3人が子供部屋に入るのを見届けると、雪は後片付けを済ませて風呂に入ることにした。
 それから半時間ほど後、雪が風呂から上がってくるのとほとんど同時に、得意満面の夫が子供部屋から出てきた。

 「無事に寝かせたぞ!」

 「あらまぁ、早いわね〜」

 雪は目を丸くして時計を見た。まだ8時にもなっていない。頼んだとはいえ、夫のその手際よさに舌を巻く雪だった。

 「君がそうしてくれって頼んだんじゃないか! すごいだろ、俺の腕は……」

 「うふふ、はいはい、素晴らしいですわ!」

 「それじゃあ、さっそく……」

 と、妻を抱き寄せようとする夫。何もかもこのときのために頑張ってきたのだと、言いたいばかりだ。だが、雪の目的は今はまだそれではない。やんわりとその手を押しのけて、夫を横目で睨んだ。

 「あん、もうっ、だ・め・よ! ちょっと待ってて、今日の記念日に、私からのプレゼントがあるんだから」

 「なんだ、プレゼントって『これ』じゃなかったのか? 今夜は好きにしていいとか、何か特別のモノでも使えるのかと……」

 あきらめきれない夫君は、やけにしつこい。だが、奥様からさらに恐い顔で睨まれてしまった。

 「もうっ!! えっち! だからぁ〜〜 違うって言ってるでしょう!」

 「なぁんだ」

 どうしても乗ってきてはくれない妻に、さすがの進もとうとうあきらめて、ソファーにストンと腰を落とした。

 「うふふ、ちょっと待っててね」

 「はいはい……」

 イベントには、まず儀式が必要らしい。進はため息一つをぽつりとつき、少々恨めしそうに妻の後姿を見つめる夫は、何気にわびしげだった。

 それからすぐに、雪が何か小さな包みを持って戻ってきた。



 「進さん、5年間どうもありがとう。はい、これ、どうぞ……」

 進の隣に座った雪は、少し遠慮がちな口調でその包みを手渡した。
 シックなシルバーの紙に包まれ、濃紺のリボンをかけられた包みは、葉書大の厚さ数センチの薄い板状のものだった。

 「あ、ありがとう。なんか、結婚記念日に貰うのって初めてだから、変に緊張しちまうな。すごくこそばゆいよ」

 包みを手にしながら、進が照れ笑いをする。確かにこれまでの4年間はずっとプレゼントする側だった。とはいえ、プレゼントを貰うのはやはり嬉しいものだ。

 「まあっ、でも、そんなにたいそうなものじゃないのよ、うふふ……」

 いつもの逆の立場に、雪も少しはにかんでいる。互いに目を合わせ、二人してくすくすと笑いあった。

 「はは…… あっ、包み、開けていいかい?」

 「ええ、開けてみて。気に入ってくれるといいんだけど……」

 雪の了解を得て、進はさっそく包みを解き始めた。そして出てきたのは……

 「へえ、木枠のフォトフレームかぁ〜」

 そして進は、フォトフレームを自分の鼻元に持っていってその匂いをかいだ。

 「うん、いい匂いだ。やっぱり本物の木の香りはいいな、気に入ったよ!!」

 進が向けた笑顔に、雪も嬉しそうに笑顔で答えた。

 「うふっ、喜んでもらえて嬉しいわ。進さんの艦(ふね)の自室に飾るのにどうかなって思ったんだけど……?」

 「ああ、そうだな、ちょうどいい。そうするよ、雪」

 「……んふ、で、中身は……これねっ!」

 雪はテーブルに置いてあった、さっき4人で撮った写真を差し出した。

 「あ、それさっき撮ったのだな?」

 「ええ…… 5周年の記念写真。また来年の結婚記念日にも撮って、新しいのを入れるっていうのはど〜お?」

 「ああ、それがいい。毎年の楽しみになりそうだ。本当にありがとう、雪」

 進はフレームに納まった4人の笑顔を見ながら、それに負けないくらいの笑顔で妻に礼を言った。雪は進が心から気に入ってくれたことが、とても嬉しくて、夫の腕をぎゅっと強く抱きしめた。



 「ねぇ、あなた……」

 雪は夫の腕にそっとしなだれかかった。

 「ん?」

 進はその雪を体ごと自分のほうへさらに引き寄せる。

 「結婚5年目の記念日のことをなんていうか知ってる?」

 「結婚5周年……じゃ全然答えになってないな、はは…… 他に呼び方があるのか?」

 突然の妻の問いに、進は力なく笑った。こういうことは、完全に進の守備範囲から脱する。あっさり降参するのが一番である。そんな夫を雪が笑う。

 「当たり前でしょ、もうっ、ふふふ。あのね、結婚記念日には1年目から毎年ちゃんと名前がついているの、ほら、銀婚式とか金婚式とかってあるでしょう?」

 「ああ、そう言えば銀婚式や金婚式なら聞いたことあるなぁ。けど、あれはもっと先だったよな? 何周年だったっけ?」

 男性の知識としてはそんなものだろう。雪はニッコリと微笑むと説明を始めた。

 「銀婚式は25周年で金婚式は50周年でしょう。それでね、1年目は『紙婚式』っていうの」

 「あはは…… まだまだペーベーってわけだな?」

 『紙』という言葉に、進は大いに受けた。確かにまだまだ1年目、ちょっとしたことで破れてしまう浅い関係というわけなのだろう。
 雪もつられて笑いながら、さらにその続きを話した。

 「ええ、そうそう。それでね、2年目から藁、皮、花って続いて、5年目は『木婚式』っていうのよ」

 「5年目で『木』か…… 大分硬くなってきたなぁ、けどまだまだ金属にはなれないのか、俺たちは……」

 結婚して5年―同棲時代を入れるともっと長くなるが―もうすっかり二人の生活にも慣れたと思っている進だったが、長い人生の中では5年と言うのは、まだまだ序の口なのだと再確認させられた。
 進の答えに、雪はくすくすと笑った。

 「うふ、そうね。でもね、5年たって二人が一つになり始めたってことを表す意味で、『木』には『夫婦が1本の木のように一体になる』っていう意味もあるんですって」

 雪はそう説明すると、夫に抱き寄せられたまま、その胸にそっと手を伸ばし頭を軽く乗せた。

 「1本の木のように一体か……」

 進は、そう言いながら寄り添ってくる妻を、少し力を込めて抱きしめた。

 「ええ……」

 「だから、その『木』のイメージで、これを今日俺に?」

 「ええ、結婚5年目の記念にピッタリでしょ?」

 進の心に、今日のこの日に、木のフォトフレームを自分へのプレゼントとして選んでくれた妻の思いが、しっかりと伝わってきた。

 「ああ、俺たちも1本の木のように一つになれたかな?」

 「なれたわよ、だってもう2つも素晴らしい実がなってるんですもの」

 「そうだな。雪……本当にいい贈り物をありがとう」

 互いをじっと見つめ合う瞳と瞳には、深い愛が込められている。

 と、再びさっきの逃したチャンスを手にするのは今、とばかり、夫の眼差しがにわかに輝いた。

 「それじゃあ、ここはやっぱり1本の木のように一つになって二人の絆を……」

 進は雪の体をソファに押し倒そうとした。が……



 「うふふ…… もうあなたったら、すぐそっちに行っちゃうんだからぁ。でもまだだめよ!」

 雪は小さく首を左右に振ると、進の体をやんわりと押しのけて立ち上がった。

 「え〜!? まだ何かあるのか?」

 プレゼントは嬉しかった。これで後は奥様をいただくだけと喜び勇んだ夫である。
 なのに、その野望?を再び阻止され、進はちょっとばかり不満げに叫んだ。

 すると雪は、進のブーイングを軽くかわすように、かわいらしく小首を傾げてニコリと笑った。

 「ええ、もう一つプレゼント……があるかもしれないの」

 「あるかも……しれない?」

 その言葉の意味がつかめなくて、進は聞き返したが、雪はそれには答えず、「ええ、ちょっと待ってて」と背を向け、リビングの戸棚から何やら小さな箱を取り出してきた。

 「うふふ、これよ!」

 雪がほんのりと頬を染め、座っている進の前に恥ずかしそうに差し出したのは……?

 「えっ!? これって……?」

 それは小さな細長い箱だった。チェックポンという商品名の上には、小さく妊娠検査薬と書かれている。その文字を目にすれば、察しの悪い進でさえも、間違うことはない。

 「あ…… これって、妊娠検査の?」

 その問いに、雪がはにかみながらこっくりと頷いた。

 「え〜〜!?」

 妻とその箱を交互に見て思わず素っ頓狂な声を上げてしまった夫を、雪は恥ずかしそうに見下ろしながら状況を話した。

 「実はね、もう1週間ほど遅れてるのよ。だから、もしかしたらって思って……」

 話しながら、雪の頬がほんのりと染まっていく。

 「それじゃあ?」

 口をぽかんと開けたまま、進の視線は、頬を染めた妻の顔からその腹部へと移った。

 「でも、まだ確認してないの。今日という日に、あなたと二人で一緒に確認したくって。こんなこと、外のレストランではできないでしょう? だから今日は家にいることにしたの」

 「そ、それはそうだが……」

 なんと答えていいかわからない。が、雪はそんなこと気にしていない。一人さっさと次の行動を始めた。

 「じゃあ、ちょっと待っててね!」

 「あ、ああ……」



 雪がトイレのほうへ駆け出して行く後姿を、進は呆然と見つめていた。
 あまりにも突然の妊娠可能宣言に、進の頭の中では、まだ今現在の状況を把握しきれていない。

 妊娠という事実。女性側はなんとなく予感めいたものを感じて、それから確認することになる。だが、男性の場合は、自分の体ではないのだから、基本的にはそれがまったくない。大抵は、突然にやってくる。
 既に2児の父である進であろうとも、それは同じで、毎度驚かされてしまっていた。

 進がどう反応していいか、戸惑っている間に、雪は所定の作業を終え、さっきの検査薬を手に、再び進の元に戻ってきた。
 そして、目の前のテーブルに検査薬をコトリと置き、自分は進の隣に座った。

 「ここに置くわね…… 1分もすれば反応がでるはずだから。妊娠してたら、この小窓にプラスの文字が出るの」

 「う、うん……」

 やけに緊張する、そしてやけに長く感じる1分だった。そしてその1分が過ぎると、雪が示した小窓になにやら赤いものが浮かび始め、それはすぐにプラスの文字になった。

 「あっ!」

 進が小さく叫ぶ。心の中で何かが湧き出してくるような気分だ。

 「プラス……よね?」

 雪が手にとってじっくりと見る。そして夫を見上げ、同意を求めた。

 「ああ……」

 こっくりと頷く進。視線はまだそのプラスに釘付けになっていた。それから、夫婦揃って互いの顔を見る。

 「じゃあやっぱりね?」

 雪がそう言ったのがきっかけで、進はやっとその状況を自分のものにした。

 「やったぁ〜〜〜〜〜!!! あはは……!!」

 一瞬、子供達が目を覚まさないかと雪が心配したほどの大きな声で、進は叫んだ。そして隣に座る妻を、ぎゅっと強く抱きしめた。

 「進さん……」

 「ありがとう、雪! 3人目か、よかったなぁ、雪! あはは、そうかそうか……」

 この反応振りを見れば、妻としてはもう何も言うことはない。夫は、3人目の妊娠をそれはそれは喜んでくれているのだ。
 雪はこの上もない幸福感を味わいながら、抱きしめる夫に小さな声でそっと囁いた。

 「うふふ…… この子はあなたのクリスマスプレゼント……よ」

 「え? あっ…… そう言えば……」

 妻の言葉に一瞬驚いた進だったが、すぐに去年のクリスマスのことを思い出した。
 クリスマスの夜、子供達へのクリスマスプレゼントは買ったものの、妻へのものをすっかり忘れていた進に、雪は欲しいものをそっと告げた。それは……かわいい女の子。

 「私からもありがとうよ。私にとって、一番素敵な結婚記念日のプレゼントだわ」

 「それはこっちのセリフだよ、雪。今度は女の子かな?」

 妻に負けないほど幸福感に満たされた夫は、既にその子がこの世に誕生する日のことを夢想している。

 「ふふ、さあどっちかしら?」

 「あの時、女の子が欲しいって言ってただろ?」

 「ええ、でも、どっちでもいいわ。授かったあなたと私の赤ちゃんだもの。元気なら、男の子でも女の子でも嬉しいの……」

 子供を授かった時の両親の気持ちはいつもそうである。子供の性別よりも、まずは元気で健やかに育ってくれることを望むのだ。

 「そうだな。ま、今度も男だったら、も一回頑張ればいいもんな!」

 いきなりの夫の開き直り具合に、雪は目をぱちくりさせた。

 「えっ!? もうっ! 気が早すぎるわよ!」

 「あははは…… ん?ってことはぁ〜〜」



 その時、今まで大声で笑っていた進の顔が、突然さぁっと曇った。さっきとはずいぶん違い、とても情けない顔で妻の顔を見た。

 そう。彼は自分で言った言葉で気がついたのだ。何をか?
 それはつまり、妻は妊娠していることが判明したわけで、そうなると夫としては、妻の体を労わるために、しばらくお預けを食らうわけで……
 子供が授かったことはこの上なく嬉しいことなのだけれど、今朝からずっと期待していた夫にとっては、この状況は非常に辛かった。

 そんな夫の思惑はすぐに妻にも伝わり…… そして妻は笑いをかみ殺した。

 「え?あっ、ああ…… ぷっ、もうやぁね!そんな情けなさそうな顔をしちゃって」

 「い、いや、いいんだ。大事だからな、今は…… 無理しちゃならないんだし、一人の体じゃないんだし……」

 必死に言い訳する夫。たぶん妻に言っているというより、自分に言い聞かせていると言ったほうがいいのかもしれない。
 そんな夫の努力を楽しむように、妻はさらに夫ににじり寄りすがりつく。

 「うふふ……」

 「こら、やめろって! だ、大丈夫だよ、我慢くらいできるさ」

 必死に我慢しようとする進をけしかけるように、やけにしなを作って寄り添ってくる雪。進はその手から離れようと体を斜めにした。
 すると、うっとりと色っぽい視線で妻はこういったのだ。

 「我慢なんてしないで」

 「えっ? だって今は……」

 雪の妊娠が判明した。そして、妊娠初期は安静にしたほうがいいから、しばらくは我慢してと、守のときも航の時も、彼女はそう言った。
 夫たるもの、それくらはできなければ、と進も頑張って我慢した。ところが、今回はなぜか様子が違う。

 「大丈夫よ。優しくしてくれれば」

 雪は、夫の胸にそっと手をあて、さらにその手をゆっくりと動かし始めた。ぞくぞくするような快感が進の体中を駆け巡る。が、それでもまだ必死に我慢しようと頑張っている。

 「けど今までは……」

 進は、欲望を抑えるべく、こぶしをぎゅっと握り天を仰いだ。

 「ええ、守や航のときは、大事をとって控えてたけど、絶対だめってわけじゃないのよ。私自身健康だし、どこも具合悪いところもないし…… だから、ねぇ……」

 雪の瞳が妖しくそして艶かしく輝く。

 「ほ、本当にいいのか?」

 天井を睨んでいた進の顔が、妻の方へ戻る。とうとう進の心も揺らぎ始めた。
 半信半疑でありながら、もしも可能ならやっぱり妻を抱きたいというのが、彼の嘘偽りない本音なのだ。

 「だからそっとよ。今夜はあなたとひとつになりたい気持ちで一杯なの。5周年の記念に、あなたと1本の木のようにひとつになりたいの」

 これでノックアウト! 求めてやまない愛する妻に、ここまで言われて、男古代進、反応しないわけはない。

 「うっ…… だめだ、もう限界!! 本当にいいんだな、雪?」

 とうとう腹を決めた進は、雪の手をぎゅっと握り締めた。

 「ええ……」

 進は熱い視線のままこっくりと頷いた雪の手を取って、ソファから立ち上がった。

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