消えた記憶
――撃ってもいいよ
そう告げた進の声は、やけに冷静で抑揚のないものだった。
「古代っ!」
動くに動けないまま、真田が叫ぶと、進はちらりと声の主を見て、いいんですよ、というかのように、淋しそうに微笑んだ。
そして再び雪の方を向くと、その銃口が自分にしっかり向けられていることを確認して目を閉じた。
進も進なら、雪も雪である。愛する男から、撃ってもいいとあっさりと言われてしまったにもかかわらず、全くひるむ様子はない。ただ、その瞳が涙で潤んでいることだけが、さっきから変わったところだろうか。
雪は再び大きくかぶりを振った。
「どうして? 今のあなたは私のことなんて覚えてもないし、愛してもいないんでしょ? それなのに、どうして……?」
瞳の涙はまだ残っているものの、さっき高揚していた雪の声のトーンも、進に負けないほど冷静なものに戻っていた。
進が再び目を開き、じっと銃口を見つめた。
「確かに今の俺には記憶はない。だが、記憶を失ったって、君に大変な目にあわせたのが、俺のせいだって言う事実は変わらない。
だから俺は君のもとを去ろうと決めた。もし、君が俺に去られるよりは、俺を殺したいっていうのなら……」
進はそこで言葉を切った。それは、雪が急に笑みを浮かべたからだった。
雪はコスモガンを構えたまま、口元を緩めた。
「うふふ…… あなたなら、きっとそう言うだろうって思ってた」
「雪さん……?」
進を睨んでいた雪の瞳が、穏やかに変わっていく。
真田は、まだ雪のコスモガンが進に突きつけられたままにもかかわらず、ここで初めて大丈夫だと思った。雪が進を撃つ気など全くないと確信したのだ。
しかし、それはまだ安易な安心だった。
「ばかね、あなたって…… 私、あの時言ったはずよ」
再び雪の瞳に涙が溢れ始めた。
「あなたがいない地球なんて……私にはなんの意味もないって……」
それはあの日のことだった。
あの日、白色彗星帝国との激しい戦いの末、ヤマトともに命をかけようとした進。そしてその彼に黙って一人ヤマトに残った雪。その時第一艦橋で雪が進にかけた言葉だった。
「…………」
答えられないで困惑気味な表情を浮かべる進に、雪が自嘲気味の笑みを浮かべた。
今の進にはその言葉が、いつどこでどんな時に聞いたことなのかさえ、記憶の彼方に消えてしまっているのだ。
「あはっ、そうだったわね、覚えてないんだったわね、あなたは……」
その言葉に進が、そして真田が唇を噛んだ。
真田は、この期に及んでまだ記憶を取り戻すことを拒否し続ける進の深層心理に向って、叫んでやりたい気持ちで一杯になった。
(古代っ! 雪がここまでして訴えているのに、お前はこのまま彼女の前から逃げ出すつもりなのか!?)
しかし、雪が本当にもくろんでいた『作戦』は、実はこれからが本番だった。
雪の声は、再び落ち着いた口調に戻っていた。いつの間にか、涙もほとんど乾いている。
「古代君、あなたはこれ以上私の迷惑になるのが嫌だからって、私のそばから去って行く、そう言うのよね?」
「……そうだ」
進が厳しい顔付きでこっくりと頷いた。その答えに対して、雪が今度はニッコリと微笑んだ。
「そう……ありがとう、古代君」
(えっ!?)
真田が面食らった顔で雪を見つめ、進はほっとしたように頬を緩めた。
「わかってくれるのか?」
だが雪の表情は再び180度転換して、厳しい顔つきで進を睨んだ。
「いいえ、わからないわ!」
雪はそこで言葉を切った。驚いたような顔で見返す進を見つめ返す。だがその視線は、激しい言葉に似合わないほど柔らかかった。
「でも、あなたがそれほど私の事が気になるのなら、わたしの存在が、それほどあなたの行動を規制してしまうっていうのなら……」
何かを求めるように、雪の瞳の中が微かに揺れる。しかし進にはそれが何を意味するのか、わからなかった。
雪はスーッと息を吸い込み、その息を吐きながら続きを口にした。
「私が……消えるわ。そうすれば、あなたの心配もなくなるでしょう?」
「えっ?」
進もそして真田も、一瞬雪が何を言わんとしているのかが理解できなかった。そしてそれを考える時を与えることなく、雪が次の行動を起こした!
「さよなら、古代君っ!」
雪は、小さな声でそう言うと、なんともいえない美しい笑顔になった。と同時に、進に向けていたコスモガンを自分の胸に押し当てた。
「なっ!」
そこで初めて、進と真田は雪の意図を知った。しかしそれと同時に、雪が持つコスモガンが閃光を放った。
スピューン……
「雪っ!」
「雪さんっ!!!」
一瞬の出来事だった。二人の目の前で、コスモガンは明らかに雪の胸の真ん中を突き刺した。
その後は、まるでスローモーションの映像を見ているようだった。ふわりと体をそらせ、雪がゆっくりと倒れていく。そして無意識のままに、進が駆け寄って、雪の体をとっさに抱きかかえた。
進の腕の中に、既に体の力が抜けた雪の重みがずしりとかかった。真田もすぐそばに駆け寄ってきたが、雪の瞳は既に固く閉じられていた。
「雪っ! まさか……」
真田はそう言ったまま、絶句してしまった。
「雪さんっ、雪さ〜〜んっ!!!」
進も大声でその名を呼び、その体を揺すぶるが、閉じられた雪の瞳はぴくりとも動かない。その隣で真田が、がくりと膝を突いた。
「まさか……そんな………なんてことを……雪……」
真田は呆然とした面持ちで、進に抱かれたまま動かなくなった雪を見ていたが、ふと雪の横の床に落ちているコスモガンが目に入った。
(ん? あれは……?)
真田は何かに気付いたように眉を少し動かし、それから今も身動き一つしない雪の『亡き骸』を、じっと見つめた。
一方、進はずっしりと腕にのしかかる重みを感じながら、脱力感に襲われていた。
(まさか彼女が自分を撃つなんて…… 俺ではなく、自分を…… 俺はなんてことをしてしまったんだ!)
自分のとろうとした行動の浅はかさを悔いながら、その美しい人の力なく体を仰け反らせる姿をじっと見つめた。
それと同時に、なにやら不可思議な情景がぼんやりと浮かんきた。いつかどこかでこれと同じ光景を見たような気がしたのだ。
(なんだろうこれは……? 俺はこの感覚を味わったことがあるような気がする…… デジャヴー(既視感)なんだろうか?)
あれはいつのことだったのだろう…………?
どんなに呼んでも彼女は返事をしてくれなくて、瞳を開くこともなく、それを見つめる進の心が、固く凍りついていく。
その心は、誰にどんな風に慰められても励まされても、決して癒されることはなく……
心の奥底の記憶の彼方に、あのとめどなく虚しい思いがあることを、そして再び今、ここでそれと同じものを感じている自分がいる。
(彼女が……死んだ……!? もう二度と目を開くことはない。それも自分のせいで…… ああ……)
なんとも言えぬ、この世の終わりを見るような寂寥感に襲われた時、突然進の心に大きな変化が起こった。
進は、突然脳裏に、ものすごい衝撃を感じた。押しとどめていた堰が一気に破られたような感じと言えばいいのだろうか。
そしてその瞬間、心の奥底に押し込め消え果てていた記憶が、一気に甦ってきた!
記憶の堰を破って噴出してきた渦は、とめどなくものすごい勢いで、進の脳裏に流れ込んでくる。まるで破裂した水道管から流れ出る水のように、爆発した火山から噴き出す溶岩ように……
進は、今この時、ようやく愛する人―森雪―の全ての記憶を取り戻したのだった。
「ああっ…… 雪っ!!!」
進が悲痛な叫びを上げると、真田がはっとして進を見た。進の目には、さっきまでの冷静な光が消え、絶望と悲壮感が漂っていた。
「雪っ!! どうしてこんなことを! どうして……どうしてこんなことをっ!! 頼む、目を覚ましてくれ! 俺を置いて逝くな! お願いだ、雪!! 雪!!ゆきぃ〜〜〜!!」
今はだらりとして動かない愛する人の体を、激しくゆすりながら叫ぶ進の姿を、真田はじっと見つめていたが、ようやくゆっくりと口を開いた。
「古代、思い出したのか?」
「真田さん……」
進は涙にまみれた顔で真田を振り返って、それから小さく頷いた。
「そうか、よかった……」
真田は、いかにも安心したように、安堵の吐息を吐いた。するとそれを見た進は、ひどく激昂し、掴みかからんばかりの厳しい顔になった。
「なっ、よかっただってっ!! 雪が、雪が死んで……俺のために犠牲になって、それで記憶が蘇ったって、一体なんの意味が……!!」
進はさらに、雪の体を自分の胸に強く抱き寄せ、苦しそうに首を左右に振った。
すると、その姿を見下ろしながら、真田は静かにこう言った。
「雪は……死んじゃいない」
「えっ?」
驚いた進が、真田を見上げると、彼は口元を少しあげた。それから、横たわる雪に声をかけた。
「雪、古代の記憶が戻ったぞ。もう、そろそろいいんじゃないのか」
「そろそろ……って?」
まだ狐につままれたような顔をしている進を尻目に、真田は今度ははっきりと笑い顔を作った。
「それとも……こいつの愛の告白をもう少し聞きたいのかな?」
その時、進は腕の中に動きを感じた。びくりとした進が視線を落とすと、さっきまで力なくだらりとたれていた雪が、体をむくリと起こし、その瞳をぱちりと開いた。
「あっ!?」
驚く進に、雪は優しく微笑んだ。
「古代君……」
「雪っ、雪っ!!」
本当に生きている!! 進は震える体でそれを確認するように、雪をぎゅっと抱きしめ、その体に頬擦りした。
あまりにも強く抱きしめられ息苦しさを感じながら、雪の心は晴れ渡っていた。そして熱い思いを込めて、雪も進をかき抱いた。
(よかった、古代君……本当によかったわ……)
ようやく進が抱きしめていた手を緩めると、雪が口を開いた。
「古代君、思い出せたのね?」
「ああ…… 思い出したよ、全部」
その声と雪を見つめる瞳には、深い愛情を感じさせた。進の記憶が完全に戻ったことを、今更に確信した雪の瞳からは、嬉し涙が零れ落ちた。
しばらくして、進は、ようやく自分の記憶回復と雪の復活劇の感動から現実に戻った。そして思い出したように、さっきの雪の行動を問い正した。
「雪、これはどういうことなんだ?」
雪は、こぼれた涙を指で軽く拭くと、ニコリと笑った。
「ふふ…… ほら……」
雪はセーターを少したくし上げて、その下に着けていた防弾チョッキを見せた。さらに、二人の後ろに立っていた真田が、雪が落としたコスモガンを手に取って説明を付け加えた。
「ほら、古代、見てみろ。これなら防弾チョッキを着けていなかったとしても、気絶するのが関の山だ」
進が体をそらせてコスモガンの出力バーを見ると……
「出力最低ランク!?」
最低ランクの出力は、通常の戦闘時には用いることはない。例えば、相手を殺したくない場合や、護身用または内部反乱時等に使用する特別ランクだった。
驚いた顔で真田と雪の顔を交互に見る進に、雪はいたずらっぽく笑った。
「だって、本気で死ぬ気なんてありませんもの!」
「それじゃあ……?」
「うふふ、ええ、あなたの記憶を取り戻すために、お芝居したのよ」
参ったという顔で、進は雪を見、そして真田を見上げた。
「真田さんも知ってたんですか?」
すると真田は苦笑しながら、首を振った。
「いや、俺もほんのさっきまで知らなかった。さっきコスモガンのメモリが目に入るまではな。それで雪の体をもう一度見たら、不自然に分厚いのにも気付いたんだよ。
しかし、いくら古代の記憶を取り戻すための荒療治だとはいえ、せめて俺には事前に知らせてもらいたかったな」
真田の話を聞きながら、進と雪はやっと立ち上がった。それから雪は真田に軽く頭を下げた。
「すみません、真田さんには申し訳ないとは思ったんですけど、二人とも知らない方が真実味があるかなって思って……」
「はは、確かに俺もすっかり騙されたよ。しかし、古代に銃を向けただけでも肝を冷やしたが、まさか自分を撃つとはな。古代の心臓が止まらんかと心配したぞ」
冷やかし半分の真田の言葉に、雪は照れたようにj微笑んだ。それから、今度は進に向って謝った。
「ええ、古代君も……ごめんなさい」
すると、それまで黙っていた進が、ムッとした顔で雪を睨んだ。
「ごめんなさいじゃないよ、雪! だいたい俺がどんな気持ちに……」
だが、それは逆に進にとってはやぶへびとなった。雪の激しい逆襲にあってしまったのだ。
「だって古代君が悪いんじゃない! 私はあなたの記憶が戻るまで、いつまでも待ってるって言ったのに、あなたったら、私のそばから離れて、タイタンに行ってしまうって言い出すから……」
「それは……」
なんとも言い訳が出来ない進が気まずそうな顔をした。
「だから、少しでも早く記憶を取り戻してもらいたくて…… ちょっと無茶なことだとは思ったけれど……」
「……ああ」
二人の会話を見ながら、真田は完全に進の負けだと感じていた。さらに雪の言葉が続いた。
「それとも、記憶が戻ってもやっぱり私のそばから去るつもり?」
その声に、甘えと少しの淋しさがこもっている。それは進にも十分に伝わってきた。小さくため息をつくと、彼ももう虚栄を張ることはせず、素直に自分の気持ちを告げた。
「雪…… わかってるだろう? 俺にそんなことができるわけがないってことくらい。さっきのことでも、よくわかった。君が死んでしまったら、俺はどうしていいかわからなくなってしまうんだ。俺は……君なしじゃ生きていけないんだよ……」
「古代君……」
じっと見つめ合う二人は、互いの顔をそれはそれは愛しそうに見つめ合った。もはや二人の目には、互い以外は目に入らなかった。
と……その時、大きな咳払いが部屋に響いた。
「ウォッホン! 俺がいるのを忘れないでくれ」
とたんに、二人は真っ赤な顔で真田を見た。
「あっ」「あらっ」
「続きは二人きりになってからやってくれ」
真田はさも迷惑だというように、手を振って二人を追い払うような仕草をした。進がさらに顔を赤くして口ごもる。
「あっ、いや……その」
そんな二人の姿を、真田は心から嬉しそうに見た。
(これでいつもの二人に戻ったな。もう安心だ……)
「とにかく、雪! 今回のことは背に腹は変えられなかったとはいえ、古代じゃないが、あんまり心臓に悪いことはしてくれるなよ」
古代のことになると、本当にいつも無茶をする雪に、これだけはしっかりと言わなければと、真田が釘を刺さすと、雪は神妙な顔付きになった。
「はい、もうしません、真田さん……」
「そうだよ、そりゃあ、今回のことは俺が悪かったけど、いくらなんでも自殺を図る芝居だなんて……」
進もそれに同調すると、雪はくいっと顎を上げた。
「……あらっ、でもさっき言ったことは本当よ。私だって、あなたが私を置いて先に逝ったりしたら…… 私、死んじゃうんだからわ!」
「おいおい、雪、だめだよ。そんなことはさせられないぞ!」
雪の宣言に焦る進を見ながら、真田は、自分の言い聞かせたことに、全く雪は意に介してないことに苦笑しながらも、進のためにこう言ってやった。
「ははは……古代、心配するな。万が一今度そんなことがあったら、その時は俺が体を張ってでも止めてやるから」
「ははは、頼みますよ、真田さん。雪なら本当にやりそうだ」
真田の頼もしい言葉に、進は笑って頷いた。
「もうっ、笑い事じゃないわよ!!」
雪に横目に睨まれた進は笑いを納めると、真面目な顔で雪をじっと見つめた。
「わかってる。絶対に君のそばからいなくなったりしないし、君を置いて逝ったりしないから、約束するよ」
「古代君……」
再び二人の世界……に入りそうになる進たちの空気を真田が遮断する。
「ほらほら、さっきも言っただろ! そういうことは自分達の家に帰ってからにしろって!」
「あ、ははは……」
照れ笑いする二人に、真田は、とりあえず座るように促した。それから、3人でお茶を飲みながら、進の記憶を失った時の状況や失った理由などを、色々と語り合った。
その後、進と雪は真田に何度も礼を言って、彼の部屋を辞したのだった。
程なく二人は、自分達のマンションに帰ってきた。進は部屋に入るなり、部屋中の様々なものを見たり、持ってみたりした。そして、その全てが、雪に関するものも含めて、きちんと自分の記憶の中に存在していることを噛み締めていた。
そんな進に、後ろから雪が声をかけた。
「もう大丈夫? 全部思い出してる?」
少し不安そうな顔をしている雪に、進はニッコリと笑って大きく頷いた。
「ああ、大丈夫だ。全部、記憶にある!」
「はぁ〜、よかった……」
雪は心から安心したことを示すように、両手を胸に当てて大きく息を吐いた。
「ごめん、ずいぶん心配かけちまったな」
軽く雪を抱きしめながら、進はそう答えた。雪は進の胸に顔を摺り寄せる。
「ううん、いいの、そんなことは…… でもほんとにもうっ、私の記憶だけ消してしまうだなんて、古代君ったら!」
「うん……すまない。理由は……さっき真田さんや君が言っていた通りだと思うよ。君を愛しているから、君に幸せになってほしいから…… だからこそ、俺がいないほうがいいんじゃないかって不安になった。けど一方で俺にも君が必要で、離れられない。そうも思ってもいたんだ」
雪はしんみりとした顔付きで進を見上げながら、説明を聞いていた。進が話を続ける。
「あの事故のとき、そんな俺の迷う心が、君の記憶を奥底に追いやってしまったんだろうな。君を愛している限り、俺は君を解放してやれない。だから愛していたこと自体……いや、君という存在自体を忘れてしまおうって……ばかだな、俺は」
自嘲気味に微笑む進に、雪も優しく微笑みを返す。
「ええ、ばかよ、私は絶対に解放して欲しくなんてないのに……」
「ああ、そうだな。今日のことで、よおくわかったよ」
「ふふ、そうよ。私って結構執念深いんだから!」
そして雪は、両手を進の背中に回してぎゅっと抱きついた。それに負けないほど、進も抱きしめ返す。
「ははは…… わかったよ。もう絶対に離さないし、離れない」
「ほんとうね?」
「ああ、誓うよ」
「古代君……」
自然と閉じられていく雪の瞳。その瞳から、一粒の涙がこぼれる。そしてゆっくりと進の顔が雪の顔に近づいていき、二人の唇が柔らかに合わさった。
それからの二人に、もう言葉は要らない。進は雪を抱き上げると、数日来寝られぬ夜を過ごした二人のベッドに下ろした。
仰向けに寝る雪の上に、進の体がゆっくりと覆いかぶさる。互いを見つめる二人の瞳には、互いへの深い愛があふれ出ていた。
進は再び雪の艶やかな唇に口付けすると、そのまま唇を彼女の喉へと這わせていった。雪の口から、甘い吐息が漏れ始め、衣擦れの音が、静かな部屋の中に微かに聞こえ…… 二人は生まれたままの姿になった。
様々な思いを込めて、二人は愛を交歓しあう。
会えなかった辛さ、死を覚悟した刹那。
再び出会うことが出来た歓喜。
心無き中傷を目の前にした傷心。
そして……愛する人のために、自分の記憶すら消し去ろうとした悲しみ。
愛する人の心を取り戻すために大胆に行動する勇気と深い思い……
その全ては、互いを心から愛するが故のこと。二人には、それがよくわかっていた。
そして二人して昇りつめる絶頂を迎え、それから、まるで羽の上に乗っているように、ゆっくりと落ちていった……
深夜、ベッドの中で二人は互いをしっかりと抱きしめあっていた。
やっと取り戻した愛する人の温かい裸の胸に顔をうずめながら、雪が囁いた。
「古代君が私の記憶を失ってしまったときは本当に辛かったわ……」
「雪……」
雪の言葉が胸につまされ、進は再び強く抱きしめた。
……と、雪が今度は茶目っ気たっぷりにこう言ったのだ。
「でも……ちょっと新鮮だったわ」
「えっ?」
さっきまでの切ない雰囲気から一転した口調に、進が目を丸くして雪を見た。すると雪はくすりと笑った。
「だって、付き合い出してすぐの頃のあなたのこと思い出しちゃった。古代君ってすごくシャイなんだもの」
雪は頬を紅潮させながら、瞳をキラキラと輝かせた。
「えっ、あはは…… しっかし参ったよなぁ。記憶がないときの俺としては、見ず知らずの人といきなり一緒のベッドで寝るってんだからな。それも若くて美人の…… なんとも複雑なもんだったよ」
照れ笑いする進の顔も輝いていた。
「でも、手は出さなかった。ってことは、浮気なんてしそうにないってことよね?うふっ、それがわかったこともプラスかしら?」
「ばかっ、当たり前だろ! けど、正直君に抱いていいって言われたときは、もうちょっとで手を出すところだったよ」
進は数日前の夜を思い出していた。そこには、抱きしめたい激しい衝動を必死に抑えていた自分がいた。
「でも……案外、そうしてたらもっと記憶が早く戻ったかもしれないのにね!」
確かに、と進は思った。雪をあの時抱いていたら……二人の魂のつながりを思い出したかもしれないと。
「そうだな、今度そんなことがあったらそうするよ!」
「いやよっ!もう二度とごめんだわ!」
きっと睨む雪に、進は笑顔を返す。
「ははは、俺もだよ。君が目を覚まさない場面なんて、もう二度と見たくもない!」
「うふふ、そうね」
それから、雪は一つの疑問を口にした。
「ねぇ、もし、あのままあなたの記憶が戻らなかったら、どうなったかしら?」
「そんなのは簡単だ」
進が確信ありげに宣言した。
「どう簡単なの?」
「もう一度、俺がまた君に惚れただけだよ。実際、たった2、3日一緒に過ごしただけで、ほとんどそうなりかけてたしな……」
進の熱い視線を感じながら、雪は一つ不満を漏らした。
「でも、あなたは私の元を去ろうとしてたわ」
「君のことだから、追いかけてきたに決まってるさ」
彼の言葉に、雪が思わず笑い出した。
「うふふ、それは言えるわね」
「そしてやっぱり俺は、君への思いから逃れられないってことさ」
にんまりと笑いながら、進は雪の唇についばむようなキスをした。それに返すように、雪がキスを返す。今度は濃厚でたっぷりと時間をかけて。
「古代君…… 私もよ。もし私が記憶を失くしても、あなたに出会えば私はきっと……あなたに恋するわ」
「ああ、俺もだよ。何度記憶を失ったとしても、何度でも、君に……」
熱い視線が絡み合い、互いへの深い愛を伝え合った二人は、再びその影を一つにしていった。
夜の帳だけが、二人を優しく包んでいた。
〜〜エピローグ〜〜
記憶が戻った翌日、進は再び藤堂長官に面会し、前言を撤回し、今はまだ地球での勤務を希望したい旨を告げた。
理由は……森雪に関する噂が完全に消え去るまで、もうしばらくはそばにいたいというものだった。
彼の強い意志を感じた藤堂は、前日までの進と微妙に違う雰囲気を感じながらも、それ以上言及することなく、その願いを了承した。進を当分の間、新造艦の建設のためのアドバイザーとして、真田の元に託することを決めた。
そして、雪に関する噂話は、日に日に、悪意のあるものから善意のものへと変わり始め、それと同時に、進の悪夢を見る回数も、激減していった。
それから約1ヵ月後の3月初め、ようやく傷を癒すきっかけをつかんだ古代進は、再び地球防衛軍第3艦隊の巡洋艦の艦長として、宇宙へと飛び立っていった。
FIn
(背景:Four Seasons)