公園か何かで遊んでいるに違いない。
 子供は風の子、とはいうものの、風邪の子になっても困る。とはいえ、子供と遊ぶ時も力いっぱい本気で遊ぶ夫のことだから、寒さなんか吹き飛ばすに違いないとも思う妻であった。

 それに……と雪は思った。彼が期待しているのは、きっと夫婦の熱い夜。だが……

 「あんまりそっちを期待されちゃったら困るんだけどなぁ〜 でも……うふふ」

 なにやら思いはあるようで、一人にやけている若奥様であった。

 「お買い物は済ませたし、ご馳走も下ごしらえはできたし……と。後は子供達に晩御飯を食べさせてお風呂に入れて……と。うふふ、楽しみだわ」

 一人ルンルンと支度を続ける妻は、結婚5年目を迎えますます幸せ一杯のようだ。



 それから1時間あまりして、進と子供達は帰ってきた。

 「ただいまぁ〜〜〜!!」

 3人と1匹の元気な声が聞こえる。みんな大はしゃぎで帰宅したらしい。

 「おかえりなさい。とっても楽しそうね」

 雪が玄関まで迎えに行くと、やはりこの寒空に外で遊んだらしく、3人とも泥だらけになっている。進が、いずらを外の犬小屋に連れて行く間に、子供達は玄関から上がってきた。

 「うん! お父さんといずらと一緒にい〜〜っぱい遊んだよ! かけっこ競争もしたんだぁ!」

 「しった、しった!」

 守が目を輝かせながら嬉々として説明すると、ようやく言葉を話し始めた航も、同じ顔付きで兄貴の言葉尻を真似ている。その仕草がなんとも言えずかわいらしい。

 その二人の頭を、部屋に戻ってきた優しいパパが、ぐりぐりとなでた。

 「はぁ〜 疲れた! 二人とも一杯遊んだもんなぁ。腹減ったなぁ。手を洗ったら飯にしよう。雪、すぐ晩飯食べられるんだろ?」

 3人の悪がき?がニコニコとする姿は、雪にとって何よりのご馳走だ。だが、その泥だらけの格好を見ては、ご飯より先に勧めなくてはならないものがありそうだ。

 「ええ、大丈夫よ。でもその格好なら、先にお風呂のほうが良くなぁい?」

 「あ、そうかもな。よしっ! 手だけじゃなくって、体中洗っちまおう! 守、航、3人で風呂はいるぞぉ〜!」

 「はぁ〜〜〜い!!」 「あ〜〜〜い!」

 部屋中泥だらけにされても困るママのご指摘で、三人は風呂場に直行することになった。



 風呂から漏れてくる子供達の歓声を聞きながら、雪はテーブルの上に料理を並べていった。
 しばらくして、裸で飛び出してきた航に、服を着せ終えた頃、進と守も風呂から上がってさっぱりした顔で食卓についた。
 テーブルに並ぶたくさんの料理を見て、守は嬉しそうにうわぁ〜と声を上げた。パパの好きなもの、守の好きなもの、そして航の好物も並んでいる。

 4人が食卓に揃うと、一斉にいただきますをする。守はどれから食べようかと目を輝かせながら、母に尋ねた。

 「お母さん、今日はすごいご馳走だね?」

 「ええ、ちょっとね」

 まだ結婚記念日のことを話すのは早いだろうと、特に説明をするつもりのなかった雪だったが、守はそんなことはとうにご存知だった。

 「今日、お母さんたちの『けっこんきねんび』だからなんだよね?」

 「あら、守ったら、よくそんなこと知ってるわね?」

 雪が目を丸くしていると、守は種明かしをした。

 「うん、この前おばあちゃんが言ってたもん。その日はきっと僕らはおばあちゃんちでお泊りだよって。でも今日はお泊りじゃなかったね?」

 「あはは…… お義母さんらしいな、察しがいいと言うか何と言うか……」

 守の説明を聞いて、進は大きな声で笑った。雪の仕事関係を含め、いつも事あるごとに、子供達は、おばあちゃんちに世話になっている。だから、おばあちゃんちでのお泊りは、すっかり慣れっこになってしまっているのだ。

 「やだ、ママったら、子供達にまで。今朝もね、電話きてたのよ。今夜は子供達こっちに泊まらせるんでしょって。今年はいいわって言ったら、意外そうな顔してたわ。なんだかんだ言いながら、子供達が泊まってくの楽しみにしてるのよ、ママ」

 「ああ、ありがたいな」

 進は笑顔でこっくりと頷いた。

 まだ若いといっても現役でもなく男の子を育てたこともない義母が、二人の元気のいい男の子を預かることは、それなりに重労働であるに違いない。だが、彼女はそんなことは一言も口に出さず、いつも喜んで面倒を見てくれている。

 個人的には、義母を微妙に苦手としている進だが、やはり雪や子供達、そして自分への深い愛情は感じずにいられなかった。

 進の言葉に、「ええ」と身近く頷いてから、雪は守のほうに向き直った。

 「守、今日はお泊りに行かないのよ。お父さんもお母さんもおうちでゆっくりお祝いすることにしたから」

 「わかった! ご馳走食べらるんならどっちでもいいや!」

 とニッコリ笑う現金な守に、パパもママも苦笑した。航は既に黙々と食べることに専念している。守も目の前のエビフライを一つ口に放り込んでから、再び母に質問をした。

 「でもお母さん、『けっこんきねんび』ってなぁに?」

 結婚記念日というのは聞いたがそれが何なのかはまだわからなかったらしい。

 「え? ああ、お母さんがお父さんのお嫁さんになった日のことなのよ」

 「お嫁さん? ああっ、わかったぁ! あの写真たてに入ってるお母さんがすっごく綺麗な白いドレス着てるあれでしょ?」

 古代家のリビングに飾ってある大型のフォトスタンド。その真ん中に二人の結婚式の写真が入れてあった。

 「ああ、そうだよ。5年前の今日がその日なんだ」

 「へぇぇ〜 じゃあ、今日はおめでとうの日なんだね!」

 「ええ、そうよ。5年前もね、大勢の人におめでとうを言ってもらったの」

 母と父が嬉しそうに顔を見合わせるのを、守も目を輝かせながら見た。まだ事情のわからない航も、3人につられて嬉しそうな顔をしている。

 「じゃあ、今日は僕も言おうっと! お父さん、お母さん、おめでとう!!」

 「まあ、ありがと、守。優しいのね」

 「えへへ…… おい、航! お前もおめでとう、言えよ!」

 兄にそう命令された航は、たぶん何がおめでとうなのもわかっていないだろうが、ただ3人が喜んでいるのが嬉しくて、舌足らずの口調でにんまりと笑った。

 「おめ……っと!」

 「うふふ、ありがと、航。あなたもすっかりお兄ちゃんになったわね」

 「お兄ちゃんって、航は弟だよ! お兄ちゃんじゃないぞ」

 「もう、何怒ってるのよ、守ったら。お兄ちゃんって言うのは、大きくなったっていうことよ。守はもっとお兄ちゃんになってるわよ」

 「そっか、えへへ……」

 弟が褒められて文句を言った守も、もっとお兄ちゃんと言われたとたんご機嫌になった。その隣では航がニコニコ笑っている。
 かわいらしい二人の子供達に、父と母は目を細めた。

 食事を終えると、雪はいいことを思いついたというふうに、手をぱちんと打った。

 「そうだわ、ねぇ、今日の記念にみんなで写真を撮りましょうよ!」

 雪の提案で、4人はタイマーを使って写真をパシャリと撮った。すぐにカメラから出てきた写真には、とても素敵な笑顔が4つ並んでいた。
 パパとママの宝物がまた一つ増えた。

 食事の片づけを始めた頃、子供達は早々に大きなあくびをし始めた。進が、計画通りだろ?とニンマリとしながらウインクを送ってくるので、雪はくすくすと笑ってしまった。
 いつもならまだテレビを見ている時間なのに、子供達がウトウトし始めた。それに目ざとく気付いた進は、二人を子供部屋に促した。

 「お前ら、眠いんだろ。パジャマに着替えてもう寝ろ」

 「うん……」 「あい……」

 疲れている二人は、やけに素直である。

 「お父さんも一緒に寝てくれる?」

 目をこすりながら、守が父に甘えるようにそう訴えると、進はちょっといたずらっぽい目で考えるふりをした。

 「そうだなぁ、どうしようかなぁ?」

 「おねがい!」 「とうたん、ねる!」

 「よしっ、じゃあ3人で一緒に寝るぞ!」

 「わぁ〜〜い!」

 父を真ん中にして、大喜びで子供部屋に駆け込む子供達の背中を、雪は笑顔で見送った。

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