Second Anniversary には花束を……
そして、1月15日。問題の2年目の結婚記念日。進は、今日の午後3時帰還予定だった。
雪は今日と明日の2日間の休暇が取れ、自宅で守と一緒に過ごしていた。
休みが取れたので、二人で迎えに行こうかと思っていたところ、昨夜進から連絡が入って、「帰りに寄りたいところがあるから、家で待ってろ」と言われてしまった。
もちろん、予想通り、結婚記念日の話題はでなかった。雪は、こちらから切り出そうかとも思ったけれど、やっぱりくやしいからやめることにした。
時計を見ると、午後4時30分。進が、そろそろ帰ってくるころだ。
雪は、さっきまで一生懸命おっぱいを飲んで、満腹になるとおネムに入った守の頬をちょんとつつきながら、語りかけた。
「守…… もうすぐパパが帰ってくるわよ。楽しみね。帰ってきたら、ご機嫌で目を覚ましてね……
でも…… パパ、やっぱり2年目も忘れてるみたいよ…… 期待はしてなかったけど、でもね、ちょっと寂しいわ。ねぇ、守」
守はぐっすり眠っていて、母の愚痴など何も聞こえてはいない。気持ち良さそうに寝息を立てている。
「ふふっ…… かわいいっ! また、パパ、帰ってきたら大騒ぎね。そうだわ! もし、覚えてなかったら、明日は丸1日、守の世話をしてもらおうっと。ママは買い物に行って、一杯買って、一杯美味しいもの食べてきちゃうもんねっ!」
一人、そんなことを言って笑っていると、玄関のベルの音がした。
ピンポーン!……………………
バラの花束を抱きしめたままの雪の肩を、進はそっと抱き寄せた。
「こんなところで突っ立ってないで、中に入ろう」
雪は、こくりと頷き、軽く夫に体を持たせかけながら、一緒にリビングに入った。恋人時代の二人なら、このままソファに倒れ込んでキスを繰り返し、そして……外の明るさなど気にもせずに、愛し合うところなのだが……
リビングに入ると、そこには守が気持ち良さそうに眠っていた。進は雪から離れると、さっそくそばに駆け寄った。
「おっ、守!! 良く寝てるな。またずいぶん大きくなったなぁ。顔つきも変わったんじゃないか? 誰に似てるのかなぁ? やっぱり俺かな? なぁ、雪!」
嬉しそうに目じりを下げる夫を見ながら、雪は、やっぱり子供ができるとこんなものね、とため息混じりに笑う。
そして、貰った花束をテーブルに一旦置いて、それを入れる花瓶を用意し始めた。
後ろでは、夫が愛しそうに、息子の顔を覗き込んでいる。それもまた、幸せな夫婦のひとときなのだ。
「うふふ…… なかなかハンサムでしょう? 最近はよく笑って愛想もいいのよ。この子なら、きっとプレイボーイになるわ」
「あっははは…… じゃあ、名前通り兄さんそっくりじゃないか」
「まあっ! 守さんに叱られるわよ。さ、お花、飾れたわ。あなた、本当にありがとう」
花を活け終わった雪は、進の隣に来て、その頬にチュッとキスをした。
「ん…… あ、いや…… 去年はすっかり忘れてたからなぁ。お詫びも兼ねてね。けど、やっぱり、そういうのを買うのは恥ずかしかったよ。もう最初で最後だぞ」
照れくさそうに進がぽりぽりと、頬を指で掻いた。
「うふっ、はいはい、わかりましたっ! で、私からのお礼は何をすればいいのかしら?」
「ん? ああ、そうだなぁ」
進はグイッと雪を抱き寄せ、その唇を奪った。
柔らかい感触が雪の唇を包む。進は、妻の唇の甘い味をたっぷりと味わうように、ゆっくりと唇をはわせた。雪の両手が夫の背中を強く抱きしめ、二人はその行為に没頭していった。
そして、進の唇がやっと離れた時、雪の口から吐息のような声が漏れた。
「ああ……」
潤んだ瞳で見つめ返す雪を見て、進は微笑んだ。そして、このまま押し倒してしまいたい欲求をなんとか押し留め、腕時計を見た。
「もう5時になるな…… 雪、飯食いに行こう。レストラン予約してあるんだ」
「えっ!?」
再び目を丸くする雪。結婚記念日を覚えていて、花束を買ってきてくれただけで既に晴天の霹靂なのに、レストランまで予約してくれているという。
「なんだよ、その顔…… 俺だって、それくらいのことはできるんだぞ! ほら、着替えるんだろう、早くしろよ」
「でも……守……」
戸惑っている雪に、進はにんまりとした。
「大丈夫、お母さんに頼んできたから、後で預けによりますって」
「まあっ!」
守を預けることまでちゃんと先に頼んでくれていた夫に、雪はびっくり仰天してしまった。
「それほど、堅苦しいレストランじゃないから、普通のスーツかワンピースくらいでいいぞ。俺もそうするから」
「は、はい…… わかったわ、すぐに用意するわっ!」
驚きと嬉しさの入り混じった笑顔を残して、雪はベッドルームに駆け込んでいった。進はその後ろに続きながら、妻の後ろ姿を満足げにみつめていた。
準備を済ませた二人は、守を雪の母美里に預け、レストランへ向かった。
進が連れて行ってくれたレストランは、イタリアンレストランで、1年ほど前に出来たばかりだという。
テーブル席が10ほどのアットホームなこじんまりとした店で、確かにそれほど気取らなくてもよさそうだ。
だが、料理はなかなかのもの。ちゃんとしたコース料理で、ボリュームも満天、味も抜群だった。
二人は、すっかり恋人気分に戻って、とりとめもない会話と食事を楽しんだ。進が予約時に、結婚記念日だと伝えていたらしく、レストランのオーナーからは、お祝として、グラス一杯のシャンパンと、かわいいイタリアの小物をプレゼントされ、雪は大喜びだった。
「ほんと、とっても素敵なお店ね。進さんどうしてこんなお店知ってたの?」
食事も半ばになる頃、雪は周りの調度品を見回しながら言った。
進としては、妻が店を気に入ってくれてとても気分が良い。得意げな顔で笑った。
「ん? まあな、ちょっと友達に聞いたんだ」
「そう……」
と答えて、雪はニコリと笑った。
瞳がきらりと輝き、彼女の心の中でなにかひらめいたようだった。
だが、すぐにもとの表情に戻り、再びうっとりとした瞳で、夫を見つめた。
「守が生まれてから、二人っきりで食事するのって、初めてね」
ちょっぴり甘えたような声で囁いた。そんな声も進の心をくすぐる。
「あ、そうだったなぁ……やっぱり守がいるとなかなかなぁ。でも、たまにはいいさ。雪もいつも疲れてるだろうし…… 気分転換になるだろう?」
雪は、フルタイムの仕事と育児の両方を一人でこなしている。進としては、手伝いたい気持ちは山々だが、その身は宇宙にあるのだから、如何ともしがたいのだ。
その代わりに、雪の母親が活躍してくれている。そのことは二人ともよくわかっていて、いつも感謝している。
「ええ、ありがとう。ママとあなたのおかげよ」
「ああ、お義母さんには、どんどん頭が上がらなくなるなぁ」
進が苦笑した。彼にとって雪の母は、言葉を悪いが、「最高に愛しき天敵」である。とても大切で愛すべき義母ではあるが、彼女の前に出ると、進はなにかとやられっぱなしなのだ。
それを知っている雪は可笑しそうに笑った。
「うふふ……」 「あははは……」
進もつられて声を出して笑う。そして、ふと雪のグラスを見て、シャンパンがあまり減っていないことに気付いた。
「あれっ? 雪、今日はあまり飲まないんだなぁ」
「ええ…… だって、守が酔っぱらったら困るもの」
「えっ? 守?」
きょとんとする進に向かって、雪はちょっと頬を染めて説明した。男にはわからない世界なのだ。
「おっぱいには、ママの食べたものが何でも出るって言うから……ねっ」
「あ、ああ、そうか。あははは…… そりゃあ困るな」
「でしょ? ふふふ……」
そして、二人は残りの食事を取っていた。最後にコーヒーが出てくると、雪がそわそわし始めた。
「どうしたんだい? 雪」
「そろそろ守のご飯の時間みたい…… 少しおっぱいが張ってきたの。そろそろ帰りましょう」
母の体はちゃんと子供のために出来ている。時間を見ていなくても、体がわかっているのだ。
「あ、そうか、わかった。もっとゆっくりできればいいんだが、そういうわけにもいかないな」
残念そうな進の笑顔に、雪も笑顔を返した。
「私たちも、パパとママになったんだもの。それくらいは仕方ないわ。
でも、今日はもう十分結婚記念日を楽しませてもらったわ。本当にありがとう、あなた」
「はは、そんなに言われると照れるよ。じゃ、行くか」
進は立ち上がって、テーブルのレシートを手にした。雪もその後ろに立つと、そっと夫の腕に手を添え、二人は並んでレストランを後にした。
二人は、レストランを出ると、守を迎えに森家に向かった。
森家の玄関を開けると、まず一番に迎えにくるのは、いずらだ。雪が産休中に貰われてきた小さな子犬だったいずらも、もうすっかり成犬になっている。
彼は、本当は古代家のペット君なのだが、雪が出産のために実家に戻った時に、森家へ一緒について行った。
雪が出産後自宅に戻る際に、仕事のある身で赤ん坊と犬の両方の面倒は大変だろうと、美里の発案でしばらく森家で預かることになった。いずらも、一人で部屋に置かれるよりは美里と過ごせて良いのではという思いもあった。
そして、今ではすっかり晃司や美里と仲良しになっていた。
二人がいずらの大歓迎をかわしつつ、部屋の奥に入ると、守は、おじいちゃんの晃司とご機嫌で遊んでいた。が、両親の顔を見ると、すぐにきゃっきゃと声を出して笑って手を伸ばしてくる。
雪はいとし子に駆け寄ると、抱き上げて、ぎゅっと抱きしめた。雪に嬉しそうに抱かれる守を見て、美里は、「やっぱり、ママが一番なのね」と笑う。
進と晃司も顔を見合わせてニコリと笑った。守は4人の宝物なのだ。
その後、森家で授乳をすませた後、礼を言って、3人は家路についた。
守はというと、満腹になった上に、心地よい車の振動に揺られて、ベビーシートの中で既に夢の世界に入っていた。
家に着き、守をベビーベッドに寝かせると、二人はほっと一息付いた。
時間はもう9時過ぎ。守はもう夜中にはめったに起きない。たぶん、これから朝までぐっすりだろう。
「世は満足じゃって顔して寝てるな……」
ベビーベッドの我が子を覗き込んで、進が笑った。隣の雪も、同じようにその寝顔を覗く。
「ふふふ…… 赤ちゃんは食べて寝るのが仕事だもの。よく寝て、よく食べて、病気らしいものもしないし、夜もぐっすりねるし…… 男の子の割にはやりやすい子よ」
「ふうん、俺と違って、お前はもう親孝行なんだなぁ」
「あら、あなたは子供の頃、お母様に手を焼かせてたの?」
雪が顔を上げて見ると、進は困ったような顔で笑った。
「うん、結構病気がちの泣き虫な赤ん坊だったらしいよ。もちろん、本人は全然知らないけどね」
「そうなの。私も赤ちゃんの時、よくひどい熱をだして、ママを心配させたらしいのよ。守って誰に似たのかしら?」
「さあ……」
顔を見合わせて互いを見る。首を傾げる進を見て、雪はいたずらっぽく笑った。
「やっぱり、名前を貰ったお兄さんかしら?」
「あっははは……そうかもなっ。兄貴は健康優良児だったらしいからなぁ」
雪の言葉を受けて笑ってから、進はそっと肩を抱き寄せた。
「さぁて、俺達も風呂入って寝ようか」
「ええ……」
耳元で囁く声に、びくりと反応して、雪の頬が紅潮する。進の誘い文句が続いた。
「今日は守を風呂に入れなくていいんだから、久しぶりに一緒に入ろう。花束のお礼も、して貰おうかなぁ」
そんな言葉に、やぁね、と言いながら、雪は嬉しそうに喉を鳴らした。
風呂場から、衣擦れの音の後、シャワーの音に紛れてひそひそ声とかすかな笑い声が聞こえてくる。仲睦まじい二人の姿が目に浮かぶようだ。
そして、そのまま体を乾かしバスタオルだけの姿で、ベッドルームへ。
ちらりと、ベビーベッドを見ると、守はぐっすり眠っている。それを確認してから、二人は唇を合わせ、絡みあうようにベッドに倒れ込んだ。
ベッドに押し倒した妻の胸元に、進がそっと手と唇を寄せた。割れ物でも触るように、そっとそっとなぞっていく。
しばらく、ソフトタッチを続けていたが、とうとうたまらなくなったのか、進の手が膨らみを軽く握った。と、雪が体をよじっていやいやをする。
「あ……だめ……」
と言う妻の声と一緒に、胸の先端からじわりと白い液体が湧き出してきた。幼子を育てる母の体は、ちょっとした刺激にも、その白い甘い汁を分泌するようにできているのだ。
進は、それを舌でゆっくりと丁寧になめとった。甘ったるい匂いが、ふんわりと広がった。
「甘い……」
進は、顔を上げて雪を見下ろしながら、ぺろりと舌なめずりをした。雪が笑いながら、上を睨みあげる。
「もうっ!これは守のものよ。パパは、だぁめ!」
「いいじゃないか、今だけ。また明日の朝には、守に返すから……」
そんな言葉にくすくす笑いだす妻を、進は再び愛し始めた。そして同じだけ、雪もその愛を返す。
互いの体の曲線の全てを確かめるように、触れ合い抱きあって……そして二人の体が一つにつながった。
「ああ……」 「雪……」
二つの吐息にも似たつぶやきが、二人の心と体を最高の高揚の場にいざない、そして静かに穏やかな凪に向かわせた。
そして、静かな時の中で、雪は、愛する夫の胸にそっと身を摺り寄せた。
「でも…… 今日は本当にびっくりしたわ。この前、宇宙から連絡くれた時にはなんにも言ってくれなかったのに…… 結婚記念日は、きっとまた忘れてるんだとばかりと思ってたわ……」
「ははは……去年と同じことはしないよ。少しは俺を見直しただろう?」
進は、満足げな顔で答える。その顔がなんとも言えずかわいらしいと、雪は思った。
「うふっ、ええ、お花も食事も……とっても嬉しかったわ…… 大好きよ……あなた」
「俺もだよ、雪……」
二人の結婚2周年の夜は、ゆっくりと更けていく。
ぐっすり眠る二人の愛の結晶の幼子の横で、夜遅くまで、小さな甘い声と微かな吐息を繰り返しながら……
(背景・切分線:Flowers(現、見晴橋粗材製作所))