082 夢
あれは遠い昔。まだ地球が赤茶ける前のこと。
僕は父さんと2人で、虫取り網とカゴを持って、野山を、そして海辺を駆け巡っていた。
――ねぇ、おとうさん。
――ん? なんだい?
――僕ね、大きくなったら宇宙のいろんな生き物のこと、もっともっとたくさん勉強するんだ!
――ほぉ〜、生き物ねぇ? お前はそういうのが好きだからなぁ。
――うんっ! 草や木や虫たちや動物達……いろんなのをぜぇ〜んぶ勉強するんだ。
――そうか。
――だって、僕大好きなんだもん!!生きてるものみぃ〜んなっ!
――ははは……そうか。じゃあ、進は宇宙一偉い生物学者になるのかな?
――うんっ!! 宇宙一物知りの学者になるんだよっ! そして勉強したことを使って、いろんな動物や植物たちを守ってあげるんだ〜!
――ふうむ、それはそれは楽しみだなぁ……
――えへへ……
――進、その夢、ずっと忘れるなよ。
――うん。
――学者になんかならなくったっていい。けど生き物へのその思いは、ずっとずっと……持ち続けるんだぞ。
――うんっ!!!
遠い昔、父に話した将来の夢。
それを聞いて嬉しそうに目を細めた父の顔が目に浮かぶ。
それがとても誇らしくって……だから僕は思っていた。
絶対に夢を叶えるんだって。
どんなに時間がかかったって、僕の夢を叶えるんだ……って
心に強く誓っていたっけな。
あの日までは……
けれど……
あの日を境に、ひどくすさんでしまったこの心。
忘れてしまったあの時の熱い思い。
夢が消えたあの日の出来事。
それからの僕には……夢なんて存在しなくなった。
その代わりに僕は、憎しみと戦いを選んだ。
僕はもう……二度と、あの日の僕には戻れない。
夢を見た僕には、もう戻れないんだって思った。
それは、とても悲しい現実だった。
それから戦いの中に見つけたたった一つの光明は、
優しい笑顔と穏やかな瞳。
それは時々きらきらと強い意志に輝くけれど……
僕にとってはそれすらも、愛おしいものになった。
夢を忘れた僕に、もう一度光をくれたのは……
きみのソ・ン・ザ・イ。
――古代君って、動物や植物のこと詳しいのね。ちょっと意外だわ。
――意外だけよけいだよ。
――古代君って、野菜の育て方、どうしてそんなによく知ってるの?
――好きだから…… それだけだよ。
――ねぇ、古代君、このトマト育ちが悪いんだけどどうしてだかわかる?
――ああ、そりゃ水のやりすぎだ。
――ねぇ、ねぇ、古代君! この間のお花が綺麗に咲いたのよ!!
――へぇ、すごいじゃないか。雪もやるなぁ。
――古代君って、すっかりヤマト農園の相談役ね!
――じゃあ、これから俺のことは農園顧問と呼んでくれ!
――やだぁ〜 なんだかおじいさんみたいよ、その呼び名。
――うるさいなぁ〜 もうっ!
――うふふふ……
――あははは……
戦うことに明け暮れていた僕に、
遠い昔の夢のかけらを思い起こさせてくれたのは、
ほかならぬ彼女だった。
どうでもいいような理由を引っ張り出しては、
僕を農園へと引っ張り込む。
僕はただ単純に……彼女と2人きりになれるのがうれしくって、
いつも二つ返事でついていったっけな。
もちろん、農園での会話はちっとも色っぽくなんかなくて、
僕の遠い昔にため込んだ薀蓄を、話して聞かせたりやって見せたりするだけだったけど。
それでも僕は、どうしようもなく楽しかった。
時には僕にもわからないことがあったりして、
そんなときは、慌てて図書室で調べたりもしたっけな。
もちろん、彼女には内緒でね。
それから翌日、いかにもって顔で説明をして見せるんだ。
そうしたら彼女は、目を大きく見開いて僕に尊敬の眼差しを送ってくれる。
ちょっとずるいかな?って思いながらも、
なんだかとってもいい気持ちになる、そんな瞬間だった。
そしてある日、彼女は僕の遠い夢を思い起こさせた。
――へぇ〜 古代君って、生物学者になるのが夢だったの?
――ああ、子供の頃の他愛もない夢だけどな。
――ううん、そんなことないわ。だって古代君、生き物のことに、ものすご〜く詳しいじゃない!
――もう昔のことだよ、今の俺は……そんな夢、捨て……
――だめっ!
――え?
――夢は捨てないで……
――今更……僕はもう……
――ううん、古代君は今は地球のためにこんな仕事してるけど、いつかきっと夢が叶う時が来るわ、きっと…… だからその時まで、夢を捨てないで……
あまりにも真剣な眼差しで僕にそう告げる彼女に、
僕はただただじっと彼女の顔を見つめながら、小さく頷くことしかできなかった。
そして遠い昔の父の言葉が、
不意に脳裏に鮮やかに蘇ってきた。
――進、その夢、ずっと忘れるなよ。
そうだったね、父さん。
いつか本当に、夢が叶う日が来ることを忘れちゃいけなかったんだよね?
それから数年、少し形は変わったけれど、
僕の夢は、再び動き始めた。
一度選んだこの仕事を、捨てることはできなかった。
それに何よりも、この仕事をしていることで、大好きな生きとし生ける物を守れるのだから。
だけど確実に、
僕の夢は少しずつ動き出した。
それからの僕は、暇を見つけて大好きな生き物の勉強を始めた。
仕事の合間に本を読み、仕事のない日に野山に出る。
それは決して、学者になれるほどじっくりとした勉強ではなかったけれど、
少なくとも僕の心には潤いが生まれた。
生き物を愛し、守り、育てること。
それは僕が遠い昔に夢見たことに違いなかった。
父が忘れるなといった、その思いに相違なかった。
そして時は過ぎ、地球も青さを取り戻して……
――進さんは、本当に土いじり好きよね〜〜 ほら、顔にまで泥ついてるわよ!
我が家の小さな庭で、草花達と格闘していると、今はもう妻となった彼女が隣で笑う。
――よく言うよ、君が言ったんじゃないか、夢を捨てないでって。だから俺は今もこうして、夢のために土いじりをするんだ。
――あら、そうだったかしらね? ふふふ……
とぼけたって無駄だよ。
君のおかげで、僕はこうして今も夢を見ていられるんだ。
君の一言のおかげで……
ずっとずっと捨てないでいられたんだ、僕の大切な夢を……
生き物達を愛し続けることをね。
そして、そんな君の夢が、周りの人をみん〜な幸せすることだってこと、
思い出していたよ。
ありがとう、雪。君のおかげで、僕はこんなにも幸せになったんだ。
君の夢も、
少しずつ叶っているんだろ?
まぶしい日差しの中で、彼女をじっと見つめると、
彼女もまぶしそうに僕を見た。そして微笑む。
――でも、土いじりして泥まみれになってる進さんって、とっても素敵よ。
――そ、そうか…… 焦るな、今更……
――Chu!
――お、おいっ! 子供が見てるぞ!!
――うふふふ……
赤くなった僕を見て、君はまたコロコロと楽しそうに笑う。それからそっとつぶやいた。
――夢を見続けることって、とっても大切なことですものね。
そう、夢はいつまでも捨てちゃいけない。
どんな夢でも持ち続けていれば、きっと叶うってこと……
君が教えてくれたんだよな。
ありがとう、君。僕の大切な愛しい人。
時は巡り、今、僕は息子と2人、家の庭から望遠鏡で、遠い宇宙を覗いていた。
月、火星、土星、木星……シリウス、ベガ、アンタレス……いろんな星々が輝いている、満天の空。
――ねぇ、お父さんっ!
――ん、なんだ?
――僕ね、大きくなったら、宇宙の秘密をぜぇ〜〜んぶ調べるんだ!
――全部?そりゃすごいなぁ。
――そしてね、みんなが楽しくって住みよい宇宙を作るんだよっ!
――ほぉ〜 なかなか壮大な夢だ。
――えへへ、僕、宇宙一の宇宙博士になるっ!!
――はっはっは、そうか、航は宇宙一の宇宙博士かぁ〜
――うんっ!!
――航…… その夢、絶対に忘れるなよ。宇宙博士がどうだっていいけれど、みんなが楽しくて住みよい宇宙にしたいっていう夢を、絶対に忘れるんじゃないぞ。
――うんっ!!!!!
若い世代の君にこの言葉を伝えよう!
君の夢を、忘れるな。
君の夢を、守り続けろ。
君の夢は……きっといつか、叶うものだから……
おわり
昨日、先日スペースシャトルで宇宙に行ってきたばかりの野口さんが、TVでインタビューを受けていました。
野口さんの子供の頃の夢は、まさに宇宙飛行士になること。その夢をずっとずっと持ち続けて、本当にかなえた人です。
夢を持ち続けること。そうすれば必ず叶うのだから……
野口さんはそう言っていました。
でも…… 野口さんのように、子供の頃思ったままの大きな夢を叶えることは、とっても難しいことだと思います。
それでも、少しくらい形を変えたって、何らかの形でその夢を叶えることはできるはず。そうも思いました。
だから、やっぱり、夢はずっと持ち続けてもらいたい。そして夢が叶うことを望み続けてもらいたい、そう思うのです。
将来のある子供たちならなおのこと…… もちろん、大人になった私たちも。
あい(2005.10.1)
(背景:pearl box)