片 恋〜届かぬ想い〜
サーシャは途中で言葉を止めたまま、うっとりとした表情で、何かを思い起こしている様子だった。かやの外に置かれた感の進が、サーシャに言葉を求めた。
「それに……?」
その声に、サーシャははっとして目をぱちくりさせた。幼い頃の記憶と言っても、実際は数ヶ月しかたってないわけで、彼女にとってはまだまだ鮮明な記憶として残っている。
幼かった彼女の進への想いは、そのぬいぐるみを貰った時から大きく膨らんでいった。その時以来、サーシャは時折父達から聞かされるほんの僅かな情報を頼りに、古代進という男性の存在を意識し続けてきたのだ。
そして、今ヤマトで本人に出会い、自分の想像通りの男性であったことで、自分が彼を本気で愛し始めている事に気付いたのだった。
父の弟、叔父であり、婚約者のいる身だということ――つまり、恋の成就などは、とうてい見込めないということ――を承知の上でも、彼女は古代進という男に惹かれることを止められなかった。
(今はただ、叔父さまのそばにいられるのが幸せ……)
だが、さすがに幼い頃お嫁さん宣言をしたことを、本人の前で言い出すことは恥ずかしかった。
「ううん、なんでもない、あはっ…… だけど、おじさまのくださったぬいぐるみ、私、一目で大好きになっちゃったのよ。お父様もいくつか買ってくださったけど、そのどれよりも気に入っちゃって、うふふ…… おじさまって女の子の好きなもの選ぶの上手なのね?」
サーシャが肩をすくめて嬉しそうに笑った。すると進は照れたように頭をかいた。
「あはは…… 誉めてもらって嬉しいけど、残念ながらあれは俺が見立てたものじゃないんだよ」
「えっ? じゃあ誰が?」
「あれは……雪が選んでくれたものなんだよ」
「雪さん……が?」
雪、という言葉に、サーシャの顔がさっとこわばった。
サーシャも雪のことは、真田や守から聞いて、叔父古代進の婚約者であることは知っていた。そして、今度の戦いで行方不明になっていることも……
先日も、雪に代わってレーダー手を務めていた際、進に「雪っ!!」と声を掛けられてしまった。さらに、後で謝る進が雪の生存を今も強く信じ続けている事を知って、複雑な心境になったのだ。
進に憧れを持っているサーシャにとって、雪という存在は正直なところ、ある意味で不愉快でさえあった。
雪がいなくなれば、彼の気持ちも少しは自分に向くのではないかと、そんな邪推をしてしまうこともある。
だが進は、サーシャのそんな想いには気付いていない。
「うん……」
短くそう答えると、進は視線を落とし、ほとんど中身の残っていないカップを手に取ると、僅かな紅茶をぐっと飲み干した。
その進の脳裏に、プレゼントを買った時の雪との会話が一気に浮かび上がってきた。
2202年の春、進は宇宙パトロール艇勤務となって、再び宇宙に出る任務をこなし始めていた。
そんなある日の午後、進は任務を終えて地球に帰ってきた。そして一旦家に戻った進は夕方、仕事をしている雪を迎えに司令本部まで来ていた。
その日は金曜日、週末は雪も休暇が取れる予定で、週末のデートの打ち合わせを兼ねて、二人は夕食を一緒にする約束になっていた。
進がいつも通りエントランスで待っていると、定時を少し過ぎた頃、仕事を終えた雪がやってきた。
「おかえり」「ただいま」といつも交わされる再会の挨拶を済ませると、二人は並んで車のある地下の駐車場ヘと歩き始めた。
地下に降りて人気(ひとけ)がなくなると、雪はそっと進の腕に自分の腕を差し入れて、にこっと笑った。進もそれをなんの抵抗もなく受けとめる。そんな無言のなにげない仕草も、恋人となって数年の慣れた雰囲気を醸(かも)し出していた。
しばらくそのまま歩いていたが、急に雪が思い出したように話し始めた。
「ね、古代君! 来週の月曜日から、守さんがサーシャちゃんに会いに行くって聞いてるでしょ? 古代君も何かプレゼント持たせてあげたの?」
突然振られた話に、進はきょとんとした。
「プレゼント? いや…… 会いに行く話も初耳だよ。だって今日地球に帰ってきたばかりで兄貴にも会ってないんだから」
今度は雪の方が意外そうな顔をした。
「あら、聞いてなかったの? そう言えば、守さんここ数日忙しそうにしてたものね。古代君にまで伝える余裕なかったのかしら?
今回は、イカルスに出張する途中でサーシャちゃんのところに寄るらしいんだけど…… 守さん、そのために随分仕事を前倒しにしてたもの……」
雪はここ数日の守の仕事の様子を思い出していた。
先任参謀として藤堂の補佐をする任務は、藤堂の体の不調もあって多忙を極めていた。しかし、守は不平を言うこともなくただ黙々と任務を果たし続けていた。
妻を亡くし、娘と離れ離れの寂しさを紛らすかのように。
「そっか、大変そうだな、兄貴も…… それでもさぁ、娘には会いたいよなぁ、やっぱり……」
「もちろんじゃない! サーシャちゃんもちょうどかわいい盛りですもの。それにお母様もいないとなれば余計よ! でね、もうそろそろ1歳のお誕生日だと思うんだけど……」
「えっ? あぁ、もうそんなになるんだっけ?」
驚いたように聞き返す進を見て、雪はふふふ、とため息混じりに笑った。相変わらず、そんなことは頭の片隅にもなかったという顔をしている。独身男性に赤ん坊の成長具合を想像しろという方が無理なのかもしれないが、進の変わらぬ反応振りがおかしかった。
「古代君ったら、全然考えてなかったみたいね。んっとねぇ、私もちゃんとお誕生日を聞いていないから、はっきりとは言えないんだけど…… ヤマトで初めて会った時の大きさから想像したら、もうお誕生日過ぎちゃってるかもしれないわね。
だからね、古代君もおじさまなんだし、お誕生日のプレゼントくらいしてあげたらどうかなって思って……」
イスカンダルからの帰りの数日間のことを、雪は鮮明に覚えている。進の姪だということで親近感を持ったのは当然だが、母を失ったことなど全く知らずに愛くるしい笑顔を見せるサーシャに、雪は心の底から愛情を感じた。
サーシャも雪にはすぐに懐いた。スターシアに似てるところのある自分に、母の面影を見たのかもしれないと、雪は思った。
(サーシャちゃん、今ごろどうしてるのかしら?)
地球帰還当初は、両親と自分で預かって育てようかとも思ったくらいだから、サーシャの様子が気になってしようがないのだ。
しかし、進からはただ真田経由で宇宙のどこかに預けている、としか聞かせてもらえなかった。
毎日、守に会っている雪は、折に触れてサーシャの様子を尋ねてみようとも思うのだが、彼があまりにも多忙なことに加え、進にさえ詳しく話さなかったと聞いて、なんとなく尋ねるタイミングをはずしてしまっていた。
だが、今回、宇宙への出張のついでにサーシャに会うことを、たまたま聞きつけて、雪は俄然張り切っていた。
「ねぇ、そう思わな〜い?」
雪は、体を摺り寄せて甘えるように、進を見上げた。
「ああ、そうだな。じゃあ、これからプレゼントを買いに行こうか?」
雪の気持ちが伝わったのか、進はすぐに話に乗ってきた。その答えに満足したように、雪はウキウキして満面の笑みを浮かべた。
「ええ! 古代君なら、そう言うと思ったわ。守さんに私からって渡そうかなって思ったんだけど、でも……ここはやっぱり『おじさま』からのほうがいいわよねぇ〜っ!」
「あれ? 君だってまんざら関係がないわけじゃないだろ? ヤマトじゃずいぶんかわいがってたんだし、それにさぁ、俺がおじさんってことはだな、君だってそのうち、お……」
進がそこまで言った時、雪は急に立ち止まると、人差し指を立てて進の口元に持っていって、ぎろりと睨んだ。
「ストォッ〜プ!! はい!そこまでねっ! それ以上言ったら怒るわよ!」
当然の事ながら、進と結婚すれば雪にとっても彼女は姪っ子になる。だが、かわいくてしょうがないサーシャのこととは言え、うら若き乙女としては、「おばさん」と呼ばれることにはまだまだ抵抗があるらしい。
まじめな顔で抗議する雪の顔を見て、進は噴出してしまった。
「プッ、いまさら無駄な抵抗だと思うんだけど……」
「な・に・か言ったかしらっ!」
睨む顔と一緒に掴んでいた腕をつねられて、進は顔をしかめた。
「いつっ! い、いえ……なにも……はは…… あ、じゃあ郊外にできたあのでかいおもちゃ屋に行くか! 出資は俺がするから、サーシャの喜びそうなもの選んでくれよ」
「もっちろんよ! サーシャちゃんへのプレゼント何にしようかなっ! 楽しみだわぁ〜」
「よし! じゃあ、レッツゴー!」
買い物の話題に機嫌を直した雪を乗せて、進は車を郊外に向けて走らせた。
店についてからは雪の独壇場だった。進は、広い店内をくまなく連れ歩かれてへとへとになる。
そして結局、あれもかわいい、これもいいと散々迷った挙句、最初に見て雪が一目で気に入ったうさぎのぬいぐるみを買うことになった。
やっと雪が決めてくれて、進は大きく安堵のため息をついた。
(それって、最初に見てたやつだろう? そん時決めてくれれば早かったの……ったくもう、はぁ〜)
そんな男のため息など、買い物をしている女には見えるはずがない。雪は買うことに決めたうさぎのぬいぐるみを満足そうに見た。
「やっぱりこの子が一番かわいいわ! サーシャちゃん、宇宙にいるとお友達もいないだろうし…… 寂しい思いしてるかもしれないわ。ぬいぐるみならお友達になるし、いいでしょう?」
「ああ、そうだな」
おざなりな進の受け答えも気付かないのか、雪は、自分のものにするわけでもないのに、うれしそうにそのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて頬擦りをした。
「私もねぇ、小さい頃はよくぬいぐるみを抱っこして寝たのよ。抱き心地もいいし、やっぱりこれがいいわ!」
そんな雪を見ながら、進は聞こえないような小さな声でつぶやいた。
「そんなに抱っこして寝たいなら、俺がいつでも寝てやるのにな……」
「えっ!? 古代君何か言った?」
「い、いや……別に…… あ、ああ、それでいいんだな。さ、レジに行こうぜ!」
不思議そうな顔の雪にじっと見つめられて、なぜかやけに焦ってしまう進だった。
進の意識は、ヤマトの中から雪のいた頃の地球に飛んでいた。
(あれからも、雪はサーシャのこと気にしてたよなぁ。サーシャがこんなに大きくなってるのを見たらなんていうだろう……)
雪の驚きと喜びの入り混じった笑顔が、進の脳裏に浮かんでくる。さらに様々な表情の雪の姿が思い起こされる。そのどれをとっても進には大切で愛しいものばかりだった。
(雪……)
そんな進を、サーシャはじっと見つめていた。進は、まるで自分の前に誰か居ることなどもすっかり忘れたかように、遠い目をして思い出の世界に浸っている。
何か声をかけてはいけない圧倒されそうな雰囲気が進から漂ってきて、サーシャは言葉を凍らせた。
しばらくして、やっと進はその追憶からふっと我に帰った。そして、目の前にサーシャがいることに気づくと、寂しそうに微笑んだ。
それをきっかけにサーシャがやっと口を開いた。
「そうだったの……雪さんが……」
サーシャも寂しげな笑みを返す。その姿を見ていると、進は再び雪の姿が思い起こされた。二人の微笑む姿がどこかしら似ていて、サーシャの顔が雪の顔に重なるのだ。
(雪とサーシャ、二人並んだら、本当の姉妹のように見えるだろうな)
一人っ子の雪は、常々お姉さんか妹がいればいいのに、と言っていた。その雪の喜ぶ笑顔が目に浮かぶようだ。
「ん…… 結構楽しんで選んでたよ。女ってのは買い物になると目の色変わるからな。サーシャも好きになるだろうな。
あ、そうだ。今度地球に戻ったら連れてってもらえばいいよ。雪は一人っ子だから、サーシャのこと妹みたいにかわいがってくれるよ! それに……」
進は、サーシャがひどく悲しそうに見つめているのに気づくと、はっとして口をつぐんだ。
「あ、いや……」
そうだった…… 地球へ帰れたとしても、雪がいるかどうかわからないんだった…… そのことを思い出した進は、顔色を一気に曇らせた。
「おじさま……?」
「いや、なんでもないよ」
進は何度かサーシャにそんな顔を見せてしまっている。サーシャといると、身内だという安堵感からか、自分の弱いところを見せてしまうのかもしれない。だが、同時に、自分のことを彼女に心配させてはならないと、慌てて態度を取り繕うように視線をそらした。
「雪さんのこと、信じてるんでしょう? 必ず生きてるって」
「………… ああ!」
進は、一瞬の沈黙の後そうつぶやくと、サーシャに目線を合わせないまま、じっと壁を見つめた。
雪の命を信じる進の心が切ない。けれど、そんな進に焦がれる自分も切なくて……胸が軋むほど締め付けられて、サーシャの瞳に涙が溢れそうになる。
(おじさま…… サーシャじゃダメ? サーシャじゃ、雪さんの代わりに叔父さまを幸せな気持ちにして差し上げられないの?)
そんな言葉が喉から飛び出しそうになる。しかしサーシャは、その言葉と涙を必死に抑え、努めて明るく言った。
「私も信じてるわ。ううん、絶対生きてる! 私、なんとなくそんな気がするの。私の予想って、とっても当たるんだから!」
進は、サーシャが自分を一生懸命慰めてくれようとしているのだと思った。
「はは、そうか。ありがとう、サーシャ。君にそう言ってもらえるとうれしいよ」
(慰めてやらねばならない自分がなぐさめられてるんじゃ、どうにもならないな。ありがとう、サーシャ)
そんな思いを込めて、顔で振り返った進の顔を、サーシャは何も知らぬ乙女のように、無垢な笑顔で見つめ返した。
だが、サーシャの心の中は、複雑な思いに千々に乱れさせていた。
(おじさま……)
それから進はまた話題を変えた。雪を思い起こさせると思考がストップしてしまうので、極力そちらに流れないように気を使いながら、サーシャとの会話をしばらく楽しんだ。
数分後、進はカップを持って立ち上がった。
「さぁて、そろそろ寝ようか。明日はいよいよ敵の本星に到着するかもしれないからな。忙しくなるぞ!」
「そうね…… あ、でも、私もう少しだけここにいるわ。もうちょっと飲みたいの。あ、このカップ片付けておくわ」
「いいのか?…… じゃあ、頼むよ。あんまり夜更かししないで早く寝るんだぞ」
「はぁいっ!」
部屋を出ていく進を見送るサーシャの背中は、ひどく寂しそうだった。
進が出ていくと、サーシャはまたストンとその場に越しかけた。 ほんの数十分の会話であったが、進と会話を楽しめたことが嬉しくて、しかしそれと同時に、進の雪への深い想いを再び思い知らされたことが悲しくて辛かった。
そして進は、サーシャの想いなど、全く気付くことなく立ち去ってしまった。
(おじさま……のばか……)
サーシャは目の前のテーブルに肘をつくと、あごを乗せたまま、ぼうっと窓の外の星の海を見つめた。再び涙が溢れてきそうになった。
するとその時、サロンに入ってくる人影があった。
「あれ?澪さん、まだ寝てなかったのかい?」
サーシャが慌てて顔を上げると、そこには航海長の島大介が立っていた。
「ちょっと夜更かししてたの。島……さんは?」
サーシャはさっきまでの自分を見せぬように、わざとにっこりと笑った。それが功を奏したのか、島は特に彼女の様子に違和感を感じることもなく頷くと、自分も微笑んだ。
「ああ、今当番明けなんだよ。寝る前に、少し何か飲もうと思ってね。そう言えば、そこで古代とすれ違ったけど、あいつ珍しく明るい顔してたな。もしかして、ここで君と話してたのかい?」
「ええ、雑談…… お……古代……さん、眠れなくてお茶飲んでたみたい」
おじさま、と言いかけて、サーシャは慌てて言い直した。
島は、部屋へ戻る進とすれ違いに廊下で会ったらしい。サーシャと進の関係は、今はまだヤマトクルー達には話していない。あくまでも、彼女は真田の姪、澪なのである。
「そっか……けど、かわいいお嬢さんと話ができて少し気が紛れたかな。あいつここんとこひどく落ち込んでて、夜もろくに寝てないんじゃないかと心配してたんだよ」
島が安心したような笑みを浮かべた。進の落ち込みの理由は、聞かなくてもわかっている。
島は、「ちょっと失礼」と言うと、カウンターの方へ歩いて行って、カップにインスタントのコーヒーを作った。それから戻ってきて、さっきまで進が座っていた椅子にどかりと座った。
(おじさまと雪さんのこと、島さんならよく知ってるはず…… 雪さんのこと、二人のこと、聞いてみたい)
コーヒーを一口二口すする島に、サーシャは思いきって口を開いた。
「雪……さんのことで?」
おずおずと尋ねるサーシャの言い様に、島がはっとしたように彼女の顔を見た。そして、サーシャが事情をほぼ察しているらしいことを見て取ると、小さくため息をついた。
「ああ…… あいつにとっちゃ、彼女は命より大切な人だから」
「…………(島さんも……他のみんなもそう思ってるの?)」
島の言葉は、サーシャにとってショッキングなことだった。
古くからのヤマトクルーなら周知の事実であるが、サーシャはそれほど詳しく進と雪のことを知っているわけではない。もちろん進の言動から想像はしていたが、進からではなく、他人からそのことを明言されたことがひどく心に響いた。最後通牒を突き付けられたようなそんな気持ちになるのだった。
言葉の出ないサーシャの態度に、島が首を傾げてから、その曇りがちの少女の顔をまじまじと見つめた。そして不意に思いついたように尋ねた。
「ん? もしかして……君、あいつに惚れたのかい?」
「えっ!? ち、違うわ! そんなわけないでしょう!」
まさに的をついた指摘だった。しかし、サーシャは大いに慌てはしたが、その場は必死に取り繕った。島もそれほど深い意味で言ったわけでもなかったのか、サーシャの否定をそれ以上突っ込もうとはしなかった。
「はは、それならいいけど。やめとけよ。古代はたぶん……雪以外は女だと思ってないからなっ」
冗談ごかしにウインクしながら、島は苦笑する。しかし、サーシャはそれに笑みを返すことはせず、再び考えこむようにややうつむき加減になった。
「雪さん…… 古代……さんは、雪さんがきっと生きてるって信じてるのよね?」
「ああ、もちろんだよ。その気持ちは、俺たちだって同じだよ」
島の語気が強くなっていった。驚いたサーシャが顔を上げると、島は更に言葉を続けた。
「雪が死んだなんて誰も信じてないよっ!」
島は、強い口調で言い放った。そこから、さっきの進と同じほどの強い意志を感じ、サーシャは思わず気圧(けお)されてしまいそうになった。
「……島……さん」
サーシャが目を見開いて驚きを示すと、島は我を忘れそうになった自分に気付いた。
「あ、ああ……びっくりさせてごめん。雪は……俺達の大事な仲間だからな」
「そっか、そうよね。きっと……生きてるわよ。私もそう思う」
サーシャが同意したことに、島もほっとしたように柔らかな視線を彼女に向け、唇の両ふちを軽く上げた。
「ああ、そうだな。雪がいなきゃ、あいつどうやって生きていいかもわからないんじゃないかって心配だからな」
「……とっても……愛し合ってたのね?」
(そんなこと聞きたくないのに、だけど聞かずにはいられない!)
「そりゃあね。今までも何度も命の瀬戸際を二人で切り抜けてきたんだからな。二人の間は、誰も……絶対に邪魔できないさ」
「島さん……でも?」
サーシャは島の言葉の語尾に、なにやら寂しげな感じを受けた。彼のさっきからの話を含めて、島は雪のことが好きなのだろうか、という疑問が生まれる。
すると島は、意外にもその疑問をあっさりと肯定した。
「はは……まあね。俺だってね、昔はあいつと雪を争ったこともあったんだぞ。ま、結局あいつにあっさり持ってかれちまったけどね。
最初は、なんでよりにもよってあいつなんだろうって思ったこともあったけど、もう昔のことだよ。今は……心からあの二人を応援してる」
島がサーシャを正面から見つめた。口元は笑ってはいたが、その真剣な眼差しから、彼も過去に届かぬ思いに苦しんだことがあったことを、同じ思いの恋する少女は知った。
島は、自分の経験を口にすることで、サーシャに、どんなことがあってもあの二人の間には割り込めないんだよ、と暗に伝えたかった。
「そう……なんだ」
さらに、島はサーシャの心に釘をさすように発言を続けた。
「帰ったら、今度こそあの二人結婚させないとならないなぁ。周りの方がかえってやきもきしてしまってね。まったく人迷惑なやつらだよ」
「うふふ、変な話…… そういえば婚約はしてるのよね? なのにまだ結婚しないのは、どうして?」
「ん? まあ、いろいろあったからな」
島がほぉっと小さなため息をついた。
「いろいろ?」
「ああ、戦いで仲間を亡くしたり、イスカンダルのこともあったしな……」
「イスカンダル……」
サーシャの心臓がドキンと大きく鳴った。
「ああ、スターシアさんが亡くなったこともね。あの星と彼女は地球の恩人だし、それに古代の兄さんの奥さんでもあったわけだから…… そんなこともあって、二人とも踏ん切りがつかないんだと思うんだ」
「そう……」
(おじさま達は、イスカンダルやお母様、愛する家族を亡くしたお父様のことを気遣ってくださってたのね……)
その時、島が不意に何かを思い出して口を開いた。
「そう言えば、あの子どうしてるんだろう? 守さんとスターシアさんの娘、確か……サーシャって言ったんだけどな。イスカンダルから帰ってくるときは、まだまだ言葉も話せない赤ん坊だったんだけど、今どこにいるんだろう?」
「えっ!? さ、さぁ〜」
再びドキリ、である。しかし、まさかそのサーシャが目の前にいるとは、さすがに島も想像できなかったと見えた。
「あはは、君に聞いてもわからないよな。かわいそうにあの子、両親とも亡くしちまったんだな。あとは、古代が唯一の肉親ってことになるのか。
とすると、またあいつ、その子を引き取るとかって言い出すんじゃないだろうなぁ。雪もそういうお節介は好きそうだし…… 似た物同士だよ、あの二人は……あははは……」
「そ、そう……」
冗談とも本気ともつかない話をすると、島はまた笑った。サーシャも引きつりそうな笑顔を返すしかなかった。
島は進と雪の仲の良さを語るつもりで言ったのだろうが、あの二人と一緒に暮らすことなどは、今のサーシャにはとても考えられない。
(幸せそうな二人をそばで見ているなんて、私にできるわけない!)
島との会話で思い知らされたことは、さっきの進の言葉を裏付ける二人の強い結びつきばかりだ。
これ以上島と話していると、進や雪への自分の本音が飛び出してきそうで、サーシャはとうとう立ち上がった。
「あ、あたしもう寝ないと……」
「あ、ああ、そうだな。明日はいよいよ敵本星に到着するかもしれないからな。ゆっくり休めよ」
「ええ、ありがとう。じゃあ、おやすみなさい……」
「おやすみ……」
足早に出ていくサーシャを、島は黙って見つめていた。
サロンを出たサーシャはしかし、そのまま部屋に戻って寝る気になれず、今度は真田の部屋の前にやってきた。
眠っていたら諦めて帰ろうと思いながらノックすると、どうぞ、という返事が返ってきた。
サーシャがドアを開けて部屋に入ると、真田はまだ机に向かって何か仕事をしていた。彼は振り返ってサーシャを見ると、穏やかな笑みを浮かべた。しかし、サーシャの元気がないのに気付いて、心配そうに眉をしかめた。
「どうした? 澪、眠れないのか?」
「ええ、ちょっと……」
サーシャが、うつろな、すがるような視線で真田を見た。仮とはいえ、約1年、自分を育ててくれた父親だと思うからこそ、こんな風に甘えてしまうのだろう。
ヤマトの中では、サーシャは唯一真田の前でだけ、本当の自分をさらけ出すことができるのだ。
サーシャの様子を気遣うように、真田が立ち上がった。そして彼女に近づくと、そっと手のひらを額に当てた。
「熱はないようだが、顔色がよくないな。少し疲れが出たのかもしれんな。慣れない仕事のせいだろう」
「いいえ、そんなことないわ。大丈夫よ……」
心配げな真田の視線を振り払うように、サーシャは首を左右に大きく振った。
「突然、澪をこんな戦いの中に連れて来てしまって、すまなかったな」
労わるような真田の言葉に、サーシャはもう一度黙って首を振った。それから、懸命に笑みを作って真田を見上げた。
「そんなこと…… 私がお役に立ってるのなら、うれしいわ。だって私に宇宙戦士の訓練を受けさせて欲しいって言ったのは守お父様なんでしょう? お父様の遺志を継いで私頑張らなくちゃ!」
「そうか。澪のその頼もしい言葉を聞いたら、守も喜んでるに違いないよ」
「うふっ」
宇宙戦士訓練学校の生徒がイカルスに来る話を持ってきた時、守が真田に依頼したことだった。
――サーシャはいつか星の運命を背負うことになる定めに産まれたとスターシアは言った。もし、あの子にそんな定めがあるとしたら、ヤマトが立つ時にあの子を必要とするんじゃないかと思うんだ――
守の予言は、見事に的中したことになる。
(サーシャは、雪の代わりを良く務めてくれている……)
真田は、雪が地球に残された経緯を思い出していた。
「雪があんなことになったからな。実のところは、澪が居てくれて助かったよ」
「でも……ね…… 私じゃ、雪さんの代わりにはならないみたい」
真田の誉め言葉も全く嬉しくなさそうに、サーシャは悲しそうにうつむいた。
「そんなことないさ。澪は十分彼女の代役を勤めてくれているよ」
第一艦橋の任務に関しては、真田の目にも、サーシャはソツなくこなしているように見えた。それだけに、サーシャの憂鬱そうな顔の意味が真田にはわからなかった。
するとサーシャが、小さな声で呟いた。
「だけど……おじさまは……」
「おじさま? あ、ああ、古代のことか?」
サーシャはうつむいたまま、こくりと頷いた。
「おじさまは……雪さんじゃなくちゃだめなんですものね」
くいっと顔を上げて真田を見上げたサーシャの瞳の中は、涙でゆらゆらと動いていた。
「この間のことか? あれは古代が心の中であの席には雪がいる、そう思いながら戦ってるんだよ。そうしないと、あいつは……戦えないのかもしれないな」
この間の戦闘の時、進がサーシャを間違えて「雪!」と呼んだことが彼女にはショックだったらしいと真田は思った。
「…………」
しかし、サーシャは何も言わない。その代わりに真田を見上げるその瞳が、ゆっくりと潤んできたのだ。唇をかみ締め堪えてはいるが、明らかにサーシャの瞳から涙が湧き上がってきていた。
「澪?……どうした?澪!」
「わ……私……」
「まさか……澪、お前……!?」
サーシャに会いに来た守が、真田の部屋にやってきたのは、それからしばらくしてからのことだった。
父親を待ちくたびれたサーシャは、貰ったうさぎのぬいぐるみを抱きしめたまま、真田のベッドでお昼寝と相成ってしまった。
守が部屋に入るなり、真田が口に人差し指を持っていって「しー」と言う。ちらりとベッドを見ると、サーシャが気持ちよさそうに眠っていた。
「お昼寝の時間なんだよ、ちょうど」
真田の父親らしい口調に、守は感謝の気持ちで胸が熱くなった。
「ありがとう、真田」
「なんのことだい? かしこまって!やめろよ」
真田が、照れ笑いする。そして、しばらく二人でその寝顔を見ていたが、守が先に顔を上げ、サーシャを起こさないように、小さな声で話し始めた。
「真田、お前も相変わらず元気そうだな。サーシャ、いや澪もずいぶん大きくなったなぁ。画面で見てわかってはいたが、驚いたよ」
「まあな。俺たちだって朝起きるたびに大きくなっていっているようで驚きの連続さ」
二人で苦笑する。子供の成長と言うのは、普通の地球人でも驚くほど早い気がするものだ。ましてや、日々本当に成長しているサーシャなら、驚かない方が不思議である。
「まったくだ。今回来るのに、進の奴に「そろそろ1歳の誕生日のはずだから、プレゼントを買ってきた。持って行ってくれ」って言われたときには、なんて答えようかと困ったよ。
まあ、プレゼントのほうは今の澪にも間に合うものでよかったけどな。しかし、あいつがそんなことに気がつくとは思わなかったよ」
守が肩をすくめる。出発の朝早く、進がそのプレゼントを手渡しに、守の自宅にやってきたのだ。成長の早いことを伝えていないだけに、守としてはなんとも答えにくかった。と同時に、進が自分の娘のことを気にしていてくれたことがとてもうれしかった。
「あはは…… 雪の入れ知恵だと思うぞ。サーシャのことは気にしてたとしても、誕生日がどうこうなんてほど、進が気が回るとは、ちょっと思えんしなっ」
真田が笑うと、守も頷きながら笑い出した。
「はっはっは、俺もそんな気がする。まったくあいつにはもったいない彼女だよな」
進の周囲のことを何かれとなく気遣ってくれる雪には、守は感謝してもしきれない思いだった。
「うん、いいカップルになったよ。あの二人は…… だが澪はそのプレゼントずいぶん気に入ったようだな」
真田が、眠っているサーシャが抱きしめているぬいぐるみを、あごで示した。
「ああ、せっかく俺がままごとセットを買ってきてやったのに、そっちはほったらかしにして、あれを抱きしめてたからなぁ」
少し悔しそうに笑う守の表情がおかしくて真田は笑った。弟のプレゼントに負けたのが悔しいらしい。
「ははは、それは残念だったな。だが、それだけじゃないぞ。さっきここにきて進の似顔絵描いてくれってせがまれてな」
「ああ、それは俺がそう言ってやったんだ。進に会いたいって言うから、今は会えないし写真もない。だからお前に頼めって」
「それでなぁ、澪、その絵を見たとたん、進のことがいたく気に入ったらしいぞ。お嫁さんになるって……」
真田はニヤニヤしながらそう報告すると、守はびっくりしたように大きな声をだした。
「なっ、なんだとぉ!」
「しーっ!」
大きな声をあげた守を、真田が制した。守もはっとして二人でサーシャを見下ろしたが、ぐっすり眠っていて起きそうにない。一安心して、二人は再び会話を再開した。
「ははは、そう驚くことないだろう? この前はお父様のお嫁さんになってあげるって言ってたんだぞ。そうそう、この間の通信の時は、確かお前のお嫁さんにもなるって言ってたよな。子供のたわごとだよ」
「むむ…… しかしなぁ。もし進のことを本気で惚れたらどうするんだ!? 進には雪という立派な婚約者がいるんだぞ。それよりもなにも、進は澪のおじさんなんだ!! もしも、実にならない辛い恋をしてサーシャを泣かせることにでもなったら……」
真剣な顔で訴えてくる守を見て、真田はあきれ返ってしまった。
「あのなぁ〜 全くお前は今からそんな親バカでどうするんだよ。そんな心配はいらないって言ってるだろう。第一今のサーシャはまだ地球人の5歳程度の知能なんだぞ。惚れたの腫れたのって年でもないだろうが!」
「しかしなぁっ!」
心配そうな顔でサーシャを見る守の肩を、真田は笑いを堪えながらポンと叩いた。
「父親ってのは、心配の多い仕事なんだな」
まさか、その時の守の不安が現実のものになるとは、真田も今の今まで思いもしなかった。しかし.サーシャの顔を見ていると、その危惧が本当になったことを認めざるを得ない。
涙があふれそうになるサーシャの顔を、胸が締め付けられるような思いで見つめると、真田はその細い肩にそっと手を乗せた。
「澪…… もしかして?」
続きは言わなかったが、サーシャにも真田の次の言葉はわかっていた。瞬きを一つすると、溜まっていた涙が一粒ポロリと頬を伝う。そして、サーシャは両手を胸に押し当てた。
「おじさまのことを思うとね。胸の辺りがきゅんって痛くて、それでいてとっても幸せな気分にもなれるの。これって……やっぱり恋って言うのよね?」
潤んだままの瞳で、サーシャが寂しげに微笑む。その胸の痛みが、真田にも伝わったように、彼の胸もズキンと痛んだ。
「……参ったなぁ。澪が古代に……」
真田は、なんとも言えない顔で、サーシャを見つめた。サーシャも父の顔をじっと見上げ、沈黙がしばらく続いた。
そしてとうとうサーシャが我慢しきれなくなって、その思いを口にした。
「私、おじさまが好き! おじさまも私のこと、好きになって欲しいの! 私と同じように思って欲しいの!でも……だめなの!!
ねぇ、どうして……どうして、私じゃだめなの? おじさまは、どうして私のことを見てくれないの? 私は、そんなに魅力のない子なの!?」
涙をぽろぽろこぼしながら、真田の胸元の衣服を掴み、激しく訴える娘に対して、真田は答えるすべがなかった。恋の悲しみには、理屈は通用しない。真田には、ただそう訴える娘の言葉を黙って聞いてやることしかできなかった。
「澪……」
真田が、そっと小さな体を抱きしめてやると、少しずつサーシャの興奮も収まってきた。そして真田から体を離すと、自分の手で涙を拭いた。
「ごめんなさい、お父様」
そして落ち着きを取り戻して淡々とした口調で、話し始めた。
「小さい頃、おじさまにうさこちゃん貰ったでしょう? その時にお父様にあの絵を描いていただいたときからずっと……大好きだったの。あこがれ……?っていうんでしたっけ?だから、年が明けたら会えるのがとっても楽しみで……」
やはりあの時からか……と真田は思い起こした。
「でも、会うまではただ会ってみたかっただけだったのよ。でも、ヤマトで出会ってみたら、本当にこんな人だったらいいな、って思ってたままの人で……お父様にもよく似てらして…… それで……気持ちが止まらなくなっちゃった」
涙で潤んだ瞳を大きく見開いて、サーシャはおどけたような笑みを浮かべた。真田にはその姿が痛々しく思える。
「澪……」
「おじさまは私の事を知ってとても優しくしてくれた。だけど、心の中はいつも雪さんのことで一杯で、私がおじさまが好きなのと同じくらい、おじさまは私のこと好きじゃなくって……」
話しながら、またその声が上ずりそうになって、サーシャは言葉を飲み込んだ。
「澪には詳しく話してなかったが、古代と雪の関係は、ただの婚約者っていう以上のものがあるからな。あいつにとって雪は、何物にも変えがたい存在なんだ」
「ん…… さっき島さんからも聞いた……」
「島……そうか。島はあの二人のことを一番よく知ってるからな。それならわかると思うが、今の古代には、澪の気持ちを思いやれるだけの余裕はないんだよ」
「いいの…… 最初から届かない想いだって……わかってたから」
けなげにそう言う娘が、真田には限りなく愛しかった。
こんなことになるのなら、進と雪にもっと早く会わせておけば良かったと、今更ながらに後悔の念が沸く。
仲睦まじい二人を見れば、サーシャも恋心が募る前に、憧れのままで収まっていたかもしれないし、雪に先に会っていれば、進より先に雪を気に入っていたかもしれない。。
そんな真田の思惑に気付いたかのように、サーシャはポツリと呟いた。
「でも……雪さんって、どんな人なのかしら? とっても素敵な人なんでしょうね?」
「ああ、そうだな。とても素敵な女性だ」
「ん……会ってみたかった。ううん、ほんとは私が赤ちゃんの時会ってるのよね?」
爆発したイスカンダルからの帰り、赤ん坊のサーシャは雪にとても世話になっている。だが、言葉も話せなかった頃のことで、彼女が覚えているとは真田も思っていなかった。
「覚えてるのか?」
「はっきりではないの……でも……お母様はいつもブルーのドレスを着てらしたでしょう? 私の持っている写真はどれもそうだわ」
「ああ、そうだな。守から、ブルーはイスカンダルの王家の色だと聞いたことがある」
真田が相槌を打つ。最後に出会った時も、スターシアは以前と同じ鮮やかなブルーのドレスを着ていた。
「でも……私、なぜだか黄色い服を着ているお母様の記憶があるの。あれって……?」
黄色、と聞いて、真田もヤマトの制服姿の雪のことだとピンときた。真田は、こっくりと大きく頷く。
「……ああ、そうだよ。それはきっと雪だ」
「やっぱりそうだったのね。でも今までは、お洋服の色が違うだけで、お母様だとばかり思っていたのよ。だけど、ヤマトに乗って生活班の制服を見たときに、急に懐かしい気持ちになって……」
サーシャの潜在意識の中に、赤ん坊の頃の雪との交流がきちんと記憶されていたのだ。真田の心に温かい風が流れる。
「澪がお母さんと間違えても仕方ないさ。雪とスターシアさんは、スターシアさんが妹のサーシャさんと間違えるほど、よく似てたからな」
「そう……なんだ」
「あの時、澪はすぐに雪に懐いていた。お母さんだと思っていたのなら、当然だな。雪は一生懸命君の世話をしていたな。彼女が澪を本当に我が子のようにかわいがっていたのを、今でもよく覚えているよ」
「……」
進を巡る恋敵として、その存在を恨みに思ったこともあった雪が、それほどまでに自分を慈しんでくれたことは、サーシャには一つの衝撃だった。
さらに、次の真田の言葉がそれに追い討ちをかけた。
「それに、守から聞いたんだが、雪は地球に帰ってきてからも、守一人で育てるのは大変だろうって、ご両親と一緒に君を預かろうって申し出てくれたそうだよ」
「私を!?」
真田が黙って頷く。
「結局、君の体質の問題で、地球で暮らせなかったから実現しなかったが、そうでなかったら、雪は君のお母さんみたいな存在になっていたかもしれないな」
「そう……」
サーシャは、小さな声でそうつぶやくと、すぐ後にあった真田のベッドにすとんと落ちるように腰掛けた。そしてしばらく黙ったまま、じっと空を見つめていた。
真田は立ったまま、その姿を見守っていると、サーシャはゆっくりと顔を上げて真田を見上げた。
「それじゃあ、とてもかなわない……わよね? 私のことをそんなに愛してくださった人だもの…… そんな素晴らしい人がおじさまの婚約者なのね…… 私も出会ったら、きっと大好きになるわね」
サーシャが一生懸命笑みを作ろうとしているのが、真田にもよくわかった。懸命に自分を納得させているのだろう。
「澪……」
真田は、澪の隣に座ると、そっとその肩を抱き寄せた。澪も真田の胸に、頭をことりと落として、しばらくじっとしていた。
それから、おもむろに顔を上げたとき、サーシャの瞳の涙は消えていた。
「ありがとう、お父様。もう大丈夫よ。私、雪さんが生きてるって信じてる。ううん、きっと生きてる。そんな気がするの。だから……今はまだ、ちょっと辛いけど、おじさまと雪さんの幸せをお祈りする……
おじさまと雪さんが再会できるように、私ができることを……精一杯するわ!」
「そうか…… えらいぞ、澪。それでこそ、俺の娘だ」
真田は、辛い決意をした娘を懸命に誉めて、その頭をごしごしとなでた。
「えへっ、さあ、私ももう寝るわ。明日はいよいよですものね。こんな遅くまでごめんなさい、お父様。おやすみなさい……」
そう言うと、サーシャはすくっと立ちあがった。
「ああ、お休み……」
真田も立ち上がって、部屋を出ようとする娘を黙って見送ろうとした。サーシャは、ドアのところまで歩いていくと、そこでくるっと振りかえった。
「お父様……」
「ん?」
「今夜話を聞いてくれて、ありがとう。そして今までもいろいろありがとう」
突然の言い様に真田が驚く。
「これからもだよ。いつでも聞いて欲しいことがあったり、泣きたくなったらここへ来なさい」
すると、サーシャはニコリと笑った。
「ん、そうね。…………これからも、よろしくお願いしますっ!」
「ああ、まかせとけ!」
それに頷くと、サーシャは真田の部屋から出ていった。
(澪……)
真田には、なぜかさっきの澪の笑顔が、やけに透き通るような美しさを持っていたように思えてならなかった。
戦いが終わって地球に帰ってから、真田は三浦半島にある古代家の墓を訪れた。
静かな岬の墓所から海を眺めていると、真田の心にあの日のサーシャの告白が思い起こされてきた。
「澪…… あの時、もうお前は自分の運命を知っていたのか? だからあんなことを言ったのか……?」
しかし、それに答えるものは誰もいない。真田は独白を続ける。
「進と雪はお前の望み通り、再会して新しい道を歩き始めたよ。お前の分もきっと幸せになってくれるだろう。この前二人でここに来たそうだから、お前も知ってるよな。
だからもう、何も心配しないでそっちでお父さんとお母さんに甘えるんだぞ……」
真田の瞳から、新たな涙が一粒二粒零れ落ちる。それを真田はぬぐおうとはしなかった。
――ありがとう、お父様。私は今安らかな気持ちです。私の恋は成就しなかったけれど、後悔はしていません。愛する気持ちを知った私は、幸せでした。そしておじさまと雪さんの幸せを、心からお祈りしています――
真田の耳に、そんなサーシャの声が聞こえてきたような気がした。
そして、サーシャが大切にしていたうさぎのぬいぐるみは、後に古代進夫妻の娘の大切なお友達になった。
(背景:Holy ‐Another Orion‐ 切分線:Pearl Box)