消えた記憶
(9)
真田は、小さく吐息を漏らすと、話し始めた。
「あれは1週間ほど前のことだったな。ちょうど君は長官のお供で出かけていていなかった日だ。食堂に行くと、珍しく古代が一人で食べてるので声をかけて、一緒のテーブルに着いた時だった――」
真田の回想話に、雪は耳を傾けた。
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その日、真田は進と食事を一緒にとっていた。いつもなら雪も一緒なのだが、その日はちょうど大統領官邸の昼食会があって、雪は藤堂とともに出かけていた。
進と真田が、ほとんど食事を終えた頃だった。飾り植木をはさんだ隣側に、女性二人が座った。聞くともなしに聞こえてくる会話から、彼女達が雪の同僚の秘書室職員らしいことは、進たちにもすぐにわかった。
元気のいい遠慮のない女性達の声は、周囲の音より何幾分高めで、植木をはさんでいても鮮明に聞こえてきた。
「でも、雪さんの名誉回復できて、ほんとによかったですよね〜」
進と真田は、はっとして顔を見合わせた。突然話題に雪のことが上ったのだから当然だろう。
しかし、隣にいる女性達は、植木の向うに雪の婚約者である進がいることなど知るはずもない。
だが話の雰囲気から、一時横行していた中傷ではないようだ。彼女達の会話が続く。
「ええ、ほんと! 私たちは信じてたけど、でもやっぱりあの噂はひどかったものね。雪さんは地球を救った英雄だっていうのに……」
「そうよねぇ〜 雪さんって、綺麗で優秀で、その上勇敢で…… どこも非の打ち所ない人だから、いつもはみんなの羨望の的だけど……」
「逆にあんまり出来すぎてて、心の狭い人たちから妬まれちゃうのかなぁ」
「私たちだって、雪さん本人のことよく知らなかったら、妬みたくなりそうなくらい素敵だものね」
「でも本人は全然そんなこと気にしてなくって……」
「だから私たち、雪さんのこと大好きで憧れちゃうのよね〜」
「そうそう!!」
同僚としての最大級の褒め言葉に、進たちは顔を見合わせて安心したように笑みを浮かべた。
だが、これ以上盗み聞きをするのも気が引ける。二人は、話が途切れたのを機会に、隣に気付かれないように静かに立ち上がろうとした。
その時、再び女性達の会話が始まった。
「でも、考えてみたらさぁ〜 雪さんの一番の失敗って、あの古代さんを恋人にしたって事だって思わない?」
その言葉に、立ち上がろうとしていた進と真田の動きがぴたりと止まった。同時に進の顔色が青ざめた。
(何かいやな予感がする……)
真田は、本能的に進に聞かせたくないと感じた。そこで、彼女達の噂の張本人が隣にいることを示すために、わざと目立つように立ち上がろうとした。
しかし、進は手を大きく差し出し、真田の肩を強く押しとどめた。
(古代……!?)
眉をしかめて見返す真田に対して、進は黙ったまま静かに顔を左右に振った。そして浮かしていた腰を下ろすよう、視線で促した。真田は仕方なく、再びゆっくりと座った。
そして隣では、古代進本人が聞いていることも知らずに、女性達の責任のない会話が続いた。
「えっ? まさかっ! だって古代さんだってすごく素敵な人じゃない。ハンサムでかっこいいし、ヤマトの艦長代理で、正真正銘の地球の英雄よ。あの人に憧れてる子だって一杯いるじゃない? 雪さんを妬む人の半分は、古代さんの恋人だってこともあるのよ、きっと」
もう一人の女性の進擁護論に、真田はほっとすると同時に、ニヤリと笑いながら進を見た。すると、進の顔も恥ずかしそうに少し弛んだ。
「でも雪さんなら、他のどんな素晴らしい男性だって恋人にできるわ」
「それは言えるわね。私聞いたことあるもの。長官と一緒に要人の接待をするたびに、雪さん何度も見初められたって……」
「あ、それは聞いたことあるわ。確か……大富豪の息子に、地球政府の要人の息子さんも。あと、ヨーロッパの王子様やアラブのシークからもあったわよね〜〜」
これには真田も苦笑するしかなかった。
確かに、雪にあちらこちらから求愛や縁談の話があることは、どこからともなく聞こえてくる話で知ってはいた。
もちろん、進としては非情に複雑な心境ではあるのだが……
「でしょ? なのに、雪さんが選んだのは古代さん」
「でもいいじゃない。古代さんは地球の英雄だもん」
「だけど、いつも最前線の戦場で、命の瀬戸際の戦いをしている人よ。それに知ってる? 雪さんはヤマトで古代さんの命を何度も救ったことがあるのよ」
「すごいじゃない! 恋人のためなら命も駆けられるって、素敵!!」
「そりゃあドラマの中だったらね。でも現実問題としたら、やっぱりすごく大変よ。考えてごらんなさい。あなたならできる?」
ここで、一瞬の沈黙が起きた。同じように、進と真田の間にも重苦しい空気が流れ始める。
そしてとうとうその沈黙を破って、尋ねられた方の今まで進を擁護していた女性が、おずおずと口を開いた。
「……そう言われたら、困るけど。たぶん、私なら、たぶん無理……」
すると、もう一人の女性が我が意を得たりとばかり、饒舌になっていった。
「でしょ? 雪さんさえその気になれば、そんな危ない橋渡らなくても、安全に守られた世界でぬくぬくと、お姫様みたいな暮らしができるのよ。それを何を選り好んで、そんな危険なことをする必要があると思う?
それに、だいたい雪さんがちゃんとヤマトに乗れてれば今回の噂だって立つことなかったのよ。その雪さんを地球から脱出する時に、飛行艇から落としてしまったのが、古代さんだって言うじゃない」
「えっ!? そうなのっ!!」
びっくりしたような声が跳ね返る。と同時に、植木の向うの二人の眉間のしわがさらに深まった。
さらに、もう一人が声を潜めるように話し始めた。
「ええ、ある筋から聞いた話だから、たしかよ……」
「ふうん…… っていうことは……雪さんにとって最大の不幸は、古代さんを好きになってしまったこと?」
どんどんエスカレートして行く女性達の会話に、真田がハラハラし始めた時、一人の女性から決定的な言葉が飛び出した。
「ある意味、そうとも言えるんじゃない? 結局、古代さんって、雪さんにとっては『疫病神』みたいなものよね」
「そ、そうね……そう言えるかも。『疫病神』ってのは、ちょっとひどいかもしれないけど」
「でもそうなっちゃうわよ。古代さんさえ雪さんの前から消えちゃえば、雪さんはもっと幸せになれるって訳ね!」
「プリンセスも夢じゃないってわけね!」
「そうそう! あら、もうこんな時間よ。行かなくっちゃ」
その言葉を合図に、秘書課の二人は食堂を後にしていった。
一方、植木の向こう側で残された二人といえば、彼女達が立ち去ってからも、押し黙ったまま動けないでいた。
おそらくは、彼女達にとっては、それほど深い意味もなく、ほんの他愛もない会話だったかもしれない。だが、古代進にとっては……
「疫病神……か……」
ポツリとそうつぶやいたまま、恐い顔でうつむいてしまった進を、真田が気遣わしげに見た。
「古代…… 気にするな。あれはただの……」
だが、さすがの真田ですら、それに続くべきうまい慰めの言葉がすぐ出てこなかった。
もちろん、進にも真田の言いたいことはよくわかっていた。
「いえ、いいんです。それに、彼女達の言ってることは間違っちゃいない。俺が雪のそばにいることで彼女に辛い目に合わせてしまっているのは事実ですからね。
この前のことだって彼女達の言うとおりだ……」
進の顔が曇った。だがそれはもう、誰も何も言わぬ約束のはずだ。
「古代っ!」
たしなめるような真田の口調に、進は自嘲気味に笑った。
「はは…… そんな顔しないでくださいよ、真田さん。だからといって、俺は彼女のそばから離れるつもりは、全くありませんから」
「当たり前だ……! そんなことは、去年のあの時によくわかってるはずだからな」
進の言葉に安心したように真田が答えた。
去年のあの時とは、雪の幼なじみの登場に進が一時弱気になったことがあって、だが互いへの深い愛情から、二人がそれを克服した、そんな出来事のことをさしていた。
「……ああ、ははは…… そうですね。それに今の俺には彼女が必要なんです。彼女が嫌だっていっても離しませんよ」
進がきっぱりと答えた。それは真田を満足させるに十分だった。二人の間に築かれた絆は、しっかりと二人の間に根付いているようだ。
となると今度は、真田といえども、少々からかってやりたくなるのが、世の常である。
「離れられないほど惚れてるってわけか?」
「えっ? さ、真田さんっ」
ニヤリと笑う真田を、ほんのり顔を紅潮させた進が睨む。だがすぐに、その顔は柔らかな笑みに変わった。
「でも、まあその通りかもしれませんね。たとえ疫病神と言われようとも、俺は彼女から離れられないほど惚れてるのは事実ですよ。
もし、もしも……俺が彼女の元を離れられるとしたら…… それは、彼女のことを愛した事実ごと失ってしまった時くらいでしょうしね。まあ、そんなこと、ありえないですからね〜」
「はっはっは、そりゃそうだな。で、結局最後は惚気られたってわけだ」
「あっ、いや、そういうつもりじゃ……」
「はははは……」
照れて頭をかく進の若者らしい表情に、真田は大いに笑い声を上げた。
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「……ということなんだ。あの時は笑って終わったものの、古代の中に、どこかしら微妙な不安が残っているような気がして、ちょっと気になってはいたんだ。ほら、あの事故の前に、ちょうどそんな話をしようとしてただろう?」
「そう言えば……」
雪は、あの日の真田との会話を思い出していた。あの日、真田は進の様子をずいぶん心配していた。
「そのあとの事故で、すっかり忘れていたんだが、さっき古代の話で、自分は君にとっては疫病神みたいなもんだって言い出したときに思い出したんだよ」
雪は真田の言葉に大きく頷きながら、顔を曇らせた。
「……それじゃあ古代君は、私のために記憶を失くしたっていうことなんですね?」
「ある意味そうかもしれんな。 いや、それは決して君のせいではないんだが…… それに自分の意志で記憶を失ったと言うわけでもないだろう。
だが、自分の中にあった君を不幸にしているという潜在意識が、事故にあったことによってに出てきて、こういう結果を導いたんじゃないかと思うんだ」
「私のために…… 私から離れることで私を幸せにできると……」
雪が思いつめたように繰り返す言葉に、真田は心を痛めた。
「だから、あいつの本当の意志じゃない」
「でも、私を愛した記憶をなくしてしまった今の彼の意志ではあるんですよね?」
「それは…… そうかもしれん」
雪の指摘は正しい。真田も顔を曇らせた。
「それじゃあ、このまま記憶がないまま彼をほっておいたら、彼は私のそばから去ろうとするんですね!」
「……ああ、言いたくはないが、それは間違いないと思う。今日の話だと決心は固そうだった。俺ももう少しよく考えるように説得するつもりだが…… それより何とかあいつの記憶を早く取りもどす手を考えなくちゃならんな。記憶さえ戻ればきっとあいつも……」
とここまで言ったところで、真田ははっとして後ろの気配を感じた。廊下を歩く音が真田の耳に入った。
「あっ、古代が風呂から上がったみたいだ。一旦切るぞ。また連絡するよ」
「あっ、真田さんっ!」
雪が声をかけるよりも早く、真田は電話の画面を切ってしまった。雪と話していたことを進に知られたくなかったのだろう。おそらく、進に雪に入ってくれるなと口止めされていたのだ。
だが、真田は自分の判断で雪にそれを知らせてくれた。
そのことに感謝しつつも、雪は進の悲しい決意に、ただ涙をポロリとこぼすことしか出来なかった。
(古代君…… 古代君の……ばか……)
翌日、進は真田の家から出勤し、昼食時には事務室を不在にしていた。さらに夕刻も定時少し前に出かけてしまっていた。それはまさに、雪に会うのを避けているかのようだった。
そして夕方、雪の携帯電話に、今日も真田のところに泊まるとだけ、事務的なメールが届いた。
あれから真田からは何の連絡もなかった。それはもう少し進をそっとしてやったほうがいいということなのだろうか?
どうしていいかわからなくて、雪は仕方なく、その日も一人家路についた。
部屋に戻って誰もいないテーブルで、たいして食べたくもない夕食を何とかお腹に収めてから、雪は一人ソファに座って考え込んだ。
(古代君は自分で自分の記憶を封じ込めているということなの? だから彼の記憶はもう戻らないっていうの……!?)
いよいよ明日、今回の航海の報告書が出来上がることになっている。それは、午前中に進がその提出のために、藤堂のもとにやってくることになっていることは、秘書である雪には周知のことだった。
そして真田の話では、その時進はタイタン基地勤務を希望するという。
(古代君がこのまま記憶のないまま、私のそばを離れてしまったら……? ずっとそのまま記憶を心の奥底に押しとどめてしまったら……?)
もう進は自分の下へ帰ってこないのではないだろうかという不安が、雪の心の中で大きく広がるとともに、同時に彼に対するわけのわからない怒りも湧き上がってきた。
(古代君ったらずるい!! 私のこと離れられないほど愛してるって言うくせに、それなのに、自分で自分の記憶を閉じ込めて、私を愛する気持ちまで閉じ込めて…… それで私をあなたから解放してるつもりなの!? それで私が本当に幸せになれると思っているの!?)
雪の中で、不安と悲しみよりも、怒りや腹立たしさが大きくなっていく。
雪を深く愛するがゆえに、自分で自分の記憶すらも封じ込めてしまった進。
そんな彼をまた深く愛するがゆえに、ふつふつと湧き上がってくる悲しい怒りで、雪の心が乱れていった。
(古代君のばかっ!! あなたはわかっていないのよ!! あなたがいない地球に私が一人取り残されて、どんな幸せがあるっていうの!? 本当に私を失ってしまって、いつか記憶が戻った時、あなたはどうなるっていうの!?
嫌よ、嫌!! もう我慢できない! このまま彼が行ってしまうのを放っておくなんて、私には出来ないっ)
雪は、思い立ったようにすっくと立ちあがった。ベッドルームに入ると、部屋の隅にある小さな頑丈なロッカーの前に立った。
それは、進か雪の声紋と指紋を入力することで開くことができる特別で頑丈なロッカーだった。
雪は声紋と指紋を照合させロッカーを開くと、中から大きなナップサックを取り出した。そして結んでいた紐をはずすと、中には、数々のサバイバルグッズが入っていた。
雪は、その中にある、もう一つ別の袋を取り出した。
(古代君、覚悟してらっしゃい!)
その中には、緊急時の戦闘用具が入っている。防弾チョッキ、ヘルメット、そして……地球上と宇宙の両方で使える軽量型のコスモガンが入っていた。
雪は、その中からコスモガンを取り出すと、右手で強く握り締めた。
「古代君…… もう許さないっ! 私がどんなにあなたを愛しているのか、知りもしないで……!!」
握り締めた銃を見つめる雪の瞳が、強く厳しい決意に輝いていた。
(背景:Four Seasons)