初 恋(宇宙戦艦ヤマトIII 第4話〜第9話より)

−第3章−

 (1)

 進が最上階で降りると、エレベータはすぐに階下に下がっていった。そして、艦長室のドアの前まで来て振り返ると、エレベータはまたすぐ上がってくる。まっすぐに最上階へ。そのドアが開かれるのを、進は黙って見つめていた。

 「来たな……」

 ツィーンと言う音とともにドアが開きそこから雪が駆け出てきた。雪は、一歩出て目前に進が立っていることに気づいた。

 「艦長……!」 びっくりして立ち止まる雪。

 「早いな、雪…… 入れよ」

 進はふっと笑ってそれだけ言うと、雪に背を向け艦長室へ自分が先になって入っていった。

 (古代君、私が来ることわかってたのね?)

 雪は息を整えながら、進に続いて艦長室のドアをくぐった。進はテーブルの方の椅子を示して、「座れ」と言った。
 雪はそれには従わずに立ったまま、進をきっと睨むと、はっきりとした口調で宣言した。

 「私は、絶対にヤマトは降りません! 突然あんなこと言うなんて……ひどいじゃないの!」

 「わかってる。あんまり興奮するな。とにかく座れ……」

 進は再び雪に椅子を勧めた。雪も、彼の「わかってる」という一言にわずかに安堵しその指示に従った。進も向かいに座り、両肘を机の上に置いて手を組むと、雪の顔をじっと見つめた。

 「女子乗組員は全員、山上トモ子と共に地球に送還する。そう決めた」

 「でも…… 私は絶対に嫌! それに他の子たちだってそう思う人もいるかもしれないわ! いくら艦長命令でもそんなこと簡単に承服できないわ」

 「今は地球に返すことが彼女達のためだ。これから激化しそうな戦闘で、犠牲者が出てからでは遅い。
 この調子じゃ、連れていったとしてもすぐに立ち直れるかどうかわからない。それに、今ヤマトには立ち直りを手助けする手間も暇もない。戦闘の足手まといになるだけだ。現に、ケンタウルス座アルファ星では君の手を煩わせたじゃないか」

 進は冷静に落ち着いてゆっくりと説いた。しかし雪はまだ興奮気味だ。

 「でも、帰れだなんて! 唐突過ぎるわ! それも女子だけだなんて! 前向きになろうとしている人だっているかもしれないのに……」

 にらみ合いが続く。一歩も引くつもりのない雪の態度を見て、進は怒るどころか、笑みさえ浮かべはじめた。

 「……じゃあ、言い直そう。艦長として、女子乗組員全員に地球への帰還を勧告する。ただし、これはあくまで命令ではなく勧告だ。ヤマトへの残留を希望する者はそのまま任務に就くことを許可する」

 「あ……」

 「わかってるだろう? 個人的感情で、君だけ特別に残したいって言うわけにはいかないんだ。とは言え、以前密航までしてヤマトに乗ってきたことのある君が、素直に地球に帰るとは思ってはなかったけどね。しかし、さっきの剣幕は……すごかったな」

 進が苦笑する。雪も自分で思い出して赤面した。

 「もうっ、古代君ったら…… それならそうとちゃんと言ってくれればいいのに」

 「それに……生活班長の君がいなくなってしまったら、艦長としても……『いろいろと』……困る」

 進の目がやさしくなった。進の『いろいろと』と言う言葉の中に、今彼が言える雪への精一杯の気持ちだった。

 「古代君……」 雪の肩に入っていた力が抜けた。「私…… どうしようかと思った…… 古代君に地球に帰れだなんて言われたら……」

 雪の目が潤んでいる。進はその表情を小首を傾げながらじっと見ていた。もしもここがヤマトの中でなく、二人の部屋の中ならば…… 進は間違いなく、雪を抱きしめていただろう。そして、涙の溢れそうな瞳ややわらかな唇にキスをして「僕が君を離すはずがないだろう?」くらいのことは言っていたかもしれない。
 しかし、たとえ二人きりだとは言え、ここはやはりヤマトの艦内で、二人は艦長と生活班長でしかないのだ。だから……ただ黙って見つめあった。

 その時、相原から連絡が入った。

 『艦長、ケンタウルス座アルファ星方面警備隊及び防衛軍本部への連絡が完了しました。山上トモ子さんと女子乗組員送還のため、明日朝9時に警備隊の駆逐艦がヤマトに接舷するとのことです。
 それから、防衛軍長官がその件で艦長と話がしたいそうで、今日中に連絡して欲しいとのことです』

 「了解! 後で通信室で話をするから準備しておいてくれ」

 『はい』

 相原からの連絡を受け、進は再び艦長として雪に命令した。

 「森生活班長、ただちに女子乗組員を集めて今の勧告を告げ、各自の意志を速やかにまとめるように。聞いてのとおり、明日の9時出発だ。時間がない。今日の17時までに退艦者リストを作成して提出してくれ」

 「は、はいっ!」 雪ははじけるように立ちあがると、部屋を出て行こうとした。

 「雪……」 進の声かけに雪が振り返った。 「何?」 

 「他の女子乗組員達には期待するなよ。君とは違うんだよ……」

 進の予想では、誰も残るものはいないと思っていた。それを知ったときの雪の落胆を考えての言葉だった。が、雪はそれには返事をせずに艦長室を出ていった。

 (2)

 雪はすぐに女子乗組員を、生活班の小さな会議室に集めた。突然の召集にざわめいている。

 「皆さん、静かに聞いてください」

 雪のひとことで、私語が止まり全員が雪の方を見た。

 「皆さんもご存知の通り、バーナード星で山上トモ子さんを救助しました。彼女は今妊娠中です。それで、彼女を明日地球に送還することになりました。
 それに伴い……艦長からたった今、女子乗組員に地球に帰還するようにと勧告を受けました……」

 その言葉で、静かになった会議室が再びざわめいた。

 「地球に帰れるの?」 「じゃあ、私達はいらないってこと?」 「いいじゃない、帰りたいわ、私……」 「でも任務の途中よ」

 雪はそのざわめきを再び静止すると、話を続けた。

 「ヤマトは先日来、思わぬ戦闘に巻き込まれています。今、銀河系の真中では星間戦争が行われているのです。ヤマトはその真っ只中に紛れこんでしまいました。これは……出発前には予想されていなかった異常事態です。
 艦長はそれを憂慮され、これ以上危険な旅に女子乗組員を巻き込みたくないと決断されました」

 雪はそこで一旦言葉を止めて、全員の顔を見渡した。そしてさらに話を続ける。

 「ただし、これはあくまでも艦長からの勧告で、命令ではありません。そこで、これからみなさん一人一人の意志を確認したいと思います。あまり時間がありません。私は、隣の執務室で待っていますから、今から2時間以内にその意志を告げに来てください。みんなで話し合っても構いませんし、一人で決めても構いません。残るも帰るもあなた方の自由です……」

 一瞬シーンとなり、その後ざわざわと会話が始まった。その中の一人が手を上げて質問した。

 「班長は……どうなされるのですか?」

 その質問に一瞬に沈黙になる。誰もが雪の返答を固唾を飲んで待った。雪はゆっくりとはっきりと自分の意志を伝えた。

 「私は、もちろん残留を希望しました」

 「やっぱり……」 「だって班長は艦長の……」 「私達とは立場が違うものね……」 「でも、班長だけ残して私達が帰ってしまうのは……」

 再び始まるざわめきを後にして、雪は会議室を後にした。

 (3)

 執務室のデスクに座った雪は、目の前にある書類を開いた。といっても、仕事をするわけではない。頭の中は彼女達がどんな選択をするのかで一杯だった。

 (古代君はみんなが帰還を希望するだろうって言ってたけれど、やっぱりそうなのかしら…… 私だけなの? 私は……古代君がいるから残るのだろうか…… 違う! 私はずっとヤマトの戦士だった…… 途中で放棄するなんて考えられない でも、他の娘(こ)達は……?)

 10分も過ぎた頃から、看護師達がぽつぽつと部屋に入ってきた。

 「すみません、班長…… 私、地球に帰ります」

 それからあっという間に10数人が自分の意志を告げに入ってきたが、皆、異口同音に地球への帰還を希望した。雪は静かに頷き、翌朝の帰還の準備をするように伝えた。予想はしていたが、雪は寂しさを隠せなかった。
 そして、残るは、京塚ミヤ子と岡島若菜の二人になった。雪のいる部屋も、会議室もシーンとして誰もいないような静けさだ。まもなく2時間が経過しようとしていた。

 「私…… やっぱり、降りることにするわ」

 会議室の静寂を破ったのは、ミヤ子だった。若菜がはっとして顔を上げ、ミヤ子を見た。

 「岡島さんは、がんばる? 雪さんがいらっしゃるんだもの、がんばれるわよ、あなたなら……」

 ミヤ子が淋しげな笑顔を若菜に向けた。

 「でも、京塚さんは……」

 「私はね…… やっぱり、両親のそばにいたいと思ったの。もしも……もしも、ヤマトがこれからの戦いで傷ついて、私の身に何かあったらって思うとね。そりゃあ、地球に残っていても、新しい星が見つからなかったら、同じことかもしれないけれど、死ぬのなら両親のそばにいたい。いてあげたい……
 ごめんなさい、私も何とかがんばろうと思ってたけれど、帰っていいって言われたら、やっぱり、里心がついてしまって…… じゃあ、先に行くわね」

 ミヤ子は、そう言って執務室へのドアを開いた。後は若菜一人が残された。

 両親か…… 若菜はふと母のことを思い出した。若菜の父はすでに他界していた。母は、兄と妹と3人で今もあの家で暮らしているんだろうか…… 地球が大変なことになっていることを、もう知らされているのだろうか?
 若菜の目に涙が溢れてきた。

 (徳川さん…… 私……)

 (4)

 ちょうど2時間が過ぎたとき、会議室のドアが開いて、最後の選択者の岡島若菜が雪の目の前に現れた。ゆっくりと近づいてくる若菜の方を、雪はじっと見た。

 若菜は雪のところまで来て立ち止まると、一旦視線を落としてから、再び顔を上げた。その目には……涙が光っていた。

 「森生活班長…… すみません、私……地球に帰ります」

 はっとして若菜を見つめる雪。せめて彼女だけは残って欲しい、残ってくれるんじゃないかと、淡い期待をしていた。それが今はっきりと破れた瞬間に、雪の心がキュンと痛んだ。

 「そう…… わかりました」

 淋しそうに答える雪の姿を若菜は正視できない。

 「すみません、すみません…… ごめんな……さい……」

 思わず涌き出てくる涙を振り切るように顔を左右に振りながら、若菜が小さく叫んだ。

 「いいのよ、岡島さん。みんな、帰った方がいいのよ。だからこそ、艦長はそんな選択をしたのだから……」

 「でも、でも…… 本当は私まだ迷っているんです! 残って最後まで任務を全うしたい気持ちがあるんです。それに、ヤマトには……」

 若菜の言葉が詰まった。その続きを、雪は彼女の瞳から読み取った。

 ヤマトには太助がいる…… 初めて感じた温かい気持ち、まだ恋と呼ぶのも早いかもしれない淡い気持ち…… 本当はもっともっと彼と一緒にいたい、もっともっと話がして見たかった……

 若菜の想いをその瞳は訴えていた。

 「でも、このままヤマトに残っても私はまだまだ足手まといになってしまいそうなんです。もっと勉強して、もっと経験をつんで…… 堂々とヤマトの乗組員になれるように…… 帰ってやり直します。本当にすみません。森さんのことは尊敬しています。私もいつか森さんのように強くなりたい! きっといつか……」

 若菜の切ない思いが伝わってくる。今の自分がヤマトにとって必要な人材なのかどうかを考えた上での正しい判断なのだろう。雪は若菜の決意をしっかりと受け止めた。

 「岡島さん…… よくわかったわ。あなたが決して逃げるつもりじゃないことを…… あなたが一番いいと思って選択したことなんだから。地球に戻ってがんばって…… 私達ヤマトは、必ず新しい地球を見つけて帰るから。そしていつかまた、一緒にお仕事できることを楽しみにしているわ」

 「……はい……」

 そう返事して、うなだれる若菜の肩をそっと抱くと、雪は優しくささやいた。

 「ね、岡島さん、帰る前にまだしておきたいことがあるんじゃない?」

 若菜に芽生えた太助への思い、このまま消え去らせたくない。雪はそう思っていた。

 「……でも、私……」

 「私ね、いつも思うのよ。何かした方がいいかやめた方がいいか悩んだとき、しないで後悔するより、やって後悔した方がいいって」

 雪の後押しに、若菜は最後の勇気を振り絞ることを決める。

 「わたし……あの……」若菜は少しの間、考えてから「じゃあ、少しでいいんですけど、赤い布きれをいただけませんか?」と言った。

 「ふふふ……いいわよ、制服用の生地があるはずだから。何か作るの?」

 「はい」

 涙を両の人差し指でふいて若菜は笑った。

 (5)

 その頃、進は通信室に入って地球との通信回線を開いた。司令本部につながると、進は長官と一対一で話したい旨を伝えた。すると画面が切り替わって、長官室にいる藤堂が現れた。周りには誰もいないようだ。

 「古代。ご苦労だったな。事情は聞いた。しかし、山上という女性はともかく、他の女子乗組員も地球に帰すのは……」

 藤堂が渋い顔で話し始めた。女子乗組員を送還することにあまり賛成ではないらしい。

 「女子乗組員は、精神的にも非常に不安定になっています。このまま、乗艦させておけば彼女達の精神的な健康にも大きな問題が生じるでしょう。そうなれば、ヤマトの任務にも支障が出てきます。もう既に、佐渡先生や雪には大きな負担になっているんです。彼女達を地球に戻すことが一番良いと私は判断しました」

 「……そうか。ところで、雪は……どうするのだ?」

 「……今回の帰還については、女子全員を対象にしましたが、本人の意志を尊重すると伝えています。今、全員の意志を確認している最中ですが、雪は残留を希望しています……が、後はおそらく皆帰還を希望すると思います。それだけ、彼女達は苦しんでいます」

 「うむ、そうか……雪だけか。しかし、古代、彼女達が使えないと言うのなら、とりあえず冷凍睡眠ルームでしばらく眠っていて数人ずつ教育していくというわけにはいかないのかね?」

 まだ食い下がってくる長官に、進は今まで抱いていた疑問をぶつけた。

 「長官。なぜ彼女達がヤマトに残ることにそれほどまでにこだわるのですか?」

 「む……」

 「彼女達の人選についても、私は最初から少し疑問に思っていました。なぜもっと経験のある看護師を入れなかったのですか? せめてあの半分が経験豊富な看護師だったら……」

 「……まさか、こんなに激しい戦闘があることを考えていなかったのだ……」

 長官の答弁が苦し紛れであるのは、その苦渋の表情を見ただけでよくわかった。やはりそうなんだ。進は自分の想像が正しいことをはっきりと認識した。

 「それもあるでしょう。ですが、それだけではないはずです。あの人選は、経験の有無は全く考えていませんね。求めているのは、できるだけ若くて健康な女性。彼女達の履歴書、健康診断の結果を見ましたが、非常に癖のない履歴の持ち主ばかりだ。健康面でも既往症や今までに大病をした者がいない。その意味は……」

 進はそこまで言って長官の顔を凝視した。長官は眉をしかめ、どう答えようかと思案しているようだった。そこで進は立ちあがって声のトーンを上げた。

 「長官…… ヤマトの任務は新しい地球を発見することです。ヤマトは必ずその任務を果たして地球に帰ります。必ず、帰ります!! ヤマト艦長として、それ以上の任務はお受けできません!」

 「古代……」

 「ヤマトは……ノアの箱舟になるつもりは、決してありません。ヤマトはどんなことがあっても地球に帰ります」

 進の宣言に、通信画面を介して睨み合う二人の男達の間には沈黙だけがあった。そして……長官の顔の緊張が先に解け、あきらめたようにこう答えた。

 「わかった…… 女子乗組員の帰還、認めよう」

 「よろしくお願いします」

 「しかし……」 そこまで言って長官の口元が緩んだ。「4年前、沖田にも同じことを言われたよ。建設当初のヤマトの目的はまさにそれだった。だが、イスカンダルからの通信カプセルのおかげで目的が変わった。旅立つ直前、私は彼に『もし、ヤマトがコスモクリーナーDを1年以内に持って帰れないことが判明したら、すぐに当初の目的に切り替えてくれ』とね。その時の答えが、今の君と同じだった」

 「沖田艦長が……」

 「頼んだぞ、古代。君ならきっと……」

 「……はい!」

 ヤマト艦長古代進は、今また第2の地球探しへの思いを新たにした。

 (6)

 進が艦長室に戻ると雪が既に来て待っていた。

 「艦長、退艦者のリストができました…… 残留希望者は森雪1名です。残りは全員……帰還を……希望しました」

 「そうか…… わかった。ご苦労だったな」

 「……私……」

 進に退艦者の報告をすると、雪は淋しそうな顔をした。

 「そんな顔するな。仕方ないじゃないか。彼女達は準備不足だったんだ。もちろん、不測の事態が起きたとはいえ、防衛軍側にもヤマトにも責任はある。皆それぞれ、考えが甘かったんだ。
 だが、きっと彼女達にもこれがいい経験だったと思えるときが来るさ。彼女達に、いきなり君と同じようになれっていったって無理なんだよ。ガミラスとの戦いが待っていることを承知の上でヤマトに乗った、あの時の君達とは認識が違ったんだよ」

 「でも私……ちょっとショックだった。ほとんどの人が帰還を希望するとは思っていたけど、京塚さんか岡島さんは残るって言ってくれるんじゃないかって……期待してたの。でも……
 私一人、我を張ってヤマトに残りたいだなんて…… そんな女って……かわいげないわよね?ふぅ〜」

 雪は、ため息と同時に自嘲気味に笑った。

 「雪……」

 進はしばらくその姿を見ていたが、急にくくっと小さく吹き出した。

 「な、なによ! 古代君!! 私が悩んでるのに、笑い事じゃないでしょう!」

 「いや、ごめん…… 自分でもよくわかってるじゃないかって思ってね……あはは」

 「わかってるですって!?」 雪が、進の言葉に眉をつりあげた。

 「あっ、いや、その……なんだ、そういうはねっかえりが好きな、物好きなヤツも……いるからさ、まあ、心配するな」

 進は照れたように笑いながら鼻をぽりぽりと掻いた。

 「えっ?」 それを聞くと、雪はぱっと表情を明るくして、くすりと笑った。「まあっ、失礼ねっ。でも、そんな物好きな人に、ぜひ会ってみたいものだわ!」

 言葉では怒っているが、雪のその顔はいたずらっぽく笑っている。

 「いいよ、紹介してやるよ。この任務が終わったら真っ先に……すごくいい男だから……さ」

 「……古代君……」

 雪は進の心遣いが嬉しかった。直接気持ちを伝え合えない二人が互いに茶番劇をしている、それでもよかった。

 「じゃあ、期待しないで待ってるわ」

 進はもう一度微笑んで頷くと、気持ちを切り替えるように、さっと顔つきを変えた。そして、マイクを持って艦内放送スイッチをオンにした。

 「全乗組員に告ぐ。先日バーナード星で救助した女性を、この度地球に送還することになった。それに伴い、このところの戦闘の激化のため、ヤマトの危険が増大していることから、非戦闘員が中心の女子乗組員にも地球へ帰還するよう勧告した。
 その結果、ヤマトへの残留を希望した森生活班長を除く女子乗組員は全員、地球へ帰還する。明日午前9時、ケンタウルス座アルファ星方面警備隊から迎えの艦が到着する。手の空くものは全員甲板に出て、今日まで共に戦ってきた仲間を見送ってくれ。以上だ」

 (7)

 進の艦内放送を、太助は機関室で聞いた。機関室のクルー達もざわめいた。口々に話している。予想していた者、していなかった者、様々だ。当然太助の頭の中には若菜のことがすぐに浮かんできた。

 (若菜さん……地球へ帰るのか。残留を希望したのが雪さんだけってことは、彼女も地球に帰ることを希望したんだなぁ…… やっぱり、今までの戦闘で耐えられなかったんだな。でも、もっと一緒にいたかったし、もっといろんな話をしてみたかったなぁ…… 俺は、彼女のことが……)

 じっと考え込むようにうずくまっている太助の背後から山崎が声をかけた。

 「徳川、このままあの娘(こ)を帰していいのか?」

 「き、機関長! な、なんのことですか……」

 「あの娘のこと、好きになったんだろう? 気持ちを伝えておかないのか? 帰るまで待っててくれって言えばいいだろう?」

 「そう言ったって…… 今、ヤマトは大事な任務中です。個人的な感情なんて……」

 太助は大きくかぶりを振った。今は任務を第一に考えなければいけない……太助はそう思いこもうとしていた。

 「ふーん、まあ、お前がそう思うんなら、私がどうこう言うこともないがな」

 意味深な山崎の視線を、太助は痛いほど感じていた。

 (8)

 夕方、太助が食堂へ行くと、女子乗組員達が集まっていた。その周りを男子乗組員たちが囲んでいる。個人的に話しこんでいる者や、家族への手紙を頼む者など、思い思いに最後の会話がなされているようだ。しかし、その中に若菜の姿はなかった。

 「若菜さん、いないんだ…… まだ帰還の支度に手間取ってるのかな」

 最後にもう一度、話をしたいと思ったが、それもかなわないのか、と太助は落胆を隠せなかった。このまま別れてしまったら、若菜とはもう二度と会えないような気がした。しかし、この時期にいったい何をどう言えばいいのか、それも太助にはわからなかった。

 (やっぱり、俺って恋愛なんかにゃ向いてないんだなぁ。せっかくいい感じだったのに、結局は中途半端なままか……)

 太助は大きなため息をついた。夕食を取りに入った食堂なのに、食べる気にもなれずに食堂を出た。部屋に戻るつもりで歩き出したが、なんとなくまだ歩きたくなってそのまま側面展望室まで来てしまった。
 ヤマトの全乗組員が入れるほどの大きな展望室に、今は誰もいない。閑散とした静寂だけが広がっている。太助はその窓のひとつまで来ると、ひとり外の星を見つめていた。

 (このまま彼女を帰していいんだろうか…… でも……)

 「徳川か?」

 その時、後ろから声がかかった。振り返った太助は驚いて叫んだ。

 「あっ、艦長!」

 「どうした? 一人でこんなところで…… 夕飯は食ったのか?」

 「いえ…… ちょっと……」

 太助は、進から視線をはずして辛そうな顔を見せた。進はちょっと眉を吊り上げるとこう言った。

 「俺がお前達の恋路の邪魔をしたかな?」

 「えっ!?」

 「あの娘(こ)のこと、気になってたんだろう?」

 「か、艦長…… どうしてそれを……」

 「新人の歓迎パーティで楽しそうにしてたじゃないか? 雪が言ってたぞ」

 「…………」

 太助はなんと答えて言いかわからなかった。確かに生まれたばかりの淡い思いがあった。だけど……もう明日でそれも終わってしまう。とは言え、太助は彼女を追ってヤマトを降りるつもりはなかった。

 「ちゃんと言っておけよ。必ず帰るからって……」

 「艦長……」 太助は、はっとして進の顔を見た。

 「そうだろ? 俺達は必ず第二の地球を探して、地球に戻るんだ! 違うか? 徳川」

 「い、いえ! 必ず!! 必ず地球に帰ります!」

 進は、太助のはじけるような元気な返事に満足したように頷いてから、太助の隣に来て同じように遠くの星をみつめた。そして、遠く地球を思いやるようにこう言うのだった。

 「俺も……地球で帰りを待ってる人がいる……」

 「え? だって、雪さんは残るって……」

 進の言葉の真意がわからず、太助は尋ね返す。不思議そうに首を傾げる太助に、進はまじめな顔で答えた。

 「生活班長の森雪は確かに残る。が、二人の心は地球に置いてきた。だから、俺も必ず地球に帰らなきゃならないんだ。でないと、本当の彼女には会えない、と……思っている。な、徳川、一緒に頑張ろう!」

 進の両手が太助の肩に乗った。重くてたくましくてがっちりとした進の手の圧力と温かみが、肩から太助の体の中に染み込んでくる。太助はくいっと顔を上げて、進の方をしっかりと見た。

 「艦長…… はい!! 頑張ります!」 そして急に思い立ったように、そわそわとしだした。「あっ、僕はちょっと行くところが……行ってきます!!」

 「がんばれよっ! 徳川っ!」

 太助の行き先はたった一つ。地球へ帰ってしまう若菜へ大切な言葉を伝えるのだ!

 (9)

 太助はその足で居住区の方へ走った。しかし、女子乗組員の部屋のある廊下に来るとさすがに恥ずかしく、きょろきょろしながら歩いたが、誰ともすれ違わなかった。みんなまだ食堂の方にいるのだろう。
 やっとのことで、若菜の部屋を見つけると、太助はその扉の前で深呼吸した。

 「よしっ!」 自分を励ますように一声上げ、太助は部屋をノックした。

 「はいっ」 と、声がしてすぐに若菜が出てきた。「あっ……徳川さん……」

 「や、やあ…… あの…… 君達が明日帰ることになったって聞いて…… できたら、ちょっと話がしたいなって思って……」

 若菜を目の前にすると、ここまで来るまでに固く決意していたことや、言おうと思っていたことがあっという間に頭からふっとんでいった。太助の話に、若菜が恥ずかしいそうに顔をほころばせたが、すぐに困った顔になった。

 「あ…… 私……」

 太助に渡そうと思っていたものがまだ出来ていない。だから、若菜は当惑したのだ。
 しかし太助は、それを若菜が彼と話すことに乗り気ではないのだと受け取った。自分が勝手に思い込んでいただけだったのかと思うと、恥ずかしさでカーっと顔が火照ってくる。

 「あ、ああ、あはは……嫌ならいいんだよ。ご、ごめん…… じゃあ、元気で……」

走り去ろうとする太助に若菜が大慌てで声をかけた。

 「あっ、ちょっと待ってください!! 私……今、明日の支度がまだできてなくて…… あの、明日の朝……時間取れませんか?」

 太助がピタリと立ち止まって、降りかえる。太助の顔に安堵の表情が浮かんだ。

 「明日? あ、ああ…… 明日の午前中は非番だからいつでも……」

 「じゃあ、朝6時に……展望ルームで待ってます。いいですか?」

 「ああっ! も、もちろんっ! じゃ、じゃあ……明日、必ず行くよ」

 太助の顔に笑顔が戻る。ほっとしたような柔和な笑顔が若菜の心にしみた。

 「お願いします……」

 (10)

 翌朝6時5分前、太助は展望ルームへ向かうエレベータに乗っていた。昨日の夜は眠れなかった。

 明日なんて言おうか…… 若菜が誘ってくれた意味って……? 俺のこと、思ってくれているんだろうか? もしかしたら、俺のこと!?
 でも、それならどうして地球に帰ってしまうんだろう? 最後までヤマトで一緒に戦ってくれないのだろうか? 

 不安と期待が入り混じり、いろんな思いが交錯して、太助は眠れぬ夜を過ごした。そして今、展望ルーム近くまで来ても、自分の気持ちをどうやって、どこまで伝えればいいのかもわからなかった。

 「ええいっ! ままよっ!!」

 太助は自分で自分の背中を押すように、目を瞑ったまま、展望ルームへ飛び込んだ。そこには、若菜が既に来て立っていた。太助の姿を見ると、にこっと笑い、軽く会釈した。

 「お、おはよう…… 遅くなってごめん」

 「あ……いえ、私が早すぎたんです。なんだかヤマトで過ごす最後の一日だと思ったら眠れなくて」

 淋しそうに目を落とす若菜。その姿を見て、太助も本当に彼女が今日からいなくなるということを、初めて実感した。

 「……帰っちゃうんだよなぁ、ほんとに」

 「はい……すみません」

 「ああ、いやっ、し、仕方がないさ。艦長がそれが一番いいって決めたことだから…… いろいろと辛かったんだろう?」

 「……はい、私達の勉強と認識不足で、大勢の方にご迷惑をかけてしまって……」

 「そんなことないって! こんなことになるとは僕たちだって思ってもいなかったんだから」

 「でも、それでも皆さんちゃんとやってらっしゃる……」

 若菜は淋しげな目で太助を見た。太助はそんな若菜をどう言って慰めていいのかわからなかった。気の利いた言葉が浮かんでこない。
 ただ、その淋しげな小さな体を抱きしめてあげたい。そうすれば、彼女の辛い思いを少しでも和らげてやれるんじゃないか…… そんな衝動が沸き起こったが、太助は手を動かすことができなかった。

 「若菜さん……」

 そう一声かけるのがやっとだった。その声に、ふっと顔を上げると、若菜の瞳が真剣なまなざしに変わった。

 「徳川さん、私、とても悔しいんです。いえ、地球に帰るように言われたことじゃなくて、今の私じゃこのヤマトの役に立てないってことが……! 今回の退艦の話を聞いた時も、最初は頑張って残ろうかとも思ったんです。でも……でもっ!やっぱり今のヤマトの状況を考えたら、足手まといになるようなことはしちゃいけないって思いました。
 だから、地球に帰って自分をもっと鍛えなおして、もっと勉強して、もっといろんな経験を積みたいって、そう思ったんです。だから……帰ることにしたんです。私……」

 若菜の大きな瞳が潤み出す。こぼれそうでこぼれてこない涙が目に溜まっている。なんとか涙を落とすまいと頑張る若菜の姿が、太助には愛しかった。

 「……わかるよ、その気持ち……」

 「ありがとうございます…… 徳川さん、今日まで本当にありがとうございました」

 深々と頭を下げる若菜の目から涙がひとつぶポロリと落ちた。その姿に心が疼く。言わなければ……! 太助は、今、自分の気持ちを彼女に伝えようとした。

 「……あの…… 僕達は必ず帰るから…… 必ず新しい地球を見つけ出して、ヤマトは地球に帰るから、だから……ぼ……」

 『僕の帰りを待っていて欲しい』そう言おうとした、『好きだ』とも告げようとした。しかし、最後の最後になってその言葉が止まってしまった。

 太助は、直前で思いとどまった。地球へ帰る彼女に、ヤマトに残る自分のことを、これからの戦いの中どんなことがあるかわからない自分のことを待っていて欲しいとは……言えなかった。
 地球に帰れば、彼女には新しい人生が待っているかもしれないのに…… ここで彼女を拘束することは……できない。太助のやさしさが、自分の告白に歯止めをかけてしまった。

 「……? 徳川さん?」

 「だから……あ、ち、地球のみんなに、待ってて欲しいって……伝えて……」

 「地球のみんなに……?」

 さっきの言葉の続きを期待していたのか、若菜の返事に落胆の色が見えた。太助はもしかしたら自分のことを好きでいてくれてるんじゃないか。それを伝えてくれるんじゃないか…… 若菜の心にはそんな期待があった。

 (徳川さんは、何も言ってくれないのね……)

 「そ、そう……みんな、若菜さんも……みんなも…… 必ず帰るからって」

 「…………はい」

 「元気で…… 僕……達が地球に帰ったときは、迎えに来てくれよな。その時には…… その時には…………み、みやげ話いっぱい聞かせてやるからっ!」

 『帰ったたら、その時は君に僕の気持ちを伝えたい!』

 心の中の太助はそう叫んでいた。しかし……結局彼の口から、その言葉が出ることはなかった。

 「……はい」

 「じゃ、じゃあ……」

 太助は何も言わず、若菜の目の前から去ろうとしている。若菜ははっとした。渡さなきゃ…… 徳川さんがどう思っていても、私の思いを込めたこれを……渡したい。

 「待って! あ、あの……徳川さん、これ貰ってくれませんか?」

 若菜が手もとの袋から出して太助の目の前に差し出した。それは、一冊の古い本だった。表紙には『若菜集 島崎藤村』と書かれてあった。

 「何? 本? 若菜集?」

 「はい……父が好きだった詩集なんです。もう300年以上の昔の島崎藤村という詩人の書いた詩集です。徳川さんはご存知ないですか?」

 「あはは…… 古典はちょっと苦手で…… あ、でもこれを機会に……」

 島崎藤村と言う名は、なんとなく覚えていた。しかし、若菜集という詩集も見たことなければ、その中身など想像もつかない。困惑顔を太助に、若菜からは思わず笑みが漏れた。

 「うふふ…… そうですか。いいんです、後存知なくても…… 父は、もう他界しましたが、島崎藤村が大好きで、私の名前もこの詩集から取ったんです」

 「ああ…… それで若菜って……」

 「はい、実はこれ父の形見なんです」

 「えっ!? そんな大事なもの……」

 「でも、徳川さんに持っていて欲しいんです。今まで私を支えてくれた本だから、今度は徳川さんに…… だめですか?」

 若菜がすがるような視線を向けてくる。

 「い、いや……」

 若菜の真剣な願いを太助が断れるはずがなかった。いや、かえってそれほど大事なものを自分に渡そうとしてくれる若菜の気持ちがうれしかった。

 「うん、わかった。じゃあ……預かっとくってことにしようよ…… ヤマトが必ず帰る約束の証に、帰ったら返すってことで」

 「はいっ! ありがとうございます…… あと、それから……これを…… 私が作ったんです。昨日の晩、徳川さんが無事で帰ってきてくださるようにお祈りしながら。この本と一緒に持っていてくれませんか?」

 渡されたのは、小さなりんごのマスコット。女の子がかばんにつけて楽しむような小さな赤い実が一つついていた。

 「あ…… ありがとう、ありがとう!! かわいいりんごだなぁ…… この本と一緒に大事にするよ」

 「はい…… あ、そろそろ支度しないといけないわ。徳川さん、お元気で……」

 「うん、君も……」

 手を振って展望ルームを出て行く若菜を太助は最後まで笑顔で見送った。

 (言えなかったな…… 「好きだ」って…… どうしても……言えなかった)

 太助は心の中で少しだけ泣いた。

 (11)

 アルファ星警備隊の駆逐艦が到着する1時間前、帰還する女子乗組員全員が、側面展望台に集まった。古代艦長と両副長、雪と佐渡が送る側として並んだ。

 「みんな、今日まで短い間だったが、ご苦労だった。様々な事情があって、こんなことになってしまい、君達をこのまま連れて行けなくて、本当に申し訳ないと思っている。
 ヤマトは、これからも旅を続け、必ずや第2の地球を見つけだし、地球へ吉報を伝える。それまで君達も地球でみんなを励まし続けて待っていて欲しい。
 今日まで本当にありがとう」

 進が送る最後の言葉を告げた。少しばかりしんみりとした雰囲気になり、中には目頭を押さえる女性もいた。次いで雪も話した。

 「みなさん、気をつけて帰ってください。ほとんどのことを艦長が言ってくださったので、私からもう言うことはありません。でも、あなた達を盛り立ててあげられなくて……本当にごめんなさい。でも、またきっと……いつか……一緒に……仕事…… 仕事が出来る日が…… ううっ」

 涙が込み上げてきて言葉が続かない。進達が心配そうに雪を見つめた。
 女子乗組員達が、なにやらひそひそと打ち合わせをすると、ミヤ子が一歩前に出て代表して話し始めた。

 「森生活班長、短い間でしたが、本当にお世話になりました。私達、班長とご一緒に仕事できたこと、心から嬉しく思っています。地球に帰ることになったのは、班長の責任じゃありません。私達の力不足です!
 こんな結果になって残念ですが、私達地球に帰って勉強し直します。そして、今度ご一緒できるときは、最後までお役に立てる仕事がしたいと思っています。ありがとうございました」

 「ありがとうございました!!」

 ミヤ子の言葉に続いて、全員が大きな声で例の言葉を言い頭を下げた。その姿に雪はまた涙を流し、進や島、真田、佐渡達が安堵した。彼女達を帰す事が、今は一番よかったのだと、そう思った。

 みんなの顔に笑顔が戻ったとき、ミヤ子がにっこり笑って、今度は進に向かって言った。

 「それから、艦長。私達の大切な班長のこと、ぜひぜひよろしくお願いします。絶対に班長のこと守ってくださいね。私達の班長にもしものことでもあったら…… 私達許しませんから…… お二人で地球に帰ってくる日を私達心待ちにしています」

 皆が進の顔を見る。雪は嬉しさと恥ずかしさで手で口元をおおう。副長達も笑っている。皆の視線に進はすっかりたじたじだった。

 「あ…… わ、わかった。約束する! 必ず、彼女のことは守るよ」

 ほんのり赤い顔で進がそう答えると、ミヤ子たちは満足そうに微笑んだ。

 「みんな…… ありがとう……」 雪が小さな声で礼を言った。

 (12)

 出発までしばらくの間、休憩時間になり、雪は若菜を見つけると声をかけた。

 「岡島さん、あの昨日作るって言ってた物は徳川君に渡せたの?」

 「あ、班長…… はい、今朝」

 「そう、よかったわ。徳川君なんか言ってくれた?」

 「はい…… ヤマトは必ず新しい地球を見つけるから地球のみんなと待っていてくれって」

 「それだけ?」 雪がもう一度聞きなおす。

 「はい、それだけです……」 若菜がちょっと照れ笑いしながらそう答えた。

 「んっもうっ! だめねぇ、徳川君ったら!」

 雪が肩を落として、口を尖らせると、

 「あ、うふふ…… いいんです」 と、若菜は笑う。

 「そう? でも、徳川君、きっとあなたのこと大好きなのよ。なのに…… でもどうしてヤマトのみんなって誰も彼もこうなのかしら。相原君といい…… ここ一番に大事な一言が言えないんだからっ!」

 「私…… 徳川さんの顔を見てたらなんとなく私のことを思ってくださってるって……勝手にそう思っちゃうことにしました」

 怒って見せる雪に、若菜は太助をかばうようにそんな風に言った。雪もすぐに笑顔に戻って答えた。

 「そうね。間違いないわ、私が保証してあげる」

 「でも、艦長はもっとスマートに言ってくださったんでしょうね?」

 若菜が少し離れたところにいる進をチラッと見ると、雪にそう問いかけた。雪はくすっと笑う。

 「えっ? 艦長? うふふふ…… それが、ぜーんぜんよ。もうイライラしちゃうくらいっ。あの時も、ヤマトが地球に戻るまではって、彼は言えなかったみたいよ。もう、あの時代からのヤマトの伝統かしらねぇ。ふふふ」

 今度は雪が、ちらりと進の姿を見た。そしてまた若菜の方を向いて、再び声を出して笑った。「実はねっ」と、雪が、進との出会いやイスカンダルへの旅の間のやり取りを色々話して聞かせると、若菜は面白そうに笑った。

 「えーっ! そうなんですか? 今の艦長からは想像できません。艦長もそうだったんですかぁ。あはは……」

 「でしょ? そんなものなのよ。うふふふ……」

 二人が自分のほうをチラチラと見ては笑っているのに気づいた進が近づいて来た。

 「こらっ! そこで人のことをネタに笑っているやつがいるな」

 「えっ?」 「あらっ」 二人は進の顔を間近に見るとさらに笑いがこぼれた。

 「あのなぁっ! まあいい。それより、徳川はどうしたって?」

 「はい、ヤマトは地球に必ず帰るからって言ってくださいました」

 「あん? それだけか?」

 「はい……」

 「もうっ! あいつはぁ。何をやってるんだ! ああ、じれったいな」

 進がイライラとした様子でそう言うと、雪と若菜がさらに笑い声を上げた。よくも人のことが言えたものだと、雪は喉から言葉が飛び出しそうになるのを、必死に我慢していた。だから、笑いが……止まらない。

 「ああ、もうっ! 女ってのは笑い出したらどうして止まらないんだ? とにかくっ! 徳川は必ず連れて帰るから、心配しないで待っててくれ」

 進は二人に呆れながらも、若菜にはっきりと明言した。若菜も笑っていた顔を納めて、きっぱりと答え、頭を下げた。

 「はいっ! ありがとうございます」

 進が去って行くと、雪は再び若菜に尋ねた。

 「ところで若菜さん、徳川さんに何か渡したんでしょう?」

 「父の形見の『若菜集』の本とりんごのマスコットを……」

 「りんご、それで赤い布だったのね。若菜集……と……りんご……?」 雪はちょっと考えてはっと気づいた。「ああっ! で、徳川君その意味気づいてたの?」

 「いえ……たぶん」 と言うと、若菜はいたずらっぽく笑った。

 「うふふ、やっぱりね。でも読んでいるうちに気づくわよね、きっと」

 「はい……」

 そして、午前9時、警備隊の艦が到着した。そちらに乗り移った女子乗組員たちと山上トモ子を、ヤマトの乗組員たちが甲板から敬礼して見送る。

 「さよ〜ならぁ〜!!」

 手を振る雪の目にもう涙はなかった。そして、見送るヤマトクルー達は、彼女達の幸せのためにも、新しい星を見つけて地球に帰る決心を新たにした。その中には、もちろん機関班徳川太助の姿もあった。

 (さようなら、若菜さん…… でも、また必ず会えると信じてるよ)

 好きだという言葉を出すことは出来なかったが、地球に帰ったときにもし彼女が迎えに来てくれていたら、その時は必ず思いを告げよう、と心に誓う太助だった。

 (13)

 その日の午後、太助は機関室でいつもの任務をしていた。ただ、心の中はなんとなくぽっかりとあいたような、そんな寂寥感があった。

 「徳川…… 行ってしまったな」

 山崎が太助の肩をぽんと叩くと声をかけた。

 「あ……機関長…… はい」

 「伝えたのか? ちゃんと…… お前の気持ちを」

 「いいえ…… 必ず帰るっては言いましたけど、待ってて欲しいとは言えませんでした。帰れる保証もないのに、そんなこと言えなくて…… それに、彼女も何も言いませんでしたし…… ただ、世話になってありがとうって。彼女の気持ちもそれだけのことだったのかもしれませんし」

 「ふうん…… ん? 何を見てるんだ?」

 「あ、ああ…… これ、くれたんです。お守りにって…… 『若菜集』って、昔の詩人の本らしいです。僕はよくわかりませんけど、彼女の亡くなったお父さんが大好きで、若菜って言う名前もそこから取ったって…… この本はそのお父さんの形見らしいんです。それと、このりんごのマスコット。女の子らしいですね。お守りだってさ」

 「若菜集に……りんごか…… ふーん、徳川、お前、その本読んだことないのか?」

 「ありませんけど。俺、自慢じゃないけどそういうのは苦手で…… 機関長はご存知なんですか?」

 「くっくっく…… まあな、私は結構文学少年だったんだ。お前も読んだほうがいいぞ」

 「えっ?」

 「どら、ちょっと貸してみろ」

 山崎が若菜集を太助から受け取ってぱらぱらとめくり、あるページを見つけて開いた。

 「ほら、これ……」

 山崎が開いたページには、『初恋』と題された詩が記載されていた。 
    初 恋

         そ     まへがみ
まだあげ初めし前髪の

林檎のもとに見えしとき
            はなぐし
前にさしたる花櫛の

花ある君と思ひけり


やさしく白き手をのべて

林檎をわれにあたへしは
うすくれなゐ      み
薄 紅の秋の実に
       そ
人こひ初めしはじめなり



わがこゝろなきためいきの

その髪の毛にかゝるとき
            さかづき
たのしき恋の盃を
    なさけ
君が情に酌みしかな


         こ    した
林檎畠の樹の下に
               ほそみち
おのづからなる細道は

誰が踏みそめしかたみぞと

問ひたまうこそこひしけれ


 そのページを、太助はじっと見つめ続けた。何度も何度もその詩文を舐めるように読みふけってから、ようやく太助は小さな声を上げた。

 「機関長……これって……?」

 「彼女からの告白……だな。これは」

 「じゃあ、じゃあ…… 彼女は僕のことを……?」

 「言葉に出せなかった思いを、お父さんの形見の本にたくしたんだな、彼女は……」

 「若菜さん……」

 「太助、帰ったときには彼女にこの返事を……きちんと告げろよ。そのためにも絶対に地球に帰ろう! 目的の新しい星を見つけ出して、なっ、徳川」

 「……はいっ!」

 山崎の言葉にしっかりと返事する太助は、若菜の思いを今初めてしっかりと受け止めることが出来た。

 今はもう彼女はこのヤマトにはいない。でも、いいんだ…… 必ず地球に帰ってその時にこそ、堂々と胸を張って彼女に自分の気持ちを伝えよう。

 太助は自分の心の中の空洞が埋まっていくようなそんな気がしてきた。

 西暦2203年秋、ヤマトは新しい地球を求めて星から星への旅を続けていた。
 (エピローグ)

 翌2204年の8月、太陽増進を止めるハイドロコスモジェン砲を手に入れたヤマトによって地球は再び元の青さを取り戻した。

 そして、古代進艦長をはじめヤマトクルー達は地球に戻ってきた。もちろん、徳川太助も無事に帰還を果たした。

 ヤマトが地球に到着すると、太助は急いで艦を降り、若菜を探した。迎えに来てくれているだろうか、とそのことばかりが気になっていた。
 艦を降りた太助に声がかかる。防衛軍内の知人もいたし、兄も義姉も姪っ子もいた。しかし……どんなに探しても、若菜の姿は見えなかった。

 ふと、顔を上げると目の前で、相原がうれしそうに長官の孫娘藤堂晶子と話している。古代艦長が、森生活班長の手を握って歩き出すところだった……
 みんな、みんな、それぞれ一人一人の若者に戻って愛しい人に巡り合えたと言うのに、自分は……
 太助は情けなくなってしまった。彼女はもう別の新しい人生を見つけてしまったのだろうか……?
 その時、一人の少女が声をかけてきた。

 「あの……徳川太助さん、ですか?」

 その声に振り返ると、そこには若菜を数才若くしたような、まだ中学生くらいに見える少女が立っていた。

 「君は……?」

 「岡島さやかと申します。あの……岡島若菜の妹です」

 「若菜さんの……? もしやっ! 若菜さんに!! 若菜さんに何かあったんですか!?」

 「あ……いえ、姉は元気です」 その一言に太助は心底安心した。「でも、今東京にいないんです。今は、中央アフリカの方へ行っています。それで昨日姉からメールが来て、ヤマトが帰ってきたら徳川太助さんと言う人に伝えて欲しいって…… あのこれ、プリントアウトしてきましたから、どうぞ」
 『徳川さんへ

 お帰りなさい。ヤマトはやっぱり地球を救ってくれたんですね? 徳川さんも無事でお帰りと聞き、本当に嬉しく思っています。でも、私は今お迎えに行くことが出来ません。
 私は今、中央アフリカの避難地下都市に来ています。ここは、地球の温度の上昇の影響を最も早く受け始めた場所で、いろいろな物資その他が不足しています。そのために疫病も流行り、病気に苦しんでいる人も大勢いるのです。
 私は、その方たちを少しでも手助けしたくて、ここに来ました。ここの仕事は、とても大変な仕事です。でも、あのヤマトで戦った短い日々のことを思えば、こんなことくらいなんともありません。こちらで看護を続けて、看護師としても随分自信が出来ました。
 私はもう少し、ここで頑張ろうと思っています。あと1年か2年くらい…… そして、この仕事を立派にやり遂げて、徳川さんに堂々とお会いできるようになったら、東京に帰ろうと思っています。
 その時は、ぜひ会って下さいね。それまでどうかお元気で……
岡島 若菜』
 「若菜さん……」

 「あの……姉は、地球に帰ってきたとき、徳川さんのこと楽しそうに話してくれました。とっても素敵な人だって……」

 「あはは…… じゃあ、びっくりしちゃったよね?」

 「そんなことありません! 想像した通りでした」

 「そ、そう? よく僕のことわかったね?」
 
 「はい…… あの…… 姉が「くまのプーさん」にそっくりだって言ってましたので」

 「は? プーさん? あはっははは、確かにそうかもなぁ、あははは……」

 「はい…… うふふ」

 さやかの笑顔は、太助に若菜のそれを思い出させた。明るくて爽やかなそんな笑顔を……

 「ありがとう、さやかさん。もし、お姉さんと連絡取ることが会ったら、伝えてください。徳川太助は、お父さんの形見の本を確かに預かっているって。東京に戻ったら、必ず引き取りにきてくださいって……」

 「はい……」

 そうして少女はうれしそうに手を振って帰っていった。

 この帰還の後すぐ、彼は再びヤマトに乗り、再度地球を救った。そして……ヤマトを沖田艦長を……静かに見送った。



 時は過ぎ、西暦2205年の秋も深まり、ヤマトの水没慰霊会も終わったある日のこと、非番で自宅にいた太助のもとを訪ねる女性があった。

 「こんにちは……」

 それは、2年前の幼さが消え、自信に満ちた大人の女性になったあの岡島若菜の姿だった。
 太助は笑顔で彼女を迎えた……

−完−

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