ラランドの白い花

Chapter1

(1)

 『ビービービー』

 長官室に来客コールが鳴った。出頭の呼び出しをしていた部下が到着したようだ。

 司令長官のリチャード・チェンが即座に入室を許可すると、地球防衛軍の艦長服に身を包んだ若い男が部屋入ってきて、姿勢を正し敬礼した。
 羽織っている艦長服のデザインは、地球外周艦隊第三艦隊の巡洋艦の艦長職を示していた。しかし身につけているその男は、とてもまだ戦艦一隻を率いているとは思えないほど、若い顔つきをしている。年のころは、まだ30そこそこだろうか。
 しかし彼こそが、司令長官の最も信頼する部下のひとりである。彼の名は、古代進。かつて宇宙戦艦ヤマトの艦長代理、艦長として、何度となく地球を救ってきた歴戦の戦士だった。

 ヤマトはアクエリアスに沈み、時は過ぎ……そして今、2214年3月。まもなく春本番を迎えようとしていた。

 「古代進、ただいま参りました!」

 チェンも顔を上げ、軽く頷いた。

 「うむ、ご苦労だった」

 古代進の顔を見て、口元に少し笑みを浮かべたチェンは、2年前に司令長官に就任したばかりだ。精悍な顔つきの彼も、司令長官としては、まだ若く見える。ヤマトが活躍していた頃の藤堂長官の勇退後、2人目の長官になる。
 当時の参謀長が藤堂の後を継いだ後、参謀長としてやってきたのが、チェンだったが、それまでは全く別の部署にいた。香港の極東地区司令本部の司令官からの抜擢であった。

 「どうだ、最近は? 特に大きな事件もないので、退屈しておるんではないかね?」

 「いえ……事件がないのは、平和な証拠。我々にとっても嬉しいことです」

 「君がお兄さんと一緒に活躍してくれた事件の事は、今でも鮮明に覚えているよ」

 チェンの懐かしそうな言葉に、進はふっと相好を崩した。

 「もう……10年以上も前の話ですよ。あの時の兄の年齢ももう超えてしまいました」

 かつてチェンが極東地区の司令官だった頃、彼らとそして古代兄弟が共に共闘して、事件を解決した事があった。

 「おお、もうそんなにもなるかね。あの数年間は、地球にとって永遠にも思えるほど長く辛い時代だったなぁ。君も随分苦しい思いをしただろう」

 チェンが目を細める。お互い亡くした家族仲間の事が頭を掠めた。が、進は口元を少し緩め、穏やかに笑う。

 「……もう……想い出になりました」

 「そうだな、森君と結婚してもう何年になるかなぁ? 君ももう、3人の父親なんだからな」

 「はい、来年で10年になります」

 「そうか、地球も太陽系も……銀河系も…… 平和になったものだ」

 外敵から襲撃される事のなかったこの10年間がこれからもずっと続く事を、チェンも進も心から願っていた。

 (2)

 昔話をした後で、進は今日の呼び出しの主旨を尋ねた。長官が思い出話をする為に彼を呼んだわけではないはずだ。

 「それで、今日のお話とは?」

 「あ、そうだな、思い出話に花を咲かせている場合ではなかったな」

 チェンは、顔つきを引き締めると、立ちあがって言った。

 「古代進、3月末日を以って地球艦隊第三艦隊所属レグルス艦長を解任し、ラランド星第2惑星基地の副司令を命ずる」

 「は?」

 一瞬、長官の言った意味が理解できなかった。突然の解任・任命に、進の思い当たるところがなかったのだ。

 「ラランド星基地の副司令だ!」

 ラランド星というのは、我が太陽系からの距離8.2光年のところにある恒星系である。7つの惑星を持ち、その中に地球に比較的環境の似た第2惑星があった。
 第2惑星は、大気の組成が地球とはわずかに違い空気中の酸素含有量が若干少ない。そのため、屋外ではヘルメットなしでは長時間過ごせない。
 しかし、その他の気温、重力等については、地球とほぼ同じデータを示しており、限られた条件下で人類の駐留は可能であった。

 数年前、この恒星系の各惑星に数種類の希少鉱物資源が発見され、地球連邦の管轄下で、鉱山開発及び鉱物の採取が始まった。
 その警備と外宇宙からの守備を兼ねて、第2惑星に地球防衛軍のラランド星基地が設営された。

 第2惑星には、この基地のほかには、資源採取会社の施設が数件あるだけの寂しい星である。
 しかし、地球からの進出以来、採掘は順調で、特に大きな事件事故は報告されておらず、地球の太陽系外基地の中では最も平和な施設と言われていた。

 基地の副司令と言えば、その星の基地のナンバー2、ある意味では地位は上がるのかもしれないが、辺境の星のしかも基地勤務とあって、進としては不本意な思いが湧き上がってきた。

 「私が……なにか……不始末でもしましたでしょうか?」

 不満そうな進の顔を見て、チェンは大声で笑った。

 「あははは…… 心配するな、これは決して左遷ではない。逆に、君のステッップアップの第一歩なのだ。辺境基地勤務は、地球防衛軍の中枢として、将来を担っていってもらう者には、必ず経験してもらわねばならないことなのだ。
 そしてもちろん君には、いつかこの地球艦隊を背負ってもらわねばならない。その為には、防衛軍の組織の様々を見知ってもらう必要がある。その為の転属だ。いいな」

 「はっ!」

 チェンが念を押すのに呼応して、進は敬礼を返した。それを進が任命を受諾したものとチェンは受け取り、軽く頷いた。

 「期間は1年。その後は、再び地球に戻り、それ相応の任についてもらう。それから、家族を伴ってもよし、単身赴任でも構わないが……」

 「家族……ですか?」

 突然進の声が小さくなった。任を受けたものの、今初めてその事に気がついた。進の顔が心なしか曇って見える。

 「君の子供さんたちが小さい事は承知している。奥さんの仕事のこともあるだろうし、学校のこともあるかもしれんな。それはすまんが、家族でゆっくり話し合ってくれたまえ」

 「……」

 「赴任の日時は、4月1日。今回の休暇明けに、後任者との引継ぎを行って欲しい。新しい任務の引継ぎは、現地に行ってからで構わない。
 承知していると思うが、ラランド星基地は、地球の影響下の基地としては遠方にある方だが、治安もよく現状では最も問題の少ない基地だ。1年間の骨休めだと思って行って来てくれたまえ、いいね」

 NOとは言わせない語調で、長官は宣言した。一瞬の沈黙の後、進は、静かに、しかしはっきりと答えた。

 「……はい、了解しました」

 「うむ、では家族を同伴するかどうかなど決めたら、総務部の方へ申請してもらおう。それから、現地での暮らし全般については、厚生部の方で、確認してくれ」

 チェンが満足そうに頷くと、進は一礼して長官室を後にした。

 (3)

 「はぁ〜、ラランド星基地とはなぁ……」

 長官室をでた進の口から漏れたのは、ため息と愚痴に近い一言であった。
 確かに、司令本部の中枢にいる人間は、一度は外宇宙の基地勤務をしなければならないという話は聞いていた。自分にもその内まわってくるだろうとは思っていたが、もっと先の事に思えていただけに、今回の人事にはショックが大きかった。

 妻の驚く顔が目に浮かぶ。子供たちはなんて言うだろうか…… いつも宇宙勤務を続け、1ヶ月に数日会えるのがやっとの家族。それだけでも、妻も子供たちも寂しがっているというのに、今度は1年間も遠い宇宙の彼方の基地勤務とは……

 (雪は一緒に行くって言うだろうか? いや、彼女の仕事のことを考えると連れて行くわけにもいかないだろうなぁ)

 妻の雪は、結婚した頃務めていた長官秘書の仕事を辞し、自ら希望して厚生部に移った。今はその第1課のチーフの一人として、防衛軍全体の福利厚生関係の取りまとめをしている。各部署の署員達が健康で快適に働けるように、様々な手配をするのが業務である。平たく言えば、ヤマトの生活班長職に似た仕事だ。

 雪は、その任を子供を育てながらも難なくこなし、上司の信頼も厚いと聞いている。彼女自身、楽しげに働いている。今の仕事をとても気に入っているようだ。

 そんな彼女を、自分の赴任に連れていくと言うことは、彼女のキャリアをまるで無視することになってしまう。
 雪の仕事面での能力を高く買っている進としては、それは避けたい事であった。

 それに、子供たち…… 航と愛はまだ保育園児だから、それほど問題はないだろうが、長男の守は去年から小学生に通っている。友達や学校のことを考えたら、辺境の星などに連れて行くとは言えない気がする。

 「やっぱり、単身赴任だよなぁ……」

 ひとりで行くとなると、妻の事はもちろんだが、子供たちとも会えなくなるのが辛い。特に、3歳になる末っ子の愛は、初めての女の子と言うこともあって、目に入れても痛くないほど可愛い。それを考えると、涙が出るほど悲しくなる。

 「仕方ないか……宮仕えの身では……」

 進はぼやきながら、司令本部のエントランスへ降りていった。

 (4)

 エントランスに降りてふと時計を見ると、4時をさしていた。定時終了は5時。進は帰還した時点でもう任を解かれ、休暇に入っているが、妻の雪はまだこのビル内で働いているはずだ。

 (仕事が終ったら一緒に帰ろうか…… この話も早くしたいし)

 進は総合受付に行くと、呼び出しを頼んだ。

 「厚生部第一課の森さんに連絡を取りたいんだが、在席しているだろうか?」

 進は自分の妻のことを「森さん」と呼んだ。職場では雪はずっと旧姓で通している。司令長官秘書時代など、特に古代姓にすると、夫の名前が出たときにややこしかったこともあり、互いに仕事で一緒になるときなどその方が都合がよかった。

 「失礼ですが……」

 「地球艦隊第三艦隊レグルス艦長の古代進です」

 答えながら、進は自身の身分証明証を見せた。今も、受付の若い女性は、姓の違う二人を夫婦であるなどということは、全く考えに及ばない。だから、色々と気楽なのだ。

 「かしこまりました。おりましたらここまで呼びますか? それとも階上に上がられますか?」

 「いや、そこのTV電話に出てもらえれば」

 「かしこまりました。では、1番のTV電話でお待ちください」

 受付の横には、数台の対応用のTV電話が設置されている。簡単な用件の場合、担当者が部屋を出なくても対応できるようになっているのだ。

 (5)

 進がTV電話の前に腰掛けて待っていると、まもなくその電話の画面が開いた。

 「あ、あなた……お帰りなさい。今日はこちらにご用でも?」

 TVの向こうで、雪がにこりと笑った。相変わらず美しい笑顔だ。とても、30を過ぎ3人子供の母親には見えない。その美しさは進の自慢でもあり、またほんの少し不安のタネでもあった。

 「ああ、雪か…… ちょっと長官に呼ばれてね、けどもう話は終った。今日は遅くなりそうかい?」

 「いいえ、今日は特に忙しくないから。待ってくれているの?」

 雪は時計を見て、後1時間で業務が終わる事を確認すると、嬉しそうに笑った。

 「ああ、ちょっと相談したい事があるんだ。家だと子供がいるしゆっくり話せないから、帰りに外で話したいと思ってね」

 真面目な顔で話す進に、雪は少し怪訝そうな顔をした。何か心配事でもあるのだろうか。そう思った雪は、すぐに今日の業務を終えることにした。

 「そう…… じゃあ、今日はフレックス使うわ。後10分後に降りていくから待っててちょうだい」

 フレックスとは、1ヶ月でトータルの業務時間を計算する方法で、ある日早く仕事を終えた分を、他の日の残業や早朝出勤で相殺する手段である。その業務時間を超えた分だけを、残業として認識する為、雇用側としても、無駄な残業手当を支給しなくてもすむ。仕事があるときにまとめて働き、ないときは早めに帰るというシステムである。
 また、雪のように子供を持つ女性にとっては、色々と便利な制度で、雪もよく活用していた。

 「わかった」

 進が頷くと、画面はぱっと消えた。

 (6)

 画面が消えてからきっかり10分後、雪はエントランスに到着した。エレベータから出るときょろきょろとあたりを見まわして、夫の姿を見つけると、笑顔で駆け寄ってきた。

 「お待たせ!」

 「ああ、すまなかったなぁ。定時前でもよかったのかい?」

 「ええ、大丈夫よ。珍しくここ数日暇なのよ。課長も快くOKしてくださったわ。ご主人によろしくですって」

 少し恥ずかしそうに笑う。当然雪は突然の退社申請をする際、正直に理由を伝えたのだろう。
 二人は並んで地下の駐車場方面へ歩き始めた。

 「あはは…… また、何か言われそうだな。定時前から旦那から呼び出しされて帰って行ったって」

 「うふふ…… 今日は私の機嫌がよかったから、みんな、ははぁんって思っていたみたいよ。だから、ちょっと恥ずかしかったけど」

 二人を知る同僚たちの間では、この夫婦の仲のよさはいつも定評があった。特に、進が帰還中は雪の雰囲気が違う、というのが、もっぱらの噂だ。いや、噂ではなく実際そうなのだ。

 「やっぱり定時まで待ってりゃよかったなぁ」

 地下に下りるエレベータに乗り、B2のボタンを押しながら、進が照れたように笑った。しかし雪は一緒に笑うことなく、逆に心配そうな顔つきに変わった。

 「でも…… さっきのあなた、なんだか深刻そうな顔をしてたから…… 早く話を聞きたくて…… 一体どうしたの?」

 雪の怪訝そうな顔に、進は慌てて彼女の心配を取り除こうとした。いい事、とは言えないかもしれないが、悪い事でもないのだから。

 「ああ、別にそんなに心配する事じゃないんだ。どこかゆっくりできるところで話そう。あっ、子供たちを迎えに行かなくちゃならないんだろう? 何時だ?」

 「それはママに頼んだわ。守はもう帰ってきて、近所のお友達のところに遊びに行ったそうよ。だから大丈夫。ついでに遅くなるかもしれないから、晩御飯も頼んじゃった」

 進から相談事があると聞いて、雪は手回しがよかった。雪の両親は父親の定年退職を機に、古代家と同じ敷地内に小さな家を建て、正にスープの冷めないところに住んでいる。子供のお迎えも、急な残業の時などもよく頼んでいるから、いつものことなのだ。

 「そうか。お義母さんにはいつも世話かけるな」

 エレベータが地下駐車場に着いた。雪は、周りに人がいないのを確認すると、うれしそうにするりと進の腕に自分の腕をからませた。

 「うふふ、いいのよ。ママは喜んでやってくれてるんだから、それにパパも仕事を辞めてからは手伝ってくれてるし……」

 「ありがたいな。じゃあ、時間は心配いらないってわけだな。俺と一緒だっていうことも言ってあるんだろう?」

 「ええ、何か相談事があるらしいからって言っておいたわ。そしたら、ごゆっくりどうぞ、ですって……ママったら」

 雪が肩をすくめてクスリと笑った。進も苦笑する。結婚して10年近くなるというのに、新婚気分が抜けない二人だといつも言われている。それは、あながち嘘ではないな、と進は思うのだった。

 「あはは……じゃあ、少しドライブでもするか」

 車を見つけ、雪からキーを受け取ると、進はドアを開けた。

 「まあっ! うれしいっ! 久しぶりね、二人きりでドライブなんて…… あ、でもその前にどこかスーパーに寄ってね」

 大喜びの雪は、助手席に乗りながら寄り道をリクエスト。

 「買い物か?」

 「子供たちのお土産。遅くなる時はお詫びにいつもちょっとしたお菓子を買って帰るのよ」

 「了解!」

 二人の乗った車は、司令本部を後にした。

 (7)

 二人を乗せた車は買い物のために小さなスーパーに立ち寄った後、郊外へ向った。
 この10年の間に、砂漠のようになっていた未開発エリアは随分減った。開発されて、住宅街になったり憩いの為の公園になった場所もあるが、植林され森林として緑を供給するようになった地域も多い。

 進は車を小高い丘の上にある森林公園に向けて走らせた。曲りくねった道路が山肌に張り付くように続いている。進は、その道を巧みに運転し、あっという間に頂上に登りついた。

 眼下に海が見下ろせるところに、小さな東屋が建っていた。平日の夕方の早い時間だということもあってか、あたりには誰もいなかった。二人は車を降りると、そこに座って、落ちゆく夕日をしばし眺めた。

 「きれいね……」

 雪がほおっとため息をつく。久々に再会した二人は、しばし恋人時代に戻る。夕日は彼らにとっては最も思い出に残る風景なのだ。
 ロマンチックな光景を目の前にして、そんな二人の影が一つに溶け合うまでに、ほとんど時間はかからなかった。互いの体のぬくもりを感じながら、熱い唇をたっぷりと味わうと、二人の顔がやっと少し離れた。

 「寒くないかい?」

 進が優しい目で雪の顔を見た。

 「ええ、大丈夫よ。それで、話があるってなぁに?」

 夫の胸にまだ体を摺り寄せたまま、雪は顔だけを上げて尋ねた。進ははっと思い出したように、顔を引き締め、「うん……」と答えると、続きを少し躊躇してからおもむろに言った。

 「実は……来月からラランド星基地勤務になった。期間は1年だ」

 「えっ!? ラランド星基地? あの太陽系外宇宙基地のひとつの?」

 雪の顔色がさっと変わった。進に持たせかけていた体をさっと起こして、聞き間違いでもしたかという顔つきで尋ねた。しかし、それは決して聞き間違いではなかった。

 「ああ、そうだ、そのラランド星だよ」

 「どうして? どうしてそんな基地に飛ばされるの? あなたの艦隊で何か不祥事でもあったの? でも、そんな話……聞いてないわ」

 『飛ばされる』と言う表現が端的に表している通り、雪は初め、この進の転属が不祥事の為の左遷であると受け取った。自分と同じ反応を示した妻の様子に苦笑いしながら、進は説明を始めた。

 「いや、違うんだよ。左遷じゃない。将来艦隊を指揮する者は一度は辺境の基地を体験しておけって言うことらしいんだ」

 主旨を説明する進の言葉で、雪は肩からほっと息をはいて、少し安心したように微笑んだ。

 「ああ……そう言うことなの。それなら、聞いたことがあるわ。艦隊司令になる前には必ず外に出るのよね、みんな。でも……」

 再び雪の顔から笑顔が消え、切なそうな顔に変わった。そして、うつむき加減に考え込むように言った。

 「あなたが行くとしても、もっと先の話だと思ってたわ。まさか、こんなに早く……」

 「俺もそう思ったよ……でも、逆に言えばそれだけ俺をかってくれているっていうことで…… 一応昇進らしいし、副司令なんだ」

 「副司令……それはすごいわ」

 「すごくもないけど。それに基地勤務なんてお世辞にも好きだとは言えない。でも、確かに一度は経験しておくべきだとは思う。だから、この任を受けたんだ」

 進が諭すように説明を続けた。雪はその説明に軽く頷き、顔を上げて夫の顔を見た。そして寂しげな笑顔を浮かべる。

 「そう…… じゃあ、おめでとうって言うべきよね」

 「でもそんな顔してないな」

 「そんなこと……ないわ……」

 そこまで言って、雪はうつむいてしまった。離れ離れになるのが寂しいのだろうか、と進が心配していると、雪は勢いよく顔を上げ、進を見つめた。

 「いいわ、わかりました。私はあなたの行くところなら、どこへでもついて行くって決めてるんですもの! 例え辺境の基地でもね!」

 雪の場合、開き直ると結論が早い。ほんの一瞬ためらったが、進の転勤に自分もついて行くといきなり宣言した。が、進は当然驚いてしまった。

 「えっ? 付いてくるって?」

 「あら、当然家族みんなで行くつもりなんでしょう? 私もその基地で何か仕事を探してもらうわ。それに基地勤務ならずっと一緒にいられるし、それもいいかも……」

 「おい、ちょっと待てよ。一緒に行こうとは言ってないぞ」

 すっかりその気になった雪を、進は慌てて押し留めた。すると、雪は進を非難するような顔つきになり、彼の両腕を掴んで半ば叫ぶように言った。

 「じゃあ一人で行くつもりなの!?」

 「……ああ、その方がいいんじゃないかって思っているんだ。赴任期間は1年だし、君の仕事や守の学校のこともあるだろう?」

 妻の勢いに仰け反りながらも、進はその顔をそっと包みながらゆっくりと諭した。しかし、雪はその手を振り払うように首を左右に強く振った。

 「でも……いやよ。1年も離れているなんて……いや!!」

 「でもな、君の仕事のことも考えてみろよ。子供達も大きくなってきたし、君だって仕事に集中できるようになってきたばかりじゃないか。それに、せっかく希望の職について面白くなってきたところなんだろう? それを棒に振ることはないんじゃないかい?」

 「そりゃあ、今の仕事は面白いわ。やってみたいこともたくさんあるし……遣り甲斐も感じてる。でも……」

 「それに守だって小学生になったんだ。ラランド星じゃあ、ほとんど子供なんていないはずだよ。たぶんきちんとした学校だってないだろう? 友達もいないし、そんなところに連れて行ってもいいのかい?」

 「それは……」

 今にも泣きそうな顔をしながら、雪はゆっくりとうつむいた。
 進の話は正当論だった。けれど、雪は、夫と離れて暮らすのがとても辛い。しかし、自分の仕事や子供達のことを考えてくれている夫の気持ちも十分に理解できるのだった。

 「俺だって寂しいし、できれば一緒にいたいさ。けど、たった1年のことだから、俺一人で行った方がいいんじゃないかって思うんだけど」

 進は、うつむいてしまった妻を抱き寄せると、強く抱きしめた。その胸の中で雪は小さな声で囁いた。

 「少し……考えさせて……」

 「わかった。2、3日考えてみてくれ。俺自身は、一人でも一緒に行ってもどちらでもいいと思っている。君や子供達が一番いいと思う方を選んで欲しい」

 「あなた……」

 再び顔を上げた妻の唇を、進はもう一度やさしく自分の唇でなぞった。雪の手が進の首筋に回り、進はさらに強く雪を抱きしめていた。

 (8)

 それから数日後、二人が出した結論は、最初に進が考えた通り、単身赴任することになった。進の任期が1年と言う比較的短いことと、雪の仕事や子供達のことを考えた、雪の苦渋の選択だった。

 進の地球での準備期間はあっという間に過ぎていく。その間に家族の思い出にと、週末に旅行もした。ここ半月ばかり、毎日家に帰ってくる父親に、子供達は大喜びだ。
 進も今までの分とこれからの分をまとめて取りだめするかのように、労を惜しまずに子供達の相手をしていた。

 そして、3月末。明日はとうとう進が任地に赴く日となった。
 子供達にも、1週間ほど前に、進が1年間地球に帰ってこないことを告げた。
 さすがに長男の守は少しショックだったようだが、幼い二人の方は、進が元々家にいないことが多いのに加え、1年と言う長さがよくわからないらしい。いつもの航海に毛が映えたようなもの程度の認識しかなく、「早く帰ってきてね」とほんの少し寂しそうな様子を示しただけだった。
 特に愛は、今父親がそこにいる、ということが嬉しくて、先のことはどっちでもいいとばかり、自分を可愛がってくれる父にまとわりついて離れなかった。

 進は昨日と今日で、仕事の関係者と友人知人に挨拶を済ませ、早めに帰宅していた。
 さっきまでは、雪の両親も呼んで、みんなで一緒に夕食を取っていた。
 進は留守中の家族のことを「くれぐれもよろしくお願いします」と頼み、両親は「こっちのことは心配しないで、体に気をつけて……」とねぎらいの言葉をくれた。

 (9)

 両親が隣りの家に帰ると、雪は風呂の準備を始めた。
 広めに作った風呂は、子供が小さい今はまだ家族みんなで十分入ることができた。

 「さあ、お風呂の仕度ができたわ。お入りなさい。今日は誰と誰が入るの?」

 この頃の子供達は、一緒に入るのは今日はお父さん今日はお母さん、と日々色々と変わるのだ。

 「僕、お父さんと入る!」

 最初に守が叫ぶと、航も愛も負けずに叫んだ。「僕も……」「愛もぉ!」

 「じゃあ、みんなで入るか?」

 子供達とのしばしの別れの夜の最後の風呂と言うこともあり、進はそう叫んだ。すると子供達も大喜びだ。

 「わぁぁ〜〜い!!!」

 「雪も一緒に入らないか?」

 まとわりつく3人の子供に押し倒されながら、進は雪も誘った。しかし、ウインクを一つ貰って、その提案はあっさりと却下されてしまった。

 「うふふ、ありがと。でもやめておくわ。着替えをしないで走り回る愛を、裸で追いかけるのは嫌だもの。私は後で一人でゆっくり入ります」

 「ちぇっ、残念だな」

 渋い顔で残念そうに苦笑いしながら、進は子供3人を率いて風呂に入っていった。雪の予想通り、愛は最初に体を洗ってもらうと、正に「からすの行水」ぱしゃぱしゃとお湯につかって遊んだかと思うと、あっという間に風呂から上がってしまった。
 風呂の外では、きゃっきゃと楽しそうに笑う愛と雪の声が聞こえていた。

 (10)

 残った男3人が風呂につかる。進が二人の息子をじっと見た。子供達も急に真面目な顔になった父親の顔を不思議そうに見た。進は、両手で二人の肩をぐっと抑えると、こう言った。

 「守、航。お父さんはしばらくここに帰ってこれない遠くの基地に行くんだ。その間、お母さんや、おじいちゃんおばあちゃんの言うことをよく聞くんだぞ」

 「うん!!」

 二人とも大きな声で元気よく答える。そして今度は、真剣な眼差しで父の顔を見た。

 「それから、お前達は男なんだから、お母さんと愛のことを頼んだぞ。男はいつも女を大切にして守ってあげないといけないんだ。いいな!」

 「まかしといてよ! お父さん!!」

 守がそう言って胸を張ると、兄のまねをして、航も胸を張って言った。

 「まかしといたよ! お父さん!!」

 しかし、一文字間違っていた。それで意味が反対になってしまい、進は思わず噴出してしまった。

 「ぷーっ、わっははは…… そうかそうか、頼もしい二人がいて、お父さんも安心だよ!」

 「ばかっ! お前、それ反対だよ!!」

 守に叱られても航はなんのことだかよくわからないようだ。「どうしてどうして?」と尋ね返している。
 楽しい父子の風呂場コミュニケーションもしばらくやり納めである。進は二人の頭をぐりぐりとなでながら、寂しくなる気持ちを抑えきれなかった。

 (11)

 進たちが出た後、一人残っていた雪が風呂に入った。そして上がってくると、進はリビングで一人座って、ナイトキャップに軽くブランディを飲んでいた。

 「あら? 子供達は?」

 「みんな寝たよ。今晩はみんなで大騒ぎしたから疲れたんだろう」

 「早かったのね……じゃあ、これからは大人の時間ね」

 雪は進の隣りに座ると、体を摺り寄せた。

 「ん? まあ……な」

 雪の誘いの言葉にも似た一言で、進はにやりと笑った。そして雪にも酒を勧めた。

 「少し飲むか?」

 「ええ、ほんの少しだけ…… あとは氷をたくさん入れて」

 雪がそう言うと、進は頷いてブランディをコップの底に少したらして、上から氷を数個入れて妻に手渡した。
 雪はそれを受け取ると、すぐには飲まず、コップを揺らした。からころと氷が中でまわる音が、静かな部屋の中に小さく響いた。

 「明日……行っちゃうのね……」

 しばらく黙っていた雪が、ポツンと言うと、氷で少し薄まったブランディをぐいっと飲んだ。

 「ああ、寂しいかい?」

 「……変なこと聞くのね? 寂しいに決まってるでしょう?」

 「けど、世間じゃよく言うじゃないか……亭主元気で留守がいいってな」

 何百年たっても、世間様で言われていることは同じらしい。進が少し意地悪くそんな事を言うと、雪が怒ったような顔をした。

 「もうっ!あなたったらぁ……」

 「ははは、ごめん。俺も寂しいよ。雪や子供達に会えないのは……」

 雪の肩を抱き寄せると、進は耳元でそう囁いた。今度は雪が意地悪く言う。

 「子供達に会えないのが……でしょう? 特に愛が……」

 「こらっ、すねてるのか? 子供達は心配だよ。けど……一番寂しいのは、君に会えないことに決まってるだろう? 奥さん」

 今度は妻の首筋に唇を這わせながら囁く。

 「ほんと?」 「ほんとだよ……」

 ちょっと不審げな顔の妻と笑顔の夫。

 「どうして?」 「どうして? 決まってるだろう?」

 まだちょっぴり納得していない顔に、もう一度笑顔。

 「何が決まってるの?」 「君のことを……ああ、もう今更言わせるなよ」

 確信に満ちた笑顔と、照れたようなちょっと困った苦笑顔。

 「だめ、言って!」 「しかたないなぁ……愛してるからだよ」

 切ない瞳と、そして再び愛に満ちた笑顔。

 「あなた……私も……愛してる」

 コップはテーブルに置かれ、二人の体がぴたりと合わさった。もちろん、その唇と唇も……強く重なり合っていた。何度味わっても味わい尽くせないかのように、互いの唇をむさぼりあってから、二人の顔がやっと離れた。

 「ベッドへ行こう」

 夫の誘いの声の後、衣擦れの音とドアが閉まる音が、古代家のリビングに響くその夜最後の音だった。

 (12)

 時が過ぎて深夜。満ち足りた顔の二人は、それでも互いの素肌をゆっくりとなぞりあっていた。

 「雪の体の全部、忘れないように目に焼き付けて行くよ…… 目も鼻も口も……」

 進の視線と手がその言葉に合わせて、雪の体をなぞる。雪は嬉しそうに「くくっ」と小さく喉を鳴らした。

 「肩も胸も……」

 二つの膨らみを慈しむようになぞり、口づける。

 「お腹も……そして、ここも……」

 進の手の巧みな動きに、雪は「あっ」と小さい声を漏らす。

 「それから……この綺麗な足も……」

 進の唇が、その足元までくまなくなぞり終え、再び、雪の唇を奪う。顔を上げた進の胸に、雪は体ごと飛びこんだ。

 「本当よ、忘れないで…… 私も忘れない。あなたの全てを……」

 「ああ……」

 そして二人は再び互いの体のぬくもりを体の全てで感じあうように、強く抱きしめあった。

 「それから、絶対に……」

 しばらくして、雪が小さな声でおずおずと口を開いたが、途中で止めて夫の顔をじっとみつめた。進が首をかしげる。

 「ん?」

 「浮気しちゃ……嫌よ」

 少し心配そうな顔をする雪に、進は声を出して笑った。

 「あはは、しないよ。第一あんな基地に相手もいやしないさ」

 「わからないわ、今は、どこの基地にも、女性職員がいるんだから」

 「あはは…… まあ、ラランドにも食堂のおばちゃんくらいならいるかもな。それより、君の方こそ! 地球(こっち)にはいい男がたくさんいるからなぁ。心配だよ」

 「うふふ、大丈夫よ。私には、あなたが宇宙で一番素敵だもの……」

 「本当だな?」

 「本当よ、約束…… あなたも……」

 「ああ、約束だ」

 指きりの代わりに、進は再び妻の上に覆い被さると、二人の一番大切な誓いの儀式に没頭していった。

 西暦2214年4月1日。ラランド星第2惑星基地副司令に任命された古代進は、ラランド星に向けて、地球を立った。

 それを見送る妻の瞳には、きらりと涙が光っていた。

Chapter1 終了

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