052 忘れない
池永明生さん作

「色々あったね……………」
「そうね。」
風が吹く。少女が心から思い、願い続けながらも叶わなかった事。
彼にとって唯一の肉親になってしまった少女の叶えられなかった夢。
その少女ももういない。

今、二人は少女が願っていたその地に立っている。
小高い丘の上のメモリアルパーク。
彼は兄夫婦とその娘の眠る地を「英雄の丘」とは別にここに建てた。
景色が良い事と、最初の航海の後にここに両親の墓を建てたのがその理由だった。

「今日は……君に『さよならを言いにきたんだ』」
少女は彼を慕っていた。慕っていた心は何時しか恋心に変化していった。
だけど、彼は少女の事を、少女の本当の心、少女の孤独な心……
その何もかに気が付いてあげられなかった。
母親は少女が生まれてすぐに父親と自分を残して逝った。
本来なら地球で父親と暮らせるハズが母親の星の関係上叶えられなかった。
少女は父親の友人によって育てられた。
けれど決して不幸ではなかった。二人の父親に愛情たっぷりに育てられた
少女。そう、あの時までは………

戦禍は再び少女のもう一つの故郷を襲った。そして一人の−肉親である父親−を亡くしてしまった。
忙しい中一生懸命時間を作って少女に会いにきてくれた父。
その父に叔父である彼の事を色々教えてもらった。
初めて会う叔父。
今でも彼の脳裏には久しぶりに会った−そして成長した−姪である少女のくったくのない顔が焼き付いている。恐らく、それは一生涯忘れる事はないだろう。

だけど……
彼には少女の事よりも離ればなれになった恋人の方が気になっていた。
少女は何とかして自分の事を知って欲しいと話かけてくる。
でもそこまでの余裕が彼にはなかった。
そして決定的な事を少女に言ってしまったのだ。
ほんの、さりげない言葉が少女を傷つけてしまった。

その事に気が付いた時にはもう……手遅れだった。

誰のせいでもない、誰が悪いのでもない。
それでも、少女がこの世を去った後、彼は自分自身を責め続けた。
そのせいで恋人も傷つけてしまった。それが更に彼の心に傷をつける。
恋人の彼女は彼の心の傷を逃げる事なく受け止める。どんな事があっても決して逃げる事はなかった。

痛くて痛くて痛い日々が続いた後、ふわりと何かが軽くなった。

「誤解しないでね、『さよなら』といってもあなたを忘れるわけではないのよ。
あなたのおじさまは。忘れるわけじゃないのよ。信じてくれる?」
彼の恋人がそっと手に持っていたかすみ草の大きな花束を置いた。

風が吹く。柔らかな夕方。
「あなたのおじさまはね、ちゃんとあなたの事を考えていたわ。幸せを願っていたわ。私の事でいっぱいであなたに上手く伝えられなかっただけ。気が付かなかっただけなの。彼はそれを後悔している。許してくれる?ごめんね。それを信じて欲しいわ。彼が戻ってきた時、その事を知ったの。会いたかったわ。成長したあなたを」

彼女は未来の「姪」になるハズだった少女に静かに語った。
「夢があったの。イスカンダル人が成長する速度の事、実は知っていたのよ。もしも地球に来たら色々な所に連れていってあげたい、普通の女の子が体験する事を体験させてあげたい。でも・・・」
彼女の髪がふわりと揺れた。
「私たちきっと、『姉妹』に見られたかもね……」

「あなたが逝ってしまって彼はとてもとても苦しんだの。どうしようもないくらいに。私はどうすればいいのかわからなかったわ。職業柄そういう教育は受けていたのに、情けないわね。今の地球ではそういう事は珍しくも何ともないのに、初めての体験でもないのに、私もとてもとても苦しんだ」

彼女は彼の横顔を見た。
夕暮れの中のかすみ草。
彼はそのかすみ草の横に一冊の絵本を置いた。
『君にさよならを言いにきたんだ』
この本の存在先輩から教えてもらった彼女は早速本を取り寄せて彼に渡した。
それは子ども向けの絵本。
死のプロセスを受容する絵本として有名な物だった。
「作者 あなた」と表紙にはそう書かれてある。
「あなた」そう、彼の事だ。
彼女の死を受け取り、悩んで苦しんでそしてその中から何を意味するのかを考え、昇華させてゆく。
最後は『死の受容』で終わる。乗り越えるのではなくて「受容する」

『どうやって書けばいいのかわからない』彼は彼女に最初そう言った。
「あなたの思うままに書けばいいの。あなたの思う通りでいいの。」
「上手く書く自信が・・・」
「一緒に書いてあげるわ。私もあなたの悲しみと苦しみを分けて欲しいから」



「もう、大丈夫?」
「ああ。あの時は辛かっただろう?」
「どうして?」
「だって……」
「もうその事は言いっこなしにしましょう。もう私達は受け入れたのだから」
少女の事はもう忘れる事は出来なくなってしまった。
なら、その時の傷を少しでもいいから癒して、重荷を軽くさせてあげたい。
「私も一緒に受け入れてあげたから、一緒に背負って行く事にしたのだから」
彼女は優しく彼の頬に手を当てた。
「一緒よ、私も。だから……」
「だから辛い時には言ってね。私もその辛さを受け止めてあげるから」

『今日は君にさよならを言いにきたんだ』
『でもそれは悲しい意味のさよならじゃないのよ』
『新しいステップに上がるためのさよならなんだ』
『新しいステップには何があるかわからないけれど、君の事は忘れない
からね。』
『絶対に、忘れないからね』

end


池永明生さんから最初のお話です。忘れない……忘れられない彼女への想い。古代君も雪もきっと大切に抱いて生きていくことと思います。
あい(2003.9.27)

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