ラランドの白い花

Chapter8

 (1)

 進がラランド星へ単身赴任してから、ようやく半年になろうとしていた。遠く離れた夫との画面だけの逢瀬にも慣れ、仕事と育児の忙しさに寂しさを紛らしていた雪に、突然の朗報が舞い込んだ。

 その日の仕事の予定を確認して、作業を始めようとしていた雪に、厚生部長から呼び出しが入った。

 (何かあったのかしら? それとも、またどこかの基地への出張でも入ったのかしら?)

 部長の前に行くと、雪の読みのとおり、それは出張の指示だった。ただしその行き先が今までとは少し違っていた。

 「森チーフ、来週秋田君と1週間ほど出張して欲しいんだが…… 行き先はラランド星第2惑星基地だ」

 部長からそう告げられた雪は、思わず「えっ」とつぶやいてしまった。すると、その驚きを察したように、部長が笑った。

 「ああ、別に変わったことをしてもらうのではないんだ。いつものように、施設のチェックと職員達からのヒアリングを頼みたい。地球内の基地がほぼ一巡したので、今度は地球外基地の番だからな」

 基地の快適性などの環境面のチェックや、職員達の肉体的精神的両面からの満足不満足を、直接その基地に足を運んでチェックするというのが、この出張の主旨である。

 雪のチームも、この仕事をもう1年ほど前から受け持ち、手分けして各基地を訪問してきた。だから、仕事の内容についてはまったく問題はない。
 ただ、ラランド星と言うと、もちろん雪の夫、古代進が副司令として赴任している基地である。

 「……はい。ですが……あの」

 雪の問いたいことがすぐにわかったらしく、部長は笑って手を上げた。

 「ああ、わかってる。君のご主人がラランド星基地の副司令だということは。だから、ということもあるんだ。あそこは民間の船の航路がないから、なかなか行くこともできんだろう。せっかくの機会だから君に、と思ってな。任務の方が終わってから、良ければ休暇を取ってもいいぞ」

 「よろしいんですか?」

 雪は心が浮き上がってくるのを必死に押さえながら、再確認した。部長もその気持ちがわかったと見えて、にこにこしている。

 「うむ、君が公正なチェックをするのに身内がいることを懸念しているのなら、心配には及ばない。君がそんなことで報告の内容を曲げるとは思っていないし、秋田君もいるからな。それにあの基地自体、それほど問題はないようだしな。
 それとも、お子さんもいることだし、1週間となると無理かね?」

 部長がそう言うのを聞きながら、本当に進さんのところに行けるんだわ!と、雪は確信した。

 「いえ、そちらの方は、私の両親に頼めると思いますので…… ご配慮、ありがとうございます」

 雪は、ぺこりと大きく頭を下げた。

 「では行ってくれるね?」

 「はい!」

 ここでやっと雪は、笑顔で返事を返すことができた。

 「ただし、一応公正を保つために、今回の出張も、今まで同様行き先の基地には、直前まで訪問することとその主旨を内密にすることになる。到着当日の朝、こちらから司令に連絡をいれるから。その辺はご主人と言えども内密に頼む」

 「はい」

 部長の言葉に、雪はこくりと頷いた。抜き打ちのチェックということになっているため、訪問を事前に知らせないことになっているのだ。普段の基地の様子を知ると言うのが、この任務の大切なところだった。

 「それから、特に君と古代副司令との関係をわざわざ隠すこともないと思っているが…… そうだな、まあ、君が旧姓のままだし、積極的に明かすこともあるまい。その方が君も仕事がしやすいだろう。隠すこともないが、自分からは明かさない程度の認識でいてもらおうか。
 あ、もちろん、君もせっかく行けば彼の上司には挨拶したいだろうから、司令には自分から告げてもらっても構わんよ。どうだね」

 「はい、わかりました。そのようにさせていただきます」

 「うむ、せっかく久々の再会なのに、それを伝えられなくて申し訳ないな。いやそれとも、突然行ってびっくりさせた方が楽しみかもしれんな。はっはっは……」

 「えっ!? いやですわっ、部長ったら……」

 部長がおかしそうに雪をからかったので、雪は思わず顔を赤らめてしまった。雪と進の夫婦仲の良さは、部長もよく知るところだ。
 進の転勤を知ったときには、雪もついて行くと言うのではないかと、随分心配したと後で言われたことがあった。
 地球で一人頑張っている雪のことを知っている部長だからこそ、この出張を彼女にと回してくれたとも言える。

 (2)

 こうして、雪の出張は5日後に決まった。往復の日程(4日)と任務(3日)で計7日。そして、任務の後3日間の休暇を貰い全10日の行程となった。

 その日自宅に帰ると、さっそく雪は留守中のことを両親に頼んだ。両親は快諾してくれたが、今までで一番の長い出張になることで、子供達が何というか少し心配したが、父親から留守を守るように託された守が、予想以上にしっかりとした対応振りを見せた。

 「大丈夫だよ、お母さん! ちゃんと学校も行くし、勉強もするよ。それに、おじいちゃんとおばあちゃんもいるから心配しないで! 航と愛の面倒も僕が見るよ」

 「ありがと、守。よろしくお願いするわね」

 「僕もちゃんとできるよ! でも、その代わりお土産買ってきてね!」

 航だ。兄が言うといつも弟も負けじと口だけは一人前のことを言う。ただし、お土産をねだるところがまだまだ可愛らしいところだ。

 「うふふ……わかったわ。2人が頼もしくてお母さんは嬉しいわ」

 本当は子供らに父のところへ行くことを教えてやりたかったが、ラランドに行くことは直前まで内密になっている。子供に告げて、万一夫との通信中にばらされでもしたら都合が悪いし、また逆に一緒に行きたいと言い出されても困るので、言ってやることができなかった。

 雪は、子供達の書いた絵や文字、子供達を写した写真や映像ディスクをそっと旅行かばんに忍ばせて、出張の日を待った。

 (3)

 一方、ラランド星基地では、平穏な日々が続いていた。たまに寄港する艦船の対応、ラランド星基地の所属艦隊の訓練、そして会議。これの繰り返しが、進の主な仕事内容である。
 そのパターンもだいたい把握した今、進は防衛軍に入って以来、もっとも平穏で暇な時を過ごしていた。

 進とナギサの関係もいたって良好である。もちろん、他の職員達とも同様に快適な関係を保っていた。

 デスクワークについては特に、不慣れな進をナギサが率先してフォローした。
 元々、進の基地勤務の目的が、基地の機能や事務処理の流れなどを把握することにもあるため、イワノフ司令は、会議資料などの作成をほとんど進に任せた。
 さらに、大抵の事務作業を自分でこなしてしまう司令――本人がこの手の作業が割合好きだったりするから余計そうなる――よりも、進の補佐をすることが多くなってしまうのだ。

 また、休日は休日で、例の緑化運動ボランティアに二人揃って参加するのが日課のようになっていた。もちろん、二人きりで何かをするというのではない。権藤を始めとするメンバー達といっしょに行動するのではあるが、一緒に過ごすことには変わりはなかった。

 平日休日問わず、ほとんど一緒にいるという現実の前に、進とナギサの関係が、周囲からすれば普通以上に親密に見え初めてきたことも否めなかった。
 二人きりで会っていたなどという話は出てこなかったが――実際、進はあのナギサが倒れた事件以来、仕事以外で2人きりになるのを避けていた――同僚以上の関係であるのではないかという噂も、まことしやかに流れて始めていた。

 進としては、ナギサが初対面の頃とは違い、素直に接してくれる上、仕事上でも非常に優秀な補佐役を勤めてくれることは、非常にありがたかった。だから、それに対し、自分も歓迎の意を表すべきだと思っている。

 しかし彼は、ナギサの好意や仕事の熱心さが、単なる上司へのものではなく、女性として恋しい人になにかしてあげたい、少しでも尽くしたいという個人的な感情が含まれている事には、ほとんど気付いていない。
 逆に、自分がそんな彼女に、同僚以上の何かしらの感情を持たぬように自制すべきだとさえ思っていた。彼女の行為は、進の努力に対する誠意である考え、だから自分もそうすべきだと、ただ同僚として上司として……

 このあたりの認識のずれが、結局は、ナギサの心をさらに古代進という男に惹き付けさせてしまったという、ある意味では悪循環になってしまったのかもしれない。

 これが南部あたりなら、彼女の行動の真意を早めにキャッチし、防波線を引いていただろう。そのあたり、後日、南部に「お前は恋愛オンチだ」とあきれられる羽目になるのだ。

 しかし、それも無理からぬことであった。進がこれまでの人生で恋をしたのは、正真正銘、雪が最初で最後である。
 そのたった一人愛した雪のあれだけの露骨な――進以外のヤマトクルーはみんな地球に着く前に雪の気持ちを知っていた――アプローチでさえ、彼は全く気付かなったのだ。その上その恋は、彼が思いを告げると言う努力をする前に、ひょんなことから成就してしまった。
 ということで、彼は気持ちを伝え合う前の微妙な感情の流れをほとんど経験することなかったのだ。

 そんなわけで、彼は募るばかりのナギサの気持ちを察することも、さりげなく受け流すすべも知らなかった。

 ナギサはナギサで、少女の頃から男嫌いを通してきて、ここに来て初めて恋をした。
 それに、まさかの妻子ある男性相手に、本人も戸惑いがちである。もちろん、成就するとは、いや、させようとも思ってはいない。
 だが、せめてそばにいられる間くらい、何か彼を喜ばせたい、彼に笑顔を向けて貰いたいという切ない乙女心なのだ。

 あの出会った当初の自分はどこへ行ってしまったのだろうと、自分でもおかしくなるのだが、好きになってしまったものはどうしようもない。つかの間のささやかな幸せを感じたかった。今は、彼しか見えていない……それが彼女の本音だろう。

 こんな恋に不慣れな2人のことである。自分達の周りで流れている密かな噂など気付くはずもなかった。

 (4)

 そんなある日――雪の出張話がまだ出ていない8月初め頃――のことだった。進は、たまたま中津の自宅に呼ばれ夕食をご馳走になった。中津には子供がなく妻と2人でこちらに赴任していた。中津の妻も日本人で、進は久々の和食を口にすることができたのだ。

 その翌日、出勤してきた中津に、進は昨夜の礼を言った。

 「いやぁ、昨日はごちそうになってすまなかったなぁ。本当に美味かったよ。奥さんにもよくお礼を言っておいてくれよ」

 「あははは…… あんな料理でよかったらいつでもどうぞ。女房もあれだけきれいに食べてもらえたら、作り甲斐もあるって喜んでました。でも別に変わったものでも、豪華なものでもなかったでしょう?」

 家庭料理に餓えているだろうという配慮から、中津が誘ってくれたのだが、それがまさに当たりだった。進は、中津の妻の出してくれたいわゆる普通の家庭料理を、それはもうよく食べた。

 「それがいいんだよ。こっちに来てから、夜も自分で作るのも面倒で、ほとんどここの食堂でばかり食ってるだろう。料理人がヨーロッパ出身が多いせいか和食なんて出ないし、久しぶりに日本人に戻った!って気がしたよ。やっぱりいいな……」

 「そうですかぁ。そんなこと言ったら女房のヤツ、毎日でも食べに来いって張り切っちゃいますよ。それでなくたって、すっかりあいつは副司令のファンになっちゃったんですからね!」

 「あはは、ありがたいね。またそのうち頼むよ」

 そんな会話を二人が楽しいそうにしているのを、ナギサは机の上の整理をしながら、さりげなく耳を傾けていた。

 (副司令、日本の料理を食べたいのね。奥様がいらっしゃらないからずっと食べられなくていたんだわ。それなら今だけでも私が……)

 ナギサの心に、ある思いが浮かんできた。

 (5)

 それから数日後のことである。その日は、中津たちが所用で出かけ、イワノフも遅めの夏休み休暇中で、司令室は進とナギサの2人だけだった。
 とは言っても、なぜか人の出入りの多い一日で、あっという間にその日の勤務時間は終わった。
 定時を過ぎ、進はそろそろ仕事を切り上げようとしていた時だった。そこに、ナギサが小さな包みを持ってやってきた。

 「あの……副司令」

 「ん? なにか?」

 進が顔を上げて、ナギサを見ると、彼女は少し恥ずかしそうに微笑みながら、手に持っていた包みをおずおずと差し出した。それは、両手のひらに乗るくらいの小さな小箱をきれいなハンカチで包んだものだった。

 「あの……これ…… 味見してみてくださいませんか?」

 「味見? なんだい?」

 「煮しめを作ってみたんですが、あの……父の事を知って以来、日本のことがいろいろと知りたくなって……それで日本の料理も作ってみたくなったんです。料理の本を読んで作ってみたんですけど、味の方がどうなのかわからなくて、副司令なら日本の味をよくご存知だと思って……」

 懸命に説明する姿は、とてもいじらしい。会った事のない父を偲んで、日本について興味を持ったという話にも頷ける。進は思わず微笑んでしまった。

 「へえ〜、ナギサ君は、日本の料理作るの初めてなのかい?」

 「はい、母は何度か作ってくれたことあるんですけど、私は作りたくなかったから……覚える気がなくて。でも、父のことがわかって急に作りたくなったんです」

 「ああ、そうか。ならちょっと味見してみるかな……」

 そう答える進に、ナギサは嬉しそうに微笑んで、さっそく机の上に、その包みを開いた。ふたを開けると、中にはいろいろな野菜や具材がきれいに並べられていた。見た目はまずまずといったところか……

 進は、入っていたフォークを持つと――この当たりが日本人でないナギサらしいが――1つ2つその煮しめを口に放り込んだ。
 食べてみると、それは以外にも上手に味付けされていた。醤油の味もしみてなかなかの美味だ。

 「うん! 美味いよ! ナギサ君、本当にこれが初めて作ったのかい? これなら十分立派だよ」

 これは嘘偽りない正直な感想だった。その回答に、ナギサは心から嬉しそうに両手をたたくように合わせて笑った。

 「そうですか!! よかったぁ! あの、もしよかったら、これ副司令持って帰って食べてください」

 誉められた勢いで、ナギサはその包みを進の方につっと押し出した。

 「でも、いいのかい? せっかく作ったのに……」

 進はちょっと心配そうな顔をしたが、ナギサは首を縦に振った。

 「はい、たくさん作りすぎて私一人じゃ食べきれませんから」

 「そうか、じゃあ、遠慮なくいただくよ。いやぁ、この前中津の奥さんに食わせてもらってから、やたら懐かしくなってたんだ。嬉しいよ」

 これも正直な感想だった。先日食べた料理で、すっかり里心がついてしまった進には、懐かしい日本の味は、とても嬉しいプレゼントだった。

 それと同じく、進の嬉しそうな態度は、ナギサにとっても何よりのプレゼントとなった。

 実はナギサは日本料理を作った経験がある。母が父親の故郷の料理だと作ってくれたものを覚えたくて、幼いナギサは母からその料理を習った。
 その後、父親のことを恨みに思うようになってからも、なぜか日本の料理だけは気に入って、今でもよく作っている。彼女の中にある日本人の血がそうさせたのかもしれない。
 進には、初めて作るようないい方をしたのは、味見を口実に、進に料理を食べさせたかったからに他ならなかった。

 何かを期待しているわけじゃない…… ただ、古代さんに喜んでもらいたいだけ……それだけ…… ナギサは自分にそう言い聞かせていた。

 「いえ、私のほうこそ…… あの、また他のも作ったら味見してもらえますか?」

 「えっ!? あ、いや…… それは……」

 ナギサの思った通りだった。ただ食べて欲しいと言っても、さすがに進だって素直にウンとは言わないだろう。他の職員の手前もある。自分が作った料理を、進に素直に食べてもらうために、ナギサはちょうど良いうまい理由を考えていた。

 「私、上手に作れるようになって、いつか地球に帰ったら、日本の祖父母に食べさせてあげたいって思っているんです。でも私は、本当の日本の味を知らないし……
 誰か日本の方って思ったら、中津さんは奥様に作ってもらえるわけですし、副司令が先日食べたいっておっしゃってたから、一石二鳥かしらって…… 味の方は保証できませけど。
 あ、でも……副司令がご迷惑ならいいんです。今日のだけでもありがとうございました」

 泣きそうな顔で、ぺこりと頭を下げるナギサを見ると、進もとうとう頷かざるを得なくなった。

 「あ、いや…… そう言うわけじゃ…… そりゃあ、いつもここの食堂の料理じゃ飽きてたのも事実だし…… 俺で役に立つのなら……」

 その言葉に、ナギサの顔がぱっと明るくなる。

 「ほんとうですか! 毎日じゃないですけど、週に1回くらい持ってきます!」

 「ん……それはいいんだが…… うーん、ただやっぱり他の職員の前だとなぁ」

 さすがの進もそのあたりは気になると見える。皆の目の前でナギサから料理の包みを渡されるのは、ちょっと躊躇された。
 すると、ナギサもそのことは考えていたようで、

 「私いつも朝一番に来ますから、持ってきたときは、副司令の一番下の引き出しに入れておきます。食べ終わったら、副司令もまたそこに戻してくだされば、私持って帰りますから…… それでいいですか?」

 と、解決策を提案した。そこまで言われては進としても反論することもできない。とりあえず何度か付き合ってやるか、とため息混じりに微笑んだ。
 ナギサのいつもの仕事振りへのお返しにでもなればと思うと同時に、和食を食べられるという魅力にも、少々惹かれた。

 「わかったよ。君のおじいちゃんおばあちゃん孝行のために協力するよ」

 「ありがとうございます。それでは今日はこれで失礼します」

 ナギサは再度一礼すると、先に帰って行った。進はナギサを見送ると、またため息を一つふうっとついてから、フォークでまた一つ煮しめを一つ突っついて口に放り込んだ。

 「うん、これなら、雪が最初に作った肉じゃがよりよっぽど美味いよな。彼女は料理の才能あるんだな」

 などと、雪が地球でくしゃみでもしていそうなことを、のんきにつぶやいた。進には、ナギサの切ない思いはまだ通じていない。

 (6)

 以来、進の机の引出しには、週に1回、簡単なメッセージとともに様々な和食を中心とした料理が入れられることになった。それを進は家に持って帰り、食べると味についての感想などを書いて、また引き出しに入れておいた。すると、またその料理の包みは消えていた。

 ナギサの料理は、どれも進の食欲を満足させるだけでなく、心の寂しさをも埋めてくれる。その懐かしい味は、進の家族がいない寂しさを癒してくれた。

 しかし、何度か続くうちに、こんな風にナギサから料理を作ってもらい続けていていいのか、進も迷い始めた。

 (祖父母のためにっていうので協力するって言ったが…… 本当にずっとこうしてもらっていていいのだろうか…… こんな風に甘えていると……)

 こんな風に料理を作ってくれる彼女が、とても好ましく思える。雪への愛は、全く揺るがないと自身に何度言い聞かせても、ナギサへ個人的な好意を持ってしまいそうな自分が怖かった。

 (俺と彼女は、これ以上近づくべきじゃない。これ以上、彼女の行為に甘えていちゃいけないんだ)

 そこで進は、ある日ナギサと2人で残業をしている時に、さりげなくそろそろ味を覚えたようだから、もういいのでは、と提案した。しかし、ナギサの方がとても残念そうな顔で首を横に振った。まだ作ってみたい料理があるが、迷惑ならもうやめる、と言い、結局、また続けてしまうことになってしまった。

 (どうも、彼女の悲しそうな顔には弱いな。あともう少しだけ、付き合うことにするか……)

 これが地球であれば、勘の鋭い腐れ縁の友人達がそれに気付いて、進を詰問して優柔不断だと断罪し、とっとと止めさせたところだろうが、なにぶん、ここは辺境の基地である。友人と言えば南部が時たまやってくるだけで、その頼りの彼も、次に来るのはまだまだ1ヶ月以上先のことであった。

 正直なところ、料理は美味しいし、進にとっても彼女に他意がない限り、ありがたいわけで、結局断れぬまま月日が過ぎて行った。

 (7)

 そして、いよいよ9月末。雪はラランド星への出張を明日に控えて、夫に通信を入れた。時刻は10時過ぎ。子供達は既に夢の中だった。
 TV電話の前に座った雪は、少々どきどきしながらラランド星への通信回線を開いた。通信が繋がると、ほどなく進が出た。

 「よおっ! どうした? 通信日は明日じゃなかったのか?」

 予定とは違う曜日の連絡に、進が怪訝な顔をした。

 「ええ、そうなんだけど…… 明日から出張なの」

 「あれ? 先週はそんなこと言ってなかったじゃないか。急なんだな。どこへ出張なんだい?」

 ドキリとする。実はあなたのところへ行くのよ! 満面に笑みを浮かべてそう言いたいのは山々だったが、それはできない相談だ。雪はちょっと口篭もりながら告げた。

 「ええ、まあ…… ちょっと行き先は言えないんだけど、10日間」

 「行き先が言えないって、危ないところにいくんじゃないだろうな! だめだぞ!」

 心配そうに睨む夫の顔が嬉しい。そんな彼の姿に今でもちょっぴりときめいてしまう自分に、雪は笑ってしまった。

 「うふふ…… 違うわよ。ちょっと課の方針でね。だから心配しないで」

 妻の穏やかな笑みで、ホッと安心した進だが、心配はまだ他にもあった。

 「そうか、ならいいが…… けど、10日も家を留守にして子供達は大丈夫なのか?」

 「ええ、守にもちゃんとお兄ちゃんしててって頼んだし、いつもの通り、パパとママがこっちに泊まってくれるから」

 雪は答えながら、進さんもパパらしくなってきたわなどと思うと、顔がほころびそうになって仕方がない。その上、もうすぐその彼に会えると思うと、どうしてもにやけてしまう。
 そんな表情に、進も気が付いた。

 「そうか……しっかし、なんかやけに嬉しそうじゃないか?」

 「えっ!? そ、そうかしら。そんなことないわ、いつもと一緒よ」

 再びドキリだ。さすがに嬉しさが顔にでてしまった雪は、慌ててそれを否定した。だが、進は別の事を勘ぐり始めた。

 「……誰と行くんだ?」

 「誰って、あの、いつもの秋田君だけど」

 質問の主旨がつかめないまま、雪がそう答えると、進は不機嫌そうな顔つきに変わった。

 「秋田ぁ〜? 前も言ってた若い男か? それで君はそんなに……」

 進は雪の機嫌のいい理由をそんな風に曲解したらしい。雪はあんまりな的外れに思わず噴出してしまった。

 「プーッ!! ん、もうっ!! またそれなんだからぁ。男の嫉妬は見苦しいわよ。彼は単なる部下! いいかげんにしてちょうだい。あはは……」

 雪に大笑いされては、進としてはさらに面白くない。妻が常にモテルことも、特に年下の男から慕われていることも、彼はよく知っている。だからこそ、気になってしまうのだ。
 雪の態度に、そんな気配など全くないことは解ったのだが、やきもちを妬いてしまったことの照れ隠しのためか、進はさらに眉をしかめた。

 「むっ…… ああどうせ見苦しいよ! 君だってすぐやきもち妬くくせに!」

 「あらっ、そうだったかしら? 記憶にございませんわ、うふふ……」

 すねる夫の姿がとても可愛らしく思える。あさって会ったら、たっぷり愛してあげるわ、などと心の中で呟きながら笑う妻であった。

 「ったく、すぐ自分のこと棚に上げるんだからなぁ。今度君がやきもち妬いたって、俺は知らないからな!」

 「へ〜〜え、あなた、妬けるようなこと何かしてるの?」

 苦し紛れの答弁を突っ込まれると、今度は進が慌てて否定しようとした。とその時、一瞬脳裏に例の彼女のことが浮かんできたりして、進はさらに慌てた。

 「し、してるわけないだろうっ!」

 「やだ、何焦ってるの? うふふ…… あやしい〜〜〜〜」

 「あやしくないっ! それより子供達はどうしてる? 今日はもう寝たのか? 元気にしてるのか?」

 痛くない?腹を探られるのは苦しい。進が必死に話題を変えると、雪はそれでもまだくすくす笑いながら、夫にあわせて今度は子供たちのことを話し始めた。

 (8)

 翌朝、雪は子供達を学校と保育園に送り届けた後、コスモエアポートから宇宙へと飛び立った。

 行きは、ラランド星への物資輸送船に便乗することになった。この輸送船は、往復で7日間の行程である。
 任務を終えてそのまままっすぐ帰るもう一人のスタッフ秋田は、帰りもこの船を利用することになったが、現地で休暇を取る雪は、その後寄港する第七艦隊のサザンクロスで地球へ戻ることに決まった。サザンクロスは、南部が艦長を務める艦だ。雪はそれも楽しみにしていた。

 発進の慌しさが収まって、輸送船の船長との挨拶を済ませた雪と秋田は、休憩室で一休みしていた。
 秋田が注いだコーヒーを2人ですすりながら話し始めた。雪は機嫌がいい。ウキウキしているのが、秋田にもよくわかった。

 「森チーフ、久しぶりのご主人との再会、楽しみですね。僕も初めてお会いするんで楽しみにしてるんですよ。遠くから拝見したことはあるんですけど、まだご挨拶したことなくて…… 噂はいろいろと聞いてるんですけど」

 「うふふ……そう? 別に普通の人よ。昨日も連絡したんだけど、行き先を言わないって文句言われたわ」

 雪がくすりと笑う。こういう顔をする時の雪はまだ20代そこそこに見える。7つも下の秋田でさえ、かわいいと思ってしまう。

 「あはは…… 旦那さんとすれば心配なんですよ。でも、会ったらびっくりするだろうなぁ」

 「そうね。でも、彼の周囲の人には隠せないけど、あまり彼との関係を積極的には言わないつもりなのよ。だから、その辺よろしくね」

 「そうですね、副司令の奥様だってわかったら、あっちの職員も緊張しちゃうでしょうしね。僕だってなんだか緊張してるんですから」

 そんな話をする秋田を見ていると、雪は昨夜の進のセリフを思い出した。

 (彼も、秋田君を見たら緊張するのかしら? いきなり睨んだりしてね)

 「ふふっ、そうそう、彼ったらね。あなたと一緒に行くっていうだけでやきもち妬いてたのよ。若い男と2人きりで出張するのかって…… 困った人でしょう」

 すると、秋田はパッと顔を明るくして笑った。

 「へええ、それは光栄ですね。森チーフとの間を疑われるだけでも僕は嬉しいな」

 秋田は、厚生部に入った雪が初めて教育を手がけた新人の一人だった。彼は、初めて会った時から、上司の雪に憧れと尊敬の念を持っていて、一緒に仕事をするのが楽しくて仕方がないといった態度が、いつも溢れ出ていた。
 雪ももちろんそれには気付いている。だが雪は、それが敬愛以上の感情に育たないように、さりげなく交わすことも心得ていた。

 「まあ、お上手ね! 秋田君に、こんなおばさん相手じゃ、格好つかないわよ」

 「そんなことないですって! 僕はいつも皆からうらやましがられてるんですよ。お前だけ森チーフと二人きりで出張してずるいって。僕も凄く嬉しいんですから、大好きなチーフと一緒で」

 「うふふ…… ありがと! お世辞だと解っててもうれしいわ」

 「あ〜〜あ、またこれですもんねぇ。チーフはちっとも僕の気持ちをまともに受け止めてくれないんだから」

 本気だか冗談だかわからぬことを言う秋田に、雪はとどめのセリフを言う。

 「だって、私旦那様のことを愛してるものっ! 他の男性は目に入らないわっ」

 「はいはい、ご馳走様です!」

 すっかり毒気を抜かれた秋田は、肩をすくめるしかなかった。

 (9)

 次の日の朝一番に、ラランド星のイワノフ司令宛てに、地球から通信が入った。司令本部の厚生部長からである。もちろん連絡の主旨は、施設チェックのために地球から部員を派遣したことについてであった。

 「了解しました。繰り返しますが、本日午前10時到着予定の第2輸送船団所属の第8号物資輸送船で、貴部の森雪チーフと、秋田圭輔君の2名が、施設と環境についての調査で、当基地を来訪するということですね。
 はい、全面的に協力させてもらいますよ。ははは…… ええ、ここは割合快適に過ごさせてもらっていますから、問題はないと思います。では……」

 イワノフは厚生部長からの連絡に快諾すると、さっそくインターホンを押し、ナギサを呼んだ。ナギサはすぐに司令の部屋に入ってきた。

 「なにかご用でしょうか、イワノフ司令」

 「うむ、古代副司令は、今日はラランド星艦隊の演習に出かけてるのだったね?」

 「はい、朝8時半ごろ、私が出勤してきた時にすれ違いに出ていかれました。夕方には一度こちらに戻られると言われてましたが、何か?」

 「いや、それならいい。ナギサ君、君に頼みたいことがあるんだ。今日10時に物資輸送船が到着するんだが、その船に司令本部の厚生部の部員が2名乗っている」

 「はい? それは初耳ですね。急な出張ですか?」

 ナギサは不思議そうな顔をした。普通の出張の場合、大抵は1週間ほど前に事前に連絡が来るのだ。

 「いや、基地施設の抜き打ち調査だそうだ。施設環境や職員の基地での充足度の聞き取りをするらしい。といっても、それほどかたく考えることでもない。私はこの基地で特別な不満があるとは聞いていないし、まあ、その具合を見てもらえればいいと思っている」

 「はい……」

 確かに、辺境であるが故もあってか、設備は割合快適に整えられている。それは長年ここで暮らすナギサもよくわかっていた。

 「それで、その迎えと対応を古代君に頼もうかと思ったのだが、今日は不在だし、とりあえず君に迎えに行ってもらいたいのだ。
 3日間の日程で調査を行いたいそうだ。それで今日のところは、まず施設を視察してもらうことにした。その案内を君にしてもらいたい。構わないかね?」

 「はい、特に急ぎの仕事はありませんので……」

 「うむ、明日と明後日は、その2人が来てからもう一度相談するが、自由に各部署を回って聞き取りしてもらってもいいと思っているし、希望するものがあれば、個室で相談を受けてもらってもいい」

 ナギサはイワノフの話を聞きながら、必要な要件を頭の中でまとめ始めた。

 「はい、それでは会議室を予約しておきますか? それから宿舎の手配もいりますね」

 「うむ、明日と明後日、2日間2部屋ずつ頼む。宿舎の方は、今日から3日間だな。大丈夫かね?」

 「はい、今、大きな会議も入っておりませんし、こちらへの出張者はおりませんので、問題ない思います」

 ナギサの小気味いい返事に、イワノフは満足そうに頷いた。

 「それから明日からは古代君にその対応を頼みたい。こっちに戻ってきたら私のところへ来るように伝えてくれ」

 「はい、あ……ところで、来られる方の氏名はわかっていますか?」

 「あ、ああ……すまない。まだ言ってなかったな。厚生部第一課チーフの森雪君と同じく第一課の秋田圭輔君だ」

 「森……雪? 女性の方のほうがチーフですか?」

 雪という名に、すぐ女性だとということは頭に浮かんだナギサだが、姓も違うし、それが進の妻の名前であるとは全く想像できなかった。

 「うむ、部長は確かにそう言っていたな。話振りから、随分信頼を置いている様子だった。年齢は聞かなかったが、最近は女性の管理職も少なくないし、基地のチェックを任されるくらいだから、将来の候補かもしれんな」

 「そうですね。女性が活躍されているのを聞くのは、嬉しいです」

 イワノフはにこりと笑った。彼は、ナギサの能力を高く評価している。いつかは、本部に戻してやりたいと思っているのだ。

 「そうだな。君もそろそろキャリアアップを目指さねばならないな。いつか機会があったら、地球本部へ戻れるよう進言しておこう」

 ナギサはその言葉にニコリと笑った。ナギサの表情が最近とみに柔らかくなったことはイワノフも気付いていた。副司令の進との雰囲気もよく、その点でも、進の派遣がいい方向に向いたと喜んでいたが、ナギサがそれ以上に進に惹かれていることは、イワノフはまだ知らなかった。

 「ありがとうございます。でも私はこの基地も気に入っていますから。10時と言いますと、もうすぐですね。部屋の手配を終えたら、すぐに行って参ります」

 「ああ、よろしく頼んだよ」

 時計を見て確認したナギサは、イワノフに一礼すると部屋を出て行った。

 (10)

 ラランド星に向かった物資輸送船は、予定通りに宇宙船ターミナルに到着した。
 物資の輸送船であるから、乗客は雪たちしかいない。雪と秋田がラランド星の基地に降り立つと、そこには一人の女性が迎えに来ていた。
 褐色の肌のすらりとした美しい女性は、雪と秋田をまっすぐに見据えて、すぐにつかつかと近づいてきた。

 「司令本部厚生部の森チーフと秋田さんですね?」

 「はい、そうです。私が厚生部第一課チーフの森雪です。それから、こちらが同じく一課の秋田圭輔です」

 雪が身分証を提示しながら答えると、女性はにこっと笑った。雪のしっとりとした美しさとは違った、はつらつした若い美しさに、秋田も思わず見とれている。

 (きれいな娘(こ)…… 秋田くんったら見とれちゃって。でも、司令部から迎えが来るって聞いてたから、もしかしたら進さんかと思って期待しちゃったけど違ってたわ。残念!
 だけどこの娘…… もしかして、進さんが最初手を焼いていた娘なのかしら? 確かにしっかりしてそうだけど、気が強そうにも見えないわね?)

 「お待ちしておりました。ようこそ、ラランド星基地へ。私は、こちらの司令室に勤務しておりますナギサ・ライアティアと申します。イワノフ司令からお2人をお迎えするように命じられて参りました」

 そう答えながら、ナギサも表れた女性に思わず見惚れていた。

 (きれいな人…… それなりの衣装でも着てれば女優かモデルかしらって思ってしまうくらい…… そんな人が防衛軍の本部で活躍するキャリアウーマン? なんだか信じられない。
 でも、歯切れのいい会話を聞いてると、この人がとても優秀な人だってことがすぐにわかる。本部にはきっと才色兼備の人がたくさんいるのね。
 でも……なぜだろう。私、この人に初めて会った気がしない……?)

 いつだったか、ナギサは雪の写真を進から見せてもらったことがあった。しかし、その雪は化粧っ気のない顔で、庭で子供達ととふざけている写真だったので、今のようにきちんと化粧をして制服に身を包んだ雪とは、ナギサの中で重ならなかったのだ。

 運命の?2人の女性の初対面は、互いに相手に好感を持ってすまされた。

 「ありがとうございます。それでは、まずイワノフ司令にご挨拶したいのですが、お願いできますか?」

 「はい、承知しました。司令もお待ちしています。こちらへどうぞ」

 雪に尋ねられて、ナギサはこくりと頷き、先に立って司令室へと案内しはじめた。

 (11)

 ナギサが一歩先に歩き、雪と秋田は周囲を見まわしながら、ナギサの後に続いた。
 基地内は、整然と整えられており、見た目は非常に快適そうに見える。ただ、ターミナルから基地司令室への通路は、どの基地でもVIPが通るメインストリートである。ここだけではまだ判断は下せない。

 (ここで、進さんは毎日過ごしているのね。彼のことだから、基地内のことはきちんと指導してると思うけど……)

 途中、何人かの職員とすれ違ったが、雪たちが来訪者であるらしいことに気付いた彼らは、礼儀正しく軽く会釈して通り過ぎていく。その様子は、非常に好ましかった。

 (やっぱり、進さんだわ…… それとも元々だったのかしら?)

 ラランド星の職員達に好感触を持つたびに、雪はとても嬉しくなった。自分の夫が上司として監督する基地の雰囲気の良さは、自分のことのように嬉しい。

 そうするうちに、秋田が少し足早にナギサに追い付いた。隣を歩きながら質問をはじめた。

 「清潔そうなきれいな基地ですね」

 「まだ新しいですし、何もないところですから、基地内くらいは快適に過ごしたいですから」

 ナギサが社交用の笑みで答えると、秋田はすかさず尋ね返す。

 「それで……快適……ですか?」

 秋田の問いに、今度はナギサはくすくすと本気で笑った。

 「ええ、うふふ、もう調査開始ですか?」

 「あ、ああ……いえ、そういうわけでは、でもこの基地はなんとなく居心地がいい感じがします」

 秋田がナギサの鋭い質問にたじたじになりながら答えていると、雪もそれをフォローするように言った。

 「職員の方の対応もとても素敵ですわね。皆さんきちんとされて挨拶も丁寧だし」

 「ありがとうございます。最近特に皆さんに評判がいいんですよ」

 すると、誉められたナギサは嬉しそうに目を輝かせた。

 「へえ、何か変わる要因でもあったんですか?」

 「えっ? ええ、そう……ですね。あの……新しい副司令が来られてから、あの若い方なんです。だからなんとなく気持ちが引き締まったっていうか……」

 「へぇぇ〜 確か、古代副司令でしたね?こちらは」

 そういいながら、秋田がナギサに気付かれないように、雪にウインクをしてよこした。雪は恥ずかしそうにもうっ!と言う顔をする。
 ナギサはそんな2人の様子に気づくことはなく、ニコニコと話し始めた。

 「はい、古代副司令は、お若いですけど、とてもすばらしい方ですわ。辺境で特に事件もなくて、なんとなくだれ気味だったこの基地の雰囲気に、活を入れてくださったみたいな。
 あ、もちろん、司令もとてもいい方で以前から居心地はよかったんですけど……」

 進の話をし始めると、ナギサの顔がどんどん輝き始めた。その話を聞きながら、雪は嬉しいような、それでいて不思議な居心地の悪さを感じた。

 「じゃあ、古代副司令はこちらでは人気があるんですね?」

 「ええ、そう思います。ファンも多いと思いますわ」

 秋田が尋ねた問いに、ナギサがすぐにそう答えると、雪がさらに付け加えた。

 「あなたもそのファンの一人かしら?」

 すると突然、ナギサは顔を赤くして恥ずかしそうに口ごもらせた。

 「えっ? い、いえ、そんな…… 私は……その……司令室勤務でご一緒に仕事させていただけて、とても光栄ですけれど……」

 「ははは、図星みたいですね」

 ナギサの表情に、秋田は笑顔で突っ込みをいれた。雪も静かに微笑んではいたが、進が誉められているのにもかかわらず、心が少しざわめいた。

 (やだわ、私ったら…… 進さんのこと言えないじゃない。彼のことを誉める若い女性を見るだけで妬けるなんて…… 喜ばしいことなのに)

 そんな雪の思惑など知らないナギサは、自分が言ってしまったことに焦りながら、秋田に尋ねた。

 「あ、あの……こういうことは報告書に書かれると困るんですけど」

 「はっはっは…… これは世間話ですよ、ご心配なく!」

 秋田は笑いながらナギサにそう答えると、またおかしそうに雪にウインクをした。雪は思わず彼のお尻を軽くつねってしまった。
 痛い!とは言えない秋田が、苦笑しながら眉をしかめていた。

 (12)

 ナギサが2人を連れて司令室に戻ると、中津とランバートが仕事をしていた手を止めて振り返った。彼らは、入ってきた雪を見て、その美しさとなんとも言えない気品に、思わずため息をついてしまった。呆然とした顔で雪を見つめている。
 男性陣のこんな反応は、雪には慣れたことで、彼らに軽く微笑んで会釈をすると、二人も慌てて頭を下げた。

 しかし、司令室には他に誰もいなかった。一番上座らしい少し広めの机――多分そこが進の席だろうと雪は思った――にも進の姿が見えず、雪は落胆した。

 (進さんったら、今日は基地にいないのかしら? 相変わらずじっとしてない人…… せっかく会えると思ってきたのに……)

 その疑問はナギサが声をかけてきて、すぐに解消した。

 「あの、副司令は今日は艦隊の演習で不在なんです。夕方には戻ります。イワノフ司令に紹介いたしますので、どうぞこちらへ」

 夕方までお預けを食らわされてしまった雪は、仕方なくナギサに従った。ナギサは雪と秋田をイワノフに紹介すると、横の応接セットの方へ案内して、お茶を出すために、自分はいったん部屋を出た。

 ナギサだけが先に司令室から出てくると、中津とランバートは、すぐにナギサに飛びついてきた。
 給湯室でお茶を入れるナギサにまとわりつくように尋ねてくる。

 「なあ、ナギサ君! あの人達は誰なんだい? 見たことのない人だな」

 「今日来られた司令本部の厚生部の方々よ」

 ナギサは、お茶を入れながら、背中を向けたまま答えた。どうせあの女性のことが知りたいに違いないんだわ、と思う。

 「厚生部? 本部の職員か…… いやぁ、それにしてもあの女性……いい女だよな〜」

 とは中津の弁。うっとりとした声を出している。

 「ああ、年のころは30前か? 色っぽくもあり、それでいて上品で、また凛々しくもあり…… いやぁ〜 久しぶりに心がときめいたよ!」

 これはランバート。声が興奮している。
 中津もランバートも、ナギサと同じく進の例の写真と今の雪とが重ならないらしい。

 「あ〜ら、私じゃときめかなくてごめんなさい!」

 ナギサがくるっと振りかえって二人を睨むと、二人ははははと笑いながら、言い訳をした。

 「い、いや、そういう意味じゃなくて…… ナギサちゃんもあと何年かしたらきっとああなるよ、うん!」

 と、ナギサは、お茶を入れ終わって、お盆に乗せると振り返って、微笑んだ。

 「もう遅いわっ! うふふ、でもほんと、素敵な人ね。ここまで来る間に少しお話したけど、あんなに美人なのに、とても接しやすい感じの人だったし……
 でも、私なんとなくどっかで見たことあるような気がするんだけど……」

 「えっ!?どこで、どこで?」

 「う〜〜ん、それがはっきりとは……」

 悩むナギサに、ランバートが思いつくことを言ってみる。

 「でもさぁ、あの人なら、雑誌のグラビアとかに出てもおかしくないんじゃないか? そういうので見たとか?
 防衛軍の厚生部なんて地味な仕事をしてる人には見えないよなぁ。しっかし、本部にはあんないい女がうようよしてるんだろうか?」

 「まさか、あのレベルの女は、そうざらにはいないと思うぞ。古代副司令なら、本部の女性も見慣れてるのかもしれないな。副司令ならなんていうかね、彼女を見たら」

 中津がランバートに反論しながら、進を話題に出して、ナギサを見てニヤリと笑った。ランバートもしたり顔になった。

 「う〜〜ん、奥さん一筋、こっちではナギサちゃん一筋の副司令でも、さすがにちょっとは心が揺らぐんじゃないか?」

 『こっらではナギサちゃん一筋』という意味深な言葉に、ナギサは思わず顔を赤らめた。

 「なっ! 私は関係ありません!!」

 ナギサがお茶を入れている間に、イワノフの部屋では、雪が進の妻であることを明かし、イワノフに進の家族としての挨拶もした。イワノフは驚きつつも歓迎の意を示した。
 また、司令室の3人には進が戻ってきてから紹介してもらうことにし、他の職員には特に何も言わないことで、話がまとまっていた。

 (13)

 ナギサがお茶を持って入ってくると、さっそく打ち合わせが始まった。
 イワノフは、進に任せるといっていたこの2人の対応を、ナギサに任せることにしたと言う。ナギサもこの2人が気に入ったこともあり、その任務を快く引き受けた。
 そして、初日は予定通りナギサの案内で基地内の施設を視察に行くことになった。

 司令室を出たナギサは、2人に尋ねた。

 「どちらからご案内しましょうか?」

 「どこからでも、ナギサさんのしやすい流れで結構ですわ」

 「わかりました。それではこちらからどうぞ」

 各部署を説明して回りながら、ナギサが簡単な説明をすると、雪と秋田が様々な質問をした。それに対して、ナギサは的確に返答を返してくる。

 順調に施設の視察が進み、ちょうど昼時になったので、ナギサは2人を基地の食堂へと案内した。
 そして一通りの説明をすると、二人にここで食事をするように勧めた。

 「ナギサさんもよろしかったらご一緒にいかが?」

 雪がにこやかに誘ったが、なぎさは丁重に辞退した。

 「ありがとうございます。でも、申し訳ないですが、私お弁当を持ってきておりますので」

 「そう、残念ね……」

 雪は、進が帰ってきて自分との関係が彼女に知られる前に、もう少し彼女と話してみたい気がしていたが、無理に誘うこともできずにあきらめた。

 「それでは、午後1時になりましたら、またこちらに迎えに上がります」

 「ええ、よろしくお願いするわ」

 (14)

 ナギサが行ってしまうと、雪と秋田は、食堂のセルフサービスのテーブルから、定食を選んで取り、テーブルに座った。

 「しっかりとした人ね。辺境の基地に来てこんなに整然と案内してもらえるとは思わなかったわ。質問の答えも早いし的確だし、感心したわ」

 これは嘘偽らざることだった。それは秋田も同じように感じたらしい。ただし、もう一つ雪が気になっていることも同じように気付いていた。

 「そうですね。まだ20代前半、若そうに見えますが、なかなかしっかりしてる。それに……旦那さんのファンみたいですよ。一緒に仕事してるみたいだし、森さん心配ですねぇ」

 「こらっ、変なこと言わないの!彼女に失礼よ」

 「ははは…… これじゃ反対に森さんがやきもち妬く羽目になっちゃいますもんね」

 「もうっ! さっきから秋田くんったら、そればっかりよ!」

 「あはは、だって旦那さんのことで、森さんからかうの面白いんですもん!」

 そんなことを言いながら二人が笑っていると、すぐ隣のテーブルに女性職員が4人ほどやってきた。聞くともなしに、その会話が聞こえてくる。

 「ねぇ、今日はナギサちゃん、寂しそうじゃなかった?」

 「ふふ…… 副司令は、今日お出かけなんじゃない?」

 「えっ? やっぱりその噂本当なの? あの2人が特別仲がいいって」

 食事をする雪の手が止まってしまった。思わず聞き耳を立ててしまう。秋田もごくりと口の中のものを飲み込んだ。

 「う〜〜ん、わかんない。はっきりと2人きりで会ってたとかいう話はないんだけど、なんだかいっつも一緒にいるじゃない。休日もほら、例のボランティアに一緒に出てるんですって。とにかくいっつも一緒にいるって」

 「でもさぁ、ナギサちゃんには例の熊さんみたいな空間騎兵隊の彼氏いたんじゃなかった?」

 「だけどさ、あの彼よりは、絶対副司令の方がいいわよ。スマートだしかっこいいもん!」

 「だけど妻子持ちよ」

 「でも単身赴任!」

 「確かに……あははは……それにナギサちゃんが変わったのは、絶対あの副司令のせいよね。凄く雰囲気がよくなったもの」

 「うんうん、それは言える! つんつんしなくなったものね」

 「ってことはやぱりぃ〜〜〜?」

 「きゃぁっ!やだっ!」

 その後、彼女らは会話の中身を別のことに変えてしまったが、雪はまだ手も口も動かなかった。秋田が気遣わしげに声をかけた。

 「あの……森さん……?」

 すると雪はふっと我に帰って微笑んだ。

 「あはっ、大丈夫、気にしてないわ。いいのよ。噂は勝手なことを言うものよ。私もよく悩まされたけど……
 それに、彼女のことなら、主人にも聞いたことあるのよ。最初は随分反発されたけど、今は協力してくれてるって。彼がどうやってあの子を変えたのかは知らないけど、いいことじゃない。賢そうな子だから、きっと自分で認識を変えたのかもしれないし」

 「そうですよね。彼女の方はまだしも、旦那さんが森さん以外の人なんてねぇ。あれだけ僕らに惚気てくれてるんですからねっ!」

 「もうっ! それは余計よ!」

 秋田につられて笑い、そして食事を再開した雪だったが、心の中に全くわだかまりがなくなったかというとそういうわけにもいかなかった。

 (15)

 食事を終えてくつろいでいると、1時きっかりにナギサは二人を迎えに来た。ナギサは午前中と変わらない対応振りである。
 雪もさっきの会話を気にして、ナギサへの態度をいきなり変えるようなことはしない。少し心配していた秋田も、雪の対応振りに安心したようだった。

 午後もまた施設の案内が始まった。ナギサは午前中と変わらぬ的確な案内をしていく。
 しかし、表面の穏やかな表情とは違って、雪は内心で、ナギサを観察する視線が鋭くなったような気がしていた。

 (この娘が…… あの進さんが言っていた娘なんだわ。何をするにも突っかかられる、そう言ってた。でも、今の彼女を見てるとそんな風には見えない。それどころか……
 あの噂は全部根も葉もない噂ってわけでもないのかもしれない…… 彼女は進さんのことが好きに? 進さんは?)

 「こちらの説明は、これでよろしいでしょうか?」

 ナギサに尋ねられて、雪は我に帰った。

 「ええ、そうね。秋田君はどう?」

 「OKです!」

 「はい、では次に参りますね」

 (いけない、いけない! 今は仕事に専念しないと…… 余計なことを考えるのは禁物よ、雪!)

 雪は雑念を必死に払って、仕事に没頭していった。
 そして夕方5時前には、一通りの施設の見学を終えて、3人は司令室へ戻ってきた。

 (16)

 司令室に戻ると、今日の報告を伝えるため、ナギサたちは司令の部屋に入った。進はまだ帰ってきていないらい。
 まずはイワノフに今日の報告をということで、3人で司令の部屋に入っていった。

 彼らが司令室に入ってしばらくすると、進が艦の演習から帰ってきた。

 「ただいま!」

 「おかえりなさい!」 「ご苦労様です! 今日も無事終了ですか?」

 中津とランバートが揃って進を迎えたが、ナギサの姿はない。

 「ああ、なかなかいい演習ができたよ。ところでナギサ君は?」

 「ああ、彼女なら司令の部屋です。それより、古代副司令……」

 中津とランバートがつかつかっと進のところに歩み寄ってきた。

 「ん?どうした?」

 不思議そうに首をかしげる進の耳もとで、隣の部屋に聞こえないよう小さな声で、中津が言った。

 「今日、地球の司令本部から出張者が来たんですけどね」

 「ん?そんな話聞いてないな。今司令の部屋にいるのか?」

 「はい、いや、それがねぇ〜〜 もう、凄〜くいい女なんですよ〜」

 ランバートがにやりと笑った。それにつられて進も唇をほんの少しあげて笑った。

 「はぁっ? いい女って? お前らは……」

 少々あきれ気味の顔だ。しかし、二人のにやけ顔は戻らない。

 「副司令好みかも知れませんよ!」

 さらに、そんなことをいうランバートに、進もとうとうおかしそうに笑いだした。

 「ははは…… それは楽しみだな。へぇぇ〜」

 進の反応振りに、中津もランバートもしたり顔だ。

 「あれ、副司令でもいい女には興味あるんですね!」

 「何言ってる。俺だって男だからな、そりゃあそれなりに……」

 進も今度ははっきりと口元を大きくあげてニヤリとした。3人がその話題に盛り上がろうとした時、司令室からナギサが出てきた。

 「あっ、お帰りなさい、副司令!」

 進の姿を見て、ナギサは嬉しそうな声を出した。進達3人は、慌ててにやけた顔を元に戻し、進がしかつめらしい顔でナギサに尋ねた。

 「ああ、うぉほん…… なに、地球から出張者が来てるんだって? 昨日まで聞いてなかったじゃないか。急にどうしたんだ?」

 「はい、来るまでは内密だったそうです。抜き打ちの施設チェックだとか……」

 ナギサがちらりと中津らを見た。彼らから聞いたのね、とその視線が言っていた。

 「ん?施設チェックって……」

 一瞬、考えていた進だったが、突然あることが閃いた。

 「ええっ! それってもしかして厚生部のか!?」

 「ええ、よくご存知ですね」

 ナギサは進の反応振りにきょとんとしながら答えた。進は、なぜか急にそわそわし始めた。

 (まさか!!……雪? おととい出張に行くって言ってたのは事実だが、行き先は言えないって!?)

 「そ、それでその2人は?」

 中津もランバートも、進の様子を目をぱちくりさせて見ている。

 「ええ、今司令のお部屋にいらっしゃいます。今、副司令の声が聞こえたので、紹介しようと出てきたんですけど」

 進の勢いに身をのけぞらんばかりにしながら、ナギサが答えると、話が終わるか終わらないかのうちに、進は大股で司令室へ歩き出していた。

 「あの、古代副司令……?」

 慌てて、声をかけるナギサを全く無視したまま、進は司令室に入っていく。残された3人が不思議そうに顔を見合わせた。
 と、その直後、バタンと扉がしまると同時に部屋の中から大きな声が聞こえてきた。

 『ゆ、雪っ!!』

 進の大声に、ナギサや中津たちは驚いてドアの方を見つめた。

Chapter8終了

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(背景:Atelier paprika)