063 クッキー
みーこさん作


ヤマトが第二の地球探しの航海に旅立ってから約2ヶ月が過ぎ去ろうとしていた。その目的はいつ果たせるという保証も無く、全く未知の航海だ。だが、一年以内に第二の地球を探し出せないと、人類は太陽の異常増進によって、必ず死滅する危機に晒されている。そしてこの航海が始まって間もなく、ヤマトは敵艦隊の襲撃を受け、早くも数名の犠牲者を出していた。

生活班長である森 雪は今日の任務を終えて、自室に戻る前に生活班長室に立ち寄り、明日の班長会議で使用する資料に目を通していた。その資料は三日前に「これでは使えない。」と、艦長である古代 進に突き返されたものを書き直したものだった。

(なんだか疲れちゃった・・・・)

資料から目を離す雪の表情にはどことなく疲労の色が漂っている。

(こんな状態がいつまで続くのかしら・・・・)

雪は頬杖をついて俯くと小さな溜息をついた。

雪が言う<こんな状態>とは、艦長であり婚約者でもある進から、この航海ではただの<艦長と生活班長であろう>ということを言い渡されたことである。つまり、婚約者同士であることは無事に第二の地球が見つかるまでは忘れようというものだった。

今までの航海では進は艦長代理という立場だったが、今回は全ての結果が進の判断ひとつで決まる、そしてその責任からはどうしても逃れられない、人類の存亡がその肩にのしかかってくると言う重いものを背負った艦長という立場に立ったのだ。

もちろん雪もそんな進の立場はよくわかっていたので、少し寂しい気持ちもあったが進の意見に反発することなく、その進の気持ちに従った。

それだけなら、なんの問題もなかったはずだったのだが、<それだけ>では治まらなかったのだ。

なぜなら・・・・、進の態度が明らかに<艦長と生活班長>以上に距離を置くものなのだ。艦長室の掃除は初めての航海の時から生活班長である雪の仕事だった。にも関わらず、雪が部屋に入ると、わざとらしく出て行ったり、何か理由を付けて雪を追い出すような態度を取ったりする。業務連絡の時も、誰が見ていても明らかにわかる冷たい返事をしたりする。

そんな進の態度に気付かないはずのない、第一艦橋のクルーたちは何かにつけて雪に優しく接してくれる。だが、その優しさが雪の気持ちを一層、辛くさせるものでもあった。

それに他の女子乗組員たちが地球に送還されてからは、彼女たちの仕事が全て雪に回ってきて、その忙しさはまさに目が回りそうなくらいだ。そのおかげで雪は以前のように第一艦橋に顔を出す事は出来ないでいた。だが、雪はそんな忙しさの中でも何とか時間を見つけて、第一艦橋へ顔を出す。それはそこには必ず、進の姿があったからだ。

しかし、進は時間に余裕のあるときでも決して今までの航海の時のように、雪に話しかけてくることはない。それどころかまともに雪の顔すら見ようとしないのだ。

そんな進の態度に雪の心は引き千切られそうに痛むのだが、だからといって、第一艦橋に足を運ばなくなると、それこそ雪以上に忙しい進の顔を見ることは叶わない。

航海が始まった頃は、<任務を遂行するためには仕方がない、自分は進に愛されているのだから。>と、進の態度にもさほど気にしないようにしていた雪だったが、さすがに最近では<愛されている>という自信がなくなってきたりすることもある。それどころか自分はこの航海には参加するべきではなかったのでは、自分がいないほうが進にとっては都合がいいのでは、などという思いが雪の脳裏によぎる。

そう言えば、最後に進に抱きしめられたのはいつだっただろう、地球で居た時、いつも進の腕に抱かれて眠ったのがもう何年も前のことにように感じられる。

雪は資料をテーブルの上に置くと、ゆっくりと立ち上がり、自分専用の戸棚を開けてその中から、お弁当箱くらいのプラスチックケースを取り出した。雪はそのケースに親友の佐伯 綾乃の顔を思い浮かべた。

― 何か辛い事があったら、これで私の事でも思い出してね。でも、雪には古代さんが一緒だから大丈夫ね。 ―

雪がヤマトに乗り込むのを知った綾乃は、クッキーを焼いて真空パックにそれを詰めて出発前に手渡してくれたのだ。

(綾乃・・・・、あなたがここにいてくれたら、どんなにかいいのに・・・・。)

出発前に会った時の綾乃の笑顔を思い出して、雪は心の底からそう思った。

雪の気持ちが追い詰められているのは、ヤマトに残った女子乗組員が雪だけだということも関係していた。他の女性クルーがいた時は、進の態度に心を痛めながらも休憩時間や食事の時間に、同性同士の無責任なたわいも無い話に花を咲かせ、それなりの気分転換が上手くできていた。何人かは雪の置かれた状況を理解してくれて、慰めてくれたり励ましてくれたりもした。

だが、女性クルーが帰還してしまった今は、そんな相手が誰一人としていなくなってしまったのだ。
もちろん、男性クルー達も雪には親切だし、優しく接してくれる。特に最初の航海から生死を共にしてきた第一艦橋の仲間達は性別を超えて理解しあっていると思っている。きっと、雪がどんな相談を持ちかけても、真剣に取り合ってくれるだろう。

でも・・・・、やはり違うのだ・・・・。例え生死を共にした仲間でも、性別を越えた友情で結ばれていても、女性の気持ちは女性にしか理解できない事だってある。同性には簡単に話せることが、異性には話せなかったりする。

過去の航海においても、女性クルーは雪だけだということもあったが、その時は進との関係は婚約者同士という関係のまま乗り組んでいたので、今のように気持ちが不安定になることはなかった。

(あなたは強いわね、綾乃・・・・。その強さを私にも分けてちょうだい・・・・。)

綾乃はきっと、ヤマトを信じて日を追うごとにジリジリと太陽に焼かれる地球で、みんなの帰りを待っているはずである。綾乃が本当に待っている男性<ひと>、それは航海長である島 大介だった。

綾乃が大介に思いを寄せるようになってから、もうどれ位だろうか?本来ならば、いい意味でも悪い意味でも二人の関係に何らかの進展があってもおかしくはない。現に雪と進はなにかあるたびに、大介と綾乃を誘って食事やドライブに出掛けたりしていた。

しかし、綾乃はテレサとのことで深く傷ついている大介に自分の気持ちを打ち明けることなく、ただその傷が癒えることを祈っているだけなのだ。

― 島さんが元気でさえいてくれたら、私はそれで充分よ。 ―

綾乃の気持ちは解りすぎるくらいわかっている雪が、大介に綾乃のことを話そうとすると、綾乃は決まってそう言うのだ。

今回の航海は最長で一年・・・・。
その間、綾乃はじっと信じて待っている事しかできない。そして無事に再会できたとしても、大介の気持ちが綾乃に向くかどうかはわからない。綾乃本人もそれはよくわかっているが、それでも大介が好きだと言い切るのだ。

(ダメね、私・・・・。もっとしっかりしなきゃ、古代君のことだって信じられなくてどうするの?ヤマトには、私達の肩には地球の将来がかかっているだから・・・。綾乃のためにも第二の地球を探して帰らないと・・・。)

笑顔で自分を見送ってくれた親友のことを思い出した雪は、気を取り直して再び資料に目を通し始めた。



ところ変わってここは厨房・・・・。
チーフである幕之内にどやされながら必死にジャガイモの皮を剥く一人の新人の姿が。
「おい!土門!たったそれだけ剥くのに、一体どれだけかかっているんだ!?」
「す、すいませんっ!」
焦りながらもジャガイモと格闘しているのは、土門 竜介、生活班の新人だ。

本当は戦闘班を希望していたのだが、進の意向で生活班所属になった。
自分の希望が通らなかったことと、直属の上官が女性の雪であることに最初こそ反発したものの、今ではすっかりそんな態度は影を潜めて、毎日幕之内に怒鳴られながらも任務に励んでいる。

「全く・・・!そんなことじゃあ、平田の包丁が笑っているだろう!!」
包丁が笑うはずは無いのだが、竜介は思わず自分が使っている包丁に目をやる。この包丁の持ち主であった平田はこの前の戦闘で殉死したのだった。今はそれを形見として竜介が使っている。

「バカ野郎!包丁が笑うわけないだろう!?冗談もわからんのか!?」

全く、冗談だといって笑うと怒鳴られ、本気に取るとまた怒鳴られ・・・、
(はぁ・・・、俺、一体どんな反応をすればいいんだ・・・。)
一人、心の中で嘆く竜介だった。

それでもどうにかジャガイモの皮むきを終えた竜介は、食堂のテーブルで作業をしている幕之内に声を掛けた。

「おう、今日はもう上がっていいぞ。それから戻る時にこれを班長に渡しておいてくれ。」

そう言って幕之内は今、書き上げたばかりの2週間分の献立表を竜介に渡した。
<班長>という言葉に一瞬、竜介の口元が緩む。そしてそんな竜介の表情を幕之内が見逃すわけが無い。

「おい、班長の前でそんなにやけた顔をするんじゃないぞ!俺達の本当の任務はわかっているんだろうな?」
「は、はい!」

幕之内に一喝された竜介は直立不動の姿勢をとると、献立表を手に食堂を出て行った。
そんな竜介の背中をじっと見詰める幕之内・・・・。

(おい、土門 竜介・・・。あまり本気になるな・・・・、お前はまだ知らないだろうが、艦長と班長はそこいらの恋人同士じゃないぞ。何度も生死の境を共に戦って来たんだ・・・、お前が入り込む隙間なんてこれっぽっちもないんだぞ・・・。)

竜介の気持ちを知っている幕之内は内心そう思っているが、かと言って、進と雪の関係を今の竜介に話すのも気が咎める。

(まあ、そのうちにわかることだけどな・・・・。それとも、いっそのことその前に告白してしまうか?どっちにしろ、<玉砕>したお前を慰めてくれるヤツはこの艦<ふね>にはいくらでもいるから、安心して砕けろ・・・。)


一方、<親の心、子知らず>の竜介は仕事という名目上でも雪と少しでも話せると言う事が嬉しくて、ワクワクしながら医務室に向かっていた。

だが、そんな竜介にも気になっていることがあった。それは最近、雪の笑顔を見かけることがめっきり減ってしまった事だ。以前は顔を合わせるたびに優しく笑いかけてくれた。平田が殉死した時も、うちひしがれた竜介の気持ちを救ってくれたのは雪の笑顔だったといっても過言ではない。

まさに雪は竜介にとって<女神様>なのだ。その<女神様>の表情に最近、翳りが見られる。仕事は今までと同じようにこなしているのだが、ふとしたときに見せる寂しげな瞳と小さな溜息・・・。
そして竜介は知っている、雪にそんな表情をさせる原因を。

(班長は、どうして艦長なんかが好きなんだよ・・・!?)

自分に対してあんな態度を取る艦長を選ぶくらいなら、もっと他に誰かいそうなものだ。

(そうだよ・・・!あんな艦長なんかより班長にふさわしい人はいるじゃないか・・・。艦長よりも島副長の方がずっと似合っているよ。あの人はいつだって冷静だし誰に対しても優しいし・・・。なのに、どうして艦長なんだよ?艦長って絶対変だよ、あんな美人の班長に身の回りの世話をしてもらいながら、あんな態度を取るんだから・・・!)

<女神様>を苦しめるヤツは相手がたとえ艦長であっても、許せない気持ちになる竜介。しかし、艦長よりも自分の方が雪に相応しい・・・・、なんて思わないところが竜介の良いところだったりする。

(班長を目の前にしてなんとも思わないなんて、艦長、どっかおかしいんじゃないのか?も、もしかして・・・・、いや・・・しかし・・・女性に興味がないとか!?)

考え過ぎて、煮詰まりすぎて出た結論が・・・・<艦長は○○>?

(や、やっぱり考え過ぎた・・・!そんなことあるもんか!でも・・・恋人がいる様子でもないし・・・、こ、こういう事って一体誰に聞けば良いんだろう?この中で、艦長の事を一番良く知っているのは・・・島副長か・・・訓練学校時代からの親友だって言うし・・・。ここはやっぱり島副長に聞いてみるし
か・・・。)

一人で考えて、一人で議論して、一人で出した結論に一人で頷く竜介。

(い、いや・・・ちょっと待て・・・!副長って・・・・、確か・・・艦長の次にエライんだよな・・・。)

そうなのである、副長は艦長の次にエライ人。ヤマトクルーたちは普段は余り上下関係にこだわらない。第一艦橋のメンバーたちも竜介たち新人に対して、気軽に話しかけてくる。これが他の艦ならそんなわけにもいかないだろう。でも、やっぱり艦長は艦の中で一番エライ人で、副長はその次にエライ人であることには変りはない。はっきり言って竜介から見れば<雲の上の人>である。そんな<雲の上の人>に<艦長って○○なんですか?>なんて聞ける道理がない。

(島副長がダメなら真田副長・・・。ダメだ〜〜〜〜!同じ副長じゃないかぁ!それにもっと聞きにくい・・・。じゃあ南部さんか、相原さん、それとも太田さんか・・・。)


「おい、土門。さっきから何を一人でブツブツ言ってんだ?」

「う、うわーーーっ!!なんだ・・・南部さんか・・・。脅かさないでくださいよぅ。」

突然として南部に背後から声を掛けられた竜介は、飛び上がらんばかりに驚く。

「<なんだ>とは失礼なヤツだな。どうせまた麗しの生活班長のことでも考えていたんだろう?そういやお前、やたらと最近雪さんの後ばかり追っているよな?そんなところ、艦長に見つかってみろ、<ヤマトにストーカーはいらん!>って放り出されるぞ。こんなところから宇宙遊泳で帰りたくはないだろう?」

「うっ・・・。」

有りそうで無さそう・・・、無さそうで有りそうな南部の言葉に竜介は思わず発する言葉を失ってしまう。

「冗談だよ、冗談。いくらなんでも艦長がそんなことするワケないだろう?」

自分の言葉を真に受けた竜介の表情がおかしくて、つい吹き出す南部。南部にとっては艦長である進とは上官と部下ではあっても、日常生活に戻れば気心の知れた友人同士である。ゆえにこんなことも冗談で言えるのだが、竜介にとって進の存在は上官と部下以外に他ならない。

「南部さんっ!」

「ハハハハハ・・・・、そんな事より土門、仕事はもう終わったのか?こんなところで突っ立っていると艦長はもとより、幕之内さんにどやされるぞ。」

南部に言われて、雪に献立表を持っていくことを幕之内から言われていた事を思い出した竜介は、南部の笑い声を背に慌てて医務室に向かった。



「なんじゃ、土門?雪ならここにはおらんぞ。生活班長室じゃ。」

佐渡医師は医務室に入って来た竜介に気が付くと、竜介が何も言わない間にそう言った。

「あ、はい。ありがとうございます。」

竜介は一言言うと、医務室を後にして生活班長室に向かった。もちろん

「土門、お前さんも辛いよのぉ・・・・。」

なんて呟いた佐渡医師の言葉など竜介の耳に入るはずも無かった。



佐渡医師や幕之内の心配をよそに、竜介は生活班長室のドアの前に立っていた。いつも一緒に仕事をしているので雪と顔を合わすことも、話すことも慣れている。だが、雪の自室やここのドアをノックするのには、なんとなく勇気が要るのだった。しかし、幕之内に頼まれたものは今日中に渡さなければならないし、やっぱり雪の顔を見ることが出来るのは仕事上といえども内心嬉しい物がある。

早くなる鼓動を抑えて、竜介はドアを叩いた。

「はい。」

すぐに雪の声で返事がある。竜介は「失礼します。」と、言うとそのドアを開けた。

「あら、土門君、どうしたの?」

机の上に資料を出したままで、竜介に微笑みかける雪。もう、それだけで竜介の心臓はドキドキ、目はキョロキョロ、ついでに鼻の下は長くなる・・・。しかし、肝心な事を忘れるわけにはいかない。

「あの、これを幕之内さんから預かってきました。」

「あ、この間、頼んでおいた分ね。」

雪は椅子から立ち上がると、竜介のほうに歩み寄って献立表を手に取る。そんな雪の髪からほのかなシャンプーの香りが竜介の鼻をくすぐる。それだけで竜介は夢見心地な気分になって、雪の心を占領している<ライバル>進のことなんて、どこかへ飛んで行ってしまうのだ。

「本当は自分で取りに行かなきゃいけなかったのに、ごめんなさいね、土門君。」

雪の声にはっと我に帰る竜介。

「い、いいえ・・・!このくらいのこと・・・、じゃあ、これで失礼します。」

竜介が頭を下げて後ろを向こうとしたとき
「土門君、もうお仕事は終わったの?」
と雪の声が、竜介を呼び止めた。

「え?は、はい・・・・、もう終わりましたけど・・・。」
ドキンと心臓が音を立てる。この前も雪の自室の前で立ち去ろうとするのを、呼び止められたのを思い出したからだ。

「じゃあ、丁度良かったわ。いい物があるの、土門君って甘いものは好きかしら?」

「は、はい・・・。」

落ち着かない様子の竜介を尻目に雪は楽しそうにそう言うと、竜介に椅子に座るように促す。そして自分はそそくさとティーポットに紅茶の葉を入れている。

「あ、ごめんなさいね。聞きもしないで・・・、紅茶でよかった?」

「は、はい・・・・。」
(確か、艦長が紅茶党だったよな・・・・、今更だけど・・・やっぱり班長って艦長のことで頭がいっぱいなんだ・・・。)

竜介は返事をしながらも、雪の何気ない進への想いを感じてしまう。

そんな竜介の想いに気づくはずもない雪は、ティーポットに紅茶の葉を入れると、さっき取り出したプラスチックケースのふたを開けて、クッキーを竜介の前に置いた皿に取り出す。

「これ、班長が焼かれたんですか?」

「え?まさか・・・、私、こういうのって言うか、お料理は苦手なの・・・。」

決まり悪そうに肩をすくめて笑いながら雪が言う。そう言えば、誰かが<生活班長が淹れたコーヒーは酷いもんだよ。>なんていっていた事を竜介は思い出した。

「これはね、地球を出るときに友達が焼いて持たせてくれたのよ。」

「そ、それじゃあ、大切な物じゃないですか?いいんですか?俺なんかが食べても・・・。」

雪が買って持ち込んだものではなくて、友達がわざわざ焼いてくれたものだと聞いた竜介は、自分が口を付ける事をためらった。この航海がなんでもない、普段の航海ならそんなことは思わないのだが、今回の航海は人類の存亡が懸かっている。どんな気持ちでその友達が雪にこれを渡したのか・・・。

「いいのよ、私一人でこっそり食べるより、誰かと食べた方が綾乃も喜ぶわ。でも、みんなでって言うわけにはいかないから、土門君は特別ね。」

<特別>という雪の言葉に竜介の胸はドッキン、ドッキン・・・。雪の気持ちが誰にあるのか、よーーーく判っていても心のどこかで期待してしまう。


そんな竜介の気持ちなど知るはずもない雪は、部屋の奥へ行ってティーカップを用意している。
その雪の背を見ていた竜介だったが、ふと机の上に置かれた皿に目をやった。

プレーンクッキーとおぼしきものと、チョコチップの入ったものがその上に置かれている。チョコチップの方を一口かじってみる。

サクッとした食感と、バターの香り、そしてチョコレートの甘くて少しほろ苦い味が口の中に広がる。
それをゆっくりと噛み締めると、ヤマトに乗艦して以来、忙しさに追われてすっかり忘れていた頃の事が、竜介の脳裏に鮮やかに甦ってきた。



(・・・・・母さん・・・・!)

竜介の母はケーキやクッキーを焼くのが得意で、竜介が幼い頃は誕生日にはもちろん、普段でもよくおやつにお菓子を焼いてくれた。小学校低学年くらいまでは、そんな母親が自慢でよく友達を家に誘ってカップケーキやマドレーヌを焼いてくれるようにせがんだものだった。

だが、そんな竜介が一番好きだったのはシンプルなバタークッキーにチョコチップを混ぜたものだった。ボールの中の生地にわざとたくさんのチョコチップを入れては、よく叱られた。

しかし、小学校高学年くらいからは母親離れも進み、次第に友達同士で出かけることが多くなった。その頃はもう、ガミラスによる遊星爆弾で地下都市での生活をしていたが、物心がついてからは平和な地球など知らなかった竜介にとっては、そんな地下都市での生活も疑問に思うことなく、自然に受け止めていた。

そして中学を卒業し、宇宙戦士訓練学校に入ってからは寮生活になったので、そのまま両親とは離れて生活をしていた。

思春期に差し掛かったくらいから、<クッキーやケーキなんて、女の子の食べるものだ>と、友人達と大人ぶり始めたことも手伝って、竜介が母親にお菓子作りをねだったりすることはなくなっていた。

訓練学校から自分の誕生日に帰宅できた日、せっかく焼いてくれたバースディケーキも、今思えばそんなつまらない理由で一口しか手を付けなかったのだ。その時、竜介は母親が淋しそうな顔をしたのに気付きながら、わざと気付かない振りをしてしまった。

だが、その時の竜介にはまさかそれが母親の焼いたケーキを口にすることが出来た、最後の時だったとは想像も出来なかったのである。



「お待たせ、美味しいかどうかわからないけど・・・。」

雪は紅茶を入れたティーカップを、机の上に置いた。
しかし、竜介は机の上に目線を落として、俯いたままだ。

「土門・・・くん・・・?」

食べかけのクッキーを見詰めたままで、顔を上げない竜介。

「・・・・どうしたの?・・・どこか具合でも悪い?」

さっきまでの様子とまるで違う竜介に、雪は心配そうに尋ねるが、竜介は首を横に振るだけで何も答えようとしない。

いや、答えようとすると、喉が塞がって声が出ないのだ。

「・・・い・・・え・・・・、何でも・・・な・・・い・・・です・・・。」

喉の奥からせりあがってくる熱いものをどうにかこらえて、途切れ途切れになりながらも竜介はそう答えた。

ドン・・・!

こみ上げてくる感情をどうにかして押し止めようとする竜介は両の握りこぶしを音を立てて、テーブルの上にぶつけるように置いた、

(土門君・・・・。)

そんな竜介の背中をじっと見詰める雪。

イスカンダルへの最初の航海から、男性クルーたちのこんな姿を何回となく雪は見てきた。もちろんその中には進も含まれている。そして、こんな時はむやみに声を掛けないほうが良いと言う事を、雪は無意識のうちに知っていたのだ。

そして竜介は母への想いと、それと一緒に溢れてきそうになる涙に歯を食いしばって耐えていた。

自分一人なら感情のままに泣く事も出来るが、ここは生活班長室でしかも自分のすぐ後ろには憧れてやまない雪がいる。雪が自分の方を振り向いてくれるなどとは思えない竜介だったが、雪の前で涙を見せる事なんて絶対にしたくない。雪の前だけに関わらず、女性の前で泣くなんて、しかも母親が恋しくて・・・・なんて、男としてのプライドだってある。

しかし、そんな竜介の理性的な部分とは裏腹に、感情の方はいうことを聞いてくれないようで、どんなにこらえてみても肩が震え、瞳からは一粒・・・、二粒・・・、と雫が落ちる。

「く・・・っ・・・・。」

噛み締めた唇からは苦痛にも似たうめき声のようなものも洩れ始めた。

そんな竜介の視界に突然、入ってきたもの・・・・。それはアイロンのかかった白い木綿のハンカチだった。

思わず振り返る竜介・・・。

「いいのよ・・・土門君・・・。泣いたって・・・、辛い時は泣いた方がいいの・・・。」

マリア像のような慈愛に満ちた微笑を湛えた雪がそっと竜介に優しく言う。そしてその雪の瞳もこころなしか潤んでいるようだった。

その優しげな微笑の中に竜介は一瞬、母の面影を見たような気がした。

「は・・・班長・・・・。くぅ・・・・っ、母さん・・・・!」

竜介は雪の手からハンカチを取ると、そのまま机の上に突っ伏した。

ヤマトに乗り組みが決まってからも、その後も忙し過ぎて両親が亡くなったことの悲しみに浸る時間さえなかったのだ。その気持ちが一気に溢れ出したかのようだった。

雪はそんな竜介の隣に黙って座ると、そっと静かにその背中を撫で始める。

太陽観光船が破壊された事故で亡くなった母親との間に、きっと何かあったのだろうと思いながらも、あえて何も聞かない雪・・・。そのうち竜介の口から、そういうことを聞く日が来るかもしれない・・・。

そして雪の目には、こうして母親のことで声を殺して泣く竜介の姿と、出会った頃の進の姿が重なって見えるのだ。誰もいないヤマト農園で、自室で、たった一人きりで感情を殺したように泣いていたに違いない・・・。

この航海で初めてヤマトに乗り込んできた竜介は、その頃の進にそっくりだと言われているし、雪自身もそう感じる。だからだろうか、雪も竜介に対して何か特別なものを感じるのだ。だが、それは決して恋愛感情ではない。そっと手を差し伸べてやりたくなるような、黙って見守っていてやりたいような、そんな母親が息子を見るような、姉が弟を見るような・・・、そんな感情に似ているかもしれない。

背中をゆっくり撫でる雪の手の暖かさに気付いた竜介は、悲しみで固まってしまっていた心が少しずつ溶かされていくような気がした。そう言えば小さかった頃、迷子になって泣いている竜介を見つけた母がこうして優しく背中を撫でてくれた。

(母さん・・・・。)

母親の手に守られていた頃のことを思い出す竜介だったが、不思議と涙はもう出て来なかった。



艦内服の袖でごしごしと濡れた頬を拭うと、竜介はゆっくりと顔を上げた。

「・・・す、すみませんでした・・・、班長・・・。」

竜介は雪から少し視線を外しながら顔を赤らめてそう言うと、立ち上がって頭を下げた。

「ううん、いいのよ。・・・どう?大丈夫?少しは落ち着いたかしら・・・?」

まだ赤い目をした竜介の顔を心配そうに雪が覗き込む。

(う・・・うわ・・・っ!班長・・・っ!!)

思わぬ雪の顔の接近に思わず仰け反りそうになる竜介。
数分前まで沈んでいた気分など吹き飛んで、胸の中に花でも咲かせてしまいそうな気分になる。

「は、はい!大丈夫ですっ!」
必要以上に力が入って、つい大声になる。

そんな竜介の様子に雪の顔が自然と綻んだ。

「あ、あの班長・・・。」

「なあに?」

「あ、あの・・・、よかったら、これ・・・持って帰ってもいいですか?」

竜介は遠慮がちに皿の上に置かれたクッキーを指差す。

「あの・・・、これ・・・、昔母さんが作ってくれたのと・・・同じ味がするんです・・・。」

照れ臭そうに少し淋しそうな目をして竜介が言った。

「まぁ・・・、そうだったの・・・。いいわよ、ちょっと待ってね。何かに入れてあげるわ。そのまま持って行くと部屋に帰りつくまでに、誰かに見つかって取られちゃうわ。」

雪はクスリと小さく笑うと、部屋の奥へ入れ物を取りに行った。なるほど、部屋に辿り着くまでに誰にも会わないなんてことは、まず有り得ない。そうしたら<おっ!いいもの持ってるな>、なんて食べられてしまう事は容易に想像が付く。

「これだったら中身が見えないし、まさかお菓子が入っているなんて思わないでしょうから、大丈夫よ。」

雪はそう言いながら、小さな乳白色のプラスチックケースにクッキーを入れて竜介に手渡した。

「あ、ありがとうございます・・・!あの・・・班長・・・。」

「大丈夫よ、今日のことは誰にも言わないから、もちろん艦長にも内緒よ。」

雪の口から出た<艦長>と言う言葉にチクリと竜介の胸が痛む。

「私と土門君だけの<秘密>、ね。」

<私と土門君だけの>、という言葉に今度は心臓がどっきん!と大きな音を立てる。

「は、はい!ありがとうございます、班長・・・!」

竜介はペコリと頭を下げて、そのまま生活班長室を出て行った。



そして雪は竜介が出て行ったドアの方をしばらく眺めていた。

(土門君・・・、本当に一生懸命で純粋で素直ないい子・・・。なんとなく弟が出来た気分だわ。本当にだれかさんもあのくらい自分の感情に素直だと、周りもやり易いだけど・・・。)

自分と進とのぎくしゃくした関係が、周囲にいろいろな意味で影響している事に気付いている雪は溜息をつきながらそう思うのだった。



一方の竜介は誰にも気付かれずに、無事にクッキーを自室に持ち帰ることに成功していた。自分の失態を優しく包み込んでくれた雪に感謝しつつ、その想いをまた深めてしまうのだった・・・。そして、母の思い出のクッキーの甘い香りに包まれて、その夜竜介は安らかな気持ちで眠りについたのだった。













# はい、はいはい・・・!雪です。
わかっているわよ、あのクッキー、綾乃が島君にも渡したのかって聞きたいんでしょ?副長になった島君が忙しくて、会うことは出来なかったんだけど、私からちゃあんと渡しておいたわよ♪(綾乃ってこういうところは、ぬかりないんだから。さすが、私の親友ね☆)
え?島君の反応?
びっくりはしていたけど、嫌がってはなかったわね。ほら、彼って誰かさんと違って感情が出ないじゃない?
あ〜〜〜、そう言えば、「太田に見つかったら、食われちまうから隠しておこう。」なんて言っていたわ。フフフフ・・・・。

え?私から艦長には分けないのか?って?知らないわ〜〜〜☆あんな朴念仁・・・!なぁんてね、
うふ・・・っ。

あら、この艦内放送、島君の声だわ。やだっ!私ったらワープの事、忘れてたわ・・・!早く第一艦橋に戻らなくちゃ☆そうなの、今日は艦橋勤務なのよ、うふふ・・・。あぁ、それにしても綾乃にこの島君の声を聴かせてあげたいわ!きゃあ!もう時間がないわっ、急がなきゃ!!
じゃあね、みなさま・・・!!  プチ・・・ッ!#

両親を失った古代君の心模様はよく本編で描かれていましたが、同じように両親を失った 土門君の心理描写は???だったように思えるので、ずっと気になっていました。第二の地球探しでの航海中に何度も両親、特にお母さんのことは思い出していたはず・・・。

綾乃ちゃんのクッキーにお母さんを思い出して泣いた竜介少年と、黙って見守った雪ちゃん。
またまた雪ちゃんへの思慕を募らせてしまいましたねぇ・・・。
果たして、起死回生、雪ちゃんの心から古代艦長兼戦闘班長を追い出すことが出来るのか!?
by みーこさん
土門君はプチラッキーだったかしらね?(笑) でもまだ煮え切らない雪ちゃんのほうはどうなるんでしょうね? 艦長ほっといていいのぉ?

なお、この作品は、みんなのページに掲載されていますみーこさんのお話『Oct.31 2203』の続編とのことです。まだお読みになってない方がいらっしゃれば、作品名をクリックしてリンク先へ飛んでみてください。
あい(2005.10.21)

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