026 ふたり



 「ふうっ……」

 大きくため息をつくと、両手に持った大きな荷物を放り投げるように置いてどっかりとソファーに腰を落としたのは、古代進だった。

 「ふふふ……お疲れ様でした」

 微笑みながら、その隣にゆったりと座ったのは、その妻雪だ。

 既に中年の域を越える年齢になっているにもかかわらず、いつもならまだまだ若く見られる二人だが、今日はさすがに年相応に落ちついて見える。
 それもそのはず、進の方は黒のモーニング姿だし、雪は濃紺の美しいロングドレス姿で、いわゆる正装をしている。
 そう、今日は二人の愛娘、愛の結婚式が行われた日だった。

 幼なじみの相原進一郎との愛を大切にはぐぐみ続けた古代家の娘は、今日、それを実らせて幸せな花嫁となった。
 まだ若すぎると反対したこともあった進だが、今日の式は心から感動し、また心から喜んだ。
 しかし……

 「とうとう、行っちまったんだなぁ、愛は……」

 ソファーの背もたれに両肩を預けて、進は天を仰いだ。隣に座った雪も、それに同調して頷いた。

 「そうね。行っちゃったわね」

 「結婚かぁ…… あいつが生まれてからもうそんなに経ったんだな。あんなにちっちゃくて、可愛らしかったのになぁ」

 「そうね、生まれてすぐからあんなに愛くるしい子、いなかったわよね」

 遠い目をする夫に、雪は微笑んだ。すると進は今度はガバッと見を乗り出して訴え始めた。

 「一番最初に覚えた言葉が、パァパだったんだぞ! 生まれたときからずっとお父さんが大好きな娘だったんだ」

 「そうね、でもそれって、私が一生懸命教えてあげたからなのよ」

 くすくす笑いながら雪が突っ込むと、進はギロッと睨んだ。

 「むっ…… そんなことどうでもいい!」

 「うふふ、はいはい。でもほんと、親馬鹿かもしれないけど、いい娘に育ったわ」

 夫の思いを受けとめるように雪が頷くと、進はまた悔しそうに眉をしかめた。

 「ああっ、それなのに、あいつに簡単に持ってかれちまったんだぞ!」

 「持ってかれたって……別にさらっていったわけじゃありませんよ」

 「そんなもんだ。シンの奴め!」

 雪には、真剣に悔しそうに唇を噛む夫の姿が、哀しくも可笑しい。だが、彼はまだまだ言い足りないらしい。

 「こんなことになるんなら、初めて愛を見せた時、奴にしっかり釘さしとくんだったよ! 愛はお前なんかにやらんぞって!!」

 「そんなの無理ですよ。初めて愛を見たのって、確かシン君3つかそこらですよ」

 「それでもだっ!」

 「ぷっ、もう、どうしようもない親馬鹿パパね」

 こぶしを握り締めて切々と訴える夫を見て、雪は吹き出してしまった。
 娘にぞっこんだった夫である。結婚式でも、予想していた通り後半は目に涙うるうるしまくっていた。
 相手はかつての同志、ヤマトの同僚相原義一の愛息子で、かつ進にとっても最も期待する優秀な若手であり、直属の部下である。三国一の花婿といっても過言ではない。
 しかし、今の彼にとっては、どんなに立派な花婿であろうとも、にっくき仇並の感覚しかないのかもしれない。

 「笑うな! それに見たか、相原の顔! 新しい娘が増えて嬉しいですだとぉ! 勝手にお前の娘にするなって怒鳴ってやろうかと思ったぞ」

 さらには、自分の友である親の態度にまで文句をつけ始めた。雪は可笑しくて、そしてそんな夫がかわいくてたまらなかった。

 「うふふ、でも我慢したのね。えらかったわ」

 「ふんっ、お前に俺の気持ちがわかってたまるか!」

 「はいはい、わかりませんとも」

 最後はふてくされる夫にあきれながらも、雪は最後のフォローを試みた。

 「でも……愛は本当に幸せそうだったわ。きっと世界中で一番幸せで綺麗な花嫁さんだったわよね」

 今日の結婚式を思い出すように、雪は目を閉じた。輝くばかりに美しかった我が娘の姿を思い起こす。
 すると、進もそれを思い出したのか、じっと目を閉じた。今日の結婚式の姿はもちろん、彼の瞼の奥には、愛しい娘の成長してきた姿が走馬灯のように甦ってきた。
 再び瞳の奥に涙がこみ上げてくる。

 「きっと愛は幸せになれるわ。私とあなたみたいに……」

 じっと押し黙ったまま目を閉じている夫に、雪はそっと手を添えた。
 温かいぬくもりを感じて、進がゆっくりと目を開けた。その瞳には、一杯に涙を浮かべている。そして、差し伸べられた手を強く握るように引き寄せると、勢いよくがばっと妻を抱きしめた。

 「雪…… くうっ、雪っ!」

 妻を抱きしめて体を振るわせる。結婚式では涙で潤みながらも大泣きすることはなかった進が、ここにきて初めて息せき切ったように嗚咽した。
 雪はただ、そんな夫の背中をゆっくりとさすり続けた。

 しばらくしてようやく気持ちが収まった進は、そっと妻を離して、再びソファーにどかりともたれかかった。
 そして目を細めると、今日のあの美しい娘の姿をもう一度思い出した。

 「そうだな。愛は幸せそうだったなぁ。あんなに嬉しそうな顔、見たことがない。愛の笑顔は数えきれないほど見てきたが、今日ほどきれいな笑顔は……見たことなかったよ」

 「ええ……」

 ゆっくりと妻を見てやんわりと微笑んだ進に、雪も笑みを返す。

 「あいつにしか出来ないんだろうな。あんな笑顔を愛に作らせられるのは……」

 「ええ、そうよ」

 雪が再び柔らかな笑顔を向けて頷くと、進は心から愛しそうに妻を見つめた。

 「君の笑顔も……きれいだ」

 まっすぐに見つめるその瞳は、遠い昔愛を告白された時のように澄んでいて、雪は年甲斐もなく頬を染めてしまった。

 「え? いやだわ、あなたったら急に」

 夫の言葉が胸に染みるほど嬉しかった。そしてその夫の存在と言葉が自分の笑顔を生んでいることを雪もよくわかっていた。

 「でも…… 私の笑顔が一番きれいになれるのは、あなたの前だからよ」

 「そうか」

 「そうよ」

 互いの短い言葉に、長い間に培ってきた夫婦の愛を感じる。人生の半分以上を共に暮らした二人の絆であった。

 「しかし、守も航も独立したし、とうとうまたふたりになってしまったな」

 「そうね、初めて家庭を作ったときと同じふたりね」

 「寂しいか?」

 ふっと小さなため息が妻から聞こえたような気がして、進が少し心配げに尋ねた。

 「そうでもないわ」

 雪は顔を上げてニコリと微笑んだ。その笑みは、生気に満ちている。

 「強いな、君は……」

 「だって、あなたがいるもの」

 ストレートに愛を表現する妻に、進も苦笑するしかなかった。いつもそうやって、自分にまっすぐに愛を注ぎ続けてきてくれたことを、彼はよく知っている。

 「まったく君って人は……」

 「うふふ、ねぇ、今日なんの日か知ってる?」

 雪が突然そんな質問をした。進には、娘の結婚式以外見当もつかない。

 「11月22日か? さあ……」

 「いい夫婦の日ですって!」

 「あ、ああ…… そうか、いい夫婦の日かぁ」

 「とってもいい日に、愛は結婚したのよ。あの子たちも、きっといい夫婦になれるわ。
 そして私達も、またふたり……今日がまた新しい門出よ。ふたりに戻って、ずっとずっといい夫婦でいましょうね」

 「あはは、お手柔らかに頼むよ……奥さん」

 「ええ……うふふ……」

 そっと寄りそう二つの陰。

 二十数年前、ふたりで始めた結婚生活。家族が増えて育って、そして旅立って……今またふたりに戻る。

 ふたりのいい夫婦の歴史は、これからもまだまだ続いていく。 

おわり


今日は、ちょうど11月22日。いい夫婦の日だそうです。
それを聞いて、ちょっと思いついたお話です。

ふたり…… 家庭の基本であって、いつかまたそこに戻る姿。
娘を花嫁として送り出した日、ふたりがまたはじめの頃のふたりに戻る。そんな姿を書いてみました。
あい(2003.11.22)

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