その時、玄関のドアホンがなった。ドアホンのマイクから声がする。
「ただいま」
雪が帰ってきた。進は慌てて涙をしっかりと拭きなおして、笑顔で妻を迎え入れた。
「おかえり……」
「ただいま、進さん。遅くなってごめんね。でも、これで明日はお休み貰えたからゆっくりできるわ」
にこりと笑う妻の顔に進の心は和んだ。と、雪が不思議そうな顔をした。
「進さん……? 目が赤くない? どうかしたの?」
「い、いや…… なんでもない。さっき、ごみが目に入ってこすったせいかなぁ」
母親が恋しくなって泣いていた……なんて、言えやしない。進はとぼけた。雪はくすっと笑った。
「でも両目よ、変ね。一人で淋しかったの?」
「ち、違うよ!!」
進は怒ったようにちょっと声を荒げて、それをごまかす為に雪を荒っぽく抱きしめた。
「あ……」
雪の驚きの言葉は、すぐにかき消される。進の唇が雪の唇をおおった。両手で妻の背をなぞり強く抱きしめる。進の唇は雪のそれをむさぼりように吸い続ける。雪も同じだけの愛を進に返す。濃厚なくちづけが繰り返される。
しばらくしてやっと離れた二人のくちびる。進はまだ雪を抱きしめたままだ。雪が進を見上げて軽く睨む。
「いやぁね、いきなり……」
「どうして? 君だってちゃんと答えてくれてたくせに……」
進が雪の顔をじっと覗きこんだ。雪が赤面する。確かにお互い様だ。
「ね、それよりもう寝よう。明日は休み、今夜はゆっくりできるんだろう?」
夫は唇を妻の首筋から耳元へとそっとはわせて、誘いの言葉を伝える。進は今、心でも体でも雪を強く求めていた。
「ええ、でも先にお風呂に入りたいわ」
くすりと笑い肩をすくめ、妻は頬を紅潮させてそう答えた。
「わかった。じゃあ、先にベッドに行ってる。待ってるよ」
長時間の仕事で疲れているだろうと思った進は、素直に雪を開放した。風呂につかってゆっくりさせてやろう。
進は寝室に入ると、ベッドに仰向けに寝転んで天井を見つめた。しばらくじっと見ていると、再びさっきのテレビの光景が浮かんできた。抱擁する母子と海のさざなみ――また、切ない気分になる。
「なんだよ、今日は…… 変だぞ、進。しっかりしろよ」
雪にこんな自分を見られたら笑われるぞ、と自分で自分を叱咤した。それでもじわりと何かが沸いてきて、鼻がむずがゆくなってくる。進は、湧き上がる流れをぐっと押さえ込んだ。
カチャリ……ドアが開く音がして雪が入ってきた。裸にバスタオルを巻いたままの姿。髪を洗って慌てて乾かしてきたのか、まだ半分濡れている。
風呂で温まったせいなのか、それともこれからの情事を思うからなのか、彼女の頬は赤く染まっている。きれいで……とてもかわいい。彼は素直にそう思った。
「早くおいでよ、雪」
雪は軽く頷いて、ベッドに近づいて、そしてそっと進の体に擦り寄った。
「雪……」
進はすぐに雪の上に重なると美しい裸体を覆うバスタオルを取りはらった。真っ白な美しい曲線美が現れる。美しい顔、滑らかな髪、ほっそりとした首筋、白くて弾力のあるマシュマロのような双丘の上には、薄桃色のさくらんぼが左右対に実り、進に摘み取られるのを今か今かと待っている。
視線を落とすと、平らなお腹には縦長の小さなお臍。その下には、たおやかな茂み……
その全てが進を魅了してやまない。それは……何度も何度も愛して慈しんで、それでもまだまだ恋しくていとおしい……
進はいつものように、いつもよりやさしく、雪を愛した。雪もまた、夫の愛撫に敏感に反応する。進が先日帰ってきてから初めての営みは、二人を激しく燃え上がらせた。
雪はふと目を開けて夫の顔を見た。今日の彼は、なぜかとても幼く見える。その瞳は何かを求めすがるように、雪の体をなぞっていた。
「進さん……淋しかったのかしら、ずっと一人で」
そんな風に感じた。だから雪も、いつもよりたくさん、そしていつもより強く彼を抱きしめた。小さな赤子に愛を注ぐ母のようにやさしく……力強く……
そして…………二人にとっての極上の時がゆっくりと過ぎていった。
(背景:Atelier paprika)