024 ほたる
赤のオーロラさん作

 「夕涼みにいかないか」

 夕食後の御茶を入れようと席を立ったユキに進が声をかけた。さりげない,いや,さりげなさを装った声に,ユキは進が何か秘め事をしているのに気づく。昔からこの人はッ秘め事が下手だったと思いながら,ユキは何気ないふうに「今日は涼しいし,ちょっと歩きましょうか」と応じた。

 こんな機会でもないと着ることもないから,とユキが取り出したのは,今は亡きユキの母がつくってくれた浴衣だった。
 この時代に戦争でも事故でもなく天寿をまっとうできたのは幸せだと,母の死に際して人々は口にしたけれど,それでも母を失うのは辛かった。しかし悲しみの中で,進がまるで実の親を失うかのように悲しみ,ユキを労わってくれたことが,ユキを支えてくれた。

 そんなことを思い返しながら,ユキは浴衣をテキパキと進に着つけていく。
 「ああ,お義母さんの思い出がよみがえるなあ」進の声。
 思わず涙ぐみそうになるユキ。側に進が居なければ母を失う悲しみには耐えられなかったと思う。

 浴衣を着た2人は街路に出た。地上車はあえて使わずゆっくりと歩く。てっきり公園か河川敷に行くものとばかり思っていたが,進の足先は別のところに向っていた。
 「バイオテクノロジー研究所」某国立大学附属の研究機関。夜間で人影はない。進は懐から照合キーを取り出すと通用口を開け,ユキを招き入れた。

 進が停年退官して軍をしりぞき,この研究所の研究生として入所したのは3年前だった。多くの大戦で人材は枯渇し,進のような最前線での豊富な経験がある者にとって,停年など形だけでしかなく,体の続く限り軍に留まる者が多いなかで,それは異色な選択と騒がれたものだ。

 しかしユキは知っていた。昆虫学者になりたいと思ったこともあったのだと,出会ったあの頃に進から聞かされていたから。
 ユキが賛成してくれたことで意を強くした進は,周囲の慰留をふりきり,2年間は学生として,その後は実績を買われて助手としてこの研究所に籍を置いていた。

 夜間の研究所は人影もなく,少し恐い。しかし進が一緒なら安心だった。半歩だけ先を歩む進の左肩がほんの少し下がっている。幾多の戦いで得た戦傷の影響だった。
 その肩をユキは痛ましく思うと同時に,その肩に手を触れることができる今の生活の幸せをかみしめる。
 戦争がなくとも宇宙は,常に死の危険に満ちている。夫である進をそこに送り出す時,いつも不安に震えた。帰ってくるその日までがどんなに長かったことか。

 「ついたよ」
 進はユキを振りかえった。研究所の屋上。わずかな緑であるが人工のものではない生気に満ちた空間が広がる。
 「見せたいものがあるんだ。少し目を閉じていて」
 進の声にユキは目を閉じる。なんだろう。

 「もう,いいよ」
 何かカタンとあける音がして,進が声をかけた。あたりに1つ,2つ,乳白色の柔らかい光が瞬き出す。
 「ほたる?」
 「ああそうだよ。ほたるさ。僕が開発した。ほたるは環境の変化に弱くてね,宇宙船の中では長生きできなかった。それを改良し,かつ他の惑星に持ち込んでもその惑星の種に影響を与えないように工夫したんだ。これをユキに見て欲しかった」

 「宇宙は素晴らしいけれど」進が続けた。「宇宙に長くいればいるほど地球が恋しくなる。慕わしい気持ちが押さえられなくなる。人工映像などでそれをケアする方法も進んでいるが,僕自身はもっと自然なものが好ましいと思うんだ。たとえば,ホタルを見て,地球を懐かしく思い起こすことができたらなあと思ったのが開発のきっかけさ」

 「ねえユキ。宇宙には危険が一杯だ。僕ももうだめだと何度も思ったよ。そんな時に,ああ自分には帰る家がある,会いたい人がいると思うことで,ぎりぎりのところで活路を見出すことができた。
 そうして今ここでこうして僕たちは2人で立っている。このほたるが,地球を離れて宇宙での生活をする人にとって,帰る家を思い起こさせるものであってほしいと思うんだ」

 「このほたるに,開発者としてぼくが命名する権利を与えられたんだ」
 誇らしそうな進。ユキも嬉しくなって
 「じゃあ,素敵な名前を考えなくてはね。何がいいかしら」
 と応じる。
 「いや,もう名前なら決まっている。開発するその前からね」

 「ホワイト・スノウだよ。君の名前をこのホタルに込めた。いつも君のことを考えてきたから」

 ホタルは数を増して,まるで真夏の雪のように2人の周りを舞う。
 出会ってから幾年月,決して平穏な日々ではなかったけれど,この人生を選んで悔いはなかった。
 舞うホタルがいつしか涙で滲んで見える。そんなユキを進はそっと抱き寄せた。

(終)


赤のオーロラさんから初めてのお話をいただきました。遠い遠い未来の二人。長い年月を夫婦として過ごした二人が、やっと到達した静かな時を感じました。古代君もやっと落ち着いた人生を過ごせているんですね。
あい(2003.10.24)

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(背景:pearl box)