065 海へ








 「なぁ、海へ行こうか……」

 暑い真夏のある朝のこと、目が覚めた彼が、ベッドの中で突然そう言った。

 高く昇ったお日様を見るとまぶしい。部屋の中はエアコンのおかげで涼しいけれど、外は確かに今日は暑くなりそう。ということは……?

 「泳ぎに?」

 「そりゃあ、この暑さだからな。もちろん泳ぎにさ」

 彼が私の肩筋の素肌をすうっと指でなぞりながらニコリと笑った。

 「水着持ってるんだろ?」

 「ん……あるわ。どこの海へ行くの?」

 「三浦の海」

 「あなたの故郷(ふるさと)の?」

 「ああ……」

 彼が目を細めた。そう……彼の大好きな三浦の海岸。
 幼い頃、両親とそしてお兄さんと遊んだ磯辺。私も何度か連れて行ってもらったことがあったけれど、この季節に、泳げる季節に行くのは、これが初めて。

 「ええ、いいわ」

 「よぉっし、それじゃあすぐ支度していくぞ!」

 決めたが早いか、彼はもうすぐにお出かけモード。ベッドから裸のまま飛び出した。
 それから、たんすから下着とTシャツGパンを出して身につけると、水着とバスタオルだけを引っ張り出して、小さなボストンに詰め込んでそれで完了。

 ぽかんと見ている私はまだベッドの中…… わわわっ! たっいへ〜〜ん!!

 「お〜い、早く行くぞ〜〜!」

 えっ!? ちょっ、ちょっとと待ってよ! 女性にはいろいろと準備するものが必要なのよぉ! それに朝ごはんはどうするの!?

 やっとベッドから出て身支度を始めた私を、彼はもう玄関から呼んでいる。

 「ごはんはぁ〜?」

 「途中で何か買って行こう。ブランチでいいからさ」

 「ん、わかった。でも今支度するから、もう少し待って!」

 そんな私の呼びかけも聞いているんだか聞いてないんだか……彼からの返事はない。ちらりと玄関の方を見ると、もう靴まで履いている。
 もう古代君ったらぁ。心はもう三浦の海に飛んでいるのね?

 でもね、早くしなくちゃと思ってもそう簡単にはいかないわ。急に行くぞって言われても、着替えもいろんなグッズも用意していないのよねぇ。
 ばたばたと荷物を詰めたり、部屋を駆け回っている私を、彼はいつものようにあきれた顔で笑って見てる。

 「どうして女ってこういつも……」

 思わず出てしまった彼のぼやき。どうせ『支度に時間がかかるんだろうな』って続けたいんでしょう?
 そう、いつも私の支度が遅くなるとこのセリフが出てくる。ん、もうっ! わかってるわよ、でもねぇ!

 「女って……なあに!?」

 ギロリと睨むと、彼は慌てて言葉を止めて肩をすくめた。

 「いろいろと準備が大変なんだなぁって思ってさぁ〜 はっはっは……」

 「もうっ!」

 笑ってごまかす彼をもう一度睨んでから、私は大急ぎで支度をした。そして十数分後……

 「お待たせ!」

 玄関で待ちくたびれて座り込んでしまっていた彼に、私は最高の雪ちゃんスマイルを送ったけれど……

 「ふぁぁ〜〜〜〜 全く待ちつかれたぜ」

 彼ったら、特大のため息をくれるんだもの。

 「だって古代君、朝起きて突然言い出すんだもの。昨日の夜のうちに言ってくれれば私だって準備できるのに……」

 と唇を尖らせる私を見て、彼は急にニヤリと笑った。

 「昨日の晩は……そんな時間なんてなかっただろ?」

 「な、なによ!」

 と言い返しながら、私の頬が真っ赤に染まった。

 そう、昨夜は時間がなかった。
 彼の帰還と入れ違いに私は突然の残業続き。目の前に彼がいるのに、抱きしめてもらうよりも眠る時間を確保するのが先決だったここ数日。
 それがやっと昨日一段落ついて、迎えに来てくれた彼と外で食事して、それから……
 二人でシャワーを浴びて、あとは、その……ムニャムニャムニャ…… んっやぁねぇ、聞かないでってば!うふふ……

 だって久しぶりにたっぷり愛してもらえたんだもの。あなただって人のこと言える? それはもう夢中だったじゃないのっ!

 そんな気持ちを込めて彼を見上げたけれど、彼ったらニヤニヤするばかり。あ〜ん、もうっ!!!

 「早く行くんでしょ! 置いてくわよっ!!」

 照れ隠しにそう言い捨てて、今度は私のほうが先に玄関から外に飛び出した。彼は慌てて私の後に付いていた。

 「今日、いいところへ連れてってやるからさ」

 追いついた彼が耳元で囁いた。

 「いいところ?」

 「そっ!」

 「なんなの?」

 「行くまで秘密!」

 「いじわるねっ!」

 「うん!」

 あっさりとそう言い放って得意げな顔をする彼は、まるで楽しいいたずらを頭にめぐらせている少年のよう。かわいいったらありゃしない。この表情には、私はいつもかなわない。

 「もうっ……」

 教えてくれそうもないことにちょっぴり口を尖らせた私を、彼はぐいっと抱き寄せて、ほっぺにチュッとしてくれた。

 「着いてからのお楽しみ! きっと雪も気に入るからさ。さぁ、行くぞ!! 海へ……!!」

 仕方ないわね。行ってみるまでのミステリー。それも今日のお楽しみ……かもね!

 「うふふ、そうね。行きましょう。海へ!」

 古代君の大好きな三浦の海へ…… 少年の頃の彼に出会える場所(ところ)へ……


 そうして私たちは、地下駐車場から真夏の日差しのまぶしい地上へと飛び出していった。

おわり


夏なので、やっぱり海へ行こう!ってことになりました。単純ですなぁ(笑) で……古代君の言っていた「いいところ」ってどこだったんでしょうね。ふっふっふ……

この続きはまたいつか100のお題のどこかで書きたいな、と思いつつ……今日はこれでおしまい(*^^*)
あい(2004.8.6)
このお話は、「066涼風」に続きます。

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(背景:自然いっぱいの素材集)