女神のくちづけ

−第3章− 彼の最期

 (1)

 その後もヤマトは太陽系に向かってひた走りつづけた。そして、2204年8月17日。いよいよ、明日には太陽系に到着することになった。

 あの勝負の後、数日間は二人の壮絶な対戦の噂話が艦内で盛んに行われていたが、それも日を追うごとに静かになっていった。
 進はもちろん、竜介も雪も、それで気まずくなるようなこともなく、それまでと変わることなく過ごしていた。

 第一艦橋には、久々に艦長の進を始めメインクルー全員が集まっていた。もちろん、竜介の姿もそこにあった。
 進は珍しく艦長席に付き、そこから皆に訓示を行っていた。

 「いよいよ、明日、この次元トンネルを抜ける。地球時間の9時頃には太陽系のすぐ外、第11番惑星軌道から10万宇宙キロの地点に到着する予定だ。
 到着し次第、太陽目指して全速で航行し、翌朝5時には太陽を射程距離に入れ、ハイドロコスモジェン砲の発射準備に取りかかる。
 この一発が、地球の未来を握っていることを忘れないように、みな最後まで気を抜かずに頑張ってもらいたい」

 「はいっ!」 「了解しました!!」

 全員が意気込んで返事をした。進はうんと頷くと、真田を見た。

 「真田さん、ハイドロコスモジェン砲の準備はOKですね」

 「大丈夫だ。いつでも発射できるようにしてある。発射は波動砲への回路を一時的に切り替えるようにしてある。戦闘指揮席のトリガーで発射することができる。
 それから、発射までのプロセスは土門に命じてあるから、そこの席で操作してもらえばいい」

 進がまた深く頷き、今度は竜介を見た。

 「土門、操作手順について抜かりないな」

 「はいっ!! 地球を救うための大切な作業です! 何度もチェックしました。問題ありません!」

 「うむ、よろしく頼む」

 進の熱い信頼の視線が、竜介に注がれた。それを竜介は誇らしげに受け止めている。

 (古代君と土門君。なにかとてもいいコンビ…… あの勝負で、気まずくなるどころか、かえって気持ちが通じ合ったような気もするくらい…… よかった)

 二人の様子を見ながら、雪は安心したように笑みを浮かべた。

 (2)

 そして次の日ヤマトは無事に太陽系内に到着し、地球との交信も復活した。あきらめかけていた司令本部も、狂喜の嵐に包まれていることだろう。後、24時間後には、太陽は元の優しい輝きに戻っているはずだった。

 その夜、いよいよに迫った太陽到着に興奮したのか竜介は眠ることができなかった。少し気分を変えようと、部屋を出て、ふらりと展望室にやってきた。

 すると、そこには先客がいた。揚羽武だった。武は展望室からじっと外を眺めている。今朝やっと次元トンネルを飛び出し、久々に普通の宇宙空間が目の前に広がっていた。

 人の気配に振りかえった揚羽は、そこに立っている竜介に気がついた。

 「土門か…… 眠れないのか?」

 「ああ、なんだか興奮しちまって…… お前こそどうした? コスモタイガー隊はたいした出番もないだろう?」

 「ああ……」

 竜介にあいまいな返事をしたまま、揚羽はまた外を見つめた。

 「あの女神様のことをまた思っていたのか?」

 「…………時々無性にもう一度あの星に戻りたい気持ちに襲われるんだ」

 揚羽が苦しそうに頭を下げた。竜介は彼の肩にそっと手を置いた。

 「揚羽……」

 「いや、いまさらシャルバートに戻ったって、どうすることも出来ないんだ。彼女はもう……いないんだから」

 揚羽が無理にも気丈そうな顔をする。竜介はそれが痛々しくて、わざと冗談を言って励まそうとした。

 「地球に帰れば、いいこともあるさ。お前なんかモテモテだしさぁ。すぐに他の……」

 「あの人に変わる人がいるはずないだろう!」

 竜介の言葉を最後まで聞こうとせずに、揚羽が怒ったように叫ぶ。

 「あっ……ああ、そうだな。すまない。悪かった」

 慌てて謝る竜介に、揚羽はふっとため息をついて穏やかな顔に戻った。

 「……いや、お前に当たったって仕方ないんだ。すまん。なぁ、土門」

 「ん?」

 「ルダ王女は、マザーシャルバートとして皆の心に生き続けると言っていた。つまり、彼女は魂だけの存在になったということなんだろうか?」

 「……さ、さぁ」

 竜介にはそんなことはちんぷんかんぶんだ。首をかしげるばかりである。

 「なら、もし……俺が死んだら、魂だけになったら、もう一度彼女に会えるんだろうか」

 「あ、揚羽っ! お前まさかバカなことを考えてるんじゃ?」

 竜介が色めき立って、ぎろっと揚羽を睨んだ。そんなことはさせないぞ、と言わんばかりだった。
 だが、揚羽は口元をわずかにゆがめただけだった。

 「いや、別に犬死するつもりないし、自殺しようとかそう言うんじゃない…… ただ、俺もこんな仕事をしている以上、命の危険にさらされることもあるってこともあろうだろう。でももしそうなったとしても、あの人に会えるんだって思うと、もう、何も恐れるものはないような気がする」

 「そうか、そうかも……な」

 自分の早とちりに焦りながらも、竜介はほっと安心した。その竜介を今度は揚羽が同情を込めた目で見る。

 「お前も、まだ辛いんだろう?」

 「ん…… いや、俺は…… 元々かなわぬ恋だったし、班長が幸せになってくれればいいんだ。だから、そのために必ず地球を救わなくてはって思ってる」

 竜介が照れたように笑う。もう忘れないといけないものだ、と自分に強く言い聞かせているのだ。

 「そうか、そうか。お前はなんていい奴なんだ! 森さんの代わりに俺がキスしてやりたいくらいだよ!!」

 揚羽が竜介の両肩を掴んで可笑しそうに言った。

 「うっ、うわぁぁっ!! やめてくれ! 俺はそんな趣味ないぞ!」

 「ははは、冗談に決まってるだろ。だがもし、ハイドロコスモジェン砲の発射を邪魔する奴がいたら、俺がどんなことをしても阻止してやるからな。安心してろ!」

 「ああ、頼んだぞ。しかし、コスモタイガー1機じゃあ、ちょっと頼りないなぁ」

 「ああっ、言ったなぁ」

 「あっはははは……」

 互いに互いの心の傷を思いやるように、勇ましい話題と冗談で、大笑いする二人だった。

 これが彼らがこの世で交わした最後の会話だった。

 (3)

 8月19日午前4時。ヤマト艦内は、緊張の瞬間を迎えようとしていた。同じ頃、地球でも灼熱の地上から逃れた人類が、地下都市からヤマトの成功を固唾を飲んで見守っていた。

 第一艦橋では、すべての装置の最終確認をほぼ終えようとしていた。

 「土門、ご両親の敵討ちだな。頑張れよ!」

 「はいっ!!」

 発射時間が刻々と近づいていく。竜介の心臓もそれに合わせるようにどんどんその鼓動を高めていった。気持ちも高揚する。しかし、どんなに興奮しても、この作業だけはこの前の勝負の時のような無様な姿を見せるわけにはいかない。

 発射10分前になった。島が、艦首を太陽の中心部分に正確に向けられたことを報告した。進は、艦橋内のクルー達を一瞥し、最後に雪に視線を合わせた。雪もまっすぐに進を見返してきた。
 そして竜介も、さりげなく後ろを向いて、雪の横顔をじっと見つめた。彼女の視線の先には、もう艦長しか見えていないことはわかっている。それでも心の中で彼女に向かって宣言していた。

 (班長! いや……心の中だけは雪さんって呼ばせてください。雪さん!! 僕は必ず地球を救ってみせますから、見ていてください!!)

 その思いが通じたのか、雪がちらっと左を向いた。竜介と視線が合う。すると、雪は美しい笑顔を竜介に送ってくれた。

 (土門君、がんばって。応援してるわ)

 竜介の心には、その笑顔がそんな風に言ってくれているように思えてならなかった。

 そして発射直前。既に自席のチェックを終えた進は、立ち上がって隣の席の竜介の肩に手を添えて静かに言った。

 「最終チェックにはいる」

 「はいっ!」

 各部署に再度確認を入れて、最後に竜介が叫んだ。

 「発射準備完了!!」

 「よし!! カウントダウン」

 (4)

 事件は発射2秒前に起こった。突然ヤマトが大きな衝撃と共にその艦体を揺すられた。ワープアウトしてきたボラー連邦の艦隊が、攻撃してきたのだった。
 ヤマトは艦首の方向をずらされ砲の発射ができなくなってしまった。

 「全艦戦闘用意!! 土門! ハイドロコスモジェン砲を格納しろ!」

 「はいっ!」

 進が叫ぶ。この砲塔を破壊されたら大変なことになる。竜介は即座に作業を行った。

 戦況は不利だった。ボラー艦隊の後方に現れた機動要塞が新兵器ブラックホール砲を駆使して攻撃してきた。

 (くそっ! こんな時にっ!!)

 心の中で悪態をつく竜介の気持ちは、皆と同じだった。しかし、敵の攻撃は執拗だった。ヤマトは小ブラックホールに吸い込まれそうになる。
 エンジン全開の状態でも、動けず四苦八苦しているその時、デスラーの艦隊が現れ、ボラーの艦隊を一気に片付けた。

 「ボラー連邦との戦いは私に任せて、古代、君は一刻も早く太陽を……」

 その一言に、進は感謝し、再度ヤマトは太陽制御の作業に入った。

 (5)

 進は戦闘指揮席に座ると、再び竜介に指示を出した。

 「土門! ハイドロコスモジェン砲オープン!!」

 「はいっ!」

 続いて、敵からハイドロコスモジェン砲を守るためのコスモタイガー隊の発進の指示を出す。ボラーの艦載機がヤマトに接近していた。

 「加藤!コスモタイガー隊出撃!」

 竜介の目の前を、発進したコスモタイガーが飛び立って行った。その中には、揚羽もいるはずだった。

 (揚羽、頼んだぞ! お前の出番だ!! 女神様が守ってくださってるはずだ、負けるなよ!)

 そして竜介は、視線を自分の手元の操作盤に移した。再び最終チェックから始める。順調に手順が進み、竜介は再度砲を収納しているカプセルのオープンスイッチを押した。
 しかし、どうしたことか、そのスイッチにカプセルは全く反応しなかった。

 (!? どうしたんだ!!)

 あちこちのスイッチを押してみるが、全く反応がない。竜介に焦りが出始める。

 島は再びヤマトの艦首を太陽にまっすぐに向けた。しかし、ハイドロコスモジェン砲を覆うカプセルが依然開かなかった。とうとう進が叫んだ。

 「土門、まだ開かないのか!」

 (6)

 竜介は、装置をどんどんと叩いて、何とか反応を示さないかと必死の様相で取り組むが、徒労に終わった。唸るように、叫んだ。

 「艦長! カプセルの開閉システムが作動しません!!」

 「なにぃ!?」

 「ショックで故障したのかもしれません!」

 そう答えながら、竜介の頭の中に「地球を救わなければ」という熱い思いが体を突き動かした。父や母のために、地球のみんなのために……
 そして何より、心から敬愛する生活班長のために……

 「調べてきます!!」

 竜介はその言葉を言い切らないうちに、立ち上がって第一艦橋の出口に向かって走り出していた。
 進の怒声が竜介の後姿を追う。

 「土門っ! 今は危険だ!! 戻れっ!!」

 今は敵の艦載機が上空を飛行してコスモタイガーと戦っている。進は、竜介の身の危険を危惧したのだ。
 しかし、竜介の頭の中を支配した使命感は、進の制止を無視するようにと自身に指示を出した。
 竜介は、その声が聞こえなかったかのように、振り向きもせずエレベータに消えていった。

 「ども〜〜ん!!!」

 進の声とメインクルー達の視線は、閉じられたエレベータの扉に、冷たく跳ね返されるばかりだった。

 今、艦長の進は当然のことながら、ここのクルー達は、誰一人として自分の持ち場を離れるわけにはいかない。竜介を追って行って助けることも止めることもできないのだ。ただ、竜介の無事を祈るばかりだった。

 (土門君……どうか、無事で)

 雪も同じ思いでその姿を見送った。

 (7)

 竜介は走っていた。甲板に出て、周囲と上空を確認すると、開閉システムの制御盤目指してひたすら走った。
 体中を血液がものすごい勢いで駆け巡っているような非常に高揚した気分になっていた。

 (俺は、俺は……絶対に俺の手で、地球を救って見せるんだ!!)

 竜介が開閉カプセル付近に近づいた時、一機の艦載機がその姿を捉えて攻撃をはじめた。竜介もそれに気付いて、カプセル影に隠れるように逃げた。
 その様子は、第一艦橋から様子を見ていた進と雪の目にも入った。

 「土門っ!」

 進の口から思わず叫び声が漏れる。雪の瞳が揺れた。

 そして同時に、コスモタイガーに乗っていた揚羽もそれを見つけた。すぐに機体を翻して敵機の攻撃に入るが、微妙なタイミングで避けられてしまった。

 その時…… 敵機から、一本のレーザービームがカプセルに周りこもうとした竜介の背中を貫いた。

 進の……雪の……そして……揚羽の目が、ばったりと倒れた竜介の姿をはっきりと捉えた。戦闘機のレーザービームがどれくらい強力なものかは、宇宙戦士なら誰でも知っている。
 つまり……それをまともに受けたと言うことは、間違いなく致命傷であった。

 (8)

 「土門……!」

 涙で目が潤みながら、揚羽がその憎い敵機を撃破する。そして、竜介を見た。彼はなんとか開閉カプセルの制御盤まで到達しようと、もがきながら這い進んでいる。
 揚羽は、昨夜の竜介との会話を思い出していた。

 『ハイドロコスモジェン砲の発射を邪魔する奴がいたら、俺がどんなことをしても阻止してやるからな。安心してろ!』

 揚羽が竜介にした約束だった。今、ヤマトの太陽制御を阻止しているのは、あの巨大要塞だ。あれをなんとか破壊しなければならない。デスラーですら苦労しているあの要塞を……

 そのためにどうすればいいのか…… 揚羽は、目前の巨大な要塞を睨んだ。そこから発射された小ブラックホールがデスラー艦周辺で広がり、その攻撃を阻止している。

 (そうだっ! あの恐ろしい砲塔さえ破壊すれば、デスラーにも勝ち目がある…… よぉしっ! 土門っ! 俺が命に代えても、お前の最後の仕事を助けてやるっ!!)

 親友をあんな目に合わせた敵への怒りと家族のいる地球を救いたい思いが、揚羽の行動の全てを支配し、自らの身の危険など、既に心にはなかった。

 「くっそぉぉぉぉ!!」

 揚羽は機首をブラックホール砲の発射口に向け、そのまままっすぐに突進していった。

 それに気付いた加藤が大声で叫ぶのが通信回路を通して聞こえてきた。しかし、揚羽は止まらなかった。

 「ルダ・シャルバート……ルダ・シャルバート……お守りください」

 心が決まると、なぜか不思議と心が安らいでいくような気持ちになる。そして、目前の砲塔にかぶさるように、あの愛しのルダ・シャルバートの姿が見えてくるような気さえしてくる。

 「ルダ…… 僕はあなたを愛しています…… ルダ……」

 揚羽はまっすぐに砲塔に飛び込んだ。そしてそこで全ての攻撃手段を解放した。

 砲塔は破壊され、そして……揚羽も光に包まれた。

 揚羽武は魂となって、恋しい人の胸に帰っていった。

 (9)

 「揚羽……」

 進がつぶやいた。彼の行動の一部始終が加藤からの通信で伝えられた。
 悔しい思いは誰もが同じだ。それからもう一人の若者も心配だ。

 第一艦橋では、早く竜介のところへ行きたい気持ちを無理やりに抑えて職務を遂行しつづけるクルーたちがいた。
 ヤマトの目的は、ただ一つ――地球を救うこと――そしてそのためには、一刻も早く太陽の異常増進を止めなけねばならないのだ。そのために、ヤマトはここにいるのだ。
 それを一番痛感しているのは、艦長の進だった。うずうずと走り出しそうになる体を、必死の思いで抑えている。

 そんな彼の視線に、甲板上で倒れた竜介が、わずかに動いている姿が入ってきた。なんとかして、装置の障害を直そうと必死になるその姿は、進の胸を強く打った。

 「どもん……」

 進は今どうすることも出来ない自分を心の底から歯がゆく思った。

 甲板では苦しい息の中、竜介はなんとか破壊された制御盤のところまで到達し、震える手を伸ばした。

 「これ……だ!」

 そして……ちぎれていた回線を見つけて結びつけた。

 (10)

 若者達の尊い命をかけた戦いは、今、デスラーの一撃で終わった。ボラー連邦の機動要塞が、ハイパーデスラー砲によって、破壊された。
 その瞬間を、進が艦橋の窓から確認したと同時に、操作盤に貼りついていた真田の声がした。

 「古代! ハイドロコスモジェン砲が出たぞ!」

 進が、真田の声にはっと我に返って席に座った。島が叫ぶ。そうだ、今がその時だ。彼らの思いを全て込めて、地球を救う……今がそのチャンスの時である。

 進は雪を呼んだ。

 「俺の手に手を添えてくれ…… そして祈ってくれ」

 なぜなら、彼女は……進にとって女神であり、竜介の女神であり……そしてヤマトと地球を守る女神なのだ。
 トリガーを握る進の手の上に雪の手が重なり、暖かいぬくもりが進の背中に伝わる。そしてその胸の中にある熱い思いも込めて、二人は発射トリガーを握った。

 そして……全ての願いを込めた一撃が、太陽の怒りを静めた。全人類の祈りは通じ、地球は……救われた。

 (11)

 「やったぞ!! 成功だ!!」

 真田が叫んだ。その声に、第一艦橋内に歓声が上がった。進と雪も皆とともに微笑み、安堵の息を吐いたが、すぐに二人の顔つきは変わった。

 「土門っ!」

 進が走り出した。雪も後を追う。その雪に向かって進が背を向けたまま叫んだ。

 「雪っ! 佐渡先生に連絡して来てもらってくれ!!」

 「わかったわ!」

 雪は後ろから叫ぶと、相原に医務室に繋いでもらい、佐渡に出動を依頼した。
 それが終わると、雪は再び甲板に向かって駆け出して行った。

 (12)

 甲板に倒れていた竜介も、太陽が見る見るうちにその大きさを縮めて行く様子が目に入った。涙があふれてくる。

 「父さん、母さん、俺はやったぜ!」

 父と母にそう告げると共に、憧れのあの人にも幸せが訪れることを心から喜んだ。しかし、それと同時に自分の体がもういうことがきかないことも感じていた。

  (雪さん…… もう一度会いたい。だが、俺はもう……だめかもしれない。もう、体の感覚がない……)

 今、竜介の目の奥に浮かぶのは、雪の笑顔だった。

 (艦長ともう一度勝負したかったなぁ。俺の望みが叶うなら、もう死んだって本望なのに…… なぁ、揚羽……)

 竜介は薄れいく意識の中で、揚羽があの女神と一緒に微笑みあい、そして、念願のくちづけをかわしている姿が見えたような気がした。

 (揚羽…… お前は願いを叶えたのか?……)

 (13)

 進が甲板に出てみると、ハイドロコスモジェン砲のすぐ近くで竜介は倒れていた。進はすぐに駆けよって体を起こした。

 「土門!!」

 進に抱き起こされ、大声で呼ばれて、竜介はゆっくりとその瞳を開けた。
 後ろから、雪と佐渡が駆けつけてきた。雪もその竜介の痛々しい姿に、悲鳴に近い声をあげた。

 「土門君!」

 竜介は、今わの際に会いたいと思っていた人が現れたことを、神に感謝した。彼の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。そして、微笑みながらゆっくりと自分の思いを伝えた。

 「艦長…………、生活班長…… お世話になりました。これからは僕の分までお幸せに……」

 やっとそれだけを言うと、竜介はがくりと脱力してしまった。

 「土門!!!」

 進が叫び、佐渡が前に出て竜介の様子を見た。が……佐渡はただ首を振るだけだった。

 「ああああああ……」

 その無情な事実に、雪が声を出して泣き崩れた。進も力を落としたようにがっくりと肩を落とす。しかし、再び涙に光る目で、佐渡を見た。

 「佐渡先生! なんとかならないんですか!!」

 「…………」

 佐渡は辛そうな顔でうつむくばかりだった。その時、生活班のクルーがストレッチャーを持って駆けつけてきた。それを見た佐渡が静かに言った。

 「とりあえず、中に入れよう。……ここでは何も出来ない。古代、土門をこれに乗せてくれ」

 「はい……」

 進は一縷の希望を抱きながら、竜介をストレッチャーに乗せた。そして、すぐに艦内に引き返す佐渡たちに続いて、医務室に走った。

 (14)

 検査室に入る竜介を見送りながら、進は心の中でばかやろう!と叫んでいた。それは、竜介を止められなかった自分へと、ここまできて命を失いかねない竜介の不運さの両方への怒りにも似た悲しみの思いからだった。

 ほんの10分余りで、竜介は検査室から出てきた。すぐに手術室に入るだろうと言う進の予想を覆し、普通の病室へ向かった。

 「佐渡先生! どうしたんですか? 手術はしないんですか!?」

 進の問いにも、佐渡はなにも答えず肩を落としたまま、ストレッチャーに付き添うばかりだ。一緒に付いて出てきた雪も、進から顔をそむけるように、うつむいている。アナライザーですら、元気がなさそうだった。

 (まさか……もう?)

 「土門!」 「おいっ! 竜介!!」 「どもん!!」

 心配で駆けつけたクルー達から声が掛かる。だが当然返事はない。
 大勢が心配そうに見守る中、進は暗澹とした気持ちで、佐渡たちに続いて病室に入った。

 ベッドに移された竜介は眠っているように静かだった。器具が取り付けられ、心音を示すモニターからは、小さな波形が見えた。
 進は、それに少し安心して、再び佐渡に尋ねた。

 「佐渡先生! どうなんですか!」

 進の再度の請求で佐渡はやっと振りかえって、そして悲しそうな顔をしてゆっくりと首を振った。

 「もう…… 手の施しようが……ないんじゃよ……」

 その言葉に、雪が「うううっ」と泣き崩れる。

 「しかし、まだ心臓は……」

 「動いとる。しかし、まだ生きているのが不思議なほどなんじゃよ…… お前もわかるじゃろう。あの戦闘機の装甲に穴をあけるほどの強力なレーザービームを浴びたら、人間がどうなるかなんちゅうことは……」

 佐渡も今にも泣きそうな顔をしている。進は呆然として言葉が出ない。歴戦の戦士の進には、佐渡の言葉は十二分に理解できた。

 「内臓がほとんどやられている。おそらく、心臓部分は直撃されなかったのじゃろう。わずかに機能しているが…… もう、時間の問題じゃ」

 「そんな……土門……」

 「もう体の感覚もほとんどないじゃろう。痛いのもわからんはずじゃ。苦しまんだけましと思うしかあるまい」

 佐渡は、竜介に背を向けると、部屋の隅まで行って、壁にどすんと手をついた。彼も辛いのだ。

 進はとつとつとゆっくり歩を進め、竜介の寝ているそばまできた。そこには、雪が流れる涙を止められないままただ呆然と立っていた。

 (15)

 進は雪の隣に立つと、竜介の姿をじっと見た。そして、つぶやいた。

 「土門…… 地球は救われたぞ。お前のおかげだ。土門…… 返事しろ!! 土門っ!」

 だんだんと声が荒立って大きくなる。雪の嗚咽も再び漏れ初めた。両手で顔を覆ってくぐもった泣き声が部屋に響く。

 「土門!!」

 その進の叫びに呼応するかのように、竜介の瞳がゆっくりと開いた。

 「土門!? おいっ!」

 竜介の唇が、微かに動く。はっとして雪もそれを見つめた。

 「……か……んちょ……う……」

 竜介ははっきりとそう言った。

 「土門!! しっかりしろ!! もう地球は助かったんだぞ。地球に戻れるんだぞ!!」

 進が励ますように言うと、竜介は嬉しそうに微笑んだ。

 「土門君!! 一緒に地球へ帰りましょう!」

 雪も涙声で声をかけた。竜介は、顔をなんとか二人が見える方向に向けて、再び微笑んだ。

 「いいえ……ぼくは……もう…… 艦長…… もう一度勝負した……かった……です。勝負……して……勝って……」

 そこまで言うと、竜介は目だけで雪の方を見た。進はそんな竜介に、彼の思いを感じて溜まらなくなった。涙があふれてくる。

 「土門…… 今回の勝負は…… お前の勝ちだ」

 「えっ……?」

 竜介の視線がまた進へ戻った。雪はじっと下を向いたまま聞いている。

 「地球を救う俺達の最後の勝負は……お前の勝ちだよ。お前の活躍がなかったら、俺はハイドロコスモジェン砲を撃つことが出来なかった、地球は救えなかったんだ! だから、お前の勝ちだ」

 進は涙をこぼしながら、訴えるように竜介に告げた。竜介も苦しい息の中で、その言葉を受け止めた。

 「お……れ……の?」

 「そうだ。俺の……負けだよ。土門」

 進は、竜介を見てはっきりとそう言った。頬が少し緩む。この後輩を慈しむようなやわらかな笑顔が、進に浮かんだ。

 「ありがとう……ございます、艦長」

 竜介は、はっきりとそう言うと、再び目を閉じた。佐渡が顔を上げて進を見る。雪も顔を上げ、進と竜介の二人を見た。

 「古代君……」

 進は悲しげな笑みを浮かべ雪に向かって頷くと、背を向けて、静かに病室から出ていった。
 佐渡も進の心を理解し、続いて病室を後にした。

 そして、部屋には雪と竜介の二人だけが残った。
 雪の心にも、進の心遣いと佐渡の配慮の意味が十分に伝わっていた。

 (16)

 雪は、一、二歩いて竜介に近づくと、そのそばにそっとひざまづいた。すぐ目の前に竜介の顔がある。
 雪は涙を拭いて竜介に微笑みかけた。

 「土門君……」

 竜介の瞼が再び開いた。

 「よかったわね。あなた、艦長に勝ったのよ」

 「……」

 竜介は、雪に誉められて嬉しそうなそして気恥ずかしそうな笑みを浮かべる。それは雪がいつも知っているあの若い元気な後輩のそれだった。

 雪は再び微笑んだ。その輝く笑みは、竜介にとって何物にも変えがたいほどの神々しい笑顔だった。

 「約束だったわよね……土門君」

 「?」

 「目を閉じて……」

 竜介は言われるがままにそっと目を閉じた。

 「!!」

 ピーピーピー……竜介の心臓波形のモニターが一時的に大きく乱れた。
 そして、しばらくしてその波形は元に戻った。

 (17)

 竜介が目を開けると、そこには光の中に微笑む一人の女神の姿があった。

 (だれ……?)

 竜介にはその姿は、本当に天からやってきた女神のように見える。しかしその顔は明らかに雪だった。

 何か誉めてくれているのが、竜介にもわかった。なんだかよくわらかないが、とてもうれしかった。

 「目を閉じて……」と言われ、素直にそれに従った。その直後、鼻をくすぐる甘い香りがふわっと流れてきて、そして……くちびるに柔らかい感触が伝わってきた。

 溜まらなく甘い香りと天にも昇るような幸福感が竜介を包んだ。

 (これは……女神のくちづけ……なのか?それとも……雪さんの?)

 「土門君……」

 その女神は、頬を染めて微笑みながらそう言った。その声もやはり雪のものだった。

 (雪……さん? やっぱり、この女神様は雪さん!?)

 そう確信すると、竜介は再び舞い上がりそうな幸せな気持ちになった。雲の上を飛んでいるような気持ちというのは、こういうことを言うのだろうか、と竜介は思う。

 (揚羽…… 俺は、もう……思い残すことはないよ。ああ、そうだよ、女神様のくちづけをもらったんだ。だから、俺は……もう…… 死んでも悔いはないよ……)

 (18)

 唇が離れた後、竜介は再びその瞳を開き、雪を見つめた。その表情は、なんとも言えず満足げに見える。そして、竜介は口をゆっくりと動かした。

 「ゆ……き……さ……」

 雪の耳に聞こえるか聞こえないほどの声だった。

 そこまで言った時、竜介の瞳がそっとを閉じられた。その瞳からは、一筋の涙がすーっと流れ落ちる。

 そして…… その直後、モニターは波を打つのを停止し、波形はただの一直線に変わった。

 恐いほどの静寂が広がった。



 「うわぁぁぁぁ……」

 雪の大きな泣き声が室内に響いた。それは病室の外にいた進たちにも聞こえてきた。
 それは、間違いなく竜介の最期の合図だった。



 土門竜介は、地球到着を目前にして、その19年の一生を終えた。
 だがその死に顔は、誰もが驚くほど満足げな幸せそうな微笑を浮かべていたと言う。

おわり

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