消えた記憶
(10)

 雪が部屋を出た頃、真田の部屋では、真田が進の説得を再び試みていた。

 ソファに差し向かいに座った二人は、真剣な眼差しで睨みあっている。

 「古代、あまり早まったことをしない方がいいぞ。もう少し自分の記憶が戻るのを待ったほうがいいんじゃないのか?」

 「いや、もういいんです。これが一番……いいんですよ」

 雪の元を離れるという進の意志は、なかなか強固なようだ。しかし、進がこのまま雪のそばを離れたら、ずっと記憶を失くしたままになってしまいそうな気がして、それが真田は心配だった。

 「だがな、雪がそんなこと承知しないぞ」

 それを聞いた進は、微妙に複雑な顔をした。心の中に、あの美しくも意志の強そうな女性の姿を思い浮かんでくると同時に、胸の奥底がキリリと痛んだ。

 「わかっています……」

 確かに自分を思ってくれているらしい彼女の態度を思い出せば、黙って賛成してくれるとは思えない。それに、彼女を愛していた記憶が戻ったわけでもないのに、どこかで彼女と離れがたく思っている自分がいる。

 (だが……今離れておかなければ……)

 記憶のない世界で犯した自分の罪を思えば、こうすることが一番だと、進は自身に言い聞かせた。

 「それでも承知してもらいます。僕なんかと一緒にいないほうが、彼女のためなんです」

 進の、自分自身を突き放すための言い方が、真田にはやけに冷たく聞こえ、思わず声を荒げてしまった。

 「それはお前が勝手にそう決め付けているだけだろう!」

 それに反論するように、進の口調も激しくなった。

 「ですが、真田さんは僕のために苦労する彼女を見てきたんでしょう? ずっと彼女が辛くて苦しい思いをしてきたことを知っているんでしょう!」

 「……古代」

 真田は思った。確かに雪は辛い目にもあったし、悲しい思いもしてきた。そしてそれは進のせいだったかもしれない。だが彼女はそれを嫌がっても避けたいとも思ってはいなかった。
 むしろそれが彼女の進への愛を深め、さらには進の彼女への愛も深めていったのではないのか!?

 だが、真田のその思いは、今の進には通じなかった。

 「今の僕には、残念ながらその事に関して何の記憶もないんです。けど、その事実を資料で読んで知った。自分がしでかしたことなのに、まるで他人事を見ているように……
 けど、そのおかげで、今の僕はそれを客観的に見ることができる。彼女を愛している記憶がない今だから……」

 「その答えがこれなのか?」

 お前の考えていることは、間違っている! 違うんだ! そうじゃないんだ!!

 真田はそう言ってやりたかった。だがそれを真田が言ったとて、何の効果もないこともわかっていた。

 「……そうです。僕は彼女を不幸にしてきた。だが彼女を愛した僕は、そのことに気付かなかった。いや、気付いていて目をつぶっていたのかもしれない。彼女は僕なんか愛さない方がよかったんだ。いや、いっそあの時、僕が死んでしまっていたほうが……」

 「古代っ! 馬鹿なことをいうな! お前がいなかったら、この地球がどうなっていたと思うんだ!!」

 真田が必死になればなるほど、進は冷めたような表情に変わり、最後には面白くもなさそうに笑みを浮かべた。

 「ふっ、そうですね。地球は救えました。けど、彼女にとっては…… 彼女にとって僕は、疫病神で……うっ……しか…… ううっ」

 疫病神という言葉を口にしたとたん、進は小さなうなり声とともに頭をかかえてしまった。

 「おいっ、古代!! 大丈夫か!!」

 真田が慌てて駆け寄ると、進は手で真田を制した。痛みはすぐに収まったらしく、進は顔を上げて少々苦い顔をしていたが、すぐに苦しげに微笑んでみせた。

 「……ふうっ、すみません、もう大丈夫です」

 「やはりあのことがきっかけなんだな……」

 真田は進に言うともなしに、小さな声でつぶやいた。

 ――古代進は森雪にとって疫病神でしかない……

 そんな何の根拠もない女性達の戯言が、進に大きな影響を及ぼしているのだ。しかしもちろんこと、今の進にその記憶も全く残ってはいない。

 「あのこと? 何のことかわかりませんが、とにかく僕は彼女から離れますよ。いいじゃないですが、どうせ今は記憶もない人なんですから」

 「お前にとってか? それとも……」

 「それが、あの女性(ひと)にとって!一番いいことだと思うからですよ」

 進の決意は揺るぎそうもなかった。真田はとうとうあきれてしまった。

 「しかし、もしお前が記憶を取り戻したらどうするんだ?」

 その問いに、進の眉がぴくりと動いた。が、すぐにそれは元に戻り、再び無表情な彼に戻った。

 「記憶ですか? どうしてなんだか、すぐには戻りそうもない気がするんです。だから…… もしずっと後で記憶が戻ったとしても……」

 進はここまで言ってから、深呼吸するように大きなため息をついた。

 「その時にはもう……彼女は別の人生を歩んでいるでしょう。僕だって……」

 真田には、答える進の表情が微妙に険しくなったように見えた。
 そして同時に、進自身の潜在意識が、記憶が戻ることを拒否しているように思えた。心の奥底で、彼女を愛しすぎているがゆえに……

 「古代……」

 (変だな、胸が痛い。僕の彼女の記憶はまだ数日分しかないはずなのに、これから別の人生を歩くと思うと、急にすごく淋しい気持ちになる……)

 「古代、お前、もう雪のことを愛し始めてるんじゃないのか?」

 真田の言葉に、はっと顔を上げた進だったが、すぐにその視線をはずしてしまった。

 「もう……いいんです。もう……決めたんですから」


 真田がまた何か言おうとしたその時、玄関の呼び鈴が鳴った。二人の睨みあいは、一時中断され、真田が立ち上がってドアホンに答えた。すると……

 玄関の映像が映し出された画面には、雪の姿があった。

 「雪っ!?」

 真田の言葉に、進はハッとして身を固くした。

 「今は会わないほうが……」

 小さな声で真田に目配せをしたが、真田はあっさりとクビを左右に振った。

 「古代、いくら記憶を失くしたとはいえ、彼女は今もお前の婚約者だ。どうしても彼女の元を去るというのなら、せめて彼女にはそのことを自分からきちんと話すべきだと、俺は思うがな……」

 鋭い視線で見つめる真田を、進はじっと見返したまま考え込んでいたが、最後には心を決め、こっくりと頷いた。

 「…………わかりました」

 (よしっ!)

 進の言葉に真田の心に光明がわいた。

 雪が来た。ということは、雪は何か伝えたいことがあるに違いない。雪ならば、雪だからこそ、何とか進のこの決意を翻意させられる手立てを持っているに違いない、と思ったのだ。

 真田は、部屋のドアロック解除ボタンを押すと、画面に向って声をかけた。

 「雪、ドアロックを開けたから入ってきてくれ」

 画面の向うの雪が軽く頭を下げた直後に、カチャリと玄関のドアが開く音がした。

 真田と進が玄関から繋がる部屋の入り口を見ていると、まもなく雪が現れた。雪は真田のほうをちらりと見ると、軽く会釈をして微かに意味深な―と真田は思った―笑顔を送ってきた。

 (ん? 雪? 何かするつもりか?)

 だが、真田にはまだ、その目線の意味はわからなかった。

 その直後だった。男たちの顔色が真っ青になる出来事が起こったのは……

 雪は、一言も声を発することなく居間に入り、真っ直ぐに進のほうを見た。
 それから、同じく無言のまま、その行動をじっと見ていた進に笑顔を向けた。
 しかしそれは、さっき真田に向けたのとは全く違うものだった。それは……一見優しげで、その実非常に冷たさを感じさせ、一瞬二人の男の背中をぞくりとさせた。

 それから、ゆっくりと視線を下ろして、自分の大き目のショルダーバックをゆっくりと開けると、そこからコスモガンを取り出した。一瞬面食らっている男達を尻目に、雪はなんの躊躇もなく、その銃口を進に向けたのだった。

 「っ!!」

 進の瞳が大きく見開かれた。

 「雪っ!!」

 予測もしていなかった事態にうろたえた真田が声をかけたが、雪はちらりと一瞥しただけですぐに進に視線を戻した。が、同時に、女性とはいえ鍛えられたヤマトの宇宙戦士の能力は、サイドにも隙を見せなかった。

 (まさか!? 本気じゃないんだろう? 雪!!)

 動くに動けない真田を横目にしながら、しっかりとコスモガンを構えた雪は、その銃口をまっすぐに進の心臓に狙い定める。

 カチリ……雪の手が僅かに動いて、安全装置を解除する音がシーンと静まった部屋に響いた。

 雪の姿に殺気は感じられない。だがその真剣な表情にも偽りがなかった。

 (どういうつもりなんだ!雪!?)

 雪を見つめる真田の顔に冷や汗が一滴流れた。そしてそのまま視線を進のほうへ向けると、彼は銃口を突きつけられているとは思えないほど、冷静な顔つきで雪を見ていた。

 (古代…… 雪が撃てやしないと高をくくっているのか、それとも……?)

 その時、初めて雪が口を開いた。

 「古代君…… 私を置いてタイタンに行ってしまうってほんと?」

 そしてさらに一歩前に出てm銃口を進に突きつけた。

 「やめろっ、雪!!」

 やっとのことで声を出すことが出来た真田は、その勢いで雪に体ごと迫ろうとした。
 しかし進は、視線を雪とそしてその手に握られたコスモガンに向けたまま、真田の動きを大きく手を伸ばして制止した。

 「古代っ!」

 非難するような真田の声も聞こえなかったように、進は雪のほうを向いたまま答えた。

 「……ああ、明日報告書を提出したら、タイタン基地所属の第2艦隊への配属を希望しようと思っている」

 その言葉には、愛する人に話しているような優しさは全くなく、静かに事実だけを告げようとしている意志がはっきりと見えた。

 「どうして?」

 雪の瞳が微かに揺れる。だが進の表情にまだ変化はなかった。

 「君と一緒にいないほうがいいと考えたからだ」

 「私のことが嫌いになったから?」

 「嫌いになったわけじゃない。好きも嫌いも、君の記憶は今の俺にはないんだから……」

 「だからこれから好きになってくれればいいって言ったのに……? あなたはその時間もくれないの?」

 雪が持ったコスモガンの銃口は、今もまだ進の心臓をしっかりと狙っている。
 真田がじっと見つめていると、その雪の瞳は明らかに潤み始めているのがわかった。だが一方の進は、静かに睨み返すだけで、何の感情の変化も見えなかった。

 「君は素晴らしい女性だと思う。だが、俺は……」

 ここで初めて、進が雪から視線をはずして下を向いた。

 「君のそばにいないほうがいいんだ。いれば、君に……迷惑をかけるだけなんだ……」

 進は話の後半では顔を上げ、訴えるように声を絞り出した。とたん、雪の瞳からぽろりと涙が零れ落ちて、首を大きく左右に何度も振った。

 「嫌よ、だめ、許さない。そんなの許さないわ…… 私の了解もなしに、勝手に行っちゃうだなんて!」

 それから、再度狙いを定めるように、進の胸に向けたコスモガンを、両手で強く握り締めた。

 すると、進はふうっと大きく息を吐いてから、静かにこう言ったのだった。

 「撃ってもいいよ」


 

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(背景:Four Seasons)