ラランドの白い花

Chapter16


 (1)
 ……だれ……?

 あ、あなた……!?

 ああ……

 ずっとずっとこの時を待っていたの……

 もう……

 ずっと私のそばにいてくれるの?

 もう、どこへも行かない……の?

 ああっ! そう……

 もっと触れて欲しい

 熱い、熱いの……

 ずっとこうして欲しかった……の

 私の愛するたった一人の……

 あなた……




 ――愛してるよ……



 嬉しい……あなた



 ――愛してる、愛してるよ、俺のかわいい……








 ナギサ……



 (2)

 「なっ!?」

 がばりと体を起こした雪は、慌ててあたりを見渡した。小さなルームライト以外は光るものもない。周囲はシーンと静まり返って、物音一つ聞こえてはこなかった。
 そう、ここはいつも見慣れた我が家の寝室。子供達は隣室の子供部屋。ここで眠っているのは、雪一人。
 この部屋の主は今、この地球にはいない。

 時計に目をやると、夜中の2時過ぎ。まだ真夜中だ。

 「今のは…… 夢……だったのね……?」

 雪は大きくため息をついて、視線を落とした。胸元のボタンが2つほどはずれ、体の中心に鈍い疼きを感じた。

 「私ったら、夢の中で一人で……?」

 夢の中で、夫恋しさのあまり我が手で自らを愛撫していたらしい。そう気付くと、再び体が芯から熱くなって、しかし、すぐにすーっと背筋から冷めていった。

 「いやだわ、あんな夢……」

 雪の愛する夫は今、遠く数万光年離れた彼方の星に居る。その彼を恋しく思いながら夢を見るのは、仕方がないかもしれない。が、夢の中の彼がつぶやいた言葉が……

 ――ナギサ……

 「私ったら、まだどこかで気になっているの……かしら」

 2ヶ月前、出張で訪れた夫の任地で、夫を慕う若い女性と出会った。夫とは深く愛し合う間柄とはいえ、遠く離れた地で、夫を真摯に慕う彼女への感情は、複雑なものだったのは事実だ。
 だがそれでも、雪は夫を信じていたし、また、その彼女と心を開いて話をし、片思いで満足しているという、その素直な真面目さも信じようと決めた。

 それからも、週1回のTV電話を通じて会話する夫の様子に変化はなく、いつものように明るくて子供たちを気遣い優しかった。だから、もう気にしない。気にする理由もない。そう思っていた。

 それなのに、今頃こんな夢を見るなんて……と雪は思った。

 「きっと…… 南部さんのせいね」

 雪は一人ベッドの上で、ポツリとつぶやいた。

 「そう言えば、明日の朝、南部さんたちの艦隊、ラランドに着くのよね……」

 雪は、薄明かりの中、ベッドサイドのカレンダーに目をやった。

 (3)

 雪が南部と会話したのは、数日前のことだった。

 南部は現在、地球防衛軍第七艦隊所属サザンクロスの艦長を務めている。そしてその第七艦隊の守備範囲がラランド星方面で、2ヶ月に1回の割合でラランド星基地へも寄航している。

 その南部が数日前、仕事中の雪の元を訪れた。元々そのつもりだったのだろうが、ちょうど昼食時間にあたったため、二人で一緒に昼食をとることになった。

 「相変わらずお綺麗ですねぇ、雪さん」

 食堂で、向かいに座りなり、南部がこう言った。その言葉に、雪の頬がほわりと緩む。

 「ふふ…… もう、南部さんったら相変わらずお上手ね」

 「またそんなこと〜 綺麗な人に綺麗と言うのは、素直な気持ちなんだけどなぁ」

 南部は快活に、はははと笑って頭をかく。こんな風に女性をいい気分にさせる腕は、雪の知る限り、彼の右に出るものはいないだろう。あながち嘘を言っているわけでもないし、素直に礼をいうことにした。

 「はいはい、素直にありがとうって言わせていただくわ。でも、奥様が聞いたら気を悪くするかもよ!」

 「ご心配なく! 女房には、この何倍も言ってるからね」

 「あらっ、それはそれはご馳走様っ! ところで、奥様やお子様方はお元気? しばらく会ってないんだけど、お嬢さんも随分大きくなったでしょうね?」

 「みんな元気ですよ。娘は、まあ、なんて言うか、やっぱかわいいっすね〜」

 今年産まれたばかりの娘の話題が出たとたん、南部の相好が崩れた。それはまさに父親の顔だった。

 「うふふ、でしょ?」

 雪が同意すると、南部はおもむろに胸のポケットから数枚の写真を取り出した。そして、それを雪の前に並べ始めると、あやすととてもいい笑顔を返してくれるだの、寝返りも上手だの、娘自慢が始まった。
 それから、すっかり子供らしく成長した長男の話になり、さらには、古代家や元ヤマト同僚達の子供達の話題が順々に登って、しばらくは子供談義に花が咲いた。

 (4)

 世間話が一段落した時、雪が尋ねた。

 「そういえば、星羅さん、お父様の会社に就職されたんですってね?」

 南部の妻、星羅は、かつてヤマトのクルーだった揚羽武の妹である。そして彼女の父が統括する揚羽財閥は、南部の父の会社と肩を並べる一大コンツェルンだ。武亡き今、星羅はその揚羽財閥のたった一人の跡取り娘でもあった。

 「あれ? もう伝わってるんだ? 早いなぁ、相変わらず」

 南部の照れ笑いに、今度は雪が得意そうに微笑を浮かべてウインクした。

 「うふふ…… ヤマト通信班長はいまだ健在よ!」

 「あ、そっか、ははは……」

 南部も大笑いした。やはり相原が情報元らしい。

 「俺もね、最初はまだ乳飲み子もいるし、もう少し待てばって言ったんですけど。まあ、子供の面倒見る人間は一杯いるし、本来なら大学出たらすぐ入社する予定だったのが、出産で半年以上遅れちゃっいましたからね」

 学生結婚した星羅は、在学中に長男を出産したが、産前産後の僅かな時間休んだだけで復学し、留年することなく大学を優秀な成績で卒業した。裕福な家庭に恵まれ、子供の世話を含めて、サポートは十分だったとはいえ、彼女自身の努力も相当なものだった。
 夫としてそれをよく知っているだけに、南部も反対はしなかったのだ。

 「彼女、将来は後を継がれるの?」

 「う〜ん、どうかなぁ〜 もちろん、義父(おやじ)さんは乗り気で、すぐに自分の秘書にして英才教育始めてるし、彼女自身その気がないとは言えないみたいなんだよな。大学でも経営学を取ったし、俺が言うのもなんだけど、彼女、結構経営センスはあるみたいだからね」

 妻が揚羽財閥の総帥になるかもしれない、と言うとてつもない話を、こうもあっさりさらりと言えてしまえるあたり、自身がそういう世界を知っている南部の南部たる所以なのだろう。

 「そうなの。それはすごいわね。で、南部さんはお父様の跡継がないの?」

 「まさかぁ〜 俺は一生防衛軍に奉職するつもりですからね! 南部の方は俺の従兄弟達が頑張ってくれるでしょう」

 雪の少々意地悪?な質問も、南部は簡単に交わしてしまった。やはり彼は父親の経営の方には全く興味がないらしい。

 「あら、そ? うふふ、南部さんらしいわね」

 (5)

 ここまで会話して、話題があらぬ方向に行きそうになって、南部は慌てて今日の来意を伝えることを思い出した。

 「あっ、そんなことより、今日は、また明後日から、ラランド星へ向けて出航するんだけど、何か言伝あるかな、って思って来たんですけどね」

 「明後日? あら、もうあれから2ヶ月になるのね」

 南部の言葉に、雪はふと2ヶ月前のラランド星訪問のことを思い出した。

 「そうね、また最近の写真でも持って行ってもらおうかしら。それほどないんだけど…… 明日南部さんの部署に届けようにするわね、それでいい?」

 「了解っす! で、あいつは変わりなさそうですか?」

 「ええ、週一の連絡はきちんと。仕事の方は演習くらいで相変わらず暇そうだし、毎週週末は緑化運動だって。そっちの方がメインみたいよ、ふふふ」

 「あははは……あいつらしいな」

 南部と雪は互いに笑みを浮かべあった。嬉々として土いじりをする進の姿が、互いに同時に目に浮かんだのである。が、その直後、南部はちょっと困ったような顔になった。

 「それで、そのぉ……」

 南部が探るような視線を雪に送った。

 「なに?」

 雪も真顔になってちらりと南部を見返した。その瞳はさっきと違って笑っていない。南部は自分が尋ねようとしたことを、雪が的確に認知していることを察してぎくりとした。

 「いや、いいんですよ、別に……」

 「わかってるわよ、彼女……のことでしょ?」

 「えっ? 彼女って、誰のことだろうなぁ〜」

 うそぶく南部に、雪は今度は苦笑いを浮かべた。

 「もう、とぼけちゃって。彼女とは、相変わらず仲良く週末は一緒に土いじりしてるみたいよ」

 突き放したようなその言い方は、南部にはあまり雪らしくないように思えた。

 「あ〜、その言い方、めっちゃ意地悪そうだなぁ〜」

 「あら、そんなことないわよ!」

 南部が茶化してそういうと、雪がつんと口を尖らせた。南部の顔が曇る。

 「またなんかあったんっすか?」

 「いいえ、全然! 彼からは彼女の名前は特別には出てこないし、こっちからは一度くらいお元気って聞いたかしらね〜」

 なんとなくその言葉尻にツンツンしたものを感じてしまうのは、気のせいだろうか。

 「ふうん……」

 雪の表情を探るように南部が答えると、雪は慌てて言葉をつけたした。

 「あ、でも誤解しないで。彼が意識してわざと話題に出してないって風にも見えないし、私ももう、別に気にしてないもの」

 「……ほんとに〜?」

 南部が少々から買うように尋ねると、雪はきっと見返した。

 「ほ・ん・と・よっ!!」

 雪は、一文字一文字を強調するように、強い口調で主張した。

 「ははっ、わかりました。けどまあ、念のため、様子見てきて、またお知らせしますよ」

 「いいこと! 余計なお世話は、しないでよ」

 「わかってますってぇ〜 やだなぁ、雪さんったら」

 「私は別になんとも思ってないんですから!」

 「はいはい、わかりましたっ! じゃあ、明日よろしくお願いします」

 「ええ、こちらこそ、お願いします」

 昼休みが終わり、雪と別れた南部は、一人になってから、ふっと小さなため息をついた。

 (雪さん、なんだかんだ言いながら、やっぱりまだ気にしてるみたいだな。まあ、あいつのことだから、とんでもないことになるとは思えないが、ちょっと釘さしといた方がいいかもしれないな)

 そして、雪から子供達の写真を預かった南部は、ラランド星に向って地球を飛び立って行った。

 (6)

 時を同じくして、遠い星の彼方で、雪と同じように夜中に目を覚ました女性が一人いた。

 「なにっ、今の夢……!?」

 ナギサは、慌てて辺りを見回した。一人暮らしの部屋に、当然のごとく誰もいない。

 (さっきの夢はなんだったのかしら…… すごくリアルな夢だったわ)

 薄暗い部屋で、ナギサは大きなため息をついた。

 なんて夢だったのだろう。愛する人が自分を熱い視線で見つめていた。その上、二人は何もまとわず、強く抱きしめあって、そして……

 「ああっ……!」

 記憶が蘇ってくると同時に、頬がかっと火照ってきて体が震え始めた。その震えを止めるように、両腕で体をぎゅっと抱きしめた。

 「私ったら、なんて夢を見たのかしら……」

 愛する人と巡り会い、いつかそんな風に愛し合えたら…… 女性なら必ず夢見ることではあるけれど、今夜の夢はやけに現実味を帯びていて、しかも……

 「あの声には、聞き覚えがある……わ」

 ナギサ……とつぶやいた声。その声は確かいつも聞きなれている声だった。

 それは、恋人に話すように「ナギサ」と呼び捨てにされたことはないけれど、毎日何度も聞いているあの人の声…… 心密かに想い続けているあの人の……声。

 そして、その想いは決して報われることのない想い。

 あまりにも幸せな夢だったけれど、それが覚めた今、ナギサは小さな部屋に一人きりだった。

 「古代……ススム……」

 その名を呼ぶと、胸の奥がズキリと痛んだ。

 あれは2ヶ月も前のこと。愛する人の妻である人に会った。そしてその心の内の密かな想いを見透かされた。
 敵わない……心からそう思った。だから、正直にそう答えた。その気持ちも、心に封じたままにすることを本気で誓った。

 「だけど……」

 その妻である人は、今はここにいない。だから今だけは、あの人が妻の元に帰ってしまうまでは……自分だけの人だと思っていたい。
 想いを伝えることができなくても、彼が自分に愛情を示してくれることがなかったとしても……

 「ごめんなさい、奥様…… 私、本当にただ想っているだけでいいんです。ただ、私の心の中で想うことだけは許してください。もう少しだけ、もう少しだけ、あの人を想っていさせて……ください。いつかはきっと奥様の元へ帰ってしまう人だけれど、今だけもう少しだけ……」

 ナギサは、遠く地球にいるだろう人に伝えるように、そして同時にこんな夢を見てしまった自分に言い聞かせるように、一人部屋でつぶやいていた。

 (7)

 翌朝、地球防衛軍第七艦隊が予定通りラランド星に到着した頃、司令室内では、いつものメンバーが通常通りの任務をこなしていた。
 副司令の古代進も同様、例のごとく定時前には出勤し、明日からの第七艦隊との合同演習に向けての計画書に目を通していた。

 まもなく昼休みに入る。そんな時間だった。

 「了解! 古代副司令、地球防衛軍第七艦隊は、定時にラランド星基地に到着しました」

 ランバートがエアポートからの連絡を受けると、振り返って進に向って報告した。

 「うむ、今回の演習は、明日の合同ワープ訓練ということで変更はないな?」

 「はい、計画の変更は入っておりません。第七艦隊はワープ訓練に備え、午後から全艦隊整備に専念するとのことです」

 「わかった。こちらの艦隊の整備も大丈夫だな?」

 「はい、それはもう昨日には完了しています」

 「よしっ」

 久々のワープ訓練と言うことで、体がうずいた。ワープは、ラランドに来る時以来久しぶりだ。

 進はランバートに頷くと、再び計画書に目を落としながら、脇の机でパソコンに向っているナギサに声をかけた。

 「ナギサ君!」

 ところが、いつもならすぐに返ってくるはずの返事が、返ってこなかった。

 (あれ……?)

 不思議に思って進が顔を上げてみると、さっきまでパソコンにデータを入力していたナギサの手が止まっていた。ぼおっとした焦点の定まらない視線で、パソコン画面を見つめている。

 「ナギサ君っ!!」

 進が再び声をかけると、ナギサはやっとその声が耳に入ったようで、はっと我に帰った。

 「は、はいっ!」

 ナギサは、慌てて周囲を見渡し、声をかけた相手が進だと気付くと、急に頬を赤く染めた。

 「な、なんでしょうか、副司令」

 その慌てぶりがナギサらしくなくて、進は首をかしげた。

 「どうかしたのか?」

 「いえ、別に……」

 首を大きく左右に振って否定するナギサの顔が、ほんのりと朱に染まっているのに、進は気付いた。

 「ん? なんだか、顔が赤いみたいだぞ。熱でもあるんじゃないのか?」

 「そ、そんなことは……ありません!」

 「そうか、それならいいが、具合が悪いんなら、帰ってもいいんだぞ」

 進は、気遣わしげな視線をナギサに送った。

 「いえ、大丈夫です…… あっ、それより、なにか?」

 「ああ、いや、たいしたことじゃないんだが、午後からの第七艦隊司令及び艦長たちとの会議の会場は、第一会議室で1時半からでよかったんだな?」

 「ええ、えっと…… そ、そうです。変更は……あっ、忘れてたっ!」

 ナギサは勢いよく立ち上がると、脇に置いてあった分厚い書類の束を、両手でむんずとつかんだ。

 「え??」

 「すみませんっ、会議の資料に使う計画書の最終案書類の準備がまだでしたっ。すぐにセッティングしてきますっ!」

 焦って駆け出そうとするナギサに、進は声をかけた。

 「はは、慌てなくてもいいよ。会議は午後からなんだし…… しかし、ナギサ君にしては珍しいな、そういう書類はいつもなら朝一番に準備しているのにな」

 「す、すみませんっ、ちょっと第一会議室に行ってきます!」

 ナギサは、進に向って大きくぺこりと頭を下げると、駆け足で司令室から出て行った。

 (どうしたんだろう? 今日は本当にナギサ君らしくないな。何かあったんだろうか?)

 ナギサが出て行ったドアを見つめながら、進はそう思った。

 (8)

 そんな二人のやり取りを見ていたランバートと中津は、意味深に目配せしあった。それから、中津が代表して口を開いた。

 「彼女、どうしたんでしょうかね?」

 「うん……?」

 進が二人のほうを見ると、二人は進には不可解な笑みを浮かべた。

 「彼女、なんだか今日は妙に落ち着かないんですよね」

 「そうそう、朝から副司令の顔を見るのを避けているような……」

 とランバート。そして二人して進をじっと見つめた。

 「えっ?」

 矛先が自分に向いて面食らっている進に、さらに中津が追い討ちをかける。

 「副司令、昨日、彼女になんか言ったんじゃないんですか〜?」

 「おいおいっ! ちょっと待て、変なこと言うなよ! 俺は何も言ってないぞ!」

 「冗談ですよ〜 副司令!」

 慌てた進が大きな声で否定すると、中津とランバートは、わはははと大笑いした。

 年下の副司令は、仕事面では尊敬に値する人物だが、プライベートでは愛すべき人間である。中津達には、彼らのちょっとした冗談にも、真面目に反応するのが面白いらしい。
 その上、彼らは、進が気付いていない――気付こうとしていないともいえるが――ナギサの進へのほのかな思いも感付いている。そのあたりをくすぐるのが、彼らの楽しみの一つにもなっているのだ。

 「ま、でも、今日はちょっと変なのは事実ですけどね」

 「年頃の女の子ですからね〜 まあ、そんな日もあるんじゃないですか〜?」

 中津とランバートがそれぞれに答える。

 「そんな日ってどんな日だ?」

 こういう点は、相変わらず想像が行き届かないのが古代進である。そこでランバートがニヤケ顔で解説した。

 「ほら、こう、ふと、好きな人のことをぼぉ〜っと考えてしまうとか……」

 「そうそう!」

 ランバートの言葉に、進が真顔になった。

 「好きな人って……!?ナギサ君に好きな人ができたのか!?」

 「やだなぁ、例えばの話ですよ〜」

 「そ、そうか…… あ、いや、そうだな。彼女も、そういうこともあっていい年頃だよな、うん……」

 (ナギサ君に好きな人……か)

 部下の手前、何気ない振りをしつつも、進は思わず考え込んでしまった。その顔つきを探るように、中津が尋ねた。

 「心配なんですか? 副司令」

 「……えっ?」

 中津の言葉を聞き逃した進が尋ね返したが、

 「いえ、なんでもありませ〜〜〜ん!」

 中津とランバートは、早々に会話を切り上げて、それぞれの机に向ってしまった。このあたりの引き際は彼らはとてもうまい。
 だが、ナギサのことになると、進が微妙に反応してしまうことも、本人以上に敏感に感じていたりもする彼らであった。

 (9)

 しばらくして、昼休みになって進が席を立つと、中津とランバートは、さっそくさっきの続きを始めた。

 「なぁ、副司令とナギサちゃんってなんかあると思うか?」

 「う〜ん、なんにもないってこともないような気がするけど、かといって、何かこう、男と女の怪しい関係ってわけでもなさそうだよなぁ」

 「うん、それは俺もそう思う。それに副司令の奥さん、綺麗な人だったもんなぁ〜 あんな綺麗な奥さんがいたら、他の女なんて普通目に入んないだろ?」

 「ああ、確かにそうだよなぁ。奥さん来てたときの副司令は、ほんと嬉しそうだったしな」

 二人して、副司令の妻の姿を思い起こしてうっとりとした。清廉な美しさの中、夫を見つめるその瞳には、大人の女の色気もあった。

 「羨ましいよな〜」

 「けどっ!今は、ここにいないのも事実だ」

 「そう! それが一番のポイントだな!」

 「何とかの居ぬ間にってね〜」

 と、ここまで言ってから、中津は小声になった。

 「ナギサちゃんの方は、結構マジっぽいし……」

 ランバートもこっくりと頷く。

 「うん、据え膳食わぬはなんとやら〜っても言うしなぁ〜」

 「あ〜あ、男ってのは、どうしようもない動物だよなぁ」

 「あっははは…… 俺達もだろ?」

 「いやいや、俺達は十人並みでも一応女房連れだからな」

 「そっか、見張られてれば、なかなか悪いことはできないもんな」

 「そう言うこと! ははは……」

 相変わらず、噂好きな男二人であった。

 (10)

 一方、ナギサは、第一会議室で資料のセッティングをしながらも、まだ胸の鼓動が収まらないでいた。

 (やだわ、私ったら、朝から変だわ。なんだかぼぉっとしてしまったりして…… きっと今朝のあの夢が悪いのよ。あんな夢見たりしたから……)

 今朝、胸を熱くするような夢を見た。夢は夢でしかなくて、翌朝会ったあの人は、いつもと変わらなかったけれど…… だけど、それでも……

 甘い夢だった……

 さっきも、パソコンにデータを入力していると、ふと夢のことが脳裏に浮かんでしまった。それで、ほんの一瞬――だと本人は思っている――夢想の世界に浸ってしまったのだ。

 「いけない、いけないっ! 仕事中にダメよ、ナギサ!!」

 ナギサは、誰もいない会議室で、小声で自分に叱咤激励した。
 自身、公私混同など言語道断、ずっとそんな態度で仕事をしてきた。相手にそう要求する以上、自分もそうでなければならないと、いつも律してきたはずだった。

 ナギサは、気持ちを切り替えて、再び資料を配り始めた。が、ふと資料を置いた時に目に入った席次名に、再び胸が大きく鳴った。

 ――ラランド星第2惑星基地 副司令 古代進

 置かれた名札の「古代進」の部分を人差し指でゆっくりとなぞり、それから、資料を一式そっと置いた。何の変哲もない資料が、もうすぐあの人が触れると思うと、それだけでとても愛しいような気さえしてくるのだ。

 (ああ…… わたし……本当にこのまま、この気持ちを抑えていることができるのかしら……? でも、言えない、言っちゃいけない! 奥様にも……約束したんだもの…… 心の中で、思っているだけだって…… それだけだって……)

 初めて恋した相手が、決して思いを伝えることができない人だということが、ナギサの心にいつしか重くのしかかってきていた。

 (11)

 同じ頃、進も昼食のために、食堂への廊下を歩きながら、さっきのことを考えていた。

 (ナギサ君に好きな人……か。そうだよな、できても不思議はないよな。ここに来た頃は、ずいぶんつんけんしてたけど……)

 赴任当時のナギサの姿を思い起こして、進はくすっと笑った。

 (けど、最近はすっかり穏やかになったし、そう言えば綺麗になってきたかも!?)

 恋をすると女は美しくなるものだという。これくらい、進だって聞いたことがある。

 (相手は権藤か? いや、奴が彼女を好きなことは知ってるが、ナギサ君の態度が変わったようには見えないし……
 ってことは、誰か他の男……? 一体誰なんだろう……?)

 と、そこまで考えていると、突然、妻の恐い顔が頭に浮かんできて、進は慌てて思考を停止した。

 (……って、違う違うっ! 俺は別に深い意味があって、そういうことを考えたんじゃないんだ。君が怒るようなことじゃなくってだな…… ただ……)

 目の前にいるはずもない妻に向って言い訳するようなことを考えていたが……

 (ただ……?)

 進は立ち止まった。そして自分自身に問いを投げかけた。

 (ただ…… ただ一体なんなんだ? なぜ彼女に好きな人ができたって聞いただけで、俺はこんなに気になってしまうんだ!? なぜ、どうして……!?)

 自分でもわけがわからない。部下の女性に好きな男ができたと聞いたとき、こんな風に動揺したことは、いまだかつてない。

 (俺は……)

 何かを求めるように窓の外に向けた視線の先には、進たちの植えたラランドティアレの木に、遅咲きの花が一輪咲いていた。

 (ラランドに咲く可憐な白い花……)

 ――まるで……君のような……花だね……

 花を見つめる進の心の中に、雪が来て以来、固く封印していたナギサへの不可思議な思いが、再び広がり始めていた。

Chapter16 終了

TITLE   BACK   NEXT

トップメニューに戻る       オリジナルストーリーズメニューに戻る

(背景:Atelier paprika)