夏の宵
あれから幾日が経ったのだろう
二人の日々は淡々と……ただ淡々と過ぎていく
そして あの艦(ふね)は地球にたどり着いただろうか……
あいつは……地球を救ったのだろうか……
夏の宵、地球から遥か遠く離れたこの地で
俺は時折、遠い故郷を思い出す
イスカンダルの夏の宵
人のいない遺跡の周りにも静かに日が暮れる
蛍に似た虫たちが静かに草の合間を飛んでいた
まるで僕の心のように ゆらゆらと揺れながら……
もう帰るまい、帰れない……帰るつもりはない
そう決めた故郷(ふるさと)の星を思う俺の心のように
彼と二人、イスカンダルの古都を歩く
遠い昔の栄光の跡
遠い先祖たちの夢の跡
大勢の人々の様々な声が聞こえてくるような……そんな気もする
イスカンダル……私の愛する星
だけど……
この星に生きるものは、ほんの僅かな小さな虫たちと
あとは……たった二人きり
彼と私の二人きり
私のために全てを捨てて
私のために故郷を捨てた……愛しい人
でも……
彼は時折り、遠い目をする
故郷(ふるさと)を……懐かしむように
あの星を……そしてたった一人の家族を思う彼の想いが……
私にも伝わってくる
ねえ、マモル?
帰りたくなったの?
もしも、帰りたくなったのなら……
帰っても……いい……のよ……
ふと気が付いて、隣を歩く妻の顔を見た
寂しそうな顔……
切なそうな顔……
君は何を思ってる?
誰もいなくて寂しいのかい?
僕だけじゃ心を満たせないのかい?
二人きりじゃ、悲しすぎるのかい?
それとも……
この遺跡が遺跡になる前の、遠い昔に思いを馳せているのだろうか?
僕が地球を思うように、君もイスカンダルを思っているのだろうか
「どうしたんだい、スターシア?」
彼の顔が私を覗き込んだ
優しくてあたたかくて大きなひと……
その胸に甘えて生きてきたこの数ヶ月は……
私にとって極上の日々だった
もう……じゅうぶん、そう私はもうじゅうぶん幸せ
一生分の幸せをあなたからもらったのよ……
「マモル、地球へ帰ってもいいのよ」
「えっ?」それから「わっはっはっは……」
突然彼が大きな声で笑った
その声に、虫たちが驚いて一斉に飛び立ってしまった
私の問いはそれほど滑稽なの?
そんなに……おかしいこと?
私は苦しいくらい切ないのに……
「どうして笑うのですか?」
彼女の言葉に驚いた そして笑ってしまった
まったく……
彼女はそんなことを考えていたのか……
笑い終えて彼女を見ると戸惑いを隠せない様子で僕を見つめている
ばかだな、スターシア
僕はもう……ここで生きていくと決めたのに……
そう、決意したんだよ
「僕はどこにも行かないよ」
でも……
あなたは遠くを見ていたわ
遠い星を……懐かしむように……
大切な家族を思うように……
「でも……」
「あっ……」
戸惑う私の目の前が急に真っ暗になって……
大きくて温かいものに包まれた
それは……彼の広くて厚い胸の中
とっても温かい胸の中……
彼はそっと呟いた
「僕にはもう……君しかいないんだ」
マモル……
「私にももう……あなたしかいないわ」
強く抱きしめたまま、彼のくちびるが私のくちびるに触れた
柔らかくて温かい感触が体中に広がる
アイシテルワ……マモル
スターシア……僕の愛しい妻
僕は時々思い出す
生まれた星の行く末を…… 小さかった弟の行く末を……
だけどもう……
彼の星はきっともう、救われているに違いない
君の差し伸べてくれたその手のおかげで……
そして弟は……立派な大人になっているさ
あの時、別れのあの瞬間に、そう確信したんだ
だから……
僕のいる場所は……君がいる場所なんだ
僕の家族は……君一人なんだよ
君がいない地球には
もう、僕の居場所はないんだよ
愛してる、スターシア
イスカンダルの夏の宵
静かに……本当に静かに暮れていく
今日も何事もなく……なんの変化もない
それでも僕らは幸せなんだ
僕には君がいて
君には僕がいる
そして、イスカンダルには二人がいる……
fin
(背景:トリスの市場)