女神のくちづけ

−第2章− 勝負

 (1)

 そして次の日の昼の第一艦橋。今日も特にスケジュールはない。ただ異次元トンネルをひた走るだけだ。今第一艦橋には、進と島、そして南部が待機していた。

 島が、戦闘指揮席に座ってじっと前方を見つめる進に話しかけた。

 「おい、古代。お前、雪のキスを巡って土門と勝負するんだってな」

 「どうしてお前が知ってる!?」

 進が驚いて島を見た。島は可笑しそうに笑うと、ネタをばらした。

 「アナライザーが宣伝しまくってたぞ。今朝の食堂はその話題で持ちきりだったよ。さすがに本人の前では噂してなかったらしいな」

 「ふん、そうか……」

 進は軽く肩をすくめただけで平然としている。

 「で、お前が負けたら、本当に土門に雪とのキスを認めるつもりなのか?」

 島が面白そうに進の顔を覗きこんだ。が、進は表情も変ない。

 「俺は負けるつもりはない……」

 「ふうん、そう言うことか。よくお前そんな約束したなと思ったが」

 「雪が気がありそうな言い方するから。俺だってちょっとムキになったところもあったが……」

 進がチラリと本音を漏らす。

 「焼きもち妬いて、若造を叩きのめしたくなったってわけか……」

 島の指摘に、進が照れたように笑う。

 「そういうわけでも…… まあ、あいつがどれだけ成長したか確かめるのに、ちょうどいい機会だと思うし、あいつも溜まっているものを発散させたら、少しはすっきりするだろう」

 「溜まってるのは、お前の方だろ。くっくっく……」

 島が肩を震わせて笑った。そばで聞いていた南部も一緒になって笑う。進はムッとして叫んだ。

 「うるさいっ!」

 しかし、島も南部も、進の怒鳴り声など聞き飽きたとでもいうように、全く意に介しない。

 「しっかし、土門もいい根性してるよなぁ。艦長のフィアンセだって知っていながら、告白するなんてねぇ」

 南部がしたり顔で言う。それは島も全く同感だった。

 「土門って昔のお前に似てると思っていたが…… こと恋愛に関してはあいつの方が度胸があるんじゃないか。あの頃のお前なら絶対こんなこと言えんだろう? だいたい、俺という強力なライバルが降りた後でも、最後まで告白一つ出来なかったんだからな」

 島が、意地悪そうな視線を進に送った。しかし、進はそれには怒るどころか、苦笑しながら頷き返した。

 「……それは……いえてるな。反論できんよ」

 もっと怒るかと思っていた進の意外な反応に、島は不思議そうな顔をした。

 「なんだ? うれしそうだな」

 「ん? まあな。あいつは俺よりずっと大物になるのかもしれないな。だが、今はまだ負けるつもりはない」

 島が何か感じたように笑う。

 「ふふん、少しは手加減してやれよ」

 「大物かぁ…… 俺は土門の応援しようかなぁ。なんてったって、今は砲術班の一員なんだし……」

 南部が両手を頭の後ろに組んで、伸びをしながらそう言った。「判官贔屓」という言葉がある通り、恐らくこの勝負は、完全に不利な立場の竜介に、応援が断然多いだろう。進自身もそう思っていた。

 その時また島が横目で進を見てニヤリと笑った。

 「それより、土門に勝負を一つ代わって貰いたいなぁ。射撃や艦載機の操縦ってのなら勝てないが、ヤマトの操艦対戦なら、俺は負けないぞ! そうしたら、雪のくちづけは俺が貰えるんだろう?」

 「あっ、いいですねぇ。じゃあ俺とパルスレーザー砲の命中率で勝負ってのはどうですか?」

 南部も悪乗りした。

 「勝手に言ってろっ」

 進のやけっぱちな声を聞くや否や、再び二人は「わっはっは」と大声で笑いだした。

 (2)

 夕方、進がサロンに向かおうと居住区フロアに降り立った時、目の前に雪が現れた。

 「古代君、本当に勝負するつもりなの?」

 雪は恐い顔で進を睨んだ。しかし、進はいつもの表情と変わらない。

 「もちろんだ。俺が提案したんだからな」

 歩き出す進に追いすがるように、雪が後に続いた。今度はその瞳が困ったように揺れ始めた。

 「昨日は……悪かったわ。私が、あなたが隣の部屋にいるの知っててあんなこと言ったから……」

 「別に怒ってやいないよ」

 「だって、現に今土門君と……」

 進が立ち止まった。突然止まられて雪はその歩く勢いを止められずに、軽くぶつかってしまう。

 「俺は勝つって言っただろう! 心配はいらない」

 「そうじゃなくて……」

 雪が下を向く。なんて言ったらいいのだろう…… 今この時期に、二人が本気でやり合うことがいいのか悪いのか、雪には不安だった。
 進が雪の心を探るように首をかしげた。

 「土門の方が心配か? 君はあいつに勝たせたいのか?」

 「だから、そういうっ……もうっ」

 雪がくるっと背を向けてうつむく。うまく言葉に出来ないのだ。進はその仕草がおかしかったのか、声を出して笑い出した

 「あっははは……」

 「あん、もう……」

 「だからさ、余興みたいなもんだから、それほど深刻になるなって。俺と土門の関係がどうにかなるなんてことはないから。それに俺が勝てば何もなく終わるんだ」

 楽観的な進に比べて、雪はその点でも少しばかり心配だった。

 「でも、土門君、どんな勝負を言い出すかわからないのよ」

 しかし、それも進にはわかっているらしい。

 「あいつは真っ向から勝負してくるよ。そういう奴だ」

 「彼のことよくわかってるのね」

 「土門はこの一年でよく成長してくれた。だがまだまだ甘いところがある。それを今日わからせてやるだけだ……」

 「……わかったわ。でも……」

 まだなにか言いたそうな雪に、進は苦笑する。

 「勝負は時の運ってこともある。万が一、俺が負けたら、雪はちゃんと約束を果たしてやれよ。それが本当は望みだったりするのかい?雪は」

 「もうっ、ばかっ!」

 ふくれっつらの雪に背中をドンと叩かれて、再び苦笑いすると、進はまた歩き始めた。

 (3)

 進と雪がサロンに入ると、既に竜介も揚羽来ていた。そして、その周りには、非番のクルー達も数多く集まっていた。

 進達が入っていくと、皆の視線が二人に集中する。進がぐるりと周囲を見渡すと、好奇の視線の中で、真剣な眼差しで見つめる瞳があった。竜介だった。
 集団の中から、竜介がつかつかと前に出てきた。

 「お待ちしていました、艦長」

 「怖気づかずに来たんだな」

 「当たり前です。俺の夢がかかってますから!」

 じっと見つめるその目は、燃えている。進は目を細めた。

 「いいだろう。で、何で勝負することにした?」

 「まずは……小手調べってことで。射撃ルームで的当てで勝負したいと思います!」

 はっきりと言い放った竜介の宣言に、進は嬉しくなった。

 (姑息な手段は取らない、ということか…… ここまでは期待通りだな)

 「ほお、正々堂々と真っ向勝負か。いいだろう」

 進が頷くと、竜介を先頭に二人は食堂を出た。続いて雪、揚羽、佐渡らが続く。そしてその後ろからは、大勢がぞろぞろと付いていった。

 (5)

 射撃ルームに着くと、既に手配済みのようで、砲術班チーフの坂巻が準備をしていた。

 ここの射撃は、時間差で現れる的を的確に捉えてそれを射抜くことを目的としている。的が出てきてすぐに反応できなければ、打つことも出来ずに的は再び消えてしまうのだ。的が動かないと言っても、すばやい判断能力と正確さが要求される。

 坂巻は、入ってきた進たちを見て、軽く会釈してから説明を始めた。

 「話は土門から聞いています。中心部に当てたら10点。点数は、すべてコンピュータが判断してすぐにこちらに掲示されます。こんなことは、いつも練習しているので、分かってると思いますが。
 今日は、50回射撃して合計点で勝負ということでいいですか?」

 二人に異論はない。黙って頷いた。いよいよ始まる三番勝負に、周りもシーンと静かになった。

 竜介が意を決したように、先に口を開いた。

 「じゃあ、俺からいっていいですか?」

 「ああ、どうぞ」

 進が頷くと、竜介は射撃練習用のコスモガンを手に、射撃ゲートに入った。

 「はじめっ」 という坂巻の声と同時にガンを構えた。シャッという音がして、的が前方に現れた。撃つ。シュパーンという鋭い音がして、的の中心部に穴があいた。

 「10点!」

 坂巻がチェックして叫んだ。間髪をいれず次の的があがってくる。そして竜介が撃つ。その後、的は微妙に間隔をずらして現れるが、竜介は2発、3発と正確に射抜いて行った。

 (調子いいな……)

 竜介がほくそえんだ。その瞬間、はっと気が付いた時には、既に次の的が現れていた。焦って撃ったそのガンの光線の先は……的の中心を遥かに外れた。

 「6点!」

 坂巻の言葉が容赦なく響いた。ギャラリーからは「ああ……」という落胆の声が聞こえてくる。

 (くそっ!)

 動転した心を落ち着かせようとするが、その動揺のせいで次も中心を外してしまった。
 その後は、竜介も落ち着きを取り戻したが、途中1回中心をはずし、50発が終わった。

 「10点が47回、9点が2回、6点が1回。合計494点!」

 おおっ、と歓声が上がる。ほとんど満点に近い成績に、ギャラリーは拍手した。竜介もほっと安心した。あまりにもふがいない成績だと、勝負にもならないからだ。しかし、その笑みはすぐに消える。

 (艦長は射撃の名手だ。こんな的なら、はずさないんだろうなぁ……)

 竜介がちらりと進を盗み見た。進の表情は変わらない。平然とした顔で一歩前にでた。

 「じゃあ、次は俺だな」

 進は竜介を一瞥すると、射撃ゲートに入り、静かにガンを構えた。

 「ではいきます!」

 坂巻の掛け声とともに最初の的が現れ、進はそれを的確に撃ちぬいた。

 「10点!!」

 進のコスモガンは、それから微動たりしなかった。どんなタイミングで現れる的も、狙い済ましたように、一つも外すことなく中心を射抜いていく。
 一発撃つ度に歓声が大きくなっていく。しかしその声も進はまったく聞こえていないかのように、ひたすら撃ち続けた。
 そして……50発が終わった。

 「10点が50回。合計500点。この勝負は、古代艦長の勝ちです」

 坂巻の静かな声が響き、周囲から「ああ……」と小さなため息混じりの声が漏れた。感心しているのか、竜介の負けに落胆しているのか…… その両方なのかもしれない。

 進は、的を見つめている時の厳しい顔を少し緩めた。

 「残念だったな、土門。しかしなかなかいい成績だったじゃないか」

 進の余裕は昨日から変わっていない。勝ったことをことさら喜び自慢するでもない。彼の射撃の腕からすれば、当然の結果なのかもしれない。

 竜介は、ギャラリーの中に雪の姿を探した。わずかに笑みを浮かべているように見える。やはり恋人の勝利が嬉しいのだろうか。そう思うと、竜介はさらに悔しさが増した。唇を硬くかみ締める。

 そして進は、平然とした顔のまま、次を促した。

 「で、次は何にするんだ?」

 (5)

 「次は、奥の部屋の射撃訓練場で……」

 奥の部屋にある射撃訓練場は、さらに高度な訓練施設である。四方八方から現れる敵の攻撃見立てた光線を避けつつ、その発射元を打ち返すというものである。
 16時間ぶっ続けの初訓練の後、竜介が平田に連れられて来て、進の訓練振りに唖然となったあの施設である。

 進は驚いた。自分はほぼ毎日ここで射撃訓練をしている。手馴れた訓練場だ。それだけに竜介に勝ち目はないと思うからだ。

 「他のにした方がいいんじゃないのか?」

 進は呆れたような顔で忠告をした。しかし、竜介は引かなかった。

 「いいえ、自分はこれでも砲術班ですから。射撃の腕で、もう一度艦長と勝負したいと思います!!」

 竜介が真剣な顔でそう答えると、進の目はさらに嬉しそうに光った。そして、チラリと雪を見た。

 (さすが、君に告白する根性があるだけあるな。楽しみな奴だよ)

 雪の目には、進がそんな風に言っているように思えた。

 (そうでしょう? あんまり気を抜いていると、本当に負けちゃうわよ)

 雪も目線でそう言い返していた。そんな挑むような雪の顔に、進は苦笑すると、竜介に提案をした。

 「そうか、わかった。じゃあ、こうしよう。俺がまたミスなしだとお前がミスなくても同点になってしまう。だから、もし同点だったとしても、お前の勝ちっていうことにしよう」

 あっさりと言ってのける。まるで進は自分がミスするはずがないとでも思っているかのような発言である。竜介は一層その闘志に火をつけられた。

 「わかりました! 艦長こそ、後でそう言ったことを後悔しないでください!」

 「肝に銘じておこう」

 進はそう答えると、先に立って奥へ向かうドアを開けた。周囲の皆は、次の勝負がさらにエキサイトしそうだと、ささやきあった。

 「オイッ、土門! 今日ダケハ オマエノ応援ヲ シテヤルカラナ。今度コソ 勝テヨ!!」

 アナライザーが興奮している。いつもいい思いをしている?進に一泡ふかせたいと、竜介の応援に躍起なのだ。雪と佐渡は、顔を見合わせて苦笑するしかなかった。

 「おいっ、そう熱くなるな、土門。カッカとしてしまったらお前の負けだぞ」

 揚羽だけが竜介を落ち着かせようと、なだめにまわっていた。

 (6)

 奥の部屋に入って行くと、そこにはなんと真田が座っていた。

 「やっぱり、2戦目に突入か?」

 真田が二人の顔を見て笑った。

 「真田さんまで……来ていたんですか?」

 自分がやっていることを棚に上げて、進は呆れた顔になった。その顔を見て真田がまた笑う。

 「悪いか? 今朝、土門に会ったらこの話をきいてな。お前に射撃で勝負しようなんてのは、なかなか見上げた根性じゃないか。
 だから土門に少しばかりハンデをつけてやろうと思ってプログラムを少し変更していたんだよ」

 「ハンデ?」

 「このプログラムは、今までの古代の訓練データを解析して、弱点を徹底的に突いた射撃システムなんだ。ここ数日、艦長職が暇のようで体を余しているようだから、ちょっと作ってみたんだが…… ちょうどよかったな、土門」

 真田はニヤリ。竜介はびっくりした顔をしている。

 「真田さんっ!」

 この勝負で初めて進の顔色が変わった。自分の弱点を突くために、真田の改良したプログラムと言うことは、相当手強いに違いないと直感した。

 「あははは…… 今までのキャリアが違うんだ。艦長はこのシステムで、土門は通常のシステムと言うことでどうだ? それくらいのハンデはいいだろう」

 真田の提案に、周囲から拍手が沸いた。

 「そんな……俺は同じでいいです。勝負ですから」

 竜介は遠慮しておずおずと進言するが、周りはうるさい。

 「ソウダ、ソウダ! ソレクライノ ハンデハ 必要デスヨ!!」

 アナライザーが大きな声で言えば、周りもそうだそうだとやんやと騒ぐ。雪ですら少々当惑気味ではあるが、笑みを浮かべている。
 この雰囲気では、進は嫌とは言えそうもなかった。苦虫をつぶしたような顔で、進は了解した。

 「わかりました。いいでしょう」

 進の頭に一瞬自分が負けたときのことがよぎる。なにせ真田のプログラムである。一筋縄では行きそうもない。しかし、乗りかかった船、もう後戻りすることは出来なかった。

 進の了解が取れたことで、真田は頷くと、採点方法を説明した。

 「では、ここでは減点方式を取ることにしよう。満点は1000点。敵の的を撃てなかった場合は、マイナス30点、敵からの攻撃を体に受けた場合は、その倍のマイナス60点。これでいいな」

 二人は頷き、今度は進が決心したように、足を一歩前に出した。

 「じゃあ、今度は俺から先にやるぞ」

 (7)

 進は訓練ルームに入ると、手を上げてスタートを促した。

 「よし、行くぞ!」

 真田が新システムをセットしてスタートボタンを押した。四方八方から攻撃してくるレーザー光線を避けながら、進は的確に仮想の敵を打ち落としていく。序盤では全くミスがない。

 「ほぉ、さすがだな、艦長。自分の弱点をよく知っている」

 真田が外から見て感心した。

 「すごい……」

 さすがに竜介も後の言葉が出ない。進の鍛えぬかれた体が容赦ない攻撃に見事に反応している。

 (ああ、やっぱり太刀打ちできないのか……?)

 竜介ががっくりと肩を落としたその時。ビーという不快な音が鳴った。

 「あ、やった……」

 真田が叫び、皆がおおっ、と叫んだ。機械からの攻撃レーザーが進の足首に当たったのだ。その衝撃で打ち落とすべき的も一つはずしてしまった。大きな減点だった。
 その後は、すぐに体制を取り直して、再び的確な射撃に戻り、進の番は終わった。
 射撃ルームから出てくるなり、進は大きく息を吐いた。

 「ふうっ…… 真田さん、これはなかなかきついですよ! 今までのよりずっと強力だ」

 進の泣きが入って、真田は満足そうだ。

 「あっはっはっは、そうでなくちゃ、開発した甲斐がないだろう。だがその割には頑張ったじゃないか。もっとやられるかと思ったんだがぁ。やっぱりかかっているのもがあると違うのかな」

 真田が雪の方をチラリと見て言うと、

 「もうっ、真田さんっ!」

 雪がぽっと頬を染めて抗議した。

 「俺は別に……」

 進も言い訳しながら、ちょっと照れたような顔で雪の顔を見た。
 「参ったなぁ」とでも言いたげなその顔が、もしもの時は覚悟を決めた、と言っているようで、雪はドキリとした。

 (土門君が調子良かったら…… 勝っちゃうかもしれないの? そうしたら、本当に?)

 雪はそっと竜介の方を見た。

 (8)

 真田が、進のデータを読み上げた。

 「えっと、艦長の点数は、1000点満点中、910点だな。じゃあ、今度は土門の番だ」

 「は、はいっ!」

 返事をしてからチラッと雪の顔を見た。雪は心配そうな顔でこっちを見ている。

 (雪さん、俺が艦長に勝ったら困るからそんな顔をしているのかなぁ? それとも、俺のこと少しは心配してくれてるとか? ああ、わからん!!
 けど、これはチャンスだぞ!! システムは俺の方が簡単だし…… よぉしっ、今度こそ勝ってやる!)

 竜介はもう一度雪のほうをじっと見てから、勇んで入っていった。

 中から竜介が手を挙げていよいよスタートだ。
 竜介も序盤は難なくクリアしていった。確かにそのシステムはさっきの進のよりは簡単だ。それは外から見ているクルー達の目にも、明白だった。

 中盤を越えた頃、ギャラリーたちの心の中に「もしかしたら、土門が勝つかも?」という思いがふつふつと沸いてきた。
 それはもちろん、竜介と進の心の中でも同じ思いが走っていた。

 (土門の奴、減点なしでクリアしてしまうのか!?)

 (この調子で行けば、ミスなしで行けるかもしれない!!)

 一人の心は期待に踊り始め、もう一人の心には不安に重くなり始めていた。

 (9)

 竜介はミスのないまま終盤に入った。中を見つめる進の握った手のひらに汗がじわっとにじんできた。ぎゅっと唇を閉じたまま、竜介の射撃の様子を見つめている。

 雪も応援していいのか、どうしていいのかわからない。すがるように進を見たが、彼は振り返ることはなく、じっと部屋の中の竜介の動きを見ていた。

 そして……野次馬達の期待する声がだんだんと大きくなっていく。

 「土門っ!行けっ!! もうすぐだ!」

 そんな声援が飛び始めた。竜介も、もう終盤に来ていることはわかっていた。

 (よしっ! もうすぐ終わりだ。このまま行けば……雪さんのキスが貰える!? ああ、どうしよう!!)

 すぐ未来に来るべき幸福に身を振るわせた瞬間、竜介に一瞬の隙ができてしまった。

 「ん!?」

 進が眉を動かした。と同時に、攻撃レーザーが竜介の肩を掠めた。ビーと言う不快音が響いた。

 「ああっ……」

 見ていたものが揃って声をあげた。竜介の動きが一瞬緩慢になった。その瞬間攻撃を受けてしまったのだ。さらに竜介はその発射元も撃ち損じてしまった。

 (しまった!!)

 竜介の心に大きな動揺が走る。もうすぐクリアできると思っていた気持ちが一気に焦りに変わってしまう。
 進がすぐに体制を整えて、次の攻撃に対処したのとは対照的に、動揺と焦りが彼の行動を支配する。

 このミスだけで終われば勝てるはずだったのに、竜介は自滅した。その後の対応振りは、もう見る影もなかった。

 外で見て落胆の声をあげるクルー達の間で、進は自分が勝ったことを喜ぶでもなく、険しい顔で竜介の様子を見つめていた。

 (10)

 射撃を終えて出てきた竜介は、肩を落とし、顔色も真っ青だった。周りもかける言葉がない。真田が残念そうに結果を告げた。

 「土門の成績は、790点。この勝負も古代艦長の勝ちだな。俺はこれで用があるから失礼するが、土門、最後の勝負頑張れよ!」

 立ち去る真田に「ありがとうございました」と頭を下げた後、竜介は悪態をついた。

 「くそっ!」

 竜介が腕を大きく振ってその悔しさを体一杯に現す。そこに、進が近づいてきた。

 「残念だったな、土門」

 進の声が静かに響いた。竜介が悔しそうな顔で進を仰ぎ見た。

 「お前、あのミスした時、勝ちを意識しただろう? 雑念をいれるから、リズムが狂うんだ。それに、その失態からすぐに立ち直れない。実戦で小さなミスでそんなに動揺していたら、お前はすぐに蜂の巣だぞ! やはり、まだまだだな……」

 「うっ……」

 竜介の心の中をあたかも見たかのような進の指摘だ。当たっているだけに言い返せない。同情したような顔で見つめる雪の顔が見えると心が痛かった。

 (11)

 「どうする? 土門。もうやめるか?」

 揚羽が気遣わしげに声をかけた。さっきの進の指摘ですっかりうつむいていた竜介だが、すぐにぶんぶんと大きく首を振った。

 「やめるもんか! あと1回チャンスはあるんだ!」

 進を再び見返した。進は、ふっと笑みを浮かべる。そうこなくては、というところだ。

 「ふむ…… それで今度は何で勝負する気だ? そうだなぁ、お前は俺より若いんだから、体力勝負ならなんとかなるかもしれんぞ。艦内マラソンでもしてみるか?」

 口では体力勝負ならそちらが上、と言いながら、進に勝算があることは、その顔つきからは明らかだった。

 しかし竜介は既に3戦目の内容を決めていたようで、静かに、進を見返した。

 「いいえ、最後は…… 一緒にこちらに来て下さい」

 竜介は何をするとも言わずに、歩き始めた。進の後にはギャラリーたちがぞろぞろと続く。
 そして竜介が行きついた先は、食堂だった。進があたりを見まわして不思議そうな顔をし、ちょっと首をかしげて尋ねた。

 「なんだ? 土門。早食いか大食いの競争でもするつもりか? 食糧事情を考えると感心しないな」

 「違いますよ。どうぞ、こっちです」

 竜介はあっさりと否定すると、食堂の奥にある調理場の入り口まで歩いて行き、そのドアを指差した。

 「勝負はここで……」

 (12)

 「ここ? 調理場で?」

 と進が不思議そうな顔をしたとき、調理場から幕の内が現れた。

 「おお、来たのか土門。予定通り、お前の2連敗かぁ! わっははは」

 「ま、幕の内さんっ! そんなに笑わないでくださいよっ!」

 竜介が焦るが、幕の内は意に介さない。最後の勝負のことも竜介から既に頼まれていたようで、笑いながら二人を手招きした。

 「準備はできてるぞ。二人とも入ってくれ。衛生上の問題があるから、二人は消毒ルームを通ってきてくれよ。他の見学者は外から見てろよ」

 進と竜介は、素直に幕の内の指示にしたがって、調理場に入った。

 「ほら、これ、エプロンだ。付けろ」

 幕の内が二人にヤマト調理員のエプロンを差し出す。渡されたエプロンを身に着けながら、進が目にしたものは、山積みのジャガイモだった。

 「何をする気だ?」

 「僕のヤマトでの原点です。艦長が生活班に入れてくださったおかげで、僕がヤマトで一番最初に会得したのが、ジャガイモの早むきです。だから、これで勝負してください!!」

 「へっ!? ジャガイモ??」

 進が間の抜けたような顔をした。見物者たちの間でも失笑がもれる。しかし逆に「土門はいい勝負を見つけたんじゃないか?」とか「これなら艦長に勝てるかもしれんぞ」という声も聞こえてくる。

 竜介は生活班としてしばらくこの仕事をしていた経験者だ。それにひきかえ、艦長は元から第一艦橋勤務、調理場の経験など当然皆無だ。
 力で勝てないのなら、アイデアで勝負か…… そんな感想を皆が持った。

 「戦艦の中にはいろいろな部署があって、そのどの部署もなくてはならない大切なものだと教えてくださったのは、艦長、あなたです。その艦長が、ジャガイモの皮むきをバカにするつもりですか?」

 挑戦的な目で進を見る竜介に、進はびっくりした顔をしていたが、次の瞬間、わははは、と大笑いした。

 「よし、わかった。いいだろう。最後の勝負はジャガイモの早むきだな」

 勝負の内容は竜介に任せると言った進である。どんな勝負を挑まれようと、反対する理由はなかった。幕の内も、進のそんな潔い態度に満足した。

 (艦長も、とうとう観念して負けてやる気になったか。竜介、頑張れよ!)

 竜介はもちろん、幕の内もそして見学者の多くも、今度こそ竜介の勝利を確信していた。
 ただ二人、竜介の勝負の相手と、その勝負のネタにされている張本人を除いては……

 (古代君ったら…… ジャガイモの皮むきだって、それって……)

 雪は、勝つ気満々の竜介を前に、顔色を変えない進を見ながら、進の料理の腕を思い出していた。

 (13)

 さっそく幕の内が、説明をはじめた。

 「話が決まったようだな。じゃあ、俺が説明する。ここにジャガイモが50個ずつある。これは明日の昼食のカレーの材料だからな、丁寧にむいてくれ。
 勝負は単純だ。先に50個をむいたほうが勝ち。ただし、俺がチェックして芽や皮が残っているものは、容赦なく元に戻す。迅速且つきれいにむくことが、調理班の大切な仕事だからな。二人ともいいな」

 「わかりました」

 「では、始める。よーい、始めっ!!」

 幕の内の声が食堂に響いた。
 竜介が手馴れた手つきで、一つ目のジャガイモをむき始めた。
 そして、進の方はというと、おそらく1個をむくだけでどれくらいかかるのだろうか?という周囲のある意味では期待を込めた思惑を……思いきり外させる光景を見せた。

 「おおっ!」

 皆から驚きの声が上がる。なんと、進も竜介に負けない手つきでジャガイモの皮をむいているのだ。1個目のむき終わりは、二人ほぼ一緒だった。
 竜介の手が止まった。その目は、二つめを掴もうとする進の手先に引きつけられた。

 (ど、どうして……? 艦長が??)

 そんな竜介の顔に気付いた進が、ニヤリと笑った。

 「おい、土門。鳩が豆鉄砲くらったような顔してないで、次を早くむいた方がいいぞ。それとも、もう俺の勝ちを認めるのか?」

 進の言葉に、竜介も我に帰った。そうだ、今は進がどうしてそんなに上手にむけるのかを悩んでいる暇はないのだ。とりあえず、むき続けなければならないのだ。
 竜介も、2個目をむき始めた。

 進の思わぬ善戦に、幕の内を始めギャラリー達は一旦はぽかんとしてしまったが、一進一退の白熱した勝負に再び集中し始めた。
 空いた方の大きなボールに皮をむかれたジャガイモがどんどん放り込まれる。それを幕の内が丁寧にチェックするのだ。
 たまに、幕の内にイモを戻されたりしながら、二人は黙々とジャガイモをむいていった。

 食堂側から見ているギャラリーたちはただ黙って見つめるばかりだった。

 そして、進が最後の1個をむきおわった時……竜介は……
 まだその最後の1個をむき始めたばかりだった。

 「古代艦長、終了!!」

 無常にも、幕の内のそんな声が食堂中に響いた。

 「あっ……」

 竜介は最後の1個を、ころんとボールの中に落としてしまった。

 (負けた……)

 アイデアで勝負したはずの三番目の挑戦も、竜介の敗北に終わってしまった。

 (14)

 「あ〜あ……」

 周りから一斉に落胆の声がした。呆然とする竜介に、進がナイフを置いて近づいてきた。

 「残念だったな、土門。だが、最後もなかなかいい勝負だったよ。よく頑張ったな」

 「艦長が……こんなにうまいなんて……」

 竜介が視線を中に浮かせたまま、ぽつりとつぶやいた。進は竜介の肩をぽんと叩いてにっこりと笑った。

 「あのな、お前の憧れの彼女と付き合うにはなぁ。こういうこともできないとダメなんだよ。お前も知ってると思うがな、彼女は結構人使いが荒いんだ」

 笑顔でウインクする進に、雪が真っ赤になって抗議した。

 「古代君っ!!」

 「は……はは……」

 竜介は引きつった笑いを浮かべながら、二人のやり取りを見つめていた。
 すぐに雪の抗議を振りきった進が竜介の方を向いた。すでに顔は真顔に戻っている。

 「土門、お前の負けだ。だが、どれもなかなかいい勝負だったよ。お前はこの航海で本当に成長したと思う。またいつでも勝負したかったら、相手になってやるぞ!」

 「はい……」

 「いつか俺を負かして、その時もまだ雪がいいというのなら、キスでもなんでも好きなこと頼むんだな。
 だが、それまでは、俺の雪には一切手を触れさせん。いいな!」

 進の声が、竜介の心に鋭く突き刺さる。ある程度予測していたこととはいえ、やはり負けは辛かった。竜介は唇をかみ締めながら頷くのがやっとだった。

 「……わかりました」

 「行くぞ、雪」

 進は竜介にそれだけを言うと、雪を促して食堂を後にした。

 「土門、よくがんばったよ……」

 呆然と立ち尽くす竜介に、揚羽が声をかけ、他の同僚たちも、次々に慰めの言葉をかけていた。
 しかし、竜介にはどの声も遠くにしか聞こえなかった。

 (今度こそ、もし勝負することがあったら、絶対に勝ってやる!)

 一人心に誓う竜介だった。

 (15)

 その夜、食堂でひとりコーヒーをすする竜介に近づく影があった。

 「土門君……」

 顔を上げると、そこには雪が立っていた。手にはコーヒーカップを持っている。

 「ここ、いいかしら?」

 「はい、い、いいえ……」

 今朝の進の言葉が頭にリフレインされる―俺の雪には一切手を触れるな―
 雪は竜介の答えに構わず、向かいに座った。竜介の顔がこわばるのを見て、雪は気遣わしげに話しかけた。

 「艦長の言ったことなら気にしないで。土門君、ごめんなさいね。なんだか、あなたにとても悪い事してしまったみたいで……」

 竜介は恥ずかしくて前が向けない。うつむいたままだ。

 「こちらこそ、失礼なことを言ってすみませんでした。負けるのは、ある程度予想してましたから…… それに、自分の気持ちを伝えられて、それで……十分なんです」

 竜介が言葉を選びながら、一生懸命話した。雪はそんな姿に思わず笑みをもらした。

 「……ありがとう。こんなこと言うと誤解されても困るんだけど…… 私、土門君のこと好きよ」

 「!!」

 竜介がはっとして顔を上げた。

 「でも……艦長……古代君は…… 私にとってかけがえのない人。あの人がいないと、私は生きていけないくらい……」

 ほんのりと頬を染めて話す雪は、いつにも増して美しかった。女は愛する人のことを思う姿が一番美しい。

 「わかっています」

 「土門君にも、いつかきっとそんな人と巡り会う日が来るわ」

 「…………はい」

 そして後はもう二人とも言葉がでなかった。二人は、黙ったまま、静かにコーヒーを飲んだ。
 竜介には、今ここでこんな風に話しかけてくれる雪の優しさが何よりも美味しかった。

 「じゃあ、土門君、おやすみなさい」

 飲み終わって、立ちあがった雪に、竜介が尋ねる。

 「あの、一つだけ聞いてもいいですか?」

 「なぁに?」

 「艦長って、料理とかって……うまいんですか?」

 その問いに、雪がくすっと笑った。

 「あ、ああ…… あのジャガイモ勝負? うふ、土門君とってもいいアイデアだったのにね。彼も言ってたけど、彼が上手になったのは私のせいね。
 地球で暮らしてた時に、彼によくお料理手伝わせちゃっから…… 家では、野菜の皮むきって彼の仕事だったのよ。
 お料理もねぇ。最初はそんなに上手じゃなかったのよ。でも彼って結構おだてに弱くてね。うまく乗せたらすっかりその気になっちゃって。私が仕事の時にはよくご飯も作っておいてくれるのよ」

 「へぇぇぇ……」

 「意外だった?」

 「はい…… もっと、なんにもしない人かと……」

 「うふふ…… そうでもないのよ」

 進のことを思って微笑む雪の顔は、まぶしいほど美しかった。

 竜介は思った。この二人は出会うべくしてあった運命の二人なんだと…… この二人の間を裂くことなど出来ないということを……

 (だけど…… それでも雪さんは俺の女神なんだ。もうキスなんて貰えなくなっていい。俺は雪さんが立派だと認めてくれるような男になりたい!
 そのためにはまず、この航海を必ず成功させなくては…… 地球を救ってみせるぞ!
 死んだ父さんや母さんのためにも、そして、雪さんが無事に地球に戻って幸せになれるように…… それが、艦長(あのひと)との幸せであっても……)

 竜介は、食堂から出て行く雪の後姿にそう誓うのだった。

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(背景:トリスの市場)