069 もみじ


赤のオーロラさん作
 資源探査艦「あさつき」の船内は,夕刻から慌しくも明るい雰囲気に包まれていた。無理もない。今日は地球を出発して初めての軍用郵便の日だった。
 星間連絡回路はいまだ軍用・公用のみの使用に限られ,個人が家族等と連絡を取るために開発された「星間電報」のニーズは増すばかりだった。しかし星間電報は1文字あたり幾らと料金が設定されており,それは決して安いものではなかったし,「あさつき」の様に,ガスや磁場の影響で通信困難な宙域を行く船には,軍の補給物資に添えて送られる「軍用郵便」という昔ながらの手段が用いられているのだった。

 「あさつき」艦長古代進は艦長室に戻ると,先ほど受け取った軍用郵便の封筒を見返した。差出人は勿論彼の妻である。
 手紙を待ち焦がれるという,まるで女学生のような感情を自らが抱いていることに内心で苦笑しつつ,彼は封を切る。焦る気持ちを落ち着かせるように,ことさらに丁寧に。

 無機質なデスクの上に,鮮やかな秋が広がった。そこここに鮮やかなもみじがすき込まれた昔ながらの和紙の便箋は,確かに彼の記憶にあるものだった。時が穏やかに遡行する。

 資源探査に出発する日を目前にした週末,古代と彼の妻は郊外の小高い山に散策に出かけた。
 山は行く秋を惜しむかのように様々な色に色づき,空気は清涼だった。錦秋の中をゆったりと歩むと,多忙な日常で蓄積された疲労が洗い流されるようだった。

 妻の心づくしの弁当を楽しんだ後,彼は少しまどろんだが,暖かな感触にふと目覚めると,彼は妻に膝枕されており,秋の光に照らされた妻の顔がびっくりするほど間近にあるのだった。彼が幸せを感じるのは,こうした何気ない瞬間だった。
 妻とは18歳の時から知り合い,長い時間を共に過ごしたが,その大半が軍と戦の中であった。ゆえに,こうした平穏な風景の中で見る妻の姿はいつも新鮮で,平和というものが人に与える暖かみを実感せずにはいられないのだった。

 2人して集めた掌一杯のもみじは,麓にある小さな工房で,特産の和紙にすき込むことにした。穏やかな老夫婦の手ほどきを受けながら2人がすきあげた紙がこの便箋だった。

 「すきあげた紙はお好みのものに加工して後日お送りしますよ」という老夫婦の申出に,妻は何故か彼に聞こえないように小声で注文していたが,今にして思えば,その時からこの便箋にするつもりだったのだろう。
 無機的な色彩が多い宇宙船の暮らしの中で,自然を愛する彼のせめてもの慰めになるように。

 妻の美しい筆跡が,彼の安否を問い,会えない日々を愛情で埋めるかのように彼の気持ちを暖かく満たしてくれる。
 3枚目の便箋を手にした時だった。視界を一瞬鮮やかな朱色が横切った。
 便箋の間に一葉のもみじが差し込まれていた。持つ指先も染め上げてしまいそうな深紅の葉には,赤い糸で小さな紙がつけられていた。紙にはただ3つの数字が書き込まれていた。

 「633」

 誕生日でもない。結婚記念日でもない。足しても引いても割っても掛けても,心あたりの数字はない。
 もみじの手紙を受け取ってから3日,古代は何度となく考えていたが,思い付かなかった。なにか重要な数字であることはわかるのだが,心あたりがないのだ。

 あれは一体何なのだろう…考え事をしていた彼は前から来る人影に気がつかなかった。がつん。もろに鉢合わせをしてしまう。相手はびっくりして持っていた本を取り落としてしまった。

 「あっ。古代さん。どうしたんですか。ぼんやりして」
 同じ船に通信主任として乗り込んでいた相原だった。
 「すまん相原。ちょっと考え事をしていたんだ」

 そういいながら古代は相原の取り落とした本を拾い上げ,軽く埃を払った。見るともなく表紙を見る。意外な感じがして思わず尋ねてしまった。

 「へえ,相原って,こんな本を読むんだなあ。俺なんて中学時代国語の授業で習ったきりだよ」
 「え,古代さん知らないんですか」
 意外そうな相原の声。怪訝そうな古代の顔。

 「古代さん,この本今ベストセラーなんですよ。特に宇宙で働く人々と,地球で待つ人々との間で。この艦の購買部にだって置いてあるぐらいですから。通信主任の立場で言えば,実際に便利な点が多いんですよ」
 「この本と通信の関係って?」
 「ほら,星間電報が普及したとはいえ,値段は馬鹿高いでしょ。当然打てる文字数には限りがありますよね。でもこの本なら」

 相原が本を広げてみせる。
 「こうやって約4500の歌全てに番号がふってあるので,自分の気持ちにあった歌を選んでその番号を打てば,歌に託して気持ちが伝わるでしょ」

 その言葉を聞いた古代,購買部に向けて走り出す。あっけに取られる相原。
 「古代さん,どうしたんですか!」
 その声に振り向いた古代。謎を付き止め宝物を手にした少年のような瞳の輝き。
 「相原!明日の給料日,晩飯奢らせてくれ!」

 閉まりかけていた購買部のシャッターを危うく潜り抜け,古代は文字通り気合でその本を手に入れることができた。
 艦長が白兵戦に臨むかのように血相をかえて飛び込んできたので,応対したスタッフはびっくりしていたが,古代はそんなことには気がつかなかった。

 艦長室に戻り,慌しく本のページをめくる。本の名は「万葉集 現代語訳付き」。

 633番,633番,あった!!古代の顔がほころんだ。

  ここだくも 思ひけめかも しきたへの
    枕かたさる 夢に見えける   巻4 633 娘子
 (思いつづけていたからかしら。枕を片方に寄せて床についていたら,貴男が夢の中にでていらっしゃったわ)

 夜ふけてふと目醒めた時,傍らに誰もいない寂しさを感じるのは自分ばかりではなかったのだと,彼はその歌を何度も読み返した。
 学生時代知識として学ぶ古典は彼にとって退屈な授業でしかなかったが,恋を知り愛する人を得た今になると,しみじみと心に染みてくる。こうしたやりとりも良いものだなと素直に感じた。

 彼は妻と違って,手紙を書くことが少し苦手だった。決して嫌いなわけではないが,幾ら言葉を尽くしても自分の気持ちを盛り込めない歯がゆさがあった。今度の軍用郵便で妻に送る手紙には,ぜひ自分も歌を盛り込みたい。それまでにぴったりの歌を見つけたいと彼は強く感じたのだった。

 1月後,ユキのもとに夫からの「軍用郵便」が届いた。時々字体や筆記用具に変化があるのは,夫が日々の思いや出来事をその都度書き足していったからだ。決してスマートではないかもしれないが,いかにも夫らしい実直さだ。

 最後の一文はこう締めくくられていた。
 「俺は不器用で無骨なたちだから,うまく言葉がみつからない。ユキからのもみじの手紙をまねて,おれも自分の気持ちを歌に託したいと思う。524番」

 ユキは顔を少し赤らめた。524番は,宇宙を旅する者とその家族との間にはるか昔の歌集「万葉集」が流行するきっかけとなった有名な歌だった。
 ユキは本を見ずともそれをそらんじることができた。

  むしぶすま なごやが下にふせれども
     妹とし寝ねば 肌し寒しも  巻4・524 藤原大夫

 夫の声が聞こえるようだった
「なあ,ユキ。あたっかくてふかふかの蒲団にくるまって眠っていても,ユキが一緒じゃないから,肌が寒いんだ。人肌恋しいってこんな気持ちなんだね。一緒に眠れる日が早くくればいいなあと思うよ。」

 古代はその後も何度となく星間を行き来する軍務についたが,いつも荷物の中に「万葉集」と,彼がそれを手にするきっかけとなった一葉のもみじの便りを入れることを忘れなかった。もみじは色褪せぬようごく薄い水晶の板で大切に封印されていた。

 軍を勇退する際彼は,今まで無事で過すことができたのはこの「お守り」のおかげだったと,深紅のもみじを美しいブローチに加工させ,妻に贈ったのだった。
 もみじは今,彼等の恋がそうであったように,長い年月にも色褪せぬことなく,妻の襟元を暖かな色合いで飾っている。

(終わり)


23世紀を舞台にしているとはとても思えない,まるで戦前の帝国海軍の士官さんとその新妻のような時代錯誤の小道具設定が気になるのですが,また読んでいただければ幸いです。
by 赤のオーロラさん(2003.10.30)

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(背景:Heaven's Garden)