010 不 安
せいらさん作


(1)

霧雨の降り続く防衛軍ビルの中庭を見下ろしながら、森雪が佇んでいた。
慌しく走り回る人々の中にあって、そこだけが時間が止まってしまったような違和感をみせている。
雨が心の中まで沁み入ってくるような気がして、雪は自分の肩を抱きしめた。


「ん、雪じゃないか。どうした。こんなところで。」

小走りに廊下を駆けてきた大柄な男が、一瞬立ち止まって声をかけた。
雪は遠くを見ていた視線を戻し、声のした方を振り仰ぐと、少し歪んだ笑顔を見せた。

「・・・あら、古代参謀・・・いえ、何でもないんです。」

「うーん、何でもないという顔でもないけどなあ・・・。進と喧嘩でもしたのかい?」

古代守は、向き直って雪を見下ろすと、優しく尋ねた。

「うふふ、喧嘩したくっても彼は明日まで帰ってきませんわ。本当に何でもないんです。」

「いよいよ明後日だろ。秘書課はいま大騒ぎだろう。少し疲れたんじゃないのかい?」

守が、「俺も、秘書課に用があってね。」と、雪の背中を押すように歩き出しながらとつとつと言う。
その言葉からは、優しい労わりが感じられた。


そう、明後日と明々後日には防衛軍初の大規模な会議が予定されていた。
彗星帝国や、イスカンダルを襲った謎の異星人と遭遇した事で、軍の上層部もやっと本腰を入れて宇宙全体を視野に入れた防衛ラインを模索し始めている。
各艦隊から多くの司令官クラスの将校が招集され、今後の地球防衛の方向性を検討しようとしていた。

古代守・進兄弟ももちろん出席し、進はヤマトの艦長代理としてその意見を述べる時間を与えられていた。
とにかく、その会議の準備の為 秘書課員はこの数週間というもの、皆なにがなんだか判らないようない目まぐるしさの中にいたのは事実だった。


「そうですね・・・でも、忙しい方が気が紛れますから。」

伏目がちに言う雪の目がうつろで、守は腰を屈めて雪の顔を覗き込んだ。

「もし、なにか悩みがあるんなら俺にも相談して欲しい。進がらみなら、尚更だ。君は俺にとってはたった一人の義妹となる人なんだからね。」

そう、真剣に訴える守の目が進と重なって、雪は思わず心に引っ掛かっていたことを口にしてしまった。

「何だか、あの人が遠くに行ってしまいそうで・・・」

「え・・・っ?」

「あ・・っ!ごめんなさい・・・。いえ、違うんです。あの・・本当に・・ごめんなさい。今の、忘れて下さい!」

頭を下げて、ばたばたと自席に駆け出す雪の後ろ姿を見て、守は『うーん』と唸った。
雪の後から秘書室に入った守は、秘書課主任の前嶋浩介に2・3の伝言を伝え欲しい資料を受け取ると、デスクで仕事をしていた雪に大声で話かけた。

「おい、雪。今晩8時までに仕事を終わらせてくれるかな。8時半にここに迎えに来る。デートだ。前嶋君、いいかな」

「え・・・っ?」

雪はもちろん、部屋中の誰もが守の顔を見、続いて雪の顔を見た。
守はそんな事はおかまいなく、右手を軽く上げるとさっさと部屋を出て行ってしまった。


(2)

「・・・・・え・・っ?・・・?ええーっ!!」

雪を含めた、全員の声が部屋に響いた。

森雪が数ヶ月前に古代進との婚約を『解消』したことは、皆が知っている。
だから、今は彼女はフリーだと、誰もが思っていた。
『婚約解消』後も雪と進が会っている姿は何度か見かけたが、なにしろ彼はあまり地上にいない男だし、ヤマトの連中は仲がいいから二人に限らずいつもつるんでいる。
大体、二人のツーショットなんてものを見ること自体、もともと稀なことだった。

従って、彗星帝国との戦いのため二人の婚約は解消されたが、彼女とて一種のカリスマ的な存在だし、高嶺の花だし、なかなか面と向って「デート」と切り出せる程勇気のある者もいないため未だ森雪はフリーである、というのが大方の見解であった。

なのに『古代守』だ。
古代兄弟といえば、今この地球上で知らない者を探す方が難しいのでは・・・?という二人だ。
しかも、『元カレ』の実兄・・・。
皆が、興味深げに雪を見たのも無理はなかった。

そして、8時半きっかりに私服に着替えた守が秘書室に顔を出した。

「忙しいのに悪いね。じゃあ、雪は頂いていくよ。」

誰に言うでもなく、守は秘書課の入り口でそう言うと、さっさと雪の背中を押して出て行ってしまった。

外は、相変わらず霧雨が降っていた。


(3)

「いやだわ、参謀。あんな派手なことなさったらみんなが誤解しますよ。」

雪がくすくすと笑いながら言う。

「ふふん、いいじゃないか。君と噂が立つんなら男として大変光栄だね。」

すました顔でそう言う守に、雪は まあ、という表情をしてみせた。

「ごめんなさい。私が昼間、変な事言ったからですよね。本当に気にしないで下さい。ごめんなさい。」

雪はさっきから何度も謝っている。
守と雪は、食事をした後、軍の施設から離れたバーに来ていた。

「ところで、その『参謀』っていうの、やめてもらえるかな。しかし、『お兄さん』でも色気がないしなあ・・・やっぱり『守さん』って言うのがいいかな。うん。進のなら気にしなくていいぞ、『守さん』でいってくれ」

守はおどけたようにそういうと、「それで・・・」と切り出した。

「やっぱり、進と何かあったんじゃないのかい? あいつが何かしたとか・・・いや、あいつの場合、何もしないとか・・・まあ、進じゃあそっちの方な気もするなぁ」

今、隣に座っている女性は、男なら誰だって手に入れたいと望むだろう美貌と知性を兼ね備えた人だ。我が弟ながら、こんな女性に愛されながら結婚に踏み切れない進の心を疑いたくなる。

(まあ、あいつの気性からすれば分からなくもないが、俺に言わせれば『バカ』の一言だな)

雪は、綺麗なピンク色のカクテルをくるくる回しながら、ぽつりぽつりと話し出した。

「ごめんなさい、私より参・・・守さんのほうがいろいろとお辛いのに・・・でも、少しだけ甘えさせてください。」

守は、ウイスキーのグラスを傾けながら、「うん」とだけ答えた。


(4)

「私・・・あの人のことを誰よりも理解してる、ううん、理解したいって思ってるんです。でも、時々何を考えているのか分からなくなってしまって・・・」

「そうかな? あいつほど単純な男もいないと思うけど・・・」

「うふふ、そうですね。単純で、不器用で、真っ直ぐで、向う見ずで・・・いつもハラハラさせられっぱなしです。」

雪の笑顔に無理があって、守は小さく胸が痛んだ。

「・・・ねえ、何かあった?」

雪は、しばらく沈黙した後、思い切ったように話し出した。


「この前、彼が帰って来た時、TVの収録があったんです。」

「うん、聞いたよ」

「その夜、彼の上着からかわいいメモが出てきて・・・連絡下さいって、プライベートの電話番号にピンクの口紅でキスマークが・・・だから私、『この人、誰だか知ってる?』って聞いたんです。『今大人気のアイドルよ』って。そしたら彼『ふーん、そうなんだ。知らない。捨てといて。』って。」

「馬鹿だなあ、あいつは。そんなもの君に見つかるように置いとくなんて。でも、進には本当に君だけなんだよ。信じてやって欲しい。」

守のグラスの氷が カラン と鳴った。

「いえ、それは・・・そんな人ですから・・・いいんです。その後、彼は嫌がるので一人でその番組のオン・エアを見たんですけど、最後に司会者がプライベートなことを聞き始めて・・・その・・・恋人はいますか、とか 普段は何してるんですか、とか どんな女性が好みですか、とか。」

そこまで言うと、雪はまた大きなため息をついた。

「彼、何も言わなかったんです。『いえ』とか『はあ』とか。そんな生返事ばかりで。進さん、そういうこと言うの嫌いなの知ってるし、なにもTVで答えるようなことじゃないの判ってるんですけど・・・」

雪は、テーブルの一点を見つめながら続けた。

「結婚だってやめたわけじゃない、今はその時期じゃないだけって私も思うんです。だからって気持ちは変わらないし、私には今の状態で充分幸せなんです。なのに・・・なぜか・・・」

雪の瞳から大きな雫がこぼれた。

「・・・不安、なんだね。」


(5)

雪は、はっ、と守を見上げると、コクリと頷いた。
そう、『不安』
この降り続く雨の正体は、『不安』なんだ。


うーん、と守は考えた。
確かに、今の弟は少しイメージが先行しすぎてしまっている。
そのためここ最近タレント並みの人気が出始め、一部にキャーキャーと騒ぐ輩もいると聞いた。
ただ、男としての魅力が出てきたのも確かだ。
人の上に立つ器と、少年から青年に変わった逞しさも出てきたと、思う。でも・・・

「でも・・・今の進があるのは、雪のおかげだと思うけどな。君がいなかったら、今のあいつはなかった。君はもっと自信を持つべきだよ。あいつはいつだって君にベタ惚れなんだから。」

「そうでしょうか・・・。この頃、時々彼を遠くに感じる事があるんです。いつか私の手を離して、何処かへ行ってしまうような気がして・・・」

「それは戦場?」

「それなら私はどこまでもついて行きます」

「じゃあ・・・」

雪は俯いたまま、顔を上げられなかった。
今自分は、どんなにか情けない顔をしていることだろう・・・

「ははは・・・あいつに限って、そんな心配はないよ。そんな器用な真似はできない。一人のひとを全力で愛する事しかできないよ。」

「だから不安なんです!!」

雪は、今度ははっきり言った。

「器用じゃないから、今 自分の置かれている状況をよく判ってない人だから、適当にってできない人だから・・・だから!」

テーブルの上でギュッと手を握り締め頼りなげに俯く雪を見ながら、守は心で呟いた。

(まったく、似たもの夫婦っていうけどな、君自身も回りの視線に気付くべきだよ。そんな君を見たら、俺だって抱きしめてみたくなる。手折ってみたくなる。俺の弟も、こんな美女にここまで思われて幸せな男だな。進 気付けよ、恋人を繋ぎ止める努力も必要だって事を)

「よく判ったよ、雪。君のいう通りかもしれない。そもそも、あいつがはっきりしないからいけないんだ。でもね、本当に進には君しかいないんだよ。いつか、君なしではいられない自分に気付く時が来る。だから、それまでどうかあいつを見捨てないでやって欲しいんだ。兄として頼む。」

頭を下げる守に、雪は小さく手を振って答えた。

「そんな、見捨てるなんて・・・私こそ・・・」

「さあ、この話はもう終わりにしよう。後は俺に任せてくれないか? 進のことは忘れて、今日は私とのデートを楽しんで頂きたいのですが。」

守にそう言われて、雪は力なく微笑んで頷いた。



(さあ、明日は進をどうしてやろうか・・・)

       

『015兄と弟』につづく


古代君にとって、『永遠に』が恋愛のターニングポイントだったとしたら、『2』は男としてのターニングポイントだったのかもしれません。
少年から青年へと大きく飛躍し、成長してゆく古代君を、一番真近かで見ていた雪ちゃん。しかも、結婚の無期延期までされてしまっては、「私は今のままで充分幸せよ」と言いながらも不安に駆られる事もあったのではないかと思います。

さあ守兄ちゃん、古代君を変えられるかな?
by せいらさん(2005.1.13)

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