015 兄と弟
せいらさん作
(拙作『10・不安』の続きとなっております。そちらから先にご覧下さい) byせいらさん


(1)

翌日もまだ雨が残っていた。
護衛艦勤務を終えた進は、雪に今日はさすがに出迎えられないという連絡を貰っていた。
「あれ、古代さん、今日はお一人ですか?」

いつも綺麗な恋人が出迎えに来ることを知っているクルーが、からかい気味に声をかける。

「うん、今日はちょっとね。」

「もしや振られたんじゃないんですか? いつもほったらかしにしてるから。ちゃんとデートの時間、とってます?」

ははは・・・と笑いあうと、進は

「そうだな、気をつけるよ。」

と答えた。やはり、「もう一緒に住んでるから」とは、言いにくい。
「じゃあ」と言うと、そのまま帰宅した。


(2)

彗星帝国の襲撃がなかったら結婚していたはずの二人は、実はすでに新居や家具を用意していた。
その後、進の複雑な想いから結婚話は棚上げとなってしまったが、二人の気持ちは何ら変わったわけでもなく、むしろ進にとって雪という存在は単なる恋人ではなく得がたい人生のパートナーとなっていた。

「愛してる」とか「側にいて欲しい」なんていう言葉は面と向かって言えないけれど、心の真実は確かにそう叫んでいるようで、進は二人の新居となる筈だった部屋を自分の住まいとし、不在中の管理を雪に一任してしまった。
雪のほうも戸惑いながらも依存はなく、あてがわれた軍の寮と進との部屋との二重生活を誰にも気付かれる事なくこなしていた。
もっとも、元々不規則な生活の上あまり他部署を干渉しないのが軍人達なので、雪がほとんど寮に戻らなくても誰も詮索しないおかげもあったが・・・


そんな二人の部屋に進が帰ると、もちろん雪はいなかったが、テーブルの上に手紙と簡単な食事と書類が置いてあった。


【お帰りなさい。お疲れ様でした。明日の資料と原稿できてます。目を通して手直しして下さい。夕食は一人で食べてください。冷蔵庫にいろいろ入っています。それから、先に寝ていて下さい。今夜帰れるかどうか分からないので・・・一度、連絡入れますから】


「えっ? 帰れないかもしれないの!?」

「ちえっ!」っと吐き捨てると、進は上着を乱暴に投げ捨てドカッっとソファーに座った。
進にとっては、明日からの会議は鬱陶しいだけのものだ。
唯一の救いは、雪がずっと同じ場所にいるということだけ。
しかし、仕事として長時間いたってなにも面白くはない。
どうせなら二人だけで過ごしたいのに・・・と思いながら、明日の為に雪の用意してくれた資料と自分の発表用の原稿をパラパラと見た。
出航前に進がざっと書いた下書きが、雪の手できちんと整理し、清書してあり、進はのろのろとそれらの仕上げにかかった。
気が付くとあたりは暗くなっていた。

「うーん、馴れない作業は疲れる・・・」

ソファーで横になった進が電話の音で目覚めたのは、すでに午後8時を過ぎた時間だった。

ルルルルル・・・ルルルルル・・・

(雪からだ!)
そう思って慌ててスイッチを入れると、画面の向こうに現れたのは雪ではなかった。

「なんだ、兄さんか。何?」

不機嫌そうに言う進を気にせず、守は笑いながら言った。

「なんだ、で悪かったな。雪からの伝言だ、今夜遅くには帰れるそうだぞ。お前、晩飯食ったのか? まだなら付き合えよ。」

そういうと守は、進の意見を無視して時間と場所を指定した。

「絶対来いよ」

と言って強引に電話を切った兄に、「仕方ないなあ」と進ももぞもぞと準備を始めた。


(3)

雨が続いて肌寒い。

進は長袖の薄いニットにGパン姿で、守に指定された店へ向った。
軍本部に近いこの店は、24時間勤務の職員のために明け方まで食事と酒を用意しており、本部勤務の者はみな常連になっている便利な店だった。
進が店に入ると、守はすでに待っていた。
二人は久しぶりに兄弟水入らずで、あれこれと話をした。

「進、お前酒もいけるんだろう?」

「うん・・・でもまたにするよ。そろそろ帰りたいし」

「なんだ、久しぶりに兄弟水入らずだっていうのに連れないやつだなあ。それとも、こんなにむさ苦しい兄貴より、美しいフィアンセに早く会いたいって訳か?」

「お、俺は別に・・・」

口を尖らせる弟に、守は真剣な目をしてみせた。

「なあ、進。お前、いったいいつまで今の状態を続けるつもりなんだ? お前はいいかもしれないが、雪は女性だ。こんな中途半端な状態を続けてやるのはよくないと思うぞ。」

「うん、判ってるよ・・・でも・・・」

「お前、雪の他に気になる女でも出来たか?」

「まっ、まさか!! 俺はいつだって雪だけを愛し・・・」

言いかけて、進は耳まで真っ赤になってしまった。 兄とはいえ、実に大胆な告白をするところだった・・・
守は「そうか、そうか」と大笑いしていたが、ふと真顔になると弟を見た。

「俺はなあ、スターシアとあんな別れ方をしてしまったが、彼女と愛し合った事やその時間を後悔した事はないぞ。 お互いが唯一無二の存在だったことを誇りに思っているし、その事実をなかったことになんて出来ない。 本当なら、『俺の愛した女はこんなに素晴らしい女なんだ。みんな見てくれ』って大声で叫びたいくらいなんだよ。」

守の目が、遠くを見ていた。

「進、大切なものを手放すなよ。絶対に。無くしてから気付いても遅いんだ。愛しているなら愛していると、言える時に言っとけよ。 言わなくても分かる・・・なんて思うなよ。本当にお前ってやつは、こと女に関しては妙に鈍くて、疎くて、我がままで、自分本位で、すっとこどっこいで・・・・・」

「に、兄さん! いくら兄さんでも言っていい事と悪い事が・・・」

「バカ言え・・・実の兄として、弟のことを心底心配してやってるんじゃないか。 俺は地上勤務で雪とは仕事をする機会も多いが、あれはいい女だぞ。おまえなんかにゃもったいない。いつお前が捨てられるかと思うと、俺としては心配で心配で・・・」

「大きなお世話だっ! ほっといてくれ!」

本当に心配しているのか、からかわれているだけなのか・・・ポーカーフェイスの兄の顔を弟はふて腐れた顔で睨みつけた。


(4)

そうこうして10時を過ぎた頃、入り口が急に騒がしくなった。
進がそちらを見ると、見知った顔が見える。

「あれは確か・・・」

「前嶋浩介。秘書課の主任だよ。若いくせに仕事も出来るって、評判も上々の男だ」

守に言われて、進も ああそうだった、と思った。

秘書課の連中がわいわいと入ってきた。たぶん、明日の準備の目処がついたので一息つきにでも来たのだろう。


「帰るなんて、赦さないわよ。はい、入った入った」

ひときわ大きな声が店内に響いた。
そして続いて聞こえた声に、進は固まってしまった。

「でも・・・今日はやっぱり帰るわ。少し疲れたし・・・。」

雪の声だ。進は じっと聞いていた。

「なに言ってるの! 本番は明日からなのよ。元気出して! それに雪が帰ったら、ここの男どももみんな帰っちゃうじゃない。私たちの為にもいて頂戴。」

どっと笑いが起こり、同僚達に背中を押された雪が店内に現れた。
古代兄弟は、私服のうえ店内の目立たない場所に陣取っていたため、あちらは気付いていないようだ。
二人の位置から、無理矢理座らされた雪の横顔がよく見えた。
雪の隣にはあの前嶋が座り、そわそわしている雪の世話を何かと焼いていた。


「雪は早く帰りたそうだな。進、他の男が雪の世話を焼いてるのを見るのは面白く無いだろうがよく見とくんだな。お前の知らない雪の日常だ。」

えっ・・・と進は兄を見た。守はそしらぬ顔でグラスを傾けている。

(もしかして兄さん、これをみせる為に強引に俺を引っ張り出したのか?)

まんまと引っ掛かったのは面白くないが、今は怒るに怒れず黙って賑やかなテーブルを見詰めた。
雪が「もう、結構ですから」と言うのに、前嶋を始めとする連中が雪の食事と飲み物を勝手に注文しては、食べるよう促している。

「森君はもう少し食べなきゃだめだよ・・・」

前嶋が、雪に皿と箸を持たせながら話し掛けた。


「ちっ、大きなお世話だよ」

進が雪の代わりのように言うのを、守は可笑しそうに見ていた。

「だったら、そう言ってこいよ。こいつは俺の女です、誰も触らないで下さいって」」

「ばっ・・・あんな大勢の前で言える訳ないだろ!」

「ふーん、そうか。なら、仕方ないよな」


(5)

「雪さん、これ、美味しいですよ」

雪がちらちらと時計を気にしてるのを知ってか知らずか、皆が代わる代わる声を掛けた。雪も形だけは箸をつけたが、家で進が待っているだろうと思うと気が気ではない。

「あのう・・・私、そろそろ本当に失礼します。明日も早いですし。」

そういうと、雪はついに立ち上がった。

「あら、私たち、今日は泊まりのつもりなのよ。雪もそうすればいいじゃない」

女性課員がそう言って雪を座らせようとしたが、雪は鞄を持つと、

「これ、私の分ですから」

とお金を置いて帰ろうとした。

「あ〜や〜し〜い〜! まさか、今日みたいな日になんか約束ぅ〜?」

「もしかして、誰か待ってるとかぁ〜?」

少々アルコールの入った同僚たちに言われ、雪は返事に困ってしまった。
雪は進との関係を隠すつもりはないが、どうも進の方はプライベートなことで詮索されるのは面白くないらしく、あまり人前ではっきりと雪とのことを言いたがらない。
軍の中での進の特殊かつ微妙な立場では、これ以上つまらないことで目立ちたくもないのだろうが・・・


「あの・・・とにかく、今日はお疲れ様でした! また明日!!」

雪は踵を返すと、出口へ向った。すぐに、前嶋が雪を捕らえた。

「ちょっと待って。なら送ってくよ。こんな時間に女性を一人で返せない。それと、これはいらない」

前嶋は雪の置いた金を返した。

「いえ、奢(おごっ)て頂く理由はありませんから。それに私だって軍の戦士です。送って頂かなくても帰れますわ。」

「だめだよ、なら帰せない。いくら勇士でも君は女性だ」

押し問答が続いていた。


(6)

進は、この光景を怒ったように見ていた。守も弟がどう出るか見守っていた。
やがて前嶋が雪の肩を掴み、雪がそれを困惑顔で払おうとする様子が見えた。

(おい、進 まだ動かないのか!?)

拳を堅く握ったまま動かない弟にしびれを切らした守が、すっ、と立ち上がり、つかつかと歩み寄ると雪と前嶋の前に出た。

「俺が送って行こう。いいな、雪」

意外な人物の登場に、二人が驚いたのは言うまでも無い。
雪も「は、はい・・・」としか言葉が出なかった。

「それと、これは雪の分だ。取っといてくれ」

多めの金を無理矢理前嶋に渡し、「受け取れない」と食い下がる前嶋に守はきっぱり

「君に支払ってもらう理由はない。そうだな、雪」

と言った。

「ええ」と答える雪に前嶋も黙ってしまった。


「おい、帰るぞ」と守が声をかけて現れた人物に、雪は仰天した。

「こ・・・古代君?!」



明らかに怒った顔の古代兄弟に誰も逆らえるはずは無く、ことの次第を見ていた秘書課の連中も目をそらして知らん顔をした。

店を出た守・進と雪は、黙って歩いていた。
雨は、容赦なく3人を濡らして降り続いている。

守は振り返ると、進に向って押し殺したような声で言った。

「おまえ・・・一体どういうつもりだ・・・自分の大切な人くらい自分で守れよ。 おまえは何様のつもりなんだ。雪がどうでるか、試そうとでもいうつもりか。少しは雪の気持ちも判ってやれ。おまえ男だろ? お前にはまだ、守るべき者がここにあるんだろ? 雪に甘えるのもいいかげんにしろよ!」

言い捨てると、守は立ち竦む二人を残し、一人で帰って行った。

進は黙って俯いたまま守の言葉を聞いていた。
雪はどうしていいのか判らずおろおろとしていたが、やがて進の拳が堅く握られたままなのに気付くと、そっと自分の手を重ねた。

「古代君、帰りましょう・・・ねっ・・・」


         

『064五月晴れ』につづく


いつも兄の背中を見てきただろう古代君。今回も背中を見詰めて終わってしまいました。早くに父を亡くした古代君にとって、守兄は永遠に理想とする『男』の姿ではなかったのでしょうか。仕事では兄に追いついてきた古代君も、こと恋愛に関してはまだまだ遠く及びそうもありませんね。彼が兄に追いつくためには、まだまだ多くの試練を乗り越えねばなりませんから。
by せいらさん(2005.1.15)

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