父(暫定版)
(1)
「ちょっと出かけてくるよ……」
その日の朝、部屋の片付けや昼食の支度でばたばたしている妻にそう告げると、進は玄関のサンダルをはいた。
「あら? あなた…… だって、お客様はもうすぐ来るのよ」
「すぐ戻るよ。ちょっと買いたい物があるから、そこのコンビニまで行くだけだ」
出かけることを非難するような妻の声を背にしながらも、進は振り返りもせず、玄関のドアを開けて出ていった。玄関を出る進の姿を、ちらりと見つけた愛が母に尋ねた。
「あらっ? パパ? どこに行ったの?」
「何かお買い物ですって、近くのコンビニまでって言ってたからすぐ戻るわよ」
「ほんとぉ? まさか逃げたんじゃないでしょうね」
腕組みして考えるようなしぐさで、愛が玄関の方を睨んだ。
「ふふふ…… さあ、どうかしらね。でも、パパは約束を破る人じゃないから、きっと大丈夫よ」
娘の不満げな顔を見ながら、雪は笑った。
「でも……ちょっと危ないと思わない?」
愛も母につられて、今度はいたずらっぽく、くすっと笑った。父親の心境と言うのはそんなものかもしれないか……などと思ったりもして。
「さあさあ、そんなことより、あなた着替えたら、その姿でシン君を迎えるつもり?」
「あっ! もう、こんな時間だわっ!」
時計を見て慌てて自室に書けこむ愛の後ろから、雪が声をかけた。
「別にいつも来てるんだから、いいようなものだけど、今日はちょっと特別だから……ね。あなたもきちんとしなさい」
「は〜い!」
愛はご機嫌で返事した。そう、もうすぐ彼がやってくる……
(2)
それから1時間たったが、進はまだ戻ってこない。そして……雪たちが待っていた『客』がやってきた。
「こんにちは」
玄関には、スーツ姿のりりしい青年が立っていた。雪も愛も周知の相手である。いつものように満面に笑みを浮かべて彼を迎えた。
「いらっしゃい、シン君。どうぞ、あがって……」
「あっ、シン! うわあっ! すごいっ! 結構似合ってるじゃない! 馬子にも衣装ね」
愛が目をキラキラさせて、面白そうに笑う。その言葉に、シンも自分の姿を見まわして苦笑した。
「そっかなぁ。あんまり着なれないから、居心地悪いよ」
「なんですか、愛。その言い方! もう少し女の子らしくしてちょうだい」
「はぁい」
愛は、母にたしなめられてペロッと舌を出して肩をすくめた。シンはまったく気にしない様子で笑っている。
「あっはっは…… 別にいいですよ。いつものことですから」
「もう、ほんとに困っちゃうわね。子供の頃から知ってるものだから、すっかり慣れちゃってて…… それより、さああがってくださいな」
雪に勧められ玄関を上がり、廊下を歩きながら、シンが尋ねた。
「ですね…… でも、僕はすごく緊張してるんですけど…… あの、おじさんは?」
そう言われて思わず雪と愛が顔を見合わせた。そして、雪がちょっと困ったように笑う。応接室のドアを開けて部屋に案内するとこう答えた。
「あ、主人ね? 今ね……『ちょっと』お買い物。すぐ帰ってくるわ。シン君、どうぞそちらに座ってて。愛、お相手してて。私はお茶を持ってくるわ」
「はぁい!」
応接室を出て行く母に愛は元気よく返事すると、シンに小さな声で囁いた。
「パパね…… 実は逃げちゃったみたいなの」
「ええっ!? ほんとかよ?」
シンがびっくりした顔で、腰を浮かせた。
「ん、近くのコンビニまで行くって言って出ていってからもう1時間よ」
「うーん……やっぱ、俺じゃあだめなのかなぁ?」
困ったように考え込むシンに、愛は面白そうに笑って尋ねた。
「どうかしらねっ。さて、どうする? シン?」
「どうするったって…… おじさん、手ごわそうだからなあ。今日だって親父に言われてきたんだ。一度でうまくいくと思うなってさ。親父はおじさんのことよく知ってるからな。絶対反対されるに決まってるってさ」
シンは天を仰ぐように上を向いた。だが、愛は全くのんきな顔をしている。
「ま、気長にやりますか?」
「愛は全然へっちゃらなんだな。こっちは真剣に悩んでるんだぞ」
「だって、ママは大賛成だし、パパだってシンのことお気に入りなのよ。心配いらないわ。どうせちょっとすねてみたいだけなんだから」
「それはわかるけど…… 俺だって子供の頃から、おじさんには随分かわいがってもらったし、仕事でもいつも世話になってる。それに、俺、おじさんのこと、すんごく尊敬してるんだ。おじさんもそれなりに俺のこと認めてくれてると思ってるんだけど…… でもなぁ、愛のことはめちゃくちゃ溺愛してるからなぁ、おじさん……」
シンの口からはため息が出るばかりだった。愛は、そんなシンの背中をバンと叩くとウインクした。
「とにかく、あたって砕けろよ」
「うん…… えっ? おっ、おい! 砕けてどうするんだよ!」
「あ、そうか。あははは……」
応接室には若い笑い声がこだましていた。
(3)
それから30分が過ぎ、雪、愛、シンの3人で世間話をしていたが、進は帰って来ない。代わりに愛の兄たちが帰ってきた。
そして改まった格好のシンを見、外出したまま戻らない父親のことを聞いて、からかい始めた。
「よっ、シン。やっぱり来たんだな! お前、ちゃんと言う台詞考えてきたのか? 変なこと言ったらすぐに親父に突っ込まれるぞ!」
一番上の兄の守がおもしろそうに、シンをつっつくと、
「そうそう。父さん、絶対素直にウンって言いたくないって感じだったからなぁ。お前さ、そんな格好で大丈夫か? 剣道の防具でもつけた方がいいような気がするけどなぁ」
2番目の兄、航も負けずにシンをいじめた。
「ううっ…… そんなこと言うなよ。俺だってめちゃくちゃ緊張してるんだぞ。これでもさぁ」
当の愛も兄達同様、くすくす笑っているのだから、どうしようもない。
「もうっ!! あなた達、シン君の顔見るなりなぁに! そんな失礼なこと言って…… シン君を困らせないでよ」
母が二人の息子を叱る。だが、二人とも全く気にしていない。
「母さんだってそう思ってるんだろ? でもさ、親父も辛いよな。愛の相手がシンだなんてさ。子供の頃からかわいがってたし、仕事でも自分の一番の期待の部下。文句つけるとこなくってさ。何て言ってごねるか、楽しみだよな」
守がそう分析してシンを見た。そのちょっと意地悪な視線に、シンが睨みかえした。
「一番の期待はそっちの方だろう?守」
「ふふん、年はお前の方が下だけど俺の一番のライバルだ、と思ってるぜ、シン! さて二人の対決、どうなるか俺としては楽しみで仕方ないよ。あっははは」
「一番のライバルにしてもらうのはありがたいけど、人が死ぬ気で決心して来たってのに、高見の見物ってのも、趣味が悪いぞ!」
「そうよ、お兄ちゃんたち!!」
シンにあわせて、愛も兄たちに憤慨した。
「まあまあそう言うな。ほんとのところは、親父がどんなに屁理屈こねても俺たちがフォローしてやるつもりなんだから。なあ、航」
「ああ、まかせとけって。いざとなったら、駆け落ちでもなんでもさせてやるさ」
兄二人は愛たちの助っ人に来たようだった。冗談なのか本気なのか知らないが、4人は様々な作戦を練り出しては、笑いあった。
そして、シンが到着して1時間もたった頃、とうとう雪が立ちあがった。
「あなたたち、シン君のお相手しててね。ちょっとお父さん探してくるわ」
「あっ、ママお願い!」 愛が母に向かって手を合わせる。
「すみません」 シンが頭を下げる。
「首に縄つけてでも連れて帰ってこいよ、母さん!」
「あっははは…… 母さん一人じゃ重かったら電話してくれ。俺達も引っ張りに行くから」
守と航も加勢した。
「もうっ、あなた達ったら…… うふふ。大丈夫よ、きっと。じゃあ、ちょっと行って来るわ」
(4)
雪は、家を出るとコンビニへの道を歩き始めた。夫の行きそうなところは見当がついている。
「たぶん……あそこね」
自宅とコンビニの間に、小さな緑地公園がある。そこには、ちょっとした遊具があり、そして、木々が数本植えられていた。それは小さな森の様相を見せ、都会の住宅街のオアシスになっていた。
子供達が小さい時から、そこは古代家の御用達でいつも愛用していた。植物好きの進にとって、緑の木々の下にある小さなベンチは、お気に入りの場所でもあった。
雪がその公園のいつものベンチに行くと、進はやはりそこに座っていた。缶ジュースを握ったまま、何するでもなく目の前で遊ぶ子供達をじっと見つめている。
「あなた……」
雪の声に初めて気がついて、進が顔を上げた。
「あっ……」
小さな声を上げると、ばつが悪そうに進は下を向き、そして次に雪の顔を見た。
「来たのか? あいつ」
「うふふ……ええ、もう1時間近く待ってるわよ」
「そうか……」
「地球防衛軍地球艦隊総司令古代進ともあろう者が、いきなり敵前逃亡する気?」
雪も進の隣に座り、駆けまわる子供達を同じように見ながら冗談ごかしに進を責めた。
「…………」 雪にそう言われては、進は苦笑するしかなかった。「ん…… あいつに今日言われたら、何て答えていいかわからなくてな……」
「シン君、すごく緊張して来てたのよ。とっても真面目な気持ちで来てくれたのに……」
「わかってるよ。わかってる。あいつは……」
「あいつは?」
雪が進の顔を覗き込んで言葉を繰り返し、その続きを促した。
「どう考えても反対する理由がみつけられない……」
「まあっ!」
雪は、プッと吹き出して大笑いした。その笑い声を、進はなんとも言えない情けない顔で見つめる。
「笑うな…… 唯一思いついたのは、宇宙戦士なんて危ない仕事をするやつはだめだ、ってことくらいで…… だが、俺が言っても全然説得力ないしな」
「確かにネ…… 昔、あなたも私の母に言われてたものね」
雪は昔、進がはじめて自分の両親にあった時のことを思い出した。あの時もひどく反対された。
「ふうっ…… あの時、君のお父さんは、何も言わずに俺のこと許してくれたけど…… 今になって思ったら、よくあんなに俺をかばってくれたと思ってなぁ」
進は両手を組むと、その上に顔を重そうに乗せ、大きくため息をついた。
「うふふ…… 娘を持って初めて知る父の心……ってところかしら?」
「茶化すなよ…… 愛は、本当にいい男を選んだよ。あいつは……シンは……最高の娘婿だ」
進はとうとうあきらめたように立ちあがった。 「帰ろう……」
(5)
家までの帰り道、進と雪は並んで歩きながら話を続けた。
「あいつが、シンが産まれた時、あいつの親父から『進』の名を貰って『進(しん)……』って名付けたって聞いたときはうれしかったなぁ。もう一人息子が出来たような気がして。あいつも俺によく懐いてくれて…… まさか、本当の息子になるとはな」
「よかったじゃないの」
雪がそう言うと、進はチラッと歯を見せて笑った。
「けどな、娘を宇宙戦士の女房にさせたくないっていうのは本当なんだぞ。愛に君のような思いをさせたくなかった……」
進が真剣な眼差しになって雪を見る。今までのことがいろいろと浮かんでくる。ヤマトに乗っていた頃、護衛艦の艦長の頃、地球防衛軍の最先端を行く新鋭艦の艦長に任命された頃……
子育てはもちろん、子供の様々なイベントにもなかなか参加してやれなかった。それだけではない。危険な目にもあったし、雪を危険な目にあわせてしまったこともあった。しばらく連絡の取れないこともあったし、怪我をしたことも何度もあった。
いつもいつでも、雪には苦労や心配をかけてきた、と進は思っていた。
「私のような思い……? ばかね、あなた。私は今までずっと幸せだったわ。そして、これからもずっと……よ」
そんな進の思いに反して、雪はにっこりと笑うとそう言いきった。
「雪……」
進が雪をもう一度見つめる。雪は恥ずかしそうに少し下を向いてから、決心したように夫の腕にすっと手を通し、腕を組んだ。久しぶりのそんな動作に、進は少し驚いたが、それを振り払うことはなかった。
雪の腕を組む手にさらに力が入った。
「私達まだまだ人生の半分まで来ただけじゃない。娘を嫁に出したら、また2度目の青春時代よっ!」
「雪……君はいったい何歳まで生きるつもりなんだか」
進が、あきれたように妻の顔を見た。だが、精気に満ちた妻の顔は、未だに美しく、若々しかった。
「うふふ……さあね、でも、少なくともあなたよりは長生きするつもりよ。だって、あなた一人を残してなんて、心配で逝ってられないわ。第一、子供達に迷惑かけてしまうわ」
「あっはっはっは…… そうか、そうかもしれないな」
妻のその言葉に、進は今日初めて大笑いした。そして、心が少しずつ晴れて行く自分を感じていた。
『私は今までずっと幸せだったわ。そして、これからもずっと……』雪のこの言葉は進の思いでもあった。
家に戻った進はシンと向かいあった。シンが固くなってやっとのことで愛との結婚の許しを申し出た時、進はたった一言、こう言った。
「娘のこと………………よろしく頼む」
−おわり−
背景:CoolMoon