084 First Kiss
とある家庭のリビング。一人の妙齢の女性が、一本のビデオをセットした。そこに映し出されたのは……
TV画面の中に映っているのは、まだ3歳にもなったかならないかのお人形のようにかわいらしい女の子と、小学3年生くらいの端整な顔立ちの男の子。
小さな女の子が男の子相手につたない手つきでおままごとしている。
女の子の方は、いたって本気。一生懸命、おもちゃのお皿に、おもちゃの料理を乗せて、これまたおもちゃのテーブルに並べている。それを、小学生の男の子は嫌がりも呆れもせずにニコニコと笑って眺めている。
優しいお兄ちゃんがかわいい妹のおままごとに付き合ってる一場面……?
「はぁい〜 ようたんパパ! あさごはんでしゅよ。たべてくらさい」
女の子が並べたお皿を嬉しそうに前に差し出すと、男の子は、その一つを指差した。
「うん、おいしそうだね。これはなぁに?」
「こえは はんばーがーでしゅ。そえから こえは さあら。かだらにいいから たくしゃんたべてねぇ」
「さあら?…………」
にこにこしながら女の子が説明するのだが、まだ小さいため舌っ足らずで、男の子に理解できない言葉があったらしい。それでも男の子は一生懸命考えている。しばらくしてやっと思いついたのか、パッと顔を明るくした。
「あっああ、サラダか」
「そうよ、さあらっ!」
「あはっははは…… うん、おいしい、おいしい」
男の子が懸命に食べるまねをしてあげると、女の子はそれはそれは嬉しそうに見つめて、可愛らしく小首を傾げた。
「よかったぁ〜〜 ねぇ、ようたぁん」
「なに?」
「うきたんね、おおきくなったら、ほんとうに ようたんのおよめしゃんに なりたいのぉ」
かわいらしい提案に、男の子はにっこりと微笑んだ。
「あはは、いいよ。『うきたん』が大きくなったら、お嫁さんにしてあげる!」
「わ〜〜い! わ〜〜い!」
男の子が大きく頷いたのを見て、女の子は飛び上がって喜んだ。男の子は優しい眼差しでその様子を見ていた。
すると今度は、その女の子が満面の笑みを浮かべて、男の子の方に駆け寄って、
「ようたんと うきたんの おやくしょくぅっ〜〜〜」
と叫ぶと、男の子に抱きついてその唇にいきなりブチュッと自分の唇を押し付けた。
「わっ、うぅっ!?」
さすがに男の子もこれにはびっくりしたようで、女の子の勢いに押し倒されるように仰向けにひっくり返ってしまった。
その勢いで、男の子の頭が床にぶつかってしまった。ゴンッ!という音が聞こえて、「きゃっ、大丈夫!?」という大人の声が聞こえたと同時に、その映像はぷつりと切れた。
「雪、いる?」
とある休日の昼下がり。ここは、結婚二年目一粒種にも恵まれて、それでもまだまだ新婚気分の抜けていない二人が暮らす古代家のリビング。
そこに入ってきたのは、雪の母の美里だ。勝手知ったる娘の家のこと、美里はドアベルも鳴らさずにあがってきた。
「あら、ママいらっしゃい?」
リビングで雑誌を読んでいた雪が、顔を上げて微笑んだ。母の突然の訪問を全く気にしていない。いつものことらしい。
「守は?寝てるの」
「ええ、さっきお昼寝したばかり、起こさないでよ! で、今日はなぁに?」
「ええ、ちょっとね、面白いもの見つけたのよ。ほら」
母が見せたのは、小さな映像ディスク。
「なぁに? ビデオ? 随分古そうね」
雪が雑誌をおいて興味を示すと、美里はその向かいに座って説明を始めた。
「ええ、もう20年以上も前のものなのよ。今朝パパのビデオを整理してて見つけたの。間違ってパパの仕事関係のケースに入ってたみたいで、今まで気が付かなかったんだけど、これ、あなたの子供のころのビデオだったのよ。
まだ3つになる前かしら? お隣の諒ちゃんとおままごとしているところが映ってるのよ」
「へぇぇ〜 覚えてないわ。私も見たことないんじゃないかしら」
懐かしそうに雪が呟く。
「ええ、見てないと思うわ。ママだってこんなの撮ったことも忘れてたんですもの」
「うふふ、でも見てみたいわ。TVにセットするから、こっちへ貸して、ママ」
さっそく映してみたいと思った雪が手を差し出すと、美里は急にきょろきょろし始めた。
「…………どうしたの?」
不思議そうに尋ねる雪に、美里はちょっと声を落として言った。
「進さん、いないのよね?」
「えっ??」
「明日帰還って言ってたからまだよね。いえね、進さんには見せない方がいいと思うのよ、ママは……」
したり顔で美里がこくこくと何度か頷く。
「やだぁ〜、ママったら気にしすぎよぉ。いくら諒ちゃんと一緒って言っても3歳になる前のことでしょう? そんなの進さんが気にするはずないじゃなぁい?」
雪がコロコロと笑い飛ばすと、美里はさらに声を落として言葉を続けようとした。
「進さんには内緒にしておいたほうがいいと思うんだけど、だって……これ、雪の……ファー」
「僕がどうした……ですって?」
美里の後ろからのそっと一人の男性が現われた。それはもちろん、当家のご主人。
「あ、あらっ? 進さん、帰ってらしたの? お邪魔してます」
びくっと座っていたお尻が浮きそうになった美里であったが、さりげなさを装って軽く会釈した。
「ちょっと都合で、一日早く帰還しましてね。お義母さんは相変らずお元気そうですね」
進は寝ぼけまなこで、いつも元気のいい義母に軽く会釈をした。
「え、ええ……まあね」
「それで、さっき帰ってきてちょっと昼寝してたんですけど、何が僕に内緒だっていうんですか?」
「な、なんでもないわよ、ねぇ、雪」
そ知らぬ振りで嘯(うそぶ)く美里を、進がじっと見つめた。
いつもゴーイングマイウエイ、堂々としている義母が、なぜかしら少しそわそわしている。怪しいな、と思っていると、その手にしているものに気が付いた。
「それ、なんのビデオですか?」
「え? ええ、あのね……」
美里が言いよどんでいると、
「私の小さい頃のビデオなんですって。私もまだ見てないんだけど、一緒に見る?」
母の危惧をよそに、大した気遣いもせず、雪はさらりと答えた。
「へぇ、そりゃあ見たいなぁ」
進がニコリと笑った。美里が肩をすくめて、いいの?と問いたげに雪を見たが、彼女は笑いを抑えながらこう答えた。
「でも諒ちゃんも映ってるらしいのよ」
意味深な視線を夫に送る。一瞬夫の顔色が微妙に変わった。
諒―上条諒―は雪の6つ年上の幼なじみで、進に負けないほどの優秀でいい男である。
さらに大人になって再会した時、雪に言い寄ったこともあった。それが原因で二人の間に微妙な波風が立ったこともあったが、結局は事無きを得、その後進とも和解したし、彼も最近結婚した。
最近では、彼の妻共々家族ぐるみでの付き合いをしている。
だが……それでも進は、未だにこの男の話題が出ると、ちょっとばかりやきもちらしきものを妬く。
美里もそれを知っているから躊躇しているのだが、当の雪の方は、逆に面白いらしく、わざとそう尋ねたのだ。
「べ、別に気にしやしないさ。雪の小さい時のことなんだろ?」
いつまでも気にしていると思われては論外だと言わんばかりに、進が強がり半分でそう答えると、今度は美里が探るような視線を送ってきた。
「進さんはやめた方がいいと思うけど……」
その態度に、進はムッとした顔を返した。
「なんですか?お義母さん、そんな風に言われたら余計見ないわけにはいかないでしょう!」
「うふふ、何が映ってるんだか知らないけど、彼がそう言ってるんだからいいんじゃなぁい?」
雪はもう可笑しくてたまらないっていう顔をしているし、進ももうここまで言ってしまったら引っ込みがつかないだろう。
美里は、ふうっと諦めのため息をついてから、最後に進にもう一度念を押した。
「後で文句言わないでちょうだいね」
美里はあきらめたように、雪にそのディスクを渡した。
その短い映像が終わったとたん、雪は困った顔で「やだ、ママ先に言ってくれればいいのに」と頬を染めた。
そして進の方はというと……はい、もちろん?
固まっていた…… もちろん顔は……蒼白。
「ゆ、雪のファ……ファースト……キ……」
わなわなと震える声で呟くが最後まで声が出ない。
「だからまだ3つになる前の頃なのよ。そんな子供に罪なんかないわよねぇ、進さん?」
だから言わんこっちゃない、という顔で、美里は一応娘のフォローをすると、進がうつろに笑った。
「ははは、当然じゃないですか。僕はちっとも気になんて…………」
そう言いつつも進は立ち上がると、玄関の方へ歩き始めた。そして、パタン……
「え?進さん? どこへ行くの? 進さん!?」
雪が追いかけながら問いかける声に返事もせずに、進はどこかへ出かけていってしまった。
進が出ていってしまうと、母娘は顔を見合わせてから、プッと吹き出した。
「もうっ、だから進さんに見せたらダメって言ったでしょう?」
「いいのよ、きっとその辺うろうろしてから帰ってくるだけなんだから。あの拗ねてる姿が何とも言えなく面白いのよ」
「もうっ、そんなので楽しんで、悪い奥さんねっ! さ、私は、守の顔を見たら帰るわ。後はあなたがちゃんとフォローしなさいよ」
「了解っ!」
ここは、まさに新婚ほやほやの島家の台所。お使いから帰ってきた夫が見たのは、リビングにどっかり座る仏頂面の親友の姿。
新婚家庭を思いっきり邪魔する奴を横目に見ながら台所に入ると、お茶菓子を用意している妻に、こそこそと話しかけた。
「なあ、なんで古代、あんなにぶすっとしてるんだ?」
「さぁ〜〜 さっき突然やってきたの。あなたがちょっと出かけてるって言ったら、別に用はないけど待たせてくれって言ってあそこに座ったまま、ずっとあんな恐い顔してるのよ」
「う〜〜ん。女房と喧嘩したのかなぁ? めったにやらないんだけどなぁ、あのいちゃいちゃ夫婦は……」
「でも昔もあったじゃない。喧嘩して雪が私んちに泊まりに来て……」
「あ、ああ…… でもってその後思いっきりアテられたってやつだろ?」
「うふふ、そうそう」
「で、ほっとくのか?」
「家に電話してみる?」
「ああ、頼む」
「ふふ、雪、笑ってたわ。『そこにお邪魔してたの?』ですって。お裾分けしたいものもあるから、守君が起きたら一緒に迎えにくるって」
「そっか、まったく雪も、子供が二人いるようなもんだな」
「うふふ、で、それまで適当に相手してやってて、ですって」
妻がおかしそうにコロコロ笑うと、夫もため息混じりに苦笑した。
「まあ、たいしたことないみたいだな。まったく犬も食わんってやつには、かかわりたくないからなっ」
「うふふ……もうっ!」
そして、まもなくやってきた雪の説明を聞いて、想像通りのくだらない内容に、島夫妻は大笑い。
ご機嫌斜めだった進も、つまらんやきもちはやめろと島に諭され、さらに奥様に上手になだめすかされ、
「暇だから島んところに遊びに来ただけだ。別にやきもちなんか妬いてないよ」
などと、強がり一杯にそう宣言し、さらに甘え上手な奥様に乗せられてやっと機嫌を直した。
そのやりとりの間中、島夫妻は守をあやしながら、見て見ぬ振りをしていたと言う。
結局、そのまま居座って、二人して晩御飯もご馳走になってしまった。
その上、すっかりいつもの仲を取り戻した二人に、あてる立場の新婚夫婦が、すっかりあてられてしまったのだった。
その夜のこと。守君を寝かしつけて、夫婦の寝室。
「進さんたらぁ〜ばかねぇ〜 あんなちっちゃな時のことなのに……」
「だから別に何とも思ってないって言ってるだろ」
雪は、プイッと背を向ける夫を、後ろからそっと抱き付いて顔を覗き込んだ。
「思ってる! だって顔にそう書いてるもの。あなたって諒ちゃんのことになると、いまだに力入るんだものっ!」
「ちがっ!」
「わないっ! でも、それがまたかわいいのよねぇ、うふふ……」
ニコニコ顔の雪に、進の毒気もあっという間に抜けてしまう。
「うっ……」
「うふふ、怒らないのっ! それに、私の気持ちのこもったキスはあなたにしかしたことないのわかってるくせにぃ〜 私は、ほんとうのファーストキスは、地球に帰ってきてからあなたとした……アレだと思ってるんだからぁ」
余裕の奥様は妖しく微笑み、とっても甘ったるくて色っぽい口調で旦那様に迫る。と、そんな風にしなを作られると悪い気がしない単純な旦那様。
「ま、まあ、それはわかってるけどさぁ」
「うふっ、でしょう?」
「じゃあ、その本当のキスっての、ちょっと試してみろよ」
ちょっとその気になると、どんどん乗ってきてしまう旦那様はすっかりご機嫌!
「うふふ……もうっ」
とかなんとか言いながら、奥様もノリノリ!旦那様の唇にかる〜くチュッ!
「ん? まあ、まずまずかな。もうちょっと試してみないとわかんないなぁ、チュ〜〜〜」
ご満悦の旦那様は、今度はさらにたっぷりと味わうべく自分から奥様の唇を奪いにかかる。
「もうっ…… チュ〜〜〜 あんっ!」
ああ、もう止まりませ〜ん! 後はお決まり……奥様を押し倒した旦那様でございましたっ(ちゃんちゃん)
ということで、美里ママがもたらした雪奥様のファーストキス事件は、とりあえずは無事に解決したのだった。
っていうか、3歳の雪ちゃんのやったことにマジになる旦那の方が、やきもち妬きすぎ〜だとは思いますけど……(笑)
だから、マジになんかなってないって言ってるだろぉ〜〜〜!(by 進君)
もう今更、信じられません!
そして……雪奥様からこんな裏話もうかがいました。
ほんと、このファーストキスのことは覚えてなかったのよぉ。うふっ、私ったらおませさんだったのね(笑)
で、この後も、諒ちゃんとは何回かキスしたことあるのよねぇ〜 それも全部私からしちゃった。うふふ(*^^*) そっちの方の記憶は、実はちょっと残ってるの。
もちろん、キスすることの本当の意味がわかってからはしてないわよ。
でもそれは進さんには、な・い・しょっ!(by 雪ちゃん)
おわり
(注)諒ちゃんは、あいのオリキャラです。詳しくは拙作『絆―君の瞳に映る人は―』をご覧ください。
古代君、お互いに結婚して家族ぐるみで付き合うようになっても、なぜか気になる彼のこと。その彼と雪ちゃんとのファーストキッスの現場を見てしまったショックは大きかったようです(笑)
まあ、お笑い路線ってことで、軽く読み流してくださいませ。
ちなみに、この内容書いてて「おままごと」でも「やきもち」でも使えるなぁ〜って思いました(笑) タイトルだけ変えて登録する……ってのは……もちろんダメですね(^^;)
あい(2003.10.10)
(背景:pearl box)